シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(ふうん…?)
こんな鳥がいるんだ、とブルーが覗き込んだ新聞。学校から帰って、おやつの時間に。
イソシギという小さなシギ。名前だけだと、海の鳥のように思えるけれど。
(イソって、海の磯だよね…?)
多分、そう。他には思い付かないから。けれども、磯の名を持つイソシギ。ヒョロリと足の長い鳥は、海の側にいるだけではなくて…。
(この町にも…)
隣町にもいるらしい。ハーレイの両親が住んでいる町。どちらにも海は無いというのに。
川があったら、其処で子育てを始めるイソシギ。河原に小さな巣を作って。
今の季節は南へ移ったようだけれども。雛も立派に成長したから、暖かい場所へ渡って行った。其処で冬を越して、また来年に戻る夏鳥。卵を産んで雛を育てるために。
イソシギなのに海に住んでる鳥じゃないんだ、と読み進めた記事。面白いね、と。河原で子育てするのにイソシギ。河原と磯は違うのに。
そうしたら…。
(偽傷するんだ…)
子育て中のイソシギの親。
卵を抱いている真っ最中やら、雛が小さい間のこと。敵が現れたら、巣を離れる。自分が逃げるためにではなくて、卵や雛を守ろうとして。
偽傷というのは言葉そのまま、偽の傷。怪我はしていないのに、怪我をしたふり。
そういう鳥がいるのは知っていた。イソシギと同じで、河原で子育てする千鳥。
何かで読んだことがあるから。雛や卵を守る親鳥、傷を負ったようなふりをして。翼をバタバタさせて飛べないふりをするとか、片方の翼を引き摺りながら歩くとか。
卵や雛を狙っていた敵は、同じ食べるなら大きな親鳥がいいと思うから、追ってゆく。捕まえて食べてしまおうと。
追ってくる敵に捕まらないよう距離を保って懸命に歩いて、巣から充分離れた後に逃げる親鳥。空へ向かって。敵はポカンとする他はなくて、親鳥は雛や卵の所に戻るという。
偽傷するのは千鳥だけかと思っていた。今の今まで。
(チドリ目、シギ科…)
イソシギは千鳥の仲間だろうか、チドリ目なら。それで偽傷をするのだろうか?
残念なことに、記事にはそこまで書かれていない。チドリ目の鳥は全部そうなのか、鳥によって違いがあるのかは。
(ぼくは千鳥も見たことないけど…)
会ったことがない、河原で子育てしている千鳥やイソシギ。河原に出掛けたことはあるのに。
気付かなかっただけかもしれない、卵や雛に近付かなければ、親鳥は偽傷しないから。雛に運ぶ餌を探していたって、怪我をしたふりをしない限りは普通の鳥にしか見えないから。
(…そうだったのかも…)
両親たちと河原で広げたお弁当。石を拾って遊んだりもした。
あの時も千鳥やイソシギは何処かにいたかもしれない。のんびりと餌を探しながら。
自分は出会い損ねたけれども、ハーレイの父なら出会っただろうか。こういう鳥たち。雛や卵を守り抜こうと、怪我をしたふりを始める親鳥。
釣りが大好きなハーレイの父は、川でも釣りをするのだから。魚が釣れる場所を探して、河原を歩き回るのだから。
巣がある場所など分からないから、近付くこともあるだろう。知らない間に。
親鳥の方も、人間の狙いが魚だと分かる筈もないから、慌てて偽傷を始めるのだろう。卵や雛を守らなければと、人間を巣から遠い所へ連れて行かないと大変だ、と。
(きっと急いで離れるんだよね、人間だって)
傷を負ったふりをする親鳥を見たら。それが偽傷だと知っていたなら。
(知らない人なら、怪我をした鳥だと思って助けに行くかもしれないけれど…)
鳥の性質を知っている人は、元来た方へと戻るだろう。そちらには巣が無いのだから。驚かせてごめん、と謝りながら。「帰っていいよ」と、「巣にお帰り」と。
ハーレイの父でなくても、誰でも。
親鳥が早く卵や雛の所に帰れるようにと、追ってゆかずに自分が離れる。少しでも早く、親鳥が巣に戻れるように。大切にしている卵や雛と離れていないで済むように。
今はそういう時代だから。
人間の親も、自分の子供を守るもの。イソシギの親にも負けない愛情。
卵で生まれるわけではなくても、血の繋がった本物の家族があるのだから。
(…前のぼくたちが生きてた頃だと…)
事情はまるで違っていた。本物の家族は何処にも無かった。トォニィたちが生まれるまでは。
機械が人工子宮で育てて、養父母に渡していた子供。生まれたばかりの赤ん坊を。
養父母と子供の組み合わせさえも、全て機械が決めていた。この子は此処、といった具合に。
SD体制が始まった頃には、それでも不都合は無かっただろう。養父母たちは十四歳になるまで子供を育てて、送り出すだけで良かったから。偽物であっても、家族は家族。愛情だって。
ところが、ミュウが生まれ始めたら、家族の形も変わってしまった。
(…ミュウが見付かったら、処分だものね…)
養父母に通報されてしまった子供もいた。ミュウを処分するユニバーサルに。
自分の評価が悪くならないよう、通報してしまう酷い親たち。自分が育てた子供なのに。
(…通報したら、殺されちゃうのに…)
それを承知で通報した親。
機械がそのように教えていたから、自分の子供を。
幼い子供を守ってやろうと努力する代わりに、自分自身を守ろうとして。
イソシギの親とはまるで違った、あの時代の酷い養父母たち。イソシギの親たちは、自分の命を危険に晒して雛や卵を守るのに。傷を負ったふりをして巣を守るのに。
いくら勝算があるにしたって、敵わない敵もいるだろう。その親鳥まで捕まえるような。無事に空へと飛び立つ前に、食べられることもあったのだろう。
それでもイソシギは卵や雛を守り続けて、今の時代もそういう習性。
敵が来たなら、飛べないふり。自分が怪我をしているふり。卵や雛を守り抜くために。
SD体制の時代の親とは比較にならない、深い愛情。前の自分が生きた時代は、イソシギの方が上だった。命懸けで子供を守るイソシギ。
(…ジョミーのママは違ったけれど…)
ジョミーを育てていた養母。彼女はジョミーを通報しようとしなかった。
目覚めの日を控えたジョミーが口にした言葉、それは危険なものだったのに。もしも子供が口にしたなら、ユニバーサルに直ちに知らせるべきだったのに。
(…ジョミーのママは、何もしなくて…)
代わりにジョミーを抱き締めていた。自分まで瞳に涙を浮かべて。
ジョミーの言動を監視していたユニバーサルから職員が来ても、彼女は何も話さなかった。ただ驚いて、ジョミーを心配し続けて…。
(…これを着せてあげて、って、パジャマまで…)
職員たちに渡していた。ジョミーはバスルームから検査室へと運ばれたから。
きっと、ああいうケースが例外。
あの時代ならば、有り得ないような。
少なくとも前の自分は知らない。ジョミーの母の他には、一人も。
自分の立場が危うくなっても、子供を守ろうとしていた親。イソシギの親を思わせる親は。
おやつを食べ終えて、部屋に帰って。
勉強机に頬杖をついて、さっきの記事を考えた。怪我をしたふりをして卵や雛を守る親鳥。
(イソシギ…)
会ってみたい気がする、河原の鳥。懸命に子供を守る親鳥。
今の時代の親子ならば普通の愛情だけれど、前の自分が生きた時代は違ったから。人間の家族は全て偽物、イソシギの方が子供を大切にしていたのだから。
人間が愛情を失くした時代も、それを失わなかったイソシギ。会ってみたい、と思うイソシギ。
(ハーレイのお父さん、連れてってくれるかな?)
釣りのついででかまわないから、と考えていたら、仕事帰りのハーレイが来てくれたから。
お茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで向かい合うなり、訊いてみた。
「あのね、ハーレイ…。イソシギって知ってる?」
河原に住んでる鳥らしいんだけど…。夏鳥だけど。
「知ってるが…。いきなり、どうした?」
怪訝そうな顔をしているハーレイ。イソシギがどうかしたのか、と。
「イソシギに会ったことはある?」
「まあな。…そういう季節に川に行ったらいるもんだし」
親父の釣りについてった時に、何度も会ったな。
釣りには丁度いいシーズンだしなあ、イソシギが来ている季節ってヤツは。
ガキだった頃からよく見たもんだ、とハーレイが話すものだから。
それなら、と早速、偽傷のことを訊くことにした。イソシギの親がする、怪我をしたふり。
「ハーレイ、イソシギ…。怪我してた?」
「怪我?」
別に、元気なもんだったが?
病院に連れて行かないと、と親父と慌てたことだって無いし。
「そうじゃなくって、怪我をしたふり。…羽をバタバタさせるだとか…」
飛べなくなったふりをするんでしょ、卵とか雛を守ろうとして。
巣があるのとは違う方へ歩いて行くものなんでしょ、イソシギの親は…?
「あれか…。そういうヤツなら見たことがあるな」
なんだかバタバタしているぞ、と思って見てたら、親父に「こら!」と叱られた。
さっさとこっちに来てやれ、と。
飛べないふりをしているだけだと、この近くに巣があるんだろうと。
「やっぱりそうなんだ…。ぼくが考えてた通り…」
「あれがどうかしたか?」
親父と一緒に戻り始めたら、バタバタするのはやめちまったが…。飛んでは行かなかったがな。
暫くこっちをじっと見てたな、俺たちが戻って来るんじゃないかと心配そうに。
「そうだろうね。本当に卵や雛を狙っているんだったら、戻って来るかもしれないし…」
でも、ハーレイのお父さんならそうするよね、って思ってたんだよ。
怪我をしたふりをするイソシギを見たら、きっと急いで離れるよね、って。
予想通りの行動を取ったハーレイの父。イソシギの巣から離れなければ、と。
まだ子供だったハーレイを「こら!」と叱って、急いで二人で戻って行った。巣の無い方へ。
「親父でなくても、誰でも離れると思うんだが?」
必死なんだぞ、イソシギの親は。敵が来たから、とにかく子供を守らないと、と思ってな。
俺たちは敵ってわけじゃないんだし、怖がらせたら悪いじゃないか。
命懸けで頑張らなくてもいいぞ、と離れてやるのが礼儀ってモンだ。知っているなら。
「そうなんだけど…。それを自然に考えられるの、今の時代だからなんだよ」
親は子供を守るものだ、って分かっているから、誰でも急いで巣から離れていくけれど…。
前のぼくたちの時代だったら、多分、教えるものだったと思う。イソシギは敵が現れた時には、そうやって怪我をしたふりをする、って。可哀相だから、人間は急いで離れましょう、って。
子供がどんなに大切なのかは、きっと誰にも分かってなかった。
ミュウはともかく、人類の方は。…子供の社会と大人の社会は別だったから。
命懸けで子供を守るどころか、通報しちゃう人だっていたよ。この子は変だ、って気付いたら。
自分の評価が下がらないように、ユニバーサルに。
「確かになあ…。とんでもない時代だったんだっけな、前の俺たちが生きてた頃は」
あの時代の養父母たちがイソシギの親を見たとしたって、知識があるというだけだな。
怪我をしたふりをしているようだし、急いで離れてやらないと、と。
子供と一緒の時に出会っても、子供にもそう教えるだけか…。「鳥さんが可哀相だから」と。
「でしょ? イソシギがどうして必死なのかは分からないんだよ」
子供を守ることが大切、って誰も考えないんだから。
シャングリラはそうじゃなかったけれど…。子供はみんなで大切に育てていたけれど。
でも、シャングリラだって、トォニィたちが生まれるまでは本物の親子はいなかったしね…。
SD体制が敷かれた時代は、自分の命を危険に晒して子供を守る親はいなかった時代。
血の繋がった親子はいないし、機械も「子供を守れ」と教えなかったから。養父母として育ててやれば充分、子供の育て方さえ機械が教えていた時代。養父母向けの教育ステーションで。
「だけど、ジョミーのお母さんは違っていたよね…」
ジョミーに目覚めの日のことを「寂しくない?」って訊かれても、一瞬、ビックリしてただけ。
「ぼくがこの家からいなくなっても、ママは寂しくない?」って…。
そんなこと、言っちゃ駄目だったのに…。子供が言ったら、通報しなくちゃ駄目だったのに。
ジョミーのお母さんはそうしなかったよ、代わりにギュッと抱き締めただけ。「大丈夫」って。
ちゃんと立派な大人になれる、って…。
あんなお母さん、ぼくは一人しか知らなかった。…ジョミーのお母さんの他には知らない。
「そうだな、立派なお母さんだった。ジョミーを育てたお母さんは」
…待てよ、お前は知らないのか…。その様子じゃ、お前、知らないんだな。
「何を?」
知らないっていうのは、前のぼくなの、今のぼくなの?
「今のお前だ。…前のお前は知るわけがない。死んじまった後の話なんだから」
学校の授業じゃ習わないかもな。…俺も習いはしなかったし」
「授業って…。何の話?」
「歴史の授業だ。…コルディッツだ」
シャングリラが人類と本格的な戦闘状態に入った後。
人類の方は、ミュウの摘発に躍起になった。ミュウの因子を持ったヤツらを端から捕えて。
そうやってミュウと判断された人間は全部、収容所送りになったんだ。
子供だろうが、国家騎士団に所属していた軍人だろうが、一人残らず、容赦なく…な。
ミュウ因子を持った人間たちが移送されたのがコルディッツ。
どういう歴史の悪戯なのか、ジュピターの上空にあった収容所。ジュピターは因縁の星だった。かつてメギドの炎に焼かれたアルタミラ。それはジュピターの衛星の上にあったのだから。
ガリレオ衛星の一つ、ガニメデ。遠い昔にアルタミラごと砕けてしまったジュピターの衛星。
人類はわざと其処を選んだか、単なる偶然だったのか。それは今でも分からない。
ミュウの収容所はジュピター上空に作られ、コルディッツと名付けられていた。ソル太陽系へと侵攻して来たミュウに対する切り札として。
ミュウが戦いを止めないのならば、コルディッツをジュピターに落下させると脅した人類。
もしもコルディッツが落下したなら、大勢のミュウが犠牲になる。それでも来るか、と。
けれども、ジョミーは脅しに屈することはなかった。
シャングリラはそのまま進み続けて、キースの部下のスタージョン中尉が下した決断。
マードック大佐の制止に耳を貸さないで押した、コルディッツを落下させるためのボタン。死が待つ星へと一直線に落ちてゆく収容所を、ゼルの船とナスカの子たちが救った。
誰一人として犠牲にはならず、救出された仲間たち。落下が止まったコルディッツから。
歴史の授業で習っていたから、今の自分も知っている。コルディッツも、それがあった所も。
前の自分は死んでしまった後だったけれど、人類はなんと酷かったのか、と。
「コルディッツのことは知ってるよ?」
人類は酷いことをしたよね、本当に最後の最後まで。それまで普通に暮らしてた人も、捕まえてしまったんだから。…ミュウの因子があるってだけで。
誰もサイオンは使ってないのに、ミュウらしいことは何もしていないのに…。
「…知ってるだろうな、コルディッツのことは教わるからな」
こういう歴史がありました、と。…だが、授業ではそこまでだ。一般人が大勢送られた、とな。
コルディッツに収容されてた人間までは習わない。軍人も子供もいた、って程度で。
その大勢の中にいた人間が問題なんだ。…前のお前も知っている人が混じってたってな。
「前のぼくって…。そんな人があのコルディッツに?」
…誰がいたの、誰がコルディッツにいたっていうの?
前のぼくの知り合い、普通に生きてた人間の中には一人もいないと思うんだけど…?
「それがいたのさ。…ジョミーの親だ」
「えっ…」
ジョミーの親って、まさかジョミーのお母さんが!?
お母さんはミュウじゃなかった筈だよ、因子があったら気付いてたよ!
それって何かの間違いじゃないの、何か手違いでもあったんじゃないの…?
「…間違いじゃない。しかし、手違いでもなかったんだ」
あそこにはジョミーの両親がいた。…ジョミーのお母さんだけじゃないんだ、お父さんもだ。
もちろん二人とも、ミュウじゃなかった。
だから、本当なら行かなくてもいい。誰も連行しようともしない。
それでも二人は選んだんだ。…コルディッツに行くという道を。ミュウ因子があると判断された子供と一緒に、自分たちも、と。
ジョミーを育て上げた二人が、その後に新しく迎えた子供。レティシアという名の女の子。
元々はスウェナ・ダールトンが養母だったけれども、離婚して失った養母の資格。
新たに選ばれた養父母がジョミーの両親、彼らは全てを承知で娘になる子供を迎え入れた。まだ幼いから、新しい環境にも充分に馴染んでくれるだろうと。
そして穏やかに暮らしていたのに、アルテメシアはミュウの手に落ちた。安全な場所へ、と移住しようと向かったノアで、ミュウだと断定されたレティシア。
連れ去られようとしたレティシアと一緒に、ジョミーの両親は収容所に行ってしまったという。今もその名が伝えられているコルディッツへ。
「なんで…。なんで、ジョミーのお母さんたちが?」
お母さんたちはミュウじゃなかったのに、どうしてなの…!
ミュウだと分かった子供と一緒に行ってしまったら、殺されたって仕方ないのに…!
「…分からないか? ジョミーを守れなかったからだ」
ジョミーのお母さんは覚えていたんだ、ジョミーがどんな目に遭ったかを。目覚めの日の前に、深層心理検査だと言って、ユニバーサルが何をしたのかを。
…もうあんなことは二度とさせない、と飛び出して行ったのがお母さんだった。警備兵が大勢、銃を突き付けていたのにな。この子は自分が守るんだ、って。
そしてジョミーのお父さんだって、やはり忘れちゃいなかった。ジョミーのことを。
自分の娘は守ってみせると、今度こそ守ってやらなければ、と警備兵の前に出て行ったんだ。
後は分かるな、レティシアを離そうとしなかった以上は、二人ともコルディッツ送りだろうが。
「…ハーレイ、そのこと、知っていたの?」
前のハーレイは知っていたわけ、ジョミーのお母さんたちがコルディッツの中にいたことを?
「いや…。今から思えば、あの通信がそうだったんだな、と思うだけで…」
コルディッツの件で、人類軍から脅されてた時。
…スウェナ・ダールトンからの通信があった。シャングリラにな。
ジョミーが切らせてしまったんだが、多分、伝えようとしていたんだろう。コルディッツに誰がいるのかを。…ジョミーの親がいるとなったら、見捨てるわけがないんだから。
けれど、伝わらなかった通信。シャングリラにも、それにジョミーにも。
コルディッツはゼルたちが救ったけれども、救い出された者たちは皆、シャングリラには来ずに終わってしまった。地球を目指す船に彼らを乗せたら、お荷物になるだけだから。
ゼルの船もまた地球に向かうから、応援を呼んで安全な星へと送り出した。もう二度と戦場にはならない星。ミュウの支配下にある星へ向かって。
「…その時に名簿を作ったわけでもないからなあ…」
みんな纏めて仲間なんだし、調べる必要も無いだろうが。コルディッツには色々な仕事が出来る人材が充分揃っていた。維持してゆくのに欠かせない仕事は、何もかもミュウがやっていたんだ。
だからこそ簡単に捨てられたわけだな、人類は一人もいないんだから。
前の俺たちからすれば、人類のスパイがいるわけがない、ということになるんだし…。
もう心配は要らないから、と送り出したらそれで良かった。…安全な星へ。
名簿も何も作りもしないで、地球を目指しただけなんだよなあ…。
救い出した仲間が誰だったのかも、調べないままでシャングリラは地球に向かったから。
前のハーレイも、もちろんジョミーも、最後まで知らないままだったという。
コルディッツに誰がいたのかを。
目覚めの日の後、シャングリラに連れて来られたジョミーが「ぼくを帰せ」と叫んだ家。帰って会いたかった両親、その両親が直ぐ側に揃って来ていたことを。
ジョミーとの再会を果たすことなく、ジョミーの両親はソル太陽系を離れて行った。迎えの船に移って、安全な星へ。守り抜いた娘のレティシアを連れて。
「…ハーレイ、なんで知ってるの…?」
ジョミーのお母さんたちのこと…。前のハーレイは知らなかったのに、何処で分かったの?
「前の俺の記憶が戻って来た後、たまたま見付けた資料ってヤツだ」
何を調べていたんだったか、ついでにポロッと出て来たってな。ジョミーの名前が。
なんだってこんな所に出て来るんだ、と読んでいったら、ジョミーの親の方だったってわけだ。
ジョミーが気付いていたんだったら、重要な資料になるんだろうが…。そうじゃないから、他の資料と一纏めにされていたってな。偶然の出会いすらも無かったんだし。
だが、あの時代に、そういう立派な親がいたんだ。…命懸けで子供を守ろうとしていた親が。
血も繋がってはいないというのに、子供を離そうとしなかった親がな。
ジョミーはいい両親を持ったってことだ、お母さんも、それにお父さんも。
「…でも、ジョミーは知らないままで終わったんだよね…」
お母さんたちが側まで来ていたってことも、子供を守ろうとして頑張ったことも。
ミュウだと分かってしまった子供を必死で守って、コルディッツまで一緒に行ったってことも。
…なんだかジョミーが可哀相だよ、最後まで気付かなかっただなんて…。
「俺も思った、知った時には。…ジョミーに知らせてやりたかった、と」
何もかも手遅れなんだがな…。
今の俺が今頃気付いたってだ、ジョミーは何処にもいないんだから…。
もっとも、それだけ子供を大事に思ったお母さんたちだ。何処かでジョミーに会えたと思うぞ、お母さんたちの方が遥かに長生きしたんだろうがな。
きっと会えたさ、とハーレイは穏やかな笑みを浮かべた。俺とお前が会えたみたいに、と。
「ジョミーがあんなに会いたかった親だ。神様が会わせて下さっただろう」
お母さんたちが生きてた間は無理だったろうが、きっと何処かで。
…もしかしたら、本物の親子にだってなれたかもなあ、記憶があったかどうかはともかく。
ジョミーはとんでもない悪戯っ子で、お母さんたちは手を焼きっ放しで。
そういや、イソシギの話だったか。あの鳥の鳴き声、知ってるか?
「知らないよ?」
新聞には書いてなかったし…。ぼくはイソシギ、そうだと思って見たことがないし。
「ツィーリーリー、と鳴くんだが…」
聞き方によっては、面白いことになるらしい。…聞きなしっていうのは知ってるか?
鳥のさえずりを人の言葉に当て嵌めるヤツだ、覚えやすく。それをイソシギでやるんだが…。
「どんな風になるの?」
イソシギの鳴き声、人間の言葉にしたなら、どうなるわけ?
「俺にはそうは聞こえなかったが…」
イソシギはこう鳴くんだそうだ。「私を可哀相だと思って」とな。
「ええっ?」
全然違うよ、それって変だよ。…だって、イソシギ、ツィーリーリーって鳴くんでしょ?
ちっとも重ならないんだけれど…。可哀相も何もないんだけれど…!
ツィーリーリーと、「私を可哀相だと思って」。
何処も重なりそうにないから、騙されたのかと思ったけれど。両親に会えずに死んでしまった、可哀相なジョミーの話なのかとも考えたけれど。
「今の俺たちの言葉じゃ無理だな、ツィーリーリーとしか聞こえんだろう」
古い昔の言葉で聞いたら、そうなるんだそうだ。…人間が地球しか知らなかった頃の。
前に歌ってやっただろうが、前のお前にも教えてやったスカボローフェアを。
あの時代のイギリスの言葉を聞き慣れていたら、そういう風に聞こえるってな。
「そうなんだ…?」
言葉は変わっていくものね…。だから古典もあるんだものね。
今とは全く違った意味の言葉だったり、別の響きになっちゃっていたり。
「そんなトコだな、だから俺にもサッパリ分からん」
俺は日本の古典の教師で、イギリスの古典は範疇外ってヤツだから…。
そう聞こえるんだ、と本で読んだ程度で、どういう風に当て嵌めるのかは分からんな。
ただ、印象的だったもんだから…。それでそのまま覚えちまった。「私を可哀相だと思って」と鳴いてるんだと、ツィーリーリーはそういう意味だ、と。
親とのさよならを悲しむように鳴く鳥なんだ、と書かれていたっけなあ…。
「…さよなら?」
親と別れてしまうの、イソシギの子供は?
怪我をしたふりで守ってくれてた、お母さんたちとお別れなの?
…そりゃあ、いつかは雛も巣立ちをするんだろうけど…。
「巣立ちが早い鳥なのさ。イソシギってヤツは」
卵から孵って、半日もしたら巣から離れるくらいにな。
そのくらいだと、まだ目も見えていない鳥の雛も沢山いるっていうのに。
巣立ちが早いらしいイソシギ。たったの一ヶ月で訪れる巣立ち。
敵が来たなら、傷を負ったふりをして卵や雛を守っていた親。命懸けで守ってくれた親鳥。
その親鳥から離れて巣立つしかない、イソシギの子供。一ヶ月しか一緒にいないで。
「可哀相だね…。イソシギの子供」
鳴き声の意味が分かる気がするよ、ぼくにはそうは聞こえなくても。
「可哀相だと思って」って鳴くよね、まだ小さいのに、お母さんたちとお別れなんだから…。
命懸けで守ってくれていたほど、優しいお母さんたちなのに…。
「そう聞こえるってだけなんだがな」
人間様の耳が勝手に聞いているだけだ、そういう風に。こう鳴いてるな、と。
巣立ちをしようっていう雛は至って元気なものさ。一人前に空も飛べるし、餌も獲れるし。
次の年には自分が子供を育てるんだぞ、仲間と一緒に旅に出てって、河原に戻って来る頃には。
ジョミーの時と一緒にするなよ、「家に帰せ」と鳴くようなヤツはいないだろう。
巣にちんまりと座っているより、空を飛ぶ方が楽しいだろうが。人生を謳歌するってヤツだな、鳥の場合は人生と言わんかもしれないが…。
今の時期だと、この辺りのはもう旅立ってるな。暖かい所で冬を越そうと。
「らしいね、新聞にもそう書いてあったよ」
夏鳥だから、今の季節は旅立つ頃です、って。また来年に河原に戻って、雛を育てるって。
敵が近付いたら、怪我をしたふりをして卵や雛を守りながら。
この町の川でも、隣町の川でも、河原に行ったら、イソシギに会えるらしいから…。
それでね…。
イソシギに会いに行きたいな、と話してみた。
大きくなったら、ハーレイのお父さんに案内して貰って、と。
「…お父さん、川に詳しいでしょ?」
イソシギが住んでる河原にも詳しそうだから…。ぼくを連れてって欲しいんだよ。
最初からそう思っていたけど、ジョミーのお母さんたちの話を聞いたら、会いたい気持ちが倍になったよ。…だって、ホントにイソシギみたい…。
あんな時代に、命懸けで子供を守ったなんて。…コルディッツまでついて行っただなんて。
「そうだな、まさにイソシギだよなあ…。怪我をしたふりはしていないんだが…」
人類だったのに、ミュウと一緒に収容所に行こうって勇敢さだ。
そうやって必死に子供を守って、立派に守り抜いたんだし…。コルディッツから子供と一緒に、無事に戻って来たんだからな。
よし、いつか親父に頼んでやろう。イソシギに会える所へ連れてってくれ、って。
お前は釣りもするんだろう?
せっかく川まで出掛けて行くんだ、親父に釣竿を貸して貰って。
「うん、ハーレイも一緒にね。でも…」
先にイソシギに会ってからだよ、そっちが大切なんだから。
あれが勇敢な親鳥なんだ、って観察してから。…ジョミーのお母さんたちみたいな鳥を。
「おいおい、観察するのはいいがだ…。巣に近付くなよ?」
可哀相だろうが、敵だと思って怪我をしたふりをさせちまったら。
「分かってるってば…!」
そんなことしないよ、見るだけだよ!
もしもウッカリ近付いちゃったら、謝って直ぐに戻るから…!
羽をバタバタさせたりしてたら、「ごめんね」って、ちゃんと謝るから…!
今の季節は暖かい場所へ旅立つけれども、また来年の春に戻るイソシギ。
河原に小さな巣を作るという、命懸けで卵や雛を守る親鳥。
その姿を誰もが温かく見守る時代。
怪我をしたふりを始めたならば、急いで元来た方へ戻って。巣から離れて。
親は子供を守るものだと、今は誰でも知っているから。
それが当たり前で、親が子供を通報したような悲しい時代は、とうの昔に終わったから。
(…そんな時代でも、ジョミーのお母さんたちは…)
ジョミーの次に迎えた子供を、イソシギの親のように守った。
今度は守ると、コルディッツまで一緒に行って。…ジョミーを守れなかったから、と。
いつかハーレイと、イソシギに会いに出掛けよう。
ハーレイの父に案内して貰って、河原まで。イソシギが子育てしている季節に。
怪我をしたふりをさせてしまわないよう、気を付けて。
ジョミーの両親のようなイソシギ。
命懸けで子供を守ろうと頑張る、優しくて勇敢な親鳥に会いに…。
イソシギ・了
※怪我をしたふりをして、雛を守るイソシギ。SD体制の時代の養父母なら、しなかったこと。
けれど、ジョミーの両親だけは違ったのです。ジョミーは、きっと再会出来ましたよね。
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