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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

コインの託宣

(んーと…)
 どっちにしよう、と悩んだブルー。学校から帰って、おやつの時間に。
 今日は来客があったらしくて、おやつのケーキが選べる二種類。チョコレート入りの生地が描く縞が大理石のようなマーブルケーキと、ドライフルーツがたっぷり入ったフルーツケーキ。
 まるで違った味わいだから、どちらにしようか悩んでしまう。出来れば両方食べたいくらい。
(薄く切って貰えば、両方…)
 食べられるけれど、二つとも食べてしまったら…。
(ハーレイが来た時、困っちゃう…)
 仕事が早く終わった日には、帰りに寄ってくれるハーレイ。夕食も一緒に食べて行ってくれる。
 こういう風にケーキが二種類あった時だと、自分が食べなかった方を母が出すのがハーレイとのお茶。夕食の支度が整うまではゆっくりどうぞ、と。
 もしも両方食べていたなら、ハーレイと二人で食べる時には減る感激。「さっきも食べた」と。
 それは寂しいから、どちらか片方、と思ったけれど。
(…どっちも美味しそうなんだよね…)
 ふんわりとしたマーブルケーキも、どっしりとしたフルーツケーキも。
 眺めるほどに美味しそうで選べないから、迷った末に…。
(表ならこっちで、裏ならこっち…)
 取って来たコインをポイと放った。ダイニングに置いてある小銭入れのコイン。
 サイオンが不器用な自分だからこそ、自信たっぷりに決められる。願望が入る余地が無いから、コインは自由に回って落ちてゆくもの。
 表を出せとも、裏を出せとも、一切、命令されないのだから。



 床に落っこちて転がったコインは、表を向けてピタリと止まった。
(よし!)
 表だったらこっちだものね、と母を呼んで切って貰ったフルーツケーキ。こっちに決めた、と。
 キッチンでコインの音を聞いていたらしい母が笑っている。
「コインで決めていたんでしょう? どっちも美味しそうだったのね」
 ブルーならではの決め方よね、コイン。…表か裏か。
「ぼくだけじゃないよ。やっている子は少なくないよ?」
 学校でもそうだし、遊ぶ時だって。悩んだ時にはコインなんだよ。
「それはそうかもしれないけれど…。ブルーの場合はホントにコインで決められるでしょ?」
 自分の願望が入らないものね、こっちがいいな、って。
 サイオンが強いと入っちゃうわよ、ブルーはタイプ・ブルーなんだもの。不器用じゃなくて器用だったら、コインの占い、無理なんじゃない?
 …それとも、逆に入らないのかしらね?
 タイプ・ブルーくらいに強くなったら、キッチリと遮断出来ちゃって?
「えーっと…?」
 サイオンを遮断出来るのか、って…?
 さっきみたいにコインを投げても、自分の考えが混じらないように…?



 どうなのだろう、と考え込んでしまった。
 一番最初に発見されたタイプ・ブルーが前の自分で、ソルジャー・ブルー。最強と謳われた強いサイオン、扱いの方も慣れたもの。今の不器用な自分と違って。
 前の自分はコインを投げていたろうか?
 表か裏かと、投げ上げて何かを決めただろうか…?
(シャングリラでコイン…)
 そんな記憶は無かったけれども、多分、遮断は出来るのだろう。前の自分の経験からして。
 自分の願望を一切入れずに、サイオンを操ることは可能だったから。
「んーとね…。コインを投げたら完璧だと思うよ、前のぼくなら」
 こうなるといいな、っていう気持ちは綺麗に切り離せたから。
 コインじゃないけど、他のことだと色々と…。ちゃんと上手に出来ていたもの。
「あらまあ…。そんなに器用だったソルジャー・ブルーが、今はこうなのね?」
 おやつのケーキをコインで決めて選べるのね、と母は可笑しそうな顔だから。
「前のぼくと変わらないじゃない!」
 変わっていないよ、前のぼくもコインで決められたんだから!
「そうすることが出来るというのと、それしか出来ないのとは違うでしょ?」
 ソルジャー・ブルーは器用に使い分けられたけれど、ブルーはそれしか出来ないんだし…。
 不器用なんだと思うわよ、ママは。…同じようにコインで決められてもね。
「ママ、酷い…」
 ホントのことでも、それって酷いよ!
 笑わないでよ、可笑しくなるのは分かるんだけど…!



 散々に笑われてしまったおやつ。コインを投げて決めたばかりに。
 美味しいケーキだったけど。フルーツケーキを選んで良かった、と思ったけれど。
 ママに一杯笑われちゃった、と部屋に戻って勉強机の前に座った。頬杖をついて、膨れっ面で。
(…コインなんて…)
 前の自分は投げてはいない。尋ねられたから、多分こうだ、と答えただけ。
 ソルジャー・ブルーだった頃でも、今と同じに決められた筈、と。コインを投げて。それなのに笑い転げた母。「今は不器用になっちゃったわね」と。
 不器用なことは本当だけれど、コインのことまで前の自分と比べて笑わなくても、と仏頂面。
 前のぼくは投げていないんだから、と思ったコイン。
 でも…。
(あれ?)
 不意に浮かんだ、コインを投げていたような記憶。表か裏か、と。
 投げて決めようにも、シャングリラにはコインが無かったのに。
 あの船の中に店などは無くて、コインの出番は一度も無かった。シャングリラの外の世界でも。
 人類のためにあった世界で流通している通貨は危険。機械が管理していたから。
 アルテメシアに送り込んでいた、潜入班の仲間たち。彼らも通貨を使ってはいない。必要な時はサイオンを使ってデータを誤魔化し、色々な物資を手に入れていた。
 シャングリラはそういう船だったから、初めての買い物は前の自分がいなくなった後。
 今のハーレイからそう聞いているし、それよりも前にコインを使ったわけがない。
 けれど、記憶はコインだと告げる。
 シャングリラでそれを投げた筈だと、さっきケーキを選んだように、と。



 投げた記憶があるコイン。前の自分が、ソルジャー・ブルーが。
 船には無かった筈のコインを、表か裏かと投げ上げた自分。
(何処で…?)
 それ以上は思い出せない記憶。勘違いか、と悩んでいたらチャイムが鳴った。仕事帰りに訪ねて来てくれたハーレイ。
 母が運んで来た、紅茶とマーブルケーキのお皿。コインが選ばなかった方のケーキ。
 チョコレートの生地の縞模様が綺麗なそれを指差し、向かいに座ったハーレイに訊いた。
「あのね、ハーレイ…。シャングリラでコインって、投げていたっけ?」
「コイン?」
 なんなんだ、それは。なんでコインを投げるんだ…?
「何か決めたりするでしょ、コインで。表か裏か、って」
 このケーキはそれで選んだんだよ、選んだ方じゃないんだけれど…。
 おやつのケーキが二種類あってね、どっちにしようか決められなくて…。コインの出番。
 選んだ方をおやつに食べて、こっちは選ばなかった方…。
「ほほう、コインのお告げってことか」
 こっちが残っていたってことは、コインは俺の好物のケーキを選んでくれたのか、うん?
「どうだろう…?」
 そこまで考えていなかったけれど、ぼくが食べた方はフルーツケーキ…。
 ママのフルーツケーキの味は知っているでしょ、ハーレイ、どっちが好きだったの…?
「どっちも好きだが、今日はこっちの気分だな。選んでいいなら、マーブルケーキだ」
 コインは正しい選択をした、というわけだ。
 まさにお告げといった感じだな、俺にはこいつを残しておけ、という御託宣。
 …待てよ、託宣…?



 ハーレイが指先でトントンと叩いている眉間。
 そうすれば遠い記憶が戻って来ると思っているのか、ただの癖なのか。暫く考え込んで、眉間を何度か軽く叩いて…。
「それだ、託宣だったんだ!」
 思い出したぞ、シャングリラにあった託宣なんだ。
「えっ? 託宣って…」
 どういう意味なの、何が託宣…?
「お前も覚えているだろう。託宣と言えばフィシスだろうが」
 フィシスがタロットカードで占う未来が託宣だった。…いつの間にやら、そう呼ばれていて。
「そうだけど…?」
 託宣はフィシスだったけれども、その託宣がどうかしたわけ…?
「よく考えてみろよ? …フィシスが来る前はどうだった?」
 未来が見えるヤツはいたのか、予知の力を持っていたヤツは?
 フィシスのような仲間は誰かいたのか、と訊かれれば誰もいなかった。シャングリラには。
 前の自分でさえも、予知の力は怪しいもの。漠然と嫌な予感がするとか、その程度の力。
「…誰もいないね、ぼくがフィシスを船に攫って来るまでは…」
 フィシスはホントに女神だったよ、ちゃんと未来が見えたんだから。
「そのフィシスをお前が連れて来る前。…フィシスの託宣が無かった頃だな、お前の記憶」
 どっちを選ぶのが正しいのかが、誰にも分からなかった時。
 そういう時にコインで決めていたんだ、表か裏かと。
 選べなくても選ぶしかない、だが、俺たちではいくら考えても答えが出ない。
 そんな時はコインだったんだ。…どちらかに決めなきゃいけないんだしな、ピッタリだろうが。
 投げれば答えが出て来るからなあ、コインってヤツは。表と裏しか無いんだから。



 そういえば…、と蘇って来た、遠い遠い記憶。前の自分とコインの記憶。
 一番最初は、航路の決定に悩んでしまった時だった。
 シャングリラが白い鯨になるよりも前で、ハーレイがキャプテンになって間もない頃。
「どっちに行っても、大して変わりはなさそうだけどね?」
 素敵な所へ辿り着けるというわけじゃなし…、というのがブラウの意見。
 シャングリラの今後をどうしてゆくかを決める顔ぶれは、もう揃っていた。後に長老と呼ばれた四人と、キャプテンのハーレイ、それに前の自分。
「しかし、人類がいない方へと向かうなら…」
 こちらの方が良さそうだが、とハーレイが推した航路に異議を唱えたヒルマン。
「まるでいなくても困るだろう。…人類の船が」
 物資の補給が難しくなる。人類の船が無いとなったら、輸送船だって無いのだからね。
 あれは人類のために物資を運んでいるわけで…。我々のためではないのだから。
「ぼくは何処へでも行けるけど?」
 輸送船が無いなら、いそうな所へ探しに行けばいいんだから、と前の自分は言ったのだけれど。
「いや、お前にばかり負担はかけられん」
 こっちがいいかと思ったんだが、やめておいた方がいいかもしれん。
 もう一つの方を選ぶべきだな、とハーレイが顎に手を当てた。俺が間違っていたらしい、と。
「けれど、決め手に欠けているわ」
 どっちの航路も、と零したエラ。
 人類の船が多いか、少ないかという点だけの違い。それも、現時点でのデータに基づいたもの。
 状況は変わってゆくかもしれない。人類の方の都合次第で。
 もっと詳しいデータがあったら分かるけれども、今のシャングリラではこれが限界。
 人類軍の暗号通信などは読み解けないから、これ以上のデータは手に入らない。



 船をどちらへ進めるべきか。
 選べなくなってしまった航路。どちらも正しいように見えるし、また間違いのようにも見える。
 けれど、どちらかへ行くしかない。他の航路は、どれも不都合があったから。
 正しい航路はどちらなのか、と皆が考え込んだけれども、出せない答え。キャプテンにも、前の自分にも。エラやブラウやヒルマンたちにも。
 どうするべきか、と時間が流れてゆく中、ゼルが声を上げた。
「そうだ、コインがあった筈だぞ」
 ブルーが奪った物資に紛れていたヤツが…。あれを使えばいいんじゃないか?
「コインだって?」
 何に使うというのだね、とヒルマンが訊いて、前の自分たちも首を傾げたけれど。
「もちろん、航路を決めるのに使う。…今は航路の相談中だぞ」
 コインで決めてた時代というのがあるんだろうが。
 一枚投げて、表か裏か。出て来た方で答えを決めるというヤツだ。
 この船にあった本で読んだぞ、と出された案。
 決められないならコインにしようと、きっとそいつが一番だろうと。
「ああ、あれねえ…!」
 いいんじゃないかい、と賛成したブラウ。
 いくら考えても出ない答えなら、コインに訊くのも悪くないよ、と。



 選べないなら、コインで決める。表か裏かで、船の航路を。
 遠い昔の地球の占い、人類は今もコインを投げているらしい。決めかねた時は。
 それを真似るのもいいのでは、と纏まりかけた所で、ヒルマンが「しかし…」と心配そうに。
「人類ならば、それで問題は無いのだろうが…。我々はミュウだ」
 サイオンが干渉するんじゃないかね、投げたコインに。
 表がいいとか、裏がいいとか…。誰もが無意識に選んでいそうだ、こっちがいい、と。
 そうなればコインに働きかけてしまう、自分の選んだ方が出るように。
 上手く行かないような気がしてならないのだがね、ミュウの場合は。
「だったら、ブルーが投げればいいじゃないか」
 あたしたちよりずっと強いよ、サイオンがね。束になっても敵いやしない。
 ブルーだったら、誰のサイオンにも干渉されずに出来るだろ?
 自分の願望ってヤツも全く入れずに、と返したブラウ。
 ブルーなら出来るに違いないよ、と。
「なるほど…。ブルーならば、というわけか」
 出来そうかね、とヒルマンに尋ねられたから。
「多分…。出来ると思うよ、コインを投げればいいんだね?」
 表か裏か、どちらがいいかは考えないで。
 他のみんながどちらにしたいか選びたい気持ちも、影響を与えないように。
「よし、決まりだな。コインに訊いてみようじゃないか」
 ハーレイ、あれを持って来てくれ、とゼルがニヤリと親指を立てた。
 コインはお前が管理してるし、適当なヤツを一枚選んでやってみよう、と。



 そういうわけで、前のハーレイが保管場所から持って来たコイン。
 どれか一枚を選ぶ代わりに、それが入った箱ごと、全部。
 百枚は優にあっただろうか、あるいはもっと。大きさも色も、様々なものがジャラジャラと。
「どれにするんだい?」
 あたしはコインとしか知らないんだけどね、何か定番があるのかい?
 どうなんだい、とブラウに訊かれたゼルが「俺もだ」と浮かべた苦笑。コインで決めるという所までしか俺は知らないと、ヒルマンはどうか、と。
「私かい? …生憎とそれは知らないねえ…。エラはどうだね?」
「私も、コインで占うとしか…。ずっと昔なら、何かあったかもしれないけれど…」
 今の時代は特に無いんじゃないのかしら。由緒も由来も無いんだから。
 どれもコインだと言うだけでしょ、とエラが言う通り。
 SD体制の時代のコインは、模様にすらも意味が無かった。区別出来ればいいというだけ。
 占いに向いたコインが無いなら、どれでやっても同じことだから…。
「それもブルーが選べばいいんじゃないか?」
 ブルーがいいと思った一枚、それでいいだろ。
 表か裏かでこの先のことを決めるコインだ、選ぶ時にも勘ってヤツだ、と笑ったゼル。
 反対する者はいなかった。コインもブルーが決めるべきだ、と。



 この中から一つ選ぶといい、と前の自分に示された箱。沢山のコイン。
 けれど、コインがピンと来なくて、ただまじまじと見詰めていた。価値が分からなかったから。
 人類の世界でしか意味を持たないコインの価値など、当時は詳しくなかった自分。どのコインで何が買えそうなのかも、それがあれば何が出来るのかも。
 それと気付いたヒルマンが、コインを一種類ずつテーブルに並べて教えてくれた。
 このコインならば、一枚で子供向けの菓子が一個買えるとか。これならば飲み物が一本だとか。
 高額なコインもあったけれども、そういうものより子供でも持てるコインに惹かれた。
 成人検査で失くしてしまった、子供時代の自分の記憶。
 きっとその中で、幼い自分がコインを握っていただろう。お気に入りの菓子を買いに行こうと、小さな手の中にコインが一枚。
 そうでなければ、養父母に「ほら」と握らせて貰って、店員に「はい」と差し出すだとか。
 子供が持てるコインだったら、思い出もきっとあった筈。
 すっかり忘れてしまったけれども、幸せだった頃の思い出。養父母と過ごした温かな日々。
 だから小さなコインを選んだ。子供用の菓子しか買えないコイン。
 銀色に光る小さなコインを一枚、箱の中から。
 同じコインが幾つもある中、目を引いたそれを取り出して。



「じゃあ、これ…」
 これにするよ、と選び出したコイン。テーブルの上にコトリと置いた。
 コインが決まれば、次は表か裏かの問題。それもヒルマンが皆に解説してくれた。模様が目立つ方が表で、数字が目立っている方が裏、と。
 コインで決めたい二つの航路。それをどちらに割り当てるかは、六人で相談して決めた。表ならこっちで、裏ならこっち、と。
 人類の船が少ない方へと向かう航路が、表側。ハーレイが「駄目だ」と言っていた方。
 裏側が出たら、人類の船が今までと変わりなく飛んでいる筈の航路。
 どちらが出ようと、もうこれ以上は迷わない。コインは答えを告げたのだから。
 そう決めた後に、前の自分が投げ上げたコイン。
 ゼルたちに「こうだ」と教えられた通り、指先で弾くようにして。
 会議をしていた部屋の天井に向かって投げたコインは、直ぐに落ちて来て転がった。テーブルの上で暫く回って、パタリと倒れたコインが示した表側。
「表なのか!?」
 あちらへ行くのか、とハーレイが酷く慌てたけれども、「決めたことだよ」と肩を叩いて諫めたヒルマン。そういう決まりになっていたろうと、コインの表が出たのだから、と。
「大丈夫だよ。…輸送船が飛んでいなくても、ぼくがいるから」
 何処かで物資を調達するよ、と前の自分がテーブルの上から拾い上げたコイン。これを貰ってもいいだろうか、と。
「貰うって…。何にするんだい?」
 何の役にも立ちやしないよ、とブラウが目を丸くしていたけれど。
「ちゃんと航路を決めてくれたよ、役に立ったよ」
 もしも航路が正しかったら、これは本当に役に立つから…。
 また迷うようなことがあったら、これに訊いたらいいと思うよ。ただのコインだけど、二つある道をどちらにするかは、決めて貰えるみたいだからね。



 一枚の小さなコインで決まった、シャングリラの航路。
 表が示した方の航路へ前のハーレイは船を進めて、続いていった宇宙の旅。
 人類の船にはまるで出会わず、代わりに輸送船だけが何故か一隻。何処へ向かうのか、山ほどの物資を積み込んで。食料も、他の色々な物も。
 その輸送船から奪った物資で、飢えずに快適な旅が続いた。人類の船には出会わないまま、暗い宇宙を。いつもこういう旅ならいいな、と誰もが感激していたほどに。
「あの時、お前が投げたコインで決めてだな…」
 俺が反対していた航路が、正しかったという結末になっただろう?
 他のヤツらも、あっちに行こうと決められないままでいたのにな。コインの表が出るまでは。
 …なのに、コインは正しい答えを出したんだ。
 子供の菓子しか買えないような、ちっぽけなコインだったくせにな。
「うん…。あのコイン、ぼくが貰って持っていたから…」
 何かって言えば、投げてたね、コイン。
 シャングリラが白い鯨になった後にも、決められないな、っていう時になったら。
 ゼルとかブラウが言い出すんだよ、「これはコインに訊くしかない」って。
 ヒルマンもエラも、「後は神様次第だ」って思っていたから、コインにお任せ。
 前のハーレイも、ぼくもおんなじ。
 ぼくたちの力で決められないなら、神様に決めて貰わなくちゃ、って。



 前の自分が一枚だけ選んだ、銀色をしていた小さなコイン。
 幼かった頃に大切に握り締めていたのと、多分、そっくりだったろうコイン。
 それが選んでくれた航路が正しかったから、その後も色々と質問していた。コインを投げては、どうすべきかと。自分たちはどちらに進むべきかと。
 航路はもちろん、船の中のことも。どちらを選べばいいのだろうかと。
 フィシスがやって来るまでは。
 タロットカードで未来を読み取る、神秘の女神。機械が無から創ったものでも、フィシスの力は本物だった。前の自分が与えたサイオン、それが作用した予知能力。
 ハーレイ以外は誰も知らなかった、フィシスの生まれ。
 だから信用された占い、託宣とまで呼ばれたほどに。
 コインだったら表か裏か、二つしか道は無かったけれど。二つに絞り込まない限りは、コインも答えはしなかったけれど。
 フィシスの方はそうではなかった、曖昧なことを質問されても答えを出せた。
 三つも四つもある道の中から最善の一つを選び出すのも、フィシスにとっては容易いこと。
 コインなどより遥かに優れた、ミュウの未来を読み取れる女神。
 白いシャングリラに幼いフィシスを迎え入れた後は、コインに尋ねることは無かった。
 幼くてもフィシスは未来を読めたし、タロットカードはコインよりも頼りになったから。
 単に答えを示すだけでなく、注意すべきことやアドバイスなども、カードは教えてくれたから。



 けれども、フィシスが船に来るまでの長い年月。
 コインは何度も投げ上げられては、進むべき道を告げていた。表か、裏かで。
 会議の席で「コインに訊こう」という声が出たなら、前の自分が投げ上げていた。データ不足で決めかねた時や、どちらがいいのか判断に困ってしまった時に。
 銀色の小さなコインを一枚、手の中にスッと取り出して。
「お前の部屋にあった筈だぞ、託宣用のコイン」
 一番最初にお前が選んで、持ってったヤツが。…いつでもあれを使っていたしな。
 誰かがコインの出番だと言えば、お前、瞬間移動でヒョイと運んで…。
 今のお前には全く出来ない芸当だよなあ、すっかり不器用になっちまったから。
「うん…。コイン一枚でも、ぼくには無理だよ」
 瞬間移動で運べやしないよ、ほんのちょっぴりの距離でもね。
 あそこの勉強机の上から、このテーブルまででも絶対に無理…。あんなに小さなコインでも。
 青の間に引越した後も、コイン、大切に持っていたっけ…。
 いつでも占いに使えるように、って奥の部屋に。
 小さな引き出しに入れてあったよ、掃除の時に間違って捨ててしまわれないように。
 引き出しの中は、前のぼくしか触らないから…。
 ハーレイはたまに開けていたけど。
「…まあな、お前に頼まれた時には開けてたなあ…」
 あの引き出しに入れてあるから、って色々な物を頼まれたが…。お前が寝込んじまった時とか。
 そういや、コインに気付いたこともあったっけか…。
 此処に入っていたんだな、って見てたんだっけな、ほんの少しの間だけだが。
 お前に頼まれた物を探しに行ったわけだし、それが見付かったら急いで戻って行かないと…。
 だからコインに触っちゃいないな、触ろうとも思いはしなかったが。
 なにしろ神聖なコインだったし…。
 俺たちはいったいどうするべきか、って時に答えをくれてたんだし。



 前のハーレイも触れなかったという、託宣用になっていたコイン。
 元は物資に紛れていただけの、普通のコインだったのに。
 子供が菓子を買える程度の価値しか持たない、銀色をした小さなコイン。銀色なだけで、銀ではなかった。きっと銀など、欠片も入っていなかったろう。
 それでも、コインは皆を確かに導いてくれた。表か裏かで、道を示して。
(…フィシスが来たから、コイン、要らなくなっちゃって…)
 ゼルもブラウも、「コインに訊こう」とは言わなくなった。未来を読める女神がいたから。
 航路や他の様々な問題、それの答えが出なければフィシスに尋ねればいい。フィシスはタロットカードを繰って並べて、読んだ未来を告げるから。答えの他にもアドバイスなどをくれるから。
 フィシスが来たから、用済みになってしまったコイン。
 前の自分が大切に引き出しの中に仕舞って、何度も未来を尋ねたコイン。
 出番が来る度、瞬間移動で運んでキュッと握って。
 ゼルやヒルマンやハーレイたちの前で、天井へと高く投げ上げて。
 あれほど何度も投げていたのに、今日まで忘れ果てていた。
 フィシスを船に迎えた後には、二度と使わなかったから。
 表か裏か、二つに一つの答えだけしかくれないコイン。それよりもずっと役立つ女神が、未来を読み取るフィシスがいたなら、コインに尋ねはしないのだから。



 忘れ去ったままになってしまった、託宣用だった小さなコイン。
 長い年月、あれのお世話になっていたのに。何度も何度も、道を教えてくれていたのに。
(…前のぼく、ご苦労様、って言った…?)
 ちゃんと御礼を言ったのだろうか、忘れ果てる前に。
 青の間の奥にあった小さな引き出し、其処に仕舞ったままにしてしまう前に。
(……自信、ゼロ……)
 手に入れたフィシスにすっかり夢中になっていたから、御礼も忘れていたかもしれない。
 その身に地球を宿した少女。タロットカードで未来を読み取る、神秘の女神。
 暇さえあったらフィシスの許へと行っていたから、コインも忘れてしまったろうか。それまでに何度も助けられたのに、託宣をしてくれていたというのに。
(…ごめんね、忘れちゃっていて…)
 今からでも間に合うだろうか、と心の中で謝った。
 前の自分が忘れたコインに。御礼も言わずに仕舞ったままにしたかもしれない、銀色をしていた小さなコインに。
 「ごめんね」と、そして「ありがとう」と。
 前のぼくは忘れてしまったけれども、こうして思い出したから、と。



 小さくて価値も無かったコイン。子供が菓子を買える程度の、ちっぽけなコイン。
 前の自分が箱の中から一枚選んで、ゼルやヒルマンたちも頼りにしていた。前のハーレイも。
 託宣と言えば、ずっとコインのものだった。フィシスがやって来るまでは。
「あのコイン、どうなっちゃったんだろう…?」
 ぼくも忘れてしまってたんだし、ゼルたちもきっと忘れてたよね…?
 ハーレイだって今まで忘れていたから、引き出しのコイン、誰も回収していないよね…?
「さてなあ…。最後には誰かが見付けただろうが…」
 シャングリラを解体しようって時には、青の間にあった色々な物も運び出してた筈だから…。
 あのままで壊したわけじゃないから、引き出しの中も空にしたろう。
 そういう作業をしに来た誰かが、コインも見付けていたと思うぞ。
 こんな所に一枚あった、と拾い上げた後はどうなったんだか…。
 デカイ船だし、アルテメシアを落とした後には買い物をしていたヤツらもいたし…。
 あちこちにコインが紛れてそうだし、それと一緒になっちまったかもな。
 見付けたコインはこれに入れろ、と袋でもあって、その中にポイと。
 お前の名前が書いてあったら別だったろうが、ただのコインが一枚ではなあ…。
 せいぜい骨董品ってトコだな、前のお前が奪った物資に紛れていたコインは高く売れたし…。
 前の俺はそいつを売り払った金で、船の仲間に小遣いを渡してやれたんだしな。



 白いシャングリラが役目を終えて、トォニィの指示で解体されることになった時。
 色々な物が運び出されていった青の間の奥に、引き出しにコインが一枚だけ。
 多分、ひっそりと何かに紛れて、小さな銀色。本物の銀でさえなかったコイン。
 それを見付けて持って行った者も、トォニィもシドも、誰も気付きはしなかったろう。一枚しか入っていなかったコイン、銀色のコインの正体に。
 ソルジャー・ブルーが何度も何度も未来を尋ねた、託宣用のものだったとは。
 シャングリラがまだ白い鯨ではなかった頃から、船の未来を決めていたコインだったとは。
「消えちゃったね、コイン…」
 なくなっちゃったね、前のぼくが忘れてしまっていたから…。
 ぼくの名前は書いてなくても、袋に入れるとか、箱に入れるとか…。そして説明を書いて一緒に入れれば良かった、何に使ったコインだったか。
 そうしておいたら、コイン、きちんと残っただろうに…。
 行方不明になってしまわずに、何処かに、きっと。
「そうだな…。あのコインの意味が分かっていたヤツがいたなら、ちゃんと残っていたろうな」
 俺の木彫りのウサギみたいに、立派な宇宙遺産になって。
 あんなウサギよりもコインの方が、遥かに凄い宇宙遺産というヤツなんだが…。
 シャングリラの未来を決めていたんだし、それは素晴らしい超一級のコインなんだがなあ…。



 遠く遥かな時の彼方に消えてしまった、小さなコイン。銀色をしていた小さなコイン。
 前の自分が何度も投げては、ミュウの未来を占っていた。表ならこうで、裏ならばこう、と。
 コインが告げた託宣のままに、シャングリラは宇宙を、アルテメシアの雲海を飛んだ。
 白い鯨になるよりも前から、白い鯨になった後にも。
 未来を読み取るミュウの女神が船に来るまでは、フィシスに取って代わられるまでは。
 シャングリラを長く導き続けた、コインは忘れ去られて消えた。
 立派な仕事をしていたのに。
 それがどういう仕事をしたのか、もしも誰かが気付いていたなら、今頃は宇宙遺産だったのに。
「…ぼく、悪いことしちゃったかな…」
 あのコイン、頑張ってくれていたのに。…前のぼくたちを、何度も助けてくれていたのに…。
 前のぼくが忘れてしまっていたから、コイン、何処かに消えちゃった…。
「気にするな。…世の中、そうしたものだってな」
 なんでもかんでも残るってわけじゃないんだし…。
 お前はこうして思い出したし、それでコインも満足だろうさ。
 宇宙遺産になっちまうより、その方が気楽でいいかもしれんぞ。今は自由になったんだから。
 博物館のケースの中より、のびのびと何処かで第二の人生。
 いや、百回目とか、千回目だとか、そういう人生を送っているかもしれないじゃないか。
 もうコインではなくなっちまって、他の何かに生まれ変わって。
「そうかもね…。ぼくたちも、生まれ変わったものね」
 キャプテン・ハーレイでもなくて、ソルジャー・ブルーでもなくて、ただの人間。
 今のぼくたちも、このままだったら忘れ去られておしまいだものね。
 生まれ変わる前は誰だったのか、って話をしないで終わっちゃったら、それっきり…。
 コインと同じで、いつかは忘れられそうだけど…。
 その方が好きに生きていけるし、うんと幸せになれそうだものね…。



 話さなければ誰も知らない、気付かれないままで終わるのだろう自分たち。
 今の時代は伝説になった英雄、ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイが存在すること。
 前とそっくり同じ姿で、青く蘇った地球に二人で生まれ変わって。
 自分たちの正体を知っている人間は、三人だけ。
 両親と、聖痕現象を起こした時に診てくれた医師しか今も知らない、前の自分たち。
 時の彼方に消えてしまった、あのコインのように誰も気付いてはいない。
(…このまま、ずうっと黙っておいたら、コインみたいに…)
 きっと忘れられ、ただのブルーとハーレイのままで終わるのだろう。
 そんな平凡な人生もいい。
 誰にも知られず、今度は自由に、ハーレイと二人。
(だって、英雄じゃないんだもんね?)
 前の自分は英雄扱いされているけれど、ただ懸命に生きただけ。
 ハーレイと恋をして、幸せに生きたかっただけ。
 それが叶わなかったというだけ、英雄になろうと思ったわけではなかったから。
 前の自分が「じゃあ、これ…」と一枚選んだばかりに、託宣用になったコインと同じ。
 銀色の小さなコインと同じで、歴史の悪戯で偉くなったというだけだから…。




            コインの託宣・了

※フィシスがシャングリラにやって来るまで、託宣を告げていたコイン。表か裏かで。
 船の未来を決めたコインは、ひっそりと忘れ去られて、時の彼方に消えて行ったのです。
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