シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(わあっ…!)
懐かしい、とブルーの目を引き付けたもの。学校から帰って、おやつを食べに来たダイニング。ふと見たテーブルの上にアルバム、見覚えのある表紙の一冊。
(幼稚園の…)
卒園記念に貰ったアルバム。表紙は幼稚園でつけて貰ったけれども、アルバムにしてくれたのも幼稚園の先生たちだけど。
(ぼくも作った…)
頑張ったっけ、と思い出が蘇ってくるアルバムの中身。先生に「はい」と貰った画用紙、それに絵を描いたり、みんなお揃いのアルバム用紙に写真を貼ったり。
半分ほどは自分で作った手作り品。この世に一冊、そう言ったっていいくらい。
(そうそう、こんな絵!)
描いたんだよ、と浮かび上がってくるクレヨンを握った自分の姿。もっと上手に、と一所懸命。誰よりも上手く描きたくて。卒園記念になるのだから。
頑張ったぼく、とパラリ、パラリと順にページをめくっていたら…。
「懐かしいでしょ?」
ブルーのアルバム、と母がダイニングに入って来た。おやつのケーキや紅茶のカップ、ポットも載せたトレイを手にして。
「このアルバム…。ママが出して来たの?」
「ええ、そうよ。他のアルバムを取りに行ったら、あったから」
きっとブルーも喜ぶと思って…。普段はアルバム、わざわざ探しに行かないでしょう。
せっかくだから、ハーレイ先生にも見て頂く?
「えっ?」
ハーレイって…。幼稚園のアルバム、ハーレイに見せるの?
それはちょっと、と絶句してしまった、開いたばかりのアルバムのページ。先生が作ってくれたページで、将来の夢を書くページ。「おおきくなったら、なりたいもの」という見出し。
絵を描いた子もいたのだろうけれど、幼稚園児だった頃の自分は…。
(…書いちゃった…)
たどたどしい字で「ウサギ」と書かれた、将来の夢。クレヨンで描いたウサギの絵まで。
(まだ諦めていなかったんだ…)
この頃には、と恥ずかしい気持ちになる「ウサギ」。幼かった頃の自分の夢。ウサギになったら元気一杯、と夢を見ていた。野原を自由に走ってゆけるし、弱い身体が元気になるよ、と。
ウサギになるには、まず友達にならなくては、とウサギの小屋を覗いていた。幼稚園に行く度、覗き込んでは「ぼくもウサギになりたいな」と。
両親にも夢を語ったけれども、人間はウサギになれないから。気付いた時に諦めた夢。ウサギは無理、と。
(ウサギのこと、ハーレイも知っているんだけれど…)
知ってくれていて、「お前がウサギになるんだったら、俺もウサギだ」と言ってくれたけれど、それはそれ。「小さい頃の夢だったんだよ」と話をするのと、こうして証拠があるのとは違う。
(本気だったのか、って笑われちゃうよ…)
卒園アルバムにも書くほどなのか、と可笑しそうに眺めるハーレイの姿が目に浮かぶよう。
「笑うつもりは全く無いぞ」と言っていたって、揺れているだろうハーレイの肩。懸命に笑いを堪えているのが分かる肩。そうでなければ、遠慮しないで大笑いするか。
ハーレイにはとても見せられない、とパタリと閉じた記念アルバム。「ウサギ」と夢が書かれたページ。これは秘密にしなければ。見せるだなんて、とんでもない。
「こんなの、駄目だよ。恥ずかしいもの」
絵とか、字とかが下手くそなのは、子供だから仕方ないけれど…。みんな同じだと思うけど。
「あら、そう? ウサギさんになるっていう夢、可愛いらしいのに」
小さかったから見られた、素敵な夢よ。今のブルーは、ウサギだなんて思わないでしょ?
それに、ハーレイ先生には内緒でも…。いつかは誰かが見ると思うわよ、ブルーのアルバム。
「見るって…。誰が?」
「ブルーのお嫁さんには渡さないとね、「見て下さい」って」
「え?」
お嫁さんって…。ぼくのお嫁さんには見せるものなの、このアルバムを?
「当たり前でしょ、ブルーのお嫁さんなのよ?」
ちゃんと見せなきゃ、と微笑んだ母。一緒に暮らす人なんだもの、と。
「そういうものなの? …アルバム、見せなきゃいけないの?」
「いけないっていうのとは少し違うわ。見せたら、自分も見せて貰うのよ」
どちらが先っていう決まりは無いわね、お互いに見せ合うものよ、アルバム。だって、思い出が一杯でしょう。こういう風に育ちました、って。
「ママも、パパのを見たりした?」
「色々見たわよ、幼稚園のも、学校のも。…家族写真のアルバムもね」
「…ママのは? ママのアルバム、パパも知ってるの?」
「よく知ってるわよ、この家に持って来たんだもの」
ブルーのアルバムとかと一緒に仕舞ってあるから、何度もパパと一緒に見たわね。幼稚園のも、他のアルバムも。
「アルバム…。お嫁さんに行く時は、持って行くものなの?」
「もちろんよ。パパだって自分のを持って来てるわよ、大切な思い出なんだから」
結婚して二人で暮らすんだったら、お互い、持って来なくっちゃ。赤ちゃんの時の写真だって。
だからブルーのアルバムも誰かが見るわね、と楽しそうにページをめくっていた母。
「将来の夢はウサギさんね」と、例のページを何度も広げて、他のページも懐かしそうに。
その時は、それで終わったけれど。「絶対に見せないでよ?」と念を押したから、ハーレイには見せずに済みそうだけれど。
おやつの後で部屋に帰って、座った勉強机の前。大変なことになっちゃった、と。
(ぼく、お嫁さんは貰わないけれど…)
ハーレイのお嫁さんになるのだけれども、お嫁さんはアルバムを持って行くもの。一緒に暮らす結婚相手と、それを開いて見るために。母だって持って来たのだから。
幼稚園のも、他のアルバムも、持ってお嫁に行くのなら。そういうものなら、「ウサギ」という夢が大きく書かれた、自分の卒園記念アルバムも…。
(ハーレイが見るんだ…!)
今日はなんとか隠しおおせても、きっといつかは。
結婚する時に持って行くなら、ハーレイが見るだろう卒園記念に作ったアルバム。他にも持って行くわけなのだし、アルバムは全部見られてしまう。生まれて直ぐの写真から、全部。
(恥ずかしすぎるよ…!)
ウサギのアルバムも恥ずかしいけど、と思わず抱えてしまった頭。
あのとんでもない夢の他にも、まだ色々とあるのだろう。アルバムに仕舞って忘れてしまった、今から思えば恥ずかしい夢。下の学校でも、何度もアルバム作りをしたから。
写真の方だって、きっとドッサリ。覚えていない写真が沢山。変な顔のとか、悪戯中とか。
(女の子の格好はしていないだろうけど…)
そういう友達のアルバムを目にした記憶が幾つも。仮装だったり、お姉さんのスカートを履いた所をパシャリと撮られた写真だったり。
「カッコ悪いけど、剥がしたら叱られるんだよなあ…」と頭を掻いた友達。剥がして捨てたら、きっとゲンコツでは済まないから、などと。
自分にもありそうな恥ずかしい写真。覚えていない分、余計に厄介な写真。「ウサギ」と書いた卒園記念アルバムのことを、すっかり忘れていたように。
(お嫁に行く時は、アルバムを持って行くなんて…)
将来の夢がウサギだった証拠や、顔から火が出そうな写真やら。全部纏めて持ってゆくらしい、いつかハーレイと結婚する時。
アルバムなんかは無かったことにしておこうか、とも思うけれども。
(…ママが荷物に入れちゃうよね?)
持って行かない、と置いてあるのに、「入れ忘れてるわ」と親切に。アルバム用の箱を作って、丁寧に詰めて、箱の外には「アルバム」の文字。一目で中身が分かるようにと。
(どうしよう…)
ハーレイに全部見られちゃうよ、と嘆いていたら、聞こえたチャイム。仕事の帰りにハーレイが訪ねて来てくれたから、もう本当に落ち着かない。ハーレイのせいで悩んでいたのだから。
(本当に全部、見られるんだよね…?)
出来れば見ないで欲しいんだけど、と向かいに座ったハーレイをチラリ、チラリと見る内に。
「俺の顔に何かついているのか?」
ケーキの欠片でもくっついてるか、とハーレイがグイと拭った唇。
「そうじゃないけど…」
ドキリと跳ねてしまった心臓。そんなにハーレイを見ていたろうか、と。
「ふむ…。お前、やたらと焦っていないか?」
「なんで分かるの!?」
飛び上がるほどビックリしたら、鳶色の瞳に可笑しそうな色。
「図星か…。そんなに驚かなくても、取って食ったりはしないが、俺は」
頭からバリバリ食いはしないぞ、人食い鬼じゃないんだから。
もっと育って美味そうになったら、優しく食べてやるんだけどな。
チビの間はミルク臭くて…、と普段だったら嬉しい冗談。今日はちょっぴり恋人扱い、と幸せな気分になれるけれども、今は大きな問題が一つ。
ハーレイが「食べ頃だな」と思ってくれたら、自分はお嫁に行くのだから。見せたくないよ、と隠しておきたいアルバムが詰まった箱と一緒に。
どうしよう、と恥ずかしい気持ちが膨らむ一方、穴があったら入りたいくらい。アルバムを全部抱えて入って、蓋をパタンと閉めたいくらい。
「…重症だな。とびきりの言葉をプレゼントしても、お前、喋りもしないんだから」
で、何を焦っているんだ、お前。…俺が来た時には、もう焦っていたみたいだが。
「えっと、アルバム…」
「アルバム?」
それは写真を貼るアルバムのことか、なんでアルバムで焦るんだ?
「ママが、結婚する時には持って行くものよ、って…」
赤ちゃんの時からのアルバムを全部、持って行くんだって言ったんだけど…。
ママもパパも、この家に持って来たんだから、って…。
「普通はそうだな、大事なアルバムは持って行くもんだ」
元の家は直ぐそこなんです、っていう時は置いて行く人も少なくないが…。見たくなった時に、見たい分だけ選んで運べばいいことだからな。最初から持って行かなくても。
そのアルバムがどうしたんだ?
「恥ずかしいじゃない、アルバムを持って行くなんて!」
自分じゃ覚えていないくらいに、小さい頃のもあるんだよ?
こんな写真は恥ずかしいよ、って思う写真も入っているのに、それだって全部…。
あんまりだよね、って思ってたんだよ、ぼくもお嫁に行くんだから…!
「アルバムつきだと恥ずかしい、ってか…。それで嫁に行く相手の俺を見てた、と」
見られちまう、と焦っていたんだろうが、いいことじゃないか。素晴らしいことだ。
「何が?」
「今の俺たちだから出来ることだぞ、アルバムは困る、と焦るってヤツ」
お前が焦る気持ちも分かるが、それは幸せなことなんだ。…今だからこそだぞ、そのアルバム。
前の俺たちは持っていたか、と訊かれたアルバム。卒園記念や、赤ん坊の頃からの写真が山ほど詰まっているアルバム。
今の自分は何冊も持っているけれど。記憶から消えたアルバムの数も多そうだけれど。
「…前のぼく…。アルバムなんかは無かったね…」
それに記憶も無くなっちゃってた、子供の頃の。…育ててくれた人たちの顔も、育った家も…。学校も友達も、何もかも全部。
今のぼくだと忘れてるだけで、切っ掛けがあれば思い出せるけど…。前のぼくだと、全然駄目。成人検査と人体実験で、全部消されてしまったから。
「それだけじゃないだろ、あの時代だと無理だったんだ。子供時代のアルバムってのは」
ミュウじゃなくても、普通に育って成人検査をパスした子でも。
成人検査を受けた後には全部処分だ、そうだったろうが。
子供時代の記憶ってヤツは、機械が消して上手く書き換えていたんだから。
違うのか、と言われた通り。前の自分たちが生きていたのは、そういう時代。子供時代の沢山の思い出、それが詰まったアルバムを持った大人は一人もいなかった。人類が暮らす世界には。
「…そっか、ジョミーがお母さんと一緒に見てたアルバム…」
目覚めの日の前に、懐かしそうに見ていたけれど…。ジョミー、持ってはいなかったよね。
ジョミーの子供の頃のアルバム、シャングリラには無かったんだっけ…。
「無くなってただろ、ジョミーが家に帰った時には」
前のお前が「帰っていい」と言ってやった後、ジョミーは真っ直ぐ帰ったが…。
もうあの時には無かった筈だぞ、俺はこの目で見ちゃいないがな。
「うん、無かった。アルバムも、家族写真が入った写真立ても全部…」
ユニバーサルから専門の職員が送り込まれて、処分しちゃった後だったよ。
あの時代は、何処の家でも同じ。…次の子供を育てる人だと、前の子供の思い出は処分。
次に来る子が、不思議だと思わないように。「この人、だあれ?」って訊かないように…。
血縁関係の無い親子だけしかなかった時代。養父母が愛情を注ぐ子供は、原則として一人だけ。
十四歳まで育て上げたら、新しい子供が貰えたけれど。養父母はそれでかまわないけれど、次の子供は「前の子供」のことを知らない方がいい。親の愛情を信じられなくなるから。
新しい子供が何も疑問を抱かないよう、消されてしまった「前の子供」の痕跡。アルバムやら、家族写真やら。子供部屋の中身も含めて、全部。
「ほらな、人類でも持てなかったんだ。子供時代のアルバムは」
普通に暮らしていた人類は誰も、アルバムを持っちゃいなかった。自分の成長記録の分は。
おまけに記憶も曖昧なんだぞ、成人検査で消されちまって。
前の俺たちほどではなくても、親の顔とかはハッキリ覚えてなかったようだし…。
子供時代のアルバム以前に、そいつの中身の記憶が無かった。漠然とした記憶が残っただけだ。
アルバムに写真を貼っていこうにも、貼るべき写真が無かったんだな。頭の中にも。
「じゃあ、今は…。アルバムを持ってる今のぼくたちは…」
とても凄いんだね、前のぼくたちが生きた時代に比べたら。…アルバムが幾つもあるんだから。
「幸せすぎる時代だろうが。記憶は一つも失くしちゃいないし、子供時代のアルバムもある」
自分じゃすっかり忘れていたって、アルバムを見れば思い出せるんだ。
赤ん坊の頃は流石に無理でも、もう少し大きくなった頃なら。
写真を撮った場所は何処だったかとか、このオモチャがお気に入りだったとか。
アルバムってヤツは宝箱だな、思い出の宝庫。懐かしい思い出が山ほど詰まっているんだから。
その宝箱を持っている上に…、とハーレイが指差した自分の頭。この中にも、と。
「俺たちの場合は、此処にも秘密の宝箱が入っているってな。デカイのが一個」
前の俺たちの分まで持っているだろ、記憶をドッサリ。普段は忘れちまっているが…。
一人で二人分の人生の記憶だ、こいつは凄い。生憎と、前のアルバムは持っちゃいないがな。
「そうだね、前のぼくたちの分は、子供時代が無いけれど…」
成人検査よりも前の記憶は、何も残っていないんだけど。
あの時代の普通の子供たちより、ずっと酷い目に遭ったから。…何も残らなかったから…。
「それでも、余分に持ってるじゃないか。前の俺たちはこう生きた、とな」
普通の人だとそうはいかんぞ、生まれてくる前の記憶なんぞは無いんだから。
今のが全てで、今の人生の分だけだ。頭の中にある、記憶のアルバムっていうヤツも。
ところが、俺たちはもう一人分、持っている。前のお前や、前の俺が生きた人生の分の記憶を。
そいつをヒョイと思い出しては、今のと比べられるんだ。此処が違うと、此処も違うと。
うんと幸せな今の人生を、何倍も楽しめるというわけだな。前の人生が不幸だった分だけ。
「不幸って…。前も幸せだったよ、ぼくは」
辛いことも沢山あったけれども、前もやっぱり幸せだった。
不幸だったか、幸せだったか、どっちなのかと訊かれた時には、幸せだったって答えるよ。
やせ我慢じゃなくて、ホントに幸せだったから。
だってね…。
ハーレイと一緒だったから、とニッコリ笑った。だから幸せ、と想いをこめて。
辛い人生だったけれども、ハーレイと会えた前の生。
前の自分が生きていたから、前のハーレイとも巡り会えた。出会って、同じ船で暮らして、恋が芽生えて、キスを交わして。…長い長い時を二人で生きた。幸せな時を二人で過ごした。
白いシャングリラの中が全ての世界でも。誰にも恋を明かせなくても。
「前のぼくはとても幸せだったよ、ハーレイに会えて、ハーレイと一緒」
ハーレイに会う前は辛かったけれど、それよりも後はずっと幸せ。
どんなに悲しいことがあっても、ハーレイがいてくれたから。…いつでも一緒だったから。
最後は離れてしまったけれども、またハーレイと会えたでしょ?
だからホントに幸せなんだよ、前のぼく。今の幸せは、前のぼくがいたお蔭だから。
「なるほどなあ…。前のお前とのことに関しちゃ、確かに幸せだけだったな。前の俺だって」
あのシャングリラで幸せだった、と思う記憶には、前のお前がいるもんだ。何処かに、必ず。
俺も幸せな人生だったが、残念なことに、アルバムが無いな。
子供時代の分じゃなくてだ、前のお前との思い出の分。そいつの写真を貼ったアルバム。
頭の中にはアルバムがあるが、手に取って見られるヤツが無いんだ。
「無いね、前のぼくと前のハーレイの思い出が詰まったアルバム…」
写真集なら出てるんだけどな、あれはアルバムとは言えないし…。
自分で写真を貼ったヤツじゃないし、スナップ写真や記念写真とは違う写真だし…。
「それもそうだが、写真集、前のお前のばかりじゃないか」
前の俺のは出ていないんだよな、欲しがるヤツが無いからなんだが…。
キャプテン・ハーレイの写真集なんか、出したって売れやしないんだが。
「ぼくは悔しいよ、前のハーレイの写真集が出ていないこと!」
もしも出てたら、お小遣いをはたいて買っちゃうのに…。
カッコいいキャプテン・ハーレイの写真、アルバムでなくても欲しいのに…!
アルバムが無かった前の自分たち。子供時代のアルバムは無くて、恋人同士のアルバムも。前のハーレイと恋をしたのに、そのアルバムは残っていない。アルバムは存在しなかったから。
けれど、前の自分たちも幸せに生きた。不幸な時代だったけれども、恋人同士で生きた時間は。
恋人同士になるよりも前も、二人一緒なら幸せだった。アルタミラで出会った時から、ずっと。二人一緒にいた時は、いつも。
最後は悲しい別れだったけれど、それも今へと繋がったから。幸せな恋の続きが始まったから、きっと幸せだったのだろう。あの悲しかった別れでさえも、今の幸せへの旅立ちならば。
「前のぼくたちのアルバム、欲しかったな…」
いろんな所で、二人で写真。青の間もいいし、公園だって。…展望室も、ブリッジとかも。
ハーレイと二人で写したかったよ、いろんな写真を。
恋人同士になる前の分も、沢山あったら良かったのにね…。
ハーレイが厨房で料理をしていて、ぼくが隣で見ているのとか。二人でジャガイモの皮を剥いているのとか、他にも色々。
思い出は山ほど残っているのに、それの写真が無いなんて…。アルバムに貼っておきたい大切な写真、一枚も残っていないだなんて…。
「お前なあ…。どう考えても無理だろうが。前の俺たちのアルバムなんて」
前のお前の公式な写真でさえも無かったんだぞ、シャングリラには。
今は有名なヤツがあるがだ、前の俺はアレを知らないってな。あれを撮るためにポーズをつける前のお前も、写真を写したカメラマンも。…知っているだろ、真正面を向いた前のお前の写真。
「あるね、前のぼくの写真集にも入っていたよ」
アレが表紙になっているヤツも、ホントに沢山あったっけ…。いつの写真か知らないけれど。
でも、前のハーレイの写真集は一冊も無くて、なんだかホントに悲しい気分。
ハーレイの写真集があったら、アルバムの真似が出来るのに…。
写真集を買って来て、お気に入りのを切り取って貼れば、それっぽいのが出来そうなのに…。
前のぼくの写真集も買って切り取って、一緒に貼って。
いい感じにサイズとかが合ったら、お揃いの枠で囲んだりして、ハートも描いて…。
ホントに残念、と前のハーレイの写真集が無いことを嘆いたら。前の自分たちの恋のアルバムは作れやしない、と零していたら。
「仕方ないだろう、前の俺の写真集を作ろうってヤツがいないんだから」
売れそうもない本は無理だからなあ、文句を言ってもしょうがない。
前の俺たちのアルバムが無いのも、今更どうしようもない。時間を戻して作れやしないし、前の俺たちに戻ったとしたら、写真どころじゃないんだから。…アルバムもな。
その分、今度は作れるぞ。誰にも遠慮は要らないわけだし、写真は何処でも撮り放題だ。
アルバムだって山ほど作れる、ハートも山ほど描いたっていいし。
一番最初に作るアルバムは、結婚式のアルバムだろうな。花嫁姿のお前が主役の。
「ウェディングドレスか、白無垢だよね。…どっちにするかは決めてないけど…」
ハーレイの写真も沢山欲しいよ、結婚式のアルバムだもの。うんとカッコいいハーレイが沢山。
二人一緒のも山ほど写して、後で選ぶのに困るくらいに写真が一杯。どれを貼ろうか、って。
「悩むんだろうなあ、どの写真のお前も綺麗だろうし…」
とても選べん、と全部纏めて貼っちまうかもな、分厚いアルバムを買って来て。
「そうかも…。ぼくもハーレイの写真、全部貼ろうとしそうだから…」
この写真もいいし、こっちもいいね、って迷って選べそうにないから。
最初のアルバムは写真選びに困りそうだけど、その後もいっぱい作りたいね。ハーレイとぼくの写真のアルバム、前のぼくたちのアルバムが無かった分まで。
「もちろんだ。家でも沢山写すんだろうが、あちこち出掛けて写さないとな」
旅行もそうだし、親父たちと釣りに行くのもいいし…。
親父たちの家でも色々撮れるぞ、夏ミカンの実でマーマレードを作る時とか。
あの木の下でも写真を撮ろう、と提案された夏ミカンの木。隣町で暮らすハーレイの両親、その家の庭の目印だという大きな木。夏ミカンがドッサリ実る季節や、花の季節に。
(…最初に撮れるの、いつなのかな?)
黄色い実が山ほど実っているのか、白い花が沢山咲いているのか。それとも小さな緑色の実が、幾つも下がっている頃なのか。
早く写真を撮りたいよね、とハーレイと並んで木の下に立つ日を夢見ていたら…。
「アルバム作りを始めるからには、前のアルバムも見ようじゃないか。お前と二人で」
俺はコーヒーでも淹れて。…お前は紅茶か、ココアでも飲んで。
「前のアルバムって…。前のぼくたちの写真集?」
ハーレイの写真集は無いから、前のぼくので、ハーレイが沢山写っているヤツ?
あれ、ぼくは好きじゃないんだけれど…。
このハーレイは素敵だよね、って思う写真は、前のぼくとセットなんだから。
ハーレイを盗られちゃった気がして、腹が立って買わなかったんだよ。これは嫌い、って。
あんな写真集が欲しいの、ハーレイ?
ぼくが大きく育った後なら、今みたいに腹は立たないのかもしれないけれど…。
「いや、それじゃなくて…。前というのは、今の俺たちの前って話で」
今の俺たちの昔のアルバム。子供時代からのアルバムってヤツだな、幾つもあるだろ?
お前もそいつを持ってくるんだし、二人でゆっくり見るのもいいぞ。
こんな時代もあったんだよな、って笑って、思い出話をして。
「子供時代のアルバムって…」
ハーレイ、見たいの、ぼくのアルバム?
お嫁に行く時に持って行ったら、ハーレイ、それを見るって言うの?
酷い、と叫んだのだけど。悲鳴を上げてしまったけれども、ニヤリと笑みを浮かべたハーレイ。余裕たっぷり、腕組みをして。
「ほほう…。俺のアルバム、見たくないのか?」
子供時代のアルバムってヤツは、俺だって持っているわけだ。…今の俺はな。
前にミーシャの写真を探して見せてやったぞ、おふくろが飼ってた白い猫のミーシャ。
俺の子供時代のアルバムの写真、お前はそれしか知らない筈だが…。
他には何も見せちゃいないし、ミーシャの写真に俺は写っていなかったしな。
「そういえば…。ミーシャは見せて貰ったけれど…」
ハーレイの写真は見たことがないよ、ミーシャが家にいた頃の写真。
ねえ、ハーレイのアルバム、どんな写真が入っているの?
子供時代のハーレイが沢山写っているよね、釣りの写真も、柔道の写真も入ってる…?
「さてなあ…? そいつは見てのお楽しみってな」
しかしだ、お前が見せてくれんというのに、俺だけがお前に見せるのか?
どうぞ遠慮なく御覧下さい、と俺のアルバムを公開するのか、お前のは内緒らしいのに?
そいつは不公平ってモンだぞ、そう思わないか?
お前はアルバムを見られるのが嫌で、出来れば持たずに嫁に来たいわけで…。
そうするのは別にかまわないんだが、俺のだけ見せろと言われても…。
俺のアルバムを見たいのならば、お前も持って来ないとな、とハーレイがパチンと瞑った片目。
不公平なのは良くないからな、と。
「それって、交換条件ってこと?」
ハーレイのアルバムを見せて欲しかったら、ぼくのアルバムも見せろってこと…?
結婚する時にはちゃんと持って行って、ハーレイに全部、見て貰うわけ…?
「さっきも言ったが、持って来なくてもいいんだぞ。お前が嫌なら」
嫌だと言うのを無理にとは言わん、誰にだって秘密はあるもんだ。前の俺たちだって、最後まで隠し通したからなあ、恋人同士だったことをな。
だから、お前がアルバムを一生秘密にするのもいい。俺には見せん、と隠したままでも。
その代わりに、だ…。俺のアルバムも隠しておく。
俺が仕事に行ってる間にコソコソ見られないように、きちんと秘密の場所を作って。
「えーっ!?」
見せてくれないの、ハーレイのを?
隠してしまうの、ぼくが絶対見られないように…?
ハーレイの子供時代の写真、とっても見たいのに…。いろんな写真を見てみたいのに!
幼稚園の卒園記念アルバムとかもあるでしょ、それも見たいよ。
でも、見たいのなら、ぼくのを持って行かなくちゃ駄目…?
赤ちゃんの頃からのアルバムだとか、幼稚園の卒園記念アルバム…。
「当然だよなあ、俺のを見ようとしているのなら」
秘密にするなら、お互い、一生、見せずに過ごす。お前も、俺も。
見てみたいのなら、自分のアルバムも「どうぞ」と出すのが常識だろうが。
俺にだって秘密はあってもいいんだ、お前が秘密を持ちたいのなら。
いいな、俺のアルバムを見たいんだったら、お前もきちんと持って来い。
どうやら幼稚園の卒園記念アルバムってヤツを、隠しておきたいみたいだが…。そいつも一緒に持って来るんだぞ、俺の幼稚園時代のアルバムを見せろと言うのなら。
どんな秘密が隠れているのか知らないが…、とスウッと細められた鳶色の瞳。卒園記念アルバムとやらで、お前は何をやったんだか、と。
「楽しみにしてるぞ、お前の秘密。…嫁に来るまでに、覚悟を決めておくんだな」
幼稚園の卒園記念アルバム、それを一番に見ようじゃないか。俺のも家にあるからな。
だがな、お前が出さなかったら、俺のも秘密の場所に突っ込む。
前のお前なら、一瞬で在り処が分かっただろうが、今のお前じゃ無理だしな?
何処に隠すかな、屋根裏にするか、庭にデッカイ穴でも掘るか…。鍵付きの頑丈な箱も何処かで買って来て。鍵は隠すより俺が持つのが一番だ、うん。
そうやっておけばコソ泥が出ても安心だしな、と一人で頷いているハーレイ。秘密を持つなら、対策の方も万全に、と。
アルバムを隠すつもりでいるハーレイ。もしも自分が、アルバムを秘密にしたならば。
結婚する時に持たずに行ったら、ハーレイのアルバムは鍵がかかった箱の中。屋根裏か庭で発見できても、肝心の鍵が開けられない。鍵はハーレイが持って出掛けてゆくのだから。
自分のアルバムを恥ずかしがったら、見られないらしいハーレイのアルバム。
子供時代のハーレイが山ほど詰まっているのも、幼かった頃の夢が書かれていそうな、幼稚園の卒園記念アルバムも。
それが見たいなら、自分もアルバムを見せるしかない。将来の夢が「ウサギ」と書かれた、あの恥ずかしいアルバムも。とんでもない写真が潜んでいそうな、小さかった頃のアルバムも。
(…どうしたらいいの…?)
見せたら絶対、笑われるのに、とハーレイを睨みたいけれど。
前の自分は、こんな幸せな悩みは持っていなかった。
アルバムなどは無かったから。子供時代はこうだったから、と披露しようにも、そのアルバムが無かったから。それに、よくよく考えてみれば…。
(前のぼく、ハーレイと最初から一緒…)
アルタミラの地獄で出会った時から、二人一緒にあの船で生きた。それまでの記憶は、消されて持っていなかった。前の自分も、前のハーレイも、お互いに無かった子供時代。
そんな記憶は無かったから。見せ合おうにも、記憶もアルバムも無かったから。
けれども、今は持っている過去。今のハーレイも、今の自分も、子供時代の記憶やアルバム。
思い出が山ほど、記憶も山ほど。それが詰まったアルバムだって。
(ぼくの知らない、ハーレイの写真を見たいなら…)
アルバムを持ってお嫁に行く。母や父がアルバムをこの家に持って来たように。
そしてハーレイと二人で広げる、「ぼくのはね…」と、「俺のヤツは…」と。
見せるのはとても恥ずかしいけれど、二人で見せ合ったら、きっと…。
(恥ずかしさだって、きっと減るよね?)
余裕たっぷりのハーレイにだって、変な写真がありそうだから。可笑しすぎる将来の夢だって。
思い切って自分も持って行こうか、さっきの卒園記念アルバムを。小さかった頃のアルバムも。
今の自分は、まだ恥ずかしくて、ハーレイに見せられないけれど。
将来の夢は「ウサギ」と書かれた、アルバムは隠しておきたいけれど。
それでも、あれを持って行こうか、いつかお嫁に行く時は。
いつかはハーレイに、自分を丸ごと貰ってもらうのが今の夢だから。
丸ごと貰ってもらうのだったら、秘密だってきっと、ハーレイのものになるのだから…。
秘密のアルバム・了
※ブルーの卒園記念アルバム。将来の夢がウサギなだけに、ハーレイには秘密にしたいのに…。
ハーレイのアルバムを見るためには、自分も見せるしかないのです。でも、それも幸せ。
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