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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

夏を楽しもう・第2話

会長さんの阿漕な出店がボロ儲けをした翌日からは夏休み。私たちは早速、夏休みの計画を立てに「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に来ていました。会長さんの家に行ってもいいのですけど、夏休み初日は毎年この部屋で話し合うのが恒例です。
「キースたちは明後日から合宿に行くんだったよね?」
手帳を見ながらチェックしている会長さん。
「ハーレイのワンフィンガーも無事に誤魔化せそうだし、何の問題も無さそうで良かったよ」
「…本当に大丈夫なんだろうな?」
キース君が念を押したくなるのも分かります。教頭先生の紅白縞に隠された大事な部分には指の幅一本分しか毛がありません。脛や脇の毛は少し伸びたかもですけど、剃られて間もないワンフィンガーはまだまだ人目には晒せそうもなく…。
「大丈夫な筈だよ、本人も度々確認してるしね。ゼルを誘って銭湯に行ったり、一人で銭湯巡りとかさ。…とりあえず変な目で見られてないから問題無いっていうことで」
「銭湯か…。確かにハッキリしそうだよな」
露骨に目をそらされてしまうとか、とキース君は納得しています。教頭先生のワンフィンガー限定のサイオニック・ドリームはちゃんと身についているようでした。冷静に考えてみれば情けないサイオンの使い方ですが…。
「えっ、そうかな? 三百年以上もサイオニック・ドリームとは無縁で来たハーレイが操ってるってだけで凄いという気がするけれど?」
会長さんの言葉でアッと口を押さえたのは私一人ではなく、ホッと一息。みんな考える所は似ているみたいで安心です。それはともかく、キース君たちが合宿にお出掛けということは…。
「柔道部の合宿は例年通りに一週間だし、サムとジョミーも毎年お決まりのコースでいいよね?」
ニッコリ微笑む会長さん。
「璃慕恩院では今年も夏の修行体験ツアーの参加者を絶賛募集中! 璃慕恩院の老師の方から早くに電話が来てたんだ。サムとジョミーは来るんじゃろうな、って」
「うえ~…。今年も行くの?」
辟易した様子のジョミー君に会長さんは「決まってるだろう」と冷たい口調。
「喉元過ぎれば熱さ忘れるとはよく言うけれど、君の場合は喉元どころか唇かもね。出家したのが去年の秋で、ぼくの直弟子として登録されたのが春のお彼岸だった筈だよ。…春のお彼岸には元老寺に行って色々お手伝いをしていたのにさ」
「あ、あれは……あれは不可抗力っていうヤツで!」
「君がどう言おうと、ぼくの直弟子になった事実は変わらない。ぼくが破門だと言わない限りは逃亡は不可能だと思いたまえ。そして師僧としての命令だ。この夏も璃慕恩院で仏弟子として修行を積むこと!」
師僧の命令は絶対だ、と告げる会長さんの横からサム君が。
「諦めろよ、ジョミー。お師僧さんのお言葉は絶対だぜ? 何があっても逆らえないんだ」
「そ、そうなの?」
「おう! お師僧さんが白いと仰ったらカラスも白いのが坊主の世界。お前、普段は自由にさせて貰ってるんだし、夏休みくらいは真面目にやれって」
「自由にって…何処が?」
覚えが無いよ、とジョミー君が返すとキース君が鋭い視線でギロリと睨んで。
「ならば聞かせて貰うがな…。お前、一度でも朝のお勤めに行ったのか? サムは熱心に通っているのに一度も行っていないだろう! 朝は眠いとか、ブルーの家まで遠いとか言って!」
「だ、だって…。ホントに早起き出来ないんだから仕方ないだろ! ブルーも何も言わないし…」
「それを自由にさせて貰っていると言うんだ! 俺なんか実の親でも本当に容赦無かったぞ」
朝は早起きして朝のお勤めに境内の掃除、とキース君。坊主頭が似合わないと気付いて反抗し始めるまでは、小さい頃から真面目に小僧さん生活をしていたそうです。アドス和尚もビシバシしごいていたらしく…。
「境内の掃除は専属の人がちゃんといるんだ。それでも一緒に掃除してこい、と冬の朝でも叩き出された。雪が積もった朝は嬉しかったな、境内全部を掃除しなくて済むからな」
「「「…境内全部…」」」
それはスゴイ、と尊敬の眼差しを送る私たち。子供の頃から頑張ったからこそ今のキース君があるわけで…。
「まあ、子供が掃除をすると言っても大人には敵わないんだが…。俺が掃除した後を大人がきちんと掃除しないと見られたものではなかったんだが、親父は本当に厳しかった。ジョミーはその頃の俺より大きいんだ。朝のお勤めくらいしなくてどうする!」
「で、でも…。好きでお坊さんになったわけじゃないし!」
悪あがきをするジョミー君でしたが、会長さんがスッと巻紙を差し出して。
「修行体験が嫌だと言うなら、これに紹介状を書く。宛先は……誰がいいかな、少人数でやってるお寺の方が目が行き届いていい感じかな? ひと夏預かってやって下さい、と書けば一発」
「え? ええっ?」
「ぼくの直弟子を仕込んで下さい、って書くんだよ。どうも覚えが悪くって、と書き添えておけば完璧だね。そっちのコースを希望する? それとも一週間だけサムと一緒に璃慕恩院に…」
「璃慕恩院に行く!」
ジョミー君は即答しました。夏休み中ずっと知らないお寺で修行よりかは一週間の璃慕恩院行きを選んだ方がお得です。明後日から柔道部三人組は合宿、ジョミー君とサム君は璃慕恩院。お馴染みのコースの始まりですよ~!

男の子たちが柔道部と璃慕恩院の二手に分かれて旅立った後、留守番組はのんびり夏休み。フィシスさんも一緒にプールに出掛けたり、会長さんの家で男の子たちの様子を覗き見したり。柔道部の方では教頭先生がサイオニック・ドリームを頑張っているのも分かりました。そうやって一週間が経ち…。
「かみお~ん♪ お帰りなさ~い!」
元気一杯の「そるじゃぁ・ぶるぅ」の声が会長さんの家に響いて、男の子たちのお帰りです。去年まではシャングリラ学園の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋で出迎えていましたが、今年はこっち。何かと気楽で話しやすいというのが理由です。だって、ワンフィンガーとか…ねえ…?
「で、ハーレイはどうだった?」
覗き見をして知っているくせにワクワクしている会長さん。スウェナちゃんと私に届いた思念波によると「四六時中見ているわけではないから」らしいのですけど。
「教頭先生は平常心でいらっしゃったぞ。合宿の風呂もいつもどおりだ」
普段から鍛錬を積んでおられるだけのことはある、とキース君が言えば、会長さんは。
「どうだかねえ…。たまに夜中に飛び起きていたみたいだよ。サイオニック・ドリームを発動させるのを忘れてお風呂に入った夢を見て…さ。柔道部員に点目で見られて愕然とするヤツと笑われるヤツの二通り」
「あんた、覗き見していたな!」
「うん。ハーレイがお風呂に行く前に部屋の鏡に向かって気合を入れるの、そこの子たちも一回見たさ。もちろん、ぶるぅの中継で」
「くそっ、あんたというヤツは…!」
何処まで性根が腐ってるんだ、とキース君は呻いています。私たちの名誉のために付け加えると、中継で見せて貰った教頭先生は後ろ姿で、お尻しか見えなかったのですけど…。教頭先生、紅白縞を下ろして鏡を眺めていたのです。鏡にはワンフィンガーな姿が映っていたのか、誤魔化した姿が映っていたのか、それも身体の陰で見えなくて…。
「いいじゃないか。ハーレイのワンフィンガーは、このメンバーには周知の事実! せっせと育毛剤を塗っているけど、夏休みの間に何処まで伸びるか…。本来は頭に使う薬を変な所に使ってるのは笑えるね。普通は脱毛したい場所だろ?」
会長さんはクスクス笑って合宿中の教頭先生の姿を思念波で私たちに送って来ました。育毛剤の瓶をしっかり握って布団の上で屈み込んでいる所です。電灯が真上にあるので大事な部分は真っ暗ですが。
「夜な夜な、こんな感じで育毛中! もう合宿も終わったからね、一日に三回くらいは塗るんじゃないかと思ってる。朝昼晩の毎食後とかさ。…育毛剤の使い方ってヤツは知らないけれど」
ぼくには無縁のモノだから、と笑い飛ばしてから、会長さんはジョミー君とサム君の方に向き直って。
「ところで、そっちはどうだったのかな? 文字通り育毛剤とは無縁の世界に生きている先輩たちにビシバシしごいて貰ったかい?」
「…いきなりジョミって呼ばれたし!」
ジョミー君は仏頂面でした。
「サムはそのまんまサムだったのに、ぼくだけジョミだし!」
その言葉を受けてブッと吹き出すキース君。
「お前、法名で行ったのか! そいつはいいな、さぞ可愛がって貰えただろう」
「笑い事じゃないよ! 名簿が配られたら徐未って書いてあるし、一緒に参加した本物のお寺の息子さんたちから何処のお寺の跡継ぎなのかって訊かれるし!」
「なるほどな。それで何と答えてきたんだ?」
「違います、って言いたかったのに……なんでか知らないけど口が勝手に「元老寺の徒弟です」って!」
次の瞬間、広いリビングの中は爆笑の渦。どうやら会長さんがサイオンで操っていたらしいのです。意識の下の情報を操作し、ある種の質問をされた時にはそういう答えが出てくるように。
「…げ、元老寺の徒弟って…」
それって見習い弟子ってことですよね、とシロエ君が笑い転げています。会長さんが思念波で一瞬にして送ってくれた情報の中には徒弟の意味も含まれていて、もう誰もかもが可笑しさに涙を流していたり…。サム君の方は法名で登録されていなかったそうで、ジョミー君の友達とだけ認識されていたのだとか。
「酷いよ、お坊さんの修行をしてるのは本当はサムの方なのに! サムは「在家の人なのに凄いよな」って褒めて貰えて、ぼくは「お前、将来苦労するぞ」って!」
ジョミー君は危うく同年代のお寺の跡継ぎ集団に仲間入りさせられる所だったと泣きの涙で語っています。携帯が持ち込み禁止だったお蔭で逃げられたものの、そうでなければアドレス交換は免れなかったと。
「せっかくだから解散式の後で交換してくれば良かったのに…」
勿体無いよ、と会長さんが言っていますが、ジョミー君にとっては望まぬ付き合い。うっかりメーリングリストでも出来ようものなら、将来の道場入りに向かって一直線に決まっています。君子危うきに近寄らず。逃げ帰って来て正解ですって!

さて、男の子たちの合宿と修行体験も一件落着、これからは楽しい夏休み! 宿題の無い特別生には遊び放題の日々の始まりです。今年は何処で何をしようか、それを決めに集まっているわけですけど…。
「山! 久しぶりに山がいいなぁ」
ジョミー君が意気込んで提案しました。
「入学した年にマツカの家の山の別荘に行ったでしょ? あれっきり山には行けていないし、別荘の都合がつくんだったら絶対、山!」
「なるほど。山の別荘か…」
そんなのもあったね、と会長さんが腕組みをして。
「マツカの意見はどうなのかな? 別荘にお客様をお招きすることも多いだろう。ぼくたちが行って御迷惑をかけても悪いしね」
「えっと、この夏は特に長期の御滞在は無かったと思うんですけど…。ちょっと確認してみます」
マツカ君は携帯を取り出し、執事さんと話し合ってから。
「全く問題ないそうです。この夏のお客様へのおもてなしはクルーズなんで、別荘の方は山も海のも殆どおいでにならないようで…。いつでもどうぞ、と言ってました」
「へえ…。クルーズって、豪華客船貸し切りとか?」
サム君が尋ねると、マツカ君は。
「ええ。せっかくの夏ですからね、世界一周とまではいかないものの、かなり長期になるようですよ。あちこちの寄港地でお客様を乗せたり、下ろしたり…。ヘリでおいでになる方もいらっしゃるとか」
「うっわ…。なんだか世界が違うね」
まるで想像もつかないよ、とジョミー君が目を白黒とさせています。マツカ君の話によると船の中には幾つものレストランにプールにカジノ、映画館やダンスホールやフィットネスクラブも完備だそうで。しかもマツカ君の御両親が招いたお客様しか乗りませんから、クルーの方が多いのですって!
「それって、いつかぼくたちでも乗せて貰えるのかな?」
ジョミー君の期待に溢れた瞳は私たちの総意でした。歳を取らない長い人生、一度くらいは豪華クルーズもしてみたいです。マツカ君はニッコリ笑って…。
「ぼくが父の手伝いとして間に合うようになったら、お招きさせて頂きますよ。招待の基本は「お友達」ですし、その内に」
「いいねえ、ぼくも楽しみだな。ソルジャーの肩書でゴリ押ししたら今でも乗せて貰えそうだけど」
だけど一人じゃつまらない、と会長さん。多分ソルジャーとして乗り込むのなら「そるじゃぁ・ぶるぅ」も行けるのでしょうが、大人の中に二人だけでは確かに面白くないですよね。
「じゃあ、会長もみなさんも、いずれ御招待させて頂きますね。ところで山の別荘ですけど、いつからお出掛けになりますか?」
「うーんと…。すぐにでも、って思ってたけど…」
大事な用事があったんだっけ、と会長さんが人差し指を顎に当てました。
「マツカが一人前になったら豪華クルーズに御招待、って話で思い出したんだ。…キース、副住職の就任許可が下りたんだって?」
「な、なんであんたが知っている!?」
「ほら、ぼくは璃慕恩院の老師とツーカーだから。夏はお盆で慌ただしいし、秋はお彼岸でドタバタするし…。それが済んだら就任式をするんじゃないかと思ってさ」
「…ま、まあ…。許可は下りると踏んでいたから、親父が根回ししてはいた。法事を全て断る予定の日は決まっている」
わわっ、ついにキース君が副住職に就任ですか! それはおめでたい話ですけど、山の別荘とどう繋がると? 私たちが首を傾げていると、会長さんが。
「分からないかな、キースは秋には副住職になるんだよ? 檀家さんへの顔繋ぎなんかも今まで以上に重要になる。だからお盆は頑張らないと」
「「「お盆…?」」」
お盆と言えば墓回向。初めてキース君の家にお邪魔した時にもアドス和尚が日盛りの墓地で墓回向中で、キース君がお手伝いに行きましたっけ。あれを一人で頑張るのかな、と思ったのですが…。
「違うよ、お盆で大切なのは棚経と法要なんだってば。墓回向は檀家さんが都合のいい時にお参りに来るのをフォローしてればそれでいいけど、棚経の方はそうはいかない。お盆の初日に全部の檀家を回り切るのが理想だね。…檀家さんが多いと二日間になることもあるけどさ」
「棚経ですか…」
ぼくの家には来ませんね、とシロエ君が言い、私たちも頷きました。そもそも家にお仏壇というのがありません。お坊さんもお寺も縁のない生活をしているわけです。たまーに、お彼岸のお墓参りに行くだけで…。
「まあ、棚経は月参りと同じで、直接家でお祭りしている御先祖様がいらっしゃらない家には行かないしね。御先祖様の供養にお経を読んで、お位牌の戒名を端から読み上げて…。月参りと違うのは全部の家に分け隔てなくお参りに行くって所かな。月参りは御命日にだけ行くものだから」
会長さんの説明によると、棚経というのは「お盆の間、出来れば初日に」御先祖様の霊にお唱えするお経だそうです。檀家さんを全部回るのですから、並大抵のことではないらしく。
「元老寺は檀家さんが多いからねえ、一番最初にお参りする家に到着するのは朝6時! そこから延々回り続けて、お昼御飯もお茶漬けをかき込んで、次に出発。最後の棚経が終わる時間って何時だっけ?」
会長さんの問いに応えてキース君が。
「夕方の五時過ぎって所だな。…今年はもう少し早く終わるかと」
「君が何軒かを引き受けるからってことだよね? 普段から顔馴染みの御近所の分を」
「ああ。…だが、それがどうかしたか?」
住職の位を取ったからには一人で棚経に行くのは当然だ、とキース君。月参りだって一人で行くことがあったのですから別に不思議じゃありませんけど、大変そうなのは確かです。だってお参りに回る家の数が多いんですし…。
「キース、君に折り入ってお願いがある」
会長さんが姿勢を正しました。
「アドス和尚にも頼んでおくけど、サムとジョミーを棚経のお供に連れてってやって欲しいんだよね」
「「「えぇぇっ!?」」」
私たちの声が見事に引っくり返り、ジョミー君の顔は引き攣っています。た、棚経のお供って…。それって一体、何をするわけ…?

会長さんの申し出にキース君は目が点でした。しかし仏道修行と柔道部で鍛えた精神力はダテではなかったようで、一分間ほどの沈黙の後に。
「…そういえば前にそんな話をしていたか…。初詣デビューと春のお彼岸も手伝ったからには次はお盆の棚経だ、とな」
「うん。思い出してくれて嬉しいよ。お坊さんが三人も一度にお邪魔したんじゃ檀家さんもビックリしちゃうし、アドス和尚と君とに一人ずつお供を付けて欲しいな。…君だって最初はお父さんと一緒に回ってただろう」
「それはそうだが…。あれは檀家さんに顔を覚えて頂くためと、お参りする家の場所と仏壇の場所を覚えるためでもあったわけで…」
「でも、一番の目的は場の雰囲気に慣れておくことと、お経に馴染むことだよね? 出家したての子供の頃からお父さんと一緒に行ってた筈だよ。それくらい、ぼくが知らないとでも?」
心を読むのは簡単なんだ、と会長さんが片目を瞑ればキース君は。
「…分かった。要するにサムとジョミーにも慣れさせておけ、と言うんだな。二人とも既に出家してるし、連れて行くのに問題は無い。だが、それなりの作法は覚えて貰うぞ。小さな子供とは訳が違うからな」
キース君にギロリと睨まれ、ジョミー君が竦み上がりました。
「ええっ? た、棚経なんて知らないよ! 見たことも無いし、どうすればいいのか分からないし!」
「その辺の事情はサムも同じだ。だが、サムの方はブルーの家で朝のお勤めをやっているから少し仕込めば形になる。問題はお前の方なんだが…」
どうするか、と溜息をつくキース君。
「なにしろ暑さが半端じゃない。暑いからと言って衣の下に冷却シートは許されないぞ。ついでに汗もアウトだな。檀家さんが用意して下さっている扇風機やクーラーを有難くお受けし、涼しい顔でお勤めしてこそ棚経を喜んで頂けるんだ。御高齢の方になると扇風機も無しで団扇で煽いで下さる家もある」
「う、団扇って…。たったそれだけ?」
「それだけだ。そして棚経は数をこなさなくてはいけないからな、お茶やお菓子を頂戴している暇はない。お参りが終わったら直ちに失礼させて頂いて、次の家へと走ることになる」
「は、走る…?」
それって譬えというヤツだよね、とジョミー君は訊いたのですが。
「甘いな。文字通り走るんだ。親父の場合はスクーターだが、俺は昔から自転車だ。安心しろ、お前とサムも自転車の持ち込みは許してやる」
「「自転車…?」」
サム君とジョミー君がポカンと口を開けました。ただでも着なれない法衣を纏って自転車ですか! しかもアドス和尚と組まされた方はスクーターに負けない速度でペダルを漕いで走るんですか…。
「まずは法衣で自転車に乗る練習からだな。慣れないと一発で着崩れてしまうし、そんな姿で棚経に行くなど許されない。二人とも、明日から特訓だ! 自転車を持って俺の家に来い」
「そ、そんなぁ…。なんでせっかくの夏休みに!」
涙目になるジョミー君。けれど会長さんが鋭い口調で。
「夏休みを心置きなく楽しみたければ、棚経の練習をしておくんだね。山の別荘だけでいいと言うなら構わないけど、海の別荘にも行きたいんだろう? 両方こなすなら、二つの旅の間あたりがお盆になるんだ」
「「「………」」」
えらいことになった、と私たちは冷や汗ですけど、山の別荘にも海の別荘にもお邪魔したいのが本音です。ジョミー君たちが無事に棚経を終えてくれれば海の別荘への道が開けるとあれば、ここは一発、犠牲になって貰うしか…。火元になった会長さんは壁のカレンダーを指差して。
「山の別荘に出掛ける前に自転車はクリアして貰おうか。…元老寺の境内は広いからねえ、練習するには丁度いいさ。時期的にお墓参りに来る人もあるし、墓回向の方も見ておくといい。それとお経の稽古だね。…最低限のヤツは頼むよ、キース」
「承知した。流石に陀羅尼は教えられんが、朝のお勤めと共通の分にプラスアルファで仕込んでやろう。…それで、山の別荘へはいつ行くんだ?」
「うーんと…。みんな、基本は暇だよね? ここだけはダメっていう日はあるかい?」
そんな日は誰もありませんでした。習い事はしていませんし、夏期講習も塾も無関係。柔道部は部活がありますけれど、特別生の生活が長くなった今、練習は出ても出なくても同じ。ですから予定はトントン拍子に纏まって…。
「じゃあ、五日後に出発ってことで。マツカは別荘の手配を頼むよ」
仕切りまくっている会長さんにマツカ君が頷き、執事さんに電車の切符の手配なんかを頼んでいます。繁忙期なのに数日前でも席が取れるのが凄いですけど、グリーン車で貸し切りと聞けば納得ですよね。豪華客船でクルーズが夏のおもてなしという家なんですから、それくらいのことは朝飯前!

翌日からジョミー君とサム君の棚経修行が元老寺で開始されました。棚経に修行も何も…、という気はしますが、二人とも会長さんの直弟子である以上、「見栄えが大切」らしいのです。修行する二人と指導係のキース君以外には無関係な四日間の強化合宿ならぬ強化訓練。でも、見たい気持ちは止められません。
『かみお~ん♪ みんな、準備はいい?』
家でのんびり寝坊してから朝食を食べ、クーラーの効いた部屋で漫画を読みつつダラダラしていた私の頭に「そるじゃぁ・ぶるぅ」の思念が元気よく。
『用意できてるみたいだったら、元老寺まで飛ぶからね! あ、シロエがまだかな?』
シロエ君は趣味の機械弄りをしていたらしくて、キリがいい所までやってしまわないと後が大変なのだそうです。待ち時間の間に持っていくバッグの中身を再確認し、それから会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の青いサイオンに包まれて…。
「はい、到着~!」
移動した先は真夏の日差しの照り返しが眩しい元老寺の境内のド真ん中でした。そんな所へ瞬間移動で出現しちゃって大丈夫なのかって? そこが会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のサイオンの技の見せどころ。お墓参りのついでに本堂の方にも寄って来たらしい人が何人かいますが、全く気にしていないようです。それよりも…。
「どっちかと言えば、あっちの方が目立つと思うね。この状況じゃ」
会長さんの視線の先には自転車が二台。境内に敷かれた石畳の通路は檀家さんの通り道と決まっているので、砂利が敷き詰められた所をガタガタ揺れながら走行中です。
「こらっ、衣の裾を乱すな! ペダルはもっと静かに漕ぐんだ!」
「で、で、でも…。ゆっくり漕いだら安定が…。わわぁっ!」
キース君の怒号に続いてジョミー君の悲鳴が境内に響き、自転車の片方が転倒しました。放り出されたジョミー君は自転車の下敷きになってしまった上に、衣の袖がハンドルに絡んで起き上がれそうもありません。棚経の修行は自転車からとは聞きましたけど、これはなんともハードそうです。
「…頑張れとしか言えないよね、もう」
衣も自転車も慣れるしか無い、と笑って見ている会長さん。墨染めの衣に輪袈裟のジョミー君とサム君、山の別荘への出発までに華麗な走りを披露できるようになるんでしょうか…?



 

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