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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

祈りの鐘

(あれ…?)
 学校の帰りにブルーの耳に届いた音。バス停から家まで歩く途中で。
 カーンと澄んだ鐘の音が一つ。何処からともなく、風に乗って。
(下の学校…)
 あそこの鐘、と顔が綻ぶ。今の学校に入学するまでは、家から歩いて通っていた。幼稚園の次は下の学校、自分が初めて通った学校。勉強をしに行く所。
 幼稚園は遊びの場所だったからか、学校嫌いの子も多かった。勉強も、じっと自分の席に座っていなければならない規則も、遊び盛りの子供には向いていないから。
(…大きくなっても、おんなじだけどね?)
 友達と遊べる時間はともかく、授業は大抵、歓迎されない。今、通っている学校でも。なんとも嫌われ者の学校、勉強を教える場所だということで損をしている。
 学校でなければ得られないものも多いのに。新しい友達も、学校で大勢出来てゆくのに。
(ぼくも、そうだったんだから…)
 下の学校で幾つも貰った、知識も、それに友達だって。
 家から歩いて行ける距離だから、その学校の鐘がたまに聞こえる。上手い具合に風に乗ったら。
 さっき聞こえていたように。一つだけ、カーンと。
 授業の合図のチャイムと違って、いつでも音は一回きり。
 今日はなんだか懐かしい。あの鐘の音が、澄んだ響きが。久しぶりに聞こえたからだろうか?
(…それに、学校の鐘だしね?)
 今の学校に入る前には、八年もお世話になったのだから。何度も耳にしたのだから。
 懐かしいこともあるだろう。学校の鐘、と。
 もう聞こえない鐘の音。いつも一度しか鳴らさない鐘、二度目の音は届かない。
 気付いた時には通り過ぎてしまっていた音だから、余計に懐かしいかもしれない。学校の鐘、と意識した時は、響きが残っていただけだから。



 きっとそのせい、と考えて家に帰ったけれど。残りの道をのんびり歩いて行ったのだけれど。
 家に着いて、制服を脱いで着替えて、ダイニングでおやつを頬張っていたら、また思い出した。鐘の音がとても懐かしかった、と。
 鼓膜を震わせただけではなかった、あの鐘の音。心の襞まで震わせていった。澄んだ響きで。
 たった一回、カーンと鳴らされ、耳に届いただけなのに。
(…あの鐘、そんなに好きだったっけ?) 
 授業の合図には使われない鐘、休み時間を知らせる鐘だった。他にも色々、生徒を校庭に集める時とか、完全下校の時間が迫った時だとか。
 生徒の注意を引き付けるために鳴らされる鐘。何度も鳴らすより効果的だと思われていたのか、いつでも一度きりだった鐘。カーンと一回。
(本物の鐘で…)
 小さな鐘楼のような所に吊るされていた。紐を引っ張って鳴らしていた鐘。
 いい音がする鐘だったことは確かだけれど。今の学校には無いものだけれど。
(でも、懐かしいほどじゃ…)
 ないように思うのに、懐かしい。帰り道に聞こえた、あの鐘の音が。
 まるで覚えていないけれども、鳴らしたことでもあっただろうか?
 たまに希望者が鳴らせた鐘。係の先生が出て来た時に、サッと元気に手を挙げたなら。
(んーと…)
 どうだったっけ、と考えたけれど、鳴らしてはいない。紐を手にした記憶が無いから。
 多分、名乗りを上げる勇気も無かっただろう。ついでに、力一杯、鳴らさなくてはいけない鐘。一度だけしか鳴らさないのだし、学校中に届くようにと。
 失敗したら大変だから、と眺めていたのに違いない。ぼくには無理、と。



 下の学校の鐘は、そういう鐘。自分はいつも見ていただけ。鐘の響きを聞いていただけ。
 けれど、懐かしくてたまらない。おやつを食べ終えて部屋に戻っても、まだ耳の奥に残った音。帰り道に聞こえた、あの鐘の音。
(やっぱり、ぼくも鳴らしたのかな?)
 勇気を奮って、名乗りを上げて。精一杯の力を鐘にぶつけて、カーンと一回。
 それとも鳴らしたかったのだろうか、今頃になって思い出すほど。鳴らしたかったな、と響きを追い掛けるほど。とうに通り過ぎてしまった鐘の音、それを懐かしく思うほど。
(ぼくの馬鹿…)
 きっと鳴らしていないのだろう。鳴らしていたなら、誇らしく覚えていそうだから。
 しみじみと懐かしむくらいだったら、鳴らしておけば良かったのに。
 そうすれば思い出が一つ増えたし、今日の鐘の音も感慨深く聞けただろう。「誰だろう?」と。係の先生が鳴らしていたのか、生徒の中の誰かだろうか、と。
(今のぼくなら…)
 名乗れると思う、「ぼくもやりたい」と前に出られる。他に希望者がひしめいていても、グイと前に出て、ジャンケンもして。
 運良く勝てたら鐘を鳴らせるし、負けても次のチャンスはある。一回限りで挫けるような真似はしなくて、鳴らせるまで挑戦出来ると思う。何度でも勇気を出して名乗って。



 見ていただけの鐘を鳴らせそうなのが、上の学校に上がった自分。鐘があった下の学校の頃は、本当に見ていただけだったのに。
(今の学校に上がったから?)
 制服がある上の学校。「お兄ちゃん」になった気分で袖を通した入学式の日。義務教育の最後の学校、卒業した後は結婚も出来る十八歳。
 大人に一歩近付く学校、其処に進んだから勇気がグンと増えただろうか。
 でなければ、前の自分の勇気。記憶と一緒に、ソルジャー・ブルーの分が戻って来たろうか?
(…前のぼくかも…)
 英雄だったソルジャー・ブルー。知らない人など、誰もいないほどの。
 学校の授業で教わる前から、子供は自然と何処かで覚える。前の自分の名前と姿を。一番最初のミュウの長。ミュウの時代が始まる切っ掛け、それを作った偉大な英雄。
 今の自分でさえ、あの生き方は真似られない。
 いつでも仲間たちが優先、命まで捨ててメギドを沈めた。白いシャングリラを守るために。迷いさえせずに、そう決めた自分。此処で自分が行かなければ、と。
 とても敵わない、前の自分の勇気と生き方。逆立ちしたって敵いはしない。
 同じ魂が生まれ変わって、今の自分がいるというのに。記憶もちゃんと持っているのに。
 弱虫になってしまった自分。ソルジャー・ブルーだったとは思えないほど、ちっぽけな自分。



(でも、前のぼくの記憶を思い出したお蔭で、ちょっぴり勇気…)
 下の学校の生徒だった頃は、見ていただけで終わった鐘。あれを鳴らせる勇気が増えた。今なら自分も手を挙げられるし、あの鐘だって鳴らせるだろう。
 ソルジャー・ブルーの勇気の欠片を貰ったから。前の自分の強さの記憶を持っているから。
 前のぼくのお蔭で、前よりも強いぼくになれた、と思った途端に。
(あの鐘…!)
 帰り道にカーンと聞こえた鐘。懐かしさを覚えた、澄んだ鐘の音。
 懐かしい音はシャングリラだった、白い鯨であの音を聞いた。前の自分が生きていた船で。
 けれど、シャングリラに、ああいう鐘はあっただろうか?
 白い鯨に、ミュウの箱舟に、澄んだ音のする鐘は据えられていたのだろうか?
(…船に教会、無かったよ?)
 今の時代に鐘と言ったら、教会の鐘が真っ先に浮かぶ。前の自分が生きた時代も、そうだった。ただ一人だけ消されずに残った神のためにあった教会と、其処の鐘楼に吊るされた鐘と。
 シャングリラには設けなかった教会、鐘も鐘楼もあるわけがない。
 ヒルマンが子供たちに勉強を教えていた教室では、合図はチャイムか船内放送。鐘など鳴らしていなかった。紐を引っ張って鳴らすような鐘は。
(…他に鐘って…)
 公園などで見掛けるカリヨン、幾つもの鐘を鳴らして奏でる音楽。それも白いシャングリラには無かったもの。カリヨンとは違った、一つだけの鐘も。
 墓碑公園にも無かった気がする、あそこは祈りの場だったけれど。鐘の音が似合いそうだけど。



 遠い記憶をいくら探っても、まるで見覚えが無いらしい鐘。
 なのに確かに聞いた気がする、白いシャングリラで前の自分が。鐘は何処にも無かったのに。
(…ハーレイだったら、知ってるかな?)
 誰よりも船に詳しいキャプテン、シャングリラの全てを把握していたキャプテン・ハーレイ。
 今のハーレイが覚えているなら訊いてみたい、と思っていたらチャイムが鳴った。仕事の帰りに来てくれた恋人、教師になったキャプテン・ハーレイ。
 いつものテーブルを挟んで座って、母がお茶とお菓子を置いて去った後、早速尋ねた。
「あのね、シャングリラに鐘ってあった?」
 ハーレイだったら、きっと覚えていそうだけれど…。あの船に鐘があったのなら。
「鐘? …鐘って、どういう鐘なんだ?」
 ガランガランと鳴らすヤツなら、その辺で使っていたんじゃないか?
 こう、手に握って鳴らす鐘だな、あれはけっこう音が響くし。
「それじゃなくって、教会の鐘みたいなの…」
 ちゃんと紐を引っ張って鳴らすヤツだよ、下の学校の時にあったんだよ。
 今のぼくが前に行ってた学校、小さな鐘楼みたいなのがあって…。いい音がする鐘がついてた。
 何かの合図の時に鳴らすんだよ、一回だけね。休み時間だとか、他にも色々。
 たまに風に乗って聞こえて来るから、今日の帰りに聞いたんだけど…。
 バス停から歩いて帰る途中で、カーンって一回、鳴ったんだけど…。



 その音が妙に懐かしかった、と恋人に向かって説明をした。
 最初は今の自分の思い出なのかと考えたけれども、違うらしいと。前の自分だと、同じ鐘の音を白いシャングリラで聞いたのだ、と。
「ホントなんだよ、でも、鐘があった場所が分からなくって…」
 何処にも無かった、っていう気がするんだけれども、前のぼくは鐘の音を聞いたし…。
 あの鐘、本物じゃなかったのかな?
 そういう音を流してたのかな、食事の合図とか、そんな具合で船内放送…。
「いや、鐘の音は使っていない。そいつは俺が保証する」
 音楽だとか、色々なのを使ってはいたが…。船の空気が和むようにと工夫していたが、鐘の音は採用してないな。…少なくとも、俺がキャプテンになった後には。
 つまり、お前の言う白い鯨じゃ使っていないということだ。最初の頃の船はともかく。
 船内放送には使ってないのに、前のお前が聞いたとなると…。
 何処かに鐘があったってことか、あのシャングリラに教会みたいな感じの鐘なあ…。
「…やっぱり無かった?」
 ぼくの記憶が間違ってるかな、今のぼくのと混ざっちゃった?
 その可能性だってゼロじゃないよね、混ざってしまって、ごっちゃになって。
「さてなあ…?」
 そう簡単には混ざらないだろうと思うんだが…。少なくとも、俺はごっちゃにならないし。
 シャングリラだな、と思った時には、間違いなく前の俺の記憶だ。
 なにしろ船が世界の全てだ、そうそう今と混じりはしないぞ。地球とはまるで違うんだから。
 お前も多分、同じだろうし…。鐘の音を聞いたと言うんだったら、その音は確かにあったんだ。
 だが、鐘なあ…。あのシャングリラで鐘だってか…?



 シャングリラで鐘のありそうな場所…、とハーレイも暫く考え込んで。
「お前、シャングリラの写真集は見たか?」
 あれを広げて確かめてみたか、何処かに鐘が写っていないか。
「…ううん、見てない…」
「なら、持って来い。俺とお揃いなのが自慢だろうが」
 一緒に見よう、と促されて棚から取って来た写真集。白いシャングリラの姿を収めた豪華版。
 ハーレイと二人でページをめくって、船の中を端から探していった。公園や食堂、展望室。皆が休憩に使っていた部屋、順に調べてゆくのだけれども、やはり写っていない鐘。
 最後のページに辿り着いても、鐘はとうとう見付からなかった。
「…無かったね、鐘…」
 ぼくの気のせいだったのかな?
 今のぼくのと混じっちゃったかな、下の学校にあった鐘の音と…?
「いや、俺も聞いたような気がしてきたぞ」
 お前に鐘だと言われ続けたせいってわけでもないだろう。俺は影響されるタイプじゃないし…。
 今の俺もそうだし、前の俺もそうだ。周りの意見に流されてたんじゃ、キャプテンも無理なら、柔道も水泳も、大して上達しやしないってな。
 俺まで聞いたと思うからには、シャングリラに鐘はあったんだろう。本物の鐘が。
 しかし…。



 何処で、とハーレイは首を捻った。
写真集を広げて探し回っても、無かった鐘。
 もしもシャングリラに鐘があったら、何処かに写っていそうなのに。
「分からんな…。これだけ探して、ヒントすらも無いというのが不思議だ」
 鐘ってヤツは目立つモンだぞ、使い方からしてそうなんだし…。
 あれを鳴らすのは合図と相場が決まっているんだ、それだけに目立っていなくちゃならん。
 人目につかない場所で鳴らしても、合図の役目を果たせないしな。
「…そうなの?」
 鐘ってそういうものだったの?
 下の学校では、確かに合図に使っていたけど…。鐘は元々、そういうものなの?
「そうらしいぞ。お前の学校にあった鐘もそうだし、教会の鐘も似たようなモンだ」
 教会の鐘だと、お祈りの時間が始まる合図に鳴らすんだそうだ。
 結婚式とかの時にも鳴らすが、本来はお祈り用らしい。毎日、決まった時間に鳴らして。
 …待てよ?
 教会の鐘はお祈りの合図で…。
「ハーレイ、何か思い出した?」
「それだ、お祈りの合図ってヤツだ」
 シャングリラの鐘もそれだったんだ。…お祈りの合図に鳴らしてた鐘だ。
「お祈りって…。シャングリラには教会、無かったよ?」
 前のぼくたちは教会を作っていないし、お祈りの合図もあるわけがないよ。
 ハーレイ、何かと間違えていない…?
「おいおい、キャプテンだった俺が、船の設備を間違えるってか?」
 失礼なヤツだな、キャプテン・ハーレイに向かって「間違いだ」なんて。
 まあ、今の俺はただの古典の教師なんだし、そう言われても仕方がないが…。しかしだ、記憶はしっかりしてるぞ、前の俺の分の。
 シャングリラに鐘は確かにあった。お祈りの合図に鳴らすためのヤツが。
 …これだ、これ。



 写真集には載っていないが…、とハーレイが指差す休憩室。
仲間たちの憩いの場所だった部屋。丸ごと写せるわけではないから、捉え切れていない壁や天井の全て。
「…此処にあったの?」
 ぼくは全く覚えてないけど、どの辺り?
 此処でみんなでお祈りしたかな、それの合図の鐘だったかな…?
「此処じゃなくてだ、もっと別の場所に…」
 休憩室という名前だったが、小さいのが一つあったんだ。休憩室は他に幾つもあったが、それは特別なヤツだった。…身体じゃなくって、心が休憩するための部屋だ。
 教会代わりに作っただろうが、そういう部屋を。
「えっ…?」
 休憩室でしょ、なんで教会の代わりになるの…?
 教会は神様のための場所だよ、休憩しに行く所じゃないよ…?
「心のためだと俺は言ったぞ。心を休憩させたい時には此処だ、という部屋だった」
 自分の部屋では、癒せないような時もあるだろう。…色々なことを思い出しちまって。
 そういった時には神様に癒して貰える場所が必要だ、とヒルマンとエラが言い出したんだ。
 本物の教会は専門の神父とかがいないと無理だし、祈るための部屋だけ作っておこうと。
 祈りたい時に、祈りたいヤツが好きに使えるような場所をな。
「ああ…!」
 そういえばあったね、とても小さな休憩室が。
 他の休憩室とは違って、賑やかじゃなかった静かな部屋が…。



 すっかり忘れてしまっていた。ハーレイにそれを聞かされるまで。
 前の自分たちが休憩室と呼んだ、小さな部屋。教会の代わりに作った部屋。存在したことさえ、まるで覚えていなかった。教会があったら其処でするのだろう、結婚式や仲間の葬儀。そういった儀式は他の所でやっていたから。仲間たちが大勢入れるようにと、もっと広い部屋で。
 白いシャングリラの一角にあった、祈りのための休憩室。心を休憩させるための小部屋。
 本当に小さくて、けれど大切な部屋の一つで…。
「鐘はあそこにあったんだ。…お前が言っていたような鐘が」
 部屋の端っこに吊るしてあった。紐を引っ張って鳴らす鐘がな。
「思い出したよ、自分で鐘を鳴らすんだっけ…」
 お祈りしたい気持ちの時には、自分で紐を引っ張って。
 …そういう気分になれない時には、黙って座っているための部屋。自分の心が落ち着くまで。
 ちゃんと落ち着いたら、そのまま静かに出て行ってもいいし、鐘を鳴らして帰ってもいいし…。
 あそこはそういう部屋だったっけね、お祈りのための鐘がある場所。
 これからお祈りしますから、って鐘を鳴らしたり、神様への御礼に鳴らしたり…。
 鐘を鳴らすための決まりは何も無くって、誰でも自由に鳴らせたんだっけ…。



 休憩室と呼ばれていた小部屋。仲間たちとお喋りをするような休憩室とは違った部屋。
 飲み物も食べ物も置かれてはおらず、休憩用の椅子とテーブルがあっただけ。それから鐘と。
 教会の代わりにと設けられた部屋、使い方は決まっていなかった。
 祈りたい人が、祈りたい時に出掛けてゆけばそれで良かった。
 何を祈るのも個人の自由で、鐘を鳴らすのも、鳴らさないのも個人の自由。
 記憶から抜け落ちてしまっていた小部屋、白いシャングリラの教会代わりだった部屋。
 誰も来ないままで一ヶ月だとか、そういう失礼があっては神様に申し訳ないから、と神様の像は無かったけれど。
 神様に仕える専門の仲間は誰もいなくて、教会を彩るステンドグラスも無かったけれど。
 それでも確かに、教会の代わりを立派に果たしていた小部屋。心のための休憩室。
 休憩室で祈る人には、けして事情を訊いてはいけない。その人が涙を流していても。
 黙って自分も祈るのが礼儀、そうでなければ立ち去るもの。
 涙を流している人が話したくないならば。事情を打ち明けたくないのなら。
 鐘はその部屋の壁際にあった。神様の像を据える代わりに。
 小さな小さな部屋だったけれど、吊るされた鐘はゼルが工夫を凝らした鐘。本物の教会の鐘にも負けないものをと、形や金属の配合を何度も検討しながら作り上げた鐘。
 あの部屋に丁度いいように。小さな部屋でも、よく響くように。
 誰が鳴らしても、余韻のある美しい音が響いていた鐘。澄んだ、天まで届きそうな音が。



 白いシャングリラで、前の自分が聞いた鐘の音。あれは祈りの鐘だった。休憩室の壁に吊るしてあった鐘。誰が鳴らしてもよかった鐘。
 祈りたい時に紐を引っ張ってやれば、透き通った音が響き渡った。小さな部屋の中でなければ、きっと遠くまで届いた音が。
 今日の帰り道に聞いた鐘のように、白いシャングリラに鐘の音は響いていたのだろう。鐘の音が外に漏れないようにと作られた部屋でなかったら。
 祈りのための部屋の中でだけ、響くように作られていなかったなら。
(…壁に細工をしてたんだっけ…)
 鐘の音は一つ間違ったならば、騒音にもなるという話だったから。
 遠い遥かな昔の地球でも、問題になった時代があったとヒルマンとエラが調べて来たから。
 本物の教会の鐘楼の鐘は、夜中でも鳴っているものだった。人の心に余裕があった時代には。
 ところが人が余裕を失くして、自分のことしか考えないような時代になったら、教会の鐘の音は騒音になった。夜も昼も鳴ってうるさいから、と。止めて欲しいと殺到した苦情。
 それぞれの暮らしがあるだろうから、と最初は夜だけ止めていた鐘。
 夜は鳴らなくなったというのに、今度は朝早い鐘が嫌われた。あれもうるさい、と。
 そんな具合で、最後には鐘を鳴らさなくなった教会もあったほどだという。
(人類はなんて身勝手なんだ、って思ったけれど…)
 実際にそういう例があったなら、考慮しておくべきだろう。ミュウは心が優しいけれども、船の中だけが全ての世界。聞きたくない時に鐘が聞こえたら、苛立つこともあるだろうから。
 祈りの心を託した鐘が騒音になってしまわないよう、小部屋の壁には細工がされた。サイオンは使わず、吸音材で包んでおいたのだったか。
 鐘の音は部屋には響くけれども、部屋の外には零れなかった。
 だから自分も何処で聞いたか、思い出せずにいた有様。祈りのために鳴らした時しか、鐘の音は聞こえなかったから。
 白いシャングリラの何処に行っても、聞こえた音ではなかったから。



 前の自分も鳴らした鐘。小部屋に入ったら先にいた誰か、他の仲間が鳴らすのも聞いた。
 清らかに澄んだ響きの音を。天まで響いてゆきそうな音を。
 けれども、鐘は写っていない。シャングリラの主だった部屋を収めてあるのに、休憩室の写真も載っているのに。
「…あの部屋、どうして載っていないんだろ?」
 小さいけれども、とても大切な部屋だったのに。…休憩室より、ずっと大事な部屋なのに。
 写真集にも入ってないから、ぼくもハーレイも忘れてたじゃない…!
 きちんと載せておかなきゃ駄目だよ、抜けちゃってるなんて片手落ちだよ…!
「…ある意味、神聖な部屋とも言えるからなあ…」
 教会とは違うが、それの代わりに作った部屋だ。他の部屋とは少し違うぞ、あの部屋は。
 遊びに来ました、と記念に一枚、写真を撮れるような場所ではないだろう?
 前のお前や俺の部屋とは違うんだ。…そのせいじゃないか?
 皆が祈っていた部屋だからな、こういう写真集に載せるつもりは無かったかもしれん。
 娯楽のための出版物には決して載せるな、とトォニィが指示を出したとしたなら、研究者向けのデータくらいしか無いだろう。
 …もしかしたら、そいつも無いかもしれん。
 あの部屋の写真は一枚も撮らずに、シャングリラを解体させたかもしれんな、トォニィは。
 見世物じゃない、と記録は一切残さずに。
 残したとしても、興味本位では見られないよう、厳重に管理がしてあるとかな。



 トォニィたちも祈っていたかもしれないから、というのがハーレイの読み。
 自分も祈りを捧げた場所なら、きっとあの部屋の重さも意味も分かるだろうから、と。
「…俺が思うに、トォニィは祈った可能性ってヤツが高いだろう」
 間違いなく祈っていたんじゃないか、と思わないでもないわけだ。…あの部屋でな。
「そうなの?」
 前のハーレイたちが死んじゃった後かな、ジョミーも地球で死んじゃったから…。
 トォニィはジョミーが大好きだったし、あの部屋、使っていたかもね…。
「その時もそうだが、前の俺が生きていた間。…その間に一度は祈っていそうだ」
 確証は無いが、そういう気がする。トォニィはあそこに行っただろう、と。
「…いつ?」
 アルテラたちなの、トォニィはアルテラに貰ったボトルを忘れなかったし…。
 あのボトルに書かれたメッセージだって、ちゃんと今まで伝わってるし。
「そいつも恐らく入るんだろうが、俺が言うのはマツカを殺しちまった時だ」
 キースを殺しに行ったというのに、仲間の命を奪っちまった。…事故だったがな。
 俺が真相をジョミーから聞いた時には、トォニィは酷く悔やんでいた。
 そういうことか、と傍目に見たって分かるくらいに泣きそうな顔をしていたな…。
 まさか俺にまで知られているとは、恐らく気付いていなかったろうが。
 それが普段のトォニィだったら、「余計なことまでかまうんじゃない!」と怒鳴っただろうに、何も言わずにいたからな。
 …多分、気付いちゃいなかったんだ。自分がどんな顔をしているのかさえ。
 人類の命は山ほど奪っていたトォニィだが、仲間を殺してしまったショックは大きいし…。
 なのに、マツカの葬儀は無かった。シャングリラの仲間じゃないからな。
 アルテラたちが死んだ時には皆が祈って、墓碑にも名前が彫られたんだが、マツカは違った。
 だから祈りに行ったんじゃないかと思うわけだ。…あの部屋で一人、鐘を鳴らして。
 殺しちまったマツカの葬儀を、誰一人してはくれないんだから。



 トォニィがマツカを殺したことは、一部の者しか知らなかったらしい。
 地球が目の前に迫っていたから、ジョミーが敷いた緘口令。皆が動揺しないようにと、マツカの死は固く伏せられた。
 人類の側に、国家主席の側近としてミュウがいたのだと知れたら酷い騒ぎになるから。このまま進んで行っていいのか、迷う者たちも出るだろうから。
 確かに仲間が、一人のミュウが死んだというのに、誰もその死を悼んでくれない。それも仲間に殺されたのに。トォニィが誤って殺したのに。
 マツカを殺したトォニィだけしか、祈れる者はいなかった。前のハーレイも心で祈っておくのが精一杯。船の仲間にマツカのことを知らせるわけにはいかないから。
 きっとジョミーもハーレイと同じ、祈りには行かなかったろう。地球へ行くのが最優先で。
 トォニィは一人で祈るしかなかった、マツカのために。
 自分一人で背負ってゆくには、あまりにも重いその十字架。自分の部屋での祈りだけでは。
 それまで一度もあの部屋に入っていなかったとしても、トォニィは小部屋に入っただろう。鐘を鳴らして祈りを捧げに、自分が殺したマツカのために。
 ミュウの最後のソルジャーになった、トォニィが一人で鳴らした鐘。
 誰も祈りを捧げてくれないマツカの魂、彼が真っ直ぐ天国へ飛んでゆけるようにと。



 悲しい祈りを捧げたトォニィ。自分が殺してしまった仲間を、マツカを悼んで鐘を鳴らして。
 ハーレイはそうだと考えていた。トォニィはあの部屋に行った筈だ、と。
 今の自分も、ハーレイと同じ考えだから。トォニィは小部屋で祈っただろうと思うから。
「そっか…。トォニィが一人で祈るしかなかったことがあるなら…」
 他の仲間は誰も知らなくて、一人きりで苦しい思いをしながら鐘を鳴らしていたんなら…。
 あの部屋の写真は撮らせないかもね、さっきハーレイが言った通りに。
 撮らせたとしても、ホントに一部の研究者向けで、普通の人には見られない仕組み。
 データベースにアクセスしたって、きっと引き出せないんだね。ハーレイもぼくも、今は普通の人間だから…。
「そうなんだろうと俺は思うぞ、写真集に載っていないってことは」
 この写真集は、一番内容が充実していると評判なんだ。そいつにも載っていないんだから。
 …お蔭で俺も忘れていたがな、あの部屋のことも、鐘があったことも。
 お前が鐘だと言い出した時も、直ぐには思い出せない始末で。



 前のお前のために何度も行っていたのに、とハーレイが言うから。
 すっかり忘れてしまっていたとは情けないな、と苦い笑いを浮かべているから。
「…そうだったの?」
 ハーレイ、あそこで祈ってくれたの、前のぼくのために?
 ぼくはハーレイを酷い目に遭わせちゃったのに…。独りぼっちにしちゃったのに。
「だからこそだな。…行かないわけがないだろう」
 お前の所に届くといい、と鐘を鳴らして祈っていた。地球に着いたら俺も行くから、と。
 俺が行くまで待っていてくれと、寂しがらずにいてくれと。…俺の祈りが届くのなら、と。
 鐘の音がお前に届いていたかは知らないが…。お前も覚えていないようだが。
 それはともかく、前のお前も行ってたんだな、あの部屋に。
 シャングリラにああいう鐘があったと、ちゃんと覚えていたんだから。
「うん…」
 いろんな時に祈りに行ったよ、あそこまで。
 先に誰かがいたこともあるけど、ぼくも祈りたかったから…。
 ソルジャーだってお祈りしたってかまわないでしょ、ミュウの未来を祈るんだから。
 …そうやって鐘を鳴らしてたんだよ、ゼルが作って吊るしてくれた鐘を。
 前のぼくもあそこでお祈りしてたよ、ハーレイとは一度も会わなかったけど。



 白いシャングリラの休憩室。祈りのための小さな部屋。
 あの部屋で何度、祈りの鐘を鳴らしただろう。澄んだ音を部屋に響かせる鐘を。
 神に届いてくれればいいと、祈りが神に届くようにと。
「…ハーレイ、あの部屋、シャングリラの教会だったのかな?」
 本物の教会は作っていなくて、あそこは休憩室だったけれど。
 神様の像も、十字架も無かった部屋だったけれど、あれが教会だったのかな…?
「ふうむ…。教会じゃなくて代用品だが、立派に役目は果たしていたなあ…」
 結婚式とかには使えなかったが、祈りの場所にはなったわけだし…。
 前の俺たちも祈ったわけだし、あれも教会だったんだろうな。神様の像が無かっただけで。
「今は教会、ちゃんとあるよね」
 本物の教会が町に建ってて、鐘楼だってくっついていて…。
 この家からは離れているから、鐘の音は聞こえてこないんだけど。
「お前、教会、行ってるのか?」
 真面目に祈りに行っているのか、クリスマスとかに?
「ううん、ハーレイは?」
 ぼくは教会には通ってないけど、ハーレイは行ったりしているの?
「お前と同じだ、俺も全く行ってないってな」
 美味いものが食えるバザーでもあると聞き付けたんなら、話は別だが…。
 そうでなければ、御縁は全く無いってヤツだ。
 あれが教会の鐘の音だな、と意識したことさえ一度も無いなあ、ただの鐘だな。
 カーンと鳴ってりゃ鐘ってだけでだ、学校の鐘か教会の鐘かも俺は気にしていないってな。
 前の俺は何度も真面目に鳴らしていたんだが…。あの部屋の鐘を。



 鐘を鳴らして祈る必要も無いほど幸せになってしまったんだな、とハーレイは楽しそうだから。
 あの鐘のことも二人揃って忘れるくらい、と肩を竦めて笑っているから。
 きっとそういうことなのだろう。
 前の自分たちの頃と違って、鐘を鳴らして縋るような祈りを捧げなくてもいいのだろう。
 神様にはたまにお願いするだけ。
 教会どころか自分の家から、うんと自分に都合よく。これを叶えて下さい、と。
 鐘を自分で鳴らしもしないで、欲張りに。
 早く大きくなれますようにと祈ってみたり、早く結婚出来ますようにと祈ったり。
 ハーレイと二人、平和な時代に、青い地球に生まれて来られたから。
 祈りの鐘を鳴らさなくても、幸せが幾つも降ってくるから。
 そしていつかは、結婚式の鐘が鳴るのだろう。
 ハーレイと一緒に歩き出す日に、幾つも、幾つも、幸せの鐘。
 澄んだ鐘の音が響き渡る中、幸せに包まれて歩いてゆく。
 いつまでも、何処までも、ハーレイと二人。キスを交わして、しっかりと手を握り合って…。




            祈りの鐘・了

※白いシャングリラにあった、祈りを捧げるための鐘。それを鳴らして祈った小さな休憩室。
 けれど、写真集には載せられていないのです。きっと、とても大切な部屋だったから。
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