シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
闇鍋の後は教室に戻って終礼でした。グレイブ先生は会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」を不快そうに睨みつつも、声は極めて冷静です。
「諸君、学園1位を取ってくれたことには礼を言っておこう。お雑煮食べ比べ大会とはいえ、順位があったのは確かだからな。私は諸君を誇りに思う。三学期もしっかり頑張るように」
闇鍋の恨み節が出なかったのは流石でした。一口で逃げ出すくらいの不味い代物を食べさせられても、1位なら許せるらしいです。これこそまさに教師の鑑。1位のためなら高所恐怖症でもバンジージャンプ、1位を取ったら闇鍋も黙って一口食べる。グレイブ先生って、けっこう漢ですよね。…終礼が済むと会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は影の生徒会室へ向かいます。もちろん私たちも一緒でした。
「覚えてるかい?…二学期の始業式のこと」
会長さんに問い掛けられて首を傾げる私たち。頭のいいキース君やシロエ君にも心当たりは無いようでした。今日は部活がお休みなので、柔道部三人組もちゃんと揃っているんです。
「始業式って言うから分からないのかな?…ぼくの新学期の恒例行事なんだけど」
「「「あっ!!」」」
瞬時に思い出したのは紅白縞のトランクス。会長さんは新学期の度に教頭先生に5枚ずつプレゼントしてるんでしたっけ。
「思い出したみたいだね。今日は届けに行く日だよ。もう熨斗袋も必要ないし、ただ持っていくだけだけど」
会長さんは部屋の奥からリボンがかかった箱を取ってきました。青月印の紅白縞のトランクスが5枚だよ、と楽しそうに言う会長さんは私たちを連れて行く気です。断ったって引っ張って行かれそうですし、ここは大人しくついて行くしかないでしょう。今度こそ何もありませんように…。
トランクスの箱を持った会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」にくっついて本館に入り、教頭室の扉の前で立ち止まります。厚い扉を会長さんがノックして。
「失礼します」
ガチャリ、と扉を開けると、書き物をしていた教頭先生が顔を上げました。
「ブルー?」
嬉しそうな声でしたけど、会長さんの後ろに続いた私たちを見るなり深い溜息。
「…またゾロゾロと連れてきたのか…」
「いけないかい?せっかくプレゼントを届けに来たのに、もっと喜んでくれないかな」
でないと持って帰ってしまうよ、と会長さん。教頭先生は慌てて謝り、トランクスの箱を受け取りました。
「いつもすまんな。もう熨斗袋はやめにしたのか?」
「うん。やっと気付いて貰えたからね、紅白と白黒のセットの意味。…あの時、ぼくはこれから青と白の縞にするよって言ったんだけど、謝らなくちゃ。あんまり長いこと白黒縞でお揃いにしてたせいなのかな…。白黒縞でないと落ち着かないんだ。だから今でも白黒なんだよ。ごめんね、ハーレイ」
「…なんでお前が謝るんだ?」
「だって。不祝儀でおめでたくない柄をぼくに履かせてるなんてデリカシーが無いって、ジョミーたちにも言っちゃったんだ。ハーレイも謝ってくれていたのに、白黒縞のままっていうのは…やっぱり申し訳ないじゃないか」
いつになくしおらしい会長さんに教頭先生は「気にするな」と言って笑いました。
「お前が気に入ってるんならいいじゃないか。嫌々履いているというなら問題だがな」
「ありがとう、ハーレイ」
会長さんはホッと吐息をついたのですが、次の瞬間、悪戯小僧の笑みを浮べて。
「…それじゃ今日もその目で確かめてみる?お礼代わりに、ぼくの白黒縞」
「い、いい…!」
ベルトに手をかけた会長さんに、教頭先生は大慌てです。
「いい?…そうか、そんなに見たいんだ」
「ち、違う!いいと言ったんじゃなくて、け、け…けっ…」
「…結構ってこと?ふぅん、目の保養になるって言いたいのかな?」
「違う!!…い、…要らない…と…」
「なんだ、残念。褒めてるのかと思ったのに…。いい、とか結構っていう言葉は使いどころが難しいよね」
クスクスクス。会長さんは楽しそうですが、教頭先生はドッと疲れたようでした。
「…あまり教師をからかうな…。私の専門は古典なんだぞ」
「それは失礼。言葉遣いに詳しいんだっけ」
椅子の背に凭れている教頭先生を会長さんはまじまじと眺め、心配そうに。
「…もしかして、まだ闇鍋が堪えてる?くさやとドリアンはやめといた方がよかったかな…」
「いや。くさやに限ってはそうでもないな」
くさやは私が食べたんだ、と教頭先生は苦笑いして言いました。
「お前が入れているのを見たから、どうせならアレを食いたいと思っていた。だが、目隠しをされるだろう?まず無理だろうと諦めていたが、私のお碗に入っていたんだ」
「そうなんだ。…運命の赤い糸っていうのは、あるのかもね」
えっ、運命の赤い糸?くさやの干物が赤い糸ですか?…会長さんったら、また心にもないことを…。教頭先生と赤い糸で結び付けられたって、会長さんなら鋏でチョキンと切るだろう…と、私たちにだって分かります。分かってないのは教頭先生だけでしょう。トランクスがお揃いだと信じて今日も感激してるんですから。
「ハーレイ。運命の赤い糸がぼくに繋がっていたみたいだし…引き出しの中の包みも出してみたら?」
会長さんが意味深な笑みを浮べて、教頭先生を見つめました。
「ぼくに渡そうと思って買ったんだろう。ちょっとギャラリーが多いけれども、証人ってことでいいじゃないか」
「「「証人!?」」」
いきなり話を振られて驚く私たちに構わず、会長さんは続けます。
「…今日を逃したら新学期まで保留になると思うんだよね。トランクスを届けに来たら渡すつもりで決心した、ってハーレイの顔に書いてあるよ。男らしくビシッと決めて欲しいな、せっかくだから。運命の赤い糸を切るつもりならかまわないけど」
えっと…私たちが証人になれる贈り物って何でしょう?みんなで顔を見合わせましたが、見当もつきませんでした。
壁の時計がコチコチと時を刻んでいきます。教頭先生は複雑な顔で会長さんを見ていました。どうやら私たちがいると渡しにくい物らしいです。まぁ、見なくても困るものではないんですから、別にどうでもいいですが。
「ハーレイ。…出さないんなら帰るからね。新年度になるまで後生大事に持ってるといい」
トランクスの箱をポンと叩いて、会長さんが踵を返します。私たちも続こうとしたら…。
「待ってくれ、ブルー!」
教頭先生が引き出しを開け、リボンがかかった小さな箱を出しました。
「お前のために選んだものだ。…本当は…」
渋い声が少し寂しそうに。
「…本当は、お前と二人きりの時に渡したいと思っていたんだがな…」
「ふふ。いいじゃないか、ぼくはかまわないよ」
会長さんはニッコリ微笑み、小鳥のように首を傾げて。
「それで、渡したい物っていうのは何?」
「…知っているくせに、それを聞くのか…?」
「当然。ちゃんとけじめはつけて欲しいし」
教頭先生は小箱を手に持ったまま硬直しました。言いにくいものが入っているのでしょう。居並ぶ私たちを見渡し、会長さんを縋るような目で見て、視線を手の中の箱に落として…。うーん、よっぽど凄いか、とんでもないか、そのどちらかと思われます。
「ハーレイ、みんなが誤解しかかってるよ。変な贈り物じゃないのか、って。どうしても言いたくないなら、ぼくは帰らせてもらうけど。せっかく証人までいてくれるのに」
赤い瞳に射すくめられて、教頭先生は掠れた声で。
「……私の給料の三ヶ月分だ……」
「ん?…ちょっと聞こえにくかった。もう一度言って」
「…私の給料の三ヶ月分だ。そう言えば分かる筈だろう、ブルー」
必死に言葉を絞り出した教頭先生は頬を真っ赤に染めています。
「給料の三ヶ月分がどうしたって?…そんな言い方じゃ分からないよ」
先を促す会長さん。教頭先生の額にはビッシリと汗が浮いていました。
「…三ヶ月分が相場なのだと聞いている。お、お前に……お前にプロポーズしようと思って…」
え。お給料の三ヶ月分でプロポーズっていうと、もしかして…。
「気に入るかどうか心配なんだが…ダイヤモンドではありきたりだから、お前の瞳と同じ色の石を…」
ひゃぁぁ!教頭先生が会長さんに贈りたいものは婚約指輪だったのです。確かにプロポーズなら証人がいても問題ないかもしれません。ただし、婚約成立ならば…ですが。
「…ブルー、お前がいいというのなら…これを…」
受け取ってほしい、と差し出された箱を会長さんは冷ややかに見つめ、プイとそっぽを向きました。
「そういうのって、ぼくが受け取って嵌めてみるものじゃないだろう?…分かってないね。受け取れないよ」
嵌めてくれるというなら別だけれども、と付け加えて言う会長さん。呆然としている私たちの前で教頭先生は震える指でリボンをほどき、指輪の箱を取り出して…机に置いて蓋を開けました。入っていたのはルビーがついた綺麗な指輪。
「嵌めて」
会長さんが白い左手をスッと差し伸べ、教頭先生の無骨な両手がその手を押し頂くようにして…会長さんの薬指に赤いルビーが光ったのですが。
「……ゆるい……」
不機嫌な声で呟いたのは他ならぬ会長さんでした。薬指に嵌った指輪を右手の指でクルクル回していたかと思うと、柳眉を吊り上げて怒り出します。
「ハーレイ。どこが婚約指輪だって!?…サイズが全然違うじゃないか。本気じゃないってよく分かったよ。ぼくは騙されないからね。今までぼくを口説いてたのも、何もかも遊びだったんだ!」
「…ご、誤解だ!私は本当にお前のことが…」
「嘘つき!!」
会長さんは指輪を薬指から抜き取り、ルビーと同じ色の瞳を激しく燃え上がらせました。
「ぼくは何度も女の子に指輪を贈ってきたんだ。サイズを間違えたことは一度も無いよ。…普通のプレゼントでもそうなのに…プロポーズなんて大事な場面でサイズ違いの指輪を持って来るのは有り得ないだろ!?」
そしてスタスタと私たちの方へ近づいてきて、いきなり掴んだのはキース君の左手。
「このサイズなら、キースだと思う。…あくまでぼくの勘だけど」
「えっ!?」
驚いて叫ぶキース君。慌てて左手を引っ込める前に、薬指にルビーの指輪が押し込まれてしまったのでした。
「…やっぱり。キースの指にピッタリじゃないか」
氷のように冷たい会長さんの声が教頭室の気温を一気に降下させました。暖房は効いている筈ですが、部屋の中に霜が降りそうです。キース君の左手に光る指輪は確かにジャストサイズでした。
「…ハーレイ…」
縮み上がっている教頭先生を睨む会長さんは怒り心頭。
「キースのサイズと間違えるなんて、なんて言えばいいのか分からないよ。柔道部で目をかけてたのは知ってたけれど、キースも口説いていたんだね?…もしかして、とっくにいい仲なのかな。指輪を贈るくらいにね」
「違う!その指輪は…ブルー、お前のために…」
「だけどサイズを間違えたんだろ?…買ってくる時にキースのことを考えてたのが丸分かりだよ!」
ええっ、キース君って教頭先生とそんな仲?…そういえば柔道部だと合宿とかもありますし…。
「ちょっと待て!!」
取り残されていたキース君が会長さんを遮りました。
「俺はそっちの趣味なんか無いぞ!…教頭先生の名誉のために言わせてもらうが、俺たちは師匠と弟子でしかない」
「そ、そうだ、キースの言うとおりだ。私は…ブルー、お前のことしか…」
教頭先生も必死です。会長さんの顔から怒りの表情がフッと消え失せ、クッと笑って…。
「…引っかかった」
「「え?」」
キース君と教頭先生の声が重なりました。
「引っかかった、って言ったんだよ。…ハーレイにぼくしか見えてないことくらい知ってるさ。だけど、あんまり詰めが甘いから、からかってみたくなったんだ。サイズの合わない指輪をプレゼントしてプロポーズなんて、振られる元だと思うんだけど」
「…そ、それは…」
「分かってる。ぼくのサイズなんか教えてないし、聞きに来るような甲斐性があれば、ぼくに振り回されたりしないだろうし。…無理して背伸びしようとするから、おかしなことになるんだよ」
会長さんは脂汗を流している教頭先生の眉間の皺を指で弾くと、キース君の左手に嵌ったままのルビーの指輪を抜こうとして。
「あ。…抜けない」
「「抜けない!?」」
キース君と教頭先生が叫びます。
「うん。…ピッタリすぎて抜けないんだよ」
どうする?と会長さんが言い、キース君は自力で指輪を外そうと格闘し始めましたが、指が赤くなってゆくだけです。スウェナちゃんが「石鹸水で抜けると思う」と知恵を出し、キース君は仮眠室の奥のバスルームへ。それでもルビーの指輪は抜けず、キース君はげんなりした顔で戻ってきました。
「ダメだ…。抜こうとすればするほど、食い込んでくるような気がするんだが」
「消防署へ行けば切ってくれるって聞いたことあるわ」
スウェナちゃんが言いましたけど、キース君がルビーの指輪を左手の薬指に嵌めて消防署へ…?
「…俺にはそんな度胸はないぞ」
ガックリと項垂れているキース君。マツカ君が「うちでなんとかしましょうか?」と尋ねましたが、それも抵抗があるようで…。こうなったらダイエットして自然に抜けるのを待つしかないかな?とりあえず指には包帯を巻いて…。
そういう話になってきた時、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がトコトコトコとやって来ました。
「指輪、見せてくれる?…うわぁ、とっても綺麗だね!」
キラキラしてる、と眺めて、触って…。
「これ、絶対に抜けないよ。切って外すのも無理みたい。そうじゃないかと思ったんだけど」
「「「えぇぇぇっ!?」」」
私たちはビックリ仰天。抜けないだなんて、どうしたら…。
「ブルーに頼むしかないと思う。ブルーの力でくっついてるから」
「「「!!?」」」
「…バレちゃったか…」
会長さんはクスクスと笑い、教頭先生に向き直りました。
「あの指輪。…ぼくが貰っていいんだったら、キースの指から外してあげるよ。貰えないならそのままだね。ついでにハーレイとキースが婚約した、って学校に届けを出してくるけど」
「…貰う…?」
ゴクリと唾を飲み込む教頭先生。そりゃそうでしょう。会長さんが指輪を貰うってことは、念願叶って晴れて婚約。地獄から一気に天国です。
「分かった。ブルー、指輪はお前のものだ。…本当に貰ってくれるんだな?」
「うん。ありがとう、ハーレイ。大好きだよ」
会長さんの手が触れた途端に、キース君の指からルビーの指輪が抜けました。会長さんはそれを光にかざして嬉しそうに眺め、机の上に置きっぱなしだった箱に戻すと静かに蓋を。あれ?嵌めるんじゃないんですか?…そっか、サイズが合わないんだっけ。
「じゃあ、サイズ直しに出しに行くね。…ぼくの力でも直せるけれど、こういうのは本職が一番だし」
「ああ、その方がいいだろう。保証書はこれだ。店の電話も書いてあるから」
教頭先生が頬を緩めて引き出しから保証書を出し、会長さんに渡します。シャングリラ・ジゴロ・ブルーと呼ばれ、女好きだと公言していた会長さんが…教頭先生とついに婚約…。あまりにも急な展開すぎて、私たちはついていけません。会長さん、今度こそ本当にお嫁に行っちゃうんですね。式はやっぱり卒業式が済んでからかな…とか、頭の中がグルグルします。そこへ会長さんの明るい声が…。
「さあ、帰ろうか。…フィシスに素敵なお土産もできたし」
え。フィシスさんにお土産?…教頭先生もギョッとして息を飲みました。
「この指輪、フィシスに似合いそうだろう?…ふふ、サイズ直しが出来てくるのが楽しみだな」
保証書に書かれたお店の名前を確認しながら、会長さんは満足そう。貰ったばかりのルビーの指輪をフィシスさんにプレゼントしようだなんて、教頭先生の立場はいったい…。
「ぼくにくれるって言ったじゃないか。後はどうしようとぼくの勝手さ。そうだろう?…ハーレイ」
「……………」
教頭先生はショックで石像と化していました。お給料の三ヶ月分をはたいた指輪が台無しになってしまったんですから。えっと、えっと…気の毒ですけど、慰めの言葉も見つかりません。
「いいんだよ。ハーレイにはぼくとお揃いのトランクスを5枚もプレゼントしたんだからね」
これからも新学期ごとに贈るつもりだし、と言って会長さんは指輪の箱と保証書をしっかり掴んでいます。
「じゃあね、ハーレイ。指輪は有難くもらっておくよ」
軽くウインクして教頭室を出てゆく会長さん。私たちもその後に続きました。扉が閉まる前に振り返ってみると、教頭先生はまだ石像になったまま。机の上にはトランクスの箱が置かれています。お給料三ヶ月分のトランクスってことになるのでしょうか?1枚あたりのお値段がいくらになるのか、ちょっと計算してみたいかも…。