シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
収穫祭があった週の金曜日。放課後、いつものようにジョミー君たちと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に行くと甘い匂いがしていました。アップルパイに違いありません。
「かみお~ん♪今日は丸ごとリンゴのアップルパイを作ってみたよ!」
マザー農場で貰ってきたリンゴとバターを使ったんだ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。オーブンの中から取り出されたのは丸ごとのリンゴをパイ皮で包んだ美味しそうなアップルパイでした。キース君たちはまだ柔道部ですけど、一足お先にいただきまぁ~す!フォークを持ってパクついていると、会長さんが尋ねました。
「どう、美味しい?」
「「「美味しい!!!」」」
「それはよかった。ぶるぅ、パイ皮も上出来だよ」
褒められた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は嬉しそうな笑みを浮かべて、次はミートパイを焼くのだと言っています。
「キースたちが来る頃に焼き上がるようにしようと思って。まだちょっと早いよね」
私たちはおしゃべりを始め、そうこうする内に時計を眺めた「そるじゃぁ・ぶるぅ」がオーブンを温めて冷蔵庫からミートパイを取り出し、天板の上へ。大きなパイが2つと…一人前くらいのサイズの小さなパイが1つ。なんだか変わった取り合わせですが、小さなパイは「そるじゃぁ・ぶるぅ」の夜食なのかな?
「違うよ、あれはプレゼント用」
会長さんが答え、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が天板をオーブンに入れながら。
「うん、プレゼントにするんだって。アップルパイは好きじゃなさそうなんだよね」
だからミートパイにしたんだもん、と言ってオーブンのタイマーをセットしています。プレゼントって…フィシスさんにあげるのでしょうか。アップルパイよりミートパイだなんて、ちょっとイメージ狂いますけど。
「フィシスに贈るんならアップルパイさ。…これはハーレイにプレゼント」
「「「教頭先生!?」」」
とんでもなく嫌な予感がします。もしかしなくても、キース君たちが来てミートパイを食べ終わったら、私たち、教頭室へ連れて行かれてしまうのかも…。ジョミー君たちと顔を見合わせていると、会長さんが極上の笑みを浮かべました。
「察しがよくて助かるよ。…せっかくの特製ミートパイだし、出来立てを食べて欲しいからね。ハーレイは甘いお菓子は好きじゃないんだ」
なるほど、それでミートパイですか。いったい何を企んでいるのやら…。
「イヤだな、今日は本当にスーパースペシャルなプレゼントをあげようと思ってるのに。いつも苛めてばかりじゃ可哀相だし」
会長さんはクスクス笑ってオーブンの方を見ています。
「ハーレイにあげるパイは本当の本当に特別なんだ。ちゃんと実験済みだしね」
「「「実験!?」」」
実験ですって?…いったい何を、どうやって?
「…パイのフィリング。いいものが入っているんだよ。食べると素敵な夢が見られる。フィシスが被験者になってくれたよ」
ひえええ!何をやったのか知りませんけど、フィシスさん、人体実験を引き受けるなんて…やっぱり入籍済みなんでしょうか。そういえば会長さんの家にフィシスさんのお部屋がある、って聞きましたっけ。
「ぼくがフィシスを女神と呼んでいるのと同じで、フィシスにとってもぼくは特別。だから頼みを聞いてくれたんだ。ぶるぅじゃ試せないからね」
さすがの会長さんも1歳児相手に人体実験はあんまりだと思ったみたいです。え、違う?
「…ぶるぅは力が強すぎるからダメなんだよ。フィシスくらいがちょうどいいのさ」
なんだか不穏な話ですけど、特製ミートパイの中には何が…?
「…こないだのベニテングダケ」
会長さんはサラッと答え、詳しい話はキース君たちが来てからだ…と言ったのでした。
ミートパイが焼きあがるのと殆ど同時に部活を終えたキース君たちがやって来ます。熱々を切り分けたのをお皿に入れてもらいましたが、これって大丈夫なんでしょうか?天板が違うとはいえ、怪しいパイと一緒にオーブンで焼かれたパイなんですけど。
「安心したまえ」
会長さんがミートパイをフォークで切って口に運びました。
「成分が拡散するような心配はないよ。その辺もちゃんとチェックしてある」
「…このパイが何か問題なのか?」
食べようとしない私たちを見てキース君が尋ねると…。
「問題なのは、あっちのパイ。君たちの分はごくごく普通のミートパイさ。ぶるぅの力作なんだし、食べてくれないとぶるぅが傷つく」
「うん。せっかく頑張って作ったのに…。食べてくれないの?」
うるうるした目で見つめられては、食べないわけにはいきません。それに…。
「食べ終わったら詳しい事情を説明するよ。大丈夫、とても美味しいパイだから」
会長さんがニコニコ笑って見ています。お皿の上はすっかり空っぽ。ここは信じて食べるしか…って、ホントに美味しい!この際、ベニテングダケでも構わないかも。美味しいものには毒がある、という言葉を思い出しながらすっかり食べてしまいました。他のみんなも満足そうです。
「…食べ終わったみたいだね。ちゃんと普通のパイだっただろ?」
「じゃあ、あっちのは何なんだ」
キース君が指差したパイは「そるじゃぁ・ぶるぅ」がラッピングしようとしているところ。
「ハーレイのために作ったパイ。おんなじミートパイだけど…このあいだ採ってきたベニテングダケが混ざってるんだ」
「なんだと!?」
キース君をはじめ、柔道部三人組はビックリ仰天。会長さんはフィシスさんで試したという実験の話を始めました。
「食べると幻覚が見えるキノコだってことは言ったよね。ちょっと細工したら、食べた人間の思い通りの夢が見られるようになった。…フィシスはとっても喜んでいたし、ハーレイにも夢をプレゼントしようと思って」
夢?…わざわざキノコなんか使わなくっても、会長さんなら自由自在に夢を見せることが出来るのでは?まりぃ先生やアルトちゃんたちにそういうことをしてるんですから。
「それはもちろん簡単だけど…。それじゃあんまり意味がないんだ。ぼくの力を使ったんでは意外性に欠けると思わないかい?…一服盛る、という行為がスリリングで楽しいんだよ」
水色のレースペーパーと青いリボンでラッピングされた小さなパイ。会長さんはそれを手に取り、立ち上がりました。
「それじゃ教頭室に行こうか。ハーレイ、喜んでくれるといいな」
ベニテングダケ入りのとても怪しいミートパイに即効性があるのかどうか、私たちには分かりません。渡して帰るだけなら平和でいいんですけれど…きっと食べろと言うんでしょうね、会長さんのことですもの。
教頭室にゾロゾロ入っていくと、教頭先生は「またか」という顔を向けました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」までいるんですから、ろくなことが起こりそうにないメンツに見えるのは確かです。
「ハーレイ、今日は差し入れを持ってきたんだ」
会長さんがパイの包みを差し出して。
「今日も柔道部を指導しただろ?お腹が空いているかと思って、ぶるぅ特製ミートパイ」
「ほう…」
教頭先生がリボンをほどくと、美味しそうな匂いが立ち昇りました。
「うまそうだな。後でゆっくりいただこう」
「今、食べて」
あ、やっぱり。会長さんは凄く綺麗に微笑んでいます。
「このパイ、ぶるぅの自信作なんだ。感想を直接聞いてみたくてうずうずしてると思うんだけど。ね、ぶるぅ?」
「うん!ぼく、いろいろ工夫したんだよ。ブルーたちは美味しいって言ってくれたけど、大人の人だとどうなのかなあ、って」
「なるほど、大人の感想か。…ふむ」
教頭先生はパイを手に取り、一口齧って頬を緩めて。
「これは…。このパイは確かに美味いな。ビールにもよく合いそうだ」
「学内は飲酒禁止だけどね」
会長さんが肩を竦めると教頭先生は「違いない」と笑い、ビールが無いのが残念だ…と言いながら全部平らげてしまいました。どうやら即効性は無いようだ、と私たちが安心しかかった時。
「…いかんな、間食をすると眠くなる。仕事が沢山あるんだが…」
ふわぁ、と欠伸をする教頭先生。立て続けに欠伸をした後、教頭先生は机に突っ伏し、気持ちよくイビキをかき始めたのです。
「ふふ。…作戦成功」
会長さんは会心の笑みを浮かべて教頭先生の額に手を当て、私たちの方を振り返って。
「ハーレイが見ている夢を君たちに中継してあげよう。みんな、ぼくに心を委ねて」
要りません!と返事する前に視界が霞んで足元が揺らぎ、宙に浮いたような感覚が…。でも、そう思ったのは一瞬だけ。足が地に着くと、そこはさっきと何も変わらない平和な教頭室でした。会長さんが近づいてきて私の顔を覗き込みます。
「眠くなっちゃったみたいだね。あっちの部屋で横になる?」
え。今、なんて?あっちの部屋って、いったい何処?…会長さんは奥の仮眠室に続く扉を指差しました。
「大丈夫、他のみんなは帰したよ。半時間ほど昼寝したら?ぼくが起こしてあげるから」
そ、そんな…。確かにクラッとしましたけれど、昼寝が必要なほどじゃありません。それに教頭先生の仮眠室をお借りするなんて厚かましいにも程があります。でも会長さんは先に立って扉を開き、私を手招きしていました。気遣うような表情に否とは言えず、心配させてはいけないと思い仮眠室への扉をくぐると…。
「…ねえ、ハーレイ」
会長さんが仮眠室の大きなベッドに座って呼びかけました。
「この前は驚かせちゃって、悪いことしたと思ってる。…婚約指輪のことなんだけど…。もし、本当にぼくが婚約指輪を貰うとしたら。…君から貰えたら嬉しいな…って」
ドキン、と私の心臓が音を立てて跳ね上がります。ひょっとして…ハーレイって私のことですか!?鼓動がものすごく早まってゆく中、会長さんの赤い瞳が切なそうに何度か瞬いて。
「ずっと…ずっと想ってたんだ、ハーレイのこと。でも…ぼくは生徒で、ハーレイはぼくの担任で。…やっぱりいけないことなんだよね?ハーレイのそばに…誰よりも近くにいたいだなんて」
ドクン、と心臓が脈打ちました。やばい。私、教頭先生と完全にシンクロしているみたいです。会長さんは思いつめたような顔で両手を差し出し、揺れる瞳で見上げながら。
「…だけど、もう我慢できないんだ。…限界なんだ…。もしも、ぼくを想ってくれるなら。ぼくは退学になってもいいから…何が起こっても耐えられるから…。ぼくと一緒に一線を越えて?…もう、生徒ではいられないよ…」
会長さんの白い指が制服のワイシャツの襟元に触れ、ボタンをそっと外してゆきます。白い喉元が…鎖骨が覗いて、私の心臓は破裂しそう。なんでこんな目に、と思いながらも頭の芯まで熱くなってきて、三つ目のボタンが外されたのを目にした瞬間、私の意識は真っ白にはじけてしまいました。もうダメ、何も考えられない…。
「はい、おしまい。…みんな目を開けて」
会長さんの声が遠くで聞こえ、手を叩く音が響きます。目を開けるとそこは教頭室で、仮眠室もベッドも見当たりません。…あれ?私、今まで何をして…?
「ハーレイの夢に取り込まれていたんだよ」
まだぼんやりした頭を振って見回してみると、ジョミー君たちが同じようにキョロキョロしていました。教頭先生は机に突っ伏したままで大きなイビキをかいています。
「…ハーレイったら、夢の中で感極まって倒れちゃったんだ。今は思い切り深い意識の底。これじゃ続きは見られそうもないね」
クスクスクス。会長さんは教頭先生の額を指先で軽くつついて、眉間の皺をなぞりました。
「ぼくを手に入れたいって熱望してたし、期待に応えて特製パイを開発したのに…。予想以上にヘタレだったよ。どの辺りで君たちとの同調を切るか、悩んでたぼくが馬鹿みたいだ。あの結末じゃあ、有害指定云々以前じゃないか」
「…ゆうがいしてい?」
キョトンとした声は「そるじゃぁ・ぶるぅ」。トコトコと部屋中を歩き回って私たちの顔を順番に眺め、それから教頭先生の寝顔を覗き、会長さんをじっと見上げて。
「ねえ、ブルー。ぼくも今の夢、覗いてたけど…なんでハーレイ倒れちゃったの?…ドキドキしすぎたのは分かったけども、ハーレイって心臓、弱かったっけ?」
「…心臓というより度胸の問題」
会長さんはおかしそうに笑い、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の髪をクシャクシャとかき回しました。
「ぼくの相手をするには三百年早いっていうことさ。特製パイの後遺症で鼻血を出さなきゃいいけどね…目が覚めた後で。それじゃハーレイ、いい夢を…って、もう無理かな」
そして教頭先生の羽ペンでメモ用紙に『お疲れ様。奥でゆっくり休むといいよ』と書いてサインをすると、会長さんは私たちを促し、眠りこけている教頭先生を放置して部屋から出て行ったのでした。
「…結局、あの夢はあんたの仕業じゃないわけか」
影の生徒会室に戻って紅茶を飲みながら、会長さんに質問したのはキース君。
「うん。ハーレイの願望というか、妄想というか…。どんな夢を見るのか興味あったけど、夢の中でもハードルを超えられなかったみたいだね」
「ハードルってなぁに?…ハーレイはブルーに何をしたいの?」
またまた無邪気な「そるじゃぁ・ぶるぅ」に会長さんは。
「ぼくと結婚したいんだってさ。…どうする、ぶるぅ?ぼくがハーレイの所にお嫁に行ってしまったら?」
「ついていくよ」
ためらいもせずに「そるじゃぁ・ぶるぅ」は即答しました。
「ブルーの代わりにお料理も掃除洗濯も全部するから、お嫁さんに行くなら連れてって」
「分かった、分かった。…でもハーレイがアレじゃあね…」
会長さんは思い出し笑いをしながら、私たちを見渡しました。
「年齢制限必須の夢を見せてあげられなくて残念だったな。で、ハーレイになってみた気分はどうだった?」
「「「最悪です!!!」」」
教頭先生と同調しちゃって、会長さんとの怪しげな時間を疑似体験をさせられてしまった私たち。ベニテングダケが招いた悪夢はしばらく消えそうもありません。もしも教頭先生が夢の中でダウンしていなかったら、もっととんでもないことに?教頭先生には悪いですけど、私たちの心の平穏のためにも永遠のヘタレでいて下さい…。