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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

ガラスの靴

(ふうん…?)
 綺麗、と小さなブルーが眺めたガラスの靴。学校から帰っておやつの時間に広げた新聞、其処に載っていた美しい靴。
 幼い頃に読んだお伽話から抜け出したように、澄んだ輝き。イメージそのまま、キラキラと光る透明な靴。クッションの上に置かれて、お姫様が履くのを待っているよう。
 なんて素敵な靴なんだろう、と添えられた記事を読んでみたら。
(大切な人へのプレゼントにどうぞ、って…)
 本当に本物のガラスの靴。履いて歩くのは難しいけれど、履いても割れはしない靴。小さなヒビさえ出来はしなくて、足にピッタリ合うらしい。ガラスだから歩けないだけで。硬いガラスは足の動きに添って柔らかく曲がらないから、靴擦れなどが出来てしまって。
 足のサイズにピッタリ合わせて、大切な人へのプレゼント。そうするためのガラスの靴。
(大切な人だから…)
 もしも自分が贈るのだったら、ハーレイということになるけれど。
(違うよね、多分…)
 ガラスの靴を履くには大きすぎる足。サイズは特注になってしまいそう。ガラスの靴はピッタリ合うのが売りらしいけれど、基本のサイズはあるだろうから。
(微調整して作るんだよね?)
 きっとその方が効率的。一から作ってゆくよりも。
(ハーレイのサイズで作って下さい、って頼んだら、待ち時間、うんと長いかも…)
 それでも出来るとは思うけれども、貰うのなら自分の方だろう。ガラスの靴はお姫様の靴だし、写真の靴も女性向け。すらりとして華奢で、踵が高くて。



 何処から見ても、男性用ではないデザイン。お伽話の世界の靴。
 自分も男には違いないけれど、貰うなら多分、自分の方。いつかハーレイのお嫁さんになるし、花嫁衣装も着るのだから。
(だけど、貰っても…)
 似合いそうにないガラスの靴。チビの自分が履いてみたって、学校でやる劇の登場人物のよう。懸命に役を演じているだけ、大人の役でも子供は子供。お姫様でも、王子様でも。
(もっと大きくならないと…)
 ガラスの靴は似合わないだろう。サイズがピッタリ合っていたって、劇の衣装にしかならない。金色の紙で出来た冠などと同じで、子供に似合いの舞台用の小物。少しも値打ちが無さそうな靴。いくら綺麗に光っていたって、履いているのは子供だから。
(ぼくが履いても似合うようになるのは…)
 前の自分と同じに育って、結婚出来るくらいの年頃。花嫁衣装が着られる頃。
 だから、この靴もプロポーズ用の靴なのだろう。お伽話に憧れる女の子にプレゼントするより、プロポーズ。大切に想う恋人に渡して、履いて貰って。
(指輪よりかは…)
 こっちの方が好みかも、と考えた。
 プロポーズには指輪がつきものだけれど、指輪は結婚指輪で充分。婚約指輪なんかは要らない。貰ったところで嵌めることもないし、つけてゆく場所も無いのだから。
 それよりはガラスの靴がいい。指輪と違って飾っておけるし、いつも眺めて幸せな気分。見れば浮かぶだろうプロポーズの言葉、貰った時の気持ちなんかも。貰った場所も。
 そう思ったら…。
(ガラスの靴…)
 この靴が欲しくなって来た。煌めくお伽話の靴。本当に履けるガラスの靴を、ハーレイから。
 「お前の足に合う筈なんだが」と。



 おやつを食べ終えて部屋に帰っても、忘れられないガラスの靴。透き通ったガラスで出来た靴。足にピッタリのガラスの靴は…。
(シンデレラだよね)
 ガラスの靴を履いたお姫様。憧れの王子様とダンスを踊って、幸せ一杯のハッピーエンド。
 今の自分もハーレイとハッピーエンドを迎えるのだから、ガラスの靴が似合うと思う。使わない婚約指輪などより、ガラスの靴でプロポーズ。
 それがいいな、と夢を膨らませていたら、聞こえたチャイム。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、ワクワクしながら切り出した。テーブルを挟んで、向かい合わせで。
「あのね、靴をプレゼントしてくれる?」
 今じゃなくって、ぼくが大きくなってから。…靴のプレゼント。
「はあ?」
 靴ってなんだ、俺と一緒にジョギングするのか、そのための靴か?
「違うよ、ガラスの靴だってば!」
 シンデレラが履いてたガラスの靴だよ、今日の新聞に載ってたんだよ!
 とっても綺麗なガラスの靴。足にピッタリに作って貰えて、本当に履ける靴だって。硬いから、歩くのには向いてないらしいけど…。
 「大切な人へのプレゼントにどうぞ」って書いてあったから、きっと恋人用だと思う。ガラスの靴でハッピーエンドになるお話でしょ、シンデレラは?
 だからね…。



 プロポーズしてくれる時はそれがいいな、と注文した。足にピッタリのガラスの靴。婚約指輪を貰うよりもガラスの靴がいい、と。
「そうなのか? 婚約指輪よりもガラスの靴なあ…」
 まあ、お前、確かに指輪は嵌めそうにないが…。プレゼントしても。
「シャングリラ・リングは欲しいし、嵌めるよ! シャングリラから作る指輪だもの!」
 それに結婚指輪はちゃんと嵌めるよ、シャングリラ・リングじゃなくっても!
 抽選に外れて普通の指輪になってしまっても、ハーレイとお揃いの指輪なんだから!
 前のぼくたちは嵌められなかった、結婚してる印なんだから…!
「そいつは俺も何度も聞かされてるが…。それ以外の指輪はあまり興味が無いんだろ?」
 婚約指輪は贈るつもりだが、お前、仕舞っておくだろうしな。…つける代わりに。
「うん、そんな指輪は嵌めないよ。大切にするけど、宝石の指輪は、ぼくはあんまり…」
 つけて行くような場所も無いしね、高い指輪を買って貰っても。
 ハーレイと結婚出来れば充分、婚約指輪も要らないくらい。結婚指輪だけで。
 でも…。
 プロポーズにガラスの靴もいいな、と思うから…。ハッピーエンドのお姫様の靴。
 婚約指輪を貰うよりかは、断然、そっち。うんと幸せな気分になれそう。
「…男物の靴は無いと思うぞ?」
 なにしろガラスの靴なんだしなあ、普通、男には贈らんだろうし…。
「それでもいいから! 新聞に載っていたガラスの靴も、女の人の靴だったから!」
 ホントにシンデレラが履きそうな靴で、踵も高くて…。あの靴が欲しいよ、シンデレラの靴。
 夢みたいに綺麗なガラスの靴が。
「なるほど…。要はハッピーエンドなんだな、お前の夢は?」
 宝石のついた指輪を貰うより、ハッピーエンドのガラスの靴。
「そう!」
 幸せになれそうな気分がするでしょ、ガラスの靴を貰ったら。
 プロポーズされて指輪を嵌めてみるより、足にピッタリのガラスの靴を履く方が。



 絶対、幸せになれそうだから、と強請った靴のプレゼント。気が早すぎる話だけれど。まだまだ結婚出来はしなくて、プロポーズの日も来ないのだけれど。そうしたら…。
「そうだな、今は時間切れにもならないしな」
 ガラスの靴もいいかもしれんな、あれの魔法は時間が来たら解けちまうんだから。
「え…?」
 時間切れってなあに、それに今って…?
 ハーレイ、魔法を見たことがあるの、時間切れになっちゃうシンデレラの靴を…?
「シンデレラに会ったことは無いがだ、似たような人なら知っていた」
 前のお前だ。時間が来たら魔法が解けて、ソルジャーに戻っちまうんだ。
 俺だけの大切なお姫様なのに、魔法の時間が終わっちまったら…。
「あ…!」
 そうかも、前のぼくならシンデレラかも…。舞踏会には行かなかったけど。
 ハーレイとダンスもしていないけれど、恋人でいられた時間は確かに魔法だったかも…。
 みんなに内緒で、知られるわけにはいかなくて…。
 恋人同士でいられる時間が終わっちゃったら、前のぼく、ソルジャーに戻っておしまい…。



 シンデレラは夜にお城の舞踏会へと出掛けるけれども、前の自分も夜の間だけのお姫様。昼間は白いシャングリラを守るソルジャー、夜になったらハーレイの恋人のお姫様。
 ダンスの代わりに抱き締めて貰って、キスを交わして、二人きりの甘い時間が始まる。ガラスの靴を履いて踊る代わりに、ソルジャーの靴を脱いでしまって。
 靴だけでなくて、マントも上着も何もかも脱いで。ハーレイと抱き合って愛を交わして、二人で寄り添い合って眠って。恋人同士の夜を過ごして、朝になったら…。
「お前、靴を履いて行っちまった」
 シンデレラは靴を落としてゆくのに、お前は履いて行っちまうんだ。
 元のソルジャーに戻ってしまって、お姫様のお前は消えちまう。俺の前からいなくなるんだ…。
「それを言うなら、ハーレイもじゃない…!」
 お姫様じゃなくて王子様だけど、靴を履いたら元のキャプテン。
 前のぼくの恋人は消えてしまったよ、キャプテンの靴を履いちゃったら。
「まあな。…お互い様ってトコか」
 お前はソルジャーで、俺はキャプテン。恋人同士の顔は誰にも見せられなかった。
 夜の間だけしか、魔法はかからなかったんだ。前の俺たちが恋人でいられる魔法はな…。



 昼間も恋はしていたけれども、皆の前ではキスは出来ない。抱き合うことも、手を繋ぐことも。
 前の自分も前のハーレイも、お互い、夜だけの恋人同士。
 魔法の時間が終わった後には、靴を落としてさえ行けなかった二人。シンデレラが片方落とした靴は、ハッピーエンドに繋がったのに。シンデレラの足にピタリと合って。
「前のぼくたち、靴も落とせなかったよね…」
 魔法の時間が終わっちゃったら靴を履くんだし、両方履くしかなかったから。右も左も。
 制服を着たら、靴も履かなきゃ…。
「靴を片方だけっていうのは有り得なかったからなあ、俺たちの場合」
 キャプテンにしてもソルジャーにしても、だらしないってことになっちまう。
 靴を片方しか履いてないんじゃ、寝ぼけてるとしか見えないからな。両方きちんと履かないと。
「そうでしょ? ぼくがやっても、ハーレイがやっても、エラに叱られてしまいそう」
 片方の靴はどうしたのです、って怖い顔をして睨まれて。急いで履いて来て下さい、って。
 でもね…。前のぼくたち、靴を落としては行けなかったけど、その必要は無かったと思わない?
 片方の靴を持って探しに出掛けなくても、誰だか分かっていたんだから。…自分の恋人。
 前のぼくもハーレイも、ちゃんと恋人、分かっていたでしょ?
 何処にいる人で、どんな人なのか。顔も名前も、何もかも全部。
「違いないな…!」
 靴を落としちゃ行けなかったが、最初から落とす必要も無い、と。
 俺はお前を間違えやしないし、お前だって俺を間違えやしない。靴を頼りに探さなくても、船の中で会えば分かるってもんだ。
 他のヤツらが周りにいたから、出会ってもキスは出来なかったし、プロポーズも出来なかったというだけのことで…。前の俺たちには、片方だけの靴は要らなかった、と。
 持ち主は誰か、お互いに知っていたんだからな。



 それに、とハーレイが浮かべた笑み。「靴が頼りでも苦労しないぞ」と。
「俺はともかく、お前の場合は靴を見ただけで誰か分かったからな」
 あの靴の持ち主が分からないヤツは、シャングリラには一人もいなかったろうさ。
 あれを履ける足の持ち主を探さなくても、同じデザインの靴は他に一つも無かったんだから。
「ぼくだけだったしね、あんな靴…」
 他には誰も履いてなかったよ、あんなに目立つブーツなんかは…!
「そういうこった。俺の靴なら他に幾つも…って、サイズで分かるか」
 同じデザインの靴が山ほどあっても、俺の靴のサイズは特大っていうヤツだしなあ…。
「当たり前だよ、長老の靴は全部おんなじだったけど!」
 キャプテンの靴と長老の靴は、同じデザインになってたものね。男性用でも、女性用でも。
 それに、仲間の靴だって。…男性用のはハーレイたちのと良く似ていたよ。パッと見ただけじゃ分からないほど、見掛けはそっくり。
 でも、前のぼくだって、サイズで誰だか直ぐに分かったよ。靴の持ち主。
 ハーレイが靴を片方落として行ったら、「この大きさなら、ハーレイだな」って。
「そうなんだよなあ…。俺の足だけが無駄にデカかったんだ」
 ミュウは大抵、虚弱に出来ていたもんだから…。アルテメシアで新しい仲間が増えていっても、前の俺みたいにデカい身体の持ち主は一人もいなかったっけな。
 あの図体に見合った靴を履いてたのは俺しかないし、他のヤツらには大きすぎる靴で…。落ちていたなら、俺の靴だと分からないヤツは誰もいないか。
 お前の場合はつまらないんだな、恋人探し。
 俺が片方落として行っても、誰の靴か直ぐに分かるんだから。
「ハーレイもでしょ!」
 先にハーレイが言い出したんだよ、ぼくの靴は見ただけで分かるって!
 ピッタリの足の持ち主は誰なのか探さなくても、同じデザインの靴は無いんだから、って!



 前の自分も前のハーレイも、探す必要が無かった靴の持ち主。片方落としていった恋人。
 誰に見せてもデザインかサイズで分かってしまうし、自分たちだって同じこと。
 つまらないような気もするのだけれども、逆に考えれば探さなくても出会える恋。片方だけでも靴があったら、それだけで。誰の靴かと、一目見ただけで。
(お互い、探さなくても済むんだっていう方が凄いよね…?)
 シンデレラの王子は国中を探させるのだから。片方だけのガラスの靴を家臣に持たせて、それがピッタリの人は誰かと。誰とダンスを踊ったのかと、自分が恋をした人は、と。
 そうしなくても、恋の相手が直ぐに分かったのが前の自分たち。考えようによっては、お伽話の恋人たちよりずっと上。探す必要も無いのだから。靴が片方ありさえすれば。
(シンデレラよりも凄いよ、これって…)
 本当に運命の恋人同士、と前の生へと思いを馳せていたら、ハーレイに声を掛けられた。
「そういえば…。お前、羨ましがっていたっけな?」
 俺に何度も言っていたもんだ、そんなのがいいな、と。
「羨ましいって…。何が?」
 何が羨ましかったの、前のぼくは?
「前の俺の靴だ。さっきから話題になっている靴」
 キャプテンだった俺が履いてた靴だな、ゼルやヒルマンのと全く同じでサイズ違いの。
 シャングリラで一番デカいサイズで、他のヤツが履いたら脱げそうなヤツ。
「靴って…。なんで?」
 どうしてハーレイの靴が羨ましいわけ、あの靴、船に溢れていたよ?
 ゼルやブラウのは全く同じで、男性用の靴も見た目は殆どおんなじで…。
 ハーレイの靴って言わなくっても、シャングリラの中には山ほどあったと思うんだけど…!
 ゼルの靴でもヒルマンの靴でも、どれでも羨ましそうなんだけど…!



 まるで記憶に無い話。平凡だったキャプテンの靴。長老たちは揃いのデザインだったし、男性の制服に合わせた靴も似たようなもの。並んで立ったらそっくり同じに見えたくらいに。
 あんな靴の何処が良かったのだろう?
 シャングリラでは本当にありふれた靴で、珍しくもなんともなかった靴。通路に片方落っこちていても、誰の靴か分からないほどに。ハーレイの特大の靴でなければ。
 どう考えても平凡な靴で、前の自分が目を留めそうにもないのだけれど。
(羨ましいって言ってたんだし、何かいいトコ、あったんだよね…?)
 きっとその筈、あの靴ならではの魅力が何処かに。
 履き心地だろうか、と思ったけれども、ソルジャーの靴の履き心地が悪いわけがない。比べれば遥かに上だった筈で、足にピッタリだった筈。それこそシンデレラの靴のように。
(履いてることを忘れるくらいの靴だったよ…?)
 大袈裟なブーツだったけれども、軽やかで、重みを感じさせなくて。
 それでいて防御力はとても高かった。衝撃などから守ってくれた頼もしい靴。いつも着けていた手袋と同じ。身体に負担をかけない素材で、それは丁寧に作られていた靴。
 起きている間は、何処へ行くにもあの靴を履いていたのだから。船の中でも、船の外でも。
 常に足を包み続ける靴だし、不快感を与えないように。締め付け過ぎたり、緩すぎたりでは話になりはしない靴。身体の一部であるかのように、馴染んでいないといけない靴。
 ソルジャーのための靴だったのだし、シャングリラの中では最高の履き心地の靴だった筈。他の仲間とは足のサイズが変わってくるから、誰が履いても最高の靴とは言えないけれど。
 ハーレイだったら足が入らないし、他の仲間でも靴擦れが出来たかもしれない。
 とはいえ、前の自分にとっては、シンデレラの靴のようだった靴。前の自分のためだけの靴。
 そういう靴を履いていたのに、どうしてハーレイの靴が羨ましかったのだろう?
 いくらでも船にありそうな靴が。落っこちていても、持ち主が全く分からないような靴が。
 …サイズの問題を抜きにさえすれば。ハーレイの靴なら、サイズで一目瞭然だから。



 分からないや、と首を傾げて考え込んでいたら、「忘れちまったか?」と可笑しそうな声。
 あんなに羨ましがっていたのに、と。
「前のお前は、あの靴が羨ましかったんだ。船に溢れていた靴がな」
 何処から見たって平凡な靴で、ありふれたデザインだったんだが…。おまけに地味だし。
 しかしだ、お前、前の俺が朝にアレを履く時、よく言ってたぞ。
 俺の足元を覗き込んでは靴を眺めて、指差したりして。
 ハーレイの靴は普通でいいね、と。ぼくのと違って、みんな履いてる靴だから、とな。
「ああ…!」
 そうだったっけ、普通なのが羨ましかったんだ…!
 ハーレイの靴はみんなと同じで、ゼルもヒルマンもブラウも履いてて…。他の仲間もよく似てる靴で、おんなじ靴が船に一杯。誰の靴だか分からないくらい。
 でも、ぼくの靴はシャングリラで一人だけしか履いてなくって、誰も同じじゃなかったから…。少しも普通じゃなかったから…!
 思い出した、と手を打った。
 前の自分が履いていたのは、よく目立つブーツ。上着に合わせたデザインのもので、白くて縁に銀の装飾。しなやかな素材で出来ていたけれど、邪魔なものではなかったけれど。
(靴じゃなくって、ブーツなんだよ…)
 ブーツも靴の一種だとはいえ、ハーレイたちの靴とは違う。あちらはごくごく普通のデザイン、ズボンの裾から覗くもの。制服が主役で靴は脇役、大して人目を引いたりはしない。
 ブーツの方だと、ズボンの裾はブーツの中に入るのに。ブーツも立派に制服の一部、履いていることを前提にして服もデザインされていたのに。
 男性用に作られた制服の靴も、ハーレイたちの靴と殆ど同じ。誰も履いてはいなかったブーツ。靴はズボンの裾から覗いて、脇役でしかないものだった。
 前の自分の靴だったブーツは、目立つブーツは、どちらかと言えば…。
(女性用の制服の靴とおんなじ…)
 あっちはブーツ、と零れた溜息。遠く遥かな時の彼方で、前の自分がそうだったように。
 其処を何度も見詰め直しては、「女性用かも…」と溜息を漏らしていたように。



 蘇って来た前の自分の記憶。男性は履いていなかったブーツ。自分の他には、ただの一人も。
 男性用のブーツと言えば、修理などの時の作業用。人前に出る時は履き替えるもので、ブーツで船内を歩いていたりはしなかった。よほど急いでいる時以外は。
 けれど、女性はいつでもブーツ。制服がそういうデザインだったし、子供の頃から。小さい間は短いブーツで、大きくなったら長い丈になっていたブーツ。
「ハーレイ、前のぼくが履いてた靴だけど…」
 ぼく一人しか履いていなかったことも普通じゃないけど、ブーツだったことも普通じゃないよ。
 あの船でブーツを履いていた人、男の人には誰もいなくて…。
 作業服とかを入れなかったら、ブーツは女性用の靴。女の人の制服の靴がブーツだったよ。
「思い出したか、そこが問題だったんだよなあ…」
 お前、何度も文句を言うんだ、「この靴は女性用だと思うんだけど」と、俺だけに。
 服飾部門のヤツらに文句を言えはしないし、会議にかけて変えるわけにもいかないし…。
 もっと早くに気付いていたなら、デザインの段階で変えられたろうが…。後の時代でも、素材が完成するまでだったら、多分、変更出来たんだろうが。
 …お前、気付くのが遅すぎたんだな、男でブーツはお前だけだということに。
 前の俺だって、お前が文句を言うまで全く気付かなかったし、無理もないとは思うんだが。
「うん…。ぼくもホントにウッカリしてたよ」
 ハーレイたちの靴とは違う、ってトコばかり見てて、船全体が見えていなくって…。
 前のハーレイと恋人同士になった後だよ、女の人の制服だったらブーツなんだ、ってことに気が付いたのは。…それまではちっとも知らなかったよ、ホントだよ。
 きっと、カップルを見ていることが増えたからだね、あそこにも恋人同士の二人がいる、って。
 ぼくがハーレイと恋人同士だって宣言出来たら、あんな風に一緒にいられるのに、って…。
 だから女の人の方を見ながら、ぼくの姿を重ねてた。ハーレイと二人で歩きたくって。
 そうやって何度も眺めていたから、ブーツにも気が付いちゃった。男の人はハーレイと同じ靴を履いてて、女の人の靴はブーツだよね、って。
 …おまけにデザイン、そっくりなんだよ。前のぼくのブーツと女の人のと、殆ど同じで…。
 だってそうでしょ、どっちも似たような形なんだよ、並べてみたら。



 色は全く違うんだけど、と今も鮮やかに思い出すことが出来る、女性たちが履いていたブーツ。制服のスカートと同じ色のブーツで、縁の飾りが金色だった。
 どういうわけだか、ソルジャーだった前の自分のブーツと瓜二つのように思えたそれ。そういうデザイン、縁飾りが少し控えめなだけ。女性用の方が。
 ハーレイはもちろん、服飾部門の者たちも含めて誰も気付いていなかったけれど、一度気付くとそう見えた。ソルジャーのブーツは女性用だと、それとそっくり同じ形で、男性用の靴とは少しも似ていないと。
 たった一人だけ、ブーツを履いた男性だった前の自分には。女性と同じブーツの前の自分には。
「酷いと思うよ、あのデザイン。…なんで女の人用なわけ?」
 ハーレイと恋人同士になった後に出来たブーツだったら、嬉しいけれど…。ぼく一人だけが違う靴でも、女の人用と同じブーツでも。
 偶然なんだ、って分かっていたって、ハーレイの恋人用のデザインみたいな気分だから。
 二人で一緒に歩く時には、こっそりハーレイの恋人気分。…並んで歩けなくったって。
 だけど、そうじゃなかったんだもの…。ブーツの方が先にあったんだもの。
「お前、ブーツについては文句ばっかりだったな」
 同じ制服でも、上着の模様は「お揃いだね」と大喜びをしていたくせに。
 俺と恋人同士になった後で気付いて、「ハーレイのと同じ」と何度も触っていたくせに…。前の俺の上着についていた模様、お前の上着と揃いになっていたからな。
 ブーツも前向きに考えればいいと思うんだがなあ、俺の恋人になっていたんだから。女性用のがピッタリじゃないか、俺とこっそりカップル気分で。
 なのに、それを言ったらお前は怒り出すんだ、「ブーツは別だ」と。このブーツだけは、とても許す気分になれないと。
「決まってるじゃない、上着の模様と靴のデザインとは違うんだよ?」
 上着だったら、ソルジャーとキャプテンがお揃いでも変じゃないんだよ。恋人同士でなかったとしても、シャングリラを纏める二人だから。
 でも、ソルジャーのブーツと女性用のブーツ、同じデザインにしておく意味があるわけ?
 いざという時には戦いに出るのがソルジャーなんだよ、船を守って戦う役目。
 ソルジャーはそういう仕事だけれども、女の人たちは全く違うよ?
 戦いになんか参加しないし、ブリッジにいてもレーダーだとか分析担当…。
 ソルジャーとは立場が違いすぎるし、同じデザインの靴にする意味が全く無いんだけれど…!



 どう考えても納得出来ない、と未だに腹が立つブーツ。女性用と同じだったデザイン。
 前のハーレイと恋人同士になっていたって、複雑な気持ちは拭えなかった。女性みたいだ、と。
 しかも最初から、そういうデザイン。他の男性は普通の靴だったのに。
「おいおい…。俺と恋人同士にならなきゃ、お前、気付かなかったんだろうが」
 そんなに文句を言ってやるなよ、誰も悪気は無かったんだ。あのデザインにしようと考え付いたヤツも、それでいいと決めた前の俺たちも。
 ただなあ…。ちょいと気になる点はあるなあ、今になってみたら。
「今って…。ハーレイ、何かを思い出したの?」
 誰かがブーツの話をしてるの、聞いたとか?
 前のぼくが眠ってしまった後とか、いなくなってしまった後とかに…?
「いや、そうじゃないが…。お前でも分かることだな、うん」
 ジョミーのブーツだ、お前のとそっくり同じじゃなかった。上着のデザインが違ったように。
 そいつに合わせて変えてあったんだと思いたいんだが、もしかしたらだ…。
「…デザインした人、前のぼくのブーツに気付いてたわけ?」
 あの通りにしたら女性用と同じデザインになる、って気が付いてたから変えちゃった?
 ぼくだけだったら、誰も気付きはしないけど…。
 ジョミーも同じブーツを履いたら、気付かれるかもしれないものね?
 履いてる人が一人増えたら、その分、目に付きやすくなるから。ブーツの男の人が二人、って。
 でなきゃ、ジョミーが気付くだとか。…「このブーツ、女の人のと同じだけど?」って。
「今となっては謎なんだがなあ、可能性ってヤツはゼロではないな」
 お前の制服をデザインしたヤツ、職業柄、いつも仲間たちの服を見ていただろうし…。
 それこそ、お前と同じくらいに後になってから、ミスに気付いたかもしれん。やっちまったと。
 しかし、自分から「変更します」と言えば墓穴だ。理由を訊かれて、怒鳴り付けられて。
 …それはマズイ、と自分一人の腹に収めてたら、ジョミーが来たってこともある。
 服のデザインを任せられたから、ブーツのデザイン、直したかもなあ、バレないように。
 ソルジャーの制服はブーツなんだと、女性用のブーツとは全く違う、と。
「…それ、酷くない?」
 怒っていいかな、ぼくのはやっぱり女の人の靴だったんだ、って…!
 ジョミーのブーツは男性用だけど、ぼくのはホントに女性用のブーツだった、って…!



 あんまりだよ、とプンスカ怒ろうとしたら、「推測だぞ?」と宥められた。偶然だということもあるから、怒ってやるなと。それに本当だったとしたって、とっくに時効なのだから、と。
「お前の靴に話を戻そう。ブーツのデザインの方じゃなくてな」
 女性用に見えたって件はともかく、お前はブーツで、前の俺は船に溢れていた靴。
 そいつが羨ましかったんだろうが、前の俺の靴。…ブーツじゃなくて普通だったから。
 誰でも履いてて、目を引くこともないからな。前のお前の靴と違って。
「うん…。ハーレイの靴、ホントに普通の靴だったもの…」
 前のぼくは目立ち過ぎるブーツで、ぼくしか履いていなかったんだよ。ホントにぼくだけ。
 それに、ソルジャーの役目をやってる限りは脱げないし…。あの靴もソルジャーの制服だから。
 ぼくもおんなじ靴にしたい、って注文したって、絶対に無理。服に合わないから。
 ソルジャーはソルジャーの服しか着ていられないし、靴だって同じ。
 みんなと同じ制服なんかは着られないでしょ、そんな我儘、言えないものね…。
 ぼくもああいう靴がいいとか、あの靴がいいから普通の制服を着てみたいとかは。



 前の自分が羨ましがったハーレイの靴。他の仲間たちと同じような靴。片方だけ通路に転がっていても、誰の靴だか分からないほどに。サイズを調べない限り。
(ハーレイの靴なら、見たら誰でも分かるけど…)
 前の自分が落とした靴なら、きっと分からなかっただろう。同じサイズの靴を履いている仲間が多くて、その中の誰の靴なのか。それこそ船中、持ち主を探して回らない限り。
 けれども、前の自分の靴は違った。一人だけブーツで、目立つデザイン。片方だけでも、直ぐに持ち主が分かってしまう。この靴だったらソルジャーだ、と。
 たった一人だけ、違ったデザイン。他の仲間は履いていない靴。
 そういう靴を履いているのだ、と自覚させられたら、羨ましく感じたのだった。他の仲間たちと似たデザインの靴のハーレイが。長老たちとはそっくり同じで、男性用の制服の靴ともそっくり。見た目だけなら区別がつきはしなかった。長老用の靴と男性用の靴は。
(みんな、ああいう普通の靴…)
 女性はともかく、男性ならば。ブーツではなくて、ズボンの裾から覗く靴。
 ずっと昔は自分もそういう靴だったのに、と何度もハーレイの靴を見ていた。制服が出来る前の時代は、普通の靴を履いていたから。
(ブーツなんかは…)
 多分、履いてはいなかっただろう。物資に混ざっていたとしたって、好んで選びはしなかった。ブーツが好きで履いていたなら、記憶に残っているだろうから。
(歩きにくいし…)
 ソルジャーのブーツならばともかく、ファッションとして選ぶブーツの方は。
 人類軍の制服のブーツは別だけれども、普通に売られていただろう物は。今の自分も、ブーツを履きはしないから。短いブーツも、長いブーツも。



 普通の靴が一番いい、と羨ましかった前のハーレイの靴。ああいう靴を履けたなら、と。
 ソルジャーの制服を着ている限りは、けして履くことは出来ない靴。
「お前、何度も普通の靴を履きたがって…」
 履いてみたい、と俺に言うんだ、そんなこと出来やしないのにな。
 いいな、と眺めて、羨ましがって、時々、夜に…。
「ハーレイの靴を借りてみたっけね、ぼくにも履かせて、って」
 ちょっと脱いで貸して、って借りてたんだよ、ハーレイが椅子に座っている時に。
 青の間でしかやってないけど、借りて履いてみて、「似合うかい?」って。
 ブカブカの靴で、ぼくに似合うわけないのにね…。大きすぎて直ぐに脱げちゃってたし。
 でも、憧れの靴だったから、と時の彼方から戻って来た記憶。
 いつか平和を手に入れたならば、ソルジャーが要らなくなったなら。
 普通の靴をまた履いてみたいと願った自分。ハーレイが履いているような靴を。ブーツではない普通の靴を。
 その日を夢に見ていたのだった、前の自分は。ハーレイの靴を眺めて、借りて履いてみては。
「そういや、俺が選んでやるって言ったんだっけな」
 お前が靴の話をした時。…ソルジャーの制服が要らなくなったら、普通の靴を履きたい、と。
 その時にお前が履くための靴は、俺がピッタリのを選んでやるから、って…。
「そうだっけね…。ハーレイ、最初の靴を履いた時にも、ぼくに付き合ってくれたしね…」
 まだシャングリラじゃなかった船で、サイズが無くって探していた靴。
 ハーレイの足は大きすぎたし、ぼくはチビで足が小さかったし…。
 足に合う靴が見付からなくって、ハーレイは靴に切れ目を入れてて、ぼくは詰め物。前のぼくの足にピッタリの靴が見付かるまでは待っててやる、ってハーレイ、約束してくれたものね。



 まだシャングリラの名前が無かった船。最初から船に積まれていた靴も、前の自分が奪う物資に紛れていた靴も、ありふれたサイズの靴ばかり。特大のと子供用のは混じっていなかった。
 皆が自分に合う靴を選んで履いていた中、一番最後まで足にピッタリの靴が無かった二人。前のハーレイと、前の自分と。
 ハーレイは「俺の靴が先に見付かっても、履かずに待つ」と言ってくれたし、前の自分も思いは同じ。ハーレイの靴が見付かるまでは、と。
 そんな日々の果てに思い切って奪った、靴ばかりが詰まっていたコンテナ。大きな茶色の革靴はハーレイの足に丁度良かったし、小さな白い革靴は自分の足に似合いのサイズ。誂えたように。
 二人揃って手に入れられた、履くことが出来たピッタリの靴。
 あの頃からの運命だろう、と前のハーレイは微笑んだのだった。
 「普通の靴を履かれる時には、あなたの靴は私が選んで差し上げますよ」と。
 恋人として、心をこめて。
 足に合ったサイズと、似合いのデザイン。そういう靴を探して差し上げますから、と。



 遠く遥かな時の彼方で、前のハーレイが言ってくれたこと。靴を選んでくれる約束。前の自分にピッタリの靴を、ソルジャーのブーツとは違う普通の靴を。
「…ぼくの靴、選んで貰い損なっちゃった…」
 死んじゃったから仕方ないけど、普通の靴を選んで貰える時代にもなっていなかったけど…。
「ふうむ…。だったら、今度は選んでやろうか?」
 お前はソルジャーとは違うわけだし、どんな靴を履くのも自由だしな。
 …って、お前、ガラスの靴が欲しいんだったか。歩けるようには出来ていないらしいが…。
「ガラスの靴…。靴の話を思い出したら、余計、欲しいかも…」
 ハーレイが選んでくれる約束、ぼくはすっかり忘れてたけど…。
 もしも選んでくれるんだったら、ガラスの靴がいいな。本当に履けるガラスの靴。
 歩くのはちょっと無理みたいだから、デートには履いて行けないけれど…。飾るだけだけど。
「よし、プロポーズの頃に俺が覚えていたらな」
 そいつをお前にプレゼントしよう、足にピッタリのを注文して。
 「俺と結婚してくれるんなら、この靴を履いて欲しいんだが」と。
「ホント?」
 買ってくれるの、ガラスの靴を?
 プロポーズの時はそれを履けばいいの、「うん」って返事して、足にピッタリの靴…?
「指輪よりもロマンチックだろうが。…お前、宝石の指輪に興味は無いんだからな」
 だったら、ガラスの靴の方がいいだろ、お前の足にしか合わない靴。
 お前に靴を選んでやるのは、前の俺の約束だったんだから。
 それに、お前も欲しいらしいしな、本当に履けるガラスの靴が。
「うん…!」
 あの靴が欲しいよ、ハーレイから。
 きっと最高に幸せな気分になれるよ、ぼくの足にピッタリのガラスの靴を履けるなら…!



 いつかハーレイと結婚する時、宝石のついた婚約指輪は要らないけれど。
 高い指輪なんかは要らないけれども、ガラスの靴は強請ってみようか。
 本当に履けるガラスの靴。
 前の自分は、ハーレイに靴を選んで貰い損なったから。普通の靴を選んで貰う前に、ハーレイと別れてしまったから。泣きじゃくりながら、独りぼっちで死んでしまって。
 けれど今度は青い地球の上、ハッピーエンドのガラスの靴。
 片方だけの靴ではなくて、ハーレイに両方、買って貰って。右足の靴も、左足の靴も。
 「履いてくれるか?」と差し出されるだろう、キラキラと煌めくガラスの靴。
 ハーレイからのプロポーズの言葉、それに応えて綺麗なガラスの靴を履く。
 「ありがとう」と、「君が選んでくれたんだよね」と。
 ガラスの靴では歩けないけれど、伸び上がって甘いキスを交わそう。
 プロポーズの返事はしたのだから。ハーレイと二人、幸せに生きてゆけるのだから…。




              ガラスの靴・了


※シャングリラでは、ブーツを履いていた男性はソルジャーだけ。前のブルーが憧れた靴。
 いつかハーレイに選んで貰う筈だったのが、普通の靴。今度は選んで貰えるのです。
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