シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(あっ、ハーレイ!)
見付けちゃった、と喜んだブルー。飛び跳ねた心。
学校の休み時間に見付けたハーレイ、前の生から愛した恋人。学校では「ハーレイ先生」としか呼べないけれども、やっぱり心が弾んでしまう。ハーレイの姿を目にしたら。
そのハーレイは、授業に使うための資料なのだろうか、箱を抱えて運搬中。腕に紙袋まで提げているから、絶好のチャンス。
(お手伝い…!)
ハーレイと一緒に歩いてゆける、と張り切って近付いて呼び掛けた。「ハーレイ先生!」と。
「ぼくも手伝います。荷物、何処まで運ぶんですか?」
そう尋ねたら、ハーレイはチビの自分を見下ろしながら。
「おいおい…。手伝うだなんて、重いぞ、これは」
見た目よりずっと重いんだが、と「よし」と言ってはくれないハーレイ。けれど、手伝いをするチャンス。ハーレイと並んで歩いて行けるし、歩く間は話も出来る。諦めたくない、お手伝い。
「ぼく、お手伝いしたいんです」
重いんだったら、先生だって大変でしょう?
箱は無理でも、袋くらいなら、ぼく、持てますから!
「そうなのか? お前の気持ちは嬉しいんだが…」
紙ってヤツは重いんだよなあ、見掛けよりもずっと。この紙袋の中身もそうだ。
袋が頑丈に出来ているから、重い中身でもいけるってだけで…。並みの袋だと底が抜けるぞ。
持てるのか、とハーレイが渡してくれた紙袋。
大きさの割にズシリと重くて、腕がガクンと下がってしまった。片手で受け取ったものだから。これは駄目だ、と慌てて添えた手。右手に加えて左手まで。
ハーレイは一部始終を見ていたわけだし、「ほらな」と荷物を取ろうと手が伸びて来た。
「やめとけ、お前には重すぎる」
俺だと片手で提げて行けるが、お前だと両手になっちまう。重い証拠だ、重すぎるんだ。
返せ、とハーレイが箱を片手で持ったままで言うから。
「大丈夫です!」
ハーレイ先生はこれを片手に通して、両手で箱じゃないですか!
紙袋だけでも、ぼくが持ちます。そしたら箱も持ちやすいでしょう?
「そりゃまあ…。バランスは良くなるな」
なら、頼むかな、とハーレイが言ってくれたから。「やった!」と躍り上がった心。
(運んでいる間は、ハーレイと話…)
荷物くらいはなんでもないや、と両手でしっかり握り直した。重い紙袋の持ち手の部分を。握り直したら、両手にかかる重さが丁度いい感じ。これならいける、と嬉しくなった。
(途中で持てなくなっちゃったら…)
恥ずかしいもんね、と両手で提げた重たい袋。本当に見掛けより重い、と。
ハーレイと二人で歩き始めて、話題にしようと思った荷物。紙袋の中身。覗こうとしても、袋の中身が見えないから。歩きながら開けてみて覗き込めるほど、腕の力に余裕が無いから。
「ハーレイ先生、この紙袋はプリントですか?」
全部のクラスで配るプリント、これに入っているんですか?
それなら分かる、と考えた袋の重さだけれど。
「プリントじゃないぞ。資料に使う本が入っているんだ、何冊もな」
教科書はそれほど重くはないが…。そいつの中身は俺の私物で、コレクションとも言うだろう。趣味で集めた資料の本でだ、学校の図書室には無かったもんでな。
いい本ってヤツは重いんだ、と教えて貰った。図版や写真が沢山詰まった資料本。教科書だって写真は多いけれども、大勢の生徒に配るものだから、値段も安い。
けれど、ハーレイが趣味で集める本の類は、紙の質が全く別物らしい。上質な紙を使った本。
(いい本、それで重いんだ…)
シャングリラの写真集も重かったっけ、と気が付いた。ハーレイとお揃いの豪華版。お小遣いで買うには高すぎたから、父に強請って買って貰った。あの写真集もズシリと重い。
それが分かっても、学校では話題に出来ないけれど。
ハーレイと二人で歩いていたって、教師と生徒。恋人同士ではないのだから。
ちょっと残念、とガッカリした所へ掛けられた声。
「シャングリラの写真集、重いだろ?」
お前の本棚に入っているヤツ。あれもな、紙の質がいいから…。同じの、俺も持ってるしな。
「ハーレイ先生?」
思いがけないシャングリラの名前。時の彼方で、ハーレイと暮らした白い船。
「お前もアレが好きなんだよなあ、写真集、持ってるくらいだからな」
みんなの憧れの宇宙船だし、豪華版でなくても写真集を持ってる生徒はきっと多いだろう。
わざわざ豪華版を持ってるってことは、パイロットでも目指してるのか?
だったら、もっと身体を丈夫にしないとな、とハーレイの言葉は続いてゆく。パイロットになる道をゆくなら、健康な身体を作ること。まずはそこから、と。
(やっぱりね…)
普通の生徒と話すんだったら、こうなるよね、と思いながらも相槌を打って、質問も。宇宙船を動かすパイロットの知り合い、いましたよね、とか。
前の自分たちの話は出来ないけれども、幸せな会話。
パイロットになったハーレイの古い友人、その人がやっていたトレーニングとか。丈夫な身体を作るためには、運動するのが一番だとか。
重い紙袋を古典の教師が集まる準備室まで運んで届けて、其処までの道でたっぷり話せた。立ち話よりもずっと沢山、色々なことを。
紙袋をハーレイの机の上に置いたら、「助かったぞ」と御礼を言って貰えて…。
「いいか、他の生徒には内緒だぞ?」
誰か来る前に早く食っちまえ、とハーレイがくれた御饅頭。「生徒が来たらうるさいから」と。
先生たちが食べるためのおやつの箱から、一個貰えた。
(…これ、美味しい!)
蕎麦饅頭だけれど、皮も中身の餡子も絶品。他の先生たちも笑顔で見ている。ハーレイの話では人気の商品、この準備室でもよく買うらしい。それをモグモグ美味しく食べて…。
「ありがとうございました!」
ペコリと頭を下げたら、「俺の方こそ助かった。ありがとう」と声が返ったから。
得しちゃった、と教室に帰る間も弾む足取り。ハーレイと二人で並んで歩いて、色々と話して、おやつも貰えた。古典を教える先生たちのお気に入りのおやつ。
(御饅頭、美味しかったよね…)
夢中で食べてしまったけれども、包み紙をよく見れば良かった。そうすれば分かった、御饅頭の名前。作っている店も。
(ママに頼んで買って貰えるのに…)
でも、またハーレイに訊けばいい。何処のだったの、と尋ねたら教えてくれるだろう。
大好きなハーレイと沢山話せて、オマケにおやつ。荷物は重たかったのだけれど、浮き立つ心。お手伝いをした甲斐があったと、御饅頭も貰えてしまったしね、と。
御機嫌で過ごした、今日の学校。その帰り道に、ちょっぴり痛いと感じた腕。
(あれ…?)
何か変だよ、と不思議に思った。どうして腕が痛むのだろう、と。バス停で降りて、のんびりと歩いて家に帰って、着替えようと制服を脱ごうとしたら…。
(なんだか痛い…?)
肩から肘の間あたりが。手首の近くも少しだけ痛い。
なんで、と右手で左腕をさすって、次は左手で右腕を。両方の腕が同じくらいに痛くて…。
(ハーレイの荷物…!)
重い紙袋を提げて歩いたから、筋肉痛だ、と気が付いた。重い荷物など、普段は持つことが全く無いから、悲鳴を上げている筋肉。頑張りすぎた、と。
重い荷物は持たない上に、運動だって控えめな自分。
(筋肉痛になるほど、やっていないし…)
そうなる前に体育は見学、他の生徒が次の日に「痛い」と言っているのを耳にする程度。だから分かるまでに暫くかかった。これは筋肉痛なのだ、と。
自分とは無縁な体育の授業の筋肉痛。クラスのみんなが痛がっていても、自分は平気。そこまで運動するよりも前に、手を挙げて見学に回っているから。
(まだ痛くなる…?)
どうなんだろう、と心配になった、おやつの後。部屋に戻って動かしてみた腕、やっぱり痛い。上げようとしたら痛みが走るし、肩から大きく回してみても。
(筋肉痛なんて…)
経験自体が少ない上に、荷物で起こしたことがない。腕では一度もやっていなくて、遠足の後で足に来たのが数回だけ。普段よりも沢山歩いたせいで。
(足は痛くて、重かったけど…)
腕の場合は、どのくらい痛くなるのだろう?
今は痛いと思うだけなのが、動きに支障が出るだとか。腕も上げられないくらいになるとか。
(明日の朝になったら、うんと痛いとか…?)
痛すぎてベッドから起き上がれないほどに。そんなことになったら、学校に行けない。筋肉痛で欠席だなんて、ハーレイに会える学校へ行けなくなるなんて。
(ハーレイ先生でも、ハーレイなんだから…)
休みたくないよ、と心配していたら、チャイムが鳴った。仕事帰りのハーレイが母の案内で来てくれて…。お茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで座るなり、微笑んだハーレイ。
「今日のお前は頑張ったな、うん」
俺の手伝い、よく頑張った。途中で投げ出したりせずに。
あの紙袋、重たかっただろう?
準備室まで運べたとはな、と褒められたのは嬉しいけれど。御礼の御饅頭まで貰ったけれども、今の自分は筋肉痛。重すぎる紙袋を提げて歩いたせいで。
「それなんだけど…」
腕が痛いよ、と訴えた。両方の腕のこの辺だけど、と。
「ほほう…。筋肉痛になったか、流石はチビだ」
もう痛いなんて、若さの証拠だな。ダテに小さいお前ではない、と。
「え?」
なんなの、若さの証拠だなんて。ぼくは両腕、痛いんだけど…。
「筋肉痛だろ? 若いほど早く来るってな」
若い内なら、動かしたその日に出ちまうもんだ。ちょっと痛いな、というのがな。
ところが、もっと年を取ったら、筋肉痛が出るのは遅い。次の日まで全く出ないヤツもいる。
「そうなの?」
ハーレイの年だと、その日には痛くならないの?
「どうだかなあ…。俺の場合は鍛えているから、今でも早く出るんじゃないか?」
そうは言っても、起こさないんだがな、俺は筋肉痛なんか。
日頃からしっかり鍛えておけばだ、筋肉は怠けやしないわけだし…。
筋肉痛ってヤツは、普段使っていない筋肉を急に動かすから、ズシリと痛みが来るってな。
お前、腕の筋肉を使ってないから、あの程度で痛くなっちまう、と。
柔道部のヤツらがアレを提げても、筋肉痛にはならないぞ。お前より長く持っていたって。
お前の腕は弱すぎだ、と言われてしまった。「だからやめておけと言ったのに」と。
「俺は重すぎると止めた筈だぞ、なのに持つから…」
途中で俺に渡せばいいのに、頑張って運んじまったから…。自業自得といった所か。
「まだ痛くなる?」
今よりも腕が痛くなるかな、腕を上げるのも辛くなっちゃう?
「当たり前じゃないか、痛み始めたトコなんだから」
明日の朝辺りが最高なんじゃないのか、その筋肉痛。いや、昼頃か…?
こればっかりは個人差だしなあ、俺にも読めはしないんだが。
「そんな…。ぼく、学校に行けなくなっちゃう…」
両腕が痛くて起き上がれなかったら、ベッドから出られないんだし…。
ママに「駄目」って言われなくても、学校、お休みになっちゃうよ…!
「そこまで酷くはならんだろうさ。うんと痛くても、腕は動くしな」
我慢してエイッと起きればいいんだ、動かしていればその内にちゃんと慣れるから。
だが、そうなるのが嫌なんだったら、今の間に薬でも塗っとけ。
家に無いのか、筋肉痛の薬。お父さんが使っているかもしれんぞ、ゴルフ、好きだろ?
あれで起こしちまうこともあるしな、塗ってる所を見たことないか?
「…分かんない…」
お薬、パパが持ってるとしても、リビングとかでは塗ってないから…。
家にあるのかどうか分からないよ、ぼくが小さかった頃がどうだったのかも分かんない…。
遠足で足が筋肉痛になったけれども、お薬、塗って貰ったかどうか…。
筋肉痛の薬が家にあるのか、本当に分からなかったから。幼かった頃にはどうしたのかも、全く思い出せないから。そう答えたら、ハーレイは「ふうむ…」と腕組みをして。
「なら、もう一度、持ってみるんだな。重たい荷物」
お前の鞄に重い本を詰めて、暫く提げて立ってればいい。部屋の中をぐるぐる歩くのもいいな。
俺の荷物を提げていた時間と同じほどだけ。
「どうして?」
重い荷物で筋肉痛だよ、なのに重い物なんか持ってどうするの…!
「筋肉痛が治ると言うんだ、同じことをすれば」
起こしちまったのと同じくらいの運動、そいつをやったら治っちまうと。
「ホント?」
本当にそれで治ってくれるの、筋肉痛?
薬を塗ったりしなくてもいいの、もう一度、重い荷物を持てば?
「少なくとも俺はそうだったが?」
ガキの頃には、それで治した。柔道や水泳でハードな練習をやった時には起こしたからな。
これじゃいかん、と運動だ。そしたら嘘のように治った。
とはいえ、こいつを半端にやったら余計に痛いが…。筋肉痛の上から筋肉痛で。
「嫌だよ、それは!」
治せるんなら、鞄、重くして持つけれど…。もっと酷くなるかもしれないだなんて!
そうなるよりかは我慢しとくよ、明日の朝にうんと痛くったって…!
ちゃんとベッドから起きられるんなら、痛くても我慢しておくから…!
「ほら見ろ、だから言ったのに…」
これは重いからやめておけ、とな。お前の腕の強さくらいは、充分、知ってる。
重い荷物を持てるようには出来ていないということも。
ん…?
そういえば、と顎に手を当てたハーレイ。「前のお前もやってたっけな」と。
「前のぼくって…。何を?」
何をやったの、前のぼくは…?
「筋肉痛の話なんだし、筋肉痛に決まってるだろう」
今のお前と全く同じに、腕の筋肉痛だったが?
「それって、いつ?」
覚えていないよ、筋肉痛だなんて。それに腕って、なんで前のぼくが…?
「アルタミラからの脱出直後の話だな。まだシャングリラじゃなかった頃だ」
そんな名前はついていなくて、とにかく船で生きていこうという時期だった。行き場所なんかがあるわけがないし、この船で生きていかないと、と。
その頃にお前が始めただろうが、船の片付け。通路とかにも積んであった荷物を整理するとか。
チビのお前がやり始めたから、俺や他のヤツらも手伝い始めて…。
前のお前は、俺が腕の力で荷物を運ぶのを見てて、サイオン抜きで挑んじまって。
それで筋肉痛を起こしたわけだな、運んだ荷物が重すぎたから。
「思い出した…!」
やっちゃったんだっけ、前のぼく…。
サイオン無しでも運べるよね、って調子に乗って運び過ぎちゃって…。
蘇って来た、遠い日の記憶。アルタミラの地獄を後にしてから、間もない頃。
前の自分は船の中を片付けようと考えた。今と同じに綺麗好きだったから、雑然と積まれた物を片付けて、通路や部屋を使いやすく、と。
それをハーレイが手伝ってくれた。最初はハーレイ一人だけ。やがて少しずつ増えた仲間たち。
(片付けるの、荷物だったから…)
此処だ、と決めた場所まで運んだ。それがあの船の備品倉庫の始まり。
どんな荷物でも、軽々と運んでゆけたサイオン。宙に浮かせて、指一本で押してゆけたほど。
けれどハーレイは、そのサイオンを使わなかった。「身体がなまる」と、ただの一度も。いつも肉体の力だけ。重い荷物でもヒョイと持ち上げて、抱えて行ったり、担いでいたり。
ある時、ハーレイが「これもだな」と床から抱え上げた大きめの荷物。まるで重さなど無いかのように。その上に更に他の荷物も積もうとするから、つい気になって訊いてみた。
「そんなに軽いの?」
もう一個持とうとしてるくらいだし、その荷物、とても軽いわけ?
「軽いってこともないんだが…。大したことはないぞ、こいつは」
気になるんだったら、ちょっと持ってみるか?
お前、いつでもサイオンだしなあ、たまには腕で持つのもいいだろ。
そう勧められて、受け取った荷物。予想していたよりもズシリと重くて、危うく床に落としそうだった。慌ててサイオンで支えたけれど。床に落としはしなかったけれど…。
「重いよ、これ!」
凄く重い、とサイオンで支えて持っていたそれを、ハーレイは「そうか?」と抱えてしまった。大した重さじゃないんだが、と。それから、上にもう一個、荷物を乗せながら。
「このくらいでないと、身体が駄目になっちまうしなあ…」
しかし、お前には重すぎた、と。チビだし、仕方ないかもしれんな。
「チビじゃなくても、充分、重いと思うけど!」
サイオンの加減で見当はつくよ、その荷物が軽いか重いかくらいは!
他のみんなだったら、絶対、持たない。サイオン無しだと、きっと持ち上げられないよ!
「そういうモンか? …まあ、そうなのかもしれないが…」
みんな、俺ほど頑丈に出来てはいないようだし、持てないと言われたらそうかもしれん。
だがなあ…。俺の場合は、こんな荷物でも持っていないと、本当に身体がなまるんだ。
ずっと鍛えていたもんだから、と妙な台詞を吐いたハーレイ。
前の自分は沢山の記憶を奪われてしまって、成長も止めていたほどだけれども、自分が置かれた環境くらいは把握していた。アルタミラでも。
それに「鍛える」という言葉も分かるし、「身体がなまる」というのも分かる。
だから、ハーレイの言葉に首を傾げた。
アルタミラでは、誰もが檻の中にいた筈。実験の時しか外に出られず、檻が世界の全てだった。上を見上げても、周りを見回しても、檻があるだけ。なんとか生きてゆける程度の。
まともに身体を動かすことさえ、上手くはいかなかった檻。狭かった独房。
あの檻の中で、どう鍛えるというのだろう?
走り回れはしないのに。軽い運動をするにしたって、檻はあまりにも狭すぎたのに。
目をパチクリとさせていた自分。ハーレイがいた檻は特別だったのだろうか、と。
「えっと…。鍛えたって、何処で?」
ハーレイがいた檻は広かったとか、ぼくと違って運動のために出して貰えたとか、そういうの?
でないと鍛えられないし…。あの檻は凄く狭かったから。
「俺の檻だって、他のヤツらと一緒だったが?」
身体がデカイからって、広い檻をくれるわけがないだろ、研究者どもが。たかが実験動物に。
俺はな、実験で鍛えられたんだ。この図体だからこその実験だろうな。
負荷をかけるってヤツが多かったわけだ、どの段階でサイオンを使い始めるかを調べるんだな。
「これを持ってろ」と持たされた箱が、どんどん重くなっていくとか…。
背中に何かを背負わされてだ、そいつが重くなっていくのに、そのまま立っているだとか。
そうやって鍛えられたんだ。何度もやってりゃ、耐えられる重さも増していくしな。
多分、最初から、ミュウにしてはデカくて頑丈だったということだろう。成人検査でミュウだと分かって、捕まっちまった時からな。
お蔭で、こういうデカブツになった。研究者どもに鍛え上げられて。
だから、重い荷物も軽々と持てるし、身体も丈夫に出来ている。そいつを使ってやらないと。
もったいないだろ、せっかくの身体がなまっちまって駄目になったら。
お前、知らないってことは、やっていないんだな、その手の実験。
「多分…」
やってないと思うよ、ハーレイに聞いても「あれだ」ってピンと来ないから。
ぼくでは試してないんじゃないかな、そういうのは。
覚えていないだけかもしれないけれど、と付け足しはした。ハーレイよりも長い年月、檻の中で暮らしていたのだから。何度も実験を繰り返されては、記憶を失くしていったのだから。
(ぼくは唯一のタイプ・ブルーで…)
貴重だとされた実験動物。負荷をかけるような実験よりかは、毒物などを試しそうではある。
けれども、それを始める前には、負荷の実験もあったかもしれない。自分がペシャリとへばってしまって、「話にならない」と打ち切られたとか。
(…それもありそう…)
体格のいいハーレイと、細っこい自分。実験内容は大きく異なっていた。
自分には無かった、鍛えられるチャンス。重くなってゆく荷物を抱えて立っているとか、背中に背負って立ち続けるとか。聞いただけでも辛そうな実験。
けれどハーレイは頑張って耐えて、身体を鍛えて、今は軽々と持ち上げる荷物。サイオンを一切使うことなく、腕の力だけで。自分や他の仲間たちなら、サイオンを使って運ぶのに。
それでは駄目だ、と思った自分。やはり身体も鍛えなくては、と。
だから…。
「分かった、ぼくも頑張ってみるよ」
ハーレイみたいに強くなるには、積み重ねが大切みたいだから。
「はあ?」
積み重ねって…。何をする気だ、何を頑張ってみようと言うんだ?
「荷物運びに決まっているよ」
鍛えたいからね、強くなれるように。…サイオンばかり使っていないで、腕の力も。
今は無理でも、その内にきっと、ハーレイみたいに持てるようになると思うから…。
頑張って鍛え続けていたなら、力だって強くなりそうだから。
サイオンだけが強くても駄目だ、と前の自分は考えた。肉体の力も強い方がいい、と。強い腕があれば重い荷物を持てるし、軽々と運んでゆけるのだから。
鍛えるのが一番、と張り切って持ち上げてみた床の上の荷物。腕の力だけで。
(このくらいなら…)
大丈夫だよ、とサイオンは無し。さっきまでは使っていなかった腕。
(うん、この方が…)
ずっといいかも、という気がした。今はミュウばかりの船にいるから、サイオンを当然のように使うけれども、アルタミラでは使えなかった。檻はサイオンを封じ込める仕掛けが施されていて、檻の外では首にサイオン制御リングを嵌められたから。
つまりは人類が嫌うサイオン、使わずに済むならその方がいい。サイオンが無ければ、ミュウは化け物とは呼ばれないから。ただの人間なのだから。
いつも化け物と呼ばれた自分。檻に入れられ、人間扱いされなかった自分。
(あんな力を持っているから…)
嫌われるんだ、と思ったサイオン。荷物をサイオンで運ぶ自分と、サイオンを使わずに腕の力で運ぶハーレイなら、きっとハーレイの方が人類に近い。人間らしいと思われるだろう。
(そのハーレイにも、人類は実験してたけど…)
ハーレイもミュウで実験動物だったけれど、サイオンを安易に使わない分、化け物という名から遠ざかる。サイオンに頼る自分と違って。
だから自分も人間らしく、と挑んだ荷物。腕の力でもちゃんと持てる、と。
一つ倉庫まで運び終えたら、「やれた」と覚えた達成感。「ぼくも自分の力で運べた」と。
もう嬉しくてたまらないから、次はさっきより大きな荷物。
(ちょっと重いけど…)
でも大丈夫、と抱えて運んだ。もっと大きな荷物を手にしたハーレイと一緒に。
「お前も、やれば出来るもんだな」
頑張ってるじゃないか、とハーレイが褒めてくれるから、その次はもっと大きな荷物。重くてもサイオンは使わないまま、せっせと運んだ。ぼくにも出来る、と。
倉庫まで何度も運んだ荷物。より重いのをと、大きいのを、と。これは持てない、と思う荷物は諦めて。自分の力で、腕の力だけで運べる重い荷物を選んで。
「…前のぼく、調子に乗りすぎちゃってた…」
ちゃんと運べる、って嬉しくなって、何度も何度も重たい荷物を倉庫まで…。
頑張ったのは良かったけれども、その日の内に筋肉痛になっちゃって…。
夜になったら腕が痛くて、ちょっと動かすのも辛くって…。
「思い出したか?」
今日のお前もあれと同じだ、自分じゃ持てるつもりで運んでいたってな。重い袋を。
俺が無理だと言ってやったのに、そりゃあ嬉しそうな顔だった。俺の手伝いが出来るんだから。
前のお前とまるで同じだな、調子に乗るトコが。
運ぶ途中で「もう駄目です」って俺に渡せばいいのに、準備室まで運んじまって。
「どうしよう…。前のぼく、次の日、凄く痛かったんだけど…!」
ホントに痛くて、ベッドに腕をつくのも辛くて、アルタミラに戻ったみたいな気分。
頑張って起きて食堂に行っても、腕がプルプルしちゃうから…。
スプーンもフォークも上手く持てなくて、サイオンを使って食べてたよ。サイオンで持ったよ、スプーンとフォーク。
今のぼく、サイオン、使えないのに…。うんと不器用になっちゃったのに…。
明日の朝御飯はどうすればいいの、ママに頼んで食べさせて貰って、学校はお休み?
学校に行っても、両手が上手く動かせないから…。字も書けなくって、ランチも無理で…。
そうなっちゃったら、お休みするしかないじゃない…!
「慌てるな。そりゃ、今日よりは痛いだろうが…」
朝にはかなり痛むんだろうが、お前が持ったの、紙袋を一つだけだろう?
前のお前みたいに重いのを幾つも運んじゃいないし、あそこまで酷くはならないさ。
安心していろ、今度のヤツはアレよりはマシな筈なんだから。
たかが紙袋を一個運んだだけだろうが、と慰められた。「前のお前の時よりマシだ」と。明日の朝に酷くなったとしたって、ベッドに腕をつくだけでも痛いほどではなかろう、と。
「いつものようにはいかんだろうが…。腕を庇って動くことにはなるんだろうが…」
着替えも歯磨きも出来る筈だぞ、手が震えたりはしないから。…痛むだけでな。
頑張ってしっかり動かしてやれば、その分、治りも早くなる。さっき言ったろ、同じことをしてやれば治るって。
それと同じだ、痛くても動かす方がいい。筋肉痛ってヤツは、そういうもんだ。
痛くても起きて学校に来い。…残念ながら、明日は俺を手伝うチャンスは無いが…。
必要な資料は運んじまったし、次は当分先になるだろうな。俺が両手に荷物を抱えて歩くのは。
「そっか…。同じことをして治したくっても、ハーレイのお手伝い…」
当分無いんだ、それなら二回目、やっちゃうかも…。またお手伝いして筋肉痛かも…。
「ありそうだよなあ、お前の場合」
今日のをすっかり忘れちまって、いそいそ手伝いに来るってヤツ。
その時は、俺はどうすりゃいいんだ?
「この前、酷い目に遭っただろうが」と思い出させてやるのがいいのか、手伝いを頼むか。
覚えていたなら、お前の好みの方の返事をしてやるが…?
「んーと…。痛くなっても、学校をお休みしなくていいんなら…」
お手伝い出来る方がいいかな、ぼく、頑張って運ぶから。
ハーレイと二人で荷物を運ぶの、とっても楽しかったから…。
先生と生徒の話だけしか出来なくっても、ハーレイと一緒に学校の中を歩けたし…。
それだけで充分嬉しかったし、この次もお手伝い出来るのがいいな。
筋肉痛になっちゃってもね、と腕をさすったら、「分かった」と応えてくれたハーレイ。学校で荷物を運ぶ時には、チビに手伝いを頼んでやろう、と。
「ただし、お前が持てそうな荷物の時だけだぞ?」
今日のは授業で使うヤツだし、あの程度の重さで済んでたわけで…。
柔道部の方の荷物だったら、とんでもない重さの時があるからな。飲み物がギッシリ詰まった箱とか、差し入れで届いた弁当だとか…。
ああいう荷物はお前には持てん。…持たせもしないな、落とすに決まっているからな。
「うん…。想像しただけでも重そうだから」
だけどハーレイ、今度も凄いね。前と同じで、重たい荷物を持てるんだもの。
ぼくには絶対無理な荷物も、ハーレイ、一度に運んでいそう。飲み物と一緒にお弁当とか。
「当然だろうが、何度も往復しているよりかは、一度に運んだ方がいい」
その方が手間も省けるし…。箱がデカすぎて抱えられんというならともかく、持てるんだったら運んじまうさ、一度にな。
今の俺だって鍛えてあるんだ、前の俺よりもしっかりと。実験じゃなくて、ちゃんと運動で。
だからだ、今の俺で前の俺と同じ実験をしたら、前よりも凄いデータが出るんだろうな。限界が前よりずっと上になってて、研究者どもが腰を抜かすとか。
そんな具合だから、お前ももう少し鍛えた方が…って、今度は鍛えなくてもいいか。
紙袋一つで筋肉痛だと泣きっ面になる、弱っちいお前で充分だな。
「どうして?」
鍛えろって言うんだったら分かるけど…。夏休みにも朝の体操に誘われてたから、鍛える方なら分かるんだけれど、どうして逆なの?
鍛えなくていいって、ハーレイらしくないんだけれど…。もっと鍛えろ、って言いそうだけど。
「俺としては、そう言うべきなんだろうが…」
しっかり鍛えて丈夫な身体を作るべきだ、と言ってやりたい所なんだが…。荷物だからな?
荷物を運ぶという点だったら、お前は鍛えなくていい。持てないままでかまわないんだ。
お前の荷物は、何もかも俺が持つんだから。
本物の荷物も、心の荷物も…、とハーレイがパチンと瞑った片目。「俺が持とう」と。
「今度は俺が持ってやる。お前の荷物は全部纏めて、ちゃんと抱えて運んでやるさ」
だがなあ…。本物の荷物は幾つもあっても、心の荷物は今の時代は無いかもな。
今のお前はソルジャーじゃないし、うんと平和で幸せな時代に生まれ変わって来たんだし…。
抱え込むような悩みは一つも無いかもしれん。前のお前なら、沢山抱えていたんだが…。
俺が代わりに持とうとしたって、持ってやれない重たい心の荷物ってヤツを。
しかし、今度は全部俺が持つ。お前の荷物は、何もかも全部。
「持ってくれるの?」
ハーレイがぼくの荷物を持って運んでくれるの、重たくても?
ぼくが欲張って色々詰めたら、重くなり過ぎた旅行鞄とかでも…?
「もちろんだ。お前、俺の嫁さんになるんだろうが」
嫁さんに重たい荷物を持たせるような馬鹿はいないぞ、何処を探しても。
だからお前は、鍛えなくてもいいってな。荷物は一つも、持たなくてもかまわないんだから。
これだけは持ちたい、ってヤツだけを持っていればいい。
ヒョイと取り出して読みたい本とか、お前が食べる菓子だとか。
俺と結婚した後は、お前はそういう人生だ。荷物は何でも、俺に「お願い」と持たせるだけの。
頼まれなくても俺が持つから、筋肉痛を起こすのは今の内だけだ。
重たい荷物を持たなくなったら、筋肉痛にはならないからな。
今の間しか起こせないんだから、味わっておけ、とハーレイは可笑しそうに笑っているから。
きっと本当に、そんな未来が待っているから、痛くなっても楽しもう。明日の朝には、今よりも痛くなっているらしい、この筋肉痛。紙袋を一つ運んだばかりに、起こしてしまった筋肉痛を。
(ハーレイのお手伝いは出来たんだしね?)
学校の中を一緒に歩いて、二人で荷物を運んで行った。古典の先生のための準備室まで。
運んだ御礼に、美味しい御饅頭を一つ貰って、美味しく食べて。
(あの御饅頭のお店、ハーレイに訊いてみようかな?)
それとも次にお手伝いした時、御褒美に貰って食べようか。お手伝いをしたら、筋肉痛になってしまいそうだけれど、今の間しか起こせないから。
ハーレイが荷物を全部纏めて持ってくれたら、筋肉痛にはならないから。
(痛いんだけどね…)
明日にはもっと痛そうだけれど、この痛みも今は愛おしい。
腕の痛みが、前の自分の思い出を連れて来てくれたから。前の自分も同じだった、と。
それに今度は、これが最後の筋肉痛かもしれないから。
ハーレイが荷物を全部持ってくれるようになってしまったら、筋肉痛はもう起こせない。
本物の荷物も、心の荷物も、ハーレイが持ってくれるから。
結婚した後には、何もかも全部、ハーレイが運んでくれるのだから…。
荷物と筋肉痛・了
※ハーレイの手伝いをしたせいで、筋肉痛になってしまったブルー。前のブルーも同じ経験が。
また失敗をしたわけですけど、それは今だけ。今度はハーレイが持つ荷物。心の重荷まで。
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