シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
俺は料理が得意なわけだが…、と教室で始まったハーレイの雑談。ブルーのクラスでも馴染みの時間で、生徒たちの集中力を取り戻すために織り込まれるもの。
ハーレイが料理上手なことは知られているから、てっきり美味しい料理の話だと思っていたら、続いた言葉はこうだった。
「しかしだ、そんな俺にも作れない料理が存在するんだ」
実に伝統ある料理なんだが、こいつは無理でな。いわゆる日本の料理の一つだ。
「なんですか?」
幾つもの声が上がったけれども、ハーレイは「まあ、待て」と教室の前のボードに向き直った。そこに料理の名前をサラサラと書いて、手でコンと叩く。書かれた文字は「おしゃます鍋」。
「見ての通りに鍋なんだが…。どうして作れないのか分かるか?」
「高いんですね、材料が?」
サッと手を挙げた男子の一人。家で作るには高すぎる材料を使うんでしょう、と。
「惜しいな。…材料ってトコはいい線を行っているんだが」
「…珍しいんですか?」
高くなくても珍しいもので、この辺りでは買えないとか…?
「ふうむ…。お前だったら作れるかもな」
「ぼくですか?」
自分の顔を指差す生徒。彼の家は農家だっただろうか、と考えたけれど。
「お前、飼ってただろうが、猫」
「はい…?」
「そいつの鍋だ、おしゃます鍋は猫の鍋なんだ」
「えーっ!」
そ、その鍋はぼくも作れません!
ミーちゃんは大事な家族なんです、食べようだなんて酷すぎますよ…!
猫の飼い主の男子はもとより、大騒ぎになった教室の中。猫を食べるなんて、と。
「ほら見ろ、だから作れないと言っただろうが」
俺の料理の腕とか、予算以前の問題なんだ。おしゃます鍋はとても作れん。
材料の猫なら、ガキだった頃は俺の家にもいたんだがな。
「分かりました…」
でも本当にあったんですか、と男子生徒がしげしげと眺める「おしゃます鍋」の文字。
驚かせようとして冗談を言っているのでは、と。
「俺を誰だと思っているんだ、今までに嘘を教えたことがあったか?」
冗談だったら、とうに種明かしをしている頃だ。おしゃます鍋は正真正銘、日本の料理だ。
SD体制よりもずっと昔の食文化だな、とハーレイが語る「おしゃます鍋」。
遠い昔に日本が国交を断って、鎖国とやらをしていた江戸時代。おしゃます鍋は江戸時代に考案された料理で、材料が猫だと分かるようにと名前がついた。当時、流行っていた歌から。
「猫じゃ、猫じゃとおしゃますが」と歌う歌詞から、おしゃます鍋。かつての日本の食文化。
色々な文化が復活している今だけれども、流石にそこまでは復活しなかったという所だろうか。
(おしゃます鍋…)
ミーシャの鍋、と心で呟いてブルッと震えた。とんでもない、と。
子供時代のハーレイの家にいた猫といえば、真っ白なミーシャ。写真も見せて貰った猫。とても可愛くて甘えん坊だったミーシャ、それを食べるなど酷すぎるから。
学校が終わって家に帰ったら、着替えを済ませてダイニングでおやつ。
ケーキと紅茶を用意してくれた母に、あの話をしようと思い出した。仕入れたばかりの薀蓄を。
「ママ、おしゃます鍋っていうのを知ってる?」
「作って欲しいの?」
「…知ってるの?」
そう言うってことは、もしかして、ママは知っているわけ?
「知らないわ。でも、どうせハーレイ先生でしょ?」
ブルーが学校で聞いて来るお話、珍しいものは大抵、ハーレイ先生だもの。
だからお鍋も教わったのね、とママにも簡単に分かるわよ。食べてみたいの、そのお鍋?
「…ママの推理で当たってるけど…。ハーレイの授業で聞いたんだけど…」
でもね、食べたいとは思わないよ、ぼく。ママだってきっと作れないと思う。
おしゃます鍋って、猫のお鍋なんだよ。
「猫ですって!?」
ペットの猫よね、他の種類の特別な猫じゃないわよね…?
猫科の動物ってわけじゃないのね、本物の猫のお鍋なのね、それは…?
あんまりだわ、と母も愕然とした、おしゃます鍋。
本当に存在していたらしい、と説明したら、ポカンと口を開けていた母。日本という国はなんと凄かったのかと、江戸時代と言えば平和でお洒落な文化の時代じゃなかったかしら、と。
母を大いに驚かせた後、おやつを美味しく食べて部屋に戻って。
勉強机の前に座って、また思い出した例の雑談。ハーレイにも作れない料理。
(いくらなんでも、おしゃます鍋は…)
酷すぎると思う、かつての日本の文化でも。名前までついた料理でも。
今の時代には無くて良かった。ミーシャを食べる文化だなんて。
猫には何度も出会ったけれども、今は一番身近に感じるハーレイの家にいたミーシャ。真っ白な猫は写真だけしか知らないとはいえ、生きていた頃の色々な話を聞いているから。
(ハーレイ、凄いの知ってるんだから…)
よりにもよって、おしゃます鍋。可愛らしい猫を食べてしまう鍋。
けれど、自分が知らないだけで、他にも沢山あるかもしれない。
信じられない食べ物が。それを食べるなど酷すぎる、と声を失いそうな料理が。
もっとも、今の時代には多分、無いだろうけれど。
おしゃます鍋が無いのと同じで、復活させないで放っておかれているだろうけれど。
そういったことを考えていたら、おしゃます鍋を教えたハーレイが訪ねて来てくれたから。
知識の豊富なハーレイに訊こうと、テーブルを挟んで向かい合わせで問い掛けた。
「えっと…。今日の雑談、おしゃます鍋って言ってたけれど…」
おしゃます鍋の他にもあるの?
「何がだ?」
「変な食べ物。今のぼくたちが聞いたら、嘘だと思うような食べ物だよ」
猫を食べるなんて、ってビックリしたけど、他にもそんなのあったのかな、って…。
「おいおい、変と言ったら失礼だぞ。当時は立派な食文化だ」
其処の文化の一つなんだし、頭から否定しちゃいかん。
しかし、そうだな…。犬を食べるというのもあったな、中国とかでは。
「犬って…。それって、猫を食べるより酷くない?」
猫はホントにペットだけれども、犬は人間のことをとても大事に考えてるって言うじゃない!
お使いに出掛ける犬だっているよ、首から籠を下げて貰って!
「そいつは価値観の違いってヤツだ、どう考えるかは」
最初から犬を食べていた国じゃ、犬は人間のパートナーとかペットである以前に食べ物だ。他の国の人が「ペットにどうぞ」とプレゼントしたら、「美味しかったです」と書かれた御礼状が来て仰天したって話もあるんだ、犬の方はな。
犬の料理にも名前がついていたらしい。栄養がつくから暑い夏には喜ばれたとか、立派な食べ物だった犬。見た目はペットの犬と同じで、特別な犬ではなかったのに。
「…なんで食べなくなっちゃったの?」
おしゃます鍋も、犬の料理も、どうして消えてしまったの?
今の時代に無いっていうのは分かるけれども、SD体制に入るよりも前に無くなったんでしょ?
その頃だったら、文化を消そうって時代じゃなかったと思うんだけど…。
「動物愛護の精神ってヤツだ」
生き物を大切にしなければ、という精神が広がったんだな、世界中に。
犬や猫はもちろん、鯨やイルカも可哀相だと大勢の人が声を上げ始めたら、賛同する人も増えていくだろうが。そういうものを食べる文化があった国でも、間違いかもしれんと思うヤツらが。
食べないようにするべきだ、と考えるヤツらばかりになったら、食べる文化も消えちまう。犬も猫も、他の動物もな。
生き物を殺して食べることは残酷すぎる、という考え方の人間はベジタリアンになった時代。
肉も魚も一切食べずに暮らしてゆくのがベジタリアンだった。
「凄いね、全く食べないだなんて…」
つまらなそうだよ、食事するのが。お肉も魚も使わなかったら、お料理、減っちゃう…。
「そういったものを食べない文化は、それよりも前からあったんだがな」
宗教と結び付いたりして。熱心な信者は肉を食べないとか、そんな感じで。
「ふうん…?」
神様が駄目って教えてたのかな、お肉や魚を食べることは。
「そんなトコだな、だから神様にお仕えする人たちは食べなかったという話だなあ…」
SD体制に入るよりも前は、そうだった。
前の俺たちの時代も残っていたろう、神様がたった一人だけ。
俺たちが生きた頃には、その習慣はもう無かったが…。それよりも前の時代は、教会の人たちは肉どころか卵も食べなかったらしい。卵は普段は食べられたんだが、特別な時期は。
「卵も駄目って…。今は食べてもいいんだよね?」
教会の人たちも食べているよね、お肉も卵も。…だって、そんな話は聞かないもの。
「SD体制に入る時に消されて、そのままだからな」
あの時代は教会を支える人間も機械が選んでいたから、昔のようにはいかなかったんだ。
それまでの時代は、神様に仕えたいと思う人たちが自分で出掛けて行ってたからなあ、食べ物を制限されてしまっても平気だったというわけだ。自分で選んだ道なんだから。
ところが、機械が選ぶとなったら、そうはいかない。
お前は教会に入るんだ、と教育ステーションで決められちまって、教会に入るわけだろう?
自分の意志とは関係なしに肉や卵が食えなくなったら、人間、不満が出るってな。
マザー・システムとしては有難くない。食べ物ごときで体制批判をされちまったら。
そうならないよう、規則を緩めた。それが今でも続いてるんだな、肉も卵も食べて良し、と。
しかし、SD体制ってヤツは実に酷かったな、と続いた言葉。その観点から行けば、と。
教会の人たちも肉も卵も食べていい時代を作ったというのに、どう酷いのかが分からない。その観点から行けばいい時代だった、と言うのだったら分かるけれども。
「…どういう意味?」
教会の人たちがお肉も卵も食べられるようになったの、SD体制のお蔭でしょ?
ちっとも酷くないんだけれど…。いいことをしたように思うんだけど?
「その話の前だ、動物愛護の精神だ」
SD体制の時代も続いてたんだぞ、生き物を大切にしなければという考え方は。
機械が徹底して叩き込んでいたんだ、生き物を無闇に殺さないように。
地球が滅びてしまったからなあ、その分、余計に厳しくしていた。どんな生き物も大切に、と。
なのに、前の俺たちはどうなったんだ?
ミュウも生き物の内なわけだが。
「食べられてないよ?」
誰も食べてはいかなった筈だよ、ミュウのお肉は。
「当たり前だろうが、見た目は人類と同じなんだからな。食おうとは思わないだろう」
いくら研究者どもが冷血漢でも、食べる発想は無かったろうさ。
だが、食わなかったというだけのことだ。…ミュウは殺されちまったろうが。
「そうだね、死んじゃっても誰も気にしてなかったね…」
この実験をやったら死ぬかも、って思っていたって、やめずに実験していたんだし…。
殺すための実験もあったわけだし、大切にしては貰っていないね、生き物なのに。
アルテメシアでもミュウだと分かった子供は、端から殺していたんだから。
「ほら見ろ、それがSD体制の時代の考え方だ」
生き物を大切にしろと教えてはいたが、ミュウの命はどうだったんだ、ということだ。
ミュウも生き物には違いないどころか、姿は人間そのものなのにな。
だから酷いと言ったんだ、とハーレイの眉間に寄せられた皺。あの頃を思い出したかのように。
アルタミラの地獄や、アルテメシアで殺されていった仲間たち。赤いナスカでも。
「動物愛護の精神だけを叩き込んでおいてだ、ミュウは殺した」
そして不思議に思うヤツらもいなかったわけだ、何処にもな。
アルタミラにいた研究者たちも、家に帰ればペットがいたかもしれないのにな?
抱き上げてやったり、頭を撫でたり、おやつだって食わせていたかもしれん。
自分の家では飼っていなくても、知り合いの家にはいただろう。其処でペットに出会った時は、頭を撫でてやったんだろうさ。ミュウを扱う時とは違って、それは優しく「可愛いですね」と。
「…前のぼくたち、猫以下なんだ…」
猫だったら頭を撫でて貰えて、抱き上げて貰って、おやつも貰えて…。
もちろん檻には閉じ込めてなくて、家の中や庭を好きに歩けて。
「そういうことだ。…前の俺たちにやっていたことを、犬や猫にやっていたならどうなる?」
頭に妙な機械を被せて、苦しんでいようが、死んでしまおうが、かまわずに色々と実験だ。
手足も縛ってあるわけだしなあ、暴れないように。
そいつを犬や猫でやってりゃ、どんな目で見られていたんだと思う?
「凄い騒ぎになっちゃいそう…」
噂だけでも人が集まってくるよ、本当にそういう実験をしている場所なのか、って。
それで証拠を掴んじゃったら、みんな酷いと騒ぐんだろうし…。
研究所は閉鎖になっちゃいそうだよ、実験を続けられなくなって。
「そうだろうが。…犬や猫なら、そうなっていたに違いない」
だがな、俺たちは、残念なことにミュウだった。
犬や猫なら動物愛護の精神ってヤツで保護して貰えたんだろうが、ミュウはそうじゃない。
人類と同じ姿をしてても、守る必要など何処にも無かった。
ミュウも生き物だから大切に、と考える人類は一人もいなかったわけだ、機械のお蔭で。
あの忌々しいマザー・システムが、ミュウを生き物から除外しちまった。
ミュウは殺してもいい動物だと、殺すべきだと教えてたんだな…。
絶滅危惧種なんていうのもあった時代がその前にあるのに…、と深い溜息をつくハーレイ。
地球が滅びるよりも前の時代に、絶滅しないよう保護されていた生き物たち。その過程で人間が培った技術、それのお蔭で地球が滅びても動物も植物も生き延びられた。他の惑星で。
そうやって滅びを免れた生き物たちを蘇った地球の上に戻して、今の自然が作られた。遠い昔の自然そのままに、生命に溢れた海や森などが。
けれども、それだけの生き物を保護し続けていたSD体制の時代にも殺されていたのがミュウ。
人類よりも数は遥かに少なかったのに、保護する代わりに殺し続けた。
端から殺してしまっていたなら、いつか滅びてしまうのに。
地球が滅びた時に人類はそれを学んでいたのに、ミュウを保護する者は無かった。アルタミラで星ごと消そうとしたのは、滅ぼすつもりだったから。
赤いナスカの時も同じで、ミュウという種を絶やすのが彼らの目的だった。
他の生き物の命は大切にしたのに、滅びないよう保護していたのに、ミュウだけは別。
マザー・システムがそう教えていたから。
ミュウは滅ぼしてもいい生き物だと、保護する必要は何処にも無いと。
「ヤツらはミュウを絶滅させようとしていたわけだ」
滅びるのを防ぐ手段を考え出す代わりに、どうすればミュウを殲滅出来るか、そればかりでな。
アルタミラもそうだし、ナスカだってそうだ。
星ごと壊せば滅びるだろうと、ヤツらはメギドを持ち出したんだ。一人も残りはしないように。
「…でも、マザー・システムにミュウ因子を排除出来るプログラムは無かったって…」
キースが言ったから確かなんでしょ、その話は。
だったら絶滅しない筈だよ、どんなに殺してもミュウは生まれて来るんだから。
「さてなあ? …前の俺たちは運良く生き残れたが…」
アルタミラから無事に逃げ出した後は、シャングリラで暮らしていたわけなんだが…。
そのシャングリラも、ナスカの時には相当に危なかったんだ。
前のお前がメギドを沈めていなかったならば、ミュウは滅びていたかもしれない。
お前が制御室を壊してくれたお蔭で、二発目のエネルギーは相当に弱くなっていたそうだ。
あれを食らう前にワープ出来たが、照射率が百パーセントだったら間に合わなかった。メギドの炎が届いちまって、シャングリラは沈んでいただろう。
…あの時、シャングリラが巻き込まれていたら、マザー・システムの狙い通りにミュウは滅びて終わりだってな。
「そんなことは…!」
前のぼくが失敗していたとしても、シャングリラを助けられなくっても…。
マザー・システムがミュウの因子を排除出来ない以上は、きっとなんとかなった筈だよ。
ミュウは絶滅しなかったと思う、どんなに消しても次のミュウが生まれて来るんだから。
ナスカでシャングリラが沈んだとしても、また新しいミュウが生まれて生き延びただろう。白いシャングリラを造る代わりに、別の船で地球を目指しただろう。
前の自分がメギドを沈め損なったとしても、ミュウは滅びはしなかった筈だと思ったけれど。
「それがだな…。色々と研究したヤツらがいるのさ、どうなったかと」
SD体制が崩壊した後は、ずっと平和な時代だし…。今じゃ誰でもミュウなんだし。
そういう時代になったからこそ、研究しようというヤツもいる。シャングリラがナスカで沈んでいたなら、その後の歴史はどうなったのかと。
「いつかはミュウの時代になるっていうんでしょ?」
研究の結果は今と同じの筈だけど…。人類だけの時代は終わって、ミュウだけの時代。
マザー・システムもSD体制も壊してしまって、今みたいに人間が人間らしく暮らせる時代に。
「…ミュウの時代が来るのは間違いないらしいんだが…」
本当の歴史がそうなったように、前の俺たちが生きた時代の続きにそれが来ていたかどうか…。
もっともっと長い時間が経たなきゃ、ミュウの時代は来なかったかもしれんという話だな。
その上、地球が蘇っていたかどうかも分からんそうだ。
グランド・マザーを倒す方法、それによって地球のその後も変わる。
ジョミーとキースがやったみたいに、直接乗り込んで行って壊したからこそ、地球までが派手に壊れたわけで…。その結果として、青い地球が戻って来たってことだが、そうじゃない場合。
どう壊すのかを計算し尽くして立ち向かっていたら、グランド・マザーの機能だけを遠隔操作で止められたそうだ。手順は少々厄介らしいが、犠牲者は出ないし、安全で確実な方法だな。
しかし、それだとグランド・マザーが止まるってだけで、SD体制が終わるだけだぞ。止まったグランド・マザーを地下から撤去したって、地球は燃え上がりはしない。
そうなっていたら、地球を蘇らせる方法を考え付かない限りは、死の星のままで何も変わらん。
今の地球があるのは、シャングリラが地球まで行ったからだそうだ。他の船じゃなくて。
「そうなんだ…」
ジョミーたちの壊し方と違っていたなら、地球まで変わってしまうんだ…?
「うむ。何もかも前のお前のお蔭ということだな」
お前がメギドを沈めたお蔭で、ミュウはナスカで滅びずに済んだ。そしてシャングリラが地球に着いてだ、今の平和な時代がやって来たってな。青い地球まで戻って来て。
おしゃます鍋なんかを俺がこうして語れるのも…、と続いたから。
ハーレイの話が平和な時代に似合いの中身に戻ったから。
「おしゃます鍋…。今は作る人、いないよね?」
昔の地球でも、動物を大切にしてあげなくちゃ、って無くなっちゃったみたいだし…。
ハーレイみたいに知っていたって、おしゃます鍋に挑戦したりはしないよね?
「そんなグルメは流石に一人もいないと思うぞ」
猫は可愛い生き物なんだと思われてるのが今の世界で、今日のお前のクラスの生徒みたいに家族扱いしている人も多いんだしな?
猫より犬の方が好きだと思うヤツとか、猫は苦手だと思うヤツでも殺して食べはしないだろう。
誰でも分かっているってことだな、猫は大切にしてやらないと、と。
前の俺たちの時代でさえも、猫を食べようってヤツは何処にもいなかったんだから。
マザー・システムにきちんと叩き込まれて、動物愛護の精神だ。
ミュウは殺しても、猫は殺さん。まして鍋など、誰もやるわけがないってな。
もっとも、前の俺たちが生きた頃には、鍋を食おうっていう文化自体が無かったが…。
おしゃます鍋を食べる以前に、鍋料理が無かった時代じゃ誰も食えんな、おしゃます鍋は。
前の自分たちが生きた時代は、何処にも無かった鍋料理。今は馴染みのものなのに。
とはいえ、やっぱり猫の鍋など食べてみたいとも思わない。前の自分も、そうだったろう。猫を食べると聞いていたなら、酷い料理だと思っただろう。
他の仲間たちもきっと、顔を顰めたに違いない。おしゃます鍋などというものは。
「ねえ、ハーレイ。…エラたちが聞いたら、どんな顔をするかな?」
おしゃます鍋っていう料理があって、猫のお肉だと聞かされたら。
猫はお鍋にするんだよ、って。
「さてなあ…。信じられないって顔はするんだろうが…」
エラなんかは「なんて野蛮な料理でしょう」と言いそうなんだが、それはあくまで平和な時だ。
シャングリラは何処からも補給の来ない船だったんだし、飢えたら食うしかないだろう。
おしゃます鍋でも無いよりはマシだ、飢えて死ぬことを思えばな。
「…おしゃます鍋って…。シャングリラに猫はいなかったよ?」
いない動物は食べようがないし、おしゃます鍋、無理だと思うんだけど…。
「おしゃます鍋は無理だったろうが、食えるものなら他にいたろうが」
どういう名前の鍋になるかは知らないが…。鍋を食べる文化が無かったからには、他の調理法で食うわけなんだが、ローストするのか、煮込むのか…。
美味いか不味いかも全く謎だが、シャングリラで食うならナキネズミだな。
「ナキネズミ!?」
あれを食べるわけ、猫の代わりに?
おしゃます鍋にするんじゃなくって、焼いたり、シチューに入れたりするわけ…?
酷い、と悲鳴を上げてしまった。猫を食べるのも酷いけれども、ナキネズミ。
今の時代は、ナキネズミはとうに滅びてしまっていない動物。繁殖力が衰えていって、遠い昔に消えてしまったナキネズミ。保護して数を増やす代わりに、絶滅させる道が選ばれた。それこそが自然な道だったから。ナキネズミは人間の手で作られたもので、普通の動物ではなかったから。
思念波を上手く操れなかったミュウの子供をサポートするために作り出されたナキネズミ。
つまり思念波を使えた動物、人間と会話が出来た動物。
ナキネズミのように喋れはしない猫でも、食べることなど出来ないのに。おしゃます鍋と聞いて震え上がったのに、ナキネズミのローストや煮込み料理は想像したくもないもので。
シャングリラの仲間たちを信頼し切っていたナキネズミを、いったい誰が食べられるだろう?
他に食べ物が無いとなっても、誰がナキネズミを料理しようと思うだろう?
そうするより他に道が無くても、ナイフを持てる者などいない。「何をするの?」と首を傾げるナキネズミを殺せる者などは、誰も。
白いシャングリラの仲間たちは皆、心優しいミュウだったから。
ミュウを端から殺した人類、彼らとは違って他の生き物を思い遣ることが出来たから。
きっと誰もが選んだだろう。
ナキネズミを殺して食べる代わりに、飢えて死ぬ道を。何も食べ物が無いのならば。
けれど…。
「ナキネズミを食べなきゃいけないほどなら、ぼくが奪いに出掛けて行ったよ」
みんなの命を守るためなら、どんな場所でも行ったと思う。
ぼくも飢えててフラフラの身体でも、絶対に何か奪って戻るよ。
後はナキネズミを食べるしかない、なんていう悲惨なことになっちゃったら。
だって、ナキネズミは友達だよ?
ナキネズミを殺せる仲間なんかは一人もいないよ、食べたら命が助かる時でも。
「確かにな…。誰もナキネズミを殺せやしないな、俺でも無理だ」
キャプテンの俺がやるしかない、って覚悟を決めても無理だったろう。
そして結局、前のお前に縋るしかなくて、お前が何処かへ食べる物を探しに出掛ける、と…。
ナキネズミの命も仲間の命も救おうとしてだ、飛び出して行くのがお前というヤツだから…。
そんなお前だから、メギドを沈められたんだ。
命がどれだけ大切なものか、前のお前は誰よりも知っていたってな。
それを守るにはどうすればいいか、何が最善の道なのか。考えた末に飛んで行っちまった、命を一つ捨てる代わりにシャングリラが生き残れる道を、と。
自分の命を犠牲にしたなら、他の仲間たちが助かるから、と。
「…そうだけど…。そう思ったから、ぼくはメギドへ行ったけど…」
でも、ナキネズミは殺せないくせに、牛や鶏は食べちゃってたね。
シャングリラで飼ってた牛や鶏、前のぼくは平気で食べてたよ。可哀相だとは思いもせずに。
「今のお前だって食ってるだろうが」
牛も鶏も、魚とかも。…猫やナキネズミを食おうとしなけりゃ、それだけでもう充分だ。
ちゃんと命の大切さってヤツは分かってるわけだ、安心しろ。
それにだ、牛や鶏も遊びで殺していたんじゃないしな、前の俺たちは。必要な命を貰ってた。
今のお前も、前のお前も、生きるために命を食べていたんだ、何も問題ないと思うがな?
殺しちまって捨てたんだったら話は別だが、きちんと食べて自分の命にするんだから。
人類がミュウを殺していたのとは全く違う、とハーレイは穏やかに微笑んでくれた。
自分の命を養うためなら、牛や鶏の命を貰っても命は無駄にはならないから、と。
「ほどほどでいいのさ、命を食べないというのはな」
ナキネズミや猫を食べるとなったら、そいつが本当に正しいかどうか悩むトコだが…。
しかし、飢えちまった時なら、それが正しい道になるってこともあるだろう。
そんな状況は俺だって御免蒙りたいがな、猫やナキネズミを食べるしかないっていうヤツは。
普通に肉を食えるのがいいんだ、牛にしたって、鶏にしたって。
牛も鶏も美味しく食べれば、命は決して無駄にはならん。食べる度に可哀相だと思わなくても。
「…それでいいの?」
ナキネズミも猫も、牛も鶏も、命の重さは変わらないような気もするけれど…。
でも、前のぼくも食べちゃっていたし、やっぱり食べてもいいのかな…?
「当然だろうが、そのために肉が売られているんだからな」
誰も食べなきゃ無駄になっちまうぞ、肉になった牛や鶏の命。
まあ、命をまるで食わないのがいいと言うんだったら、精進料理って手もあるが。
「精進料理って…。お肉抜きの料理だって聞いているけど、あれは命を食べないためなの?」
命を食べなくてもいいように、ってお肉を使わない料理なわけ?
「元々はそのために生まれたらしいぞ、精進料理は」
教会の神様とは違って、日本や中国の神様と言うか…。古典でやるだろ、仏教ってヤツ。
仏教を広めたお寺の方でも、肉や魚は食べられなかった。お寺の人たちが食べていたのが、肉を使わない精進料理だ。もちろん魚も使っちゃいないし、卵も無しだな。
動物の命は一つも奪っていないってわけだ、精進料理を作っても。野菜の命も命の内だ、ということになったら、少々立場がマズイんだがな。
「野菜にも命…。あるんだろうね、木だって、花だって生きてるものね」
だけど、動物の命は一つも食べないのが精進料理なんだ…。
ハーレイ、精進料理も作れるの?
「作れるに決まっているだろう。俺に作れない料理は、今日の授業で話した筈だぞ」
おしゃます鍋は作れないわけだが、他の料理なら作れるってな。精進料理も得意なんだぞ。
野菜だけで作る料理というのも奥が深くて面白い。それにけっこう美味いんだ、あれは。
しかし、美味しく肉を食ってこそだ、とハーレイが片目を瞑るから。
「でないと食う楽しみが減るじゃないか」と、「肉を食わなきゃ人生、損だぞ」と、肉を使った料理を幾つも挙げてゆくから、ほどほどなのがいいのだろう。
命をまるで食べない料理で生きてゆくより、前の自分もそうだったように、牛も鶏も食べる道。命を無駄に奪わないなら、貰った命で自分の命をきちんと作ってゆくのなら。
前の自分がメギドを沈めるためにと捨ててしまった命。
それをもう一度、神様が自分にくれたのだから。ハーレイと一緒に生きてゆけるよう、二つ目の命をくれたのだから。
神様に貰った新しい命を養ってゆくのに必要なだけの命は貰っていいのだろう。牛の命も、鶏の命も、魚たちの命も、今度も、きっと。前の自分も貰って生きていた命だから。
ナキネズミは食べずにいたけれど。
今の自分も、おしゃます鍋を食べたいなどとは、微塵も思いはしないけれども。
ほどほどに食べればいいんだよね、と考えていたら、ハーレイに「おい」と呼び掛けられた。
「お前が興味があるんだったら、精進料理もいつか作って食わせてやるが…」
命を食わない料理もいいがだ、せっかく地球まで来たんだからな?
今度は色々食べようじゃないか、シャングリラでは食えなかった命も沢山あるんだ。
おしゃます鍋は論外とはいえ、肉だけでも種類はドッサリだってな。
鹿もイノシシもシャングリラじゃ絶対に食えなかったぞ、あの船にはいなかったんだから。
魚となったら何種類いるんだ、前の俺たちが一度も食ってはいなかった魚。
「ホントだね…!」
お肉もそうだけど、魚も前のぼくが食べたことがないのが今は一杯…。
ハーレイが言う通りに食べなきゃ損だね、今のぼくたちだから食べられる色々な命。
おしゃます鍋とかナキネズミのシチューは困るけれども、食べていいものは食べなくっちゃね。
貰った命を無駄にしないで、幸せに生きればいいんだものね…。
白いシャングリラでは一度も食べられなかった、色々な魚や様々な肉。
蘇った青い地球に来たから、そういったものも食べられる。
平和な時代に、ミュウの命もきちんと守られる時代に生まれて来られたから。
前の自分が失くした命を、神様が新しく与えてくれたから。
また生きていいと、ハーレイと二人で幸せに生きてゆくようにと。
ハーレイと一緒に手を繋ぎ合って、いつまでも、何処までも歩いてゆこう。
食べる命に感謝しながら、この地球の上で。
生きるために自分の命をくれた牛や鶏たちの分まで、幸せを二人で噛み締めながら…。
作れない料理・了
※動物愛護の精神はあっても、ミュウの扱いは酷かったSD体制の時代。猫以下だった命。
そのミュウの船でも、ナキネズミを食べようとはしなかった筈。命を食べるのも大切ですが。
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