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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

最高の料理人

(んーと…)
 ハーレイにちょっと似合うかも、とブルーが眺めた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間。
 料理で名を馳せる人の特集、写真の中には様々な分野の料理人たち。トップシェフやら、和風の料理人のトップを指す花板、他にも色々。
 どの料理のプロも身に着けている白い制服、それから帽子。料理によって違う制服、同じ白でも違ったデザイン。帽子の方も。
(…前のぼくの頃だと、シェフの制服しか…)
 無かったのだろう、他の料理は無かったのだから。中華料理も、和風の料理も。
 それはともかく、料理人たちが纏った制服と帽子。料理が得意なハーレイにも似合いそうな服。トップシェフの高く聳える帽子はもちろん、花板や寿司職人の服もいいかもしれない。
(どれも似合うよね?)
 そういった服で厨房に立っていたならば。カウンターの向こうで料理をしていたならば。
 きっと似合う、と想像してみて「うん」と大きく頷いた。ハーレイならとても良く似合う、と。料理人が着ている服もそうだし、キビキビと料理をしている姿も。寿司を握ったり、フライパンでステーキをフランベしていたり。
(…ホントはハーレイ、柔道と水泳なんだけど…)
 プロの選手にならないか、とスカウトが幾つも来ていたと聞く。柔道の選手に水泳の選手。
 だからハーレイが何かのプロになっていたなら、スポーツ選手の方だろう。柔道の道か、水泳の方か。料理のプロの方へは行かない。
 ついでにハーレイが選んだ仕事は古典の教師で、教師のプロというのは聞かない。教師になった時点で既にプロとも言えるのが教師、制服のある職業でもない。
(だけど、料理の方に行っても…)
 身を立てられたかもしれない、今のハーレイ。料理が得意で、大抵の料理は作れるらしいから。店で出された美味しい料理も、自分で再現するらしいから。レシピが無くても、舌と勘だけで。
 もっとも、ハーレイ自身に料理人という選択肢は無かっただろうけど。
 プロのスポーツ選手になるのか、教師にするかの二つだけしか考えなかっただろうけど。



 料理の道でも充分に成功していただろうに、料理人の制服も似合いそうなのに。トップシェフの帽子も、寿司職人が被る帽子も、ハーレイならきっと似合うだろうに。
 そちらに行こうともしなかったハーレイ、料理人になりたかったと聞いたことは一度も無い。
 前のハーレイは元は厨房出身、異色のキャプテンだったのに。料理人とはまるで違った宇宙船のプロに転身した経歴の持ち主なのに。
(もし、前のハーレイの記憶があったら…)
 ほんの微かにでも残っていたなら、今のハーレイは料理人の道を選んだだろうか?
 スポーツ選手や教師にはならずに、プロの料理人。何の料理かは分からないけれど、名を上げて新聞に載せて貰えるような。
(ハーレイなら出来たと思うんだけど…)
 トップシェフや花板への出世。何処かの店に修行に入って、アッと言う間に腕を磨いて、お店のトップに立つということ。独立して自分の店を持つことも夢ではなさそうな料理の腕前。
(今のハーレイも凄いけれども、前のハーレイも凄かったしね?)
 偏った食材しか無いような時も、せっせと工夫を重ねていた。船の仲間たちが飽きないようにと味を変えたり、調理方法を研究してみたり。
 何度も試作をしていたハーレイ、もし厨房にハーレイの姿が無かったならば、ジャガイモ地獄やキャベツ地獄を無事に乗り切れたかどうか。
(…おんなじ料理が続いちゃったら、みんなが限界…)
 他に食材が無いということが分かっていたって、噴き出していたろう不満や愚痴。小さな不満が溜まっていったら、些細なことで喧嘩も起こっていたかもしれない。心に余裕が無いのだから。
 それでは船はとても持たない、ただでも外へは出られない船。頭を冷やしに行く場所でさえも、船の中にしか無い状態。そこでも出会い頭に喧嘩で、船の空気は殺気立つばかり。
 けれども、そうはならずに済んだ。ハーレイが料理をしてくれたから。



 ジャガイモ地獄もキャベツ地獄も乗り越えていった前のハーレイ。フライパン一つでとは流石に言えないけれども、鍋もオーブンも使っていたのだけれど。
(いつも工夫をしてくれてたよ…)
 同じ料理ばかりを出しはしなくて、食材は同じでも味や見た目が変わった料理。それが出るから誰も文句を言わなかったし、ハーレイも「今はこれしか無いんだからな!」とキッパリ言えた。
 俺は充分に工夫をしたから、何も文句は言わせないぞ、と。文句があるなら自分で作れと、俺の代わりに厨房に立てと。
(あれを言われたら、誰も文句は言えないよ…)
 シャングリラの胃袋を預かる厨房、其処に入って皆の料理を作れるだけの腕を持っていたなら、とうに厨房にいるだろうから。他の仕事をするのではなくて、厨房で料理。
(前のハーレイはプロだったしね?)
 シャングリラという船の料理のプロ。誰もが認めた最高の腕の料理人。ジャガイモ地獄も軽々と越えて船を進めた、内輪揉めの危機をフライパンを使って回避して。
(あの時のハーレイ、キャプテンみたいなものだったかも…)
 船にキャプテンはまだいなかったけれど、シャングリラを救ったのだから。料理が原因で起こる諍い、それを未然に防いだのだから。
 料理をしていたハーレイ自身も、気付いてはいなかっただろうけど。
 自分の料理の腕前一つで、船を守ったという自覚すら無かっただろうけれども。
 とはいえ、ハーレイは船を守った。ブリッジではなくて厨房に立って、舵の代わりに油を引いたフライパンをしっかり握り締めて。



 キャプテンと並んで天職とも言えた、前のハーレイの料理の腕。シャングリラのプロの料理人。あのまま厨房に残っていたなら、オリジナルのレシピを幾つも編み出したことだろう。
(凄く美味しいのとか、お洒落なのとか…)
 シャングリラ中の話題を掻っ攫いそうな、素晴らしい料理。白い鯨になった後なら、きっと色々生まれていた。前のハーレイの腕があったら、ジャガイモ地獄やキャベツ地獄を越えて進んだ腕の持ち主がいたならば。
(ホントに料理のプロだったんだよ)
 キャプテンなんかになっちゃったけど、と少し惜しんだ料理人としてのハーレイの腕。あのまま厨房に立っていたなら、どんな料理が出来ただろうかと。
 白いシャングリラに似合いの料理や、仲間たちの胃袋を引っ掴む料理。
 ハーレイだったらきっと出来た、と懐かしんでいてハタと気が付いたこと。
(…なんでハーレイだったわけ?)
 シャングリラのプロの料理人。当たり前のように思っていたのだけれども、そのハーレイ。
 どうしてハーレイが厨房で料理をしていたのかが問題だった。
 前のハーレイの居場所は確かに厨房だったのだけれど、何故、厨房にいたのかが。



(最初に非常食を食べた時には…)
 ノータッチだったと記憶している。アルタミラからの脱出直後に初めて食べた食事の時。
 封を切るだけで料理が温まったり、パンがふんわりと膨らんだり。そういった非常食が配られ、前の自分はハーレイの隣で食べていた。あの船で一番最初の食事を。
 食事をする前はハーレイと二人きりでいたわけなのだし、ハーレイは食事を配ってはいない。
(…ぼくがポロポロ泣いちゃってたから…)
 ハーレイに「今の間に泣いておけ」と抱き締めて貰って、誰もいない部屋に二人きり。ようやく涙が止まった所で、ハーレイと食事に行ったのだから。
(…ハーレイは食事の係じゃなかった…)
 少なくとも、脱出直後の船の中では。皆に食事を配らなくては、と考えた仲間たちの中には、前のハーレイはいなかった。
(多分、食事係はあのまま…)
 非常食を配った者たちがやっていたのだろう。最初に食料を探しに出掛けた仲間たち。その中にハーレイは入っていなくて、厨房を使い始めた時にも頭数に含まれていなかった筈。
 なのに、いつの間にやらハーレイは厨房に立っていたわけで…。
(…何があったのかな?)
 遠い記憶を手繰ったけれども思い出せない、ハーレイが厨房にいた理由。厨房を居場所に選んだ切っ掛け、それが何かが出て来ない。
 前のハーレイは厨房で料理をするようになって、気付けば自分用のエプロンまでも持っていた。物資の中から見付けたのだろう、大きな身体に見合ったサイズのエプロンまでも。
(制服とか帽子は無かったけれど…)
 ハーレイ専用のエプロンはあった。替えの分もきっとあったのだろう。きっと毎日、仕事の後にきちんと洗って、自分で管理をしていたものが。



 なんとも気になる、前のハーレイが厨房に入った理由。最初から食事を配っていたなら、不思議でも何でもないのだけれど。
(…とにかく何か食べる物を、って動いたんなら分かるんだけど…)
 そうでもないのに、ハーレイは厨房の仕事を始めていた。責任者になって料理をしていた。
(…制服と帽子の代わりにエプロン…)
 シャングリラの料理のプロなんだけど、と新聞記事の料理人特集を睨み付けても答えは出ない。料理の世界がまるで違うから、参考にすらなってくれない記事。
 船の中だけが全ての世界で限られた食材で料理をするのと、沢山の食文化が復活を遂げた平和な時代に料理をするのは違うから。
(…制服だけでも今は色々…)
 前の自分が生きた時代にありはしなかった板前や寿司職人の制服、シェフのそれとは似ていない帽子。今の自分なら、一目見ただけで料理人の帽子だと分かるけれども。
(前のぼくだと、分からないよね?)
 料理人だとは思わないだろう、制服姿の花板や寿司職人たち。
 何の参考にもなりはしない、と新聞記事を閉じてテーブルに置いた。これじゃ駄目だ、と。



 おやつを食べ終えて、二階の自分の部屋に帰って。勉強机の前に座った、さっきの続き、と。
 遠く遥かな前の自分の記憶を辿って旅をしてゆく。白い鯨になるよりも前のシャングリラ。
(…どうしてハーレイがお料理だったの?)
 向いていそうな仕事は他に幾つもあっただろうに。大きな身体をしていたのだから、それと力を生かせる仕事。機関部の仕事も務まったろうし、備品倉庫の管理人だって。
(倉庫の管理も、ハーレイだしね?)
 厨房と兼任でやっていた。「見当たらないものがあるならハーレイに訊け」と言われたほどに、有能だった管理人。その職だけでも充分だったろうに、どうしたわけだか厨房まで。
(…ホントにちっとも思い出せない…)
 ハーレイが厨房に入った理由か、もしくは動機。
 謎だ、と頬杖をついて考え込んでいたら、チャイムの音。窓に駆け寄れば、手を振るハーレイ。仕事の帰りに寄ってくれたから、チャンス到来と訊くことにした。
 お茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで、向かい合わせで。



 まずは今のハーレイの方から訊こう、と目の前の恋人にぶつけた質問。
「ハーレイ、シェフになりたかった?」
「はあ?」
 シェフって…。なんだ、お前は何を訊きたいんだ?
「シェフでなくても、板前さんとか、寿司職人とか…」
 似合いそうだけど、お料理する人の制服とか帽子。ハーレイだったらきっと似合うよ。シェフもいいけど、板前さんも。お寿司屋さんだって。
「おいおい、制服が似合いそうだ、って…。そういう理由でシェフとかなのか?」
「違うよ、それもあるけれど…。ハーレイはお料理が得意だから」
 大抵のお料理は作れるんでしょ、だからシェフとか板前さんになりたかったのかなあ、って。
「料理は確かに好きなんだが…。生憎と俺には柔道と水泳があってだな…」
 同じ専門の道を目指すなら、料理よりも断然、そっちの方だ。プロの選手になるって夢だな。
「…先生は?」
 先生になったのもハーレイの趣味なの、お料理するより先生の方が良かったわけ?
「教師って仕事を考えてみろ。俺はお前の学校で柔道部の顧問をしているんだぞ」
 今までに行ってた学校でもだ、柔道部か水泳部の顧問をしていた。趣味の柔道も水泳も活かせる職業だろうが、教師ってヤツは。
 ところが料理じゃそうはいかない、柔道も水泳も全く出番が無いんだから。
 そんな仕事を俺が選ぶわけがないだろう。プロ級の腕を役立てる場所が無いんじゃな。
「そっか…。シェフは柔道、やらないもんね…」
 水泳だってしないね、板前さんとかお寿司屋さんも。
 仕事が無い日に趣味でやるのは出来そうだけど…。お店じゃ何も出来ないものね。



 柔道や水泳の腕を活かせないから、と今のハーレイは選ばなかった料理人の道。やはり選択肢に入ってさえもいなかった。料理人になるという道は。
「だったら、前のハーレイは?」
 料理人になりたいと思っていたのか、違うのか、どっち?
「何の話だ? 前の俺が何になりたかったか、覚えていたとでも思うのか?」
 成人検査よりも前の記憶は無かったんだぞ、前の俺には。
 何になりたいと思っていたのか、そいつをしっかり覚えていたなら奇跡だろうと思うがな?
「そこまで前の話じゃなくて…。前のぼくと出会った時よりも後」
 前のハーレイ、どうして厨房にいたんだろう、って気になっちゃって…。
 今日の新聞に料理人特集が載っていたから、それを見てたら前のハーレイのことも…。
 初めの間は、今のハーレイなら料理人になれそうなのに、って思ってたんだよ。
 前のハーレイの記憶があったら、お料理の道に行ってたかもね、って。
 そしたら、前のハーレイを思い出しちゃって…。だけど、厨房にいた理由が謎。ひょっとして、お料理、したかったわけ?
 料理人になろう、って自分で決めたの、それとも誰かに決められちゃった…?
「ああ、あれなあ…。前の俺が厨房を選んだ理由か」
 実は俺にも謎なんだよなあ、それも今の俺じゃなくて前の俺だった頃からの謎だ。
 何故かは知らんが、放っておけなかったと言うか…。
 俺よりも先に厨房で料理をしていたヤツらは、何人もいたわけなんだがな。



 お前も覚えているだろう、とハーレイが挙げた仲間たちの名前。厨房の熟練として記憶しているけれども、彼らの方がハーレイよりも先に厨房にいたという。あの船の料理人として。
 まだシャングリラの名前も無かった頃の船。一番最初の食事も彼らが探して配った。
「そんなヤツらが揃ってたんだし、俺が後から入らなくても人手は足りていたんだが…」
 いつだったか、厨房を覗いてみたら悪戦苦闘していてな。確かシチューを作ってたんだか…。
 野菜を切ろうとしていたわけだが、どうにも手元が危なっかしい。素人の俺が見ててもな。
 もうちょっと上手くやれるんじゃないかと思って、ついつい厨房に入って行って…。
「…それで?」
「貸してみろ、って誰と代わったんだっけな、そこまでは俺も覚えていないな」
 とにかく代わって、やってみたら身体が勝手に動いた。
 どういった風に切ればいいんだ、と確認しただけで、そうかと勝手に手が動き出して。
「勝手にって…。ハーレイ、何も考えていなかったのに?」
 切りたい形を教わっただけで、その形に綺麗に切れちゃったわけ?
「うむ。…代わろうと言った俺が自分で驚くほどにな」
 野菜を切ってた記憶なんぞは全く無いのに、それはトントンとリズミカルに切れてしまうんだ。次に切るのはどれなんだ、って切りながら訊いて、そいつも俺の手が勝手に切った。
 どうやら、成人検査を受けるよりも前の子供時代に俺は料理をしていたらしい。なにしろ野菜を切り終わったら、そのまま料理を始めちまったし…。俺も一緒に作るから、と。
 成人検査で記憶はすっかり消されちまったが、身体は覚えていたわけだ。包丁の持ち方も、使い方も。料理を作るための手順も、何もかもを。



 俺の身体が覚えていたんだ、とハーレイが語った厨房に入った切っ掛けなるもの。元から厨房にいた仲間たちよりも、ずっと上だった前のハーレイの料理の腕前。
 此処に決めた、と思ったという。自分が仕事をすべき所は厨房だろうと、料理をするのが向いているから、と。
「それじゃ、前のハーレイはシェフになりたかったとか?」
 シャングリラでシェフになるんじゃなくって、成人検査をパスしていたら。
 大人になったらやりたかった仕事、シェフだったのかもしれないよ…?
「そいつは俺も考えないではなかったが…。あくまで可能性の一つに過ぎん」
 記憶を失くしてしまったんだし、永遠の謎というヤツだ。
 シェフを目指していたわけじゃなくて、料理が得意な母親の手伝いをしている間に覚えたという線もある。料理自慢の母親だったら、横で見ていて、やりたくなるってこともあるだろう?
 子供は好奇心が旺盛なんだし、うんと小さい頃から一緒に料理を作っていたとか。
「前のハーレイのお父さんは?」
 シェフだったっていうことはないわけ、ハーレイにお料理を教えるような。
「テラズ・ナンバー・ファイブが持ってたデータじゃ、料理関係の仕事じゃなかったぞ」
 ごくごく普通の勤め人だな、ジョミーの父親と似たようなモンだ。
 写真を見たって、料理人の服は着ていなかったし。
「じゃあ、前のハーレイにお料理を教えていたのは、やっぱりお母さん?」
 お父さんの仕事がお料理じゃないなら、お母さんの方ってことになるよね、教えた人は。
「そこも謎だな、俺が覚えていない以上は」
 料理好きの父親だったという可能性も全くゼロではないだろうが。
 休みの日に腕を奮っていたんだったら、子供は興味を持つもんだ。自分もやってみたい、とな。
 両親揃って料理上手だったかもしれないわけだし、覚えていないのが残念だった。
 俺の身体は自然に動いて料理をするのに、誰に教わったか、どうしても思い出せないんだから。



 データにも残っていなかった、とハーレイが浮かべた苦笑い。誰に料理を習ったのか、と。
「シャングリラで厨房を選んだくらいに、前の俺は料理することを覚えていたんだが…」
 身体が勝手に動くトコまで覚えていたって、肝心の記憶が無いんじゃなあ…。
「前のハーレイの記憶だったんだ…。お料理」
 厨房にしよう、って決めたくらいに、ハーレイ、お料理してたんだ…。成人検査を受ける前は。
 お母さんかお父さんが前のハーレイに教えてたんだね、お料理のやり方。
「どうだかなあ…。好きでやってただけかもしれんが」
 教えられなくても、自分で勝手に本でも見ながら作っていたってオチかもしれん。
 分からない言葉が出て来た時だけ、どうすりゃいいのか母親に訊いて。
「子供向けの料理教室は?」
 そういうのがあるでしょ、本物のシェフとかが教えてくれる料理教室。
 お料理が好きなら、子供向けのに通っていたかもしれないよ?
「子供のための料理教室か…。今の時代は特に珍しくもないんだが…」
 色々な料理を習えるようだが、前の俺たちが生きてた時代にあったかどうかが謎だってな。
 育英都市って所は健全な精神を持った子供を育てるための場所でだ、将来のことは二の次だ。
 自分が就きたい職業を選べた時代でもないし、何になるかは機械が決めていたろうが。
 下手に子供向けの料理教室を作ったりしたら、悪影響を及ぼしかねん。熱心に通って、いつかは本物のシェフになるんだと決めていた子に適性ってヤツが無ければどうなる?
 記憶をすっかり消すしかないんだ、マザー・システムに不満を持たれないようにするにはな。
 成人検査で余計な手間がかかるってことだ、普通以上に。
 そして綺麗に消したつもりが、何かのはずみで蘇ってみろ。人生が狂ってしまうんだから。



 子供向けの料理教室は多分無かっただろう、というのがハーレイの読み。
 SD体制が敷かれていた時代は、エキスパートを育てる場所は教育ステーションだったから。
「…まさか、料理人になるための教育ステーションも…」
 何処かにあったの、シェフを育てる専門の教育ステーションが…?
「あったようだぞ。前の俺は直接見てはいないが…」
 地球に向かって進む途中に、そういう教育ステーションが近いと聞いた記憶があるからな。
 メンバーズ・エリートや軍人を育てるステーションだったら、陥落させてから進むわけだが…。
 料理人用のステーションには用が無いから、そのまま通過した筈だ。トォニィたちだけが出て、教育システムのコンピューターを破壊しておいて。
「…それなら、前のハーレイが成人検査をパスしていたら…」
 料理人になりたかったかどうかはともかく、選ばれちゃってた可能性はあるんだね?
 身体がお料理を覚えていたっていうほどなんだし、素質は充分ありそうだもの。
「そういうコースに行ってたかもなあ…」
 シャングリラの厨房で料理をする代わりに、何処かの星でプロの料理人ってな。
「知らなかったよ、そんな話は」
 前のハーレイがプロの料理人になっていたかも、って話なんかは。
「…前の俺も考えてはいなかったしなあ、そういう「もしも」は」
 考えたって仕方ないだろ、自分が進み損ねちまった未来の話なんかをな。
 成人検査に落っこちちまって、ミュウになっちまって、もう進みようが無いんだから。
 人類の世界に残れていたら、って夢は見るだけ無駄ってもんだ。



 料理上手だった前のハーレイの厨房時代は、料理と備品倉庫の管理が仕事。
 その後はキャプテンとしてシャングリラの舵を握っていたから、失くしてしまった未来の夢より現実の方が大切だった、とハーレイは言った。
 もしも自分が成人検査をパスしていたら、という夢物語をしてはいない、と。
「そういうもんだろ、戻れない過去より未来をしっかり見詰めないとな」
 でないと道を誤っちまうぞ、キャプテンが過去に囚われていたら。夢を見るより現実と未来。
 そいつを睨んで進んでゆくのがキャプテンってヤツで、料理をしていた頃ならともかく…。
 待てよ?
 …前のお前と話してたかもな、前の俺が進んでいたかもしれない未来の話。
「ぼく?」
 前のぼくとそういう話をしたわけ、前のハーレイはお料理のプロだったかも、って…?
「そうだ、キャプテンになるよりも前の俺がな」
 厨房で料理をしていた合間に、お前と話していたんだった。
 俺は料理の試作をしていて、お前がヒョッコリ覗きに来て…。確か、こう言ったんだっけな。
「ハーレイだったら、料理のプロになれていたかも」と。
「そういえば…!」
 思い出したよ、その話。
 ハーレイが何を作っていたかは忘れたけれども、野菜を刻むトコから見てて…。



 鮮やかだったハーレイの料理の手際。野菜を刻むのも、それを料理に仕上げてゆくのも。
 いつ見ても本当に上手だよね、と感心していたら口をついて自然に出ていた言葉。
 ハーレイならプロになれていたかも、と。何処かの星で料理のプロに、と。
「俺が料理人になっていたらだ、お前が食べに来るんだっていう話だったぞ」
 ある日、フラリと店に入って来て、俺が作る料理を気に入っちまって。
「うん、美味しいに決まっているもの」
 シャングリラで作っていたお料理が美味しいんだから、何処かでお店をやってても同じ。
 ハーレイとぼくが成人検査をパスしていたなら、ハーレイのお店で出会うんだよ。
 ぼくはハーレイのお料理が食べたくてお店に通うようになって、ハーレイに顔を覚えて貰って。
 お店に行ったら、注文する前にお勧めの料理をハーレイが教えてくれるんだよ。
 メニューには無いお料理なんかも、その日の気分で作ってくれて。
「俺が厨房でやっていたことを、そっくりそのまま店に移せばそうなるんだが…」
 実に愉快な話なんだが、前の俺とお前が成人検査をパスしてた場合。
 お前の方がずうっと年上なんだよな…。
 それにミュウとは違うわけだし、すっかり老けて年相応の姿ってヤツで。
「そこが問題だったんだよね…」
 話が合っても、友達になれても、ぼくはハーレイより年寄りなんだし…。
 他のお客さんの目もあったりするから、丁寧な言葉で喋るしかないしね、ハーレイは…。



 老紳士になっていただろう自分と、まだまだ若いハーレイと。
 料理人と客として出会っていたって、いくら親しくなれたとしたって、店の中では互いの立場を優先するしかない二人。店の外でも、老紳士と若者に変わりはないから、若いハーレイは老紳士に敬意を表するのが礼儀。丁寧な言葉遣いで話して、態度もグッと控えめに。
 それでは少しも楽しくないから、まるで広がらなかった夢。
 こうだったなら、と二人で思い描いたけれども、弾まないままで終わった話。
 もしも成人検査をパスして、何処かで出会っていたならば。
 料理人になったハーレイの店に、前の自分がフラリと入っていたならば…。



 遠く遥かな時の彼方で、ほんのひと時、語り合った「もしも」。
 たった一度だけハーレイと話した、成人検査をパスした自分たちの出会いと、その後の話。
 ハーレイが料理をしている店に何度も出掛けて、顔馴染みになって、仲良くなって…。
「…そうか、今だったら叶ったんだな、あの夢も」
 前の俺たちが話してた時は、お前が年寄りになっちまうってことで叶えたくない夢だったが…。
 今なら、お前が立派にチビだ。
 年寄りじゃないし、あの話をしていた頃のお前と変わらない姿のチビってわけだ。正真正銘。
「ホントだね…!」
 チビのぼくなら、あの話だって実現してたら楽しそう。
 ハーレイが何処かでお料理のお店をやってて、ぼくがお客さんでお店に行って。
 何処で会えたかな、隣町かな?
 それとも、やっぱりこの町なのかな、ハーレイのお店が何処かにあって。
「この町じゃないかという気はするが…。そこまでは愉快な話なんだが…」
 俺がやってる料理の店にだ、食べに来たお前に聖痕が出るというわけか?
 他のお客もいそうなんだが、チビのお前が血まみれなんだな…?
「…凄く人騒がせな話かも…」
 教室でやっても大騒ぎになってしまったけれども、お店の方だともっと迷惑そうだよね?
 食事の途中だった人たち、とってもビックリしちゃいそう…。
 ハーレイだって、お店、その日は閉めるしかないよね、血だらけの床のお掃除とかで。
 …一緒に救急車に乗ってくれる代わりに、お客さんにお金を返したり…。食事の続きは出来なくなってしまうんだろうし、その分のお金。
 ぼくが運ばれて行く救急車に乗るのは、ぼくをお店に連れてったパパやママたちで…。
 ハーレイは暫く、ぼくの住所も名前も分からないままになっちゃうかもね…。
 パパとママが「ご迷惑をかけてすみませんでした」って謝りに行くまで、誰だったのかは謎。
 ぼくが帰って来たんだってことは分かるだろうけど、今の名前も住所も謎で。



 せっかく再会出来たというのに、まるで違った出会いになってしまいそうな話。
 料理人になったハーレイの店は迷惑を蒙り、戻って来たチビの恋人の名前も分からないまま。
 今の自分の両親が店まで詫びに出掛けてゆくまで、きっとハーレイは店の掃除をしながら心配し続けるのだろう。救急車で運ばれて行った恋人はどうなったのかと、大怪我をして入院したかと。
 けれど、そういう出会いも悪くはなかっただろうか?
 最初はハーレイに酷い迷惑をかけるけれども、それから後は店に行ったら会えるのだから。
「お前なあ…。俺が料理人になってた時はだ、教師のようにはいかんぞ、おい」
 夏休みなんていう長い休暇は取れやしないし、普段も夜まで店で料理をする日々だ。お前の家に夕食を食べに出掛ける代わりに、お客さんのために料理をするのが仕事だろうが。
 週末はもちろん書き入れ時だし、お前の家まで遊びには行けん。朝なら時間がありそうでもだ、料理人だと朝早くから仕入れに出掛けて、店を開けるまでは料理の仕込みだってな。
 …お前とゆっくり過ごせる時間はまず無いだろうさ。
 店に来てくれれば御馳走はするが、二人きりとはいかんだろうなあ…。他のお客もいるからな。
「そうなんだ…。ハーレイがお料理のお店をやっていた時は、そうなっちゃうんだ?」
 二人きりで会えるチャンスは殆ど無くって、ぼくがお店に食べに行くだけ…。
 ハーレイ、先生で良かったんだね。お料理のプロになるんじゃなくて。
「そうなるな」
 俺たちにとってはピッタリの職を選んだってわけだ、今の俺はな。
 チビのお前に会いに行けてだ、一緒に飯まで食えるんだから。



 もっとも、俺は料理人になる気は無かったけどな、とハーレイは肩を竦めてみせた。
 前の自分は厨房の仕事を選んだけれども、今の自分が料理人になれるコースは無さそうだ、と。
「なんと言っても、柔道と水泳があったからなあ、今の俺には」
 料理人になろうって発想自体が最初から無いな、プロになるなら柔道か水泳の選手ってトコだ。
 しかし、今度はお前専属の料理人だぞ、結婚したら。
 色々と作って食わせてやるから、と言ってるだろうが、何度もな。
「うん、楽しみにしてるけど…」
 今のハーレイには、お料理のプロっていう選択肢は全く無かったんだね?
 シェフの帽子も、板前さんの帽子も、ハーレイに似合いそうなのに…。
 白い制服も絶対に似合うと思うんだけれど、着るつもりなんか無かったんだ…?
「当たり前だろうが、いくら料理が好きだと言っても、それ以上に好きなものがあるんだから」
 好きな柔道と水泳を犠牲にしてまで、料理の道を極めようとは思わんな。
 料理をするのは確かに好きだし、食べて美味いと思った料理を再現するのも楽しいが…。
 お前専属の料理人になれれば充分だな、うん。
 料理の道なら、お前専属のシェフだの板前だのでいいんだ、今の俺にはそれが似合いだ。



 料理学校には行き損ねたが、と笑うハーレイは、今度も料理人のコースを進めなかったらしい。
 前のハーレイが料理人を育てる教育ステーションには行けずに終わってしまったように。
 ただし、今度は自分の意志で。
 成人検査にパス出来なかった前のハーレイとは違った理由で。
「…俺が思うに、今の俺が教師をやっていられるのも、だ…」
 機械が進路を決めていない分、自由が利いたというヤツだろうな。
 前の俺のように機械が間に入っていたなら、俺は今頃、柔道か水泳の選手の道をまっしぐらだ。
「…それを言うなら、前のハーレイも水泳をやっていたよね?」
 シャングリラのプールで泳いでいたもの、前のハーレイも水泳の選手だったかも…。
 成人検査にパスしていたなら、水泳選手になってたのかも。
「どうだかなあ…。あの時代に水泳のプロになるのは厳しそうだぞ、適性ってヤツで」
 速く泳げるかどうかも調べるだろうが、長く続けられるタイプかどうかも調べるだろう。他にも色々、機械ならではの適性検査をするんだろうさ。才能だけでは選手まではなあ…。
 そっちの教育ステーションよりかは、料理人の行くステーションに送られるコースじゃないか?
 記憶をすっかり失くしていたって身体が勝手に動いたくらいに、料理人に向いていたんだから。



 どうなってたかはマザー・システムに訊いてみないと分からないがな、と苦笑いするハーレイと今度は話が広がるから。
 もしも前のハーレイが料理人の道を進んでいたなら、どんな料理人になっただろうか、と二人であれこれ想像しながら楽しく笑い合えるから。
 平和な今の時代が嬉しい、「もしもこういう風だったら」と空想の翼を広げられる世界。
 前の自分たちが生きた時代の「もしも」で話を続けられる世界に来たのだから。
 料理人が行く教育ステーションに前のハーレイが進んでいたら、と。
 遠く遥かな時の彼方で話した時には、広がらずにそれっきりだった話。
 それを二人で広げられるから、老紳士だっただろう前の自分も話の種に出来るから。
 こうして笑って、笑い転げて、いつかは今のハーレイが料理人になる。
 今は小さなチビの自分が前と同じに育ったら。
 いつかハーレイと結婚したなら、今の自分の専属になって、きっと最高の料理人に…。




           最高の料理人・了

※前のハーレイが厨房に入った理由は、実は料理が上手かったから。理由の方は謎ですけど。
 そして今のハーレイも得意な料理。プロではなくて、ブルー専属の料理人になるのです。
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