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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

寒かった部屋

(んーと…)
 なんだか寒い、と目覚めたブルー。土曜日の朝に。
 目覚ましの音で起きたけれども、それを止めようと伸ばした手だって、ヒヤリと包まれた冷気。鳴り続ける音を指で止めるなり、上掛けの下に戻した右腕。寒かったから。
(今朝は冷えるって言ってたっけ…)
 昨夜、母からそう聞いた。季節外れの急な冷え込み、それが来るから気を付けて、と。夜の間に気温がグンと下がるだろうから、暖かくして眠るようにと。
(だから、サポーター…)
 忘れないように右の手にはめた。
 朝晩、冷える日が出始めた時に、ハーレイがくれたサポーター。右手が冷えてしまった夜には、メギドの悪夢に襲われるから。
 医療用だという薄いサポーターは、ハーレイが右手を握ってくれる時の力加減を再現したもの。はめればハーレイの手の感覚が蘇る。いつも右手を温めてくれる、恋人の大きな褐色の手の。
 お蔭で悪夢は襲って来なくなって、昨夜もぐっすり眠れたものの…。
(やっぱり寒いよ…)
 目覚ましを止めようと伸ばした右手。サポーターに覆われた部分は暖かいけれど、冷えた空気に触れてしまった腕は未だに冷たい感じ。腕と一緒に外へ出てしまった右肩だって。
 いったい何度くらいなのだろうか、今の室温。
 カーテンの隙間から朝の光が射しているから、寒さのピークは過ぎている筈。日の出と同時に、気温は上がってゆくものだから。
 たまに例外もあるけれど。本当に強い寒気が入る冬なら、そうでない日もあるけれど。



 今は秋だから、そんな寒波は来ない筈。その内に外は暖かくなるだろう。いつも通りに。
 暖かくなったら部屋の空気も温まるけれど、今が問題。太陽の力はまだ届かなくて、冷え冷えとした寒さが満ちているだけ。
(暖房…)
 スイッチを入れれば、直ぐに暖かくなる。なのに、此処からは手が届かない。サイオンで出来るわけがないから、枕元に持って来ておけば良かった。遠隔操作が出来る手元用のを。
 ごくごく軽くて小さな手元用スイッチ、それもサイオンで運べない自分。置いてある棚までは、ベッドから出て行かねばならない。
(それくらいなら、暖房のスイッチを入れに行っても…)
 変わらないよね、と思うくらいに棚までは遠い。ベッドを出てからほんの数歩でも。
(行って、戻って…)
 身体中が冷えてしまうだろう。目覚ましを止めに伸ばした腕でも、こんなに冷えて冷たいから。身体ごとベッドから出ようものなら、もう間違いなく寒い筈。今よりも、ずっと。
(絶対、寒いに決まっているし…)
 そのくらいなら、このままベッドにいた方がマシ。太陽の光が部屋を暖めてくれるまで。
 もう少しだけ我慢したなら暖かくなるよ、と上掛けの下でクルンと丸くなった。手足を縮めて。
 普段だったら急がなくてはいけないけれども、今日は土曜日。学校は休み。
(あったかい…)
 ベッドの中は暖かいよね、と幸せな気分で閉ざした瞼。その方が暖かく感じるから。
 目を閉じていると、頭に幾つも浮かぶ幸せ。今日は土曜日で、ハーレイが来てくれる日で…。



 幸せの数を数えている間に、ウトウトと夢の世界に入ってしまって、それっきり。暖かい眠りに包まれていたら、聞こえて来た声。
「ブルー?」
 具合が悪いの、と訊かれて瞳を開けると、覗き込んでいる母の顔。
 何処も具合は悪くないから、キョトンとした。どうして母が来ているのだろう?
「ううん、平気…」
 そう答えたら、母はホッとしたようだけれども。部屋の空気もすっかり暖かいから、母は暖房を入れに来てくれたのだろうか、と思ったけれど。
「何度も外から呼んだのに…。寝ちゃってたの?」
 今は何時か分かってるの、と母が言うから。
「え?」
 さっき止めた目覚まし時計を眺めてビックリ仰天。もうすぐハーレイが来そうな時間。
「やっぱり、すっかり寝ちゃっていたのね、目覚ましを止めて」
「なんで起こしてくれなかったの!」
 もっと早くに起こしてくれればいいじゃない!
「何度も呼んだって言っているでしょ。起きてるの、って」
 それに具合が悪いんだったら、起こしたら可哀相じゃない。寝ていた方がいい時もあるでしょ?
 今日はお休みだし、ゆっくりの方がブルーも楽よ。無理に起こすより。
「ママ、酷い!」
 ハーレイが来るって知ってるくせに…!
 ホントにもうすぐ来てしまうじゃない、今まで放っておくなんて…!



 大変なことになっちゃった、とバタバタと着替えて、顔を洗って。朝食は抜こうと考えたのに、それは許して貰えなかった。「朝御飯はちゃんと食べなさい」と怖い顔の母。
「朝御飯抜きは身体に悪いの。ブルーはただでも弱いんだから」
 早くしなさい、と引っ張って行かれたダイニング。自分用の椅子に座らされた。同じテーブル、とうに食べ終えた父が「寝坊したのか」と笑っている。のんびり新聞を読みながら。
「食べてる間に、ハーレイが来ちゃう!」
 部屋の掃除もしていないのに…。起きたまんまで、ベッドもパジャマも放ってあるのに!
「お掃除はママがしてあげるわよ。ブルーは御飯」
 卵料理は何にするの、と手際よく母が作った朝食。トーストも焼いて、サラダにミルク。作って貰ったら逃げられないから、食べるしかない。
 「飲み込まないで、よく噛みなさい」と言い渡してから、部屋の掃除に向かった母。逃げようとしても父が見ているし、食べ方だってチェックされるだろう。
(うー…)
 しっかり噛むより、ミルクで流し込みたい気分。食べている所へハーレイが来たら、寝坊したとバレてしまうから。
(急がなくっちゃ…)
 とにかく早く食べること、とオムレツを口に押し込んでいたら、聞こえたチャイム。
「おっ、ハーレイ先生がいらっしゃったな」
 開けて来ないと、と父が新聞を置いて出て行った。門扉を開けに。母も急いで下りて来て…。
「ブルー、お掃除しておいたわよ」
 安心してゆっくり食べなさい。お部屋はいつもの通りだから。



 空気も入れ替えておいてあげたわ、と玄関の方へ向かった母。まだ朝食の最中だから、父と母がハーレイを案内して来たのはダイニングで。
「おはよう、ブルー。寝坊だってな、夜更かしか?」
 本を読んでて、夢中で時計を見ていなかったな、お前らしいが。
「違うってば!」
 早く寝たよ、と抗議する間に、ハーレイが腰を下ろした椅子。夕食の時のハーレイの定位置。
 寝坊したことを笑われながら、食べる羽目になった朝御飯。「よく噛めよ?」と、ハーレイにも監視されながら。
 ハーレイはコーヒーを淹れて貰って、食事中の姿をからかいながら両親と和やかに話す有様。
 やっとのことで食べ終えた朝食、母が掃除してくれた二階の部屋に移れたけれど…。
「ふむ。お前の分の菓子は無し、ってな」
 俺だけ頂いておくとするか、とテーブルの向かいでハーレイが指したお菓子の皿。母の手作りの焼き菓子だけれど、それが載った皿は一人分だけ。
「お腹一杯だよ!」
 紅茶を飲むのが精一杯だよ、今まで朝御飯だったんだから!
「情けないヤツだな。お前の朝飯、少ないのにな?」
 あんな小さなオムレツとトースト、サラダとミルクで全部だってか。食べ盛りなのに。
「ぼくには、あれで充分だから!」
 食べ盛りなんてことも無いから、あれでも多すぎるくらいだってば…!



 お菓子まではとても食べられないよ、というのが本音。紅茶だって飲みたい気分にならない。
 ハーレイはクックッと喉を鳴らして、焼き菓子を口へと運びながら。
「それで、どうして寝坊したんだ?」
 夜更かしじゃなくても、何か理由があるだろう。目覚ましが鳴らなかったとか。
「…寒かったから…」
 目覚ましで起きたら、部屋が寒くて…。
 暖房を入れに行くのも嫌だし、もう少し暖かくなるまで待とう、って。
 ベッドの中でクルンと丸くなっていたら、知らない間に寝ちゃってたんだよ。ママが来るまで、寝てたことにも気付かなくって…。
「寒くてベッドから出られなかっただと?」
 そこまで寒かったか、今日の朝は?
 俺は早くに目が覚めたから、爽やかにジョギングして来たが…。
 今日みたいな朝は気持ちがいいぞ。空気がピンと引き締まっていて、気分を高めてくれるしな。
「ぼくはハーレイみたいに頑丈じゃないから!」
 朝からジョギングなんかしないし、走りたいとも思わないから!



 寒い日はベッドから出たくないもの、とハーレイを上目遣いで睨んだ。ハーレイが変、と。
「せっかく暖かいベッドがあるのに…。潜っていたら、暖かいままでいられるのに…」
 わざわざ出て行く方が変だよ、用事があるなら仕方ないけど。
「贅沢なヤツだな、出たくないってか」
 シャッキリと起きて体操だとか、そっちの方へは行かないんだな?
「普通、そうでしょ?」
 ハーレイみたいにジョギングするより、もうちょっとだけ、って寝ると思うけど?
 お休みの日で、何処にも行かなくていいんだったら。
「まあな、普通のヤツならな」
 大抵はそっちになるんだろうなあ、起きて走りに行くよりは。
 起きたばかりで眠い時には、寒さ除けにシールドを張ろうって頭も働かないし…。
 しかしだ、前のお前はどうだったんだ?
 うんと寒い時は。
「前のぼく…?」
 何それ、寒い時って、いつなの?
「アルタミラだな。あそこで毛布、貰えたか?」
 俺たちにベッドは無かったわけだが、あの檻の中が寒かった時。
 毛布を渡して貰えていたのか、前の俺たちは…?
「貰ってない…」
 そんなの一度も貰っていないよ、寒い時でも。毛布なんかは貰えなかったよ…。
「ほら見ろ、毛布も無かったじゃないか」
 潜り込むベッドも、くるまる毛布も無かったのが前の俺たちなんだ。
 アルタミラにいた時代にはな。



 思い出したか、とハーレイにピンと弾かれた額。
 生き地獄だった、アルタミラの研究施設の檻にいた頃。閉じ込められていた檻に空調システムはあったけれども、快適な暮らしのためではなかった。檻に入った実験動物を生かしておくため。
 空気を入れ替え、一定の温度を保っておいたら、実験動物は死なないから。
 本来は変わらない、檻の中の温度。研究者たちが決めた適温、それを保つのが空調システム。
 その筈だけれど、たまに寒くなることがあった檻。空調が効きすぎてしまった時などに。
 着せられていた服は、半袖のシャツとズボンだけ。上着など無いし、毛布の一枚も檻には無い。寒くなっても防ぎようがなくて、サイオンはもちろん使えなかった。檻の中では。
 身体が芯から冷えてゆくのに、歯がガチガチと鳴り始めるのに、放っておかれた寒い檻。
 管理していた人類たちは、ミュウが半袖で震えていようが、気にしなかった。凍え死ぬほどではないわけなのだし、それなら何の問題も無い。
 実験動物が震えていたって、檻が寒いというだけのこと。たったそれだけ、檻の温度が低いなら寒い。半袖の服を着ているのだから、寒くて当然。
 「空調を直すのは暇な時でいい」と、人類たちは考えた。相手は実験動物だから。
 急いで修理を始めなくても、まずは自分たちの食事や休憩。それが済んでから取り掛かるか、と檻を放って行ってしまった。酷い時には、「明日の朝でも充分だろう」と帰ったり。



 どんなに寒くて震えていたって、直して貰えなかった空調。人類がその気にならない限り。前の自分たちは、そういう場所で生きていた。アルタミラから脱出するまで。
「あれに比べりゃ、今ではなあ…」
 ベッドも毛布も持っているわけで、其処から出たって暖房を入れれば暖かくなる。…でなきゃ、上着を着るだとか。
 温まれる方法が幾つもあってだ、そうすれば済むだけなのに…。お前はベッドから出なかった。中の方がずっと暖かいから、と。用が無ければ出たくないのが今のお前だ。
 普通のヤツらは仕方ないがな、アルタミラを知ってるお前が言うから、贅沢だな、と…。
 ベッドから出て、暖房をつけるくらいは簡単だろうが。
「そうなのかも…」
 だけどホントに寒かったんだし、ちょっとくらいは…。
 寝てしまったのは失敗だったけど…。ハーレイにも笑われちゃったんだけど…。
「笑うだろうが、いつもだったら張り切って起きているくせに」
 俺が来るのを窓から見てたり、手を振ってたり。
 今日は姿が見えなかったから、てっきり具合が悪いのかと…。心配してたら、寝坊だと来た。
 俺が来る日だと分かっているのに、起きもしないで寝ちまったなんて。



 寒い方が問題だったんだな、とハーレイが指差す自分の顔。この俺よりも、と。
「違うってば!」
 ハーレイが来るのは分かってたけど、それはお休みの日だからで…。
 いつもよりゆっくり出来る日だから、もうちょっと、って思ってる間に寝ちゃったんだよ!
「寒さには慣れてる筈なんだがなあ、アルタミラの檻で」
 前のお前の経験ってヤツは、今では役に立たないってか。…すっかり平和ボケしちまって。
 暖かな家でぬくぬく育つ間に、全部落として来ちまったんだな、前の経験。
 そいつはそいつで幸せだという証拠なんだし、別に悪いとは言わないが…。どちらかと言えば、いいことだとは思うんだが。
 そういや、シャングリラでも何度かあったじゃないか。ごくごく初期の頃だがな。
「あったね、空調システムの故障…」
 シャングリラって名前をつけた後にも、まだあったかも。
 船のメンテナンスに慣れてないから、どのタイミングで点検するとか分かってなくて…。
 整備不良で故障するんだよね、空調システム。
 食堂だとか、ブリッジだとか、大事な場所なら急ぎだけれども、そうでなければ…。
「遅れるんだよな、修理ってヤツが」
 アルタミラの檻にいた頃だったら、遅れる理由は人類のサボリだったわけだが…。
 あの船の場合は、直せる人間が限られてたしな。
「ゼルだけだったもんね…」
 最初の頃には、ホントにゼルだけ。
 きっと専門に勉強してたか何かだよねえ、成人検査を受けるよりも前に。
 説明書とかをちょっと読んだだけで、「貸してみろ」って何でも直せたんだから。



 手先が器用で、機械の類に強かったゼル。船で何かが故障した時は、ゼルが現場に急いでいた。空調システムにしても、調理器具にしても。
 そんな具合だから、個人の部屋の空調が故障した時は、たまに後回しにされた。修理を頼むと、「他の仕事で忙しい」とか、「別の部屋に行けばいいだろう」とか。
 ゼルは本当に忙しいのだし、部屋の空調が壊れた仲間は引越ししていた。修理して貰えるまで、仲のいい誰かが住んでいる部屋へ。
「ぼくの部屋のも壊れちゃったんだっけ…」
 思い出したよ、ちょっと寒いな、って気が付いた時には壊れてて…。
 直ぐにどんどん寒くなっていって、修理を頼みに行ったのに…。ゼル、忙しくて…。
「お前、引越すしか無かったんだよな」
 暫く直してやれないから、って言われちまって。
「うん…。ホントのことだし、仕方ないよね」
 ゼルには急ぎの仕事があるから、ぼくの部屋の空調は後回し。
 他にも部屋は幾つもあるもの、ぼくが引越せばいいんだから。誰かの所に。



 壊れてしまった部屋の空調。宇宙船の中では、壊れてしまえば急速に部屋が冷えてゆく。それを利用して、食料品を保存する部屋があったくらいに。
 「修理は後だ」とゼルに言われて、部屋に戻ったら冷蔵庫のよう。とても其処では暮らせない。引越す以外に無いのだけれども、その引越し先。
 ハーレイの部屋しか思い付かなくて、出掛けてみたら留守だった。厨房で料理の試作中なのか、備品倉庫で整理をしているか。
 黙って勝手に入れはしないし、仕事の邪魔もしたくない。「引越していい?」と頼んだならば、きっと仕事を放り出して部屋に戻るだろうから。引越しするのを手伝おうとして。
 それはハーレイに申し訳ないし、引越しを頼むなら戻って来てから。
 けれど、それまでの間をどうしよう?
 食堂や休憩室にいたなら、ゼルを催促しているかのように見えるだろう。「早く直して」と。
 だから駄目だ、と諦めたのが皆で使う部屋。空調は効いているけれど。
(ヒルマンたちの部屋も…)
 親しくしていても、元はハーレイの友達ばかり。それに自分は子供扱い、引越すとなれば面倒を見ようとしてくれる筈。一つだけのベッドや、座り心地のいい椅子を譲ったりして。
 そうなることが分かっているから、どの部屋も少し気が引けた。迷惑をかけてしまいそう、と。
(何処に行っても、みんなに迷惑…)
 きっとそうだ、と考えたから、自分の部屋に戻って行った。冷蔵庫のように冷え切った部屋へ。
 其処で寒さを防ぐためには、ベッドに潜るしか無かった方法。ベッドが一番暖かいから。
 シールドすることは、思い付きさえしなかった。
 その内に暖かくなってくるから、と冷たいベッドに潜り込んだものの…。



 部屋全体が冷蔵庫なのだし、ベッドの中でも同じこと。冷え始めるのが遅いというだけ、やがて冷たくなってゆく。毛布もシーツも、マットレスも。
 冷たい毛布やシーツは体温を容赦なく奪い、冷えた部屋へと放り出した。それにくるまっている身体の周りを温める前に、片っ端から。
 頭から毛布を被っていたって、暖かいどころか寒いだけ。体温を端から奪われていって、部屋の冷気に包み込まれて。
(でも、本当にどうしようもなくて…)
 震えているしか無かった自分。一番暖かい筈の場所から、出たら余計に寒いのだから。あまりの寒さに止まった思考。シールドはおろか、引越すことも。
 ただガタガタと震えていたら、其処へハーレイが来たのだった。シュンと扉の開く音がして。
「おい、大丈夫か?」
 此処の空調、壊れたらしいが…。ゼルに聞いたが、今日は駄目だと言っていたから…。
 寒い部屋だな、と言った所で息を飲んだハーレイ。「何やってんだ、お前!」と。
 駆け寄って来たハーレイが毛布の中を覗き込んだから、目だけを上げた。
「寒いから…」
 そう答えた声も、身体と同じに震えていて。
「馬鹿!!」
 寒いって、これじゃ当たり前だろうが!
 此処の空調は壊れてるんだぞ、そんな所でベッドにいたって暖かいもんか!



 この部屋、まるで冷蔵庫じゃないか、と毛布ごと抱え上げられた。逞しい腕で。
 そのまま通路に運び出されて、ハーレイの部屋に連れて行かれたけれど。
「…駄目だな、すっかり冷えちまってる」
 風邪引くぞ、お前。…こんなに冷たくなっちまって。
 手も足も氷みたいじゃないか、と毛布を剥がして確かめたハーレイ。「此処に座れ」とベッドの端に座らせて、手や足に触れて。
「寒いよ、ハーレイ…」
 毛布、返して。ちょっとはマシになると思うから…。
「それはお前の勘違いだ。冷えた毛布じゃ、無い方がマシだ。此処ではな」
 暖かいんだぞ、この部屋は。それも分からないくらいに、今のお前は冷えちまってるんだ。
 どうして来なかったんだ、俺の部屋に。…あそこで震えている代わりに。
「…来たけど、ハーレイ、留守だったから…」
「そういう時には、無断で入れ!」
 俺が戻ったら、お前が俺のベッドで寝てても、何も言ったりしないから!
 こんなお前を発見するより、そっちの方がよっぽどマシだ!



 とにかく急いで温めないと、と別の毛布でくるまれた。ハーレイのベッドにあった毛布で。また両腕で抱え上げられて、運ばれた先は皆が使う共用のバスルーム。
 熱いシャワーを頭から浴びせて、バスタブにも熱い湯をたっぷり張ったハーレイ。「浸かれ」と沈められたバスタブ、頭がクラクラしそうになるまで。
 のぼせそうなほど温められた後には、タオルでしっかり拭われた水気。「デカイ服だが、お前の服は冷えてるしな」と、ハーレイのパジャマを着せられた。ブカブカで丈も長すぎるのを。
 そのパジャマごと毛布で包み込まれて、ハーレイの部屋へ。ベッドに入れられ、上掛けを肩まで被せられた。
「いいな、暫く寝ていろよ?」
 直ぐに戻るから、とハーレイは部屋を出て行った。何処に行くのだろう、と見送った自分。
 けれど身体がまだ冷たくて、頭の上まで引き上げた上掛け。やっぱり寒い、と。
 そうしてベッドで震えていたら、ハーレイが熱いスープの器を乗せたトレイを持って戻って…。
「こいつを飲め。身体の芯から温まるからな」
 ベッドから出るなよ、冷えちまうから。この部屋、暑くはないからな。
 空調を下手に弄ったりしたら、お前の身体には却って毒だし。
 ゆっくり温めた方がいいそうだ、とハーレイがスプーンで飲ませてくれたスープ。「ほら」と、「熱いから火傷しないようにな」と、一匙ずつ。
 冷めにくいように、ポタージュスープを貰って来たんだ、と言いながら。
 「今日のスープは違うヤツだが、明日用に仕込んであったからな」と。
 きっとハーレイが仕込んだスープだったのだろう。部屋に戻って来る前に。
(ゼルに聞いたって…)
 空調が故障していること。修理が後回しになったことも。
 ハーレイは仕事を放り出して来てくれたのだろうか。引越し先を見付けたかどうか、自分の目で見て確かめようと。



 そう思ったから、スープを飲ませて貰いながら訊いた。「ハーレイの仕事は?」と。
「もしかして、途中で抜けて来ちゃった?」
 ぼくがきちんと引越せたかどうか、ハーレイ、気になって見に来てくれたの…?
「そんなトコだな、少しばかり遅くなっちまったが…」
 キリのいいトコまでやっとかないと、と今日の仕事は済ませて来た。嫌な予感がしたからな。
 だが、此処までとは思わなかった。
 せいぜい、引越し先が無くって、部屋の表にボーッと突っ立ってるくらいかと…。
 そうでなければ、休憩室にポツンと座っているとかな。
「…それって、どっちもゼルに悪いよ…」
 早く直して、って催促しているみたいじゃない。ぼくの部屋が何処にも無いんだから、って。
 ゼルは「引越せ」って言ってたんだし、引越さないなんて、ただの我儘…。
「それで引越さずに部屋でガタガタ震えてる方が、よほど悪いと思わないのか!?」
 心配してたぞ、ゼルが。「ブルーに悪いことをしちまった」と。
 俺がスープを貰いに行ったの、晩飯の真っ最中なんだから。
 丁度いいから、ヒルマンにお前の扱い方を聞いて来たんだが…。
 ヒルマンがいれば、ゼルもいるよな。いつも一緒に飯を食うんだし、あいつらはセットだ。
 お前に何が起こっちまったか、ゼルの耳にも自然と入る。「俺の部屋に引越しさせておけば」と悔やんでやがるし、結局、ゼルに迷惑かけたわけだな。
「…ごめん…。ゼルにきちんと謝らなくちゃ…」
 ぼくのせいだよ、ちゃんと謝る。ゼルはちっとも悪くないから。
「やめとけ、余計にゼルが可哀相だ」
 お前を酷い目に遭わせちまったと、あいつは反省してるんだから。
 そんな所で謝られてみろ、傷口に塩を塗り込むようなモンだってな。
 謝りに行くより、早いトコ身体を温めることだ。お前が元気な顔を見せるのが一番なんだぞ。
 ゼルもヒルマンも、エラもブラウも、酷く心配してるんだから。
 「知っていれば部屋に呼んだのに」と。お前を引越しさせるべきだった、と四人ともな。



 しっかり身体を温めるんだ、と諭されたから「うん」と頷いたけれど。
 ゼルに謝りに出掛けてゆくより、風邪を引かないことの方がきっと大切なんだ、と分かりはしたけれど、一向に温まらない身体。熱いスープを飲み終わっても。
 手足は今も冷えたままだし、身体の震えも止まらない。まだあの部屋にいるかのように。
 ハーレイはフウと大きな溜息をついて、空になったスープの器とトレイを机に置くと。
「まだ寒いんだな、お前、震えているんだし…」
 手を触ってみても冷たいままだし、これしかないか…。
「なに?」
 薬は嫌だよ、飲みたくないよ。…薬、嫌いなの、知ってるでしょ?
「知ってるが…。薬の出番は来てないな。今の所は」
 熱は出ていないし、風邪の症状も出ちゃいない。今、温めれば、治せるだろう。
 しかし、毛布も熱いシャワーも、スープも効果が出ないわけだし…。
 どうやら、これしか無いようだ。俺が湯たんぽになってやる。
「…湯たんぽ?」
 何なの、それは?
 湯たんぽって、何に使うものなの…?
「そのままの意味だな、中に湯を入れて身体を温めるのに使うんだ」
 それが湯たんぽで、人間の身体を温めるには、人間が一番らしいんだ。
 人間の体温を移してやるのが、湯たんぽよりも効くってな。
 そういう話だ、俺も自分で試したことは無いんだが…。この船でも例は一つも無いんだが。
 何か温める物は無いかと探していたら、ヒルマンがそう教えてくれた。
 スープを飲ませても駄目なようなら、俺が温めるのが一番だとな。



 お前の身体が温まるまで側にいてやる、とポンと叩かれた上掛け。とても大きな褐色の手で。
 「狭いのは我慢してくれよ」と、隣に入って来たハーレイ。パジャマに着替えて。
 そして、しっかりと抱き寄せて貰った広い胸。足もハーレイが絡めてくれた。
「どうだ、暖かいか?」
 一人よりマシか、俺がこうしていた方が?
 暖かくなくて狭いだけなら、本物の湯たんぽ、探してくるが…。倉庫にあるかもしれないしな。
 湯たんぽが無くても、代わりに使えそうな何かはあるだろ、端から探せば。
「ううん、あったかい…」
 こうしてると、とっても暖かいよ。お風呂に浸かっているみたい。
 さっき入ったお風呂よりもずっと、暖かくて気持ちいいお風呂。…熱くないから。
 ホントに暖かくて気持ちいい、とウットリとハーレイにくっついた。大きな背中に腕を回して。
 心地良く感じる暖かな身体。ハーレイが持っている体温。
 火傷しそうに熱かったシャワーやお風呂とは、まるで違った優しい温もり。触れ合った場所から伝わる温もり、それが身体に染み込んでゆく。肌を通して身体の中へと。
(…シャワーより、お風呂より、ずっと暖かいよ…)
 上掛けよりも、熱いポタージュスープよりも。
 暖かいよ、と身体を擦り寄せていたら、ハーレイも強く抱き込んでくれた。「大丈夫だな?」と確かめながら。「苦しかったら言うんだぞ」と腕に力をこめながら。
 すっぽりとハーレイの身体に包み込まれて、手も足も、温まっていく感覚。
 本物の湯たんぽは知らないけれども、きっとそれより暖かなもので。ハーレイが持っている命の温もり、身体と心がくれる温もり。
(…ハーレイ、あったかくて気持ちいい…)
 もう寒くない、と酔った温もり。本当に暖かかったから。手も足も暖かくなってゆくから。
 そうやってハーレイの腕の中で眠って、冷えも震えも何処かに消えた。知らない内に。
 次の日の朝には、暖かなベッドで目覚めた自分。
 ハーレイが額に手を当ててから、「熱は無いな」と微笑んでくれた。
 体温がきちんと戻った身体は、もう震えてはいなかった。風邪も引かずに済んだのだった…。



 やっちゃったっけ、と蘇った思い出。前のハーレイに迷惑をかけた、ベッドで震えていた自分。今の自分は寒いからと寝坊をしたのだけれども、前の自分は…。
「…ごめんね、ハーレイ…。前のぼくも寒くて失敗しちゃった…」
 今よりも寒さに強かったけれど、暖かいベッドで寝ようとしたのはどっちも同じ。
 あの時のベッドは、少しも暖かくなかったけれど…。どんどん寒くなっていっちゃったけど。
「宇宙船の中だったんだぞ。其処で空調が壊れちまったら、そうなるだろうが」
 わざと空調を止めてあった部屋があったくらいだ、食料を保存するために。
 ちょっと考えれば分かることだぞ、空調が使えなくなっちまった部屋がどうなるか。
 お前、あの頃から手がかかるんだ。
 寒いと駄目になっちまうんだな、お前の頭というヤツは。
 今のお前は、もう一度ベッドに潜っちまって、寝坊しただけで済んだようだが…。
 それに昼間は暖かくなるしな、宇宙船の中じゃないからな?
 俺が来るまで寝ていたとしても、凍えちまいはしないだろう。今のお前だと、俺に寝惚けた顔を見られて、赤っ恥をかく程度だな。
 お母さんが「寝ているんですが…」と案内してくれて、俺が覗き込んで。
 「おい、朝だぞ」って声を掛けてだ、お前がガバッと飛び起きてな。
「それは嫌だよ、その前に起きるよ…!」
 ママだって、きっと起こしてくれるよ、そうなる前に。
 ハーレイを部屋の前まで連れて来たって、ぼくを起こしてから「どうぞ」って言うよ…!



 寝たままってことはないんだから、と慌てていたら、「休みの日ならそれでいいが…」と、苦い顔をして見詰めたハーレイ。「普段はどうする?」と。
「これから冬が来るんだぞ。お前、しっかり注意しないと…」
 凍える心配は要らないようだが、寝坊の方だ。今日みたいなヤツ。
 「もうちょっとだけ」と暖かいベッドに潜っている間に、ぐっすり眠っちまってみろ。
 遅刻するんだぞ、学校に。…教師としては叱るしかないな、そういう馬鹿は。
 それとも遅刻するのが嫌で、お前、学校を休んじまうのか?
 「今日は具合が悪いんです」って大嘘をついて、お母さんまで騙しちまって。
「…気を付けるよ、遅刻は嫌だもの」
 ハーレイは怒るに決まってるんだし、嘘をついてお休みしたって絶対バレちゃうし…。
 学校には嘘だとバレなくっても、ハーレイがお見舞いに来てくれた途端にバレておしまい。
 頭をコツンと叩かれるとか、おでこを指で弾かれるとか。
 …でもね、また寒くて震えちゃってたら…。
 前のぼくみたいなことはなくても、寒くてベッドから出られなかったら、温めてくれる?
 今度も、ぼくの身体を丸ごと。
「分かってるのか、お前? 今は右手だけしか駄目だってことが」
 温めてやれるのは右手だけだな、どんなに寒い冬の日でもな。
 お前のベッドに入るわけにはいかんだろうが、いくらお前が震えていても。
 今のお前とは他人だぞ、俺は。家族じゃなくって、ただの守り役だ。
 本物の湯たんぽを取りに出掛けるか、お母さんに部屋まで届けてくれと頼みに行くか…。
 そんなトコだな、今のお前にしてやれるのは。



 だが、いずれは温めることになるんだろうな、とハーレイは溜息をついているから。
 「お前の我儘、聞いてやると約束しちまってるしな」と、困り顔でも嬉しそうだから。
 いつかハーレイと二人で暮らし始めたら、寒い冬の朝には甘えてみようか。
 ハーレイの仕事が休みの時に。
 週末だとか、冬休みだとか、ゆっくり起きてもかまわない朝に。
 「寒いからベッドを出たくないよ」と、隣にいるのだろうハーレイに。
 前の自分が温めて貰った、暖かな身体の持ち主に。
 「ぼくの湯たんぽでいて欲しいな」と、「朝御飯よりもそっちがいいよ」と。
 そうしたらきっと、湯たんぽを貰えるだろうから。
 逞しい両腕で抱き締めて貰って、幸せな温もりですっぽりと包んで貰える筈なのだから…。

 


          寒かった部屋・了


※部屋の空調が壊れていたのに、寒い中で震え続けたブルー。仲間に迷惑を掛けたくなくて。
 結局、迷惑を掛ける結果になったのですけど、ハーレイに温めて貰った、幸せな思い出。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
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