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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

遅刻の理由

 朝から爽やかに晴れた土曜日。今日はハーレイが来てくれる日、とブルーの心は弾むよう。
 天気がいいから、ハーレイは歩いてやって来るのだろう。運が良ければ、お土産もある。途中で買って来てくれて。
(お土産、あるといいんだけれど…)
 チビの自分が貰えるお土産は、食べ物ばかり。残しておける物は貰えない。それでも欲しくなるお土産。あるといいな、と。
 朝食を食べて、部屋の掃除も綺麗に済ませて。そろそろかな、と何度も窓を覗いてみるのに。
(…ハーレイ、まだ…?)
 いつもだったら、とうに来ている時間。なのに、ハーレイは歩いて来ない。車も見えない。前のハーレイのマントの色をしている愛車。それも走って来はしない。
 時計を眺めては、窓を覗いて待っているのに。朝からずっと待っているのに、来ないハーレイ。
(まだなのかな…?)
 遅すぎるよ、と階段を下りて玄関先まで行ってみたけれど、鳴らないチャイム。扉を開けても、庭を隔てた門扉の向こうにハーレイはいない。
 出くわした母に「ハーレイに通信を入れてみてよ」と頼んだら…。
「ハーレイ先生にも御都合があるでしょ?」
 お出掛けになる時間が遅れることだってあるわ、ほんの少し遅いだけじゃない。
 急な用事で来られなくなったなら、ハーレイ先生から連絡が来るに決まっているでしょ。
 遅いと思うのはブルーの都合ね、と取り合ってくれなかった母。
 それもそうか、と納得して部屋に戻ったけれど。



 更に待っても、ハーレイは家に来てくれないまま。歩いて来る姿も、車も、どちらも見えない。窓から顔を出して覗いても、伸び上がっても。
(なんで…?)
 時計を見れば、いつもの時間をとうに一時間は過ぎている。いくらなんでも遅すぎる時間。
 これは変だ、と母の所へ言いに行ったのに。
「そうねえ、確かに遅いけど…。お昼御飯に遅れそうなら、通信が入ると思うわよ」
 でも、通信は来ていないから…。その内にいらっしゃるわよ、きっと。
 部屋に戻って待ってらっしゃい、窓から見てればいいでしょう?
「えーっ!」
 ママ、通信は?
 まだ家ですか、って訊いてくれないの?
「さっきも言ったわ、ハーレイ先生にも御都合があるの」
 家を出ようとなさってる時に通信が入ったら、また戻らなくちゃいけないのよ?
 ご迷惑をお掛けするから駄目、と断られた通信。ハーレイの家への連絡手段。母は通信機のある部屋とは別の所にいたから、自分でコッソリ入れようかどうか迷ったけれど。
 通信機の前で暫く眺めて、諦めた。
 登録してあるハーレイの番号。呼び出しても留守ならかまわないけれど、繋がったならば。
 ハーレイが出て、「丁度良かった。今日は行けなくなったんだ」と言われたりしたら、その場で泣き出してしまいそうだから。「そんな…」と涙をポロポロ零して。
 それに、母にも叱られるだろう。「駄目だと言ったのに、通信、入れたの?」と。
 ハーレイが来られなくなったのならば、自分が伝えに行くしかないから。
 悲しい情報を伝えなくてはいけない上に、叱られたのでは踏んだり蹴ったり。それは嫌だから、通信を入れるのは諦めるしかないだろう。



 仕方ないから部屋に戻って、待つのだけれど。やっぱり来てはくれないハーレイ。
 窓の向こうを覗くのも悲しくなってきたから、机で本を読むことにした。もっとも頭はすっかりお留守で、文字を眺めているというだけ。少しもページを捲れはしない。
(お土産を買いに出掛けて、遅くなったりはしないだろうし…)
 どうなっちゃったの、と頭の中身はハーレイばかり。本など読んでいないのと同じ。ハーレイのことしか考えられなくて、ぐるぐるしていたらチャイムが鳴った。
(ハーレイ…!)
 やっと来てくれた、と駆け寄った窓。門扉の向こう、手を振るハーレイが左手に提げている箱。
(お土産!)
 遅くなった原因はこれだったのか、と一気に機嫌が良くなった。あれを買うために行列したか、遠い所まで行って来たのか。きっと素敵なお土産だろう、と心が浮き立つ。箱を見ただけで。
 ハーレイが母に案内されて来たから、早速、訊いた。お茶とお菓子はまだだけれども。
「お土産、なあに?」
 箱が見えたよ、何のお土産?
「ケーキじゃないのか、お母さんに渡して来たんだが」
「えっ…?」
 ハーレイ、中身、知らないの…?
 そういう売り方のケーキだろうか、と考えていたら、母が運んで来たケーキが幾つも入った箱。色々あるから、好きなのをどうぞ、と。
「んーと…。どれにしようかな…」
 箱の中を覗いて、迷って、「これ」と選んでお皿に載せて貰ったケーキ。ハーレイも一個。母は残りを運んで行って、代わりに紅茶のカップやポットを持って来た。「ごゆっくりどうぞ」と。



 いつもの土曜日より遅いけれども、やっとハーレイと二人きり。お土産もあるし、とハーレイがくれたケーキを御機嫌で眺めていたら。
「こりゃまた、美味そうなケーキだなあ…」
 そうハーレイが口にしたから、驚いた。ケーキはハーレイが持って来たのに。
「…美味しそうって…。ハーレイが買って来たんでしょ?」
 中身は最初から詰めてあったのかもしれないけれど…。選べないお店かもしれないけれど。
 見本のケーキは出ていなかったの、こんなケーキが入っています、って…。
「選ぶも何も…。俺は箱ごと貰ったんだ」
「貰った!?」
「うむ。…遅刻のお詫びだ」
 遅くなったろ、いつもよりずっと。…そいつのお詫びに貰ったってわけだ。
「それなら買うでしょ、お詫びなんだから」
 なんで貰うの、話が変だよ?
「それはまあ…。遅刻したのは俺なんだが…」
 遅刻の原因は、俺じゃなかったってことだ。遅刻しないよう、きちんと家を出たんだから。
 そいつが途中で狂っちまった、のんびりと道を歩いていたらな。



 普段通りに着けるように、と歩き始めたハーレイだけれど。此処に着くまでの真ん中辺り。丁度そういう辺りの所で、ハーレイが出会った迷子の子猫。
 最初は迷子と気付かなかったらしい。道端の植え込み、其処から声が聞こえたから。
「ヒョイと覗いたら、ブチのチビでな。撫でてやって、歩き出そうとしたら…」
 俺を呼ぶんだ、「行かないでくれ」って。…そういう声って、あるだろうが。
 よくよく見たら、なんだか心細そうで…。試しに歩き出したら、植え込みの中に潜っちまって。
 戻って行ったら、中でブルブル震えてるんだ。隠れてます、って感じでな。
 これは変だ、と気付くだろ?
 何かに追い掛けられたのだろう、とハーレイは考えたらしい。それで怖くて怯えていると。
 可哀相だからと子猫を抱き上げてやって、誰か預かってくれそうな人は、と見回しながら歩いていたら張り紙があった。迷子の子猫を探す張り紙。昨日から行方不明と書かれて、写真も。
 まさか、と腕の中の子猫を見たら、その猫だった。模様も、真ん丸な瞳の色も。



「それで届けに行って来たんだ、見付けちまったら行くしかないだろ」
 ただ、子猫の家が遠くてなあ…。俺にとっては大した距離じゃないんだが。
 此処へ来るには回り道ってヤツだ、まるで違う方へと行っちまったから。…遅くなってすまん。
「…子猫…」
 迷子の子猫を届けてたんだ…。凄く遅いと思ったけれど…。
「本当にすまん。…おまけに、御礼を買って来ますから、って言われちまって…」
 直ぐですから、ってケーキを買いに行ってくれたんだ。ちょっと待ってて下さいね、とな。
 待ってる間に、通信、入れれば良かったなあ…。その家で借りて、「遅くなるから」、って。
 でなきゃ、途中の何処かで入れても良かったんだ。…通信機、幾つかあるのにな。
 俺としたことがウッカリしていた、子猫が無事に家に帰れたもんだから…。
 良かったな、って思っちまって、肝心のチビを忘れてた。
 此処にもチビがいるっていうのに、チビの子猫の心配ばかりで。



 ハーレイが迷子の子猫を届けに出掛けて行った家。
 その家に着いたら、母猫がいたのだという。兄弟のチビの子猫たちも。迷子だった子猫を連れて入った途端に、転がるように走って来た母猫。兄弟猫も急いでやって来た。
「母親が顔を舐めてやってな、他のチビどももミャーミャー鳴いて…」
 俺が連れてったチビは、もう俺なんか見ちゃいなかった。家族の方がいいに決まっているしな。
「そうだよね…」
 お母さんとかの方がいいよね、いつも一緒にいたんだもの。
「だろうな、迷子になっちまうまでは。…離れたことなんか無かっただろう。可哀相に」
 その家の人に聞いた話じゃ、庭で遊んでいて、行方不明になっちまったそうだ。
 お前の家と同じで生垣だったし、出たり入ったりして遊んでたんだな。ところが、ヒョイと表へ出てった途端に、通り掛かった犬に吠えられて駆け出しちまって…。
 家の人が慌てて飛び出してったが、それっきりだ。…チビは見付からなかったんだ。
「…それで昨日から行方不明だったの?」
 張り紙も張ってあったのに…。家の人だって、ずいぶん探していたんだろうに。
「子猫だから、怖くて隠れちまっていたんだろう。人が来た時は」
 名前を呼ばれて出ようとしたって、他の人が歩いていたんじゃなあ…。
 サッと引っ込んで隠れるしか道が無かったってことだ、怖い目に遭いたくないんなら。
 それでも我慢の限界ってトコで、たまたま俺が通ったわけだ。動物には好かれるタイプだし…。声を掛けても大丈夫だろうと思ったんだな、あのチビも。
「…子猫、お腹が空いてただろうね…」
 ハーレイが通るまで、きっと御飯は無かっただろうし…。子猫じゃ狩りも出来ないし。
「そりゃなあ…。あんなチビじゃ無理だ」
 ようやく子猫用の食事が出来るようになったくらいのチビなんだぞ?
 水くらいは舐めていたかもしれんが、飯は無理だな。



 母猫たちに囲まれた後は、ガツガツと食べていたらしい子猫。たっぷりと入れて貰った食事を。子猫用の柔らかいキャットフードに、ミルクも飲んで。
 ハーレイは正しいことをして遅刻したのだから、怒る気持ちはなくなった。
「良かった…。子猫が家に帰れて」
 回り道でも、遅くなっても、ハーレイが子猫を送ってあげてくれて。
「おっ、俺を許してくれるのか?」
 肝心のチビを忘れちまって、通信も入れずに遅刻したんだが…。悪いと思っているんだが。
「だって、ハーレイが子猫を見付けなかったら、もっと大変…」
 ハーレイだったから、子猫も声を掛けられたんだよ、「助けて」って。
 「行かないで」っていう声で鳴いてたんでしょ、きっと本当に心細かったんだと思うから…。
 もしもハーレイが見付けて助けてあげなかったら、子猫、家には帰れなかったかも…。
「そうかもなあ…」
 俺の代わりにデカイ犬でも連れた人が来たら、逃げるんだろうし。…此処も駄目だ、と。
 怯えて隠れて逃げてる間に、どんどん遠くへ行っちまうこともあるからなあ…。
 張り紙を見てくれる人もいないような所になったら、もう帰れんし…。
 あんなチビだと、そうなっちまうことも少なくないし。



 小さな子猫が迷子になったら、帰れないことも多いのだという。家から離れ過ぎた場合は。
 誰かが拾って飼ってくれるけれど、もう独りぼっち。親も兄弟もいなくなって。
「やっぱり、帰れなくなっちゃうんだ…。早く見付けて貰えなかったら」
 そんなことになったら可哀相だよ、前のぼくみたい。子猫、帰れて良かったよ…。
「前のお前だと?」
 どうしてそういうことになるんだ、お前、迷子になってたか?
 いくらシャングリラがデカイ船でも、前のお前なら何処からでもヒョイと飛べただろうが。今の不器用なお前と違って、行きたい所へ瞬間移動で。
「迷子じゃないけど、独りぼっち…。そっちの方だよ」
 前のぼく、メギドでそうなっちゃったよ。…ハーレイの温もりを失くしたから。
 帰れないのは分かっていたけど、独りぼっちになるなんて思っていなかったから…。ハーレイと一緒なんだと思ってたから、前のぼく、泣きながら死んじゃった…。
 子猫がそうならなくて良かった、独りぼっちは悲しいもの。どんなに優しい人が見付けて飼ってくれても、独りぼっちは寂しいもの…。
「それか…。メギドと重ねちまったか」
 確かにそうかもしれないな。…犬に吠えられてビックリするのも、撃たれちまうのも似たようなモンか…。あの子猫は家に帰れなくなって、前のお前は右手が凍えちまって。
 どっちも独りぼっちだなあ…。
 子猫は無事に家に帰れたが、前のお前はそれっきりか…。だが…。



 ちゃんと帰って来たじゃないか、と大きな手で頭をクシャリと撫でられた。
「少々、小さくなっちまったが…。お前もちゃんと帰って来ただろ?」
 あの子猫みたいに、俺の所へ。多分、神様に拾って貰って。
「うん…。誰かが拾ってくれたんだとしたら、神様だと思う。…帰る所を探してくれたんなら」
 でも、ハーレイかもしれないよ?
 独りぼっちのぼくを見付けて、今日の子猫みたいに拾ってくれて。…地球に行こう、って。
 ハーレイだったら見付けてくれそう、ぼくが隠れて震えていても。
 もう酷い目に遭うのは嫌だ、って誰にも会わずに隠れていても。
 …きっとハーレイなら見付けてくれるよ、「もう怖くないから、俺と行こう」って。
 その途端に、ぼくも気が付くんだよ。もう出て行っても平気なんだ、って。誰が呼んでるのか、声で分かるもの。…ハーレイの声は分かるんだもの…。



 ハーレイが見付けてくれたのかも、と話していて思い出したこと。
 今日のハーレイは子猫を助けて遅刻したけれど、前のハーレイもそれに似ていたっけ、と。
「そうだ、前のハーレイも遅刻してたっけね」
 今のハーレイみたいな感じで。…子猫は拾っていないけれども。
「はあ? 遅刻って…」
 ブリッジにでも遅刻してたか、お前の記憶に残るほど派手に遅れてはいない筈だが…。
 せいぜい五分くらいってトコだぞ、ブリッジにしても、会議にしても。
「…そういうのはね。ハーレイが仕事で遅刻していたことは無かったよ」
 遅れたとしても、ホントに少し。遅れた理由も仕事のせい。…ちゃんとしなくちゃ、ってキリのいいトコまで手を抜かないから。
 ぼくが言うのは、今日とおんなじ。…ぼくの所に遅刻するんだよ、青の間に遅刻。
 ちゃんと行きます、って約束してても、みんなの悩みを聞いてあげたりしている間に。
 もう来るかな、って紅茶とかを用意して待っているのに、ハーレイ、ちっとも来ないんだよ。
 五分くらいの遅刻じゃなくって、三十分とか、一時間とか。
「あったっけなあ…!」
 仕事が終わったら直ぐに行くから、と言っておいたのに凄い遅刻とか…。
 昼間に時間が取れそうだから、って約束したのに、その時間をとっくに過ぎちまったとか。



 すまん、とハーレイが頭を下げた。今度の俺もやっちまった、と。
「…お前をすっかり待たせちまった、そんなつもりはなかったのにな」
 前の俺だった頃と全く同じだ、お前が思い出した通りに。
 ただし、今日のは猫だったが…。仲間の相談に乗っていたならまだしも、子猫なんだが…。
 おまけに、通信を入れるのも忘れちまってた。…俺を待ってるチビがいるのに。
「今だからだよ、ハーレイが助けてあげる相手が子猫になるのは」
 助けて、って呼ぶのが子猫なんでしょ、平和な証拠。
 今は平和な時代なんだもの、ハーレイだけが頼りだっていう人はいないでしょ?
 子猫しか困っていなかったんだよ、ハーレイを遅刻させるほどには。
 人間はハーレイに頼らなくても、ちゃんと他にも道があるから。
「まあなあ…。困っていたって、誰かはいるな。人間だったら」
 あの子猫には、俺しかいなかったみたいだが…。俺より前には、頼りになりそうなヤツが一人も通らなかった、と。でなきゃ、通っても気付かなかったか。寝ちまっていたら気付かないしな。
 だが、人間なら、わざわざ俺を呼び止めなくても、他に頼れるヤツがいるわけで…。
 教え子には親がついてるもんだし、先にそっちに行くだろうなあ…。
 親にはちょっと、と思うにしたって、友達だって大勢いるし。
 お前の言う通り、子猫くらいなものかもしれんな。…俺を呼び止めて遅刻させるヤツ。



 シャングリラの時代とは違うからな、とハーレイが浮かべた苦笑い。
 平和な時代になってしまったら、キャプテン・ハーレイに用があるのは子猫くらいか、と。
「俺の行き先も、青の間から此処に変わっちまったし…」
 来るのが遅いと待っているのも、ソルジャー・ブルーじゃなくてチビだし。
 それだけ変われば、俺を呼び止めるのがチビの子猫になっちまうのも無理はないかもな。…ん?
 待てよ、シャングリラの頃でも似たようなモンだと思うんだが?
 平和な時代かどうかはともかく、俺を呼ばなくても相談に乗ってくれそうなヤツは…。
 今と同じにいたんじゃないのか、シャングリラには仲間が大勢いたんだから。
「それはそうだけど…。親はいなかったよ、シャングリラにいた仲間たちには」
 本物の親はトォニィたちの時代までいないし、養父母だって…。
 前のぼくたちみたいに最初からいないか、アルテメシアでミュウだと分かってお別れになるか。
 親は誰にもいなかったじゃない、どんなに相談したくても。
 …今の時代は本物の親がいるけれど。トォニィたちみたいに、血の繋がった親が。
 それに、シャングリラだと、友達に相談するにしたって、船の仲間しかいなかったんだよ?
 船の中が世界の全部なんだし、友達だって、その中だけ。
 言いにくいこともあったと思うよ、友達には。
 その友達の友達は誰だろう、って考え始めたら、船中に相談するのとおんなじ。
 筒抜けになりはしないけれども、そうなっちゃったらどうしよう、って怖くならない…?



 今の時代は、いくらでもいる相談相手。悩みに応じて、相手も色々。
 自分のような子供だったら、真っ先に思い浮かべるのが親。頼りにもなるし、一番身近。一緒の家で暮らしているから、いつでも気軽に相談出来る。好きな時間に。
 学校のテストの成績を親に言うのが怖い、という悩み事なら、これは友達。自分の場合は一度も経験していないけれど、そういう悩みも子供には多い。「家に帰れない」としょげているとか。
 その友達と喧嘩したなら、仲直りさせてくれそうな友達に相談に行く。実はちょっと、と。
 大人の場合も、きっと似たようなものだろう。
 子供よりも世界が広い分だけ、相談相手も増えてゆく。結婚したなら、結婚相手が親よりも近い相談相手。親にも変わらず相談出来るし、結婚相手の親にだって。
 仕事を始めたら、仕事仲間や、仕事で出会った大勢の人や。
 友達にしたって、色々な機会にどんどん増える。上の学校に進めば増えるし、仕事場でも。旅をしたなら、その旅先でも。
 もちろん悩みも増えるだろうけれど、相談相手も増えているから大丈夫。
 仕事のことなら、仕事で出来た仲間が大いに頼れるだろうし、他の仕事に就いた友達も、きっと頼りになるのだろう。「俺の場合は…」といった具合に。
 人間関係の悩みにしたって、子供の頃より広がった世界は、きっと遥かに頼もしいから。
 知り合いの数が増えた分だけ。友達の数が増えた分だけ、頼りになる人も増えるから。



 けれど、白いシャングリラは今の時代とは全く違った。
 船の中が全てで、閉じていた世界。人間も船の仲間が全て。
 しかも人間は多くなかった。子供から大人までを全て数えても、町の住人にはとても及ばない。大規模な上の学校だったら、生徒だけでシャングリラの人口を越える。
 たったそれだけの人数な上に、その中に混じる大人と子供。
 同じ大人でも、アルタミラ時代からの古参もいれば、アルテメシアから加わった者も。
 おまけに、無かった本物の家族。大人にも、それに子供にも。
 一番身近な相談相手がいない世界で、船の外には出られない世界。生まれた悩みを相談したいと思った時にも、船の仲間しか頼れない。
 仕事の悩みだったらともかく、人間関係の悩みとなったら大変だった。大人も、子供も。
 誰かと喧嘩をしてしまったから、と相談しようにも、船の中の世界が狭すぎて。
 友達同士も繋がっているのが普通だったから、下手に相談すればこじれてしまいかねない。誰に相談すべきなのかを見定めないと、失敗することも多かった船。
 相談を受けた相手が「それは嘘だ。こう聞いている」と話を聞いてくれなかったり、喧嘩相手の肩を持つのはよくある話。
 ソルジャー候補だったジョミーでさえもが、前の自分が深い眠りに就いた後には孤立したほど。
 船の仲間と上手くやってゆけずに、引きこもっていたと今のハーレイに聞いた。
 人類に送った思念波通信、それが失敗に終わったせいで。
 シャングリラは人類軍に追われ始めて、ジョミーを責める者たちが増えた。なのに、ジョミーは持っていなかった相談相手。ソルジャー候補としての悩みは前の自分が聞いていたから。



(…前のぼくが、ちょっと気配り不足…)
 今にして思えば、そうだったろう。
 全てジョミーに任せるのではなくて、人脈を作らせておくべきだった。ソルジャーという立場にいたって、相談相手が必要な時もあるのだから。
(前のぼくには、ハーレイがいて…)
 いつでも、何でも相談出来た。前のハーレイの「一番古い友達」、それが前の自分だったから。
 最初は友達、後には恋人。どんなことでも、ハーレイにだけは打ち明けられた。
(フィシスを攫って来た時も、そう…)
 人間でさえもなかったフィシス。機械が無から創った生命。
 それをミュウだと偽って船に迎え入れた時も、ハーレイだけは知っていた真実。自分一人だけで抱えずに済んだ。フィシスの秘密を。
 前の自分は相談相手を持っていたのに、ジョミーにもそれが必要なのだと気付かなかった。そのせいで孤立したジョミー。相談相手がいなかったから。
(…ハーレイ、前のぼくの恋人だったから…)
 懸命に仲を隠していたから、その重要さが分かっていなかった自分。ソルジャーとキャプテン、そういう仲だと「ソルジャーとしては」思っていたから。
 ソルジャーには補佐役がいればいいのだと、前の自分は勘違いした。前のハーレイは、傍目には補佐役だったから。ソルジャー・ブルーの右腕で、キャプテン。
(…だけど、恋人で、友達…)
 それを失念していた自分。ジョミーにもハーレイとの仲を悟られないよう、それまで以上に隠し続けたから。ハーレイがどういう存在なのかを。
 だから思いもしなかった。ジョミーにも誰か、相談相手を作らねば、とは。
 ソルジャー候補の悩みは自分が聞けばいいことなのだし、一人立ちした後はキャプテンや長老がいれば充分だろうと、前の自分は考えた。自分自身の相談相手はキャプテンだけで足りたから。



 シャングリラという特殊な世界の中では、難しかった悩みの相談。
 前の自分の配慮が足りずに、ジョミーが孤立したほどに。きっとジョミーも怖かったのだろう。相談相手を間違えたならば、どうなるか分かっていただろうから。
 下手に誰かに相談したなら、船中に知れてしまわないかと、それも恐ろしかっただろう。
「…ハーレイ、前のぼくも失敗しちゃったんだよ。…ジョミーのことで」
 ジョミーが何でも相談出来る友達を作るの、忘れちゃってた…。ぼくにはハーレイがいたのに、恋人だから、って思い込んでて、隠してて…。
 そのせいでジョミーは独りぼっちになっちゃったんだよ、誰にも相談出来なかったから。
 思念波通信が失敗した時、相談相手がちゃんといたなら…。ジョミーは孤立しなかったと思う。悩みを何でもぶつけられるし、頼りになるし…。
 ぼくはその役、ハーレイでいいと勝手に思い込んじゃってたよ。ハーレイ、いろんな仲間たちの相談、聞いていたから…。聞いては遅刻しちゃってたから。
 でも、ジョミーにハーレイをきちんと紹介してもいないのに、そうそう相談出来ないよね…。
「そう言われれば、そうかもなあ…」
 思念波通信をしようと思う、っていう相談には来ていたんだが…。
 失敗した後には来ていなかったな、そういえば。…俺に叱られると思っていたかもしれないな。
 「どうしてブリッジに来ないんだ」と小言ばかりで、怖かったかもしれん。
 俺の方でも、キャプテンとしての立場ってヤツがあるからなあ…。
 うん、俺も失敗しちまったんだ。前のお前と同じでな。
 ジョミーに一言、こう言ってやれば良かったんだ。「悩みがあるなら聞いてやるぞ?」と。
 「長年そいつをやって来たから、人生相談のプロなんだ」とな。



 なにしろ子供の人生相談までしていたわけで…、とハーレイが言う通り。
 キャプテン・ハーレイは子供たちにも呼び止められた。青の間へ行こうとしていた時に。
「そっか、子供もいたっけね…」
 大人ばかりじゃなかったよね、と思い浮かべた子供たちの顔。幼かった頃のヤエや、シドやら。
 「将来はどうしたらいいのだろう」と真剣な顔でキャプテンを呼び止めた子供たち。この船での将来に不安がある、と子供なりに将来を心配している顔で。
 ハーレイが話を聞いてやったら、子供たちの相談事は「なりたいもの」の話ではなくて…。
「まったく、何が将来なんだか…。あいつらときたら」
 そう言って俺を呼び止めるくせに、大抵、喧嘩とかなんだ。相談事も、悩みってヤツも。
 船での将来には違いないがな、喧嘩したままだと遊び場はお先真っ暗なんだし。
 しかしだ、普通は将来と言えば、船でどういう仕事をするとか、そんな話だと思うだろうが。
「でも…。大人の時だって、そうじゃない」
 ハーレイを呼び止めてた大人。…将来って言い方はしなかったけれど、どうやって生きていけばいいだろうとか、そんな感じで。
 生きるか死ぬかって顔をしてるから、ハーレイ、何か大失敗でもしたんだろうかと思うのに…。
 話を聞いたら子供たちと同じ。誰かと喧嘩をしちゃっただとか、そんなのばかり。
 本当にキャプテンに相談するしかなさそうなことは、誰も相談しないんだよ。
「当然と言えば当然だろうな、それが大人の場合はな」
 …キャプテンの指示を仰ぐようなことは、まずは自分の持ち場で相談。
 そっちで話をきちんと纏めて、しかるべき場所で訊くもんだ。会議に出すとか、ブリッジとか。
 歩いている俺を捕まえてみても、「資料はどうした」と言われるのがオチだ。
 まったく、子供も、大人ってヤツも…。俺を何だと思ってたんだか、キャプテンなのにな?



 船を纏めるのが仕事ではあるが…、と困ったような顔で笑うハーレイ。
 キャプテンという立場にいたのに、ハーレイは少しも偉そうな顔をしなかった。怒った時でも、頭ごなしに怒鳴るようなことは無かったキャプテン。
 だから余計に皆に頼られ、いつの間にやら相談係になっていた。前の自分は、それをジョミーに伝え忘れてしまったけれど。
「ハーレイ、ホントに人生相談のプロだったものね…」
 子供から大人まで、ちゃんと真面目に話を聞いて。アドバイスだって、きちんとして。
 …キャプテンなんだもの、船の仲間が喧嘩したままだと、上手くいかないのを知ってるものね。
 人間関係が壊れちゃったら、シャングリラはもう、おしまいだもの。
「そういうこった。…喧嘩はほどほどにしておかんとな」
 相談に来たヤツの悩みに合わせて、その辺のトコを説明する、と。子供だったら、子供向けに。
 それで大抵、丸く収まる。…ジョミーの場合は、俺は相談に乗り損ねたが。
 でもって、その手の人生相談。
 いつも捕まっては、遅刻だってな。…お前が青の間で待っているのに。
「遅刻したって、怒らなかったよ?」
「前のお前はお見通しだったからなあ、サイオンで」
 シャングリラの外の世界まで自由自在に見られたんだし、軽いモンだろ。
 いくら待っても俺が来ないんなら、何処で油を売っているのか、ヒョイと覗いて。
「…そうだった…」
 ハーレイ、遅いな、って船の中を探れば見付かったから…。
 人生相談をやっているのも直ぐに分かったから、終わるまで待とうって思ってただけ。
 どうして遅刻か理由が分かれば、怒る理由も無いものね?
 ヒルマンやゼルとお酒を飲んでて遅刻だったら怒るけれども、人生相談の方なら怒らないよ。



 迷子の子猫を送ってあげて遅刻するのと同じだもの、と言ったけれども。
 今の自分は、ハーレイが子猫の家を探して歩いていたのも、まるで知らないままだった。迷子を送り届けた御礼に、ケーキを貰って来たことも。
 サイオンが不器用な今の自分はハーレイの様子を探れはしないし、社会のルールもそういう風になっている。サイオンの使用は控えるのがルール、人間らしい生き方を、と。
「えーっと…。ハーレイ、また今日みたいに遅刻しちゃう?」
 迷子の子猫にまた呼ばれたとか、人間の迷子を見付けちゃったとか…?
「やっちまうかもしれないが…。次からは通信を入れることにする」
 お前をすっかり待たせちまうし、何処かで「遅れそうだ」と連絡するさ。
 今日みたいに忘れていなければな。…本当にすまん、忘れちまって。
「忘れてもいいよ」
 …忘れちゃってもいいよ、そういう理由で遅刻だったら。
「おい、いいのか?」
「いいよ、前のハーレイの頃から遅刻してたし…。ハーレイが優しいからなんだし」
 遅れてもいいから、ぼくの所へ来てくれれば。
 ちゃんと家まで来てくれるんなら、遅刻しちゃっても、通信を入れるのを忘れていても。
「来ない筈なんかないだろう…!」
 今日だって俺はいつも通りに家を出たんだぞ、子猫に会わなきゃ時間ピッタリに着く筈だった。
 子猫を送り届けた後にも、せっせと急いでいたんだからな…?



 お前と一緒に暮らし始めるまでは、俺はきちんと通ってくるさ、とハーレイが片目を瞑るから。
 今日のような遅刻はあるかもしれないけれども、来てくれるのを待っていよう。
 誰にでも優しいハーレイだからこそ、遅刻してしまうことになるから。
 迷子の子猫を送り届けたり、シャングリラで人生相談をしたり。
 いつかはそういうハーレイと同じ家で暮らして、帰りを待つことになるのが自分。
 ハーレイの帰りを待って待ち続けて、「遅くなってすまん」と言われることもあるのだろう。
 前の自分が待ちぼうけを食らった、青の間のように。
 困っている誰かをハーレイが助けて、帰りがすっかり遅くなって。
(…だけど、青の間とは違うしね?)
 今度はハーレイと二人で生きてゆくのだから。
 二人きりの家で暮らすのだから、遅刻されてもかまわない。
 その日は遅くなったとしたって、いつまでも二人、一緒だから。
 何処かでゆっくり、心ゆくまで、二人だけの甘くて幸せな時間を持てるのだから…。




           遅刻の理由・了

※迷子の子猫を送り届けて、遅刻して来たハーレイ。前の生でも、似たようなことが何度も。
 人生相談の達人だったのに、前のブルーはジョミーを紹介し忘れたのです。可哀想に…。
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