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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

手描きの紋章

「ほら、ブルー。綺麗でしょう?」
 おやつの時間に母が見せにやって来たお皿。学校から帰って、着替えも済ませて、ダイニングでのんびりしていたら。
 母が差し出した皿には、可愛い鳥が描かれていた。ヒイラギの枝に止まったコマドリが一羽。
 どう見ても飾っておくための皿で、実用品ではなさそうなお皿。おやつのケーキが載ったお皿とサイズは変わらないけれど。
「…クリスマス用の?」
 白地に金の縁のお皿の、殆どを占めるコマドリの絵。
 ヒイラギの枝には赤い実が幾つもついているから、クリスマスに備えて買ったのだろうか。赤い実を沢山つけたヒイラギは、クリスマスのリースの定番だから。
 かなり気が早いと思うけれども、見付けた時に買っておかないと売れてしまうのかもしれない。次に出掛けても、もう無いだとか。
 きっとそうだ、と考えたから母に訊いてみたのに…。
「そうかもしれないわねえ…」
「え?」
 ブルーの目の前、まじまじと皿を見ている母。コマドリとヒイラギが描かれた皿を。
「クリスマス用だと言われれば、そうかも…」
 ヒイラギだものね、クリスマスかしら?
 …コマドリはクリスマスの鳥だったかしらね、ママには分からないんだけれど…。
 ブルー、知ってる?
「ううん、知らない…」
 ヒイラギの絵だから、クリスマス用のお皿なのかと思っただけ…。
 ちょっと早いけど、見付けたら直ぐに買っておかないと、じきに売り切れちゃうのかな、って。



 そう答えたものの、買って来たにしては妙だと傾げた首。
 クリスマス用だと考えさえもしなかった母が、こういう絵皿を買うのだろうか?
 それともコマドリが可愛らしいから、と買い込んだだけで、ヒイラギには気付かなかったとか。
(…ママらしいけどね?)
 お気に入りの食器が幾つもある母。何か探しに店に出掛けて、実用品の代わりに飾り物の絵皿を買うかもしれない。飾りたい場所が閃いたなら。
 決め手はコマドリに違いない、と丸っこい小鳥の絵を見ていたら…。
「このお皿、お祖母ちゃんが送って来たのよ」
 お皿に絵を描く教室に通い始めたらしくて…。この絵、お祖母ちゃんが描いたんですって。
「お祖母ちゃんが?」
 このお皿の絵…。お祖母ちゃんなの、本当に?
 よく見せて、とテーブルに置かれた絵皿を覗き込んだ。コマドリとヒイラギの絵をまじまじと。
 絵を描くのは自分も得意だけれども、お皿と画用紙はまるで別物。失敗したから、と塗り直しは多分出来ないだろうし、一回限りの真剣勝負。
 それを上手に描き上げたのが祖母、買った絵皿だと思い込んだほどに。
(…上手すぎるよ…)
 何処もはみ出したりしてないものね、とコマドリの絵を指でなぞってみる。ヒイラギの枝も。
「凄いでしょ、お祖母ちゃんの腕前」
 自信作らしいわ。先生にも褒めて頂いたのよ、って通信で得意そうに話していたから。
「うん…。ぼくじゃ、こんなの描けないと思う…」
「ママも無理だわ、描き直しは出来ないらしいから…。間違えました、って消せないのよ」
 お祖母ちゃんがそう言ってたわ。描き直したら、後で見た時に分かっちゃうのよ、って。
 でもね、お祖母ちゃんに聞いた話だと…。もっと凄い人たちがいるんですって、絵を描く人。



 母が祖母から教わった話。手描きで色々な食器を仕上げる職人たち。
 簡単な下絵が入っただけの皿やカップを相手に、正確無比な絵を描いてゆく。花の絵だろうが、もっと複雑な模様だろうが。
「そういった絵をね、まるで印刷したみたいに描けるらしいのよ」
 幾つも並べて比べてみたって、何処が違うのか分からないくらいに同じような絵をね。
「なんだか凄いね、うんと練習しないと無理そう…」
 同じ絵ばかりを何度も描いたり、線を描いたりする練習とかも…。色を塗るのも。
 教室にちょっと通ったくらいじゃ、絶対、描けそうにないものね、それ…。
「お仕事なんだもの、朝から晩まで練習よ。上手に描けるようになるまで」
 売るための物を任せて貰えるのは、何年も練習してからですって。
 だから昔は、とても高かったらしいわよ。そういう食器は。
 今は寿命が遥かに延びたし、職人さんも大勢いるの。練習の時間もたっぷり取れるし…。
 でも、ソルジャー・ブルーの時代だったら、高かった筈ね。今よりもずっと。
「ぼくはそんなの、縁が無いから…!」
 食器なんかは買えなかったし、高い食器って言われても…。シャングリラとは関係無いよ。
 でも…。前のぼくが奪った食器の中には、そういうの、混ざっていたのかも…。
 誰もそうだと気が付かないから、猫に小判だけど。
「あらまあ…。それじゃ、とっても高いお皿を使っていたかもしれないのね?」
 何も知らずに、食堂とかで。…普通にお料理を盛り付けちゃって。
「だって、食器は食器だよ?」
 使うためのもので、こういう飾りのお皿じゃなくて…。
 飾り物のお皿が混じっていたって、シャングリラだったら、上にお料理、盛り付けるから!



 食器は食べるための道具だもの、とクスクス笑って部屋に帰った。
 「本当に猫に小判だわ…」と目を丸くする母に、「お料理が盛れればそれで充分」と、懐かしい船の食器事情を話しておいて。
(ホントにそうだったんだから…)
 お皿もカップも使うためのもの、と座った勉強机の前。今とはまるで違うんだから、と。
 祖母が絵を描いたコマドリの絵皿も、あの船だったら料理が盛り付けられただろう。コマドリもヒイラギも見えないくらいに、その日の料理がたっぷりと。
 食べ終わってやっと「こういう模様がついていたのか」と眺める程度で、それも一瞬。さて、と手にして係に返しに行っておしまい。「御馳走様」と。
(あのシャングリラで、手描きの食器…)
 もしも混じっていたとしたって、本当に気付いていなかっただろう。その値打ちに。
 ハーレイが備品倉庫の管理人をしていた時代も、管理人の仕事を別の仲間が引き継いだ後も。
 白い鯨になる前の船では、食器はどれも一纏めに食器。お皿か、カップか、使い道によって分類されていただけ。それとサイズと。
 割れたり欠けたりしてしまったら、新しい食器が出て来た船。ただし、前とは違うものが。
 奪った物資の中の食器は、船の仲間に行き渡るだけの数が揃っていなかったから。割れた食器と全く同じ物が常にあるほど、恵まれた船ではなかったから。
 不揃いな食器が当たり前だったシャングリラ。模様も気にしていなかった。男性用に花の模様はちょっとマズイか、と盛り付ける係が加減した程度。これは女性に渡す方が、と。



 どんなに素晴らしい食器があっても、猫に小判だったシャングリラ。
 あの時代には高かったという熟練技の手描きの食器も、安価な食器も、纏めて食器。上に料理を盛れれば充分、カップなら飲み物が入れば充分。
 シャングリラはそういう船だったけれど、もしかしたら、前のハーレイは気付いていたろうか?
 備品倉庫の管理をしていた時代に、其処へドカンと運び込まれた値打ち物の食器に。
 「これは高いぞ」と考えていたか、「手間暇かかった食器があるな」と眺めていたか。
 ハーレイなら見抜いていたかもしれない。猫に小判だった皿やカップの真価を、その値打ちを。
 誰も欲しいと言い出さなかった、木で出来た机や羽根ペンを欲しがったハーレイだから。
 「こいつは、磨けば磨くほど味が出るんだぞ」と、木の机をせっせと磨いていたハーレイ。
 あのハーレイなら、食器の値打ちも知っていたかも、という気がする。
(…どうなのかな?)
 前の自分は何も聞いてはいないけれども、気になるシャングリラの食器事情。
 一人くらいは食器の値打ちに気付いていたのか、猫に小判な船だったのか。高価だったと聞いた手描きの食器は混じっていたのか、それも分からないままだったのか…。



 ハーレイに訊いてみたいんだけど、と頬杖をついて考えていたら、チャイムの音。仕事の帰りに寄ってくれたハーレイ、チャンスは直ぐにやって来た。
 母がお茶とお菓子を置いて去った後、テーブルを挟んで向かい合わせで。
「あのね、ハーレイ、目利きは出来た?」
「…はあ?」
 何の目利きだ、それにどうして過去形なんだ?
 目利きは出来るかと訊くなら分かるが、出来たかって、ガキのオモチャの目利きか?
「そうじゃなくって…。前のハーレイだよ、目利きは得意?」
 まだ厨房にいた頃の話で、備品倉庫の管理も一緒にやってた頃の…。
「食材か? それなら出来んと話にならんが」
 でないと料理が不味くなっちまう、持ち味ってヤツを生かしてやらんと。
 肉も魚も、それに野菜も、どういう料理に向いているかをきちんと見分けて使わないとな。
「ううん、食材は出来ただろうけど…。食器の目利き」
 倉庫に色々入っていたでしょ、前のぼくが輸送船から奪った食器。
「確かに食器はドッサリあったが、食器の目利きって…」
 何なんだ、それは?
 何処からそういう話になるんだ、前の俺は目利きが出来たか、だなんて。
「えーっと…」
 お祖母ちゃんがお皿を送って来たんだよ。使うヤツじゃなくて、飾っておくヤツ。
 シャングリラでは飾っていなかったけれど、今はお皿も飾るでしょ…?



 お祖母ちゃんが絵を描いたお皿だったんだよ、とコマドリの絵皿の話をした。
 絵皿を見せてくれた時の母の話も。世の中には祖母よりずっと凄い人がいるようだ、と。様々な食器に正確無比な絵を描いてゆける職人たちが何人も、と。
「そうらしいなあ、職人技の極みってヤツで」
 昔はべらぼうに高かったと聞くぞ、手描きの食器。一枚一枚、手で描いたヤツは。
「今よりもずっと?」
 前のぼくたちが生きてた時代は、そうだったんだよね。そういう食器、とても高かった?
「当然だ。今とは時代が違うんだから」
 人間の寿命がまるで違うし、一人前になった職人が働けた年数が比較にならん。
 その上、年を取るからなあ…。身体が言うことを聞かなくなったらそれで終わりだ。今の時代は若い姿を保つもんだし、三百年は軽く現役なんだが。
 一人の職人が三十年しか働けないのと、三百年も働けるのとは、全く違うぞ。
「ママもそう言ってたから、本当に昔は凄く高かったんだろうけど…」
 前のハーレイ、そういう食器があることに気付いていたのかな、って。
 備品倉庫に入ってた食器、高い食器が混じっていたなら、分かったのかな、って…。
「なるほど、それで目利きと言ったのか…」
 俺も食器に詳しかったわけじゃないんだが…。その道のプロじゃなかったんだが。
 少しくらいなら分かっていたなあ、どれが高いか、安いかくらいは。



 食器が入っていた箱などで見当が付いたという。これは高い、と。
 頑丈な箱に詰められ、緩衝材も沢山入っているような食器。形に合わせて箱に窪みがあったり、中が布張りになっているとか。
 その上、一つ一つが薄布できちんと包まれた食器。輸送中に傷が出来たりしないように、と。
「…そんな食器も混じってたんだ…。前のぼくが奪って来た食器…」
 どうしたの、それ?
 ハーレイが見付けた、高い食器は?
「どうしたって…。普通に出したが?」
 食堂の食器が駄目になったら、そいつの代わりに。割れたり欠けたりしちまったらな。
 皿を一枚と頼まれたら皿を、カップを一つと言われりゃカップを。他の食器と何も変わらん。
 手に入った順に仕舞ってあったし、その箱の番になったら出すんだ。
「…なんで?」
 高そうだってことを知ってたんでしょ、高級品だよ?
 他の食器とは違うヤツだよ、どうして普通に出しちゃったの?
 分かってなければ仕方ないけど、ハーレイ、ちゃんと分かっていたのに…。高い食器だ、って。
「お前なあ…。あの頃の船の状況ってヤツを知ってるだろうが」
 白い鯨になった後なら、余裕は充分あったんだが…。船の中で全部を賄えたからな。
 だが、その前の時代は違った。前のお前が奪って来なけりゃ、何も手に入らない船だったんだ。食料はもちろん、食器も、他の色々な物も。
 お前がせっせと奪っていたから、飢えることだけは無かったが…。そうでなければ飢えて死ぬ。毎日が命懸けって船だぞ、戦いは無くても生きてゆくだけで。
 命懸けで生きているような船で、高級品も何もあったもんじゃない。食器は食器というだけだ。生きてゆくのに必要な食べ物、そいつを入れる器だろうが。



 食事するのに使ってこそだ、とハーレイが返した明快な答え。
 俺の後継者もそうだったろう、と。
「キャプテンになる時に引き継ぎをしたが、「食器は其処だ」と教えた程度で…」
 手に入った順に使っているから、次はこれだと指差しておいた。空になったら次がこれだ、と。
 やりやすいように整理し直してくれてもいい、とも言っておいたな。
 だから、あいつも順番に出して渡しただろうさ。これは高そうだ、と気付いたとしても。
「…ハーレイが何も言わなかったんなら、そうなるね…」
 高そうだったら残しておけとか、そういったことを。…元々、区別が無かったんだから。
 その高そうだった食器の中に、凄い値打ち物も混じってたかな?
 前のぼく、自分でも気付かない内に、人類が見たら驚くような高い食器を奪ってたのかな…?
「そこまでは知らん。高そうだな、と見ていただけだし」
 机みたいに、個人の持ち物にはならないからなあ、食器ってヤツは。
 今の俺だったら、あれこれ比べて気に入ったヤツを買うんだが…。自分の家があるからこそだ。
 あの頃の俺が自分用の食器を持っていたって、何の役にも立たないだろうが。食事の度に食堂へ運んで行かない限りは、飯を入れては貰えないんだから。
 だから全く興味は無くてだ、俺は調べてさえいない。高い食器の正体はな。
 手描きだろうが、手間暇かかった細工だろうが、知ったことではないってこった。
 要は使えりゃいいってわけで…。
 ん…?



 待てよ、と首を捻ったハーレイ。
 こだわってたヤツがいたような気が…、と。
「…俺は全く気にしてないのに、やたらと食器にこだわるヤツが…」
 確かいたんだ、新しい食器が手に入る度に…。
「誰なの、それ?」
 ハーレイと同じで、備品倉庫の係かな?
 管理はハーレイだったけれども、運び込んだり、整理する人は他にもいたから…。
「違うな、普段は倉庫じゃ見掛けない顔のヤツだった」
 新しい食器が入った時だけやって来るんだ、いそいそと。倉庫に入って箱を開けては、中の皿やカップを取り出して、それの裏側を…。
 そうだ、エラだ!
 いつもあいつが開けに来たんだ、新しく入った食器の箱を。でもって、高そうな箱だったら…。中身を出すんだ、そして裏返して眺めていた。安そうな箱なら蓋をパタンと閉めるだけだが。
 高そうだったら裏を見るんだ、必ずな。…また来やがった、と見ていたもんだ。
 その内に俺も覚えちまった、エラが裏返しそうな食器ってヤツを。



 前の自分が奪った物資に、食器の箱が紛れていた時。
 それが倉庫に運び込まれたら、箱を開けては中身を検分していたエラ。高そうな食器が詰まった箱なら、中身を出して裏返してみる。食器の裏には色々なマークが描かれていたから。
 エラは小さなメモやノートを持参していて、マークを控えて行ったという。食器の裏に描かれた文字や模様を、丁寧に紙に書き写して。
「そうやってマークを書いて行っては、調べてたようだ」
 データベースで、何処のマークか。…どういう所で作った食器か、どんな値打ちがあるのかを。
 たまに俺にも教えてくれたな、これは模様が手描きだとか。これは作るのに手間がかかるから、地味なようでも高いんだとか。
「そうだったんだ…」
 食器の目利きをやっていた人、ハーレイだけじゃなかったんだね。
 エラが詳しく調べてたんだね、どういう食器があったのかを。
「まあな。…もっとも、エラも調べてただけで、使うことに文句は言わなかったが」
 あいつも船の事情は承知だ、使ってこそだと分かっていたんだ。…食器は食事に使うものだと。
 どんなに有難い食器だろうが、使わずに倉庫に仕舞っておけとは言われなかった。
 …パルテノン御用達のヤツでもな。
「パルテノン!?」
 それって、人類の最高機関だったんじゃあ…。元老とかが所属していたトコだよ、パルテノン。
 前のぼくたちでなくても雲の上だよ、普通の人類から見ても…!
 そんな凄い食器が紛れていたわけ、前のぼくが奪った物資の中に…?
「俺もすっかり忘れてたんだが、今、思い出した。混じってたんだ」
 エラが教えてくれなかったら、高そうな食器の一つだと思っておしまいなんだが…。
 あの時はエラも、調べに行った足でそのまま戻って来たな。「これは凄いわ」と。



 エラが倉庫の中で見付けた、パルテノン御用達だという食器。
 ハーレイが言うには、なんということはない、ただの皿。白い無地の皿で、恐らくコース料理を出すためのもの。何種類かの大きさの皿が、それぞれの箱に詰められていた。
 地球の紋章すらも描かれていなかったけれど、裏のマークがそれだったという。パルテノン用の食器だけを手がける工房のマーク。
「何組くらいあったんだったか…。けっこうな数があった筈だぞ」
 シャングリラの人数の方がずっと多いから、総取り替えとはいかなかったが…。
 皿の大きさも色々あったし、これは便利だと嬉しかったな。どれが割れても代わりになる、と。
「パルテノン御用達って…。それって、高いの?」
 何の模様もついてなくても、その食器はとても高かったの…?
「とてつもなく高い値段だったと思うがな…?」
 参考までに聞かせてくれ、とエラに訊いたら、それは素敵に高かった。
 生憎と値段は忘れちまったが、とんでもなく高い皿だったことは間違いない。割れちまった皿の代わりに一枚渡す度にだ、「これ一枚で他の皿が何枚買えるんだ?」と思っていたからな。
 もしかしたら、お前が奪った分の皿の値段だけで、船中の食器が買えたかもなあ…。
 最初から船に載っていた食器、あれをそっくり新品で全部。
 前のお前は、そういう食器を知らずに奪って来たってわけだ。船のヤツらも知らずに使った。
 見た目はただの白い皿だし、どんな料理にもピッタリだからな。



 俺がキャプテンになった後にも、長いこと現役だった皿だぞ、と今のハーレイは笑ったけれど。
 シャングリラが白い鯨になった頃には、割れてしまって無かったらしい。ただの一枚も。
「これは丁寧に使ってくれよ、って注意してたわけじゃないからなあ…」
 普通の皿と全く同じ扱いで、おまけに便利に使える白だ。出番が多けりゃ、割れることも多い。
 滅多に出番の無いヤツだったら、そうそう割れはしなかったんだが。
 …どう考えても男に出すのはマズイだろう、っていう派手な花模様の皿とかだったら。
「そうなんだ…。割れちゃってたんだ、シャングリラが生まれ変わった頃には」
 もし残ってたら、船の何処かに飾れたのにね。
 パルテノンは誰でも知ってたんだし、このお皿は凄いお皿なんだ、って眺めて楽しめたのに。
 これで食事をしたことがある、って思い出した人は、うんと素敵な気分になれたよ。
 人類の中でも最高のエリートだけしか使えないお皿で食べたんだ、って。
「まったくだ。…割れちまってさえいなければな」
 こんな時代が来るんだったら、あの皿を使わずに残しておけば、とエラが悔しがって…。
 今の船なら上等な食器の出番もあった筈だ、と俺に何度も零してたっけな。…あの食器の正体を知っていたのは俺だけだったし、他には誰も知らないし…。
 ヒルマンは食器に興味が無かったらしくて、ゼルやブラウも御同様だ。前のお前も。
 そんな具合だから、エラが食器の愚痴を零せる相手は俺しかいなかった。あれがあれば、と。
 …そうだ、それでソルジャー専用の食器が出来たんだった。前のお前の専用の食器。
「えっ…?」
 それって、ミュウの紋章入りのアレだよね…?
 前のぼくと一緒の食事の時しか出て来ません、ってエラがみんなに何度も説明してたヤツ…。
「うむ。エラは覚えていたってことだな」
 特別な食器は権威を表す、とパルテノン御用達の皿どものせいで。
 専用の工房まで設けて作らせてたほど、御大層な食器が宇宙には存在するってことを。



 白い鯨が完成した頃には、パルテノンの食器に詳しかったエラ。
 倉庫に通っては食器の箱を端から開けていたほどなのだし、元から好きだったのだろう。多分、成人検査を受ける前から。
 高級な食器が幾つも出て来る家で育ったか、そういう家に招かれる機会が多かったのか。食器の裏にはその正体を示すマークが描かれている、と早い段階でエラは気付いて、興味もあった。
 幾つもの箱を開けている内に、エラが出会った最高級品がパルテノン御用達のもの。
 出会ってしまえば、深まる興味。どういう食器が其処で作られるか、どういった時に使うのか。
 暇を見付けては色々調べて、エラの頭に刻み込まれたパルテノンの食器のラインナップ。
 最高峰は国家主席クラスの者たちが使う食器で、その頂点が晩餐会用。
 エラはそこまで調べ尽くしていて、それに倣ってソルジャー専用の食器を作り出そうと考えた。人類の頂点に立つのが国家主席なら、ミュウの頂点はソルジャーだから。
 専用の食器を是非作りたいと、そうすればソルジャーは更に特別な存在になる、と。



 思い付いたエラが招集した会議。ソルジャーとキャプテン、それに四人の長老が集った。
 その席でエラが披露した案。
 国家主席クラスの者が晩餐会で使う食器には、地球の紋章が描かれるもの。その時しか出ない、特別な食器。それを真似てソルジャー専用の食器はどうか、と。
「…もちろん、地球の紋章などは入れません。あれは人類の紋章ですから」
 私たちには、ちゃんとミュウのための紋章があります。地球の紋章と入れ替えるだけで、立派な食器になることでしょう。
 人類は晩餐会でしか使わないようですが、この船ではもっと幅広く。
 ソルジャーには普段から使って頂いて、ソルジャーも御一緒の食事などでは、他の者たちにも。
 この食器のセットは、お茶の席でも使えるのです。デザート用までが揃いますから。
 カップとデザート用のお皿だけを抜き出せばお茶の会も…、とエラが揮った熱弁。
「いいねえ、そいつは愉快じゃないか」
 あたしは大いに賛成だよ。…国家主席は今は空席だしねえ、晩餐会も無いんじゃないのかい?
 人類の世界じゃ、その食器セットは埃を被っているってわけだし…。
 代わりに使ってあげようじゃないか、あたしたちがさ。…ミュウの紋章入りなんだけどね。
 賛成、とブラウが挙げた右の手。
「悪くないのう。…人類は虫が好かんものじゃが…。わしは全く好きになれんが…」
 人類の真似も、そういうことなら面白いじゃろう。ミュウも負けてはおらん、とな。
 国家主席並みに偉いのがミュウのソルジャーなんじゃ、とゼルも賛同した。
 ヒルマンも賛成、この段階で賛成票が過半数。
 肝心のソルジャーの意見はもとより、キャプテンの意見も訊きもしないで、エラの提案は見事に通った。
 会議はそういうものだったから。シャングリラの命運を左右するような議案以外は、多数決。
 ソルジャーもキャプテンも出番が無いまま、閉会となってしまった会議。他の四人が拍手喝采、次の会議では食器を作る計画を具体的に、と約束までして。



 ソルジャーとキャプテンの意向は全く訊かずに、エラの計画は進んでいった。
 白い鯨になった船だからこそ作れる、ソルジャー専用の食器。手本にするのはこれだ、とエラがデータベースから引き出して来た、パルテノン御用達の食器の資料。
 国家主席クラスの晩餐会で使われる様々な食器。それをそっくり真似て作れる腕を持った仲間が何人も選ばれ、地球の紋章は手描きされるというものだから…。
「エラときたら、紋章を描かせるために、熟練の仲間まで育てやがったんだ…!」
 絵の上手いヤツらに練習させてだ、ミュウの紋章を食器にスラスラ描けるようにな。
 カップだろうが、スープ皿だろうが、あの紋章を手描きで狂いなく、だ。
「思い出した…!」
 毎日、特訓していたんだよ。専用の部屋で、絵の上手い仲間が何人も…。
 最初は普通のお皿にちょっと加工して、描いたり消したり出来るようにして…。
 上手に描けるようになったら、次はカップとかスープ皿とか…。
 どんな食器でも綺麗に描けます、っていう腕前になったら本物の専用食器の出番。此処だ、ってエラが決めていた場所に、ピタッと紋章を描いてたんだよ、あの仲間たち…。
 何年も練習したわけじゃなくて、ほんの三ヶ月ほどだった…?
 それだけであんなに上手に描けたの、命懸けの船で生きてたからかな…?
「…そうかもなあ…。ついでに、絵を描く仕事だというのも大きかったかもな?」
 生きるか死ぬかの毎日だったら、そんな仕事があるわけがないし…。
 船の外では生きられなくても、船の中なら安全だからこそ絵を描くことを仕事に出来る。
 こいつは大きな生き甲斐になるぞ、絵さえ描いてりゃいいんだから。元から絵が好きだった仲間ばかりだ、仕事に出来れば嬉しいだろうさ。
 ミュウの紋章を描く時は真剣勝負だったが、他の時は好きに描けば良かった。食堂で使う色々な食器に、自分がこれだと思った絵をな。



 僅かな期間でエラが育成した、ミュウの紋章を見事に描ける熟練の仲間たち。
 ソルジャー専用の食器の全てにあまりに正確に描かれた紋章、手描きとはとても思えなかった。幾つも並べて見比べてみても、まるで違いが分からない出来。
 それが食器を作ろうと思い付いたエラの自慢でもあった。パルテノン御用達の工房以上に、いい腕を持った職人が船に揃っていると。シャングリラの工房の方が遥かに上だ、と。
「…ハーレイ、あの食器…。今は復刻版のが出てるけど…」
 ミュウの紋章、ちゃんと今でも手描きなのかな?
 熟練の人たちが描いているのかな、何年も何年も練習してから…?
「俺は知らんが、あのシリーズの食器…。それほど高くはないからなあ…」
 手描きだったら、もう少し高くなるんじゃないか?
 いくら手描きの食器が安い時代でも、あの値段で熟練の職人技は無理だと思うぞ。
「やっぱり、ハーレイもそう思う…?」
 ぼくもパンフレットを見たことあるから、そんなに高くないのは分かるよ。
 お小遣いでは買えないけれども、貯めておいたら、少しずつ揃えていけそうだもの。
 お皿を一枚とか、カップを一個とか、そんな感じで。



 今の自分のお小遣いを貯めれば、少しずつ集めていけそうなソルジャー専用の食器の復刻版。
 熟練の職人の手描きだったら、それは流石に無理だろう。ほんの子供のお小遣いでは。
 誰も気付かなかったのだろうか、熟練のミュウの職人技に。
 あまりにも正確に描かれていたから、印刷なのだと信じたろうか…?
「どう思う、ハーレイ? あの食器、勘違いされちゃったかな…?」
 船の中だけで作ってたんだし、印刷だろう、って。
 ソルジャー専用の食器だけれども、あんな時代に手描きで上手に描けやしない、って。
「そうなんじゃないか? …多分」
 高い値段はついていないし、売られているのはあれしか無いし…。
 手描きだったと分かっているなら、他に手描きが売りのシリーズを作るだろう。本物志向の人に合わせて、より本物に近い物ならこちらをどうぞ、と。
 それが存在しないってことは、印刷なんだと誰もが信じているってことだ。手描きシリーズも、作れば充分、売れるんだから。
「…そうだよね…。手描きがいいな、って人もいるよね」
 ちょっぴり高くても、本物に近いのはこっちだから、って。…でも、無いんだし…。
 印刷なんだと思われてるよね、前のぼくの食器のミュウの紋章。
 エラの努力は、ちっとも報われていないんだけど?
 ぼくの意見を訊きもしないで、パルテノン御用達の食器に対抗したのに。
「別にいいじゃないか、エラの努力の評価はともかく」
 リーズナブルな値段なんだぞ、ソルジャー専用の食器の復刻版。
 印刷なんだと勘違いされてしまったお蔭で、手描きの食器よりも安い値段で買えるってな。



 あれさえ買ったら、誰でもソルジャー主催の食事会の気分になれる皿で…、とハーレイが瞑った片方の目。パチンと、それは悪戯っぽく。
「お前も買うか、安いんだから」
 今はチビだし、前に要らんと言っていたような気もするが…。
 こうして由来を思い出したら、お前の考えも変わりそうだぞ。ただの食器じゃなかったんだ。
 エラが努力に努力を重ねて、あのとんでもなく有難い食器を作ったってな。
「うん。最初は倉庫で、食器を端から裏返してマークを調べるトコから…」
 シャングリラの食器が猫に小判だった頃から、エラはせっせと調べてたんだし…。
 それを聞いちゃったら、あの食器、買わずに放っておくのはエラに悪いかな?
 どうしよう、ハーレイ、買った方がいい?
 …今は要らないけど、いつかハーレイと一緒に暮らす時には。
「さてなあ…?」
 どうするべきかな、手描きの食器よりかは安く買えるんだしなあ…。
 話の種に買うのもいいなあ、お前が嫌がらないならな。



 ゆっくりと考えておけばいいさ、とハーレイに言われたソルジャー専用の食器の復刻版。
 エラが熟練の仲間を育成したのに、腕が良すぎて、印刷なのだと勘違いされたミュウの紋章。
 お蔭ですっかりリーズナブルになってしまった、遠い昔の職人技。
 あの時代には、手描きの食器はとても高価なものだったのに。
(…エラはホントに頑張ったのにね、倉庫に通って食器のマークを調べたりして…)
 エラの努力は報われなくて、今は印刷のミュウの紋章。ソルジャー専用の食器の復刻版は。
 それも愉快だから、いつかハーレイと暮らす時には買ってみようか。
 もう一度あれを使ってみようか、仰々しかったミュウの紋章入りの食器を。
 遠く遥かな時の彼方で、「あれは手描きの紋章ですよ!」とエラが怒っていそうだから。
 こんな筈では、と悔しがるエラの姿が見えるようだから。
 使ってみようか、前の自分のための食器の復刻版を。
 「今のぼくのお皿は、印刷になってしまったけれど?」と、エラにクスクス笑い掛けながら…。




            手描きの紋章・了

※前のブルーが使っていた、ソルジャー専用の食器。ミュウの紋章は手描きだったのです。
 エラの肝いりで出来たのですけど、印刷だと思われてしまった後世。それも愉快な結末かも。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv











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