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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

子供の友達

(ココちゃん…?)
 小さなブルーの頭の中にヒョイと浮かんで来た名前。家に帰ったら、白いウサギのぬいぐるみ。制服から着替えて、おやつを食べに行ったら出会った。
 ダイニングのテーブルの上にチョコンと座っているウサギ。クルンと丸い瞳をした。
(ぼくの…?)
 幼かった頃に、こんなぬいぐるみを持っていた。ウサギのココちゃん。そういう名前。
 真っ白でフカフカ、抱き締めていたら幸せだった。柔らかくて温かかったココちゃん。お日様の匂いがしていたココちゃん。
 記憶の通りの姿だけれど。首についているピンクのリボンも同じだけれど。
(幼稚園の時ので…)
 いつかウサギになりたいと思っていた頃には、もうココちゃんが側にいた。ココちゃんのせいでウサギになりたいと思ったわけではないけれど。
 幼稚園にいた、元気一杯のウサギたち。それに憧れてウサギを目指した。生まれつき弱い身体は直ぐに熱を出したし、はしゃぎ過ぎたら寝込んだから。ウサギみたいに元気になりたい、と。
 ウサギの小屋を覗き込んでは、友達になろうと頑張っていた。友達になれば、ウサギになれると幼かった自分は信じていたから。
(…ウサギになってたら、ココちゃん、どうするつもりだったんだろう?)
 大切な友達だったココちゃん。病気で家から出られない日にも、ココちゃんは側にいてくれた。ベッドで寝ていた自分の側に。
 もしかしたら、生まれてすぐから一緒。それがココちゃん。



 鮮やかに蘇って来た記憶。ココちゃんと過ごした、幼かった日々。ココちゃんの隣に座り込んで絵本を何度も読んだし、おやつの時にも抱えて出掛けた。ぼくの友達、と。
 そのココちゃんが目の前にいるのだけれど。記憶のまんまのココちゃんだけれど。
(こんなに綺麗な筈がないよね…)
 フワフワでフカフカのぬいぐるみ。真っ白で、お日様の匂いもしそう。
 でも、ココちゃんの筈がない。学校に上がって人間の友達が増えていったら、遊ぶことを忘れてしまったココちゃん。いつの間にか部屋からいなくなっていた。消えたことにも気付かなかった。
 あんなに大事にしていたのに。いつも一緒で、大切な友達だったのに。
 ココちゃんが部屋から消えてしまってから流れた時間。幼稚園児だった自分は十四歳になって、学校も一つ上の学校。ココちゃんがいた頃に入った学校は、もう卒業してしまったから。
 最後に見たのはいつだったろうか、ウサギのココちゃん。
 かなり経つのだし、忘れていた間に傷んでしまったことだろう。フカフカだった毛皮は汚れて、きっと埃を被ってしまって。柔らかかった身体も、誰も抱かないから固くなって。
(でも、ココちゃん…?)
 何処から見たって、ココちゃんそっくりの真っ白なウサギのぬいぐるみ。顔を近付けてみたら、ふわりとお日様の匂いまでする。懐かしいココちゃんと同じ匂いが。
 けれど、ココちゃんはすっかり古くなった筈。残っていたって、きっと傷んでしまった筈。
 首のリボンも色褪せて。…こんなに綺麗なピンクではなくて。



 そうは思っても、ココちゃんにしか見えない真っ白なウサギ。
(…ママがそっくりのを買って来たとか…?)
 何処かで見付けて、懐かしくなって。多分、ココちゃんを買ってくれたのは母だから。
 なのに、新品だという気がしない。ココちゃんだとしか思えない。古くないのに、少しも傷んでいないのに。
(やっぱり、本物のココちゃんなの…?)
 どうなのだろう、と触っていたら。ココちゃんと同じ、とフカフカの毛皮を撫でていたら。
「あら、覚えてた?」
 懐かしいでしょう、と母がやって来た。おやつのケーキと紅茶を載せたトレイを持って。
 お皿やカップを並べてゆく母は、楽しげな顔に見えるから。ワクワクしているような顔だから、このぬいぐるみは、ひょっとしたら新品ではなくて…。
「…ココちゃんなの?」
 ママ、本物のココちゃんなの、これ?
 …凄く綺麗だけど、ホントにココちゃん…?
「そうよ、ブルーのココちゃんよ、これ」
 昔のままでしょ、フワフワのココちゃん。…ブルー、大好きだったものね。
 何をするのもココちゃんと一緒。本を読むのも、おやつを食べるのも、寝る時にだって。



 そのココちゃんが会いに来たのよ、と微笑んだ母。「ココちゃんはブルーに会いに来たの」と。
 探し物をしていた母が、袋の中から見付けたココちゃん。長い間、眠っていたぬいぐるみ。
 母は早速、綺麗に洗って、お日様でフカフカに乾かした。元の通りになるように。柔らかだったココちゃんが戻って来るように。
 くたびれていた首のリボンも、同じリボンを探して買った。元のリボンは…。
 「ほら、これよ」と棚から母が取って来たリボン。色褪せてしまったピンクのリボンがきちんと巻かれて、透明な小さな袋の中に。
「このリボンは外しちゃったけれども、大切に取っておかなくちゃね」
 だってそうでしょ、ブルーと一緒に大きくなったココちゃんのだから。…大事なリボン。
 ウサギのぬいぐるみは沢山いたけど、ブルーが選んだのがココちゃんだったの。
 …まだ小さくて、上手に喋れなかったけど…。この子がいい、って。リボンの色もね。
「ココちゃん…。ぼくが選んだの?」
「そうよ、名前もブルーがつけたの。ウサギはココちゃん、って」
 大好きだった絵本のウサギの名前がココちゃんだったからよ、きっと。赤ちゃん向けの本。
 ブルーのココちゃんはこの子だったの、元の絵本を忘れちゃっても。



 すっかり元の通りになったココちゃん。懐かしいウサギのぬいぐるみ。
 抱き締めてみたら、フカフカの身体。温かかったココちゃんが本当に帰って来たらしい。優しい感触を確かめていたら、母に訊かれた。
「ココちゃん、部屋に飾っておく?」
 元々はブルーの部屋にいたんだし、連れて帰ってあげることにする?
「んーと…」
 どうしようかな、と思ったけれど。今の自分なら、ココちゃんを忘れてしまったりせずに、埃を被らないよう綺麗に残しておけそうだけれど。
 問題は、訪ねて来るハーレイ。「あれはなんだ?」と訊くに決まっているハーレイ。
 そのハーレイに見られるのは、なんだか恥ずかしい。ココちゃんは大切だったのだけれど。
(ココちゃんがいないと寝られなかったし…)
 いつも一緒に遊んだ友達。絵本を読んだり、おやつを食べたり。…ぬいぐるみが友達、寝る時もギュッと抱き締めたまま。幼い子供ならではのこと。今の年では流石にやらないから…。



 やっぱりいいよ、と断ったココちゃん。自分の部屋には連れて行けない。
 きっとハーレイに笑われてしまって、顔が真っ赤になるだろうから。「子供じゃないから!」と叫んだとしても、「そうか、そうか」と大きな手で頭をクシャリとやられる。
 そうなることが見えているから、ココちゃんを部屋に連れて帰るのは諦めた。母が専用ケースを買ってくれたから、会いたくなったらいつでも会える。
 もう、物置には戻らないココちゃん。母が自分の部屋に飾ってくれるから。
(良かったね、ココちゃん…)
 見付けて貰えて、と心で話し掛けたココちゃん。「また会えたね」と。
 おやつの間は、テーブルに座ったココちゃんと一緒。久しぶりにココちゃんとおやつを食べた。母が焼いてくれた美味しいケーキと、ふんわり優しいミルクティー。
 ゆっくりのんびり味わった後は、「バイバイ」とココちゃんに手を振って部屋に帰った。
 「ハーレイが来るかもしれないから、片付けておいてね」と母に念を押して。ハーレイが来たら夕食を食べて帰るから。…ダイニングで。
 テーブルの上にココちゃんがいたら、文字通りに赤っ恥だから。
 父と母とが披露するだろう、幼かった自分とココちゃんの話。ココちゃんがいないと寝られない子だったとか、おやつの時にも一緒だったとか。



 ココちゃんと別れて戻った部屋。母はココちゃんをケースに入れているのだろうか。母の部屋に運んでゆくために。ココちゃんは母の部屋にも何度も出掛けていたけれど。
 幼かった頃には両親の部屋で眠っていたから、昼間も其処で遊んだりした。ココちゃんを大切に抱えて行って。
 そのココちゃんが最後にいたのは何処だったかな、と部屋を見回したけれど、分からなかった。棚の上だったか、あの頃はあった子供椅子の上に座っていたのか。
 覚えてないや、と勉強机の前に腰掛けて、頬杖をついた。ココちゃんは知らない勉強机。小さい頃には別の机で、下の学校の途中で机を買い替えたから。
(ココちゃん…)
 まさか今頃、再会するとは思わなかった。何年ぶりに会ったのだろうか、ウサギのココちゃん。
 けれど、本当に懐かしかった。子供の頃の記憶そのまま、母が洗ってくれたココちゃん。
 フワフワのフカフカの姿に戻って、ココちゃんが会いに来てくれた。幼かった頃の思い出を沢山持って。幾つも抱えて、大きくなった自分に会いに。
 大きいと言っても、前の自分には敵わないけれど。まだまだ背丈が足りないけれど。



(前のぼくにも、ココちゃん、いたかな…)
 ソルジャー・ブルーと呼ばれた自分。遠く遥かな時の彼方で生きていた自分。
 何も覚えてはいなかった。成人検査を受ける前のことは、子供時代の記憶は何も。思い出も夢も全て失くした、機械のせいで。…ミュウへと変化してしまったせいで。
 成人検査で消された上に、繰り返された人体実験。その衝撃で消えてしまった記憶。一つ残らず零れ落ちて消えて、欠片さえも覚えていなかった。
 お気に入りのオモチャも、両親の顔も。どんな家で暮らしていたのかも。
 だから記憶にココちゃんはいない。前の自分の記憶の中には。
(あの時代だと…)
 成人検査が消していた記憶。子供時代の記憶は消されて、塗り替えられるものだった。
 たとえ前の自分が成人検査をパスしたとしても、ぬいぐるみの記憶を持って教育ステーションに行くことは無理だっただろう。ぬいぐるみの記憶は、大人の社会では何の役にも立たないから。
 ぼんやりと姿がぼやけてしまって、漠然としたものになっていただろう、ぬいぐるみ。
 好きだったことは思い出せても、どんな姿のぬいぐるみだったかは思い出せない程度の記憶。
 そうやって少しずつ忘れてゆく。ぬいぐるみのことも、養父母のことも。
 当時の世界は、そうだった。機械が統治していた時代は。



 ブルッと肩を震わせたSD体制の時代。今は歴史上の出来事だけれど、前の自分は其処で確かに生きた。人の記憶が消される世界で、それ以上の記憶を消されながらも。
 懸命に生きたソルジャー・ブルー。過去を失くしても、子供時代の記憶の全てを失っても。
(ココちゃん…)
 前の自分もココちゃんと一緒に育っただろうか。ウサギではなくても、ココちゃんという名前でなくても、お気に入りだったぬいぐるみ。一緒に眠って、おやつも、本を読む時も一緒。
 子供ならではの小さな友達、それが自分にもいたのだろうか。ココちゃんのような友達が。
 前の自分は何が好きだったろうか、と考えたけれど分からない。ウサギが好きだったか、もっと違うものか、それさえも分かる筈がない。
 記憶は消されて、おまけに踏み躙られたから。あまりに過酷な人体実験、その繰り返しで頭から消えてしまったから。…前の自分の子供時代は。
(…ぬいぐるみを持ってたか、そうでないかも…)
 分かりはしないし、前の自分は手掛かりさえも掴めなかった。子供時代の記憶は、何も。
 それを思うと、今の自分は幸せすぎる。記憶は一つも消されていないし、自分が忘れてしまっただけ。新しいことや興味のあること、そういったものに夢中になって。
 記憶を仕舞っておくための引き出し、それが開かなくなっただけ。鍵の在り処を自分が忘れて。鍵穴もすっかり錆びてしまって。
 そんな具合に忘れていたって、ココちゃんに会えた。
 沢山の子供時代の思い出を抱えて運んで来てくれたココちゃん。すっかり忘れてしまった自分にココちゃんが会いに来てくれた。
 幼かった自分の記憶そのままの姿で、温かなお日様の匂いをさせて。



 思いがけなく会えたココちゃん。お蔭で開いた記憶の引き出し。失くした鍵がヒョッコリと姿を現して。錆び付いた引き出しを軽々と開けて、思い出が幾つも飛び出して来た。
 ココちゃんが抱えて来てくれた思い出。幼かった頃の自分の記憶。
(今の時代だからだよね…)
 機械が選んだ養父母ではなくて、血の繋がった本物の両親と暮らせる時代。だからココちゃんは物置に仕舞われていた。いつか大きくなった自分と出会う日のために。
 その日が来たなら、懐かしく思い出すだろうから。…もう要らない、と忘れていても。
 幼かった自分がココちゃんに見向きもしなくなっても、母は大切に取っておいてくれた。捨てる代わりに袋に入れて。…ココちゃんが思い出を運ぶ日のために。
(…前のぼくの時代だったら、絶対に無理…)
 十四歳になった子供は、二度と家には戻らないから。成人検査で行ってしまって、養父母たちとお別れだから。
 いずれ家からいなくなる子供、思い出の品など残すだけ無駄。残しておいても、いつかその子が成人検査の日を迎えたなら、ユニバーサルから職員が来て処分するから。不要なものだ、と。
 次の子供を育てるつもりの養父母の家に、前の子供の思い出は要らない。
 そういう時代に、ココちゃんのようなぬいぐるみが取っておかれることは無い。子供が飽きたらそれでおしまい、ゴミとして処分されたのだろう。…二度と出番は来ないのだから。



 もしも前の自分が、ココちゃんと一緒に育っていても。ぬいぐるみの友達と暮らしたとしても。前の自分が今の自分と同じに忘れてしまった途端に、養父母はそれを捨てただろう。物置の奥へと仕舞う代わりに、ゴミ袋に入れて。
 だから、前の自分は再会出来なかったココちゃん。…もし、ココちゃんがいたとしても。
 どう考えても無理だったよね、と時の彼方で生きた時代を思ったのだけれど。
(あれ…?)
 ふと引っ掛かった、誰かが喜んでいた記憶。それは嬉しそうに弾んでキラキラ輝く心。光の粉を振りまくかのように、はち切れそうな思念が弾ける。
 また会えた、と何かを抱き締めて。両腕で強く、もう離すまいと。
(ぬいぐるみ…?)
 曖昧でハッキリしないけれども、ぬいぐるみ。それを抱き締めていた幼い子供。そういう記憶。
 まるで幼かった頃の自分とココちゃんのように、ぬいぐるみの友達を持っていた子供。
 その友達との再会を喜び、はしゃいで弾けていた思念。
 シャングリラにぬいぐるみはあったけれども、それで遊んだ幼い子供たちは、今の自分と同じに忘れてしまった筈。そういう友達がいたことを。
 ぬいぐるみは次の子供が貰って、いつかくたびれて、役目を終えてしまった筈。懐かしむ子供がいたとしたって、あんなに喜ぶものだろうか?
 自分のぬいぐるみには違いなくても、次の子に譲ったぬいぐるみ。もう要らないから、と。
 そうして譲り渡した以上は、懐かしんでも「昔、遊んだ」という程度の筈で…。



 まさか、と追い掛けてみた記憶。ぬいぐるみであれほど喜ぶなんて、と。
 白いシャングリラで、「また会えた」とぬいぐるみを抱き締めて喜んだ子供。そんな子供が誰かいたろうかと、いったい誰が、と。
 けれど、記憶に残っている。遠く流れ去った時の彼方で、確かに誰かが…。
 誰だろう、と引き寄せた遠くおぼろげな記憶、ぬいぐるみと…。
(カリナ…!)
 あの子だった、と思い出した。後にトォニィの母になった子。SD体制始まって以来、初めての自然出産に挑んだ、勇敢なカリナ。
(…カリナが持ってたぬいぐるみ…)
 幼かったカリナにとってのココちゃんと言えるぬいぐるみ。それをカリナは失くしてしまった。白いシャングリラではなくて、アルテメシアで。
 何が原因でミュウと発覚したのだったか、ユニバーサルに通報されて処分される寸前、救出班の仲間がカリナを救って連れて来た。シャングリラへと。
 其処までは上手くいったのだけれど、救出の時にカリナが失くした大切なクマのぬいぐるみ。
 いつも一緒だったカリナのココちゃん、それをカリナは離してしまった。ユニバーサルの兵から必死に逃れる途中で、いつの間にか。
 シャングリラに着いたカリナがふと気が付いたら、ココちゃんは何処にもいなかった。小型艇の中にも、船の通路にも、格納庫にも。
 泣きながら探して貰ったけれども、クマのぬいぐるみは見付からなかった。ずっと一緒にいたというのに、逃げる時にもしっかり抱えていた筈なのに。



 ぬいぐるみを失くしてしまったカリナは、今の自分がココちゃんと一緒だった頃の年。誰よりも大切にしていた親友、それがカリナのクマのぬいぐるみ。
 ココちゃんという名前ではなかったけれども、カリナのココちゃん。眠るのも、おやつも、本を読むのも、クマのぬいぐるみと一緒だったカリナ。
 なのにカリナは失くしてしまった。ただでも養父母や暮らしていた世界を失くして心細いのに、大親友のぬいぐるみまで。
(カリナ、泣いてて…)
 毎日のように泣いて泣きじゃくって、前の自分にも届いた心。悲しみに濡れたカリナの思念。
 「あの子が、ミーナがいなくなった」と。いなくなってしまって、もう会えないと。
 ヒルマンが「諦めなさい」と教え諭しても、毎晩泣いていたカリナ。ベッドの中で声を殺して、心の中で。「ミーナがいない」と、涙を零して。



 最初の間は、前の自分も「いずれ忘れる」と思っていたのに、泣き止まなかった幼いカリナ。
 何日経っても、失くしてしまった友達を呼んでは、涙を零し続けたカリナ。ぬいぐるみなのに、生きた友達とは違うのに。
 そのせいだろうか、余計に気になったクマのぬいぐるみ。…カリナのココちゃん。
(リオに頼んで…)
 探し出して貰ったのだった。カリナの記憶にあるぬいぐるみと、救出の時に辿ったルート。船の中からサイオンで探して、在り処を見付けて、リオを派遣した。
 瞬間移動で拾い上げることも出来たのだけれど、それも訓練の内だから。リオにとっては経験を積むことになるから、「今度の任務はクマのぬいぐるみの救出だよ」と。
 リオは小型艇でシャングリラを離れ、首尾よく回収して来たけれど。…困り果てた顔で青の間に報告にやって来た。カリナの大切な友達を連れて。
「ソルジャー、仰った場所で見付かりました。でも、傷んで…」
 排水溝に落ちたままでしたし、泥まみれになってしまっています。あれから雨も降りましたし。
 …これではカリナが可哀相です、自分のせいだと思うでしょう。落としたせいだ、と。
「…確かに酷いね…。でも、この船には頼りになる仲間が大勢いるから」
 任せておけば元通りになるよ、きっと綺麗に。
 直るまではカリナに言っては駄目だよ、これを回収して来たことは。…また泣くだろうけれど、こんな風になってしまった友達を見て泣き叫ぶよりは、知らない方がいいからね。



 リオには口止めをして、報告だけをさせておいた。救出を担当している部門や、その関係者に。
 無事に回収出来たけれども、すっかり汚れて泥まみれになったクマのぬいぐるみ。こればかりはサイオンでも直せないから、服飾部門の者たちに頼もうと思っていたら。
「ぬいぐるみ、見付かったんだって?」
 リオに聞いたよ、と現れたブラウ。泥まみれになっちまっていたらしいね、と。
「…そうなんだ。服飾部門に頼めば直るだろうけれど…」
 こんなに酷く汚れてしまって、とリオに渡された袋を見せた。クマのぬいぐるみが入った透明な袋。その袋ごと、服飾部門に預けに行こうとしていたのに。
「ふうん…。ボロボロだけどさ、大丈夫、あたしが直してやるよ」
 エラと二人でやってみようって話になっているんだよ。…リオに話を聞いたからね。
「直すって…。君とエラとで出来るのかい?」
 服飾部門の仕事なんかとは無縁だろうに…。これは洗って縫い直さないと駄目なんだろうに。
「任しときなよ、裁縫の腕ならアンタとは比較にならないってね」
 エラだってそうだ、普段はやっていないってだけさ。…なあに、二人でやれば早いよ。洗って、ほどいて、また洗うってことになるんだろうけど…。大した手間ってわけでもないし。
 こういうのは心が大切なのさ、とウインクしたブラウ。服飾部門はプロだけれども、仕事として修理をするよりも心のこもった修理が一番、と。



 「あたしたちが直すから、再会の場は用意してやりな」とブラウが持って行ったぬいぐるみ。
 ほんの三日ほどで、ブラウとエラはやり遂げた。クマのぬいぐるみを洗ってほどいて、元通りに縫って、すっかり綺麗に仕上げて来た。「上手いもんだろ?」と。
 こうしてカリナが失くした大親友は、シャングリラの新しい乗員になった。…人間ではなくて、ぬいぐるみだけれど。小さな茶色いクマだったけれど。
(それで、ハーレイと…)
 相談して、再会の場を用意したのだった。カリナが親友にまた会えるように。
 居住区に幾つも鏤めてあった公園の一つ、其処に据えられたテーブルの上。クマのぬいぐるみをチョコンと置いて、ハーレイがカリナを近い所まで連れて行った。
 他の子供たちが一緒にいたなら、肝心の対面が台無しだから。「ちょっと貸してよ」と幾つもの手が、ぬいぐるみを横から奪うだろうから。
 ハーレイは「ちょっといいかな?」と何気ない風を装ってカリナを連れ出した。養育部門から、手を引いて。「カリナはいつも泣いているけれど、友達は何処にいるんだろうね」と。
 友達を探す手伝いなんだ、と話したハーレイ。「キャプテンなら力になれそうだから」と。
 この辺りで探そう、とハーレイはカリナと二手に分かれた。「私は向こうを探してみよう」と。
 キャプテンが一緒に探してくれる、とカリナは張り切って歩き始めて…。



(後は、誘導…)
 前の自分が、青の間から。思念でカリナに行き先を示し、そうと知らないカリナは自分の意志で道を選んでいるつもり。通路を進んで、例の公園に行き着いた。
 「入ってごらん」と促したから、カリナは真っ直ぐ公園に入って、キョロキョロ見回して。
 そして見付けた、テーブルの上に。ずっと探していた友達を。…茶色いクマのぬいぐるみを。
 また会えた、と駆け寄って抱き締めたカリナ。頬ずりして、泣いて、大喜びして。
 今の自分が一番最初に思い出したのが、其処だった。嬉しそうに弾けたカリナの思念。キラキラ光って、弾んで、零れて。
 「また会えた」とクマのぬいぐるみを強く抱き締めて、「ミーナ」と何度も呼んでいた名前。
 カリナのココちゃん、大親友だったクマのぬいぐるみのミーナ。
 もう会えないと泣き続けていた、カリナが大切にしていた友達。カリナはミーナを大切に抱え、別の方へと向かったハーレイを捕まえて笑顔で報告した。「見付かったわ!」と。
 やっと再会出来た友達、カリナが「いなくなった」と毎晩泣いていたクマのぬいぐるみ。感動の対面を果たしたカリナは、その友達を船中に披露して回っていた。
 「この子とずっと一緒だった」と、「私の一番の友達だったの」と。
 ぬいぐるみでも、それがカリナの友達。救出の時に失くしてしまって、悲しくて泣き続けていた友達。一番の友達を取り戻したカリナは、それからずっと一緒だった。友達のミーナと。



 ミーナを大事にしていたっけ、と思い浮かべた幼かったカリナ。何処に行くにもミーナと一緒。おやつも食事も、遊ぶ時にも。「ミーナも行こう!」と抱えてやって。
 可愛かったよね、と思う幼いカリナ。両腕でしっかりと抱き締めていたぬいぐるみ。赤ちゃんを抱くお母さんみたいだった、と微笑んだけれど。
(…お母さん、って…)
 カリナは本物の母親になったのだった。…ずっと後になって。SD体制の時代の最初の母親に。
 歴史の授業では、ジョミーの養母に憧れたのだと教わるけれど。前の自分も、ジョミーに母親のことを訊いていたカリナを覚えているけれど。
 それよりも前に、クマのミーナを抱いていたカリナ。赤ん坊を胸に抱く母親のように。
(…あれで、カリナはお母さんになった…?)
 もしかしたら、と思わないでもない。カリナには素質があったのかも、と。
 歴史に名前を残したカリナ。…一番最初の自然出産児、トォニィの母になった勇敢なカリナ。
 彼女の母性は、ジョミーに会うよりも、もっと前からあったのだろうか。
 カリナのココちゃんだったミーナを懸命に探して、やっと取り戻せたあの時から。



 考えるほどに、母親そのものに見えて来たカリナ。クマのミーナを抱いていたカリナ。
 やはり、あの時からカリナは母親だったのだろうか。ミーナは友達だったけれども、その友達はぬいぐるみだから。…大切に抱えて連れて行かないと、何処へも行けない友達だから。
(…そうなのかな…?)
 そうだったのかな、と考え込んでいたら、仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから。自分の考えを聞いて欲しくて、テーブルを挟んで向かい合うなり問い掛けた。
「あのね、ハーレイ…。カリナのぬいぐるみのこと、覚えてる?」
「はあ?」
 ぬいぐるみって…。カリナっていうのは、あのカリナだよな?
 トォニィの母親になったカリナしか、俺はカリナを知らないんだが…。ぬいぐるみだと?
「忘れちゃったかな、クマのぬいぐるみ。…名前はミーナ」
 救出の時に失くしてしまって、カリナがいつまでも泣き止まなくて…。
 可哀相だったから、ぼくがシャングリラから思念で探して、リオが拾いに出掛けてくれて。
 だけど泥だらけになっちゃってたから、ブラウとエラが直したんだよ。洗って、ほどいて、元の通りに縫い直して。…ぬいぐるみのミーナ、覚えていない…?
「ああ、あれなあ…!」
 いたっけな、そういうクマのぬいぐるみ。…俺が一緒に探すふりをして…。
 前のお前が誘導してって、公園で再会出来たんだった。うん、あのクマは確かにミーナだ。
 ぬいぐるみだったが、カリナの大切な友達だったんだよなあ…。



 ハーレイも思い出してくれたようだから、「それでね…」と話した今の自分の閃き。
「あのぬいぐるみ、カリナはずっと大事にしてたけど…」
 いつも一緒で、何処へ行く時も、抱っこして連れて行ったんだけど…。
 クマのミーナを抱いていたカリナ、お母さんみたいに見えたんだよ。とても小さな子供なのに。
 …カリナはジョミーの話を聞いたから、本物のお母さんになろうと思ったらしいけど…。
 ひょっとしたら、素質があったのかな、って思ったんだよ。ミーナを大事にしていた時から。
 ぬいぐるみのミーナを大切にしてて、失くしちゃったら泣いてたくらい。
 そんなカリナだから、トォニィのお母さんにもなれたのかな、って。
 ねえ、ハーレイはどう思う…?
「クマのミーナか…。ジョミーに出会うよりも前から、母親の素質があったってか…」
 その可能性も大いにあるなあ、言われてみればな。
 …救出の時に大切な物を失くした子供はけっこういたんだ、ぬいぐるみだとか、本だとか。
 しかし、どの子も諦めちまった。…まるで世界が変わったんだし、仕方ないと思ったんだろう。怖い目にも遭ったし、あれを取り戻すのはもう無理だ、とな。
 ところが、カリナは違ったわけで…。ソルジャーのお前が動くくらいに頑張ったわけで。
 失くしちまったぬいぐるみを慕い続けて、とうとう見事に取り戻しちまった。
 …そんな子供は、他にはいない。カリナだけだな、キャプテンの俺が言ってる以上は確かだぞ。
 それほどに大事にしてたってわけだ、あのぬいぐるみを。小さかったカリナは。
 三つ子の魂百までと言うしな、ずっと変わらずに母性ってヤツを持ってたのかもな…。
「そっか、三つ子の魂百まで…」
 そう言うんだものね、そうだったかもね…。
 クマのミーナを大切にしたなら、赤ちゃんだって同じだものね。…ミーナも赤ちゃんも、守ってあげなきゃ駄目だもの。
 カリナがミーナのことを諦めていたら、ミーナは泥に沈んだままだよ。…シャングリラには絶対来られなかったし、それっきりになっていたんだものね…。



 ミーナはカリナの友達だったけれど、自分では何処へも行けない友達。その友達を大切にして、失くしたことを悔やみ続けたカリナ。
 …自分のせいだと、きっと分かっていたのだろう。ミーナがいなくなったのは。
 もしもカリナがユニバーサルの兵に追われなかったら、手を離すことも無かった筈。しっかりとミーナを抱き締めたままで、自分の家に帰れたのだから。
 だからミーナを諦めようとしなかったカリナ。取り戻せないことを悲しみ続けたカリナ。
 前の自分は泣き続けるカリナが可哀相になって、クマのぬいぐるみを探したけれど。…見付けてリオに拾わせたけれど、そうしてカリナがミーナと再会出来たことが強い母性を育んだなら。
 そうだとしたなら、あのぬいぐるみを探した価値はあったどころか、凄すぎた。
 泥まみれだったクマのぬいぐるみ。あれを「心が大切だから」と綺麗に直したブラウとエラも、まさかぬいぐるみがトォニィの誕生に繋がったとは、思いもしなかったことだろう。
 ぬいぐるみと最初の自然出産児では、全く違いすぎるから。価値も、中身も。
 ぬいぐるみに命は入っていないし、赤ん坊と違ってお金で買える。…もっとも、ぬいぐるみも、子供にとってはお金で買えない友達だけれど。他のぬいぐるみでは駄目なのだけれど。
 カリナが諦めなかったように。…今の自分が「ココちゃんがいい」と選んだように。



 今の自分が長い長い時が流れ去った後に見付けた真実。カリナの母性の強さを示すエピソード。
 ハーレイは「ふうむ…」と腕組みをして何度も頷き、感心した様子で訊いて来た。
「凄いな、お前。…カリナとクマのぬいぐるみとは…。最初から母親向きだったとはな」
 俺も今まで気付かなかったが、お前、どうして気が付いたんだ?
 カリナのクマのぬいぐるみ。…あれがトォニィに結び付くっていう凄い閃き、何処で見付けた?
「えっとね、ココちゃんに会ったから…」
 それで色々考えたんだよ、あれはカリナのココちゃんだよね、って。
 ミーナだったけど、カリナのココちゃん。…そう考えていたら、閃いたんだよ。
「ココちゃん?」
 誰だ、そいつは?
 それこそ知らんが、お前の友達にココちゃんっていたか?
「え、えーっと…」
 ココちゃんはココちゃんで、ココちゃんなんだよ。
 ハーレイは会ったことが無いだろうけど、ココちゃんだってば…!



 母には「片付けておいてね」と頼んで来たというのに、自分で喋ってしまったココちゃん。
 しまった、と慌てて誤魔化したけれど、バレてしまってもかまわない。
 そんな気持ちにもなってくる。
 ハーレイと夕食に下りて行ったら、ダイニングのテーブルの上にウサギのココちゃん。
 それを前にして父と母とが、「これが無いと眠れない子だったんですよ」と話してしまっても。
 ハーレイが「ほほう…。これがココちゃんなのか」とニヤニヤしながら覗き込んでも。
(…だって、ココちゃんのお蔭で分かったんだもの…)
 遠く遥かな時の彼方で、前の自分が探したカリナのぬいぐるみ。小さなミーナ。
 それがトォニィに繋がったことに、ハーレイと二人、今頃になって気が付いたから。
 あの時代の最初の自然出産児、そのトォニィを連れて来たのは小さなクマのミーナだから。
 だから、ココちゃんがバレたっていい。
 幼かった自分の大切な友達だったココちゃん。ぬいぐるみでも大事な友達だから。
 沢山の思い出を一杯に抱えて、会いに来てくれたココちゃんだから…。




           子供の友達・了

※ブルーの大切な友達だった、ぬいぐるみのココちゃん。再会したお蔭で、思い出したこと。
 時の彼方で、カリナが大事にしていた、ぬいぐるみ。カリナの母性は、ミーナが育んだかも。
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