シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
「ママ、何してるの?」
学校から帰って、おやつの時間。何の気なしにテーブルを立ったブルーが覗いたキッチン、何か作業をしている母。キッチンの小さなテーブルの上で。
「ハーブソルトを作っているのよ」
匂いがするでしょ、という言葉で気付いたハーブの香り。テーブルに置かれた幾つかのハーブ。
「そっか…」
お塩なんだ、と改めて眺めた母の手元。ハーブソルトなら、自分も馴染みの調味料。キッチンに母が常備している。手作りのものを。
庭の一角のハーブガーデン、其処で育ったローズマリーやセージなど。摘んだばかりのハーブと塩とを混ぜて出来上がるハーブソルト。
今もフレッシュな香りが漂うハーブを母が細かく刻んでいる所。何種類か混ぜてゆくのだろう。母のレシピで、お気に入りの割合でハーブを合わせて。
刻み終わったら、用意してある炒った塩と混ぜて出来上がりらしい。ハーブと塩とが一対一で。
それだけで出来て簡単なのよ、と微笑む母。美味しいけれども、とても簡単、と。
「…乾いたハーブでも作るよね?」
たまに吊るして乾かしてるよね、いろんなハーブを。あれが入ったヤツもあるでしょ?
乾いたハーブなら、刻まなくても叩くだけで粉々になりそうだけど…。
「そうね、確かに簡単かもね。保存も利くから便利だけれど…」
元々は冬の間の保存用だったらしいわよ。冬になったら枯れてしまうハーブもあるでしょう?
だけど、新鮮なハーブが採れる間は、ママはこっちで作りたいわね。
味も香りも、断然、こっちが上だもの。ちょっぴり手間がかかるけれども、美味しさが大事。
お料理に使うお塩は美味しい方がいいでしょ、お料理もグンと美味しくなるし。
刻み終えたハーブと用意してあった塩を小さな鉢に入れて、丁寧に混ぜ合わせ始めた母。偏ってしまわないよう、気を付けながら。
フレッシュなハーブは水気があるから、きっとドライハーブよりも混ぜにくいだろう。ハーブが塩を集めてしまう分だけ、余計にかかりそうな手間。
それでも美味しく作るためには必要な作業なのだろう、と見学していたら母に訊かれた。
「シャングリラには無かったの?」
「えっ?」
何が、と首を傾げてしまった。何が無かったかと訊かれたのだろう?
「ハーブソルトよ、ママが作っているお塩」
シャングリラでは作っていなかったかしら、ハーブソルトは?
「んーと…。最初の間は無かったけれど…」
ぼくが物資を奪ってた頃は、そんなの作っていなかったけれど…。
改造した後はちゃんとあったよ、ハーブが入っていたお塩。
「ほらね、便利なものなのよ。シャングリラにもあったくらいに」
ハーブがあったら作らなくちゃね、少しくらい手間がかかっても。
「うん、美味しいしね、ママのお料理」
ハーブを使ったお料理だって美味しいけれども、ハーブソルトを使ったのも好き。
作ってる時からハーブの匂いがたっぷりだものね、ハーブソルトは。
母とそういう話をしてから、ダイニングに戻っておやつを食べて。
空になったお皿やカップを母に返して、自分の部屋へと帰ったけれど。
本でも読もうと勉強机の前に座ったら、思い出したハーブソルトを作っていた母。細かく刻んだハーブと塩とを丁寧に混ぜて。
母に問われたシャングリラ。あの船にハーブソルトはあったのかしら、と。
あったと答えた自分だけれども、そういえば考えたことがなかった。それが存在した背景を。
(ハーブソルト…)
白いシャングリラにあった、ハーブが混ざったハーブソルト。普通の塩とは違った塩。
ごく当たり前に存在していたけれども、誰が作っていたのだろう?
フレッシュなハーブもドライハーブも使っていたろう、あのハーブソルト。肉にも魚にも便利に使えたハーブソルトを作り出した仲間は誰だっただろう?
(…ハーレイじゃない…)
それだけは確か。料理が得意で工夫を凝らすのが好きだったけれど、ハーレイが厨房にいた頃はハーブは栽培していなかった。白い鯨ではなかったから。ハーブの畑は無かったから。
だから、それよりも後のこと。ハーレイが厨房を離れてしまって、白い鯨が完成した後。
自給自足で生きてゆく船に、誰がハーブを導入したのか。誰が使おうと考えたのか。
間違いなくあったハーブソルト。色々なハーブが混ざっていた塩。
(誰だったわけ…?)
思い出せない、ハーブソルトを作った仲間。ハーブを育てて作ろうと主張した仲間。
前のハーレイならやりそうだけれど、もう厨房にはいなかった。キャプテンになったハーレイは厨房で料理をしなかったのだし、ハーブソルトも作りはしない。
もしも厨房にいたのだったら、嬉々として案を出しそうだけれど。ハーブソルトを作りたいから船でハーブを栽培したいと、そのための場所を設けて欲しいと。
(でも、ハーレイだけは有り得ないんだよ…)
とっくにキャプテンだったんだもの、と考えていたら、そのハーレイがやって来たから。仕事の帰りに寄ってくれたから、テーブルを挟んで向かい合わせで、問い掛けた。
今のハーレイのハーブ事情を。料理が得意な今のハーレイなら、やはり作っているだろうかと。
「えっと…。ハーレイ、ハーブソルトは作ってる?」
ハーブとお塩を混ぜるヤツだよ、ママが作っていたんだけれど…。
「いや、そこまではやっていないな。…庭にハーブは植えてるんだが」
ちょっと採って来て使うだけだな、料理の時に。流石にハーブソルトはなあ…。
手間もかかるし、と答えたハーレイが使うハーブソルトは隣町で暮らす母が作ったもの。他にもハーブオイルやハーブビネガー、手作りのものをふんだんに使っているらしい。
自分の家では作らないけれど、隣町の家で貰って来て。キッチンの棚の常備品。
あれば便利なものだしな、とハーブソルトの良さを語るハーレイ。普通の塩では出せない旨味を引き出せるのがハーブソルトで、一度使えば手放せないと。
「ママも言ってたよ、お料理に使うお塩は美味しい方がいいでしょう、って」
だからね、手間がかかっても新鮮なハーブで作るのがいい、って。
保存するのに向いているのは乾燥させたハーブだけれども、今の季節は新鮮なハーブ。
「お前の家にもハーブガーデン、あるからなあ…」
思い立った時に摘んで作れるよな、思い通りのハーブソルトを。好きなように混ぜて。
俺も一人暮らしというんでなければ、ハーブソルトを作るんだが…。
どんな割合で混ぜるのがいいか、研究だってしてみたいんだが、生憎と一人暮らしじゃなあ…。
作りすぎになってしまうんだよなあ、ウッカリ凝ってしまったら。
「そうかもね…」
少しだけ作るつもりでやっても、改良したくてまた作りそう。
次はこういう風にしよう、って何度も挑戦している間に、ハーブソルトだらけになりそうだよ。
今のハーレイも作らないらしい、ハーブを混ぜ込んだハーブソルト。
そうなってくると、ますます有り得ない、前のハーレイがハーブソルトを作ること。今でさえも作っていないのだったら、キャプテンが作るわけがない。
けれど、事情は知っているかもしれないから。シャングリラを纏め上げていたのがキャプテン、ハーブソルトが生まれた経緯も聞いていたかもしれないからと、ぶつけた質問。
「じゃあ、シャングリラのハーブソルトは誰が作ってたの?」
白い鯨になった後には、ちゃんとあったよ、ハーブソルトも。
あれを作っていたのは誰なの、シャングリラにあったハーブソルトを?
「誰って…。そりゃあ、厨房のヤツらだろ」
担当していたヤツがいたのか、手が空いた時に作ってたのか。そこまでは俺は知らないがな。
「レシピはデータベースのだよね?」
データベースで調べて作ったんだよね、ハーブの混ぜ方も、ハーブソルトの作り方も。
「いやまあ…。データベースの情報には違いないんだが…」
ハーブソルトの作り方はだ、基本のレシピは俺が見付けたヤツだったんだが?
「えっ、ハーレイ?」
なんでハーレイがレシピを探すの、あの頃はとっくにキャプテンでしょ?
「それも間違いないんだが…。忘れちまったか?」
俺だ、俺、とハーレイは自分の顔を指差した。
あの船にハーブを乗せたのは俺だと、ハーブソルトもその延長だと。
まさか、と驚いてしまったけれども、ハーレイは得々として語り始めた。
白いシャングリラにあったハーブと、前の自分との関わりを。
「覚えていないか、前の俺がハーブを植えようと言い出したのを」
自給自足の船にする時に、せっせと推していたんだが…。
そんなにスペースは取らないんだし、ハーブガーデンは作るべきだとな。
「どうしてハーブガーデンなわけ?」
「美味いからに決まっているだろう! ハーブを少し入れるだけでな」
厨房にいた頃は何度もハーブを使ったからなあ、物資の中に混ざっていたら。
ハーブソルトも、ハーブオイルも、ハーブビネガーも時々混ざっていたもんだ。生のハーブも。
どうやって使うものかを調べて、ちょっと入れたら美味いんだ、これが。
船で植物を育てるんなら、ハーブが無ければ片手落ちだぞ。
ローズマリーにセージに、タイム。ほんの少しで変わるんだよなあ、料理の味が。
「えーっと…。ローズマリーにセージって…」
前のハーレイが歌ってくれたスカボローフェア…?
だからそういうハーブを植えようって言ったの、シャングリラに…?
「歌のせいではないんだがな」
たまたまハーブが出て来るってだけだ、スカボローフェアは。
そんな理由で決めやしないぞ、シャングリラで育てていこうっていう大切な作物の種類はな。
ローズマリーにセージに、タイム。他にも色々、料理の味に豊かさを持たせるために。
前のハーレイは長老たちが集まる会議でハーブを植えようと提案した。
ハーブがあったらハーブソルトもハーブオイルも、ハーブビネガーも出来る筈だ、と。ハーブやハーブソルトなどを使った具体的なレシピも、幾つも挙げて。
出された資料を四人の長老たちは子細に読み込み、チェックしてから。
「ハーブと来たよ。これだけでは料理にならないみたいだけどさ…」
かつての厨房の責任者がここまで推すんだったら、植えるだけの価値はあるってことかね。
要は匂いのする葉っぱの類みたいだけどね、と身も蓋も無いことを言ったのがブラウ。
「それだけでは料理にならんものでも、料理に使えば美味くなるのなら反対はせんが」
大して場所も取らんようじゃし、とゼルは「美味しい」という点に興味を抱いたらしい。
「ハーブは薬にもなる植物だそうだよ、この船では試していないがね」
煎じてお茶にするのだそうだ、とヒルマンは知識を持っていた。
人間が地球だけで暮らしていた頃、薬草だったというハーブ。ローズマリーは消化不良や炎症の抑制に良く効くハーブで、セージは抗菌作用を生かして感染予防のウガイなどに。タイムは風邪の症状を和らげ、疲労回復にもなるといった具合に。
「ハーブで治せる病気は色々あるそうですよ。料理用の他にも植えるといいかもしれませんね」
お茶にして飲めば効くそうですし、と微笑んだエラ。
腹痛や胃痙攣に効果があると伝わるカモミール。料理には使えないハーブだけれども、そういうハーブも植えましょうか、と。
白く愛らしい花が咲くというカモミール。薬が高くて買えなかった時代に重宝されていた植物。船でハーブを育てるのならば、植えておくのも良さそうだからと。
植えると決まれば、後は早かったハーブの選定。
キャプテン自ら案を出していたハーブの他にも色々なハーブが選び出されて、シャングリラには立派なハーブガーデンが出来た。農業用の広いスペースの一角、豊かなハーブガーデンが。
収穫出来そうな頃合いになって、再び集まった長老たち。キャプテンも、それにソルジャーも。
「さて、ハーレイ。…あんたの希望のハーブってヤツが育ったみたいだけどねえ?」
どう使うんだい、レシピの資料は前に見せては貰ったけどさ。
まずは料理に添えるのかい、と興味津々でブラウが尋ねた。香草焼きがあったようだけど、と。
「香草焼きか…。厨房のヤツらに任せてもいいが…」
そうすれば香草焼きになるのだろうな、ハーブの最初の使い道は。
せっかく立派に育ったのだし、第一号は色々な料理に役立つものにしてやりたいが…。
「もしかして、君がやるのかい?」
役立つものを作りに行くというのかい、と問い掛けたのが前の自分で。
「それもいいのう、言い出したのはハーレイじゃしな」
たまには厨房に立つのもいいじゃろ、腕がなまっておらんのならな。
何が出来ると言うんじゃ、ハーレイ?
わしらも是非とも見たいもんじゃのう、キャプテンが厨房に立った所を。
厨房のヤツらが酷く緊張するんじゃろうが、と笑っていたゼル。面白い見世物になりそうだと。
「思い出した、ハーレイ、作ったんだっけ…!」
厨房に出掛けて、ハーブソルトを。
シャングリラの一番最初のハーブソルトは、ハーレイが作ったヤツだったよ…!
「ごくごく基本のヤツだがな」
前の俺だって、ハーブソルトは出来上がったヤツを料理に使ってただけで、作ったことは一度も無かったからなあ…。いわゆる初心者向けってヤツだな、誰の舌にも合いそうなハーブで。
「だけど、本格的だったじゃない」
フライパンでお塩を炒って、冷まして。…お塩をそのまま使うんじゃなくて。
ハーブだって細かく刻んでたものね、お塩と綺麗に混ざるように。
「俺は厨房出身なんだぞ? 久しぶりに古巣に戻ったからには、本格的にいきたいじゃないか」
キャプテンになっても料理の腕は落ちちゃいないと、披露してやるチャンスだからな。
昔馴染みのヤツらが揃っていた場所なんだし、余計に腕が鳴るってもんだ。
ハーブはこうやって使うもんだと、ちゃんと手順を覚えておけよ、と。
キャプテンの制服の袖をまくって、ハーレイはハーブ入りの調味料をきちんと作り上げた。
厨房のスタッフたちやゼルやヒルマンたち、前の自分までが見守る中で。
ハーブソルトと、ハーブを漬け込んだオイルとビネガー。
出来上がったら直ぐに使えるハーブソルトと、ハーブの香りが移るまで待つオイルとビネガー。どれも料理にハーブの風味を加えるための調味料。
それらが見事に出来た後には…。
「ハーレイ、料理はしていないよね?」
ハーブソルトとかは作ったけれども、あれを使った料理なんかは。
「そう思うか?」
調味料だけを作って満足しそうか、古巣に戻ったキャプテンが?
白い鯨になっちまったから、俺の知ってた厨房とはすっかり変わってしまっていたが…。
それでも料理を作る場所には違いないしな、見た目がどんなに変わっちまっても。
「…それじゃ、料理をしていたの?」
ハーブソルトとかを作っただけでは終わらなかったの、あの時は?
前のぼくたちは、出来上がった所を見た後は帰ってしまったけれど…。
ハーレイも一緒に厨房を出たんじゃなかったっけ?
早くブリッジに戻らないと、って急いでいた気がするんだけれど…?
ハーブソルトやハーブオイルを作るためにと、あの日、持ち場を離れたハーレイ。
もちろん、キャプテン不在の間も航行に支障が出ないようにと、指示をしてきた筈だけれども。
責任感の強いキャプテンは急いで戻ったと記憶している、前の自分は。
けれども、記憶違いだったろうか?
ハーレイは一人で厨房に残って、出来たばかりのハーブソルトで料理を作っていたろうか?
あの日のシャングリラの夕食。その中の何かをハーレイも一緒に作っていたと言うのだろうか、ずっと昔は料理をしていた厨房で。場所は変わっても同じ顔ぶれのスタッフたち。かつての仲間と笑い合いながら、ハーブソルトを使って料理を作ったろうか…?
思い出せない、遠い遠い記憶。
厨房に立っていたキャプテンのその後、ハーレイが作っただろう料理も、食べた記憶も。
いくら記憶を手繰り寄せても、戻っては来ないハーレイの料理。ハーブソルトを使った料理。
首を捻って考え込んでいたら、「俺も忘れていたからな」とハーレイが浮かべた苦笑い。
「…お前に訊かれて思い出したんだ。料理はしていなかったよね、とな」
それを聞くまで、すっかり忘れていたんだが…。
ハーブソルトを作った後には、確かにブリッジに戻ったわけだ。そして仕事をしていた、と。
ところが、せっかく作ったハーブソルトを俺は料理に使えないわけで…。
考えた末に、ハーブソルトの出来を確かめるという口実でだ、お前用に野菜のソテーをな。
何日か経ってからだったが。
「…野菜のソテー?」
なんなの、野菜のソテーって。…野菜スープじゃないよね、それ…。
「うむ。野菜スープを作る代わりに、野菜をソテーしたってわけだ」
ただしお前は健康だったが。
寝込んでも弱ってもいなかった上に、普段通りの食事をしていたが…。
俺が青の間まで野菜ソテーを届けに出掛けた時には。
「そういえば…」
いつもと同じに、一人でお昼御飯を食べていた所にハーレイが来たんだったっけ。
何の用かと思ったけれども、「キッチンを少しお借りします」って…。
青の間の奥にあった小さなキッチン。其処はソルジャーの食事の仕上げをしたり、温め直したりするための場所。
ハーレイはキッチンに入って暫くしてから、温め直したらしい料理の皿を持って戻って来た。
こんな料理が出来ましたよ、と間引きしたニンジンがメインの野菜ソテーを。
「…君が作って来たのかい?」
ハーブソルトを試してみたくて、わざわざ作りに行って来たとか…?
「はい。…作ったからには使ってみたくて、ソルジャーに試食して頂くから、と…」
ご心配なく、ちゃんと味見はしましたから。
ご覧の通りにソテーしただけで、仕上げにハーブソルトを振ったというだけですが…。
なかなかに味わい深いものです、ハーブの風味が生きていますよ。
「ふうん…? 君が届けに来てくれるからには、自信作だと思うんだけど…」
どんな味かな、と口に運んだら、ふわりと広がったハーブの香り。野菜に一味加わった風味。
野菜をソテーして塩を振っただけとは思えない味、ただの塩ではないからだろう。
だから自然と浮かんだ笑み。「美味しいものだね」と、「ハーブが入ると違うんだね」と。
「そうでしょう? 同じ塩でも、ハーブを入れると変わるのですよ」
野菜スープも、次からはこれにしましょうか?
あれの味付けは塩だけですしね、ハーブソルトに変えればきっと美味しくなりますよ。
「君の野菜スープは、今のあの味がいいんだよ」
元の味のままがいいと何度も言ったと思うんだけどね?
野菜の味と塩だけのスープが気に入っているし、ハーブソルトの出番は無いよ。
「しかし…。いくらお好きでも、あの味付けは…」
塩だけというのは、召し上がっておられても味気ないように思うのですが…。
お好きな味だと知ってはいますが、ハーブソルトを入れたものも試して下さっても…。
ハーブが加わるだけなのですし、と野菜ソテーを作った料理人は困ったような顔。
野菜スープは野菜と塩だけで作るけれども、ハーブも野菜の内なのでは、と。
ハーブガーデンで育つハーブは、野菜と同じに食べるもの。口に入れても害のないもの、薬にもなるというほどのもの。だから野菜の親戚だろう、と。
「野菜と言うより、スパイスだろう?」
ハーブだけではお茶くらいにしかならないわけだし、風味付けに使うのが主なんだし…。
野菜ではなくて、スパイスなんだと思うけれどね?
ぼくは野菜スープにスパイスが欲しいと言ってはいないよ、塩があれば充分なんだから。
「…厳密に言えば、スパイスなのかもしれませんが…」
スパイスの内だと言われてしまえば、上手く反論出来ないのですが…。
それでもハーブは野菜の内だという気がしますよ、使い方が変わっているだけで。
ハーブソルト入りの野菜スープも、お召し上がりになる価値はあるのでは…?
一度作ってみますから、とハーレイがハーブソルトを使って作ったスープ。
寝込んではいなくて健康だったけれど、青の間のキッチンで何種類もの野菜をコトコト煮込んで作って貰った野菜のスープ。いつもは塩味だけの所を、同じ塩でもハーブソルト。
出来上がったそれを食べた途端に、いつもとは違う豊かな味わい。ハーブの風味。
「やっぱり駄目だよ、美味しすぎだ」
ハーブソルト入りのスープは駄目だね、普通の塩だけで味付けしないと。
「美味しいのならいいと思いますが?」
塩だけという所は変えておりませんし、ハーブが入っただけですよ?
ハーブソルトも塩なのですから。
作る所を御覧になっておられた通りに、ハーブと塩とが半分ずつです。
「それは分かっているんだけれど…。そのハーブってヤツが問題なんだよ」
これじゃお洒落な御馳走の味で、本来の君のスープじゃない。
ぼくが大好きな味がしないよ、こういうスープをぼくは求めてはいないんだけどね?
「同じスープなら、美味しい方が良くありませんか?」
贅沢な食材を使ったわけではありませんから、こういう味の野菜スープもよろしいかと…。
「今までに色々と工夫してくれたスープを、全部断ったと思うけど?」
美味しいスープが欲しいんじゃなくて、あの味のスープが欲しいんだよ。
分からないかな、ぼくが言うこと。
「…ハーブソルトも駄目ですか…」
本当に塩なのですけどね…。ハーブが入っているというだけで、本当にただの塩なのですが。
他の調味料は何も入っていないわけですし、塩は塩だと思うのですが…。
ハーレイは残念そうだったけれど、美味しすぎたのがハーブソルトを使ったスープ。
そうしてお蔵入りになったのだった、ハーブソルト入りの野菜スープは。
ハーブソルトが辿った末路を、ハーレイも思い出したらしくて。
「…お前、野菜のソテーは喜んで食っていたのに、スープは駄目だと言いやがって」
ハーブソルトは二度と入れるなとゴネられちまって、あれっきりだ。
前の俺が作ったハーブソルトの晴れ舞台ってヤツは二度と無かった、野菜スープが駄目ではな。
あれの味が生きる最高の料理は、野菜スープだったと思うんだが…。
塩しか使っていなかっただけに、あれが一番、ハーブソルトで美味くなったと思うんだがな。
「そうだったのかもしれないけれど…」
ハーレイは料理が得意なんだし、それが正解かもしれないけれど…。
でも、前のぼくはハーブソルトが入ったヤツより、普通の塩のが良かったんだよ。
あの味が好きで、他のは駄目。美味しくっても、駄目だったんだよ…。
「俺も充分に分かってはいたが、料理人としては寂しかったぞ」
腕の奮い甲斐が無いわけだしなあ、何度スープを作っても。
次はこういう味にしようとか、こうしたらもっと美味くなるとか、何も工夫は出来なくて…。
挙句の果てにハーブソルトまで駄目だと言われちゃ、ガッカリするしかないってな。
白いシャングリラにハーブを導入していたくらいに、料理が得意だった前のハーレイ。
自ら厨房で腕まくりをして、一番最初のハーブソルトを作り上げていたキャプテン・ハーレイ。
なのにハーブソルトが似合いの料理に、それを使えはしなかった。
塩だけを入れてコトコトと煮込む野菜スープに、前の自分が好んで作って貰ったスープに。
その野菜スープは長い時を越えて、今の自分もハーレイに作って貰うから。
病気で寝込んでしまった時には、ハーレイが作りに来てくれることが何度もあるから。
「えっとね…。ママ、ハーレイにハーブソルトも提案してた?」
野菜スープを作ってた時に、ハーブソルトを入れたらどうかって言われちゃった?
「一番最初に作りに来た時に、仕上げにどうぞと出されたな」
振りかけるだけで違いますから、とハーブソルトが入った瓶を。
「やっぱりね…」
そうなっちゃうよね、ママは色々アドバイスしてたみたいだし…。
何も入れずにお塩だけだと言うんだったら、ハーブソルトだと思うよね。
仕上げにパラッと振っておいたら、グンと美味しくなるんだし。
ママだって絶対、思い付くよね、何を言っても駄目なんだったら仕上げにコレ、って。
ハーブソルトを出されたけれども、入れなかったのが今のハーレイ。
塩と野菜の旨味だけのスープに、ハーブの風味は要らないから。前のブルーは、ハーブソルトの入ったスープを二度と頼みはしなかったから。
素朴で優しい野菜スープは、今もそのままのレシピだけれど。何種類もの野菜を細かく刻んで、塩味だけでコトコトと煮込むものなのだけれど。
「お前、今度もハーブソルトは無しなのか?」
ハーブソルトの話が出て来たついでに訊くがな、今度のお前はどうするんだ?
野菜スープにハーブソルトは入れないままの方がいいのか、今も?
「どうだろう…。ハーブソルトも美味しいものね」
ママが自分で作ってるから、前のぼくよりも知ってると思うよ、ハーブソルトの美味しさを。
今のハーレイの家の庭にも、ハーブが植わっているんだよね?
一人暮らしだと多すぎるから、ってハーブソルトは作ってないって聞いたけど…。
野菜スープの味はそのままでいいから、ハーブソルトは作って欲しいな。
ハーレイが一人暮らしじゃなくなった時は、庭のハーブでハーブソルトを。
「おっ、そう来たか!」
一緒に暮らせるようになったら、ハーブソルトを作って欲しい、と。
なら、ビネガーもオイルも作らないとな。
前の俺だって作ってたしなあ、ハーブオイルにハーブビネガー。
やっぱりそいつも作らんといかん、美味い料理には欠かせないからな。
うんと美味いぞ、シャングリラの中とは違って地球で育ったハーブなんだから。
ハーブソルトもハーブオイルも、ハーブビネガーも全部、とびきりの味がするってな。
今度こそお前にハーブソルト入りの野菜スープの味を分かって貰わないと、と輝く鳶色の瞳。
あれは絶対に美味いんだから、と。
「また作ってくれるの、ハーブソルト入りを?」
ハーレイ、懲りていないわけ?
前のぼくが駄目だと言った味だよ、今のぼくもきっと、同じことを言うと思うんだけど…。
「だからこそだな、今度こそお前に分からせてやるさ」
ハーブソルトを入れると美味いと、次からはこっちの味にしたいと思うように。
お前が気に入る味になるまで、何度でも挑戦するってわけだ。
前の俺たちと違って、野菜スープの味を試せるチャンスも時間も今度は充分あるんだから。
「でも、ぼくはあの味がいいんだけれど…」
本当にお塩しか入っていなくて、余計な味付けをしてないスープ。
風邪を引いた時の卵入りのは別だけれども、それ以外の時は前のままがいいよ。
ハーレイが作ってくれるスープはあの味なんだし、そのままがいいな。
「そういう頑固な考え方がだ、覆るほどに美味い味があるかもしれないじゃないか」
頑固なお前も、次からはこれだと思っちまうような、ハーブソルトを使ったスープ。
絶対に無いとは言えんと思うぞ、ハーブソルトを馬鹿にしちゃいかん。
入れるハーブで風味がガラリと変わるもんだし、混ぜる割合でも変わってくるんだ。
お前と一緒に暮らし始めたら、あれこれ研究することにするか。
どんな割合でハーブを入れたか、きちんとレシピを書いておいてな。
いつか美味いのを作ってみせる、とハーレイは自信満々で。
そのハーレイの家の庭には、前のハーレイがシャングリラに導入していたハーブが幾つも。
シャングリラにもハーブはあったけれども、好き放題には使えなかったことだろう。必要な分を採ってゆくのが限界だったことだろう。
けれど今では、ハーブを好きなだけ採っていいから。
新鮮なハーブも、保存用にと乾かしたハーブも、使い放題の世界だから。
ハーレイが何度も工夫を凝らして、美味しいスープが出来るかもしれない。ハーブ入りの。
塩とハーブとを半分ずつ混ぜて作ったハーブソルトで味付けをした野菜スープが。
青い地球の上で育ったハーブと、地球で採れた塩とで、美味しくなりすぎた野菜のスープ。
それに出会える時が来たなら、その時は卒業してもいい。
前の自分が頑固に変えさせなかった、野菜スープのためのレシピを。
卒業して、素敵な野菜のスープに変える。
ハーレイが作ったハーブソルト入りに、美味しくなりすぎたお洒落な味の野菜スープに…。
ハーブソルト・了
※シャングリラでハーブを育てるよう提案した、前のハーレイ。最初の調味料も作ったほど。
けれどブルーが好まなかった、ハーブソルトが入った野菜スープ。美味しすぎたのです。
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