シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
巨大マトリョーシカとウェディングドレスの二段階変身を遂げた校長先生像で卒業生を送り出した後、特別生の登校義務は無くなりました。元々出欠は問われませんから「出席するのが望ましい」というだけで、まるで登校してこない1年B組の欠席大王、ジルベールなんかがいるわけですけど。
それでも私たち七人グループが登校するのは会長さんや「そるじゃぁ・ぶるぅ」と過ごす時間のためです。卒業式の翌日も授業が終わると早速出かけて行ったのですが。
「かみお~ん♪ いらっしゃい! 今日は生キャラメルのシフォンケーキだよ」
バニラシフォンを生キャラメルでコーティング、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が運んで来たケーキは生クリームがふんわり乗っかっています。切り分けられたケーキのお皿にも生クリームがたっぷり添えられ、みんなでフォークを握った所へ。
「キース、春のお彼岸の準備は順調かい?」
会長さんの問いにジョミー君がピキンと固まり、キース君が。
「お蔭様で順調だ。俺も導師を務めるからな、親父のシゴキが大変で…」
「当然だろうね。お彼岸の法要は檀家さんも大勢来るから失敗したら大惨事だし」
頑張って、と励ましてから会長さんはジョミー君へと視線を向けて。
「その様子では気が付いたかな? 今年のお彼岸もサムと一緒に元老寺だよ」
「ええっ? 酷いや、あれってキツイんだから!」
「そう来ると思って飴玉の方も用意したけど? 今年も慰安旅行をしてあげるから」
雪の温泉で露天風呂、と会長さんは餌をちらつかせました。
「遠い場所ではないんだけどね、標高が高いから三月の末でも雪がある。残念ながら狭い谷なんでスキーやスノボはちょっと無理かな。…それでも良ければ、美味しい料理は保証するよ。それに源泉かけ流し」
「行く!」
ジョミー君は見事に釣られて、慰安旅行はシャングリラ号の春の定例航海が終わった後ということに。毎年、春休みになるとシャングリラ号は会長さんや長老の先生方を乗せて数日間の宇宙の旅に出るのです。この航海は新しい仲間の乗船体験を兼ねることが多いため、私たちは乗せて貰えなくって…。
「じゃあ、宿に予約を入れておこう。人気の高いシーズンだけど、ぼくの顔ならバッチリってね」
定宿なんだ、と自慢している会長さん。既に部屋だけは押さえてあったみたいです。ジョミー君も皆で行く気ですから、便乗させて貰って温泉旅行! 楽しみだね、と語り合っていると…。
「やったね、今年は間に合いそうだ」
「「「!!?」」」
紫のマントが優雅に翻り、現れたのはソルジャーでした。間に合ったって…何に? ソルジャーは目を丸くする私たちの前を横切ってソファに腰掛け、「ぼくにもケーキ」と澄ました顔。狙いはシフォンケーキだったのでしょうか?
「温泉旅行に行くんだって?」
ぼくも行きたい、とソルジャーは「そるじゃぁ・ぶるぅ」が渡したお皿のケーキにフォークを入れながら。
「去年もお世話になったけれども、ぼくとハーレイだけだった。ひょっとして今年も行くのかな、と思ってたから早くから根回ししていたんだよ。その時期だったらぶるぅも行けそう」
「ちょ、ちょっと…」
会長さんが遮り、ジョミー君の顔にも「ヒドイ」と書いてあるのですけど、ソルジャーが気にする筈もなく…。
「SD体制で苦労しているぼくたちにこそ慰安旅行が相応しい。こっちのハーレイも呼んでおいてよ、せっかくの旅行なんだしね。みんなで賑やかに行くのが一番!」
そのために頑張って特別休暇を取るんだからさ、と瞳を輝かせて語るソルジャーを止められる人はいませんでした。ジョミー君のための慰安旅行はまたしてもソルジャーの乱入決定です。とはいえ、雪の温泉宿というのは魅力的。余計なオマケはこの際忘れて、のんびりまったり出掛けましょうか。
こうしてジョミー君とサム君は元老寺の春のお彼岸の行事を手伝うことに。放課後になると「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋で会長さんの指導が始まります。
「いいかい、二人とも僧籍になって一年になる。卒塔婆の文字も書けないというんじゃ話にならない。去年は受付係でも良かったけどね、今度は書く方を手伝わなくちゃ」
まずはキッチリ墨を磨る、と硯が二つテーブルに置かれ、ジョミー君たちがゴリゴリと。
「その音からして失格だよ! もっと静かにスーッと磨る! ちゃんと磨れたら習字の練習」
こっちはサイオンでコツを伝授するから、と会長さん。卒塔婆の文字は綺麗でないといけません。癖字はもっての外というわけで、反則技のサイオンの出番。けれど墨を磨るのはお坊さんの仕事の基本だそうで…。
「偉いお坊さんのお供をするとね、墨を磨るのがメインになることもあるんだよ」
しっかり肝に銘じたまえ、と会長さんが言えば、キース君も深く頷いて。
「俺も先輩から聞かされた。その先輩は寮にいたんで、本山の行事を手伝わされることも多かったらしい。それで出張のお供をしたら、朝から晩まで控室で墨を磨らされたそうだ」
「なんで?」
墨を磨りながらジョミー君が首を傾げれば、キース君は。
「説法の席で使う言葉を書き出すためだ。分かり易く説明するための必需品だな。…いくら磨っても使われてしまってキリが無いから、先輩はコッソリ墨汁を混ぜた。これがまた一発でバレたらしいぞ」
書き慣れた人は恐ろしいんだ、とキース君は肩を竦めています。
「俺も磨った墨と墨汁の違いは分かるが、混ぜられたヤツを見破る自信はまだ無いな。しかし先輩はメゲなかった。いや、怖いもの知らずと言うべきか…。墨汁がダメとなったら磨るしかないんだが、同じ姿勢で朝から晩まで磨ってられるか?」
「えっと…。それって思い切り疲れそうだね」
ぼくも疲れてきたけれど、とジョミー君が弱音を吐くと。
「そうだろう? そこで先輩は横になって墨を磨ったんだ。畳に転がって肘枕でな。せめて入口の方を向いてりゃいいものを、背中を向けていたものだから…。戻って来た老師に一喝されるまで気付かずじまいで」
「「「うわー…」」」
なんと悲惨な、と私たちは絶句したのですけど、偉いお坊さんともなれば凡人とは違うみたいです。その先輩を叱るどころか自作の俳句を色紙に書いてプレゼント。貰った俳句をよくよく読めば「日々、精進せよ」との意味にも取れるのだとか。
「小さな葉が無数に重なり合って見事な紅葉を織り成している、と詠んであるだけの俳句だと聞いた。文字通りに取ればそれで終わりだが、小さな葉をどう捉えるかだな」
「ふうん…。いい話だねえ、上手く使えば法話になりそう」
ぜひ使いたまえ、と会長さんがキース君にウインクしてから、ジョミー君に。
「ジョミー、君もキースにネタを提供しかねない立場だってことを自覚するんだね。こういう後輩がおりまして…、と説法で広められるのは嫌だろう?」
「そ、そうかも…。頑張ります…」
根性で墨を磨るのみです、と敬語になっているジョミー君。墨を磨る練習は二日後に終わり、サム君ともども会長さんからサイオンで卒塔婆用の筆の運びを伝授され…。
「わわっ、これがぼくの字? 嘘みたい…」
「俺だって信じられねえよ。習字なんて一生無理だと思ってたのに…」
感動した、と練習用の小さな卒塔婆を持った二人は感無量ですが。
「ああ、その技ねえ…。とりあえず卒塔婆限定だから! お彼岸に間に合わせるために超特急さ。お坊さんに必須の習字の方は年数をかけてじっくりと…ね」
クスクスと笑う会長さんと、ガックリしているジョミー君たち。学問に王道なしとは言いますけれど、本当に習字もそうなのでしょうか? 教頭先生にエステティシャンの技やバレエを仕込んだ会長さんなら、実は一瞬で出来るんじゃあ? 私たちの疑いの視線を一身に集めた会長さんは。
「…バレちゃったか。やろうと思えば一瞬で可能。だけど修行は日々の積み重ねが大切だから」
キースが言ってた俳句の話じゃないけどね、と語る会長さんの瞳は普段とは違う色でした。伝説の高僧、銀青様は決して甘くはないようです…。
ジョミー君たちの修行は延々と続き、やがて迎えた終業式。講堂での退屈な訓話などが済むと、グレイブ先生のホームルーム。一年間、学年一位の成績をキープし、学園一位の栄冠も何度となく手にした1年A組への労いの言葉と、来年に向けての激励と。
「諸君、一年間、よくやってくれた。私は君たちを誇りに思う。このクラスで培った友情を忘れず、2年生になっても頑張りたまえ。…常に助力してくれたブルーたちと離れても、諸君の力なら一位が取れる! いいか、一人一人が一位なのだ。クラスの順位が何位であっても、満点を取れば自分は一位だ!」
その心意気で挑むように、と熱い演説をしたグレイブ先生は最後にビシッと敬礼を。
「諸君、一年間、ありがとう。諸君の健闘を心から祈る」
「「「ありがとうございましたー!」」」
グレイブ先生に敬礼! と誰かが叫び、クラス全員がスックと立って敬礼する中、グレイブ先生は出席簿を抱えて靴音も高く教室を出てゆきました。その足音が廊下を曲がって聞こえなくなると、鞄を抱えて四方に散ってゆく生徒たち。さあ、明日からは春休み。誰もが喜びに満ちていますが…。
「なんで、ぼくたちだけこうなるのさ…」
ボソッと呟いたのはジョミー君です。春休みに宿題はありません。元から宿題の出ない特別生でなくとも宿題無しなのが春休みなのに、ジョミー君とサム君にはお彼岸のお手伝いという強烈なヤツが。しかも卒塔婆の書き方をマスターしたからには作法の方も、と会長さんが燃えたのです。いえ、面白がったと言うべきか…。
「違う、違う! そこで一歩進んで、ゆっくりと…」
また間違えた、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に会長さんの声が響いて、注意されたジョミー君が右手の指で摘んでいるのは紙の花びら。左手には小さなお盆を捧げ持ち、紙の花びらが何枚も乗っかっています。向かい側には同じポーズのサム君が。
「うーん…。これじゃ本番でもしくじりそうだね。どうする、キース?」
「一応、親父に確認したが…。檀家さんに細かい作法は分からないから、花を添えるためにもやらせておけ、と」
「なるほどねえ…。二人とも檀家さんに顔が売れているし、座ってるだけより使えってことか」
それならキッチリ仕込むまで、と会長さんがソファから立ち上がって。
「仕方ない、ぼくが手本をやるから見ているんだよ? 同時にサイオンで情報を流す。モノにするかどうかは君たちの集中力にかかっているということで」
習字みたいな楽勝コースは用意していない、と会長さんはジョミー君からお盆を受け取ると滑るような足取りで部屋を回りながらお経を朗々と唱え、ゆったりとした動きで紙の花びらをヒラヒラと…。
「ほうぜーい、しーほう、じょーらい、じーとうちょーう、さんかーらーく…」
何枚もの花びらが舞い落ちるのは「かーらーく」と唱える時です。その直前の「さん」の所で花びらを摘み、フワリと撒いてゆくのですけど、これが散華というヤツで。「さんからく」は「散華楽」だとキース君が教えてくれました。お彼岸の法要で散華を撒く役目をジョミー君たちに、という運びなのです。
「二人とも、ちゃんと見ていたかい? はい、もう一度始めから!」
会長さんがパンと手を打ち、ジョミー君とサム君は散華の練習。さっきよりかはマシですけれど、会長さんの流れるような所作には遙かに遠いレベルのもので。
「…こればっかりは慣れってことかな。キース、君が見た感じはどう?」
「大学に入学したての初心者に比べりゃマシだろう。…後は畳で躓かないことを祈るだけだな」
緊張してると爪先が畳の縁に引っ掛かるんだ、とキース君。作法を叩き込まれたお坊さんなら畳の縁を決して踏んだりしないそうですけど、サム君はともかくジョミー君は…。
「まあいいさ。卒塔婆書きが出来るだけでも助かる。散華の方は転ばなければ及第点だ」
「不肖の弟子が迷惑かけるね。彼岸会にぼくも顔を出せたらいいんだけれど、シャングリラ号に行かなきゃダメだし…。サイオンでフォロー不可能ってことは転びかけてもどうしようもない」
支えが無くて見事に転倒、と会長さんに言われたジョミー君は顔を引き攣らせています。そうなった時のキース君とアドス和尚も怖いでしょうけど、何より自分が大恥ですって…。
春のお彼岸のお手伝いは終業式の翌日から。暦は前日に既にお彼岸に入ってましたし、ジョミー君たちは卒塔婆書きを懸命に頑張っているのでしょう。去年はシロエ君たちと見物しに行ったものの、今年は法要の日だけ出掛けることに決めました。散華しながら転ぶのかどうか、やっぱり見たいじゃないですか。
「先輩たち、散華って知ってました?」
元老寺に向かうバスの中で尋ねてきたのはシロエ君です。えっ、散華って法要で撒く紙の花びらでしょ? 会長さんもキース君もそうだと言っていましたし…。
「いえ、そうじゃなくて…。あれって御利益があるんだそうです」
「「「御利益?」」」
「財布に入れるとお金が増えるらしいんですよ。…マツカ先輩には無意味でしょうけど」
シロエ君からの思わぬ情報にスウェナちゃんと私は思わず拳を握りました。なんと、お金が増えますか! これは拾うしかありません。練習で撒いていたのは普通の紙でしたが、今日のは本物。良からぬ目的を抱いて元老寺の本堂に突入した私たちは…。
「ひ、酷い…」
「一枚も撒いてくれないなんて…」
何か約束事でもあったのでしょう。法衣のジョミー君とサム君が散華を入れた籠を持って歩いたルートは私たちが陣取った場所から遠く離れていたのです。撒かれた散華を奪い合っている檀家さんたちを涙目で見ている間に散華はおしまい。…えっと、ジョミー君たちの作法はどうでしたっけ?
「先輩、ちゃんと見てました? ぼく、散華しか見てなくて…」
「ぼくもです。ついつい、そっちに目が行っちゃって」
「ええっ、マツカはお金を増やさなくてもいいじゃない。何してたのよ?」
自分の所業を棚に上げて騒いでいたのは法要が終わった後のこと。本堂の脇でワイワイ言い合っていると、緑の法衣に立派な袈裟を着けたキース君がやって来て。
「何をやってるんだ、こんな所で? なんだ、散華が欲しかったのか…。清めたヤツが残してあるから分けてやる。それより打ち上げに出て行かないか? 出席予定の檀家さんが何人か欠席してるんだ」
お膳が余っているからな、と誘われた私たちは散華に釣られて宴に出席。お坊さん多めの打ち上げでしたが、金や銀の地色に花鳥風月が描かれた散華を何枚も貰って大満足です。ジョミー君とサム君も失敗せずに済んだとのことで、めでたし、めでたし。会長さんが帰ってきたら慰安旅行が待っていますよ~!
シャングリラ号が宇宙から戻ったのは法要が終わった二日後でした。疲れ知らずの会長さんは早速キース君たちをマンションに呼び付けて報告を聞いたみたいです。ジョミー君とサム君が法要を無事に務めたとあって、慰安旅行に妨げは無し。最初に決めた予定通りの日の朝、私たちはアルテメシア駅の中央改札前に集合で…。
「かみお~ん♪ みんな、お待たせ!」
トコトコと駆けてくるのはリュックを背負った「そるじゃぁ・ぶるぅ」と「ぶるぅ」の二人。その後ろに私服姿の会長さんとソルジャーが続き、更にソルジャーの分の荷物も提げたキャプテンが。私たちと一緒に待っていた教頭先生は、それを見るなり会長さんの傍へと足早に近づいて行って。
「ブルー、荷物は私が持とう」
「勘違いしないで欲しいね、ハーレイ。ぼくとブルーは違うんだよ」
あっちは新婚熱々なんだ、と唇を尖らせる会長さん。
「ちょっと旅行に呼ばれたと思って調子に乗らないで欲しいんだけど? ブルーが是非にと言っていなけりゃ君は留守番だったんだ」
「そ、そうなのか?」
「だって、呼ぶ理由が無いだろう? 今回はサムとジョミーの慰安旅行! 去年のヤツもそうだった。ただ、どちらもブルーが乱入してきて乗っ取られたというのが実情」
そうだよね? と同意を求められてジョミー君とサム君が頷きました。気の毒に二人とも慰安旅行をブッ潰されてばかりです。去年なんかはソルジャーとキャプテンのバカップル道中という実に悲惨な展開に…。そのバカップルが結婚した今、雲行きの方はどうなんでしょう? ちょっと心配…。
「あ、ハーレイ」
教頭先生に呼び掛けたのはソルジャーです。
「君を呼びたいと頼んだ理由は特に無いから安心してよ。バカップル指南はもう要らないし、君とブルーをくっつけようとか企んだりもしてないし! 同じ旅なら賑やかな方が素敵だよね、と思っただけさ。今回はぶるぅも一緒だから」
「かみお~ん♪ お留守番じゃないのって久しぶり! ブルー、ハーレイと結婚してから何度もこっちで泊まってるのに、ぼくって留守番ばっかりなんだよ」
「「「何度も!?」」」
それは私たちも初耳でした。えっと、ソルジャーが泊まりに来たのはマツカ君の夏の別荘の後はクリスマスだけじゃなかったでしょうか。あの時は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が卵になっていて、ソルジャーと「ぶるぅ」が来ていた筈です。キャプテンは呼ばれていませんが…?
「シーッ! ぶるぅ」
ソルジャーが唇に指を一本当てて。
「そういう話は電車の中で…ね。此処には人が一杯だろう?」
改札付近には春休みとあって家族連れなども大勢います。電車の中で、というのが引っ掛からないでもないですけれど、立ち話に向かない場なのは確か。目的地へ向かう電車は会長さんが一両を貸し切りにしてくれています。マツカ君にも負けない財力の元はソルジャーのお給料らしいんですよね。
「電車は向こうのホームだよ」
会長さんが切符を取り出し、全員に配りながら言いました。
「でも、その前にまずはお弁当だね。今回はハーレイの奢りじゃないから、各自、考えて買うように!」
「「「はーい!」」」
ゾロゾロと向かった駅弁売り場は春らしいお弁当で一杯です。豪華弁当といきたいのですが、お財布の中身は今一つ。キース君に貰った散華をしっかり入れているのに増えません。いえ、そんなことを言ったら罰が当たりますね、昨日パパから「旅行用に」とお小遣いを貰って増えたのですし。
「ん? どうしたんだい?」
ショーケースと睨めっこしていると会長さんの声が隣から。
「欲しいお弁当が買えないって? それは良くないよね、どれが好み?」
答えるよりも先に会長さんは私が見ていた二段重ねのお弁当を指差し、サッとお金を支払って。
「はい、どうぞ。女の子にはサービスしなくちゃ! スウェナ、君のも買ってあげるよ」
どれがいい? とニッコリ微笑む会長さんはシャングリラ・ジゴロ・ブルーそのものでした。私やスウェナちゃんに気があるわけでは全く無いのに、こういう所でサービス精神旺盛なのが人気の秘訣なのでしょう。顔だけだったら女の子はすぐに飽きちゃいますし…。
「あっ、いいなぁ…。ずるいや、女の子だけにサービスなんて」
ジョミー君が不満を口にした途端に、会長さんは。
「なんだ、ジョミーもサービス希望? 構わないけどね、愛弟子のためにお弁当を手配するのも師僧の務め! なにしろ師僧は弟子が立派に一人立ちするまで面倒を見るのが仕事だし…」
「え? ちょ、ちょっと…」
「すみません、そこの精進弁当を一つ」
会長さんが有無を言わさず注文したのは、一昨年の夏にキャプテンが一人旅をした時に「そるじゃぁ・ぶるぅ」に勧められていたヤツでした。璃慕恩院とは違って座禅をする宗派に因んだお弁当ですが、精進料理に変わりはなくて…。
「ジョミー、ぼくから君への愛だ。遠慮せずに受け取ってくれたまえ」
「えーっ…」
こんなのよりも豚カツ弁当、というジョミー君の叫びはサックリ無視され、会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」と一緒に予約限定のお花見弁当を受け取っています。ソルジャーとキャプテン、「ぶるぅ」も同じ。ソルジャーの財源はエロドクターのお財布でしょうね。
乗り込んだ電車での話題はソルジャーが「後でね」と「ぶるぅ」に注意していたお泊まりの件から。新婚バカップルなソルジャーとキャプテンは何度も二人でこちらに来ているらしいのです。ソルジャーがエロドクターからせしめたお金でリゾートホテルや夜景の綺麗なホテルなんかに一泊して…。
「一晩だけしか泊まれないのが難点だけどね、地球で過ごせるっていうのが最高」
夜のお楽しみは二の次なんだ、とソルジャーは片目を瞑ってみせました。
「ハーレイが思い切りヘタレてた頃は鏡張りの部屋に泊まりに行ったりしたけどさ…。今じゃそんなの必要ないし! 二人でベッドで過ごせるだけで満足なんだよ、ハーレイも頑張ってくれてるしね。今回の旅にも大いに期待。温泉で肌がツルツルになれば、ハーレイだって喜ぶと思うな」
ねえ? と水を向けられたキャプテンは「そ、そうですね…」と真っ赤な顔。普段から大人の時間を過ごしているくせに、こういう所は教頭先生そっくりです。そこがまたソルジャーにはたまらないらしく。
「照れなくってもぼくたちの仲はバレバレだってば、此処にいるのは結婚式の立会人だった人ばかりだよ? でも……そんな所も好きだよ、ハーレイ。情熱的でも適度にヘタレ」
からかうとすぐに赤くなるのが面白いから、と笑うソルジャー。どうやら会長さんが教頭先生をオモチャにするのと同じで、ソルジャーにとってもキャプテンはオモチャらしいです。私たちは苦笑しながらバカップルから目を逸らそうとしたのですけど。
「えっ、ハーレイがぼくのオモチャだって?」
誰の思考が零れていたのか、赤い瞳が悪戯っぽく輝きました。
「確かにオモチャと言えるだろうねえ、ただし大人のオモチャだけどさ。…あ、大人のオモチャって知ってるかな? 夜の時間を盛り上げるための…」
「ストーップ!」
待ったをかけたのは会長さん。大人のオモチャって何でしょう? 教頭先生が鼻をティッシュで押さえていますし、何かアブナイものだとか…? 首を傾げる私たちでしたが、会長さんは。
「知らなくってもいいんだよ! 万年十八歳未満お断りだろ、君たちは!」
知らずにいた方が身のためだとか、精神の安定を保つべきだとか言われましても、分からないものは謎のまま。追求したって理解不能な内容なのがオチっぽいです。ここは忘れて少し早めの昼食を、と買ってきたお弁当を広げているとソルジャーが。
「ハーレイ、これはあげるから、そっちのを一口くれないかな? はい、あ~ん♪」
お箸で摘んだ魚の焼き物をキャプテンの口に運ぶソルジャー。キャプテンは幸せそうに頬張り、お返しとばかりに桜色のきんとんを二つに割ってその片方をソルジャーの口に。
「ん…。桜の味かな、美味しいや、これ」
「もう半分も食べますか? どうぞ」
「ありがとう、ハーレイ。愛してるよ」
今夜もじっくり愛し合おうね、と語らっているバカップル。私たちの姿なんかは既に視界に入っていないに決まっています。そんな二人に慣れた「ぶるぅ」はガツガツとお弁当を食べながら。
「パパとママが仲良しなのって嬉しいよね。構ってもらえなくてもいいんだ、離婚の危機は嫌だもん!」
一緒に旅行に来られただけで充分だもん、とニコニコ笑顔を振りまく「ぶるぅ」は私たちより遙かに大人でした。単なるおませとも言いますけれど、悟りの境地を是非とも分けて下さいです~!