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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

一番古い本

(ふうん…?)
 今もあったら凄いんだろうな、とブルーが眺めた新聞記事。世界で一番古い本という見出し。
 学校から帰っておやつの時間に、ダイニングで広げてみた新聞。
 人類が作った最古の本。人類と言っても、前の自分たちが「人類」と呼んでいた種族とは違う。まだ人類もミュウも無かった、遠い遠い昔。人間は全て人類だった時代のこと。
 人間が地球しか知らなかった頃に、人が作った最古の本。羊皮紙や和紙に文字を綴った例なら、色々あるけれど。粘土板や石に彫られた文字もあるけれど。
 本なのだから、製本されて本の形になったもの。記された文字は手書きだったけれど、きちんと綴じられて本の形になっていた。紀元前五百年という遥かな昔に作られた本。
 エトルリア語とかいう言語で書かれて、博物館に収められていた。人類の貴重な遺産として。
 けれど、失われてしまったという。地球が滅びてしまうよりも前に。保存技術が無かったから。当時の技術では、時の流れに抗うことは出来なかったから。
(…SD体制の時代まで残っていたら…)
 どうだったろう、と思うけれども、多様な文化まで消していたのがマザー・システム。
 世界で一番古い本を後の時代に残してくれたか、疑問に思わないでもない。データがあれば充分だろうと、ろくな手を打たなかったとか。…元の本には大して敬意を払いもせずに。
(そういうことだって、ありそうだよね…)
 様々な生き物たちは、地球が蘇る時に備えて保存されたけれど。それをしたのは機械ではなくて人間だから。SD体制を始めるしかないと決断を下した人間たちが保存を決めていたのだから。
(…機械にとっては、生き物なんて…)
 きっと、どうでも良かっただろう。人間でさえも無から創ろうとしたのがマザー・システム。
 神の領域にまでも踏み込んだ機械、人の文化に関心があろう筈がない。世界で一番古い本など、顧みようとする筈もない。データさえあれば、と放っておかれて朽ちてしまうのがオチ。
 保存する技術を持っていたって、使わずに。たかが本だ、とデータだけ取って。



 やっぱり残りはしなかったのか、と溜息をついてしまった本。今もあったら、本当に凄い宝物。世界最古だというだけで。…人間が作った、最初の本だというだけで。
 本の中身が何であろうと、誰もがそれを見たがっただろう。「これが世界で一番古い本だ」と。綴られた文字が読めなくても。エトルリア語などは知らなくても。
 今の自分だって、写真だけでも見たかった。本は好きだし、どんな本かと。なのに、データすら無いらしい本。遠い昔にそういう本が存在した、と伝わるだけで。
 残念だよね、と考えたついでに、思いを馳せた遠い時の彼方。前の自分が生きていた時代。
(前のぼくたちの時代の本だと…)
 キャプテン・ハーレイの航宙日誌が宇宙遺産になっていた。超一級の歴史資料として。
 同じハーレイの手になるものでも、木彫りのウサギとは全く違って非公開だけれど。研究者しか見られはしなくて、収蔵庫の奥にあるのだけれど。
 木彫りのウサギなら百年に一度、特別公開されるのに。行列に並べば誰でも見られるのに。
 そうはいかない、キャプテン・ハーレイの航宙日誌。実物を読めるのは超一流の研究者だけ。
(書いたハーレイでも読みに行けないよ…)
 絶対に無理、とクスッと笑った。今のハーレイは古典の教師で、研究者とは違うのだから。
 自分自身が書いたというのに、読みに行けないらしいハーレイ。
 超一級の歴史資料になってしまって、手も足も出ない宇宙遺産の航宙日誌。



 当時の本なら、人類の本も幾つか残っているのだけれども、宇宙遺産になってはいない。
 SD体制を肯定するような内容だから、宇宙遺産ではなくて単なる資料。人間が残らずミュウになった今は、それを好んで見たがる者などいないから。宇宙遺産としての価値が無いから。
 もっと古い時代に作られた本は、世界最古の本と同じに失われたという。地球と一緒に。
(ノアまで移送出来なくて…)
 地球に置き去りにするしかなかった本たち。あまりに古くて、運べなかった。技術が追い付いていなかった。保存技術も、輸送技術も。
 それほどに古いものでなくても、置いてゆかれた本たちもあった。SD体制の時代にそぐわない内容だから、と移送されずに、地球に取り残されてしまった。
(…その後に、地球が燃えていなければ…)
 何か見付かったのかもしれない。SD体制よりも前の時代に作られた本が。
 世界最古のエトルリア語の本は、それよりも前に消えてしまっていたらしいけれど。
(きっと、幾つも燃えちゃったんだ…)
 死に絶えた地球に残っていたかもしれない、古い本たち。SD体制が崩壊するまで、時の流れを越えた本たち。
 何冊かはきっと、あったのだろう。…地球と一緒に燃えてしまって、消えて行った本が。
 残っていたなら、今の時代の「世界最古の本」になれた筈の本が。



 ホントに残念、と新聞を閉じて二階の自分の部屋に帰って。
 勉強机の前に座って、本というものを考えてみた。自分の部屋にも何冊もの本。ズラリと本棚に並んだ本は色々、SD体制の時代よりも前に書かれた本も沢山。
(本の中身はあるんだけどね…)
 SD体制の時代も、それよりも後も、データベースに残っていたから。
 今のハーレイが教える古典も、データベースから引き出された資料で作られたもの。源氏物語も枕草子も、平家物語も。
 そういう日本の古典はもちろん、ピーターパンの本だってあった。セキ・レイ・シロエが大切にしていたと伝わるピーターパンの本。
 同じ中身の本は今でもあるのだけれども、シロエが持っていた本は残っていない。
(あの本、今まで残っていたら…)
 間違いなく宇宙遺産になっていただろう。歴史に名前を残した少年、セキ・レイ・シロエ。彼の大切な持ち物だった上に、後にキースの手にも渡った。
 ピーターパンの本はシロエと一緒に宇宙に消えた筈だったのに。シロエが乗っていた練習艇を、キースが撃墜した時に。
 ところが、ピーターパンの本は残った。事故調査で訪れた人間が見付けて持っていたのを、後に手に入れたスウェナ・ダールトン。彼女がキースにそれを渡した。
 其処までは確かに記録に残され、ピーターパンの本の写真もスウェナが撮っていた。



 けれど、無くなってしまったシロエの本。ピーターパンの本は姿を消した。
 SD体制が崩壊した後、スウェナが何度も捜させたのに。…ノアも、その他の様々な場所も。
 キースが立ち寄りそうな場所の全てを捜し尽くしても、ピーターパンの本は見付からなかった。
(多分、キースが…)
 処分したのだと言われている。処分した理由は謎だけれども、有力な説はシロエからキースへのメッセージが隠されていたというもの。
 マザー・イライザがキースを無から創り上げたことを、シロエは探り当てていたから。命懸けで手に入れたキースの秘密を、シロエは本に隠したのだと。
 それをキースが目にしていたから、本ごとメッセージを消した。…そういう説。
 肝心の本が何処へ消えたかは分からないけれど。
(…ぼくだったら、教育ステーション…)
 キースが、シロエが過ごした教育ステーション。其処へ返しに行っただろう。処分ではなくて、シロエに返しに。…廃校にされたステーションにあった、シロエの部屋へ。
 きっとキースは、シロエを嫌っていなかったから。…シロエが乗っていた練習艇を、撃ち落とす他にはなかっただけで。
(もしも、ぼくなら…)
 自分がキースだったなら。
 どんなメッセージを目にしようとも、シロエに本を返しただろう。大切にしていた宝物の本を。
(キース、E-1077を…)
 処分しに出掛けて行ったと言うから、その時に。…ピーターパンの本を、シロエの部屋に。
 そうして本は消えたのだと思う、歴史の中から。持ち主だったシロエの所に帰って行って。
(…分かんないけどね?)
 真相は、何も。あくまで今の自分の想像。
 キースは個人的なことについては、記録を残さなかったから。ほんの僅かな覚え書きさえも。



 宇宙遺産になっただろうに、消えてしまったシロエの本。中身なら今も残っているのに。書店に行けば、シロエのと同じピーターパンの本が手に入るのに。
(他に、宇宙遺産になりそうな本…)
 なれる資格を持っていたのに、残らなかった本はあるのだろうか。前の自分が生きていた時代の本たちの中に。…時の流れに消えてしまって、宇宙遺産になり損なって。
 白いシャングリラでも、改造前の船でも、色々な本を作っていた。データベースから引き出した資料を纏めて、本の形にしてあったもの。実用的な本はもちろん、読み物も沢山。
 最初から船に乗っていた本も何冊もあった。元は人類の物だった本。そちらの方なら、それこそ雑誌の類まで。アルタミラがメギドに滅ぼされる前に、元の船の乗員たちが読んでいたから。
(…本は一杯あったんだけど…)
 どれも駄目だ、と溜息をついた。宇宙遺産に指定されるほどの価値は無かった本たち。
 人類の世界にもあっただろう本、それと似たような中身では。ミュウが作ったというだけでは。たとえシャングリラ最古の本であっても、話にならない。
 キャプテン・ハーレイの航宙日誌と違って、歴史的な価値が皆無だから。



 古いだけでは駄目なんだよね、と考えた本。新聞にあったような世界最古の本となったら、中身までは問題にならないけれど。古いこと自体に価値があるのだけれど。
 キャプテン・ハーレイの航宙日誌が存在する以上は、宇宙遺産に指定されるには、同等の価値が必要だろう。歴史的に重要な意味があるとか、中身がとても重要だとか。
(古いっていうだけなんだったら…)
 航宙日誌よりも古かった本は多かった筈。元から船にあった本の他にも、あの船で作った数々の本。ハーレイがキャプテンになるよりも前に。
 シャングリラ最古の本と言うなら、それは航宙日誌ではない。もっと他の何か。
(…シャングリラで最古…)
 はて、と考え込んでしまった。どの本が一番古かっただろう?
 元は人類の物だった本は除いて、シャングリラ最古の本となったら。…一番最初に作られた本。
(…作った本なら…)
 本当に色々とあったと思う。改造前の船の頃でも、何冊も作ったのだから。
 けれども、覚えていない順番。船の航行に役立つための本から先に作ったろうか。それとも船の仲間たちのために、小説などが先に作られたろうか。
 船で直ちに必要な本なら、最初から乗せられていただろうから、もっと別の本。読んで楽しめる様々な本を作っただろうか、船の生活を彩るために。
(どうだったっけ?)
 思い出せない、本の順番。何から先に作り始めたか、どれが最古の本だったのか。
(…ハーレイなら分かる?)
 あの頃はキャプテンではなかったけれども、備品倉庫の管理人をしていたハーレイ。前の自分が奪った物資を整理して入れておくのが仕事。



(本は倉庫じゃなかったけれど…)
 倉庫に入れたら読めはしないから、専用の部屋があった筈。一種の図書館。
 けれど、どういった物が何処にあるかをきちんと把握していたハーレイ。管轄外の筈の物でも。倉庫には入れない工具箱が無いと慌てた者にも、「置き忘れていないか?」と言ったほど。多分、あそこだと場所まで挙げて。
 そんな具合で、「見当たらない物があったらハーレイに訊け」と言われた船だったから。
 ハーレイだったら分かるかもしれない、シャングリラ最古の本のこと。「それならアレだ」と。
(…訊きたいんだけどな…)
 来てくれるかな、と視線を遣った窓の外。仕事の帰りに寄ってくれたらいいんだけれど、と窓を見ていたら、運のいいことにハーレイが訪ねて来てくれたから。
 チャンス到来、と部屋でテーブルを挟んで向かい合うなり、ワクワクしながら問い掛けた。
「あのね、ハーレイ…。シャングリラで一番古かった本って、知っている?」
 どの本が一番古い本だったか、ハーレイなら覚えていそうだと思って…。
 新聞に世界最古の本っていうのが載っていたから、気になったんだよ。その本はとっくに消えてしまって、もう残ってはいないんだけど…。紀元前五百年頃の本だった、って。
「そいつは古いな、そんな時代なら日本じゃ紙も無い頃だよなあ…」
 いや、紙どころか書くような中身があったのかどうか。日本の文化の限界ってヤツだ。
 …それはともかく、シャングリラ最古の本ってか?
 元から船に乗ってたヤツなら、どれも古いぞ。航宙学の本でも、雑誌とかでも。
「そうじゃなくって…。それは人類が作った本でしょ?」
 みんなは飽きずに読んでいたけど、それよりも後。…ぼくたちが船で作った本だよ。色々な本を作った筈だよ、データベースから引き出した資料を纏めて綴じて。
「ああ、そっちか…」
 作っていたなあ、白い鯨が出来る前から。…俺が厨房にいた時代から。
 俺もあれこれ読んだもんだが、あの中で一番古い本ってか…?



 いったい何の本だったろうな、とハーレイも腕組みをして考え込んだ。本と言えば…、と。
「あの船で本を作り始めた頃ってヤツはだ、それこそ手当たり次第でだな…」
 中身は選んでいないと思うぞ、生きてゆくのに欠かせない本は最初から乗っていたからな。操船技術の本はもちろん、メンテナンスのための本だって。…マニュアルの他にも、色々なのが。
 だから、本を作ろうと思った頃には、その場の思い付きだろう。これを作ろう、と適当に。
 前のお前が奪った物資に、本を作るのに使えそうな物があったら本作りだぞ?
 これは使える、と手先の器用なヤツらが取り出して、見よう見まねながらも本格的で…。表紙もきちんとしたのを作って、元からあったのと変わらない本を。
 引き出した資料を印刷して綴じるだけだしなあ…。「これを頼む」と注文も出来たし、文字通り何でもアリってことだ。本の中身は。
「…じゃあ、ハーレイにも分からないの?」
 シャングリラで一番古かった本が何だったのか。…何の本を最初に作ったのか。
「うむ。…恐らく同時進行ってヤツで、何冊か一度に作ったんじゃないか?」
 データを纏めて印刷してから、手分けして。…全部が小説か、そうじゃなかったのか…。
 必要不可欠な本を作ったんなら、俺も覚えているんだが…。ただの読み物ではどうにもならん。
 印刷じゃなくて、手書きの本でもあったというなら別だがな。



 世界最古の本もソレだろ、というハーレイの指摘。「印刷技術が無い時代だから」と。
「…シャングリラにもそういう時代があったら、最古の本を絞り込めるが…」
 誰が書いたか、それが手掛かりになるからな。…しかし、前の俺たちには印刷技術というヤツがあって、だ…。本を作ろうってことになったら、端から印刷していっただけで…。
 手書きの本なんか無かったんだよな、手間をかけなくても機械が印刷してくれるんだし。
 …ん?
 待てよ、と顎に手を当てたハーレイ。
「何かあったの?」
 思い出せそう、古かった本?
 シャングリラで作った一番古い本は何だったのか、何か手掛かりでも思い出せたの…?
「それだ、手書きだ!」
 手書きの本ってヤツだったんだ。…あの船で一番古かった本は。
「えっ?」
 手書きの本なんかが、あの船にあった…?
 ハーレイだって言った筈だよ、印刷技術はあったんだから、って。
 本の中身はデータベースから引き出したヤツで、全部印刷していたんだし…。そんな手間なんか誰もかけないよ、手書きで中身を写そうだなんて。
 …せいぜいメモを取ってたくらいで、普通は印刷しちゃっていたよ?
 データベースの資料を持ち出したい時は。本にしようってわけじゃなくても、いつも印刷。
「確かにそいつが基本だったが…。だから、俺が言う手書きの本だって…」
 基本は印刷だったんだがな。データベースの資料そのままで、引き出して印刷したヤツで。



 全部が手書きの本というわけではなかったが…、とハーレイが浮かべた苦笑い。
「あの船で一番古かった本は、どうやら俺が作ったらしい」
 中身はもちろん、本に仕上げる所まで。…前の俺がな。
「ハーレイが!?」
 それ、ハーレイが作っちゃったわけ?
 手書きと印刷のが混じってる本を、前のハーレイが作っていたの?
 …しかもシャングリラで一番最初に。他の本なんか、まだ無かった頃に…?
「そのようだ。…頼まれたんじゃなくて、なりゆきだがな」
 本作りの趣味があったわけでもないから、もう本当になりゆきだ。俺が作るしか無かったしな。
 俺が自分で作らない限り、その本は手に入れられないんだから。
「えーっと…。航宙学の本?」
 元から船にあった分では足りなかったの、専門の本が?
 もっと詳しい本が欲しくて、ハーレイ、自分で作っちゃったの…?
「おいおい、あの頃、俺は厨房にいたんだぞ?」
 その時代だと承知で俺に質問をぶつけてたくせに、お前が忘れちまってどうする。
 俺は厨房で料理をしていて、備品倉庫の管理人を兼ねていたって時代の話をしてるんだが?
 何処の料理人が航宙学の本を読むんだ、仮に読んだとしたって作ろうとまでするわけがないぞ。もっと詳しく知りたいだなんて、考える筈がないからな。…読んだというだけで満足だろうさ。
 第一、もっと詳しく知りたくなっても、あの分野ってヤツは広すぎる。
 どのデータを引き出して集めりゃいいのか、料理人には見当すらも付かないってな。
 だからだ、前の俺が作ったシャングリラ最古の本というのは…。



 料理の本だ、と片目を瞑ってみせたハーレイ。それは楽しげに。
「厨房時代の俺に似合いの一冊だろうが?」
 いろんな料理の作り方から、調理法やら、それに必要な調理器具やら…。
 オーブンの扱い方まであったな、沢山の器を入れる時にはどういう風に並べるかだとか。置いた場所によって、熱の伝わり方ってヤツが変わってくるからな…。
 これがけっこう、大切なんだ。オーブンの中での器の配置は料理の肝だな。
「…なんで料理の本だったわけ?」
 それにオーブンの扱い方って、そんな本を作って何に使うの?
 前のハーレイは料理が上手だったし、料理の本なんか作らなくても良さそうだけど…。
「お前なあ…。俺が最初から料理のプロだと思うのか?」
 そりゃあ、確かに他のヤツらより料理の腕は上だった。手つきがまるで違ったからな。何処かで基礎を身につけたことは間違いないが…。その時代の記憶を失くしちまったというだけのことで。
 しかし、いくら料理の基礎があっても、それだけじゃ本当に美味い料理は作れないんだ。
 材料を手際よく切れた所で、どう使うのかが肝心だってな。…煮るのか焼くのか、味付けの方はどうするか。勘で作っても限度があるんだ、俺の知らない料理は作れん。
 消されちまった記憶の中にあったものなら、舌が覚えているんだろうが…。俺はサッパリ忘れていたって、こういう味付けも出来る筈だ、と試作してみる気になるんだが。
 一度も食ったことのない料理だったら、そうはいかんぞ。…俺はそいつを知らないんだから。



 初めての食材を見るのと同じだ、とハーレイは説明してくれた。
 卵は卵だと知っているから、焼いたり茹でたり出来るだけ。もしも卵を知らなかったら、白くて丸いというだけのもの。割ってみたって、どうすればいいか分からない、と。
「食い物なんだ、と聞かされたとしても、食べ方を全く知らないんだぞ?」
 そのまま生で食うのがオチだな、とりあえず。…そんな卵を焼くのはともかく、丸ごと茹でると思い付くのはまず無理だ。その茹で方にしても、固ゆでだとか、半熟だとか…。
 一事が万事で、俺の頭に浮かんでくれない料理というのがあったわけだな、いろんな時に。
 前のお前がやらかしてくれたジャガイモ地獄やキャベツ地獄だと、俺の頭も限界ってわけで…。何か無いかとデータベースに走って行ったさ、行き詰まったら。
 そういう時に、厨房でヒョイと開いてみる本。…そいつが何処にも無かったからな。
 船にはそういう本が無かった、とフウと溜息をついたハーレイ。あの頃の厨房に戻ったように。
 後にシャングリラと名前を変えた、元は人類のものだった船。
 コンスティテューションという名前で人類を乗せていた頃は、厨房の者たちは皆、プロだった。船を操る者たちがプロだったように、料理のプロたち。
 参考にする本など無くても自由自在に料理を作れていたのか、無かったレシピ。料理の本も。
 でなければ、彼らは簡単にレシピを調べる方法を何か持っていたのか。
 とにかく船の何処を探しても、厨房の隅から隅まで探し回っても、レシピはもちろん、参考書も一冊も見付からなかった。…こうすれば料理が出来ますよ、と書かれていた本。



 その手の本やレシピが何処にも無くても、作らねばならない毎日の料理。工夫を凝らして、船の仲間が飽きないように。…ジャガイモ地獄やキャベツ地獄の時なら、尚更。
「…だが、俺の場合はプロじゃないから、レシピってヤツが必要なわけで…」
 こんな料理を作りたいんだが、と思い付かなきゃ、調べに行くしか無かったわけだ。料理の本を開く代わりに、わざわざデータベースまで。
 …しかしだ、料理の試作をしようとする度にデータベースには行っていられないってな。時間の無駄だし、纏めて引き出して来た方がマシだ。
 ジャガイモならジャガイモ、キャベツならキャベツ。…これだってヤツを、端から全部。
 最初の間はプリントアウトだ、データベースのをそのまま印刷。そいつが俺のレシピ帳だった。あの料理は何処にあったっけか、と紙をめくって参考にしたり、その通りに作ってみたりして。
 ところが、どんどん数が増えちまって、散らばっちまうことも度々で…。
 キャベツはキャベツ、って纏めておいても、レシピが増えたら量も増えるし…。何かのはずみに手が滑ったら、俺のレシピ帳が厨房の床に散らばったってな。
「そうだっけね…」
 ハーレイが「おっと!」って叫んだ時には、もうヒラヒラと飛び散っちゃって。
 ぼくがサイオンで止めるよりも前に、床に散らばっちゃうんだよ、レシピ。
 纏めてサイオンで拾おうとしたら、いつもハーレイに止められたっけ…。
 「ちゃんと上下を揃えて拾わないと後が面倒だから、すまないが手で拾ってくれ」って。



 レシピを記した紙には上下があるものだから。…逆さになったら、文字も逆さになるから。
 そうならないよう、一枚ずつ拾っていたハーレイ。沢山のレシピが床一面に散らばる度に。
 前の自分も一緒に拾った覚えが何度も。上下が逆にならないようにと注意しながら、一枚ずつ。
「あれをだ、俺が何回もやってる内にだ…」
 見ていたブラウが「そんな面倒なことをやっているより、本にしちまいな」と言ったんだ。本に纏めれば散らばらないし、面倒が一つ減るじゃないか、と。
 エラとヒルマンにも勧められちまった、「面倒なのは最初だけだから」とな。
 本に纏める作業自体は大変だろうが、作っちまえば、二度とレシピは散らばらないし…。何度も拾う手間を思えば、時間も得をすろうだろうし、と。
 それに、目次もつけられる。…本と同じに、索引だって。各段に使いやすくなるしな、そいつを作りさえすれば。
 ついでに俺のオリジナルのレシピも加えるといい、と言われちまった。データベースには無い、俺のオリジナル。…料理人としては、ちょいと嬉しくなるだろうが。
 データベースに入っていたレシピと、俺のレシピが同じ本の中に載るんだぞ?
 いっぱしのシェフになった気分だ、自分の料理を纏めて出版して貰えるような、超一流のな。



 備品倉庫の管理人だっただけに、面倒な作業もどちらかと言えば好きだったから、とハーレイが懐かしそうに語る思い出話。料理の本を作ろうと決心してから、出来上がるまで。
 まずはレシピの整理から。
 データベースから引き出して印刷したままのレシピを順に並べて、何度も検討。素材別だとか、調理法ごとに分けてみるとか。
 どういう順にするのかが決まれば、次はハーレイのオリジナルのレシピ。本にするのに似合いのレシピを選び出しては、手書きして付け加えていった。この料理は此処、と思った場所に。
「そいつを綴じて本にしたんだ、素人作業だったがな」
 ヒルマンとエラに、「こうやるんだ」と製本のやり方を書いた資料を渡して貰って。
 せっせと糸で綴ったんだぞ、順番にな。…間違えて綴じたら大変だから、と確認しては。
「そういえば…。ぼくが渡していたんだっけね」
 ハーレイが本を作っている時は、手伝いに行って。…なんだか面白そうだったから。
 だけど針仕事の腕に自信が無くって、失敗したら悪いから…。そっちは手伝わなかったっけ。
 代わりに綴じるレシピの順番を確認しながら、「はい」って渡して。
 …間違っていないか、ハーレイがもう一度チェックしてから「よし」って綴じていたんだよ。
 端っこの方に糸を通して、外れないように注意して留めて。
「思い出したか? 俺が作っていた本」
 印刷と手書きが混じっていた本、どうやら思い出してくれたようだな。
「うん。ハーレイの本、とっても凝っていたんだっけね」
 綴じ方と表紙も頑張ってたけど、あの中身だって。…ハーレイ、凄く凝っていたもの。
「手書きのトコはな。…他は印刷そのままなんだし、俺は纏めただけなんだが…」
 俺のレシピも、プロのレシピに負けないような見栄えにしたいじゃないか。
 誰かが眺めたら作りたくなる、そんな気持ちになれるページに仕上げてこそだ。こだわれるのも手書きだからだし、どうせ書くからには凝らないとな?



 他のレシピと同じサイズの紙を選んで、ハーレイが手書きしたオリジナルのレシピ。
 材料ごとの分量を示した部分を枠で囲んだり、出来上がった料理や調理過程の写真を添えたり。
 データベースから引き出した数々のレシピ、それに見劣りしないようにと。
 それを幾つも間に挟んで出来上がった本は、ハーレイがよく開いていた。厨房で料理を試作する時に、「これを参考に…」といった具合に、パラパラめくって。
 素材で調べたり、調理法だったり、その時々に合わせた調べ方。目次も索引も役立ったらしい。それを作るまでの手間を補って余りあるほどに。
「…ハーレイ、あの本…。あれから後はどうなったわけ?」
 シャングリラで一番古い本だけど、ハーレイがキャプテンになった後にはどうなっちゃったの?
 まさかブリッジには持って行かないよね、ハーレイの部屋に持ってった…?
「俺の部屋に移してどうするんだ。あれは料理の本なんだぞ?」
 厨房で料理に役立ててこそだ、だから厨房に残して行った。良かったら参考に使ってくれ、と。
「そうだったんだ…。それって、代々、引き継がれてた?」
 厨房のスタッフ、あれから何人も変わったけれど…。ハーレイの本も一緒に引き継ぎ?
 変わる時には引き継ぎだものね、船のみんなの好きな料理とか、色々なことを。
「いや、もっといい本が手に入ったからな、後の時代は」
 データベースの資料を基にだ、料理の本を作ろうってヤツも出て来たし…。
 白い鯨になった後には、手に入らなくなった食材もあったし、それに合わせて料理も変わった。時代にピッタリのレシピが一番なのは当たり前だし、そっちの本になっただろうな。
 …古臭い俺の手作りじゃなくて、綺麗に仕上がった料理の本に。
「じゃあ、あの本は…」
 シャングリラで一番古かった本の、ハーレイが作った料理の本は…?
「消えちまったんじゃないか?」
 綺麗サッパリ、それこそ何処かに。…ゴミになったかもしれないなあ…。
「えーっ!」
 ゴミって、あんなに素敵な本が!?
 前のハーレイが頑張って作った、シャングリラで一番古かった本がゴミになっただなんて…!



 とんでもない、と上げてしまった悲鳴。シャングリラで最古だった本。
 キャプテン・ハーレイのオリジナルレシピが手書きで綴られた本で、ソルジャー・ブルーが製本するのを手伝った本。
 キャプテン・ハーレイもソルジャー・ブルーも、知らない人などいないのに。…そういう二人の共同作業で作られた本が、よりにもよってゴミだなんて、と。
「…だって、ハーレイ…。あの本、残ってたら宇宙遺産だよ?」
 ハーレイの航宙日誌は歴史資料だから当然だけど、シロエが持ってたピーターパンの本。
 …あれがあったら宇宙遺産になった筈だって言うんだもの。…いくら中身が料理の本でも、前のぼくたちが作った本なら、絶対に宇宙遺産だったよ。
 キャプテン・ハーレイが書いたレシピと集めたレシピで、ソルジャー・ブルーと二人で製本…。
「…間違いなく超一級の宇宙遺産だな…」
 シロエの本でも指定されたと言われてるんだし、いけた筈だな。
 …誰か気付いていたんなら。あの古臭い本の価値ってヤツに。



 今も伝わる伝説の英雄、ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ。
 その二人が作った料理の本。手作りだった、シャングリラで一番古かった本。今もあったなら、宇宙遺産になっただろうに、誰もその本の価値に気付かなかったから。
 シャングリラ最古の本は失われた。…世界最古の本と同じに。
「えーっと…。白い鯨になった後には?」
 もう無かったのかな、あの本も…。新しい船で使わない物は廃棄処分にしていたし…。
「それだけは無いな、厨房のレシピは全部纏めて運ぶようにと指示したからな」
 新しい船でも食っていかなきゃならないし…。食べ物無しでは、絶対に生きていけないんだし。
 どんなレシピの出番があるかは謎だからなあ、「とにかく全部運べ」と言った。
 だから、あの段階では厨房にあった筈なんだが…。それから後はどうなったんだか。
 使えないな、と奥の方へと突っ込まれちまって、それっきりなのか。
 でなきゃ誰かが汚しちまって、誰も読む気になれない見掛けになっちまったか…。
 どっちにしたって、トォニィの代には誰も気付かなかったってこった。
 …シャングリラを解体しようって時に、あの本は何処かへ移されもせずに、それきりなんだし。



 シャングリラが白い鯨になった時までは、残っていたらしい手作りの本。
 けれど分からない、あの本のその後。
 消えてしまった最古の本。ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイが作り上げた本。
「もったいないね…。消えちゃったなんて」
 前のぼくとハーレイが作った本なら、シロエの本より、よっぽど凄いと思うのに…。
 そんな本があったっていう話さえ無いよ、誰も知らずに消えちゃったよ…?
「世の中、そうしたモンだってな。…色々なものが消えていくもんだ」
 知られもしないで、ひっそりと。古典になれずに消えちまった本も多いんだから。
 俺の本なら、航宙日誌が残っているからそれでいいだろ、あれは立派な宇宙遺産だぞ。
「でも、ハーレイでも見られないよ?」
 本物の航宙日誌ってヤツは、超一流の研究者しか見られないんだから…。
「別に見たいとも思わんしな、俺は」
 データベースで見られりゃいいんだ、とハーレイは気にもしていないから。
 今でもあれこれ読んでは楽しんでいるのだろう。ハーレイにだけは読み取れるという、元の字をそのまま写し取っている航宙日誌に隠された遠い昔の自分の記憶を。
 文字の向こうから見えてくるらしい、それを綴っていた日のことを。
「…ハーレイはそれでいいんだろうけど…。ぼくは字だけを見たって分からないんだよ!」
 ハーレイが何を思って書いたか、どんな気持ちが詰まってるのか。
 航宙日誌、いつか研究者向けのヤツを買ってよ、そしてぼくにも解説してよ?
 この日にはこういうことがあった、って。
「さてなあ…?」
 研究者向けのは高いからなあ、本物のレプリカみたいなものだし…。
 買ったら大散財なんだ。…お前だって知っているだろ、べらぼうに高いということは。
 それだけの金を払えば色々出来るぞ、旅行も、美味い食事だってな。



 同じ金なら値打ちのある使い方をだな…、と上手く誤魔化されてしまったけれど。
 航宙日誌を買おうとは言って貰えなかったけれど、今日は許そう。
 シャングリラで一番古かった本。
 キャプテン・ハーレイの手書きのオリジナルレシピが入った、最古の本を二人で作った思い出。
 それを二人で語り合えたから、本の記憶が蘇ったから。
 あの頃からきっと、互いに特別だったから。
 二人で一緒に本を作るほど、シャングリラで最古の本を二人で頑張って作り上げたほどに。
 きっと特別な運命の二人。そう思えるから、今日はそれだけでいい。
 作った本は時の流れの彼方に消えても、あの幸せな思い出だけは今も残っているのだから…。




           一番古い本・了

※シャングリラで一番古かった本は、前のハーレイとブルーが作った料理の本だったのです。
 前のハーレイの手書きのレシピも入った、手作りの本。残っていれば、立派な宇宙遺産。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv











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