シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(本物そっくり…)
凄い、とブルーが眺めた写真。学校から帰って、おやつの時間に。
新聞に載っていた工芸菓子。お菓子で出来た花や建物の写真が幾つも。見事に咲き誇る華やかな牡丹、枝を大きく広げた松の木。遠い昔の日本のお城も、生きているような鳥だって。
(これって日本の文化なんだ…)
遥かな昔に、この辺りにあった小さな島国。其処で生まれた工芸菓子。花鳥風月を描き出そうと作り始められて、材料はお菓子に使うものばかり。
(最初は和菓子で…)
職人たちが技を競っていたという。店に飾ったり、コンクールをしたり。
日本に外国の菓子が広まるようになったら、そういう菓子でも作り始めた日本人。外国のお城や建物なんかを、同じ技法で再現して。
けれど日本の文化だったから、前の自分が生きた頃には無かったらしい。多様な文化は消されてしまった、マザー・システムが統治した時代。例外ではなかった工芸菓子。
小さな島国だった日本が、世界に誇った菓子だったのに。世界中で称賛されたのに。
他の国では、お菓子で何かを作ると言ったら、せいぜいシュガークラフトくらい。砂糖を固めて色々な飾りを作ったけれども、あくまでお菓子の飾り付け。ケーキを綺麗に見せるだとか。
本物そっくりの花や鳥などを作り出そうとはしなかった。シュガークラフトは添え物だから。
お菓子で出来た建物だったら、ヘクセンハウス。その程度だった、と書かれた記事。
日本で生まれた工芸菓子は、今の時代に復活を遂げた。新聞の写真は、最新作の工芸菓子たち。今の自分が暮らす地域で、作り出される工芸菓子。見事な牡丹も、鳥や昔の日本のお城も。
他の地域では、相変わらずシュガークラフトだという。そうでなければヘクセンハウス。
(ヘクセンハウス…)
そっちの写真もちゃんと載っていた。屋根も壁も全部、お菓子で作られた食べられる家。
ヘクセンハウスは「お菓子の家」という意味の言葉ではないけれど。「魔女の家」を指す言葉、お菓子とは結び付かないイメージ。
それもその筈、グリム童話からつけられた名前で、クリスマスのお菓子。レープクーヘンだとかジンジャーブレッド、クッキーに似たお菓子で組み立てる家がヘクセンハウス。
(クリスマスの話じゃないと思うけど…)
元になった童話は、子供の頃に何度も読んだ。「ヘンゼルとグレーテル」、お菓子で出来た家を見付ける子供たちの話。森にイチゴを摘みに出掛けて。
クリスマスの頃は寒いのだから、森にも雪が積もっている筈。イチゴ摘みには行けないと思う。どう考えても、暖かな季節の物語。でも…。
(怖いお話だったよね?)
お菓子の家は、魔女が作った家だった。美味しそう、と食べた子供たちは魔女に捕まり、魔女の食事にされる運命。「太らせてから食べることにしよう」と。
魔女は子供たちをどう料理するか、あれこれ考えていたのだけれど。
子供たちは魔女を竈に投げ込んで退治した。魔女が子供たちを料理しようとしていた竈に。
ハッピーエンドの物語。無事に逃げられた、幼い兄妹。
やっぱりクリスマスの話じゃなさそう、と考え込んだ「ヘンゼルとグレーテル」。イチゴ摘みは冬に出来はしないし、家に帰った子供たちがクリスマスを祝ったわけでもなかったと思う。
なんとも不思議だ、と眺めたヘクセンハウスの写真。これがクリスマスのお菓子だなんて、と。
(きっと子供が喜ぶからだよ)
お菓子で出来た家を貰ったら、クリスマスがグンと楽しくなるから。
クリスマスの日が早く来ないかと、ヘクセンハウスを家に飾って待つのだろう。長持ちしそうな材料なのだし、きっと早めに買って貰って。
お菓子の家は素敵だから。怖い魔女さえ住んでいなければ、本当に夢の家だから。
(えーっと…?)
食べられるお菓子で出来ている家。屋根も壁も全部食べられる家。白い粉砂糖の雪で飾ったり、色とりどりのチョコレート菓子を鏤めたりと。
前の自分も知っていたような気がして来た。この美味しそうなお菓子の家を。
(…前のぼく…)
お菓子の家に憧れたろうか。ヘクセンハウスを夢見た時代があったのだろうか?
新聞の写真のヘクセンハウスは、可愛らしくて美味しそうだけれど。今の自分も、クリスマスの頃に見掛けたことがあるけれど。
どうだったろう、と考えながら帰った部屋。おやつのケーキを食べ終えた後で。
(お菓子の家…)
前の自分も欲しかったかな、と思うけれども、相手はお菓子の家だから。
ヘクセンハウスも、「ヘンゼルとグレーテル」に出て来る魔女が作ったお菓子の家も、お菓子で作り上げられた家。甘いお菓子で出来ている家、子供が好きそうな夢の家。
(そんな夢より…)
目の前の現実が問題だった。
シャングリラだけが世界の全てで、船の中で食べてゆかねばならない。白い鯨が完成する前は、人類の船から奪った食料。それが無ければ、皆が飢え死にしてしまうから。
そんな船では、お菓子の家を探しに出掛けるどころではなかった。ヘクセンハウスを探すような暇があるのだったら、少しでも多く食料を奪って帰ること。
ヘクセンハウスを知っていたって、前の自分は探しに行かない。奪いはしない。
(前のハーレイだって…)
厨房にいた頃は、色々と作っていたのだけれども、ヘクセンハウスを作ってはいない。お菓子の家を作る所は見ていない。
(でも…)
知っていたように思えるヘクセンハウス。お菓子で出来た、食べられる家。
前の自分は奪っただろうか、人類の船からヘクセンハウスを?
けれど、探そうとはしなかった筈。あれが欲しい、と宇宙を駆けてはいない筈だし…。
(んーと…?)
もしも本物を見たと言うなら、きっと紛れていた物資。ヘクセンハウスを奪うつもりは無くて、たまたま紛れ込んだだけ。
そちらの方に違いない、と遠い記憶を辿って行ったら…。
(あった…!)
見付けた、と探り当てた古い古い記憶。前の自分が奪った物資の中にヘクセンハウス。
(一つだけ混ざっていたんだっけ…)
時期は忘れてしまったけれども、クリスマスが近かった頃なのだろう。ヒルマンが皆に説明していたから。「今の季節のものなのだよ」と。
レープクーヘンで出来たお菓子の家。粉砂糖の白い雪を被って、アイシングなどで飾られた家。
たった一つだけのヘクセンハウスは、暫く船に飾ってあった。皆が集まる食堂に。
「お菓子の家だ」と、誰もが見ていたヘクセンハウス。いつかは分けて食べるのだろう、と前の自分も眺めていた。船の仲間で分け合ったならば、一人分は小さな欠片だろうけれど。
(屋根とか、壁とか…)
そういった場所の一部分。運が良ければ、綺麗なアイシングがついているかもしれない。欠片と一緒に、ほんの少しだけ。淡いピンクだとか、水色だとか。
きっとそうだ、と思っていたのに、ヘクセンハウスを飾っておく時期が終わった時。
「あんたが貰っておくといいよ」
これの季節は過ぎたんだから、とブラウたちが掛けてくれた声。「持って行きな」と。
「…なんで?」
みんなで分けて食べればいいのに、とキョトンとしたら。
「だって、あんたは子供じゃないか」
こういうモノも大切だよ、とブラウが渡してくれたヘクセンハウス。ヒルマンもエラも、ゼルもハーレイも、他の仲間たちも微笑んでいた。「他に子供はいないから」と。
前の自分は誰よりも年上だったけれども、姿も心も子供のまま。長く成長を止めていたせいで。
だから船では子供扱い、ヘクセンハウスが貰えたほどに。
ほら、と渡されたヘクセンハウス。自分だけのためのお菓子の家。
(凄く嬉しくって…)
心が弾んだ。食堂に来る度に見ていたヘクセンハウスが、丸ごと自分のものだなんて、と。
それに、クリスマスに飾るお菓子の家。記憶は残っていなかったけれど、養父母と過ごした家にいた頃は、持っていたかもしれないから。お菓子で出来た、食べられる家を。
養父母と一緒に食べただろうか、それとも一人で少しずつか。
きっと幸せだっただろう。お菓子の家を見ていた間も、それを食べる時も。
他の仲間たちも、食べたかもしれないお菓子の家。記憶に無いだけで、養父母の家で。お菓子の家はクリスマスのもので、現にこうしてヘクセンハウス。一個だけしか無いけれど。
(ぼくが一人で食べるよりかは…)
みんなで分けた方がいいよね、と思った自分。嬉しいけれども、一人占めは駄目、と。
けれど、遠慮したエラやブラウたち。他の仲間たちも、揃って言った。「子供用だよ」と。
誰も欲しがらずに、譲ってくれたヘクセンハウス。一つだけだったお菓子の家。
貰って帰って、部屋に飾って、とても幸せな気分になって。
(ぼくのなんだけど…)
一人で食べるのはもったいなくて、ハーレイを部屋に呼んだのだった。ぼくと一緒にハーレイも食べて、と。一人よりも二人の方がいいから。ハーレイは一番の友達だから。
そうだったっけ、と蘇った記憶。前の自分のお菓子の家。
(懐かしいな…)
シャングリラで持っていたんだよね、と遠い思い出に浸っていたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、早速尋ねた。テーブルを挟んで向かい合わせで。
「ねえ、ハーレイ。ヘクセンハウスって知っている?」
魔女の家っていう名前のお菓子の家。クッキーみたいなお菓子で出来てるヤツ。
「たまに見るなあ、クリスマスの頃に」
菓子を売ってる店に行ったら飾ってあったり、売られてたりな。
「あれ、シャングリラで食べたっけね」
「はあ?」
シャングリラでヘクセンハウスって…。あったか、そんなの?
「あったよ、ぼくとハーレイしか食べてないけど」
ヘクセンハウス、一つだけしか無かったから…。みんなの分は無かったから。
前のぼくだけ子供だったから、貰えることになっちゃって…。
貰って帰ったけど、一人で食べるの、もったいないでしょ?
だからハーレイを呼んだんだよ。二人で食べよう、って。
「そういや、あったなあ…。一つだけだったが」
食堂に飾ってあったんだ。クリスマスの季節の菓子なんだ、とヒルマンが説明してくれて…。
飾った後は、皆で相談して、お前に贈ってやったんだった。子供が貰うべきだから、と。
せっかくプレゼントしたっていうのに、お前と来たら…。
俺を呼び出したんだった、とハーレイは肩を竦めてみせた。「あれはお前のだったのに」と。
「お前が少しずつ食えばいいだろ、って言っても聞きやしないんだ」
一人より二人の方がいいとか、一人で食べるには多すぎるだとか…。
俺が断り続けていたら、「いつか料理の役に立つよ」と来たもんだ。
それを言われたら断れないよな、あの頃の俺は厨房担当だしな?
「だって…。ハーレイにも食べて欲しかったんだもの…」
前のぼくの一番の友達だったよ、だからハーレイ。一緒に食べるなら、ハーレイが一番。
そう思ったからハーレイを呼んだ、と微笑み掛けた。生まれ変わって、また巡り会えた恋人に。
ヘクセンハウスを食べた頃には、まだ恋人ではなかったけれど。一番の友達だったのだけれど。
二人で分けて、大切に食べたヘクセンハウス。
船での一日が終わった後に、「今日は屋根の部分を少しだけ」とか、そんな具合に。
お菓子の家は少しずつ減って、最後に残った土台の部分のレープクーヘン。
それも何度かに分けて味わって食べて、一番最後のをハーレイが二つにパキンと割って…。
「デカい方をやると言っているのに、お前、そいつを俺に寄越すんだ」
食べて、って譲らないんだよなあ、あれはお前のだったのに。…ヘクセンハウス。
「ハーレイの方が大きいんだもの。ぼくよりもずっと」
身体が大きい分、お菓子にしたって大きい方を食べるべきでしょ?
食事だっていつも、ハーレイの方が沢山食べていたんだもの。
栄養をつけるには食事もお菓子もたっぷり食べなきゃ、と笑顔で言ったら、「今のお前もな」と返された。「食べないと大きくなれないだろうが」と。
「急いで育たなくてもいいが…。ゆっくり大きくなればいいんだが、食わなきゃ駄目だ」
でないと大きくなれないからなあ、チビのままで。
前のお前は少しずつでも育っていたから、あの時の俺は、デカい方のを貰うことにしたが…。
同じことを今のお前が言ったら、「お前が食え」と突っ返すな。お前、チビだし。
しかしだ、あの時、デカいのを分けて貰っていたのに、料理の役には立たなかったな。
「…ハーレイ、キャプテンになっちゃったしね」
ヘクセンハウスを参考にした料理を作るよりも前に、厨房、出て行っちゃったから…。
それっきりだよね、あれの出番は無くなっちゃった。
「まったくだ。今日はコレだ、と食べていく時に、俺は研究してたのに…」
家を分解していくんだから、こう壁があって、こう屋根で、と。
食ってる時にも、接着剤になっているのは何だろうな、と舐めてみたんだぞ。
菓子の家なら甘い砂糖でくっつくようだが、他の材料で何かを組み立てるなら…、と考えたりもしていたな。何の料理に使えるだろう、と。
ところが、俺を待っていたのは、料理の代わりにキャプテンという仕事だった、と。
「そうだよねえ…」
ぼくも想像していなかったよ、ハーレイがキャプテンになるなんて。
でもね、キャプテンになってくれて良かった。…ハーレイがキャプテンだったから、前のぼくは安心してられたんだよ。どんな時でも。
それに…。
どうせシャングリラにヘクセンハウスは無かったから、と口にしかけたら掠めた記憶。違う、と頭の端っこを、スイと。
「あれ…?」
「どうした?」
目を真ん丸にしちまって。何かとんでもないことでも思い出したのか?
俺がキャプテンだったばかりに、お前が損をしちまっただとか、そういう記憶。
「ううん、そうじゃなくて…。ハーレイじゃなくて、ヘクセンハウス」
あったような気がするんだよ。シャングリラには無かったよね、って言おうとしたのに…。
それは違う、って前のぼくの記憶が引っ掛かるから…。
「ヘクセンハウスって…。シャングリラでか?」
あの船のクリスマスに、そんな余裕があったってか?
本物のワインの出番でさえもだ、クリスマスではなかったんだが…。
新年を祝うイベントの時に乾杯しててだ、クリスマスの方はもっと地味でだな…。
「そうなんだけど…。だけど、ヘクセンハウスだから…」
クリスマスじゃないかと思うんだよね、どうだっただろう…?
そうだ、あったよ、子供たちのために。
お菓子の家は夢が一杯だもの、と遠い記憶を探り当てた所で気が付いた。
(ヘクセンハウス…)
名前通りのお菓子の家、という記憶。ヘクセンハウスは魔女の家だった、と。
前の自分が貰った時には、甘いお菓子の家だったけれど。飾って眺めてハーレイと食べた、甘い思い出の家なのだけれど。
白いシャングリラのヘクセンハウスは違っていた、と時の彼方から戻った記憶。船の子供たちがクリスマスに作っていたけれど…。
「ハーレイ、シャングリラにあったヘクセンハウス…」
思い出したよ、クリスマスだけじゃなかったよ。いつもあったよ、一年中。
どんな季節でも、出番が来た時はヘクセンハウスだったんだよ。
「なんだって?」
クリスマス以外のいつに出番があると言うんだ、ヘクセンハウス。
あれの出番はクリスマスだろうが、前の俺たちが生きてた時代も、今も。
「そうだけど…。でも、シャングリラでは違ったよ」
アルテメシアから救出して来た子供たち…。
みんなじゃないけど、あの子供たちが作っていたよ。お菓子の家を。
甘いお菓子で出来ているけど、魔女の家。…名前のまんまのヘクセンハウス。
「アレか…!」
あったな、そういうやり方が…。
救い出して来た子供たちの中には、怯えちまってた子供もいたから…。
船には慣れても、怖い目に遭ったことが忘れられないままの子供だ。夜中に飛び起きて、怖いと叫んで泣き始めるとか、そんな子供が作ってたっけな。…ヘクセンハウスを。
アルテメシアから救い出されて来た子供たち。ユニバーサルに通報されて、ミュウだとバレて。
余裕を持って助け出せた子は、養父母や家を恋しがる程度だったけれども、そうではない子。
撃ち殺される寸前に救助された子や、泣きながら逃げて走った子たち。
心に傷を負った子供は、傷が癒えるのに時間がかかった。夜中に突然泣き叫んだり、暗い部屋が怖くて眠れなかったり。
怯える子たちを癒すためにと、ヒルマンが色々とケアをしていた。遊んでやったり、同じ部屋で一緒に眠ったりと。
その一環で生まれて来たのがヘクセンハウス。
白い鯨ではなかった時代に一度だけ船にあったお蔭で、ヒルマンが思い付いたお菓子の家作り。
「忘れちまってたな、ヒルマンが何度もやっているのを見てたのに…」
ヘンゼルとグレーテルの話で始まるんだっけな、「昔々…」と。
「そう。怖い話だけど、よく聞きなさい、って」
魔女を退治するお話をしてあげていたよ、お菓子の家の話もね。
お菓子の家はとっても美味しいけれども、其処には悪い魔女が住んでいるんだ、って。
話が終わったら、「悪い魔女に会ってしまっただろう?」って、子供たちに訊いて…。
悪い魔女はマザー・システムだから、って教えるんだよ、魔女の正体。
子供たちは魔女から上手く逃げたし、もう悪い魔女は来ないから、って安心させて…。
「無事に逃げられた記念に作ってみよう、というのがヘクセンハウスだったな」
お菓子の家を作り始めたら、子供たちには目標が出来るし…。
甘いお菓子の家と一緒に、悪い魔女の思い出も食べてしまえばいいんだからな。
「そうなんだよね…」
魔女を竈に投げ込む代わりに、お菓子の家ごと食べちゃうんだよ。
美味しくモグモグ食べてしまったら、もう魔女が住む家は無いんだから。
外の世界には魔女がいたって、シャングリラにはもう住めないものね。
子供たちを襲った悪い魔女。食べようとしていたマザー・システム。
恐ろしい思い出を消してやろうと、ヒルマンは子供たちにヘクセンハウスを作らせた。お菓子で出来た魔女の家を。それを食べれば魔女の家はもう何処にも無いから、と。
「こんな家がいいな、っていう絵を描くトコから始まってたよ」
子供たちの理想のお菓子の家。…あったら食べてみたくなるような家。
こういう形で、こんな風に飾りがついていて、って。…ヒルマンが好きに絵を描かせて。
お気に入りの家が描き上がるまで、何枚描いてもかまわないから、って。
「理想のお菓子の家が描けたら、厨房で作ってくれるんだっけな、そのパーツを」
屋根も壁も窓も、そっくりそのままになるように。
ヒルマンが子供たちの絵を元にして作った、設計図。そいつを持ってって注文するんだ。
「こういう形で作ってくれ」とな。
後は厨房のヤツらの仕事で、壁を作って窓を開けたり、色々と…。
出来上がったら、ヒルマンが子供に渡すんだ。「お菓子の家の材料が揃ったよ」と。
「アイシングとかも一緒にね」
それを子供たちが自分で組み立てて…。難しい所はヒルマンが手伝ってあげて、出来上がったら飾りもつけて。屋根に雪とか、壁に模様とか。
「完成したら食うんだっけな、悪い魔女の家を」
そういう風に教わってたのに、子供たちと来たら、直ぐには食えないんだ。
頑張って作ったお菓子の家だし、自分の理想の家だっただけに、うんと美味そうな出来だから。
「どの子もヒルマンに訊いちゃうんだよね、「暫く飾っておいてもいい?」って」
やっと出来たから、部屋に飾っておきたいんだけど、って。
それで「いいよ」って言って貰って、飾っている内にだんだん食べたくなって…。
屋根の端っことかを少し齧ったら、美味しくて止まらなくなっちゃうんだよね。
悪い魔女の家を食べてしまおう、とヒルマンに勧められて子供たちが作ったヘクセンハウス。
なのに、魔女の家が立派に出来上がったら、直ぐには食べなかった子供たち。食べてしまうのが惜しくなって。飾って眺めていたいと思って。
けれども、その内にしたくなる味見。ちょっぴり齧れば、途端に美味しいお菓子の虜。気付けばすっかり食べてしまっていて、消えてしまった魔女の家。心の傷もお菓子の家と一緒に消えた。
そんな理由で、白いシャングリラにあったヘクセンハウス。
心に傷を負ってしまった子供が来たなら、クリスマスではない季節でも。
「あの子供たちが、クリスマスに作っていたんだよ」
ちゃんと絵を描いたら作れるんだ、って知っているから、クリスマスにはヘクセンハウス。
船に来た時に作ってない子も、面白そうだから作りたがって…。
それで何人もの子が作ってたよ、お菓子の家を。
ヒルマンも厨房も大忙しだよ、注文の数だけお菓子を焼いたり、家の設計図を作ったり。
誰よりも先に研究していた、ハーレイは手伝えなかったけれど…。
最初のヘクセンハウスの分解と研究、ハーレイがやっていたのにね。
「仕方ないよな、キャプテンではなあ…」
俺の所に注文は来ないぞ、「こういう風に作ってくれ」とは。
ブリッジで菓子を焼けはしないし、アイシングだって作れやしないんだからな。
一番最初のヘクセンハウスを分解していた、キャプテン・ハーレイ。
まだキャプテンという肩書きは無くて、厨房の最高責任者。いつか料理の役に立つかと、重ねたヘクセンハウスの研究。接着剤は甘い砂糖だとか、これを生かせる料理はあるだろうか、とか。
けれど、シャングリラにヘクセンハウスが再び現れた時は、過去になっていた厨房時代。
キャプテン・ハーレイの出番は来なくて、お菓子の家作りは厨房のスタッフの仕事。
「俺の研究は何の役にも立たなかったな」と、ハーレイは嘆いていたけれど。
「待てよ…?」
ちょっと待てよ、と鳶色の瞳が瞬きするから。
「どうかしたの、ハーレイ?」
もしかして、厨房でアドバイスしてた?
一番最初に研究してたし、「此処はこうしろ」とか言いに行ったの…?
「アドバイスじゃないな、作ったぞ、俺も」
「え?」
ハーレイ、作りたくなっちゃったわけ?
後から始めた厨房のみんなが、幾つも作っていくんだから…。悔しくなって作ったとか?
「そうじゃなくてだ、前のお前が原因だ」
お前に強請られて、何回か…。
ヘクセンハウスが作られるようになった後だな、クリスマスにはコレなんだ、と。
もう一度欲しい、と前のお前が言い出したんだ。
ずっと昔にヘクセンハウスを持っていたから、もう一度あれを食べてみたい、とな。
「そういえば…」
お願いしたっけ、前のハーレイに…。
どんなのでもいいから、ヘクセンハウスが欲しいんだけど、って。
子供たちの誰かが頼んだヤツと同じでいいから、ぼくにも一つ作って貰って、って…。
前の自分がハーレイに強請ったヘクセンハウス。白いシャングリラで作られたお菓子の家。
ヒルマンが始めた子供たちの治療は、前の自分も知っていた。ずっと昔に自分が貰った、素敵な甘いお菓子の家。あれを参考に始めた治療方法だ、と。
(いい方法だよね、って見てたんだけどな…)
子供たちがお菓子の家を作る所も、何度も眺めに出掛けたくらい。クリスマスの時はもちろん、治療のためのヘクセンハウスも。
なにしろ、立場はソルジャーだから。子供たちを悪い魔女から、守る力を持っていたから。
「ぼくがいるから大丈夫だよ」と、何度も声を掛けてやった子供たち。「魔女は来ないよ」と。
「でも、魔女の家を食べてしまうのも大切だよね」と、子供たちの手元を覗いていた。
どんな言葉よりも、子供たち自身が納得するのが一番だから。「魔女は来ない」と。
微笑ましく見ていたヘクセンハウス。
子供たちの理想の家の形は、本当に色々だったから。描く絵も、それを元にして出来たお菓子の家も。夢の数だけ、ヘクセンハウス。甘くて美味しいお菓子の家。
クリスマスになれば、ヘクセンハウスが幾つも出来る。
作りたいと言い出した子供の数だけ、子供たちの甘い夢の数だけ。
とても素敵だと、いい習慣だと、前の自分はヘクセンハウスを見守っていた筈なのに…。
白いシャングリラで、一番の友達から恋人になっていたハーレイ。
キスを交わして、愛を交わして、幸せな時を過ごす間に、ふと思い出したヘクセンハウス。友達だった頃に二人で食べたと、ハーレイと二人きりだった、と。
(一つだけだったのを、二人で分けて…)
何日もかけて、味わって食べたヘクセンハウス。あれをもう一度食べたくなった。甘いお菓子で出来ている家を、友達とではなくて、恋人と。
友達と食べても美味しかったのだし、恋をしている人と食べたら、どんなに甘いことだろう。
二人で仲良く分けて食べたら、どれほど甘く感じるだろう。
(そう思ったから…)
クリスマスに二人で分けて食べたい、とハーレイに強請ったのだった。クリスマスのためにと、お菓子の家作りが始まる頃に。船の子供たちが張り切る季節に。
「ハーレイ、お願いがあるんだけれど…」
ぼくもヘクセンハウスを一つ貰えるよう、厨房に頼んでくれないかな?
食べたくなった、と言ってくれればそれでいいから。
君と一緒に食べてみたいんだよ、一番最初のヘクセンハウスを君と二人で食べただろう?
あの頃みたいに、二人で分けて。
友達同士で食べていたって、甘くて美味しかったから…。
今なら、もっと美味しいと思う。ずっと甘いと思わないかい、恋人同士で分けて食べたら。
「…あなたと、ヘクセンハウスをですか…」
それは素敵な思い付きですね、私も食べたくなって来ました。
あなたと二人で分けるのでしたら、作ってみようかと思います。…私の手で。
あの時、研究していましたしね、どういう風に作るのかと。
せっかくですから、やってみますよ。
ソルジャーの御注文の品を作っている、と言えば大丈夫でしょうから。
私が厨房に出掛けて行っても平気ですよ、とハーレイがパチンと瞑った片目。
「普段から、野菜スープを何度も作っていますからね」と。
寝込んだ時には、作って貰った野菜のスープ。あれだけはハーレイが作っていたから、お菓子の家を作る話も、厨房の者たちは疑問に思いはしなかった。
白いシャングリラでは、馴染みになっていたヘクセンハウス。
それをソルジャーが食べたがるのだし、キャプテンが注文を受けることだってあるだろう、と。
前のハーレイは、本当に作って来てくれた。しかも…。
「如何ですか、ブルー?」
細かい所は、あまり自信が無いのですが…。あの時のを再現してみましたよ。
あなたが私に分けて下さった、ヘクセンハウス。こういう風ではなかったかと…。
どうでしょうか、と差し出された甘いお菓子の家。それは記憶の中のとそっくりだったから。
「…あの時の家だ…」
君と一緒に食べた家だよ、屋根も壁も窓も、何処もそっくり…。
屋根の雪だって、あの家と同じ。あれを作ってくれたんだ…?
「味はどうだか分かりませんが…。船では材料が限られますし」
けれども、形は出来るだけ似せたつもりです。
あの家とそっくり同じの方が、違いが分かるかと思いまして…。あの頃と、今と。
「そう思うよ、ぼくも。…一緒に食べた時の違いは、この方がずっと…」
分かる筈だよ、友達だった頃と今との違い。
ありがとう、ハーレイ、あれと同じのを作ってくれて。
早く食べたいな、あの時みたいに二人で分けて。屋根も壁も、それから土台も全部。
でも、その前に飾らないとね。…クリスマスの季節が終わるまでは、此処に。
あの時もクリスマスが終わった後に、ぼくだけが貰えた家なんだしね。
だから暫くは我慢しないと…、と飾っておいたヘクセンハウス。青の間に、そっと。
早く食べたいと思う気持ちと、「ハーレイが作ってくれたんだから」と取っておきたい気持ち。
まるで「魔女の家を食べてしまおう」とヒルマンに勧められた子供のよう。
食べたいけれども、飾りたい。眺めたいけれど、やっぱり食べたい。
揺れ動く心は浮き立つようで、ハーレイと何度もキスを交わした。それが飾ってあった間に。
やがてクリスマスの季節が終わって、二人で食べたヘクセンハウス。
遠い昔を思い返しながら、あの時と同じに少しずつ分けて。それを食べては、キスを交わして。
(ホントに、とっても甘かったんだよ…)
記憶にあるより、ずっと甘いと思いながら食べたヘクセンハウス。恋人同士で分けて食べたら、友達同士で食べた時より甘かった。同じものとは思えないほどに。
ハーレイの感想も自分と同じで、「甘いですね」と貰ったキス。
「あなたのお蔭で、素敵なものが食べられました」と、「ヘクセンハウスも作れましたよ」と。
だから、それからも何度か強請った。
クリスマスの季節が近付いて来たら、「ヘクセンハウスが食べたい」と。
前に食べたのと同じのがいいと、「あれは君しか作れないよね」と。
一番最初のヘクセンハウスは、ハーレイしか研究していないから。それと同じのを、ハーレイと二人でまた食べたいから。
友達同士で食べた頃より、遥かに甘いお菓子の家を。
恋人と二人で分けて食べたら、とろけそうな甘さのヘクセンハウスを。
前のハーレイは何度も作ってくれたんだっけ、と思い出した甘いお菓子の家。
白いシャングリラでハーレイと食べた、あの懐かしいヘクセンハウス。
「そっか…。ハーレイにお願いしてたんだっけね、あれが食べたい、って」
ぼくも食べたいな、ヘクセンハウス。…ハーレイと二人で、お菓子の家。
「今のお前にはまだ早いってな」
ヘクセンハウスも、俺と二人で食べるのも。
「なんで?」
友達同士で食べてたじゃない、だから今でも大丈夫だよ?
クリスマスの季節しか駄目だけれども、またハーレイと食べてみたいよ。
「お前が思い出す前だったんなら、かまわんが…」
ついでに、友達同士で食べたことしか覚えてなければ、ヘクセンハウスも悪くないんだが…。
生憎と、すっかり思い出したし、駄目だな、これは。
恋人同士で食べると甘い、という味の方は、今のお前じゃ話にならん。
お前、俺とはキスも出来ないチビだしな?
俺と食っても、あの時みたいに甘くはないに決まっているだろ。
「えーっ!」
酷いよ、ハーレイ、友達同士で食べるのも駄目?
ホントに駄目なの、ヘクセンハウスは買ったヤツでもかまわないから…!
ハーレイが作ったヤツでなくてもいいから、お願い、ぼくと一緒に食べて…!
お願い、と何度頭を下げても、ハーレイは「知らんな」と鼻で笑うだけ。
「もっと大きくなってからだな」と、「チビのお前と食う趣味は無い」と。
今は一緒に食べて貰えないらしい、ヘクセンハウス。
恋人同士で分けて食べたら、友達同士よりも甘くて素敵なお菓子の家。
けれど、いつかは二人で食べよう。
ハーレイに頼んで、前と同じのを作って貰って。
それが出来たら、飾って眺めて、クリスマスの季節が済んだら二人で仲良く分けよう。
前の自分たちがやっていたように、屋根も壁も、本当に少しずつ。
「今日はこれだけ」と味わって食べて、キスを交わして、微笑み合おう。
恐ろしい魔女はもういない世界で、甘いお菓子の家を齧って。
今度は二人で生きてゆけるから。
幸せな甘いお菓子で出来ている家も、毎年、毎年、きっと二人で食べられるから…。
お菓子の家・了
※クリスマスのお菓子、ヘクセンハウス。シャングリラでは、子供たちのケアに使ったお菓子。
けれど最初は、前のブルーが貰ったお菓子だったのです。前のハーレイとの思い出の…。
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