シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(んーと…?)
こんなのあるんだ、とブルーが驚いた新聞広告。学校から帰って、おやつの時間に。
綺麗に刷られたカラーの写真。載っているのは、とても馴染みが深い代物。
(復刻版…)
フィシスが使ったタロットカード。遠く遥かな時の彼方で、白いシャングリラの天体の間で。
請われなくともカードを繰っていたフィシス。ミュウの女神と呼ばれたフィシス。
広告の写真は、フィシスのために作らせたタロットカードを復刻したもの。そっくりそのまま、模様も、多分、大きさも。
「あなたも女神の気分でどうぞ」という謳い文句。フィシスはもちろん、ソルジャー・ブルーの写真まで添えて。フィシスだけでも、充分に人目を引くだろうに。
(ぼくが飛び付くと思っているわけ?)
本物のソルジャー・ブルーなら此処にいるけど、と可笑しくなった。釣れないんだけど、と。
フィシスの写真が載っていようと、飛び付きはしないソルジャー・ブルー。
けれど巷では、ソルジャー・ブルーとフィシスは、ミュウの王子様とお姫様。前の自分の隣にはフィシス、対の存在。世間の人はそういう認識。
何処までの関係があったかはともかく、ソルジャー・ブルーとフィシスは恋人同士。絵に描いたような美男と美女で、互いが互いを引き立たせるもの。
前の自分が死んでしまって、再び生まれてくるまでに流れた長い歳月。
まるで与り知らない所で、対の二人にされていた。とても似合いのカップルだった、と。
対の二人だから、フィシスのカードの復刻版の広告までがソルジャー・ブルーの写真付き。前の自分とフィシスを並べて載せてある。他の仲間は、ジョミーでさえも載っていないのに。
フィシスの写真と一緒に誰か、と選ぶ時にはソルジャー・ブルーになるらしい。対だったから。
(その通りだったら、懐かしくて買うけど…)
本当に恋人同士だったんならね、と眺める広告。フィシスが使ったタロットカード。
占いの趣味は無いのだけれども、恋人の思い出の品だったら。時の彼方で愛おしい人が繰り返し使っていたものならば。
ウキウキと新聞広告を切り抜いてゆくか、メモに書き写して持ってゆくか。とにかく欲しくて、売っていそうな店へと急ぐことだろう。これを買わなきゃ、と。
お小遣いを入れた財布を握って、弾んだ心で。…子供が買うには、少し高いけれど。
(でも、要らないしね?)
ぼくはこんなの要らないんだから、と苦笑したソルジャー・ブルーの写真。フィシスと対だ、と誰もが勘違いをしている人物。
残念なことに、ソルジャー・ブルーはカードを買いには出掛けない。お小遣いで買おうと急いで店を目指しはしない。
恋人はハーレイだったから。フィシスではなくて、キャプテン・ハーレイ。
とはいえ、フィシスも大切な人には違いなかった。「ぼくの女神」と呼んだ心に嘘などは無い。その身に地球を宿した女神。青く輝く美しい地球の映像を。
それが見たくて攫ったほどに。
機械が無から創った存在、人間ですらもなかったフィシス。
それでもフィシスの地球が欲しくて、いつまでも眺めていたかったから。水槽の中のフィシスにサイオンを与え、ミュウの力を持たせて攫った。
研究者たちがサイオンに気付き、フィシスを処分する直前に。
そうやって船に連れて帰ったフィシス。研究所時代の記憶を消して。
ハーレイ以外は誰も知らなかった、フィシスの生まれ。船の仲間たちも、フィシス自身も。
地球の映像を抱いていた上、占いにも長けていたフィシス。女神と呼ぶのが相応しかった女性。
(フィシスのカード…)
前の自分が作らせたカード。研究所でフィシスが使っていたカードは、シャングリラに持っては行かなかったから。
カードは馴染みがあるものだから、と広告に刷られた写真を眺めて、お次は説明文の方。どんなカードだと書いてあるのか、読み始めたら。
(…優しいタロットカード…?)
そういう説明、初心者向けかと考えた。初めて占う人でも分かりやすいという意味なのか、と。
ところが違った「優しい」の意味。
フィシスのカードで占う時には、死神のカードは使わないらしい。他のタロットカードと同じに入っているのに。…死神のカードも、ちゃんと一緒に。
けれども、それを抜いて占う。それが正しい占い方。フィシスのカードを使うのならば。
だから「優しい」タロットカード。死神が描かれた不吉なカードは、何を占っても絶対に出ては来ないのだから。
(…どうなってるわけ?)
謎だ、と首を捻った広告。フィシスの優しいタロットカード。
どうして死神のカードを抜くのか、それを入れずに占うのか、と。
聞いたこともない、不思議な話。前の自分はフィシスと対だと今の時代も間違われるほど、近い所にいたというのに。
フィシスのことなら、きっと誰よりも詳しかったと思うのに…。
おやつを食べ終えて、部屋に戻って。
勉強机に頬杖をついて、さっきの疑問を解こうとした。優しいタロットカードの謎を。恐ろしい死神が描かれたカードを抜いて占う、フィシスのカードの復刻版。
(死神のカード…)
人の命を断ち切る大鎌、それを手にした黒衣の死神。意味する所は文字通りに「死」。
フィシスが持っていた死神のカードは、前の自分が確かに燃やした。十五年もの眠りから覚め、自分の死を予感した時に。
フィシスの前で、サイオンを使って燃やしたカード。消してしまった死神のカード。
そのせいだろうか、復刻版のタロットカードを使う時には、死神のカードを抜いて占うのは。
欠けたままでフィシスが占ったから、と入れずに占うものなのだろうか?
(でも、欠けたカードを補充するのは…)
出来ないことではなかった筈。フィシスが望みさえすれば。
カードのデータは船にあったし、現に取り替えたカードもあった。何度も何度も繰られ続けて、擦り切れることも多かったから。
復刻版のカードにしたって、参考にしたのはそのデータだろう。
なのに、死神のカードを抜いて占うという約束事。燃やしてしまった死神のカードは、あのまま欠けていたのだろうか。作られないままで。
(フィシス、断っちゃったとか…?)
死神のカードを新しく作り直すこと。もう一度作って、加えること。
それとも言わなかったのだろうか、足りないことを?
死神のカードが欠けていたことを、誰にも言わずにいたのだろうか…?
今の自分には分からないこと。前の自分も、死んでしまった後のこと。
(ハーレイに…)
知っていそうなハーレイに訊いてみなければ、と思っていたら、折よく寄ってくれたハーレイ。仕事の帰りに。
早速、部屋でテーブルを挟んで向かい合うなり尋ねてみた。
「あのね、フィシスのタロットカードは知っている?」
「当然だろうが。…俺が知らなくてどうするんだ」
今はともかく、前の俺には見慣れたものだぞ。あれを使って占うフィシスも。
「それじゃなくって、復刻版だよ」
フィシスが使ったタロットカードの復刻版。…本物そっくり。
「はあ? フィシスのカードの復刻版って…」
そんなのがあるのか、知らなかったな。…まあ、あっても不思議じゃないんだが…。
前のお前が使った食器の復刻版だって、ちゃんと売られているんだから。
「そうなんだよね…。ソルジャー専用の食器」
あれと同じで、フィシスのカードもあったんだよ。
ぼくも今日まで知らなかったけど。
新聞に広告が載っていたよ、と話をした。「前のぼくまで載せられちゃってた」と。
「…ホントなんだよ、フィシスの写真とセットになってて、ソルジャー・ブルー…」
まるで恋人同士みたいに、ちゃんと二人がセットなんだよ。
「そりゃ傑作だな、未だに誰にもバレていないって証拠じゃないか」
前のお前の本当の恋人は誰だったのか。
誰も気付いていないからこそ、お前とフィシスがセットなんだしな。
「それはいいんだけど…。勘違いはかまわないんだけれど…」
フィシスのカードが問題なんだよ、ぼく、説明を読んだんだけど…。どんなのかな、って。
そしたら、優しいタロットカードなんだって。…フィシスのカードの復刻版は。
「優しいって…。占いやすいという意味か?」
俺は占いはサッパリなんだが、そういうヤツでも占えそうな初心者向けか?
「ううん、ぼくも最初はそう思ったけど…。違ったんだよ」
フィシスのカードの復刻版には、死神のカードが無いんだって。
…カードの中にはあるんだけれども、占う時には死神のカードを抜いて占うらしいんだよ。
「ほほう…。そいつは優しいな。何を占っても傷つかずに済むというわけか」
死神のカードを抜いてあるなら、嫌なカードは出ないんだから。
「まるっきり嫌でもないけどね…?」
死神のカード。…ハーレイも少しは知っているでしょ、タロットカードが持っている意味。
上と下とが逆さになったら、カードの意味まで変わるってことは…?
人の命を刈り取る大鎌。それが描かれた死神のカード。
そのままの向きで出て来た時には、意味する所は死なのだけれど。上と下とが逆になった時は、再生の意味になるカード。復活、それに死地からの生還。
前の自分も、幼いフィシスのカードの上下を入れ替えてやった。処分されると決まった日の朝、幼かったフィシスが恐れた死神。占いの最後に出て来たカード。
逆さに向けて、フィシスに示した。「君を助ける」と、死神はもういなくなった、と。
「…ハーレイにも話しておいた筈だよ、こうしてきた、って」
フィシスの記憶は消したけれども、連れて来る前にも未来を正しく読んでいたよ、って。
「そういや、そうか…。上下で意味が変わるんだったな、タロットカードは」
もっとも、上下が入れ替わったって、どうにもならないヤツもあったが…。
死神よりも、もっと救いのないカードが。
「…そうだったっけ?」
そういう酷い意味のカードって、タロットカードに混じってた…?
「あったぞ、塔だ。…塔のカードだ、忘れちまったか?」
そのままだろうが、逆さになろうが、どう転んでも破滅のカードだ。死神のカードと違ってな。
「あったっけね…。まるで救いが無かったんだっけ、塔のカードは」
だけど、ハーレイ、よく覚えてるね。…今はタロットカードなんかは縁が無いのに。
「何度、フィシスの託宣を聞いたと思ってるんだ」
シャングリラの航路をどうするべきかと、何度もフィシスに尋ねたもんだ。覚えもするさ。
…そうやって占って貰ってはいても、その通りにするとは限らなかったが。
占いは所詮、占いだしな。…漠然としていて、ハッキリはしない。
恐るるに足らず、と無視してゼルに怒鳴られもしたな。…思考機雷の群れに突っ込んじまって。逃げた先には三連恒星、ゼルが怒るのも無理はないがな…。
なるほど、と聞いていた話。三連恒星の重力の干渉点からワープしたことはハーレイの自慢で、人類軍の船が追跡を諦めたほどの危うい亜空間ジャンプ。
それならばゼルも怒るだろう。「フィシス殿のお告げ通りに航路設定しておけば…」と。
多分、ハーレイは塔のカードか死神のカードを無視して進んだ。「ただの占いだ」と軽く考え、窮地に追い込まれたのだろう。シャングリラごと。
…それもハーレイらしいけど。占いに頼りっ放しではないハーレイだからこそ、シャングリラを地球まで運んでゆけたのだけれど。
「えーっと…。ハーレイがフィシスの占いを見ていたのなら…」
死神のカードが無くなっちゃってた理由も知ってる?
フィシスは失くしてしまったんだよ、死神のカードだけが消えて無くなっちゃった…。
前のぼくが燃やしちゃったから。
「そうらしいな。…死神のカードは消えちまってた」
前の俺たちが全く知らない間に、跡形も無く。
「ハーレイ、やっぱり知ってたの?」
消えちゃってたのも、前のぼくが燃やしたことにも気付いていたの…?
「気付いたんじゃなくて、フィシスから聞いた」
カードが一枚足りないのです、とフィシスは俺たちに言ったんだ。
タロットカードは全部揃っていてこそ占えるもので、欠けたカードでは占えないとな。
死神のカードが欠けているから占えません、と言われちまった。
「えっ…」
それじゃフィシスは、もう占いをしなかったわけ?
サイオンを分けていたぼくが死んでしまったら、占えないことは分かっていたけど…。
カードが欠けているから無理だ、って言って、フィシスは占わなかったんだね…?
「そういうことだ」
占おうとさえしなかった。…「カードが足りない」の一点張りで。
俺たちは何も知らなかったが…、とハーレイが一つ零した溜息。
カードが足りない、と占いをしようとしなかったフィシス。
それがカードを失くしたせいではないことを全く知らなかった、と。フィシスが本当に失くしたものは、カードではなくて占いの力。
前の自分が与えたサイオンが失せて、占う力を失ったフィシス。読めなくなった未来のこと。
「…前のお前が死んじまったせいだ、と気付くまでに暫くかかったな」
死神のカードが足りないから、と言われて素直に信じちまった。…俺としたことが。
お前がいなくなっちまった以上は、フィシスの力も消えるだろうにな。…お前が与えていた力。それが消えたら、フィシスは元の人間に戻ってしまうんだから。
…人間と言っていいのかどうかは、俺としても迷う所だが…。機械が無から創ったんだし。
「ハーレイ、そのこと…。誰かに話した?」
フィシスは占う力を失くしたんだ、って気が付いた後。…ヒルマンやエラに。
「俺が話すわけないだろう。…お前との大切な約束だ」
フィシスがどういう生まれだったか、船に来る前には何処にいたのか。
誰にも言わん、と俺は誓った。お前がフィシスを連れて来たいと言い出した時に。
俺の記憶も消してしまえと言った筈だぞ、秘密を漏らしてしまわないように。
…お前がそれをしなかった以上は、俺は秘密を守らねばならん。何があろうと。
だから誰にも言うわけがない。…フィシスは二度と占えない、と本当のことを知っていたって。
前のハーレイはフィシスの秘密を漏らさなかった。生まれのことも、フィシスの力の源も。
ソルジャー・ブルーが死んでしまえば、フィシスの力が消え失せることも。
そのハーレイが真実に気付くよりも前に、フィシスが考え出した言い訳。占う力を失ったことを悟られまいと、欠けたカードを理由にした。
アルテメシアを目指す船の中、託宣を求めたキャプテン・ハーレイや長老たちに。
占いに使うテーブルの上に、一つ、二つとカードを並べて、「死神のカードが無いのです」と。この状態ではカードの意味まで欠けてしまうから、と顔を曇らせたフィシス。
「…これでは、とても占えません」
一枚が欠けたカードでは…。これで何かを占ったとしても、それは外れてしまうでしょうから。
「そりゃ大変だ。もっと早くに言ってくれればいいのにさ」
あちこちゴタゴタしてはいてもね、遠慮なんかはするもんじゃないよ。…あたしたちにまで。
死神ってのは、あまり嬉しくないもんだけどさ…。今は特にね。
大勢の仲間が死んじまったし、ブルーまで連れて行かれちまった。…でもね、話は別だろう?
見たくないから、って避けて通れるもんじゃない。死神のカードが必要ならね。
急いで代わりを作らなきゃね、とブラウが見回し、「まったくじゃて」とゼルも頷いた。
「…フィシス殿。あなたが占って下さらんと皆が困るんじゃ」
現に今でも困っておる。…何処を通ってアルテメシアに戻るべきかが分からんからのう…。
カードを作って出直して来るしかないようじゃが…。
足りないカードがちゃんと揃ったら、占いをよろしく頼みますぞ。
では…、と天体の間を後にしたゼルたちは、急いで新しい死神のカードを作らせたけれど。
それを手にして出掛けて行ったら、フィシスは首を横に振った。
「…このカードは加えられません。…これが無いと何も占えなくても」
ソルジャー・ブルーの思し召しです、死神のカードが無くなったことは。
あの方が燃やしてしまわれました。これは必要無いのだから、と。
ですから、新しいカードが出来ても、加えることは出来ないのです。あの方が消してしまわれたものは。…多分、要らないものでしょうから。
これから先のミュウの未来に、死神のカードはもう要らないのでしょう。
きっと…、とフィシスは手元のカードの山に死神のカードを加えなかった。それが無ければ何も占えはしないのに。
占えません、と断ったフィシス。それがソルジャー・ブルーの御意志ですから、と。
断られてしまった、占いと託宣。ゼルたちも、前のハーレイも、出てゆくより他に無かった道。
死神のカードが無いと占えないのに、フィシスは新しいカードを加えようとはしなかったから。
「…それっきりなの?」
ハーレイたちが占いを諦めて出てって、それっきり…?
フィシスの占い、死神のカードが足りないからって言われておしまい…?
「そうなるだろうが。前のお前がやったんだと言われちまうとなあ…」
ソルジャー・ブルーが燃やしたんだ、と聞かされたんだぞ?
それでもカードを元に戻せと詰め寄れるわけがないだろうが。前のお前がそうしたんなら。
でもって、一枚欠けたカードじゃ何も占えないんじゃなあ…。
諦めるより他は無いだろ、もう託宣は貰えないらしい、と。
…俺は後から気が付いたがな。カードがあっても、フィシスは占えないんだってことに。
前のお前が死んでしまって、フィシスの力も消えちまった、と。
そいつが分かれば、無理を言おうとは思わなかった。…元々、アテにはしていなかったし。
真相に気付いた前のハーレイは、もう占いには頼らなかった。失われた力は戻らないから。
けれども、何も知らないままのゼルたちが、強引に頼みに行った占い。
死神のカードは入れずに占ってくれていいから、とフィシスに何度も頭を下げて。
「当たる筈などないのですが…」と途惑いながらも占ったフィシス。
カードが一枚欠けた占いは当たりはしなくて、フィシスの所を訪れる者は減っていった。以前の活況が嘘だったように。
何かと言えば「託宣を頂きに」と、船の仲間が相談に出掛けていたものなのに。
「…俺もそれほど行ってはいないな、フィシスの所に」
占いを頼もうってわけじゃないんだし、本当だったら、もっと訪ねるべきだったろうが…。
散々世話になっておいた後で、キャプテンまでがミュウの女神を放っておいては駄目なんだが。
…前のお前の女神でもあるし、足繁く通って話をするべきだったとは思う。
だが、出来なかった。…理屈じゃ分かっていると言っても、俺自身が辛くなるからな。
「…なんで?」
どうしてハーレイが辛くなるわけ、フィシスと話をしに行ったら…?
「分からないか? …フィシスは何も知らなかったんだ」
俺とお前の間のことは。…お前が俺の何だったのかも、お前にとっての俺が何かも。
フィシスはお前を慕っていたから、お前の思い出話になるんだ、いつでもな。
違う話をしていた時でも、何かのはずみにお前が出て来る。…お前の話や、お前の名前が。
聞いたら辛くなるだろうが。
…俺はお前に置いて行かれて、追い掛けることさえ出来ないんだから。
「そうだね、ホントはハーレイが恋人だったんだものね…」
前のぼくが本当に好きだった人で、フィシスが来るよりもずっと前から恋人同士。
だけどフィシスは何も知らなくて、仲のいい友達同士なんだと信じてて…。
おまけにフィシスは前のぼくのことを、恋人みたいに思っていたしね…。
前の自分も気付いてはいた、フィシスの淡い恋心。それに応えはしなかったけれど。
幸いなことに、フィシスは無から生まれたものだったせいか、恋はしていても求めなかった。
恋をしたなら、その先に待っているものを。…唇へのキスも、その先のことも。
フィシスは最後まで気付かなかった。
…前の自分がフィシスに注ぎ続けた愛情、それが恋ではなかったことに。恋とは違って、慈しむだけの愛情だったということに。
そんなフィシスが、前の自分がいなくなった後に、懸命に考え出した言い訳。占いの力が消えた理由に、フィシス自身も気付いたろうに。
…きっと、自分の生まれのことも。
ジョミーが捕えていたキース。シャングリラから逃れようとしたキースを、フィシスは庇った。
前の自分がキースに放った、彼を倒す筈のサイオンの矢を弾き飛ばして。
フィシス自身も気付かない内に、反射的に。
彼女と同じ生まれのキースを、地球の映像を抱いた男を。機械が無から創った者を。
そう、フィシスはきっと知っていたろう。
シャングリラが地球まで辿り着く前に、自分の生まれを。
占いの力を失くした理由も、誰が自分にサイオンを与えてミュウにしたのかも。
…全ては前の自分の我儘。
たった一度だけ、白いシャングリラの皆を裏切り、欺いてまで手に入れたフィシス。
自分の命が尽きた後には、フィシスがどうなってしまうのか。
まるで知らなかったわけでもないのに、何も手を打たずにミュウたちの箱舟に残した女神。青く美しい地球をその身に抱いていた女神。
前のハーレイと同じに一人残され、占いの力も失ったフィシス。
それでも彼女は生きてゆく術を自分で見付けた。誰も疑わないだろう理由を、占いの力が無いと知られずに済む方法を。
カードが無いから占えない、と。
欠けたカードはソルジャー・ブルーの意志によるもの、加えることなど出来はしないと。
遠く遥かな時の彼方で、フィシスが紡ぎ出した嘘。
それは時を越え、タロットカードの復刻版が売られる平和な時代まで長く語り継がれた。死神のカードは使わないもの。そのカードを使って占う時は。
今日まで時を渡る間に、意味は変わってしまったけれど。
最初に死神のカードを抜き出し、他のカードに答えを尋ねる優しい占いが生まれたけれど。
「…死神のカード、それで入れずに占うんだ…」
フィシスが入れていなかったから。…入れずに未来を占ってたから…。
占いは外れてばかりいたけど、死神のカードは入れないんだ、ってことになっちゃって…。
フィシスの占いが当たってた頃の話と一緒に伝わる間に、何処かで混ざってしまったんだね。
死神のカードは抜いて占うものなんだ、って。
「そのようだな。…実際、フィシスはそうしたんだから」
占いがまるで当たらなかったというだけで。…ゼルたちに拝み倒された時は、何回も。
それをフィシスが話したんだろうな、前の俺たちが死んでしまった後に。
トォニィはフィシスを嫌ってたんだが、ソルジャーになった後には水に流したという話だし…。
死神のカードが無いというのも、トォニィが広めていたかもしれんな。
シャングリラには凄い占い師がいたが、死神のカードを失くしちまった、と。
だからシャングリラのタロットカードには、今も死神のカードが欠けているそうだ、とな…。
死神のカードが欠けてしまった、フィシスのカード。代わりのカードが用意されても、使おうとせずに加えないまま。ソルジャー・ブルーの意志だったから、と。
フィシスが使ったタロットカードは、今は優しいカードになった。死神のカードが決して出ないカードに。
死神のカードは、占う前に抜き出すから。そうやって占うカードだから。
その占いの元になったフィシスはどうなったろう。…いつまでカードを繰っていたろう?
「…フィシス、占い、していたのかな…」
シャングリラが地球を離れた後も。…トォニィがソルジャーになった後にも。
「さてなあ…。力は戻っていたようだが…」
カナリヤの子たちをシャングリラに向かって送り出す時、サイオンを使うのを確かに見たし…。
姿も最後まで若いままだったそうだし、ミュウの力はあったんだろう。
だが、占いは…。俺が思うに、していないんじゃないか?
「どうして?」
フィシスの力が戻ったんなら、占いだって出来る筈なのに…。出来たら色々役に立つのに。
「…前のお前がやったんだろうが。死神のカードを消すってことを」
死神のカードは要らないんだろう?
そういう意味だろ、ミュウの未来にはもう要らないと。
ミュウの未来に要らないカードは、カナリヤの子たちの未来にだって要らないさ。
カードなんかに未来のことを尋ねているより、前に進むことだ。次の時代を生きる子たちの手をしっかりと握ってやってな。
「そうしたんだね、フィシスはね…」
カナリヤの子たちを立派に育てて、それからシャングリラを降りて。
いろんな星を旅して回って、幼稚園を幾つも、幾つも作って…。
幼かった頃に通った幼稚園。母に見送られて、幼稚園バスに乗り込んで。
その幼稚園の庭にあった、優しそうなフィシス先生の像。手を差し伸べるようにしてフィシスは座っていた。小さな子たちが膝に上って来られるように。
今の自分も、フィシス先生の像がお気に入りだった。膝の上にチョコンと腰掛けるのが。
幼稚園を幾つも作ったフィシス。
白いシャングリラでフィシスが育てた、カナリヤの子たちと力を合わせて。あちこちの星に。
幾つもの幼稚園の庭に据えられた、優しく微笑む真っ白なフィシス先生の像。
あの像がとても好きだったけれど…。
「ねえ、ハーレイ。…ぼくが行ってた幼稚園にも、フィシス先生の像があったんだけど…」
フィシス先生だ、って見ていたけれども、フィシス、今でも先生よりも女神なんだよね…。
ミュウの女神ってイメージの人の方が多いよ、どうしてなのかな?
タロットカードの広告にだって、ミュウの女神って書いてあったし…。
「前のお前とセットだからだろ、ミュウの女神の方のフィシスは」
ソルジャー・ブルーと並んでいたなら、そりゃあ綺麗なカップルだ。何処の王子様とお姫様かと思うくらいに。
…だが、フィシス先生の方だとなあ…。
カナリヤの子たちか、幼稚園児しかセットにならない。見ていてつまらないってことだな。
女神の方なら、夢もロマンもたっぷりなんだが。
「そっか…。じゃあ、ハーレイとぼくがセットだったら、ハーレイの人気も出てたかな?」
キャプテン・ハーレイの写真集は一冊も出ていないけれど、それが山ほど出てるとか…。
うんと人気で、写真集だって飛ぶように売れていくだとか。
「お前なあ…」
いったい何を考えてるんだ、前のお前と俺をセットにしてみた所で、俺の姿は変わらんぞ?
人気が出るとはとても思えないし、写真集も無理だと思うんだが…?
相手は俺だぞ、「薔薇のジャムが少しも似合っていない」とシャングリラ中で評判だったが?
あのジャムを希望者に配る抽選、俺の前だけ、クジの箱が素通りして行ったんだぞ…?
それこそ占ってみたらどうだ、とハーレイが笑う。
前の俺がお前とセットだったら、今の人気はどうだろうか、と。
「カードが教えてくれると思うぞ、いいカードはきっと出やしないんだ」
死神どころか、どう転がっても救いのない塔が出て来そうだが…?
人気が出るなど夢のまた夢で、逆立ちしたって駄目ですよ、とな。
やるならフィシスのカードにしておけ、死神のカードが入ってない分、いくらかはマシだ。
それでも塔のカードが出て来て、俺に救いは無さそうだがな。
「…フィシスのカードを買って占うなら、そんなことよりも未来がいいな」
これからの未来を覗いてみたいよ、ハーレイとぼくの未来のことを。
「おいおい、そいつは占う必要も無いだろうが」
フィシスが何度も言ってた言葉を、真似ているわけじゃないけどな。
そうさ、フィシスはよく言ってたんだ。…占う力を失くしてからは。
ゼルたちが「占ってくれ」とゴネた時には、やんわりと断ったんだよなあ…。「占うほどのことでもないでしょう」と。その必要はありません、とな。
死神のカードはもう無いんだから、ミュウの未来は明るいものに決まってるんだ、と。
…お前、そこまで計算してたか、死神のカードを燃やした時に…?
「…ううん、なんにも考えてないよ」
あれを燃やしたのは、フィシスが不安に怯えていたから。
「ナスカに不吉な風が吹く」って、それは自分のせいなんだ、って…。
だから燃やしてしまったんだよ、「不吉な未来はぼくが消すから」って。
ぼくが守るから大丈夫、ってカードを燃やしてしまっただけ…。死神は消してあげる、って。
…本当は死神、ぼくが連れて行くつもりだったんだけど…。
狙っているのはぼくだろうから、ぼくと一緒に燃え尽きて終わりにしてしまうから、って。
「なるほどなあ…。死神のカード、お前が引くって意味だったんだな」
そして本当に引いちまったが…。俺の前から、お前は消えてしまったんだが…。
ちゃんと帰って来てくれたんだし、未来なんぞは占わなくてもいいってな。
優しいタロットカードだろうが、死神のカードは抜きだろうが。
今度のお前は幸せになれるに決まっているし、とハーレイがパチンと瞑った片目。
俺が幸せにするんだから、と。
前の自分が燃やしてしまった死神のカード。…自分がそれを引くつもりで。
あれから長い時が流れて、フィシスのタロットカードをそっくり写した復刻版では、抜いて占うらしい死神。けして死神のカードが出ないからこそ、それは優しいタロットカード。
けれど、優しいタロットカードも要らないらしい。
わざわざカードで占わなくても、今度は幸せになれるから。
幸せにすると、ハーレイが約束してくれたから。
ハーレイと二人、生まれ変わって来た青い地球の上で、何処までも二人で歩いてゆく。
手をしっかりと繋ぎ合わせて、いつまでも、何処までも、幸せの中を…。
優しいカード・了
※前のブルーが燃やしてしまった死神のカード。それを理由に、占いを断っていたフィシス。
ミュウの未来に死神のカードは、必要ありませんでした。前のブルーは意図していなくても。
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