忍者ブログ

シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

船でゆく地球

(んーと…)
 これは素敵、とブルーが眺めた旅の案内。学校から帰って、おやつの時間に。
 新聞に載っていた記事の一つで、地球一周の船旅なるもの。こういう旅をしてみませんか、と。
 行きたくなった人のためにと、旅行会社の名前も幾つか書いてあるけれど。連絡先まで載ってはいるのだけれども、広告とは違うらしい記事。
 写真が沢山の記事を書いた記者が乗っただろう船、それの名前も分からないから。どんな設備の船だったのかも、どういう船室で旅をしたのかも。
 一度滅びて蘇った地球は、銀河系で一番の水の星。地表の七割を覆っている海、これよりも広い海を持った星など、未だに一つも見付かってはいない。
 青い水の星、母なる地球。
 それを見ようと、素晴らしい青い海が見たいと他の星からやって来る人も多い地球。
 「せっかく地球に住んでいるのだし、海を旅してみませんか」というのが記事の狙いで、地球を丸ごと旅したいなら、船に乗るべきだと書いてある。宇宙船ではなくて、本物の船。
 宇宙からだと地球の全貌を見られるけれども、周りをクルリと回れるけれど。遊覧飛行に行けるツアーもあるのだけれども、記者のお勧めは船だという。地球の海をゆく本物の船。
 大海原へと出て行ったならば、どちらを見ても水平線。地球は丸いと分かる緩やかな曲線、平らではない水平線。
(…海水浴とかに行った時でも分かるんだけど…)
 地球を取り巻く海も丸いということは。平らではないと分かる曲線は。
 小さかった頃に父に教えて貰った、「丸いだろう?」と。「地球はホントは丸いんだぞ」と。
 船で海へと漕ぎ出して行けば、どちらを向いても水平線しか無いと書かれた新聞記事。見ていた記者の感激が分かる、「地球は丸い」と海の上で実感していたことが。
 その海を旅して、やがて見えて来る島や大陸。
 港に入って見物する場所や、大きな船は入れないから上陸用のボートで行く場所や。
 地球の広さと魅力を満喫するなら船だ、と旅心をくすぐる記者の筆。断然船だと、宇宙船よりも船で一周するのがいいと。



 記者が体験して来た船旅、何枚も撮って来た写真。記者の姿は載っていなくて、それも狙いの内なのだろう。旅のエッセイを読んでいる気分、自分が旅をしたような気分。そういうワクワク感を与える、船で地球を周る旅の記事。これを読んでいるあなたも是非、と。
(地球を一周…)
 外洋に出て行ける大型船に乗って、地球を覆っている海をぐるりと回って。
 船で真っ直ぐ進んで行ったら何処かでぶつかる島や大陸、それを避けながら旅をしてゆく。船がぶつからないように。陸地へゆくなら港に入るか、ボートを使って上陸するか。
 宇宙船なら地球の上を真っ直ぐ飛んでゆけるのに、何処でも周ってゆけるのに。
(だけど、陸には降りられないよね…)
 船のようにはいかないから。港の代わりに宙航に降りて、離れる時にはまた宇宙へと。つまりは地球から遠ざかるわけで、いつでも地球の上とはいかない。
 船旅だったら、小さな島さえ見えない時でも地球は必ず側にあるのに。船の下はいつでも地球の海だし、地球を離れてはいないのに。
 それについても書いている記者、「地球の広さが分かりますよ」と。宇宙船ならアッと言う間に地球を離れてしまうけれども、船で行ったら一日かけてもこの海の果てが見えません、と。
 そういう海を回ってゆく旅、二ヶ月以上もかかるという。
 あちこちの島や大陸に寄っている時間を多く取ったら、もっと日数がかかる旅。
 宇宙船なら、地球一周の遊覧飛行は一泊二日で行けるのに。たった二日間の旅の間に、宇宙船は青い地球の周りを何周も回るらしいのに。
 けれども、二ヶ月以上もかけて地球を周るのが記者のお勧め。
 時間があるなら船に乗らねばと、遠い星へと旅をするより、地球の広さを知るべきだと。



 読めば読むほど、船に乗りたくなって来た。地球一周の旅に出る船に。
 両親と遊びに行った港で眺めた、見上げるように大きな船。ああいう船でゆくのだろう。地球を一周するのなら。長い船旅に出掛けるのなら。
(新婚旅行の時に行くには…)
 この船旅は長すぎる。地球の海をゆく旅に出るなら、ハーレイと二人で行きたいのに。
 遠く遥かな時の彼方で、前のハーレイと目指した地球。白いシャングリラで、いつか地球へと。
 何度も夢見た、約束の場所。地球に着いたらと、どれほどの夢を描いただろう。
 夢は夢のままで終わってしまって、辿り着けずに終わったけれど。
 ハーレイが一人で着いた地球には、青い海すら無かったけれど。
(だけど、地球まで来られたんだよ…)
 生まれ変わって、ハーレイと二人。
 前の自分たちが生きた頃には、何処にも無かった青い地球まで。
 その地球をぐるりと周る旅なら、ハーレイと一緒に出掛けたい。これが地球だと、地球の海だと語り合いながら、長い船旅。地球を離れずに地球を一周、宇宙船とは違う旅。
 行きたくてたまらないのだけれども、二ヶ月もかかる新婚旅行は無理だろう。
 ハーレイの休みが足りないから。そんなに休めはしないから。
 学校で一番長い休みは夏休みだけれど、夏休みを全部使っても無理。船旅を終えて戻るより前に始まってしまう新学期。
 夏休みは二ヶ月も無いのだから。長いけれども、そこまで長くはないのだから。



(ハーレイ、休めないのかな?)
 教師の仕事をしている以上は、二ヶ月もの休みは取れないだろうか。学校の仕事で何処かへ出張するならともかく、自分の都合で夏休みの続きにオマケの休暇を何日か付け足すことなどは。
 そうは思っても、行ってみたい旅。行きたい気持ちになってきた旅。
(いつか、宇宙から地球を見ようって…)
 ハーレイとそういう約束をした。
 今の自分は宇宙旅行をしたことが無くて、一度も地球を見ていないから。宇宙から見える地球の姿を肉眼で見てはいないから。
 結婚したなら、地球一周の遊覧飛行。青い地球を見られる部屋に泊まって、前の自分たちが夢に見た星を眺めながらの抱擁とキス。
 そうやって二人で宇宙から見る地球も素敵だけれども…。
(二ヶ月以上も海の上だよ?)
 上陸しての観光や食事の時間は取ってあっても、殆どの時間は海の上。眠っている間も船は海の上を進んでゆく。次の目的地へ向かって休むことなく、何処までも続く大海原を。
 それほどに長い旅をしたなら、水の星を実感できるだろう。地球は本当に水の星だと、青い海が地球を覆っていると。
 前の自分はアルテメシアで海を見たけれど、テラフォーミングで作られた海。海藻があって魚も泳いでいた海の広さは、地球のそれには遠く及ばないものだった。
 あの海でさえも充分に広く思えたのだから、地球の海となればどれほどだろう。二ヶ月以上もの旅をしないと一周出来ない地球の船旅、その船から地球を見てみたい。青い青い海を。
 とても行きたい旅だけれども、ハーレイの休みが取れるかどうか。
 そこが問題、ハーレイの仕事柄、取れそうもない二ヶ月以上もある休暇。
(やっぱり無理…?)
 難しいかな、と溜息をついて新聞を閉じた。行きたいけれども、ちょっと無理そう、と。



 食べ終えたおやつのお皿やカップをキッチンにいた母に返して、部屋に戻って。
 勉強机の前に座っても、頭から離れてくれない船旅。地球の海を船で回ってゆく旅。ハーレイの休みは取れそうもなくて、二人一緒には行けそうもなくて。
(でも、行きたいな…)
 ハーレイと二人で船に乗って。何処までも続く青い海の上を、地球の海の上を旅してみたい。
 前の自分が焦がれた地球。
 いつか行こうとハーレイと二人で目指していた地球、その地球へ来られたのだから。
 前の自分が生きた頃とは、まるで違う星になったのだけれど。
 青い水の星が蘇るためには、燃え上がるしかなかった地球。アルタミラで見た地獄さながらに、大地は崩れて、海もマグマで煮えたぎって。
 何もかもを飲み込み、燃やし尽くして地球は蘇った、炎の中から。
 火の中で新しく生まれ変わると伝わる不死鳥、フェニックスのように新しく生まれた地球。青い地球が再び宇宙に戻った、命を育む母なる星が。
 裂けて崩れてしまった大地は、姿を変えてしまったけれど。
 大陸の形はすっかり変わってしまったけれども、地球は地球。前の自分が夢に見た星。
 たとえ地形が変わっていようと、海の形が違おうと。



 青い地球ならそれで充分、と今の地球の姿を思ったけれど。
 学校で習った遠い昔の地球の地形を思い浮かべて、かなり変わったと頷いたけれど。
(…あれ?)
 そういえば、と思い出したこと。
 前の自分は知らなかったのだった、あの頃の地球の真の姿を。
 青い星だと騙されていたこともそうだけれども、その青い地球。前の自分が行きたかった地球。
 フィシスの記憶に刷り込まれていた地球、何度も何度も見ていた地球。
 これが本当の地球の姿だと、いつかは其処へと焦がれていたのに、あれは偽りの情報だった。
 今のハーレイに指摘されるまで、全く気付いていなかったけれど。
(…大陸も海も、全部、偽物…)
 マザー・システムは地球の情報を巧妙に隠し続けた、地形すらをも。
 どういう星かを知れば知るほど、人間は地球を求めるから。地球を見たいと、一目でいいからと探して行こうとするだろうから。
 地球を求める者が増えれば、探す人間の数が増えれば、何処かで綻びが生まれるもの。どんなに情報を隠しておいても、何処からか漏れてしまうもの。
 そうならないよう、マザー・システムは地球の姿を誤魔化した。人間が疑いを持たない程度に。
(前のぼくたちは、知っていたけど、知らないのと同じ…)
 地球の歴史は知っていたのに、歴史を築いた国が何処にあったか、それは怪しいものだった。
 東洋や西洋、その程度のことは知っていたけれど、地図を描けはしなかった。
 博識だったヒルマンやエラでも、描くことは出来なかっただろう。イギリスは島で、フランスは海を隔てた向こう側だと知識はあっても描けなかった地図。
 そういう具合にマザー・システムは地球を隠した、具体的なイメージを持てないように。



 地図が描けないほどだったのだから、無かった地球儀。
 前の自分が生きた時代は、地球儀が存在しなかった。地球儀は地球の模型そのもの、あったなら人は本物の地球を見たいと思い始めるから。
 それに航海図も無かったのだった、地図や地球儀が無いのと同じで。
(マザー・システム、酷かったものね…)
 フィシスが持っていた地球の映像、それさえも偽物だったくらいに。大陸や海の形をぼかして、本物とは変えてあったくらいに。
(…地球にだって、あれじゃ辿り着けない…)
 前の自分が本物なのだと信じて見ていた地球へ向かう旅は、全くの嘘。でたらめだった太陽系。惑星の配列も、位置すらも嘘で、あの通りに飛んでも地球には着けない偽りの航路。
 そんな時代に生きていたのが前の自分で、ハーレイもまたそうだったから。
(地球儀と、それに航海図…)
 いつかハーレイと暮らす時には、それを買おうと相談していた。
 ハーレイの書斎に大きな地球儀、そしてレトロな航海図。人間が地球しか知らなかった時代に、帆船で旅をしていた海。そういう時代の航海図がいいと、二人で眺めて旅をしようと。
 地球儀と、それに航海図。
 何処へ行こうかと、今はもう無い遠い昔の地球の大陸を、海を見ながら想像の旅。背中に広げた空想の翼、二人で自由に飛んでゆこうと。
 その旅に自分を連れて行ってくれるハーレイならば…。
(…連れてってくれる?)
 地球を一周する船旅にも。
 宇宙船から地球を眺める旅とは違って、地球の海を船で渡ってゆく旅。
 青く蘇った水の星の上を、偽物ではなくて本物の地球の青い海の上をゆく旅に。



 けれど、足りないのがハーレイの休み。二ヶ月以上も必要な休暇。
(無理だよね、きっと…)
 教師なのだし、どう考えても取れそうにない。夏休みよりも長い休暇は。
 もっと違った仕事だったら、長期休暇を取れる場合もあるのだろうに。二ヶ月どころか、三ヶ月とか四ヶ月でも。具体的な仕事は咄嗟に思い付かないけれども、きっとある筈。
 ハーレイの仕事とは別の仕事で、長い休暇が取れそうな仕事。あの船旅はそういう人たちが行くために存在するのだろうか。次の休暇はこれに行こう、と。
 そうなってくると、休暇が取れないハーレイだと…。
(引退するまで行けないとか…?)
 どんなに行きたいと強請った所で、長い休みは無理なのだから。
 二ヶ月以上もかかる地球一周の船旅は駄目で、宇宙から見る地球がせいぜい。くるりと一周してみたいのなら、地球を一周するのなら。
 宇宙船での遊覧飛行で地球を一周、それしか今は出来そうにない。一番長い夏休みを使って旅に出たって、地球一周の船旅にはとても行けないのだから。
(…引退するまで行けないだなんて…)
 そう考えたら、寂しい気持ちになってくる。
 引退するような年になるまで、ハーレイと二人であの船旅には行けないなんて、と。
 寂しくて悲しい気もするけれども、教師はハーレイの天職のようなものだから。
 柔道や水泳のプロになるより教師がいい、と選んだ職だと聞いているから。



(無理を言っちゃ駄目…)
 長い休みが取れる仕事をして、とは言えるわけがない。いくらそうして欲しくても。長い休暇を取って貰って、二人で旅をしたくても。
 地球一周の船旅のことは諦めよう、と小さな溜息をついた所へ、聞こえたチャイム。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、ムクムクと頭を擡げる我儘。
 テーブルを挟んで向かい合っていたら、「行ってみたいよ」と強請りたくなる。あの船旅に。
 無茶だと分かっているけれど。ハーレイが教師を辞める筈など無いのだけれど。
「…俺の顔に何かついてるか?」
 さっきからじっと見てるようだが、と訊かれたから。
「そうじゃなくって…」
 ハーレイと旅行に行きたいんだよ。宇宙船じゃなくって、本物の船で。
 大きくなったら、いつかハーレイと結婚したら。
「船って…。豪華客船か?」
 プールもジムもついてるらしいな、豪華客船というヤツは。
 ホテルを丸ごと船に乗せたみたいに、中だけで何でも出来るそうだが…。
「んーと…。別にそこまで豪華でなくてもいいんだけれど…」
 多分、大きな船だとは思う。とっても長い旅に出る船だから。
 …地球を一周してみたいんだよ、船に乗って。
「ほう…?」
 本物の船で地球を一周か。そいつは楽しそうではあるな。
「でしょ? 今日の新聞にね、旅の案内が出てたんだけど…」
 新聞記者の人が乗って出掛けて、お勧めだって書いてたんだよ、船に乗って地球を一周する旅。
 記事を読んだら凄く素敵で、ぼくも行きたくなったんだけど…。



 でも二ヶ月以上もかかるんだって、と項垂れた。
 そんなに長くは、ハーレイはとても休めないよね、と。
「俺の仕事か?」
「うん…」
 夏休みを全部使っちゃっても、二ヶ月にだって足りないし…。
 続きにもっと休みを取るなんてことも、先生だったら出来そうにないし…。
 地球一周、引退するまで無理だよね?
 ハーレイが仕事を辞めてからでないと、あんな旅行には行けないよね…。
「おいおい、勝手に決めるんじゃないぞ」
 チビはチビなりに考えたんだろうが、やっぱりチビだな。仕事ってヤツを分かっていない。
 教師をしていりゃ、一番長い休みは確かに夏休みだが…。
 二ヶ月にさえも足りないわけだが、俺は今の俺だ。
 休みってヤツが全く無かったキャプテン・ハーレイの時代じゃないんだ、今の時代は。
「キャプテン・ハーレイって…。キャプテンに休みは無かったけれど…」
 毎日ブリッジに行ってたんだし、休憩してても連絡が来たりしていたけれど…。
 今のハーレイ、夏休みの他にも休めるの?
 夏休みよりも長いお休み、学校の先生をしている人でも取っちゃっていいの?
「ちゃんと希望を出しておけばな」
 新年度ってヤツが始まった後に出したとしたなら、「馬鹿か」と叱られちまうんだが…。
 もっと早い時期に、新しい年度の担任とかが決まるよりも前に出しておいたら、希望は通る。
 今の俺みたいに担任のクラスが無い状態にしてくれるんだな、休みを取ってもいいように。
 担任しているクラスが無ければ、後は休暇の間の俺の代理を決めるってだけで…。
 他の先生が担当してくれるわけだ、俺の授業を。
 休暇が済んだら、その先生から俺に戻って授業の続き。そんな具合でいけるってことさ。



 教師でも長い休暇は取れる、と話したついでに、ハーレイが教えてくれた今の時代の仕事事情。
 お前はチビだから、そう詳しくは知らないだろう、と。
 前の自分たちが生きた時代と違って、平均寿命が三百歳を軽く超えている世界。
 人間はみんなミュウなのだから、長生きな上に若い姿を保ってゆける。
 そういう時代に、何歳まで働くかは個人の自由。決まりは全く無いらしい。どんな仕事も。
 一度仕事を辞めたとしたって、また働くのも個人の自由。
「親父なんかはそのクチだな」
「ハーレイのお父さん?」
 今は仕事はしていないけれど、いつか何処かへ働きに行くの?
「どうするかは親父次第だが…。当分の間は、今のままだと思うんだが…」
 もう充分に働いたから、と楽隠居中なのが今の親父だ。
 しかしだ、気が向いたらまた働くのも悪くないな、と言ってるんだよな、親父はな。
 好きな時に釣りが出来る職場があったら、あの親父なら行きかねん。
 漁師もいいな、と半分本気だ、海は遠いから川で漁師だ。
「…漁師さんなら、釣りはホントに仕事だけれど…」
 ハーレイのお父さん、プロの漁師さんになっちゃうの?
 川で魚を獲る漁師さんは、向いているかもしれないけれど…。
「向いてるどころか、ピッタリだろうさ。今でも充分、プロ並みの腕を持ってるからな」
 だから、俺にもそういうコースはあるんだが…。
 適当な所で一度辞めてだ、何年か好きに過ごしてからまた古典の教師に戻ってみるとか。
「ふうん…。ぼくのパパはずっと働くのかな?」
 辞めたりしないで働くのかなあ、パパはまだまだ若いんだけど…。
 ハーレイとあんまり変わらないけど、どうするんだろ?
「さてな?」
 お父さんの考え次第だろうなあ、辞めちまうのも、ずっと働き続けるのも。
 俺の意見を言わせて貰えば、適当なトコで辞めて楽隠居なタイプだと思うんだがな。



 どう働くかは個人の自由。今の時代は、そういう時代。
 前の自分たちが生きた頃とは全く違っている時代。機械が仕事を決めたりしないし、働く期間も自分で選べる。この年までとか、もっと長くとか。
 深く考えたこともなかったけれども、自分が住んでいる辺りでは…。
「ウチのご近所さん、みんなのんびりだよ?」
 お孫さんがいるような人は、家にいる人ばかりじゃないかな。学校の帰りにいつも会うもの。
 庭の手入れをしている人とか、散歩している人だとか。
「何処に行っても似たようなモンさ」
 お前の家の近所に限らず、今は何処でもそうだってな。地球だけじゃなくて、他の星でも。
 あくせく働く時代じゃないんだ、機械が命令したりしないし、監視しているわけでもないし…。
 大抵の人は若い世代に次を譲って、引退するって所だな。
 若いヤツらに「もっと仕事を教えて欲しい」と頼まれた人や、好きで働く人以外は。
 中にはいるしな、幾つになっても働いていないと落ち着かないっていう人間も。
「じゃあ、ハーレイもその内、辞めるの?」
 先生の仕事を辞めてしまうの、孫が出来てもおかしくないような年になったら。
 …ぼくたちに子供は生まれないから、孫も生まれはしないんだけど…。
「それがだ、前の俺の記憶が何処かに残っていたせいなのか…」
 まるで考えていなかったんだよなあ、引退するっていうコース。
 身体と元気が続く限りは、現場で働いていたかったんだ。
 後進を育ててゆくってヤツだな、教師の方でも、柔道の指導をしてる方でも。
 前の俺は一生、働き続けていたわけだから…。
 地球の地の底で死んじまうまで、ずっとキャプテンのままだったしな。



 シドを任命し損なったし、とハーレイが浮かべた苦笑い。
 次のキャプテンがいなかった以上は、死んだ瞬間までキャプテンの職に就いたままだ、と。
「最後まで働き続けていたって記憶がしみついてたのか、今の俺の方もそういうつもりで…」
 働ける間は働いてやろう、と思ってたわけだ、記憶が戻る前からな。
「それじゃ、ハーレイ、辞めないの…?」
 年を取っても、ずっと仕事を続けていくわけ、先生の…?
 凄いベテランになれそうだけれど、ホントに最後まで仕事をするの…?
「どうだかなあ…。お前に会ったし、辞めるかもしれん」
 お前と二人でやりたいことが山ほどあるだろ、だから仕事を辞めるのもいい。
 引退してのんびり、二人で旅行だ。いろんな所へ。
 だがなあ、そいつはまだまだ先の話ってことで、俺はまだまだ働き盛りで…。
 引退よりかは休みを取るかな、お前が旅に出たいんだったら。
 二ヶ月以上もかかると言ったし、何処かで三ヶ月ほどな。
「…いいの?」
 休んじゃったら、その後がとっても大変じゃない?
 何処まで授業が進んでいたのか、これから何を教えるのかとか、そういう引き継ぎ。
 休む前にも引き継ぎがあるよね、ハーレイの代わりをする先生と。
「なあに、そのくらいの手間は大したことではないってな」
 俺が何年教師をやってると思っているんだ、引き継ぎなんかは得意技だぞ。
 学校を変われば、その度に色々あるからな。
 教える授業の方もそうだし、生徒もガラリと変わるわけだし…。
 引き継ぎを面倒がってるようでは、教師ってヤツは出来ないな、うん。



 休暇を取って旅行に行くか、とハーレイは優しく微笑んでくれた。
 お前が行きたいと言うのなら、と。
「前のお前の夢だろうが、地球は」
 俺と行こうと、前のお前はずっと夢を見て、それなのに寿命が来ちまって…。
 もう行けないと泣いていたよな、俺の腕の中で。
 俺と別れるのも辛かったろうが、地球に行けないのも悲しかった筈だぞ、前のお前は。
「そうだけど…。ハーレイと二人で行きたかったから…」
 いつか行けると思っていたから、行けないことが分かっちゃったら、悲しかったよ。
 ハーレイと一緒に地球を見るのはもう無理なんだ、って。
「お前の泣き顔、今でも覚えているからな…。せっかくの地球だ、旅もしないと」
 本物の地球に来られたんだし、結婚したら地球儀と航海図を飾るんだろう?
 前の俺たちが生きてた頃には無かったヤツだが、今は売られているんだからな。
 そいつを眺めて旅をしようと話してたじゃないか、お前と二人で。
 昔の地球のままの地球儀と、うんとレトロな航海図で。
「…覚えてたの?」
 地球儀を買おう、っていう話。…それに航海図も。
「こういう話をしていれば自然に思い出すだろうが」
 地球一周だの、船旅だのと。
 一周するなら地球儀の出番で、船旅だったら航海図だ。
 …もっとも、今の地球の海を旅してゆこうって時は、昔の地球のは全く役には立たないがな。



 その旅に行くには別の地球儀や航海図が必要になるんだろうな、と笑うハーレイ。
 地形が変わってしまった地球では、昔のものだと意味が無いから、と。
「まあ、買わなくても旅は出来るわけだが…」
 俺が動かすわけじゃないしな、地球一周に出掛ける船は。
 プロの船長が乗ってるんだし、航海士だって大勢乗っているんだろうし。
 右も左も分からない客が乗っていたって、船は迷子になりはしないし、任せておけば安心だ。
 ちゃんと地球を一周出来るぞ、俺もお前も地理が全く分かってなくても。
 …そしてだ、前の俺たちには見られなかった夢が見られる。
 地球儀も航海図もあるんだからなあ、それを見ながら此処を旅して、こう回って、と。
 同じ行くなら、理想の航路で行ける船旅を選ばないとな、地球一周の旅は。
「理想って…。幾つもあるの?」
 地球を一周するための航路、一つだけしか無いわけじゃないの?
「もちろんだ。海はデカイし、地球は広いぞ」
 俺もそれほど詳しくはないが、その手のツアーの案内を見るのは好きなんだ。
 一番人気が高い航路というヤツはだな…。



 かつての地球の七つの海を旅してゆくのを思わせる航路。
 それを行く船が人気だという。地球を一周する船旅の中でも、一番人気でツアーも多い。
「昔の地球って…。それに乗りたい…!」
 地球はすっかり変わっちゃったけど、前と同じじゃないけれど…。
 少しでも前と似てるのがいいよ、前のぼくたちが生きてた頃には昔と変わっていなかったもの。
 生き物が住めない星だっただけで、地形は昔のままだったもの…。
 どんなに情報がぼかされていたって、前のぼくたちが騙されてたって、地球は本物。
 あの頃のぼくが地球まで行けていたなら、そういう地形があったんだもの。
「だろうな、お前ならそう言うだろうと俺にも予想がついた」
 前のお前が見たかった地球に、少しでも近いのがいいんだろうと。
 ついでに、一番人気の航路。…俺の夢でもあるんだ、これが。
 キャプテン・ハーレイだった俺の記憶が戻って以来の夢だな、船に乗って地球を一周するのは。
 地球の海を隈なく見て回りたいんだ、俺のこの目で。
 前の俺は赤茶けちまった地球しか見られずに死んじまったし…。
 青い地球なんぞは何処にも無くって、おまけに地球を周ってもいない。シャングリラを降りて、そのまま地球で死んでるからなあ、一周している暇は無かった。降りたってだけだ。
 だから今度は見てみたいわけだ、本物の地球はどんな具合か。
 シャングリラじゃなくて、海を渡っていく船で。
 地球は丸いと分かる海をだ、船で行くのが最高だってな。地球を一周してみるのなら。



 断然、船の方がいいんだ、とハーレイは新聞の記事を書いていた記者と同じことを言った。
 一周するなら船に限ると、その方が地球の広さが分かると。
「それにだ、宇宙じゃないってトコがいいんだ、海は海でも本物の海だ」
 前の俺は船乗りでキャプテンだったが、乗っていた船は宇宙船だし、星の海しか旅していない。
 本物の海はシャングリラで上から眺めただけでだ、一度も旅しちゃいないんだから。
「そうだね、前のぼくだって同じ…」
 シャングリラの外へは出ていたけれども、アルテメシアの海も見たけど…。
 船に乗ってたことなんか無いし、前のぼくが船で旅をしたのも星の海だけだよ。
 なんだか凄いね、今度は本物の海の上を船で行けるだなんて。…それも地球の海で。
「まったくだ。海の上だと星も綺麗だぞ、そいつは今の俺が保証する」
 宇宙に来たかと思うくらいだ、もう満天の星空だってな。
 夜に船で海の真ん中に出たら、空から星が降って来そうなほどに。
「…ホント?」
 星が落ちて来そうなくらいに凄いの、夜の海から空を見上げたら?
 ぼくは夜には乗ってないから…。船は昼間しか乗ったことが無いから、見たことないよ。
「俺は親父と何度も乗っているしな、夜釣りってヤツで」
 釣りをする時には魚を呼ぶために明かりを点けるが、それまでは暗い海の上だ。
 町の明かりが届かないからな、その分、星が綺麗に見える。
 家が少ない所に行ったら天の川が見えるのと同じ理屈だ、海の上だともっと凄いがな。
 本当に宇宙を見ているようだぞ、星が瞬きさえしなければ。



 前の俺たちが旅した宇宙を見上げながらの船の旅だ、と聞いたら余計に行きたくなる旅。
 昼の間は青い海を見て、夜になったら船の上に星の海までが見えるというから。
「…行きたいな…」
 地球を一周する船の旅に行ってみたいな、ハーレイと一緒に。
 昔の地球の海に近い所を通る航路で、地球をぐるりと回ってみたいな…。
「俺も同じだと言っただろうが。俺の夢だと」
 上手く休みを取るとするかな、いつかお前と結婚したら。
 新婚旅行で行くのは無理だが、その内にきっと休みを取ろう。余裕を持って三ヶ月ほど。
 それだけあったら充分行けるぞ、俺たちが行きたい地球を一周しようって旅に。
「いつか行こうね、約束だよ。引退よりも前に、お休みを取って」
 そうだ、地球儀と航海図も持って船に乗らない?
 昔の地球のヤツでいいでしょ、ハーレイがキャプテンじゃないんだから。
 今はこの辺りを通ってるのかな、って眺めたらきっと素敵だよ。
 二ヶ月以上も船に乗るなら、そういうのも持って行きたいな。家にいる気分になれそうだし。
「おっ、いいな!」
 俺たちの家の一部と一緒に旅をするわけか、そいつはのんびり出来そうだ。
 此処も俺たちの部屋に違いない、と落ち着けそうだぞ、地球儀と航海図を飾っておいたら。
「そうでしょ?」
 落ち着けるし、それに役にも立つし…。
 昔の地球の地形のヤツなら、昔の地球の海を旅してる気分。
 本当はすっかり変わっていたって、気分だけでも、前のぼくたちの頃の地球なんだ、って…。



 前の自分たちが生きていた頃の地球を写した地球儀とレトロな航海図。
 それをお供に、いつか二人で地球の海の上を旅してゆこう。
 前の自分たちが目指した地球。
 其処へ二人で来られたのだから、地球をゆっくり眺めてみよう。
 こんなに広いと、まだまだ海が続いてゆくと。
 ハーレイと二人で本物の海を、本物の地球の広さを知ろう。
 いつか、そういう旅をする。
 青い地球の海を船でぐるりと、シャングリラで宇宙から周るよりも遥かに長い船での旅を…。




             船でゆく地球・了

※ブルーが行きたいと思った、船で青い地球を一周する旅。ハーレイの夢も同じだったのです。
 いつかハーレイが休暇を取って、二人で船旅。レトロな地球儀と航海図を眺めながら…。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv








PR
Copyright ©  -- シャン学アーカイブ --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by 妙の宴 / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]