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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

夏を楽しもう・第3話

山の別荘と海の別荘、両方への旅を楽しみたければ「お盆の棚経を頑張ってこなせ」と言われてしまったジョミー君とサム君。サム君の方は会長さんと公認カップルを名乗るくらいの惚れ込みようですから、デート代わりに会長さんの家まで朝のお勤めに行き、たまに手料理を御馳走して貰って喜ぶ日々。でも…。
「サムだけが行けばいいじゃないか! なんでぼくまで!」
ジョミー君の方は仏弟子の自覚が皆無です。無理やり出家させられた上に会長さんの直弟子として本山に登録済みだというのに、何の修行もせずに悪あがき。そのツケが回って来たのが今回の棚経修行でした。沢山の檀家さんを回り切るために必須の足は自転車ですけど、法衣で乗るのは大変です。
「いたたたたた…。誰か助けてよ、起きられないよ!」
私たちが見物に現れた早々、元老寺の境内で派手に転んだジョミー君。自転車のハンドルに絡まってしまった衣の袖を外そうと格闘中ですけども、それよりも前に口をついて出たのが「なんでぼくまで」の文句とあっては、会長さんの態度が冷たくなるのは自然な成り行き。
「…最初から救助要請してれば、ぼくも考えたんだけどねえ? いきなり文句を投げ付けられては、気分を害するに決まってるだろう。自分で起きるか、それともサムかキースにお願いするか。…ここの連中はギャラリーだから無関係だよ」
手助け無用、と私たちに釘を刺している会長さん。言われなくてもスウェナちゃんと私は倒れた自転車を引き起こすなんて力仕事はしたくないですし、シロエ君は最初から高みの見物。ついでに「そるじゃぁ・ぶるぅ」はと言えば、会長さんから「あれは自転車に乗る練習だから、邪魔しないようにね」と説明されておしまいです。
「うう…。どうして衣で自転車なんかに…」
呻きつつもなんとか起き上がったジョミー君ですが、自転車のハンドルに絡んだ衣は無残に着崩れてしまっていました。おまけに裾もメチャクチャです。墨染めの衣の下に着た白衣が乱れて脛が丸出し、見られたものではありません。
「その格好でうろつかれては檀家さんに申し訳ない。さっさと庫裏で整えてこい!」
キース君に怒鳴りつけられ、ジョミー君は倒れた自転車を放置して庫裏へ去ろうとしたのですが。
「おい、自転車はちゃんと端の方に片付けて行けよ。あそこの木の下でいいだろう」
示されたのは境内に聳える大木の根元。ジョミー君は纏わりつく白衣に足を取られつつ、すごすごと自転車を押してゆきます。おまけになんだか足取りがおぼつかないような…?
「靴ずれを起こしているんだよ」
会長さんがクスッと小さく笑いました。
「慣れない衣に足袋だろう? おまけに草履ときたものだから、普通に歩くだけでも長距離はキツイ。自転車を漕ぐとなったら力の入れ方も靴の時とは違うしねえ…。靴ずれと言うか、鼻緒ずれ? 指の間も足の甲の方も、真っ赤に擦れて痛いと思うよ」
「じゃあ、サム先輩はどうなんですか?」
今も自転車を漕いでますけど、とシロエ君。サム君の方は砂利でガタガタの境内の中を左右に揺れながらも走っています。衣の裾を気にしているのでスピードは大して出てませんけど、足が痛む様子は見られません。
「ああ、サムかい? 昨夜の内にメールしたんだ。自転車を漕ぐなら草履の鼻緒が当たる部分に絆創膏かテープを貼っておくように…ってね。ぼくの大事な直弟子だもの」
ケロリとした顔の会長さんに、私たちは「贔屓だ」と口々に突っ込みを入れたのですけど。
「え、なんで? 普段から修行を積んでいる弟子の体調を気遣ってあげるのは師僧の務め! 日頃ご無沙汰な弟子が困っていようと知ったことではないんだよ」
だからジョミーは自業自得、と会長さんは思い切り見捨ててかかっていました。着崩れを直して庫裏から戻ったジョミー君がキース君に「その着付けはなんだ!」と叱られようが、知らんぷりです。結局、この日の自転車修行はジョミー君の身体に無数の青あざと生傷を作って終わりました。そして次の日も、また次の日も…。

「ぼく、なんだか分かって来たって気がするよ」
ジョミー君がボソッと呟いたのは棚経修行の最終日。明日は山の別荘へ出発だという日の朝のことです。私たちは毎日、みんな揃って瞬間移動で野次馬に来ているわけですが、キース君が作った修行メニューは午前が自転車、午後がお勤め。お昼休みは宿坊で私たちの分まで昼食が出ます。
「…なんだ、悟りが開けたのか? いいことだ」
キース君が応じましたが、ジョミー君は止めてある自転車に寄りかかりながら。
「ほら、たまに道路で見かけるじゃない。お坊さんがスクーターで走ってるヤツ」
「それがどうした? 俺の親父も月参りにはスクーターだぞ」
「あれってさあ…。車で乗り付けた先でガレージが無かったら困るからだと思ってたけど、違うんだね」
「「「は?」」」
ジョミー君が何に開眼したのか、キース君にも私たちにもサッパリ分かりませんでした。お坊さんにスクーターは定番なのだと思ってましたが、あれには深い理由でも…?
「おい、ジョミー」
言っておくがな、と口を開いたのはキース君。ジョミー君やサム君と一緒で法衣と輪袈裟を着用です。鬼コーチをしている時にもこの姿ですが、住職の位を持つだけはあって流石の貫録。外見は同じ年頃なのに落ち着きようは大したもので、見習い小僧とは月とスッポン、雲泥の差とでも申しましょうか。
「ウチの親父が月参りに行くのはスクーターだが、車で行く人も大勢いるぞ。檀家さんの家にガレージがあるのが前提だとは聞くが、コインパークなどを利用するというケースも聞くな。…そういえば、俺の大学の先輩が先月の末の月参り中に駐車違反の切符を切られたそうだ」
「「「駐車違反?」」」
「ああ。いつもは空いている貸しガレージが満車だったとかで、少しの間ならいいだろう…と。その間に運悪くパトカーが巡回してきたらしい」
「うわぁ…」
やっぱり車はダメなんじゃない、とジョミー君が深い溜息。
「スクーターが一番なんだよ、自転車修行をしている間に気が付いたんだ。自転車は跨らないと乗れないけれど、スクーターなら足を揃えて座れるし! あれなら衣の裾が乱れないから、お坊さんが愛用してるんだよね? 車と違ってドアを開けなくてもサッと乗れるし」
次の檀家さんの家に向かってすぐに出発できそうだ、とジョミー君は力説しています。自転車修行で分かったことってコレですか? だからと言ってどうすると…?
「えっと…。すぐに免許が取れる所って無いのかな? あったら棚経までにスクーターを…」
「馬鹿野郎!」
炸裂したのはキース君の怒鳴り声。
「俺だって自転車で回っていると言っただろう! もう住職の位も取ったし、副住職にもなれそうだから今年の棚経はスクーターにしたい、と親父に頼んだら却下されたぞ! 住職と副住職の差はデカイんだ。おまけに俺は親父の弟子だし、スクーターなぞ二十年早いと…」
「「「二十年?」」」
なんですか、その二十年という長い年数は? せめて五年とか、十年とか…。
「甘いな。せめてシャングリラ・プロジェクトが無かったら…。親父が順当に歳を取ってくれれば、十年くらいでスクーターの許可が下りたかもしれんが、親父も俺も歳を取らない。…親父が言うにはスクーターってヤツはそれなりの年季が入った坊主が乗るものだ…と」
若人は黙って自転車で、というのがアドス和尚の譲れないポイントらしいです。お坊さんの世界は師僧の言葉に絶対服従。アドス和尚に二十年先と言われてしまえば二十年間、キース君は自転車を漕いで月参りに行くしかないのでした。ということは、更に下っ端のジョミー君たちは…。
「サムは頑張って修行を積んだら俺よりも早くスクーターに乗れるかもしれないな。なんと言ってもブルーの弟子だし、親父はブルーに頭が上がらん。…まあ、そうなるにはサムも何処かの寺の住職になって一人立ちするのが前提だがな」
しかし元老寺の徒弟扱いの間は自転車あるのみ、とキース君は境内をビシッと指差して。
「いいか、自転車修行は今日中に完璧に仕上げるんだぞ? 午前中で無理なようなら午後の時間も自転車に充てる。読経の稽古は旅行先でも指導できるが、自転車の方はそうはいかない」
「おや、そうかい?」
会長さんが口を挟みました。
「マツカの山の別荘にも自転車はあるし、法衣持参でお出掛けすれば練習できるよ。空気が綺麗な高原の道を疾走するのもいいかもねえ…。高く聳える山をバックに白樺林や湖の岸辺を自転車で走るお坊さん! きっと絵になると思うけどな」
「…それは他の観光客に迷惑だろう…」
坊主だぞ、とキース君はジョミー君たちと自分の衣を眺めています。
「この格好で連想するのは通夜か法事か葬式か…。月参りにしても棚経にしても、仏壇と縁が切れないぞ。アルテメシアは寺が多いから、この格好でうろついていても「修行中だな」と暖かい目で見て貰えるが、別荘地なぞに坊主が出たらロクな発想にならんと思うが」
「なるほどね。…ちょっとワケ有りで読経に行くとか」
うんうん、と頷いている会長さん。ワケ有りで読経って、どういう意味? 私たちが首を捻っていると、会長さんはクスッと笑って。
「山に湖、自然満載の別荘地! そこでお坊さんが呼ばれるとしたら、遭難した人を山の麓まで下ろして来たとか、湖に仏様が上がったとか…。まあ、別荘地でも管理人さんとかが住んでいるから、お葬式とか法事の可能性もゼロではないけど」
「「「仏様…」」」
会長さんが言う仏様とやらが阿弥陀様だの御釈迦様だのという仏様とは別物なのは明白でした。要するに「今すぐにお経を唱えてあげる必要がある」仏様です。わざわざ別荘地まで出掛けて行って、その手の仏様は御免ですとも! そんなシチュエーションを連想させる別荘地での自転車修行はさせられません。
「分かったな、ジョミー? 自転車は何が何でも今日中にマスターして貰う。サムは問題無さそうだから、安全運転で好きに境内を走ってくれ。近所だったら路上でもいいぞ」
俺はジョミーを指導する、とキース君は燃えていました。改めて自転車の乗り降りに始まり、裾を乱さないペダルの漕ぎ方、着崩れしない力の入れ方。なんともハードな自転車修行は昼食の後も続行です。サム君の方は修行完了のお墨付きを貰い、クーラーの効いた宿坊の一室で会長さん直々にお経の稽古。
「そう、そこで御仏壇に一礼を…ね。本番の時にはクーラーが無い家も多いだろうけど、頑張って」
君なら出来る、と会長さんは満足そう。けれどジョミー君は蝉の大合唱がうるさい境内で必死に自転車を漕ぎ続けるだけ。靴ずれならぬ鼻緒ずれやら筋肉痛やら、打ち身、切り傷、擦過傷。満身創痍の状態ですけど、明日からは楽しい山の別荘暮らしです。心置きなく別荘ライフを楽しむためにも、自転車修行を頑張って~!

そして翌日。元老寺と縁が切れた私たちは電車に乗り込んでマツカ君の山の別荘へ向かっていました。貸し切りのグリーン車は追加で連結された車両です。他のお客さんが乗ってませんから騒ぎ放題、気分は殆どお座敷列車。お菓子や駅弁を食べている内に目的の駅に到着で…。
「やったぁ、山だー!」
さあ、遊ぶぞ! とジョミー君が万歳しています。棚経の練習も暫くお休み、心ゆくまで高原の休日を満喫しながらリフレッシュ。迎えのマイクロバスが来ていて、4年ぶりの山の別荘に着くと。
「いらっしゃいませ」
お馴染みの執事さんがお出迎えです。あれっ、豪華客船クルーズのお供に行っているんじゃないんですか? 私たちの驚いた顔に、マツカ君が。
「船には仕事を持ち込まないのがルールなんですよ。でも、会社の方まで休みってわけには行きませんから、そっちを仕切る人と父との間の連絡係が必要で…。ですから残っているんです」
なるほど、そういう理由でしたか。だったら遠慮なくお世話になって遊びまくってもいいですよね? 執事さんは早速、制服の使用人さんたちを指図し、私たちを部屋に案内してくれて…。
「やっぱり会長の部屋が最上級ってわけですか…」
他とは格が違いますよ、とシロエ君。滞在中の予定を立てるべく集まってみた会長さんの部屋には寝室と居間の他に応接室までついていました。会長さんがソルジャーであることはマツカ君の御両親も御存知ですし、最高の部屋を提供するよう指示して行ったに決まっています。
「別にいいじゃないか、応接室があると便利だしさ。これだけの人数が来ても余裕だ」
で、どうする? と会長さん。
「せっかく来たんだし、登山に乗馬? 自転車修行をやった後なら馬くらいきっと楽勝だよ」
「うーん…。思い出したけど、ぼくたち、落馬の王子様だっけ…」
ジョミー君が言っているのは山の別荘に初めて来た時のエピソードです。みんなで乗馬に出掛けたものの、会長さんとマツカ君を除いた男の子たちは揃って落馬。会長さんが白馬に乗って難しい障害コースを走る姿と自分たちの惨めさを引き比べた上で生まれた言葉が『白馬の王子様』ならぬ『落馬の王子様』でした。
「そういえば、そんな言葉もあったねえ…」
すっかり忘れてしまっていたよ、とクスクス笑う会長さん。
「あの頃は君たちも特別生ではなかったし……サイオンの存在も全く明かしていなかった。でも今となっては事情が違う。棚経でズルは許さないけど、乗馬くらいはズルもいいかな」
「「「???」」」
「乗馬は趣味と娯楽だからね、サイオンでコツを伝授してもいいよ。ほら、ハーレイがバレエを踊れるのと理屈は同じさ。…その代わり、棚経は全力で頑張って貰わないといけないけれど」
毎朝、毎晩、きちんと復習! と会長さんがジョミー君をビシッと指差し、それを見ていた男の子たちが。
「御指名だぜ、ジョミー。俺と違って基礎が全く無いもんな」
「ああ。サムは殆ど問題無い。要はジョミーだ」
「頑張って下さい、ジョミー先輩! ぼくたちの命運が懸かってるんです」
口々に迫られたジョミー君はウッと息を飲み、天井を仰いでから諦めたように。
「…分かったよ。朝晩お経の練習をすればいいんだろ! それで落馬をしなくなるなら頑張るよ!」
「了解。約束を破った場合は伝授したコツは消去ってことで」
それもサイオンで簡単に出来る、と会長さんが軽く片目を瞑ってみせて、キラリと光った青いサイオン。えっ、まさか今ので伝授完了? まさか、まさか…ね…。
「そのまさかさ」
クスクスクス…と会長さんが笑っています。
「後は個々人の素質と身体能力かな? 女子にも伝授しておいたから、明日にでも乗ってみるといい。前に来た時は乗馬クラブの人に手綱を引いて貰っていたよね? 今度は一人で乗れる筈だよ、コースの方だって自由自在さ」
馬で湖への散歩にも行ける、と聞かされてスウェナちゃんと私は大感激。そういうのって憧れじゃないですか! 別荘地を馬で優雅に散策。会長さんが白馬で一緒に来てくれれば気分最高かもしれません。せっかくのコツを消去されてしまわないよう、ジョミー君には毎朝毎晩、せっせと読経をして貰わねば…。

会長さんが伝授してくれた乗馬のコツは本物でした。翌朝、ジョミー君が別荘の和室で棚経用のお経を練習するのを見届けてから朝食を食べて、みんな揃って乗馬クラブへ。前に来た時はクラブの人に任せっぱなしだったのに、気付けば一人で馬に跨り、コースに出ている自分がいたり…。
「すげえや、マジで乗れるじゃねえかよ!」
これは絶対落ちないぜ、とサム君が大喜びではしゃいでいますし、キース君もシロエ君も、ジョミー君だって手綱さばきは鮮やかなもの。落馬の王子様たちは乗馬の達人に華麗な変身を遂げていました。障害コースも何のそのです。スウェナちゃんと私は障害コースよりも外へ散歩に行きたくて…。
「外へ行くのかい? じゃあ、ぼくも一緒に行こうかな」
やった、会長さんが来てくれますよ! それも白馬で。
「かみお~ん♪ ぼくも! ぼくも行きたい!」
ポニーに乗った「そるじゃぁ・ぶるぅ」も行くと言うので、私たちはクラブのスタッフさんをお供に出発することに。…えっ、どうしてお供が必要なのかって? 馬は生き物ですからねえ…。おまけに馬用の公衆トイレはありませんから、公道とかを汚さないよう掃除係が要るんですって! それでも散歩は素敵でした。
「おーい、そっちはどうだった?」
クラブに戻るとジョミー君が大きく手を振っています。男の子たちはマツカ君でも難しいという障害コースの最上級のに挑戦している真っ最中。前に会長さんが楽々走り抜けていたコースです。
「ふうん、ずいぶん自信がついたようだね」
ヒヨコのくせに生意気な、と鼻で笑っている会長さん。
「ぼくたちの散歩コースは最高だったよ。クラブの人が教えてくれたカフェのケーキも美味しかったし、あちこちで写真も撮られたし…。この別荘地の広報誌を出してる人にも頼まれてモデルをしたから、次の号あたりに載るのかな? 悪い気分はしないよね、うん」
モデルを務めた会長さんは住所と名前を訊かれてましたし、きっと広報誌を貰えるのでしょう。残念ながらスウェナちゃんと私と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はお呼びではなく、会長さんだけが白樺並木と湖を背景にポーズを決めたり、白馬で疾走してたんですけど…。
「あんた、モデルをやってきたのか!?」
何処まで目立てば気が済むんだ、とキース君が呆れています。会長さんはそんな男の子たちに障害コースでの勝負を挑み、見事トップでゴールインして…。
「付け焼刃の君たち如きには負けやしないさ。もっとも、その付け焼刃の腕前すらもジョミーがサボれば消滅ってね。嫌ならキッチリ監視したまえ。滞在中にジョミーが一度もサボらなければ本物になるさ」
御褒美としてプレゼント、と会長さんが約束をしたものですから、男の子たちは結束を固め、ジョミー君を和室へ連行するのが習慣に。とはいえ、ジョミー君だって乗馬の技術は欲しいのですから、逃亡したりはしませんけどね。

乗馬クラブに、湖でのボートに、初心者向けのトレッキング。山の別荘ライフは快適に過ぎて、明後日の朝にはアルテメシアへ帰るという日の夜のことです。いつものように棚経の練習を終えたジョミー君が、暖炉のある広間で声を潜めて。
「…あのさ…。これって、来る前に調べて来たんだけどさ…」
「なんだ? 勿体つけずにさっさと言え!」
キース君が先を促すと、ジョミー君は。
「……心霊スポットがあるらしいんだよ」
「「「はあ?」」」
なんじゃそりゃ、と私たちは大きく仰け反りました。平穏極まりない別荘地の何処に心霊スポットがあるんですって? そんな噂すら聞きませんけど…。
「あ、別荘地の中ってわけじゃないんだ。えっとね、車で向こうのトンネルを抜けて、隣の村になるんだけれど」
「なんでそんなのを知っているんだ?」
胡乱な目をするキース君に、ジョミー君は「夏といえば怪談が定番だから」と澄ました顔で。
「この近くにも何か無いのかなぁ…って調べていたら見付かったわけ。ちょっと半端じゃないらしくって、心霊写真がバンバン撮れて、心霊体験も山ほどあるって」
「…まさか行く気じゃないだろうな?」
「えっ、行かないでどうするのさ? サムは霊感バッチリなんだし、キースはプロのお坊さんだし、ブルーは無敵の高僧だし! それでも何か起こるのかどうか、行ってみたいと思わない?」
好奇心の塊と化したジョミー君には自分も僧侶の端くれである、という自覚は全くありませんでした。供養しに行こうと言うならともかく、物見遊山はマズイんじゃあ…。案の定、黙って聞いていた会長さんが。
「行ってもいいけど、ぼくは責任持たないよ? 正確に言うと、ぼくが行ったら出るものも出ない。端から成仏させちゃうからね。…それは心霊スポット見物じゃないし、ぼくは入口で待機してるさ」
「入口で待機?」
「そう、君たちのお手並み拝見。キースは本職、君とサムも棚経の稽古でそこそこのお経は読める筈だ。心霊現象の十や二十は自力で解決してくるんだね。…どうにも出来ませんでした、っていう分だけを成仏させよう」
ホントは行かないのが一番だけど、と会長さん。会長さんはジョミー君の心を読んだらしくて、そのスポットがどういう場所かをキッチリ把握したようです。
「山の中腹にお寺があるんだろう? でもって、そこまでの道が心霊スポット。この地方で亡くなった人の霊はそこの山からお浄土に行く。…成仏出来なかった人が山道に大勢いるってわけだ」
「「「………」」」
それは怖い、と背筋が寒くなったのですけど、夏はやっぱり怪談ですよね。何かあっても最終的には会長さんが助けてくれるわけなんですから、山の別荘での思い出作りにチャレンジするのも一興かも…。

別荘ライフで気分が盛り上がり、ナチュラルハイな状態だった私たち。普段なら心霊スポット行きを止めるであろうキース君までが腕試しになると思い込んでしまい、翌日、ジョミー君の朝の読経と朝食が終わるとマイクロバスを出して貰って隣村へと出発です。別荘地の外れから長いトンネルを抜けると小さな村が…。
「はい、到着。頑張って行ってくるんだね」
ぶるぅとバスで待っているから、と会長さん。オバケが苦手な「そるじゃぁ・ぶるぅ」は会長さんの隣で震えています。
「大丈夫だよ、ぶるぅ。誰かが背負ってこない限りは結界から出ては来ないから! 一応、あそこに結界石が」
登山道の両脇に苔むした石碑が建っていました。つまりその先が心霊スポット、無法地帯というわけです。その割に立派な駐車場があったりするのは、亡くなった人の供養に卒塔婆を背負って上のお寺まで届けに行くという風習が今も残っているからだそうで…。
「お寺参りをする人のために、お助け杖も置いてあるだろ? かなり険しい山道と石段が続くようだし、足に自信が無いんだったら借りて行くのもいいと思うよ」
確かに『お助け杖』と書かれた杖が何本も置かれています。借りようかな、とも思いましたが、心霊スポットの備品を借りるというのも薄気味悪く…。
「じゃあ、出発! 行ってきまぁーす!」
やる気満々のジョミー君を先頭にして私たちは登山を開始しました。山道は所々で石段に変わり、道の脇には石仏や石塔が。おまけに大木が鬱蒼と茂って、いい天気なのに薄暗く…。
「おい、本当に出るのかよ?」
見えねえぞ、とサム君が言い、キース君も特に感じる所は無い様子。雰囲気だけは満点ですけど、普通の山道と変わらないんじゃあ…?
「騙されたかもしれないな…。あいつだったらやりかねないぞ」
キース君が溜息をつき、ジョミー君が。
「ええっ? それじゃガセネタだったわけ?」
「そういうのは大抵ガセなんだ。そう簡単に本物は無い。…くそっ、こんなオチなら乗馬クラブに行けば良かった」
そっちの方が実りがあった、とキース君は残念そうです。誰もが同じ思いでしたが、だからと言って心霊スポットとやらを踏破しもせずに山を下るのも悔しいですし…。
「此処まで来たんだ、寺にお参りして帰ろうぜ。あいつに笑われたくはないしな」
それだけは避けたい、とキース君が拳を握り、私たちはお寺を目指して登山を続行。やっとのことで辿り着いたお寺の本堂の前でお賽銭を入れ、お参りをして、さあ、帰ろう…とした時です。
「あれ? あんな所に鐘があるんだ」
撞いてこよう、とジョミー君が走って行って…。
「おい、ジョミー!」
撞くな、とキース君が止める暇も無くゴーンと鐘の音が響き渡りました。
「馬鹿野郎! 戻り鐘なんか撞きやがって!」
「何、それ?」
「寺参りの鐘はお参りの前しか撞かないんだ! 出る前に撞くのは葬式の列が出る時だけで!」
「え…?」
そうだったの? とジョミー君がキョトンとしている所へ、お寺から老僧が現れて…。
「お参りですかな? ご苦労様です。ああ、振り向いていいのは此処までですぞ」
「「「???」」」
「山門の手前に赤い橋がございましたでしょう? あれを極楽橋と言いましてな。そこから先の帰り道では、下の結界の石を抜けるまで決して後ろを向かれませんよう…。振り向くと帰りたい霊を背負って降りると言われております。…では、お気を付けて」
「「「………」」」
私たちは顔面蒼白でした。ガセだと信じて登って来たのに、思い切りマジネタっぽいじゃないですか! しかも振り返ると背負うだなんて…。
「…お、おい、ジョミー…」
サム君の声が震えています。
「も、門の所に…。山門の外に、なんか山ほど…。みんなお前を見てるんだけど…」
「ちょ、サム、マジで?」
冗談はやめてよ、と叫んだジョミー君にキース君が。
「戻り鐘だ…。あれで期待を掛けられたんだ、お前が連れて帰ってくれると…」
「「「ぎゃーっ!!!」」」
それから後は何が何だか、誰も覚えていませんでした。とにかく自分が大事です。後ろを決して振り返らずに、前だけを見て必死の山道。転がるように走り下って、結界石の向こうの明るい駐車場にスックと立った会長さんの緋色の衣が眩しくて…。

「…結局、三人とも、まだまだってことさ」
修行が足りない、と可笑しそうに笑い続ける会長さん。いつの間に衣に着替えたのかは謎ですけれど、助けられたのは確かです。心霊スポットを嘗めてかかったジョミー君は更なる修行を約束させられ、サム君とキース君は自発的に研鑽を積もうと決意を新たに。まずはお盆の棚経だそうで…。
「棚経でお迎えする霊がどんな人なのか、それも分からない間は駄目なんだよね。きちんと相手が見えていないと話も通じず、どうにもならない」
迷っている霊を成仏させるなど夢のまた夢、と会長さんはピシャリと言い切りました。山の別荘での最後のイベントは夏の定番のお楽しみから仏道修行の一過程へと変身を遂げたみたいです。ジョミー君には気の毒ですけど、自業自得ってこのことですよね…?




 

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