忍者ブログ

シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

スモークボール

(えっ?)
 なに、とブルーを仰天させた煙。いきなりブワッと上がった白煙、それもハーレイの授業中に。煙はたちまち教室に広がり、何が起こったか分からないのだけれど。
「こらあっ、誰だ!」
 教室の前で怒鳴ったハーレイ、その姿も霞みそうな勢いでモクモク立ち昇る煙。
「ハーレイ先生、お誕生日おめでとうございます!」
 叫んだクラスのムードメーカーの男子、煙は彼の机の上からシュウシュウ噴き出していた。丸いボールのような球体、それが吐き出す物凄い煙。
 けれど火災を知らせるベルも鳴らなければ、スプリンクラーも作動していないから。あの煙には火は無関係なのに違いない。咳き込む生徒も一人もいないし…。
「おめでとうございます、って…。お前なあ…」
 いつと間違えているんだ、おい、とハーレイの顔に呆れた表情。煙の向こうで。
「間違えてません! 八月の二十八日です!」
 実は最近知ったんです、と答えた男子。夏休み中なので何もお祝いが出来ませんでした、と。
「…それでスモークボールなのか?」
 景気よく煙を吐いているが、と睨むハーレイ。そういう名前が付いているらしい、煙のボール。名前そのままに煙を吐き出すスモークボール。
「はい、クラッカーよりもいいと思いました!」
 クラッカーだと一瞬ですけど、スモークボールだと暫く煙が出ますから!
 うんと賑やかな感じがしますし、こっちの方が断然いいです!



 お誕生日おめでとうございます、と繰り返した男子。悪びれもせずに。
「学校で花火は禁止だが?」
 グラウンドはもちろん、教室でやるなど論外だ。夏休み中にグラウンドで遊ぶ場合も、前もって許可を取っていないと駄目なんだが?
「これ、火を点けない方のタイプですけど」
 ピンを引き抜くだけのヤツです、スモークボールっていう名前ですけど花火じゃないです!
「オモチャも禁止だ!」
 学校にオモチャを持ってくるな、と校則で決まっているだろうが!
 鞄に入っているだけだったら何も言わんが、それを使って遊んだ場合は即、没収だ!
「でもですね…。これはお祝いに買ったわけですし…」
 せっかく用意したんですから、と新しく出て来たスモークボール。男子がボールのピンを引っこ抜いたら、真っ青な煙がブワッと出て来た。さっきのボールが出した煙が収まりかけていた所へ、追加で青い煙がモクモク。
 今度は正体が分かっているから教室中がドッと笑って、拍手している生徒も何人も。
 「ハーレイ先生、お誕生日おめでとうございます!」と叫ぶ生徒も。
 教室の中は煙で一杯、男子は更にスモークボールを取り出した。ピンッと抜かれたピンの後には煙を吐き出す丸い球体。青い煙の次は黄色で、混ざり合った辺りは緑色の煙。



 シュウシュウと煙を吐いているボール、初めて目にしたスモークボール。
(なんだか凄い…)
 あんなオモチャが存在するのか、とポカンと眺めるだけだった。ぼくは知らない、と。
 ハーレイは煙が立ち昇る生徒の席まで出掛けて叱っていたけれど。スモークボールを取り上げた上に、「他のも出せ」と残りも没収したのだけれど。
 スモークボールを幾つも抱えて教室の前に戻ると、中の一つを持ち上げてみせて。
「俺の誕生日祝いはともかく…。叱られるオチは同じなんだから、頭を使え」
 どうせやるなら煙幕ごっこだ、それなら逃げられただろうが。
 おめでとうございます、と叫んでおいてだ、教室の外に向かって走れば良かったんだ。馬鹿が。
(煙幕ごっこ?)
 何だろう、と首を傾げた煙幕ごっこ。まるで初耳、聞いたこともない言葉。
 けれど、答えは直ぐに出た。「知らんのか、お前は煙幕ごっこを?」と、ハーレイが男子生徒をジロリと睨んで、それからクラスの皆に説明したものだから。
 煙幕ごっこは、煙で姿をくらまして逃げる遊びのこと。スモークボールで上がった煙に紛れて、自分の姿を隠してしまう。上手くいったら、瞬間移動をしたかのように逃げられるらしい。
「こいつを使えば、瞬間移動が出来た気分になるってことだな」
 タイプ・ブルーはあまりいないが、他のサイオン・タイプでも出来る瞬間移動だ。
 ただし、逃げ足が遅いと話にならない。…直ぐに見付かっちまうからな。



 煙幕ごっこにも才能ってヤツが必要なんだ、とハーレイはさっきの生徒をもう一度叱った。次にやる時は逃げ道の方も確保しておけと、そこまでやったら認めてやろう、と。
「だがな、もちろん叱るからな?」
 俺が認めるのと、学校の規則は別物だ。二度とやらないのが一番だな、うん。
 授業に戻る、とハーレイが広げた古典の教科書。今日は雑談の時間は無いだろう。煙幕ごっこの話で充分、スモークボールの騒ぎでクラス中の目が覚めたから。
(煙幕ごっこ…)
 それも知らない、と首を捻るしかなかった遊び。スモークボールを知らない以上は、知っている筈も無いのだけれど。煙幕ごっこはスモークボールを使うのだから。
(ぼくの友達、やってないしね…)
 煙幕ごっこも、スモークボールも、遊んでいるのを見たことが無い。
 ごくごく普通の花火だったら、何度か一緒に遊んだけれど。夜になってから誰かの家や、近くの公園に集まって。
(ぼくの家でも、何回か…)
 芝生が焦げてしまうから、と派手な花火は出来なかったけれど、色々なのを。芝生ではない庭の家とか、公園だったら、もっと色々。
 花火と言ったら、噴き出す火花を楽しむものだと思い込んでいた。綺麗な色やら、弾ける火花。煙はオマケでついてくるもので、多すぎた時は…。
(花火が綺麗に見えなくなるから…)
 ちょっと休憩、と煙が流れて消えてしまうまで待っていたもの。次の花火に火を点けるのを。
 なのに、煙で遊ぶ花火があるらしい。火を点けないでいいタイプのものまであるくらい。
 自分は今日まで知らなかったけども、様々な色の煙が噴き出すスモークボール。



 凄かったな、と家に帰っても思い出さずにいられない煙。おやつを食べて部屋に戻ってからも。
 教室にモクモク広がった煙、真っ白な煙に、青に黄色に。
(ハーレイ、没収してたけど…)
 禁止のオモチャを持ち込んだ方が悪いのだから、当然の結末というものだろう。愉快な光景ではあったけれども、規則は規則。ハーレイも教師をやっている以上、学校の規則は厳守するもの。
(煙幕ごっこで逃げちゃっていたら、認めて貰えるらしいけど…)
 あくまでハーレイ個人が認めるというだけ、スモークボールはやっぱり没収。クラス中の生徒を楽しませたって、ハーレイが「やるな」と笑っていたって。
 つらつらとスモークボールのことを考えていたら、ハーレイが仕事帰りに来てくれたから。母がお茶とお菓子を置いて行った後で、あの男子よろしく元気な声で。
「ハーレイ、お誕生日おめでとう!」
 ぼくはお祝い、ちゃんとしたけど、教室で言い損なったから…。おめでとう、ハーレイ!
「お前も煙を出そうと言うのか、スモークボールで?」
 あいつの一味か、教室で派手にやろうって度胸が無かっただけで?
「…ううん、スモークボールは持っていないよ」
 楽しそうだな、とは思ったけれど…。
 あんなオモチャがあるなんてことも知らなかったよ、スモークボール。
 花火なんだよね、本当は?
 ハーレイ、花火は禁止だって最初に言ってたもんね…?



 煙を楽しむ花火自体を見たことが無い、と正直に言った。花火に煙は邪魔なものだから、一面に煙が立ち込めて来たら暫くお休み、と。
「だって、花火が綺麗に見えなくなっちゃうんだもの…。煙が凄いと」
 風で消えるまで花火は中止で、煙が消えたらまた遊ぶんだよ。
「スモークボールを知らなかったのか…。そいつはいかんな」
 やってる子供は少ないかもしれんが、あれで遊ぶのを知らんというのは損をしているぞ。
「なんで?」
 ただの煙だよ、色がついててビックリしたけど…。煙より花火の方がいいでしょ、普通の花火。
「分かっていないな、授業の時にも言っただろうが。煙幕ごっこにしておけ、と」
 活動的な遊びなんだぞ、煙幕ごっこというヤツは。
 瞬間移動の真似もいいんだが、忍者だ、忍者。煙幕は元々、忍者が使っていたんだから。
「なに、それ…?」
 ニンジャってなあに、ぼくはニンジャも知らないんだけど…?



 キョトンとしてしまった、ニンジャなるもの。今日は知らないことばかり。スモークボールに、煙幕ごっこ。その上、煙幕はニンジャが使っていたものだなんて。
 知識が足りなさすぎるだろうか、と思ったけれども、ハーレイ曰く、ニンジャは学校の授業では出て来ないらしい。歴史の授業でも、古典の方でも。
「昔の日本で、重要な任務を担っていたのが忍者なんだが…。忍者は表舞台には決して出ない」
 別名が「忍び」と言うくらいだしな、分かりやすく言うならスパイってトコか。
 しかし、忍者はスパイとは違う。諜報活動も暗殺もすれば、偉い人のボディーガードもやった。様々な活躍をしていたわけだが、表に出たなら、もう忍者とは言えないからなあ…。
 忍者を束ねたヤツくらいしか、歴史に名前は残っていない。
 …後はアレだな、俳句の松尾芭蕉がいるだろ。本当は忍者だったという説があるな、あちこちに出掛けて俳句を詠んだり、教えたり…。それを隠れ蓑にして情報を集めていたってヤツが。
 その程度しか分からないのが忍者で、お蔭で色々な伝説が出来た。他の動物に変身出来るとか、分身の術が使えるだとか。
「えーっと…。それって、サイオニック・ドリームじゃないの?」
 忍者っていうのはミュウだったんじゃないの、サイオンを使えば全部出来そうなんだけど…?
「生憎と、ただの昔話だ。そんな昔にミュウの集団がいたわけがない」
 人間の空想の産物ってことだ、変身するのも、分身の術も。
 まさか未来に本当に出来る時代が来るとは、誰も思っていなかったろうさ。
 だからこそ夢が広がったんだろうな、忍者を英雄扱いにして。



 本物の忍者は松尾芭蕉がそうだったように、地味なもの。自分が忍者だと名乗ることはなくて、任務についても語りはしない。表舞台にも出て来ない。
 けれど伝説の忍者の方なら、それは華々しい活躍が語り継がれたという。戦争となったら忍者の出番で、真田十勇士と呼ばれた十人の英雄、その中にも忍者が入っているほどに。
「本来の忍者の姿からすれば、歴史に名前が残るなんぞは有り得ない話なんだがな…」
 なのに、実在の人物なのかと勘違いしそうな伝説の忍者もいるってこった。
 そんな具合だから、忍者のファンも生まれるわけで…。俺の友達にも好きだったヤツがいたってことでだ、俺も忍者に詳しくなった、と。
 …もっとも、ガキだった頃は本当に凄い忍者がいたんだと頭から信じていたんだがな。
 信じていたから、忍者の真似だ。スモークボールで煙幕を張って。
「それ、上手くいった?」
 忍者みたいに姿を消せたの、煙なんかで?
「風向きとかにもよったんだが…。そいつも煙幕ごっこの重要なポイントだったな」
 最初に風の向きを調べて、逃げる方向を考えて…。
 それからスモークボールの出番だ、火を点けるにしても、ピンを抜くにしても。
 煙がブワッと上がった途端に逃げるわけだが、風向きを読み間違えていたら丸見えだろうが。
 風向きは急に変わりもするしな、なかなか忍者のようにはいかんさ、ドロンと姿を消すなんて。



 けっこう難しいものなんだ、とハーレイが語る煙幕ごっこ。遠い昔の忍者の真似事。
 本物の忍者は表舞台に出て来なかったのに、何故だか伝説になっている忍者。それの真似をして姿を消そうと奮闘していたらしいのだけれど。
「…そうそう上手くはいかなかったし、だから教室でも言ったんだ」
 煙に紛れて逃げるトコまでやって見せたら、俺は認めてやってもいいと。学校の規則で駄目だと決まってはいるが、俺個人としては認めてやるとな。
 …しかし、お前と話していたら気が付いた。
 今にして思えば、うんと平和な遊びってヤツだな、煙幕ごっこ。…今ならではの。
「え?」
 どういう意味なの、スモークボールは初めて見たけど平和だったよ?
 火事だっていうベルも鳴らなかったし、スプリンクラーも動かなかったし…。
 花火の方のスモークボールを使っていたなら、ベルが鳴ったのかもしれないけれど…。
「その辺はあいつも分かってたんだろ、下の学校の子供じゃないんだから」
 どういう仕組みで火事を知らせるベルが鳴るのか、その程度のことは。
 知っていたから、火を使わないスモークボールで祝ってくれたというわけだ。俺の誕生日を。
 …そこで重要なのが俺ってトコだな、煙幕ごっこで遊んで育ったガキだったんだが…。
 今日も教室でスモークボールで誕生日を祝って貰ったわけだが、スモークボールが吐く煙。
 そいつをよくよく考えてみると、平和なんだという気がしてきた。
 煙だぞ、煙。
 前の俺たちにとっては煙と言ったら、それは物騒なものだったのにな…。



 シャングリラではタバコの煙も嫌がられたぞ、と言われてみれば鮮明に蘇って来た記憶。
 一時期、シャングリラでタバコが流行った。前の自分が奪った物資に混ざっていたのが原因で。
 けれども、無くなってしまったタバコ。理由は色々あったのだけれど…。
「そうだったっけね…。煙が駄目だ、って言われて姿を消しちゃったね、タバコ」
 他の理由は反対しようもあったけれども、煙だけは誰も文句を言えなかったから…。
 いくらタバコが気に入ってたって、吸わない人から「アルタミラみたいだ」って言われたら…。
「まったくだ。アルタミラが滅ぼされた時の煙を思い出しちまうから、と来たもんだ」
 あの時に見た炎と煙は忘れられんし、心に傷が残ったヤツらも多かった。
 タバコの煙はどう考えてもこじつけだろうと思うわけだが、それでもなあ…。同じ煙というのは確かなんだし、言い返すことは誰にも出来ん。
 タバコの煙でもあの有様なんだし、スモークボールの煙となったらどうなるか…。
 それを思うと、本当に平和になったんだな、と今の時代に感謝したくなる。
 アルタミラでお前と一緒に煙と炎の中を走って、やっとの思いで逃げ出したのに…。
 今の俺ときたら、スモークボールで煙幕ごっこをしてたんだ。わざわざ自分で煙を出して。
 教室で食らったスモークボールも叱ってはいたが、楽しんでいたな。
 あそこにいたのが前の俺なら、楽しむどころじゃなかったんだが。



 前の俺にはアルタミラの後にも嫌な煙の思い出が多い、とハーレイが眉間に寄せた皺。
 お前はまるで知らないだろうが、と。
「…あれは俺しか経験してない。…シャングリラのヤツらはともかくとして」
 前のお前は見てはいないな、俺が見て来た嫌な煙は。…アルタミラの地獄よりも後の時代には、一つだけしか。…アルテメシアを追われた時の。
「…見ていないって…。いつ?」
 死んじゃった後なら、もちろん見てはいないけど…。
 見ようと思っても見られないけど、ハーレイ、煙をいつ見ていたの…?
「前のお前が生きてた間だ。一番最初はジョミーを助けに浮上した時だな」
 お前はジョミーを追い掛けて行って、もうシャングリラにはいなかったが…。
 グズグズしてたら、人類軍はジョミーとお前を攻撃する方へ行っちまう。そうなるとマズイし、ヤツらの目を他へと逸らすためには、シャングリラを出すしかないだろうが。
 雲海の上へと出たまではいいが、予想した以上の攻撃だった。…初の戦闘だし、パニックになる者が多くて、防御セクションのサイオン・シールドが追い付かなくて…。
 お蔭で派手に爆撃されちまったんだ、本来だったら防げただろう分までな。
 …ブリッジで見てても煙だらけになっちまったわけだ、シャングリラは。
 あの時が最初で、あれから後にも色々あったな、前のお前が生きてた間に。
 俺は散々に嫌な煙を見ていたってことだ、シャングリラで。



 心の傷が多いんだな、と溜息をつくハーレイだけれど。
 アルタミラの他にも嫌な煙を山のように見た、と呻くけれども、その唇に微かな笑み。苦笑いと言えばいいのだろうか、そういった笑み。
「…ハーレイ、嫌な煙を一杯見たって言うけれど…。でも、少しだけ笑っていない?」
 楽しそうっていうほどじゃないけど、ほんの少し。ちょっぴり笑っているみたいだけど…。
「…まあな。笑っているのは今の俺だな、煙を嫌だと思っているのが前の俺の方で」
 俺にしてみれば、煙はオモチャだったんだ。…前の俺の記憶が戻るまでは。
 おまけに記憶が戻っていたって、やっぱり今の俺ってヤツがだ、先に立つんだと思ってな…。
 教室で煙が上がった時にも、前の俺は反応しなかった。
 スモークボールの悪戯なんだ、と直ぐに気付いて叱ってたわけで、前の俺とは全く違う。
 前の俺だったら、あそこで楽しむことなど出来ん。そんな余裕は何処にも無かった。
 遊びの煙なんぞは知らんし、何が起こったかと原因を掴むトコからだ。…キャプテンとして対処するべきことが山ほどあるしな、シャングリラで煙が出たとなったら。
 そうやって生きて死んでいった俺が、煙で遊べる時代が今だ。ガキの頃からスモークボール。
 煙幕ごっこで遊んで育って、今日は誕生日まで煙で祝って貰ったってな。



 考えてみれば愉快だろうが、とハーレイはすっかり笑顔になった。いい時代だ、と。
「嫌な思い出が沢山あった煙で色々遊んでるんだぞ、今の俺はな」
 ガキの頃もそうだし、今日だってそうだ。今の俺には煙はオモチャで、嫌な思い出なんか無い。
 本当に平和な時代ってヤツだ、煙で遊んでいられるんだから。
「そうなのかも…。ぼくもアルタミラの煙なんかは忘れていたから」
 煙が出た、ってビックリしたけど、ちっとも怖くなかったし…。何かしなくちゃ、と立ち上がりさえもしなかったし。
 …前のぼくなら、あそこで直ぐに飛び出さないと駄目なのにね。煙なら緊急事態だもの。
 だけどポカンと見てたのがぼくで、ホントになんにも考えてなくて…。
「そうだろう? すっかり安心し切っているって証拠だ、今のお前というヤツが」
 怖いことなど起きやしないと、今の世界は安全なんだと。
 あれがスモークボールの煙ではなくて火事だったとしても、それを知らせるベルが鳴り響いて、消火用のスプリンクラーが動く。避難の指示を出す俺だっているし、何の心配も無いってな。
 今のお前はそれをきちんと知っているから、ポカンと座っていられたわけだ。…前のお前なら、何が起きたのかと、原因を調べにサッと動いていたんだろうが…。
「うん、多分…。でもね、今のぼくは煙は怖くないけど…」
 煙と友達ってほどでもないかな、スモークボールを知らなかったし。
 忍者の話も、煙幕ごっこもまるで知らなくて、やってる友達もいなかったから…。



 ハーレイほどには煙と親しくないのかも、と少し羨ましい気持ちになった。アルタミラのような煙は二度と御免だけれども、シャングリラの煙も御免だけれど。
 そういう嫌な煙に幾つも出会って、乗り越えたのが前のハーレイ。どんな時にも冷静に生きて、キャプテンとして煙に対処しながら。
 そうやって煙と戦い続けて、その分、今は煙と親しくなったのだろうか。
 アルタミラと、アルテメシアを追われた時しか嫌な煙を見ないで生きた自分と、嫌な煙を幾つも見ていたハーレイとの違いが出たのだろうか?
 スモークボールで遊んで育つか、知らないままで育って来たか。
 ちょっと残念、と零れた溜息。嫌な煙に出会った記憶は沢山欲しくないけれど、煙で遊べる今の時代を自分は満喫していないらしい、と。
 そうしたら…。
「ふうむ…。お前、煙で遊んでみたいというわけか」
 顔に書いてあるぞ、羨ましいと。…俺ばっかりが遊んでいたのが、羨ましくてたまらないとな。
 だったら、今度の土曜日に試してみるか?
「試すって…。何を?」
 何を試すの、土曜日に…?
「スモークボールに決まってるだろう」
 お前に才能があるかどうかは知らんが、煙幕ごっこを教えてやろう。
 本当だったら、タイプ・ブルーに煙幕なんぞは要らないんだが…。瞬間移動で消えるんだが。
 お前の場合は不器用だしなあ、煙幕でも無きゃ、姿は絶対、消せやしないし…。頑張るんだな。
 火を点けるタイプのヤツじゃなくって、ピンを抜く方のを買って来てやろう。
 今日、教室で煙を噴いてたヤツだな、アレなら火傷の心配も要らん。
「ホント?」
 教えてくれるの、煙幕ごっこを?
「もちろんだ。知らないようでは損をしている、と言った責任も俺にはあるし…」
 楽しみにしていろ、今度の土曜日。スモークボールを持って来てやるから。



 教室で起こった悪戯のお蔭で、思わぬ遊びを教わることに決まった土曜日。ハーレイから習えるスモークボールの煙幕ごっこ。
(ぼく、出来るかな…?)
 スモークボールを持ち込んだ生徒が煙幕ごっこで逃げおおせていたら、認めてやると言っていたハーレイ。それにハーレイは「難しいぞ」とも話していた。風向きを読んで方向を決めて、上手く逃げないと煙幕には隠れられないと。
(丸見えになっちゃいそうなんだけど…)
 あまり無さそうな煙幕ごっことやらの才能。サイオンの方も不器用だけれど、運動もまるで駄目だから。足は遅いし、反射神経は無いに等しいし、煙に隠れて逃げるなどは…。
(…絶対、無理…)
 瞬間移動と同じくらいに、今の自分には無理だろう。どう考えても、きっと出来ない。
(…きっとハーレイに笑われるんだよ…)
 才能の無さを、可笑しそうに。「お前、煙幕でも姿を消すのは無理なんだな」と。
 それでも、今のハーレイが仲良くしている煙を使って遊んでみたい。今は煙で遊ぶことが出来る平和な時代で、教室で突然モクモクと煙が上がるのだから。スモークボールが吐き出す煙が。



 首を長くして待った土曜日、ハーレイは「約束通りに買って来たぞ」とスモークボールを持って訪ねて来てくれた。「いい天気だから丁度いいな」と。
 部屋で紅茶を一杯飲んで、ケーキを食べたら「行くとするか」と立ち上がったハーレイ。
「庭に出ないと煙幕ごっこは出来ないからな」
 なにしろ全力で走って逃げる遊びだからなあ、此処でやったら足音がドタバタ響いちまう。下にいるお父さんとお母さんとに迷惑だろうが、お前はともかく、俺は体重が重いんだから。
 行くぞ、と庭に出たハーレイの手にスモークボール。
 どうするのかとワクワクしながら眺めていたら、突然、ハーレイが引っこ抜いたピン。ブワッと真っ白な煙が噴き出し、アッと思ったら、もうハーレイはいなかった。
(ハーレイ、何処…?)
 ドロンと消えてしまったハーレイ。瞬間移動をしたかのように。
 さっきまでハーレイが立っていた場所、其処の芝生にコロンと転がったスモークボール。シュウシュウと煙を上げているけれど、ハーレイの姿は何処にも見えない。
(何処に消えちゃったの?)
 キョロキョロと辺りを見回していたら、「俺は此処だぞ」と聞こえた声。
「まったく、何処を探してるんだか…。お前、本当に鈍くなったな」
 俺の気配も読めないのか、と家の陰から出て来たハーレイ。庭だとばかり思っていたのに。
「凄い、ハーレイ…!」
 いつの間に裏側に行っちゃっていたの、あっちにも庭はあるけれど…。どうやったの?
「なあに、簡単なことだってな。お前が煙に気を取られている間に、パッと走った」
 風向きからして、こっちだな、と。
 面白かったぞ、家の陰からポカンとしているお前を見てたら。
 前のお前だったら、煙幕なんぞは無くてもドロンと姿を消せたというのになあ…。
 俺が上手に隠れていたって、「此処だ」と直ぐに見付けただろうに。



 すっかり不器用になったお前には、こいつの助けが必要なようだ、と渡された丸い物体が一個。手の中にスモークボールが一つ。
「いいか、このピンを抜けば煙が出るから」
 俺が使っていたのと同じで、白い煙だ。風向きを確かめて動くんだぞ?
 …今の風だと、あっちに走るのがいいだろう。あの木の陰だな、隠れるならな。
 頑張れよ、とポンと叩かれた肩。あそこまで全力で走って行け、と。
「分かった…。ぼく、頑張るから!」
 エイッとピンを引っこ抜いたら、派手に立ち昇った真っ白な煙。もうそれだけでビックリ仰天、どうすればいいのか分からなくなった。煙に隠れて逃げるどころか、突っ立って煙を仰ぐだけ。
「おいおい…。お前、全く逃げられてないぞ」
 スモークボールを持っててどうする、それじゃ狼煙だ。
 此処にいます、と敵に知らせているようなモンだ、煙幕の意味が無いだろうが。
「…そうみたい…」
 ビックリしちゃって、見てるだけしか出来ないみたい。
 スモークボールで遊んだことが一度も無いから、そのせいなのかな…?
「いや、才能の問題だろう」
 俺は初めて遊んだ時にも、スモークボールを投げて逃げたぞ?
 風向きを間違えて逃げちまったから、煙幕は役に立たなかったが…。それでも逃げた。
 お前の場合はスモークボールに見惚れちまっているというのか、夢中と言うか…。
 自分をビックリさせてどうする、周りのヤツらをビックリさせるのが煙幕なんだぞ?
「…そうなんだろうけど…」
 分かってるけど、失敗しちゃった…。自分をビックリさせちゃったよ、ぼく…。



 ハーレイに何度も教えて貰って頑張ったけれど、捨てて逃げるのが精一杯だった煙を吐く玉。
 隠れ場所まで「あそこだ」と教わって走ってゆくのに、上手くいかない煙幕ごっこ。父と母とが庭に出て来て笑って見ている、失敗続きの煙幕ごっこを。
 「ハーレイ先生に遊んで貰えて楽しそうね」と、「もっと上手に逃げたらどうだ」と。
 息が切れるまで何度も走って、とうとう降参するしか無かった。煙幕ごっこは無理みたい、と。
「ちっとも上手く出来ないよ、ぼく…」
 ハーレイみたいに隠れたいけど、これだけやっても駄目なんだもの…!
「才能の無さはよく分かった。絶望的だな、お前は忍者になれそうもない」
 タイプ・ブルーとしても駄目だし、煙幕で姿を消すのも無理、と…。
 今の時代に忍者はいないが、いたとしても入門出来んな、お前は。煙幕も張れない始末では…。
 部屋に戻ってお茶の続きをする方が余程、建設的だ。
 残りのスモークボールを使って思い出話をしてやるから。
「…思い出話?」
 この間の教室の話じゃないよね、ハーレイが子供だった頃の話とか?
 煙幕ごっこで遊んでた頃の話を色々聞かせてくれるの…?
「さてなあ、そいつは部屋に帰ってのお楽しみってな」
 これ以上はお前が疲れるだけだし、お茶の続きにしようじゃないか。
 ケーキは食ってしまった後だが、紅茶はポットにたっぷり入っていた筈だからな。



 二階の部屋に戻ってみたら、紅茶のポットはまだ充分に温かかった。懸命に走り回った時間は、きっと半時間も無かったのだろう。体育の時間の時と比べて、それほど疲れていないから。
 紅茶をカップに注いで砂糖。喉を潤したら、煙幕ごっこの才能の無さをまた思い出した。まるで無かった自分の才能、煙と戯れる遊びは向かない。スモークボールで遊べはしない。
(才能、ゼロ…)
 ガックリと項垂れていたら、ハーレイが「ほら」と手に取ったスモークボール。思い出話をしてやると約束していたろうが、と。
 褐色の指が引っこ抜いたピン。煙を噴き上げるスモークボールを床へとポンと放り投げて。
「そうだな、こういう具合だったな…」
 あの時に、俺が見ていた煙は。…モニター越しに確認していただけなんだが。
 現場に走れるような状況じゃなかった、俺がブリッジにいなくなったらどうにもならない。船尾損傷、シアンガス発生と報告されても、俺に出来たのは指示を出すことだけだった。
「…それ、いつの話?」
 ハーレイが見ていた嫌な煙の話だろうけど、いつだったの?
「前に話してやっただろうが、三連恒星に向かって追い込まれた時だ」
 思考機雷の群れに突っ込んじまって、後ろからは人類軍の船が追って来ていた。重力の干渉点を見付けて、其処からワープで逃げたわけだが…。
 俺たちを追っていた船に乗っていたのは誰だと思う?
「…誰って…。ぼくが知ってる人なの?」
 キースが乗ってたわけがないよね、そんな早くにキースとは出会っていないものね…?
「そのキースの先輩だったと言えば分かるか、今のお前なら?」
 歴史の授業で教わるだろうが、マードック大佐。…あの英雄のマードック大佐だ、自分が乗った船をメギドにぶつけて、地球を守った英雄だな。
 同じ船にミシェル少尉も乗ってた、俺たちの船を追っていた時も。
 …前の俺は最後まで知らなかったが、たまたま調べた資料に載ってたんだよなあ…。
 不思議なもんだろ、前のお前もマードック大佐とミシェル少尉に会っていたんだ。眠ったままで何も気付いちゃいなかったろうが、ちゃんと二人に出会っていたのさ。



 嫌な煙を見ていた中でも、そういう縁があったらしい、とハーレイが浮かべた穏やかな笑み。
 他にも何かあるかもしれんと、今の俺だから分かる何かが…、と。
「マードック大佐とミシェル少尉…。ぼく、会ってたんだ…」
 優しい人だったんだよね、マードック大佐。
 ナスカで残党狩りをしないで、命令を無視してくれた話は歴史の授業で教わるけれど…。
 それよりも前には、会っていないんだと思ってた…。ぼくがシャングリラに乗ってた頃には。
「俺だってそう思っていたさ。…それを書いた資料に出会うまではな」
 ひょっとしたらだ、山ほど出版されてる俺の航宙日誌の中には、載せているのがあるかもな。
 資料を詳しく突き合わせていけば、これがそうだと分かるんだから。
 …しかしだ、そういう本を買うより、偶然見付ける方がいい。俺はそう思うが、お前はどうだ?
 種明かしをしてある航宙日誌で舞台裏を一気に知りたいタイプか?
「…ううん、ぼくだってハーレイと同じ」
 少しずつ分かっていく方がいいよ、きっと神様が順番に教えてくれるんだろうし…。
 次に教えていいことはこれで、その次はこれ、って。
「俺もそう思う。…だから、ゆっくり二人で見付けていこうじゃないか」
 前の俺たちが生きた時代に何があったか、俺たちは誰に出会っていたのか。
 嫌な煙の思い出だった筈が、マードック大佐に繋がっていたりするんだからな。



 さて…、とハーレイの指が引っこ抜いたピン。
 マードック大佐の思い出話の次はコレだと、今の俺のガキの頃の話だと。
「スモークボールで隠れたつもりが、上手く隠れていなかったわけで…」
 それでもお前よりかはマシだ、と聞かせて貰った失敗談。
 スモークボールで煙幕ごっこは自分には向いていなかったけれど、こんな風に使うのも面白い。煙がブワッと噴き上げる度に、素敵な思い出話が一つ。
 前のハーレイも、前の自分も、嫌な思い出が多かった煙。それが今では遊びの道具で、遠い昔の嫌な煙の一つも、マードック大佐とミシェル少尉に繋がっていた。
 色々なことが分かってゆくのも、平和な時代に生まれて来たから。
 ハーレイと二人で、青い地球まで来られたから。
 煙幕ごっこの才能は無くても、今は煙を楽しめる。スモークボールのピンを引っこ抜いて、一つ二つと思い出話を聞きながら。
 きっとこういう休日もいい。部屋中に煙が溢れていたって、思い出話も一杯だから…。




            スモークボール・了

※今の時代は、スモークボールで遊べる時代。ブルーは才能皆無でしたけど、楽しかった時間。
 そして聞かされた、前のハーレイの煙の思い出。マードック大佐たちにも会っていた二人。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv










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