シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(ハーレイの席…)
此処だったよね、とブルーが開いた写真集。白いシャングリラが表紙を飾った、ハーレイの本とお揃いのもの。
学校から帰った後に、勉強机の前に座って広げてみた。その席が見たくなったから。
前のハーレイが座っていた席。キャプテン・ハーレイが座った場所を。
(…ハーレイ、いつも此処にいたよね…)
茶色い革張りのようにも見える、キャプテンの席。本物の革ではなかったけれど。もっと丈夫な人工の素材、座り心地は革と変わらない。そういう風に作ってあった。何時間でも座れるように。
(座り心地が一番だものね)
普段はともかく、非常事態には座りっ放しになるだろうから。「座り心地が大切なんじゃ!」と譲らなかったゼルのお蔭で、キャプテンの席も周りの席も座り心地は最高だった筈。
(下手な客船にも負けんわい、って…)
自慢の椅子じゃ、と威張ったゼル。誰が座ってもピタリと馴染むし、座り心地もいいのだと。
特別な手入れをしてやらなくても五百年くらいは持つであろう、と自信もたっぷり。
(…ゼルの席だって、おんなじだもんね?)
こだわるよね、とクスッと笑った。「ハーレイの分だけなら、適当に作っていたかもね」と。
シャングリラで一番広い公園、その公園の上に浮いていたブリッジ。
本当は公園を作る予定は無かった、ブリッジの周りは危険だから。人類軍に攻撃された時には、真っ先にブリッジが狙われるから。
なのに「広いスペースを公園にしたい」という声が多くて、出来てしまった広い公園。
船に危険が迫った時には避難場所として使う代わりに、其処から逃げねばならない公園。何処か間違った公園だったけれど、人気の憩いの場所ではあった。
公園からはブリッジが見えて、ブリッジからは公園が見える。ブリッジ勤務の者にも憩いの緑。公園の方を眺めさえすれば、緑の芝生や木々の緑や。
(…公園の方が良かったよね、きっと…)
がらんどうで放っておくより、殺風景なスペースに仕上げるよりも。
公園とセットになったブリッジ、シャングリラの姿に少し似ていた。宇宙船のようで、おまけに浮いているものだから、箱舟と呼んだ者たちもいた。ブリッジのことを。
中でもコアブリッジと呼ばれた部分。シャングリラの指揮が執られた中枢。
円形のスペースに配置された席、ゼルの御自慢の椅子が幾つも。ゼルもブラウもエラも、其処に座っていたけれど。誰の席も同じに見えるのだけど。
舵輪の正面に位置していたのがキャプテンの席。舵輪から一番近い席。
白いシャングリラの舵を取る舵輪、いつでも其処へ走れるように。キャプテン自ら舵輪を握って船を操る時に備えて、キャプテンの席は舵輪の正面。
ハーレイの席、と広げた写真集では、その席に誰も座ってはいない。
他の席にも誰もいなくて、コアブリッジだけを捉えた写真。停まっている時に撮ったのだろう。ノアか、それともアルテメシアか、シャングリラには馴染みの宙港で。
キャプテンの席に、其処の主は座っていないけれども…。
(…ハーレイじゃなくて、シドの席…)
見慣れたハーレイの席ではあっても、この写真集ではシドの席。キャプテン・シドが座る席。 写真集の元になった写真が撮られた時代は、トォニィの代になっていたから。
それを思うと少し寂しい。
ずっとハーレイが座っていたのに、もうハーレイの席ではないのだ、と。
地球の地の底で死んでしまった前のハーレイ。代わりにシドがキャプテンになって、ハーレイの席を受け継いだ。ハーレイの席はシドの席になって、この写真集の席はシドの席。
(でも、ぼくだって、もういなかったしね…)
前の自分はとうの昔に死んでいたから、その後のことは分からない。誰が座っていようとも。
どうせ分かっていなかったのだし、ハーレイの席でなくてもいいか、と考えた所で…。
あれっ、と気付いた写真集の中のシャングリラ。キャプテン・シドが舵を握っていた船。
(…トォニィだよね?)
この写真集の船のソルジャー。白いシャングリラの長はトォニィ。
そうだったっけ、と覗き込んだけれど、コアブリッジの写真にトォニィの席は…。
(やっぱり無いの?)
一つ、二つと順に数えたコアブリッジに配置された椅子。ゼル御自慢の座席の数は昔と同じ。
つまりトォニィの席は無いまま。
前の自分やジョミーが生きた時代と変わらず、ソルジャーの席が無いブリッジ。
(トォニィの席、作らなかったんだ…)
人類との戦いやSD体制が全て終わって、平和な時代が訪れた後も。
白いシャングリラが招かれるままに、宇宙のあちこちを旅する時代になってからも。
ブリッジにトォニィのための席は作られていなかった。作ってもかまわなかったのに。
(トォニィ、船を変えたくなかった…?)
前の自分やジョミーの時代のままにしておきたかっただろうか、シャングリラを。
単に改造が面倒だっただけかもしれないけれど。
コアブリッジに椅子を一つ増やすには、キャプテンの椅子を除いた全部を…。
(外してしまって、場所も移して…)
増えた分を含めて、均等に設置し直さなければいけないから。
面倒だから、と放っておいたかもね、とトォニィの席が無い写真を眺めた。
コアブリッジには無い、ソルジャーの席。其処だけではなくて、ブリッジの何処にも。
箱舟とも呼ばれた公園の上に浮かんだブリッジ、あそこにソルジャーのための席は無かった。
ソルジャーは視察に出掛けてゆくだけ、でなければコアブリッジの中央に立つだけ。専用の席は何処にも無いから、用が無ければブリッジにいる必要も無い。
(…前のぼくの時は…)
ソルジャー・ブルーの席が無いのは、ソルジャーは航行に携わらなくてもいい、という意味。
船のことはキャプテンやブリッジの仲間に任せて、のんびり過ごしていて下さい、と。
表向きはそういうことだったけれど。船の仲間たちも、そうだと信じていたけれど。
(…ホントは違った…)
唯一のタイプ・ブルーのソルジャー。ただ一人だけの戦える者。
前の自分は名前通りに戦士で戦力、シャングリラを守って攻撃にだって出てゆける。
けれど、ブリッジで腰掛けていては、戦うことも守ることも出来はしないから。
立ってゆかないと、どちらの役にも立たないから。
(だから無かった…)
ソルジャーのための席などは。コアブリッジにも、ブリッジの中の他の場所にも。
白い鯨に改造する時、設けられなかったソルジャーの席。
人類軍からの攻撃を受けたら、ソルジャーは船の外で戦うか、船をシールドで覆って守るか。
ブリッジの席では何も出来ない、戦うことも、守ることさえも。
シャングリラ全体を守るとなったら、集中力が必要だから。
船を守ろうと怒声が飛び交うブリッジにいては、シールドに集中出来ないから。
改造前の船だった頃は、誰も気にしていなかった。ソルジャーの席の有無などは。
こういう特殊なブリッジではなくて、ごくごく普通の宇宙船。何処にでもある平凡なブリッジ、席の配置も平凡なもの。操縦用の席やら、副操縦士のための席やら、他にも色々。
ソルジャーの席は無かったけれども、無いと決まってもいなかったから。
(ぼくだって、たまに…)
ブリッジに出掛けて行った時には、空いていた席に座ったりもした。席の主が休憩に行ったり、非番で空いているような時は。
常に全員が詰めていたわけではなかったブリッジ。のんびり宇宙を旅した時代。
人類の船に見付からないよう、宇宙を飛べればそれで良かった。白い鯨になるよりも前は。
とにかく生きて旅をすること、未来に向かって生き延びることが何よりも大切だった船。
ソルジャーの自分が何処にいたって、何も言われはしなかった。ブリッジの席に座っていても。
持ち主が留守なら座れたのだし、キャプテンの席の隣でも。
(副操縦士…)
本来は、そんなポジションだった。前の自分がストンと座った、キャプテンの隣にあった席。
座ったところで、船は動かせなかったけれど。操縦は手伝えなかったけれど。
本物の船と、シミュレーターとは違うから。遊びで船は操れないから。
いつも座っていたというだけ、副操縦士の席から眺めていただけ。
ハーレイが船を操るのを。
かつては厨房でフライパンを握っていた手で、それは見事に船を前へと進めてゆくのを。
そういう風に過ごしていたのに、ブリッジに座っていられたのに。
白い鯨への改造計画、ブリッジの案が提出された会議の席で驚いた。自分の席が無かったから。研究を主な仕事にしていたヒルマンはともかく、ブラウもエラもゼルも居場所があったのに。
「…ぼくの席は?」
ソルジャーの席が無いようだけれど、この案はどうなっているんだい…?
間違いでは、と図面を指したら、「要らんじゃろうが」とゼルが即座に返した。
「ソルジャーが座って何をするんじゃ、ブリッジで」
此処での仕事は無いじゃろうが、と言ったゼルの横からブラウやエラも口を揃えた。
普段はいいかもしれないけれども、非常事態の時にはマズイ、と。
ソルジャーは船の外へと出て戦うか、シールドで船を守り抜くか。どちらもブリッジでは無理なことだし、ソルジャーの席は設けられないというのが彼らの意見。
「一応、あってもいいと思うけど…」
ぼくの力が必要な時は、直ぐに飛び出して行けるから…。そうでない時はブリッジにいれば…。
ブリッジは船の心臓なんだし、ソルジャーの席も作るべきだよ。
「駄目じゃ。ソルジャーがその席におらんと、皆が不安になってしまうわい」
ソルジャーが席を離れるくらいの非常事態じゃと、船中に知れてしまうじゃろうが。
一人が慌てれば皆が慌てる、思念波で直ぐに広がるからのう…。
騒ぎを大きくするだけじゃわい、とゼルが髭を引っ張り、ブラウも大きく頷いた。
「そうだよ、ドッシリ構えているなら別なんだけどね」
ブリッジでちょいと目を瞑るだけで、守りも攻撃も出来るんだったら、誰も何にも言わないよ。
だけど、そいつは無理だろうしね、周りがバタバタし始めた時に集中出来るわけがない。
攻撃だって外に出た方が楽だろうし、と言われてみれば、その通りで。
反論出来はしなかった。ゼルやブラウの意見は正しく、何処も間違ってはいないのだから。
船が新しく生まれ変わるのに、そのブリッジには無くなるらしい自分の居場所。
作って貰えないソルジャーの席。
今のブリッジとはまるで違った、ミュウの船らしいブリッジがゼロから作られるのに。人類には想像も出来ないだろうブリッジ、それが誕生するというのに。
自分の居場所は其処に無いのか、と図面に視線を彷徨わせていたら、ゼル指先で叩いた図面。
「此処がハーレイの席になるんじゃ、キャプテンの席じゃ」
ブリッジでドッシリ構えておくのは、キャプテンの役目というヤツじゃろうが。
慌てず、騒がず、指揮を執り続ける。そういう役目はキャプテンに任せておけばいいんじゃ。
ソルジャーには別の役目があるじゃろ、万一の時は。
「うん…。ぼくがブリッジに座っていたんじゃ、確かにどうにもならないね…」
外へ出てゆくか、シールドに集中できる場所に移るか、どちらかだろうし…。
ぼくがブリッジからいなくなったら、相当にマズイと皆に知らせるようなものだね、確かにね。
アッと言う間に広まるだろうね、ぼくがブリッジから出たということ…。
ミュウの特徴の一つは思念波。瞬時に情報を共有出来る力は強みだけれども、諸刃の剣。
抑え切れない強い感情を、さざ波のように船に広げてしまうから。それを拾った仲間の心から、別の仲間の心へと。次から次へと連鎖してゆく、喜びだろうが、悲しみだろうが。
(…今みたいに、みんながミュウって時代じゃないから…)
誰も備えてはいなかった。他の誰かの感情や心に共鳴しないで、自分の心を守る力を。
今の時代なら、サイオンが不器用な自分でさえも、生まれつき備えている力なのに。
それを持たなかった初期のミュウばかりが乗っていた船がシャングリラ。
ブリッジの仲間が動揺したなら、船の仲間に直ぐに伝わる。
人類軍の攻撃だけでもパニックだろうに、その中でソルジャーがブリッジから姿を消したなら。攻撃に出たか、守りに入ったか、どちらにしても戦況が悪化したということ。
ブリッジにいては防ぎ切れないと判断したから、席を離れただろうソルジャー。
(これは危ない、って誰かが思えば…)
その感情はブリッジから近い所の誰かに伝わり、そこから次へ。そのまた次へと広がってゆく。
一度広がり始めた思念の連鎖は、そう簡単には止められない。
誰かが気付いて「大丈夫だ」と叫んだとしても、「本当なのか」と疑う心もまた連鎖する。
そうなった時は、船の航行に支障を来たすどころか、最悪の場合は沈むだろう。
いくらハーレイたちが頑張っていても、何処かで生じてしまう綻び。
もう駄目なのだと誰かが思えば、たちまちそれが広がるから。
船を守ろうという強い感情は砕けてしまって、装備する予定のサイオン・シールドは霧消する。船の姿を消し去るためのステルス・デバイス、それも崩れて無くなってしまう。
剥き出しになった上に守りを失くせば、後は猛攻を浴びるだけ。
どんなに自分が守ろうとしても、ハーレイたちが死力を尽くしたとしても、もう救えない。
船の仲間たちが、駄目だと船を諦めたなら。助からないと思い込んだら…。
ソルジャーだからこそ分かっていたこと。ミュウという種族の特徴と弱さ。
負の感情の連鎖が引き起こす悲劇、それは確かに起こり得るから。
指摘された以上は、もう押せなかった。諦めざるを得なかった。
すっかり新しく生まれ変わる船、白い鯨のブリッジに席を設けることを。ソルジャーの席を。
(ホントは欲しかったんだけど…)
そうすることで生まれるリスクを考えてみたら、とても通せはしない我儘。白いシャングリラのブリッジに自分は座れはしない。そのための席は無いのだから。
ソルジャーの席を作ってしまえば、リスクが高まるだけなのだから…。
(…作れないね、って言うしかなくて…)
ブリッジにソルジャーの席は設けないことに決まって、正式に書かれた設計図。コアブリッジに設置する椅子も、ゼルがあれこれ考えていた。
「五百年は使えるようにしておくんじゃ」だとか、「座り心地の良さが大切なんじゃ」とか。
ソルジャーの分は無い椅子を。座り心地がどうであろうが、自分は関係無いだろう椅子。
たまたまブリッジに立ち寄った時に、空いていたなら別だけれども。
白い鯨の全体像が決定されて、資材集めも順調に進み、改造が始まる少し前のこと。
ふらりとブリッジに出掛けて行ったら、ハーレイの隣が空いていたから。
副操縦士の席が「どうぞ」とばかりに待っていたから、其処にストンと腰を下ろして…。
「あと少しだけだね」
ハーレイにそう掛けた声。船の前方を真っ直ぐ見ているキャプテンに。
「何がです?」
あと少しとは、とハーレイが顔をこちらへ向けたから。
「ぼくの席だよ。…君の隣に座っていられるのは、あと少しだけ」
改造されたブリッジになったら、ぼくの席はもう無いんだから。
…君の隣には座れなくなるよ、あと少ししたら。
「そうですね…」
エラやブラウの席が空いていたとしても、今のようには…。
ブリッジクルーも増えるのですから、二人しかいないという状態にはならないでしょうね。
今はあなたと私だけしか、ブリッジにはいないわけですが…。当分は誰も戻りませんが。
こういう機会が無くなるのだな、と考えてみたら、少し寂しい気もします。
あと少しだな、と気付かされたら。
「ぼくもだよ…」
新しい船のブリッジには、ぼくの席が無いというのも寂しいけれど…。
君の隣に座れなくなるのが寂しいな。
何度も此処に座っていたしね、君がキャプテンになってから。
この船を動かせるようになった後には、よくこの席に座っていたから…。
新しい船では、それが出来なくなるというのが寂しいかな…。
もうあと少しで見納めなのか、と黙って見詰めた漆黒の宇宙。副操縦士の席からの眺め。
ハーレイも黙々と船を操り、暫く無言で二人で座って。
瞬かない星が幾つも散らばる宇宙を、船は進んで行ったのだけれど。ハーレイがスイと指差した先。褐色の指が示した惑星。
「ソルジャー、あの星を周りませんか?」
あと数分で通過しますから、あれを回って飛ぶのもいいかと…。
「そういう航路設定なのかい?」
時間調整か何かのためかな、それとも進路を少し変えるとか?
星の引力に助けて貰って…?
「いえ、これが最後かもしれませんから…」
ソルジャーを隣に乗せて飛べる機会は、これが最後かもしれません。
次においでになった時にも、その席が空いているかどうかは分かりませんし…。
空いていたとしても、二人きりとは限りません。
今日までは何度もあったことですが、新しい船ではもう無理ですし…。
この船で次があるかどうかも、まるで分かりませんからね。
あの星を一周してゆきましょう、とハーレイが提案してくれた星。
なんの変哲もない、恒星からも遠く離れた惑星だった。目立った特徴すらも無い星。表面を覆う大気も地表も、宇宙では至って見慣れたもの。旅をしていれば幾つも見掛ける、そんな惑星。
何処の星系だったかは忘れた。何番惑星だったのかも。
けれども、ハーレイと二人で周った。名前だけだった頃のシャングリラで。白い鯨になるよりも前の、人類がコンスティテューションと呼んでいた船で。
ハーレイが一人で決めた航路の変更。通り過ぎるだけの予定の星を周ってゆく航路。
誰からも文句は来なかった。
惑星から離れた所を通過する代わりに、衛星軌道に入っても。星の周りを回り始めても。
どういう航路で飛んでいようが、危険が無ければ誰も気にしていなかったから。
警報の類も鳴りはしないから、ハーレイは慣れた手つきで船を進めた。
「一周すると言っても、直ぐなのですが」と、「そんなに長くはないのですが…」と。
衛星軌道から見下ろした星。船の真下を流れてゆく星。
特に珍しくもない筈の星が、その時はとても綺麗に思えた。雲も、その下に見える地表も。
「綺麗だね…」
人は住めない星だろうけれど、ちゃんと空には雲が浮いてて…。雲の下には地面があって。
とても綺麗だよ、この星の周りを飛べて良かった。通過してたら、見られなかった景色だから。
「これが地球ならいいのですけどね…」
残念なことに、名前さえもついていないような星で…。
けれど、いつかは地球までお連れしますよ。いつか必ず、青い地球まで。
新しい船が出来上がったなら、地球へ行ける日も近付くでしょう。
今の船では戦えませんが、新しい船にはサイオン・キャノンも出来るのですから。
「それは嬉しいけど…。約束してくれるのは頼もしいけど…」
ハーレイの腕と新しい船があったら、きっと地球まで行けると思う。いつかは、きっと。
だけど、ぼくはもう、君の隣に席が無くなってしまうんだけれど…。
こんな風に隣に座れはしなくて、他の席にだって、座れるかどうか…。
「大丈夫ですよ。地球に着いたら、戦いは必ず終わるでしょうから」
平和になったら、空いている席も出来ますよ。ブリッジに詰めている必要は無いのですから。
今日のようにガランと誰もいない日が来るでしょう。
キャプテンだけしかいないような日が、何処の席でも好きにお座りになれる日が。
「そうだね、きっとそうなるだろうね…。地球に着いたら」
またこうやって座ってみたいな、君の隣に。
新しい船のブリッジだったら、眺めも変わるんだろうけど…。
その船にこうして乗ってみたいと思うよ、君の隣に空いている席が出来たらね。
地球を一周して飛ぶ船に、と夢見たけれど。新しい船で地球を周ろう、と思ったけれど。
それがハーレイの隣に座った、最後になってしまったのだった。
改造に入る前にもう一度、とブリッジを覗きに行っても、空いていなかったハーレイの隣。前の自分が何度も座った、副操縦士のための席。
ハーレイの隣には座れないまま、始まってしまった船の改造。
前の自分は改造中の船を守るのに忙しくなって、もうブリッジには立ち寄れなかった。覗いても直ぐに持ち場に戻ってシールドを張ったり、船の周りを警戒したり。
そうこうする間にブリッジは新しい場所に移って、まるで違う姿になってしまった。公園の上に浮かぶ形のブリッジ、円形のコアブリッジがキャプテンの居場所。
ハーレイやゼルたちの席はあっても、ソルジャーの席は其処に無かった。
ゼルがこだわって作らせた椅子は、前の自分の分が無かった。五百年は持つと言われた椅子は。茶色い革張りを思わせる椅子は。
それでも、いつかと夢を見ていた。またハーレイの隣に座れる日が来るだろうと。
お気に入りだった副操縦士の席は無くなったけれど、また別の席に。
一番の狙い目はエラの席。ハーレイの左隣の席。
副操縦士の席も左隣にあったのだから、と其処が空く日を待ち焦がれていた。
あそこから見たらどんなだろうかと、地球の周りを飛んでゆく時はどういう風に見えるのかと。
きっといつかは座れるだろうと、ハーレイの隣で地球を見ようと。
それほどに地球に焦がれていたのに。ハーレイの隣で青い水の星を見たかったのに。
(新しい船が出来ても、ぼくは地球まで…)
ついに行けないままだった。辿り着けずに終わってしまった。
メギドを沈めて、前の自分の命は終わってしまったから。ハーレイとも離れてしまったから。
前の自分は、二度とハーレイの隣に座れはしなかった。あんなにも夢を描いていたのに。
(…いつかは地球の周りをハーレイに飛んで貰おう、って…)
ハーレイの隣に座って飛ぼうと、新しい船でもハーレイの隣に座るのがいい、と。
今から思えば、ハーレイの隣の席に座って、あの船で惑星を周っていた時。
自分では気付いていなかったけれど、とうにハーレイに恋をしていたのだろう。
そしてハーレイの方でも、きっと。
「あの星を周ってゆきませんか」と航路を変えてくれたハーレイ。
最後になるかもしれないから、と。
「新しい船が出来たら、いつか地球までお連れしますよ」と。
その時はまた隣の席が空くだろうから、其処に座ってくれればいい、と…。
改造が済んで、白い鯨になった船。ミュウの力でゼロから作り上げたブリッジ。
人類のものとはまるで違って、五百年は持つとゼルが自慢した、茶色い革張りを思わせる椅子が幾つも並んでいたのに…。
(ぼくの席、無かった…)
あのブリッジに、ソルジャーのための席は無かった。それを作ってはならないから。
本当は、ハーレイの隣に座っていたかったのに。改造前の船でそうしたように。
副操縦士の席とは違っていたって、コアブリッジに席が欲しかったのに。
ゼル御自慢の椅子でなくてもいいから、座り心地が悪い椅子でもかまわないから、キャプテンの席の隣に欲しかった。自分の席が、ソルジャーの席が。
無理だと分かっていたけれど。
白いシャングリラが置かれた状況、それに当時のミュウの弱さと。
それを思うと絶対に無理で、新しいブリッジにソルジャーの席を作れはしなかったのだけど。
(トォニィは何処かに座れたのかな…)
何度数えても、増えてはいないコアブリッジの席。ソルジャーの席は設けられないまま。
けれど、トォニィはきっと座っていただろう。
前の自分が夢に見たような、平和な時代だったのだから。
キャプテン・シドの隣の席でも、何処でも空いていたのだろう。
全員がコアブリッジに詰める必要などは無かったから。
今日は此処だ、と空いている場所にストンと座ってゆけたのだろう。
ソルジャーの席を作らなくても、空きは幾つもあったから。前の自分の頃と違って…。
座り損ねたハーレイの隣。
トォニィはシドの隣に座れただろうに、前の自分はハーレイの隣に座れなかった。
改造前の船で隣に座ったあの日が、最後の思い出になってしまった。また座れると思ったのに。
いつか地球まで辿り着いたら、また座ろうと夢を描いていたのに。
(座れないままになっちゃった…)
溜息をついて、パタンと閉じた白いシャングリラの写真集。ぼくの席が無かった船だっけ、と。
本棚に写真集を返して、また溜息を零していたら、ハーレイが訪ねて来てくれたから。
そうだ、と訊いてみることにした。前の自分とハーレイとのことを。
「あのね、ハーレイ…。ぼくの席、無かったんだけど…」
「はあ?」
お前の席ならあっただろうが、今日も座っているのを見たが?
それとも席替えで消えちまったのか、俺の授業の後で席替えがあったのか?
たまたまお前が移った先で、机か椅子かが壊れちまったか…?
「そうじゃなくって、前のぼくだよ」
シャングリラのコアブリッジにあった椅子…。
ゼルの自慢の椅子だったけれど、ぼくの席だけ無かったんだよ。ソルジャーの席は。
「ああ、あれなあ…」
仕方ないだろ、あの頃は事情が事情なんだから。
ソルジャーの席を作っちまったら、後が大変だったんだ。…お前も分かっていただろうが。
「そうだけど…。だけど、座りたかったんだよ…」
ハーレイの隣に座りたかったな、エラが座っていた席に。いつでも左に座っていたから。
前のぼくが好きだった副操縦士の席、ハーレイの左側だったから…。
あそこに座ろう、って思っていたのに、座れないままになっちゃったんだよ。
あの席、きっとトォニィは座っていたんだろうけど…。
ソルジャーの席が増えてないから、トォニィは座れたんだろうけど…。
前のぼくは座り損なっちゃった、とハーレイの鳶色の瞳を見詰めた。
白い鯨では一度も座れないままだったけど、と。
「…ぼくがハーレイの隣に座れていたのは、改造する前の船だった頃で…」
また座れると思っていたのに、とうとう座れないままで…。
ハーレイ、ぼくが最後に隣に座っていた日に、惑星の周りを飛んでくれたの、覚えてる…?
「これが最後かもしれませんから」って、ちょっと航路を変えてくれて。
ぼくとハーレイしかブリッジにいなかった時なんだけれど…。
「あったっけなあ…!」
懐かしいなあ、まさか本当に最後になるとは俺も思っていなかったんだが…。
あの船での最後ってつもり程度で、次があるさと軽い気持ちでいたわけなんだが…。
本当に最後だと分かっていたなら、二周くらいはするべきだった。
三周でもいいな、いや、誰かがブリッジにやって来るまで、ずっと周ってても良かったなあ…。
「…ホント? ぼく、ハーレイに訊きたいんだけど…」
あの時、ぼくを好きだった?
ぼくのこと、好きだと思ってくれてた…?
ちっとも気付いていなかったけれど、ぼくはハーレイのことが好きだったんだと思うんだよ。
だから隣に座りたくって、空いてる時には座っていて…。
白い鯨になった後には、もうブリッジに席は無いけど、いつか座ろうと思ってたんだ、って。
…ハーレイはぼくのこと、好きだった…?
「俺もとっくに好きだったんだろうな、お前と同じで」
それで航路を変えようと思ったんだろう。
お前と並んで座れるチャンスは当分やって来そうにないし…。二人きりというのも難しいし。
今の内だと考えたんだな、お前とゆっくり飛んでおこうと。
次はいつだか分からないから、お前と二人で外を眺めておかないと、とな…。
シャングリラでドライブしちまったらしい、とハーレイが穏やかな笑みを浮かべた。
前のお前とドライブをしたと、地球までは連れて行ってはやれなかったが、と。
「…約束したのに、守れなかったな…。だが、あんな赤い地球ではなあ…」
お前もガッカリしたんだろうなあ、もしも地球まで行っていたなら。
あの星の方がよっぽどマシだ、とドライブしていた星の話を持ち出したかもな。
…それでも、お前は俺の隣に座って眺めたかったんだろうが…。
地球が少しも青くなくても、俺の隣で見ていられるなら、それで満足だったんだろうが…。
「うん…。ハーレイの隣に座って眺められるんならね」
きっと充分だったと思うよ、前のぼくには。…地球まで行けずに終わったけれど…。
でも、今は来たよ、青い地球まで。
ハーレイの隣に座っていけるよ、前のぼくが座っていたみたいに。
「おいおい…。今の俺はだ、宇宙船なんかは全く動かせないんだが?」
前のお前に約束はしたが、生憎と俺はパイロットじゃなくて…。
ただの古典の教師ってヤツで、お前を隣に乗っけて地球を一周するのは無理なんだが…?
「ううん、ハーレイの車で充分!」
それでいいんだよ、いつか乗っけて走ってくれれば。
星を一周しなくていいから、ぼくを隣に乗せてドライブしてくれれば。
行き先はホントに何処でもいいよ。
あの時みたいにハーレイが決めて、「行こう」って言ってくれる所でいいから。
「よしきた、車でドライブだったら任せておけ」
お前の行きたい所へ好きなだけ俺が連れてってやろう、前の俺が約束していた分まで。
地球には二人で来ちまったんだし、車で行ける所だったら何処でもいいぞ。
車でいいなら、シャングリラでなくてもいいのならな…。
いつかお前が大きく育って俺とドライブ出来る日が来たら、とハーレイが約束してくれたから。
またハーレイの隣に座ろう、宇宙船ではなくて車だけれど。
副操縦士の席でもコアブリッジでもなくて、助手席に乗って行くのだけれど。
遠く遥かな時の彼方で、二人で座っていたように。
お互い、恋をしていることにも気付かないままで、シャングリラでドライブした日のように。
今度は恋人同士で、いつか。
ハーレイの車の助手席に乗って、青い地球の上を走ってゆこう。
惑星の周りは飛べないけれども、幸せなドライブに違いないから。
またハーレイの隣に座って、二人だけで何処までも、いつまでも走ってゆけるのだから…。
ブリッジの席・了
※白いシャングリラの何処にも無かった、ソルジャーの席。作るわけにはいかなかったのです。
改造する前、ハーレイの隣が好きだったブルー。いつかハーレイの愛車で、隣の席に…。
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