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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

思い出の七月・第2話

夏休み初日はカラオケで明けてしまいました。そこから会長さんのマンションに行き、お昼過ぎまで全員爆睡。昼食は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が手際よくアスパラガスとホタテの冷製パスタを作ってくれて、食べ終えた所でリビングに移り…。
「さてと…」
会長さんが手帳を取り出し、柔道部三人組に合宿の日程を尋ねてから。
「やっぱり今年も一週間、と。じゃあ、この間にジョミーとサムは璃慕恩院だね」
「えぇっ!?」
ジョミー君が悲鳴を上げて。
「今年も行くの? 一週間も…?」
「決まってるだろう。この前、老師も仰ったじゃないか。君の将来も期待できそうだ…って」
「だけど!」
「文句を言うなら恵須出井寺に放り込むよ? 居士林道場、忘れてないよね?」
会長さんが口にしたのは、教頭先生が騙されて修行する羽目になった厳しい道場の名前でした。
「あそこは一ヵ月前までに要予約だけど、それは指導役のお坊さんを確保しなくちゃいけないからで…。夏休み中は道場入りを希望する人が途切れないから、一人くらいは予約無しでも押し込める。サムは璃慕恩院、ジョミーは居士林道場でどう?」
「わわっ! ぼ、ぼくも璃慕恩院でいいから! 恵須出井寺より断然いいし!」
あたふたとするジョミー君の姿に、会長さんは満足そうに。
「璃慕恩院の良さを分かってくれて嬉しいよ。今年は作法も覚えてくれると嬉しいな。一週間で出来る範囲は知れてるけどさ」
頑張って、と激励されてジョミー君はガックリ肩を落としています。璃慕恩院での夏の修行は今年で三度目。サム君は会長さんに弟子入りしただけあって修行もやる気満々ですけど、ジョミー君は未だに仏門入りを回避したくて、逃げたくて…。
「本当に猫に小判だな…」
キース君が深い溜息。
「璃慕恩院で一週間も修行できるなんて贅沢なんだぞ? お前も行ったから知ってるだろうが、素人は二泊三日が限度だ。そこを特別に延長なんだし、ブルーに感謝しないとな」
「ぼくはお坊さんなんか目指してないから有難迷惑!」
なんで毎年修行なんか…、とジョミー君は膨れっ面です。会長さんは手帳にジョミー君とサム君の修行日程を書き込み、それからカレンダーを見て。
「…えっと。みんな今月の末は暇かな?」
「「「え?」」」
「柔道部の強化合宿とジョミーたちの修行は重なってるから、それが終わった後のことさ。もしも時間が空いているなら、連れて行きたい所があって」
「「「………」」」
私たちは一様に押し黙りました。こういう流れは危険です。会長さんが主導権を握った場合はロクな結果になりはしない、と私たちは既に学習済み。何処へ行くのか知りませんけど、断固お断りしなくては!
「…すまん、俺は墓回向を手伝わないと」
キース君が真っ先に断り、ジョミー君はカレンダーを睨んでから。
「えっと…。パパと海釣りに行こうかなぁ、って言っていたのがその辺かな? まだ日程は決まってないけど」
ぼくも、私も…、と私たちは決まってもいない予定を口にしたのですが。
「…要するに全員、暇なわけだね」
会長さんは意にも介さず、カレンダーの方を指差して。
「無駄な抵抗はやめたまえ。それに今度は迷惑をかけるつもりはない。…だから一緒に旅行に行こう。27日から二泊三日だ。費用は全額、ぼくが持つから」
「「「えぇぇっ!?」」」
自分のお金は使わないのが会長さんのポリシーです。なのに全額負担ですって? いよいよもって不吉な予感。旅行って何処へ行くんでしょうか? けれど…。
「ミステリー・ツアーってことにしといてくれないかな? 当日になったらちゃんと話すよ。アルテメシア駅の中央改札前に朝の8時に集合。荷物は普通の旅行のつもりで用意して」
特に必要なものはない、と会長さんは強引に決めてしまいました。行き先不明のミステリー・ツアーは旅行会社が広告を出したりしてますけども、そういうのに参加するのかな…?

柔道部の強化合宿は夏休みに入ってすぐでした。ジョミー君とサム君も修行に行ってしまい、スウェナちゃんと私が残されましたが、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」がプールなどに誘ってくれたので暇を持て余すこともなく…。ジョミー君たちが帰って来る日は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に先回りをしてお出迎えです。
「かみお~ん♪ お帰りなさい!」
大変だった? と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がオムライスのお皿を並べました。ジョミー君は精進料理ばかりの日々だっただけに歓声を上げ、スプーンを握って食べ始めます。サム君は合掌して何やら唱えていますが、修行生活の名残でしょうか? 柔道部三人組の方も礼儀正しく「いただきます」。そういえば合宿、厳しいんですよね。
「みんな、旅行は覚えてる?」
明後日だよ、と会長さん。
「アルテメシア駅に集合するのを忘れないで。…来なかった場合は瞬間移動で強制的に連行するから」
切符も宿も手配したのだ、と会長さんは逃亡を許してくれませんでした。行き先はやはり話して貰えず、一緒に旅に出る「そるじゃぁ・ぶるぅ」も「秘密だもん」を繰り返すだけ。切符と宿を手配済みってことは旅行会社は無関係…?
「ツアーじゃないよ。プランを立てたのはぼくだから」
会長さんの言葉にジョミー君が。
「そうだったの? それじゃお土産とかは無し? ツアーだったら色々つくのに…」
「地元の銘菓をお持ち帰りとか、そういうのかい? 無いね」
バッサリ切り捨てる会長さん。えっと…旅行会社のツアーじゃないのにミステリー・ツアーって何でしょう? 私たちが首を傾げていると、会長さんは。
「大丈夫、明後日になれば全部分かるさ。話しておいてもいいんだけれど、それじゃ面白みが無いからね。心配しなくても悪戯とかは仕掛けてないよ。バーストは一度で沢山だ」
「「「………」」」
バーストと言えばサイオン・バースト。会長さんにからかわれたキース君がサイオン・バーストを起こして「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋を吹っ飛ばしたのは去年の夏のことでした。もっとも、会長さんがキース君をバーストさせたのは計算ずくで、そのお蔭でキース君はサイオニック・ドリームを操れるようになったのですが…。
「…おい」
キース君が低い声で。
「俺のバーストを引き合いに出すってことは、誰かに何かを仕掛けるつもりか? 例えばジョミーが坊主になりたい気持ちになるとか」
「…ジョミーが坊主?」
それは考えていなかった、と会長さん。
「でも…。ちょっといいかもしれないね。ジョミーがその気になってくれたら美談だし」
「ちょ、なんでぼくが!!!」
藪蛇だよ、とジョミー君はキース君に掴みかからんばかりです。ジョミー君がお坊さんになりたい気持ちになるかもしれないミステリー・ツアーって、もしかして行き先は何処かのお寺? 二泊三日で修行とか…? 私たちは口々に尋ねましたが、答えはやっぱり「秘密」でした。それでも行くしかないんでしょうねえ…。

そして7月27日の朝8時。旅行用の荷物を提げてアルテメシア駅の中央改札前に行くと、もうジョミー君たちが来ていました。電光掲示板に表示された電車の案内を見ているようです。
「あ、おはよう!」
こっち、こっち…と手招きされて、合流して。電光掲示板をみんなと一緒に眺めましたが、会長さんが切符を予約したのがどの電車かは分かりません。そもそも東へ行くのか西へ行くのか、それとも北か、はたまた南か。謎だよね、と考え込んでいると「かみお~ん♪」と元気な声がして。
「おはよう! みんな来てたんだぁ!」
トコトコと駆けてきたのはリュックを背負った「そるじゃぁ・ぶるぅ」。その後ろから会長さんが足早に近付いてきます。
「やあ、全員ちゃんと集まったね。はい、切符」
渡された切符に私たちは仰天しました。行き先の駅名がありますけれど、これって思い切り遠いのでは?
「片道5時間以上かかるよ。だから駅弁を買っておいで」
車内販売もあるけどね、と言われた私たちは大急ぎで駅弁や飲物を買い込み、改札を通ってホームへと。滑り込んで来た特急に乗り、鉄路を真っ直ぐ北へ向かって…。目指す駅に着くのは午後2時です。
「えっと…」
走り始めた電車の中でジョミー君が口を開きました。
「なんでぼくたちしか乗っていないの? これって貸し切り?」
「そういうわけでもないんだけれど…。元々お客の少ない時期だし、他の車両に乗りたくなるようにサイオンでちょっと細工をね。前と後ろを見てきてごらん」
会長さんがクスッと笑い、ジョミー君が前後の車両を見に行って。
「前と後ろはけっこう人が乗ってたよ。…でもさ、貸し切りだったらマツカに頼めば良かったのに。いつも海に行く時にはそうしてるよね」
「…今回はぼくが費用を負担するって言っただろう? だからマツカには頼めない。それでも貸し切り状態にしたかったんだよ、ぼくたちの行き先の関係でね」
「「「???」」」
話がさっぱり見えません。ミステリー・ツアーだとは聞いてましたが、行き先に何か問題が…? 下車する駅はガニメデ地方の中心で…って、あれ? ガニメデと言えば確か…。切符を見詰める私たちに会長さんが。
「気がついた? ガニメデはフィシスが育った場所だよ。そして目的地はその駅じゃない。そこからローカル線に乗り換えて終点で降りる。…駅の名前はカンタブリア」
「「「カンタブリア?」」」
聞いたことがあるような、無かったような響きです。会長さんは「知らないかな」と笑みを浮かべて。
「カンタブリアは海沿いの小さな町なんだ。ずっとずっと昔、カンタブリアの沖にアルタミラという島があったんだけど」
「「「!!!」」」
アルタミラの方は有名でした。三百年ほど前に火山の噴火で一夜の内に消えた伝説の島。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が生まれた場所だと聞いてますけど、ひょっとしてミステリー・ツアーの行き先は…。
「おい、アルタミラに行くって言うのか?」
キース君の問いに会長さんは。
「まさか。…いくらぼくでも時を飛び越える力は無いよ。アルタミラは三百年以上昔に消えた島だし、そこへは行けない。でもね…。明日はアルタミラが地上から姿を消した日なんだ」
アルタミラは7月28日の夜に海に沈んでしまったそうです。じゃあ、会長さんはその日に合わせてカンタブリアへ…? 私たちが口々に訊くと、会長さんは頷いて。
「アルタミラとカンタブリアはセットみたいなものだったんだよ。アルタミラがどんな島だったのか、少しくらいは知ってるかい?」
えっと。一晩で海に沈んだ島で、会長さんの生まれ故郷で…。その他に何かありましたっけ? 記憶の中を探っていると、キース君が。
「貿易で栄えた島らしいな。あんたがアルタミラの出身だと聞いて、少し調べてみたんだが……あまり資料が残っていない。島と一緒に吹っ飛んだのか?」
「違うよ。…アルタミラの資料は最初から作られていないんだ。正確な地図も描かれていない。大切なことは全部口伝さ」
「口伝だと? それで資料が少ないのか…。だが、そこまでして隠した理由は何だ?」
「外交政策とでも言うのかな? アルタミラは金の輸出をしてたんだけど、島に鉱山は一つも無かった。それでも大量の金が運び出されて、外国の船が沢山来てたね。…そして他の国の人たちはアルタミラから金が採れると信じてたんだ」
金山の本当の所在地を知られないよう、金はカンタブリアの港から小舟でアルタミラへ運ばれたのだ、と会長さんは語りました。いわゆる隠し金山というヤツです。
「アルタミラが沈んでから数年も経たない内に金は採れなくなってしまった。だから代わりの港は要らなくなって、カンタブリアも見かけどおりの漁港になってしまったわけさ。ただ、温泉が出るからね…。それと冬場は蟹が獲れるし、そこそこ人は来るってわけ」
なるほど。カンタブリアの名は、温泉か蟹か、どっちかのツアー広告で目にしたことがあるのかも…。アルタミラとセットだったとはビックリですけど、温泉があるなら楽しみですよね。

会長さんが行き先を伏せていたのは「その方がスリリングだから」という、ごく単純な理由でした。貸し切り状態の車内で駅弁やお菓子を食べながらアルタミラの話を沢山聞いて…。他の乗客がいると思い出話はしにくいでしょうし、サイオンで細工したのも納得です。5時間以上も電車に揺られ、乗り換えたローカル線の乗客は私たちだけ。海が見えてくるとそこが終点のカンタブリアで。
「ほら、着いたよ。忘れ物をしないようにね」
会長さんに促されて降り立ったのはホームが2つしか無い小さな駅。駅舎の前には今夜の宿のマイクロバスが来ていました。会長さんの定宿らしく、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が勝手知ったる様子で一番前に乗り込みます。バスは海沿いを走り、高台にある温泉街へと入っていって…。
「へえ…。田舎にしては大きいよね」
ジョミー君が旅館の立派な建物を見上げ、サム君が前庭の小川に手を突っ込んで。
「温泉だぜ! 湯気が立ってるとは思ったけどさ。あっ、あそこに足湯があるのか…」
「本物の源泉かけ流しだよ」
いいだろう、と会長さん。敷地内に源泉があるのだそうです。客室のお風呂も勿論、温泉。お部屋に案内されて荷物を置いて、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が泊まるお部屋へ出掛けてゆくと…。
「朝からずっと電車だったし、運動がてら街に出ようよ。持ってきたお菓子も食べ飽きただろ? 温泉饅頭は今ひとつ芸が無いしね」
会長さんは鉢に盛られたお饅頭には手もつけないで部屋を出てゆきます。温泉饅頭でも別にいいのですけど、運動不足は確かでした。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」に案内して貰って少し歩くのがベストでしょう。
「ずっと昔の温泉街はあっちの方にあったんだよ」
会長さんが教えてくれた場所は漁港のそばに広がる平地でした。カンタブリアの駅の近くですけど、建物は少ししかありません。駅に近い方が便利そうなのに、どうして離れた高台に? ジョミー君も同じことを考えたらしく。
「なんでこっちに移したの? 温泉が涸れたわけじゃないよね」
見下ろす先には一目で温泉と分かる水蒸気が幾筋も立ち昇っています。駅が後から出来たにしたって、道路も海沿いがメインのようですし…。温泉街って街道沿いに発展するのが王道では? 私たちの疑問に、会長さんは「確かにね」と答えてから。
「あっちにも温泉を使った施設はあるけど、宿泊施設と民家はこっちさ。…地形をよく見て考えたまえ。カンタブリアは天然の港なんだ。手を加えたのは岸壁くらいさ。アルタミラは水平線の辺りにあったんだけど、そこで火山が大噴火したらどうなると思う?」
「「「あ…」」」
頭に浮かんだ言葉は『津波』。島が丸ごと吹っ飛んだほどの爆発ですから、もちろん津波も来たでしょう。キース君が「津波か…」と呟き、会長さんが。
「それで正解。津波ですっかり流されちゃって、高台に再建したってわけさ。温泉はあちこちに湧き出してるし、少し不便でも安全な場所がいいだろう? アルタミラと違ってこっちで人死には無かったけども」
カンタブリアの人たちは噴火の音で目覚めて外に出、海の水が引いて行くのに気付いて高台に避難したそうです。お蔭で津波の被害は家や船だけで済んだのですが、アルタミラの方は誰一人として助からなくて。
「…ぼくが来たのは明日が祥月命日だから。毎年、7月28日には来るようにしてる」
「え?」
ジョミー君が首を傾げました。
「毎年って…。去年とかは来ていないよね? 去年はキースがバーストしちゃったせいで元老寺にいたし、一昨年はレンコン掘ってたし…。その前の年はマツカの山の別荘だよ」
言われてみればそうでした。7月の末に会長さんがカンタブリアまで足を運ぶ時間は無かった筈です。けれど会長さんは可笑しそうにクッと喉を鳴らして。
「ぼくを誰だと思ってるのさ? 瞬間移動はお手の物だよ。衛星軌道上から地球にだって飛べるというのに、カンタブリアまで飛べないとでも? いつも君たちが寝てる間に来ていたんだよ。ぼくの用事はすぐ済むからね」
「「「用事?」」」
「それは明日になったら教えてあげる。今はとりあえず…名物のお菓子で腹ごしらえかな」
「温泉饅頭は芸が無いとか言ってなかったか?」
キース君が突っ込みましたが、会長さんは。
「まあね。だけど温泉饅頭を買いに行くとは言っていないよ、他にも色々あるだろう? お煎餅とか」
「鉱泉煎餅か…」
温泉街には付き物だよな、と土産物屋の看板を見上げるキース君。そっか、鉱泉煎餅ですか…。あれって薄くて軽いですけど、腹ごしらえって言うほどの量を食べるとなったら何枚くらい?

会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は温泉街をどんどん奥へと歩いていきます。鉱泉煎餅なんて何処で買っても同じだと思っていましたけれど、こだわりのお店があるのでしょうか? 土産物屋さんは次第に減って民家が増えてきましたが…。
「カンタブリアに来たら、やっぱり此処だね」
会長さんが立ち止まったのは古色蒼然としたお店でした。看板には今にも消えそうな『アルタミラ本舗』という文字が。ほんのり漂う甘い匂いは鉱泉煎餅とは違うような…。
「この店で作っているお菓子は一種類だけ。三百年前と同じレシピで延々と作り続けてる」
「「「三百年!?」」」
「そうさ。アルタミラのレシピを受け継いでるんだ。ね、ぶるぅ?」
「うん! このお店でしか買えないもんね♪」
暖簾をくぐる二人に続いてお店に入ると、古びたショーケースに沢山の焼き菓子が入っていました。これってパンかな、それともパイ? どちらにも見えるお菓子です。丸型が基本みたいなんですけども、大きな四角い天板で焼いてそのまま並べてあるものも…。会長さんがクルリと振り向き、私たちに。
「どれにする? 丸いのでもいいし、その大きなのを好みのサイズに切って貰ってもいいんだけれど」
そう訊かれても、初めて目にするお菓子なだけに味の見当がつきません。試食とかって無いんでしょうか? どうしたものかと悩んでいると、会長さんが「ああ、そうか」と納得した風で。
「そこのを切って貰えるかな? 一口ずつの試食サイズで」
店番のお婆さんがナイフでお菓子をカットしてくれ、爪楊枝をつけてくれました。うーん、この断面はやっぱりパイ? でも…パンのようにも見えますし…。あ、甘い。でもって後味がほんのり塩味! 表面のカラメリゼがまた美味しくて……層になった生地に挟まれている砕いたナッツも絶品です。
「どう? 気に入った?」
会長さんの問いにマツカ君が。
「クイニーアマンに似てますね。これがアルタミラのお菓子ですか?」
「うん。他にも色々あったけれども、お祝い事にはこれだった。このお菓子、アルタミラの月って名前で商標登録してるんだってさ」
あまり知られてないけれど、と会長さん。地元の人がおやつや手土産に買っていくだけで、支店なんかも無いのだそうです。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は丸型のお菓子を人数分と、少し小さめにカットしたものを幾つか買って紙の袋に入れて貰って…。
「これでおやつはOKだよね。宿に帰ってゆっくり食べよう。夕食までには時間があるから」
歩き始めた会長さんは御機嫌でした。あのお菓子がお気に入りなのでしょう。…ん? さっきマツカ君はなんて言いましたっけ? クイニーアマン…。そう、確かにクイニーアマンにそっくりです。クイニーアマンにナッツは入っていませんけれど。…でもって何かが引っかかるような…?

旅館に戻った私たちは、会長さんの部屋で買ってきたお菓子を食べ始めました。会長さんのポケットマネーでお菓子を食べるのは初めてかも…。いつも教頭先生のお金を毟り取ってる人ですから! 今回の旅行費用も実はしっかり巻き上げたとか? 私の疑問が顔に出たのか、会長さんは「信用ないなぁ」と苦笑して。
「お菓子のお金も旅行費用も本当にぼくが出すんだってば。…アルタミラ絡みでハーレイからお金を毟ったんでは供養にならない。ぼくが自分で出さないとね」
「…供養? 本気で慰霊の旅だったのか?」
キース君の問いに会長さんは。
「君までぼくを疑うんだ? 明日が祥月命日だって話したのに…。ジョミーが仏の道に目覚めるような旅になるといいね、とも言った筈だよ。ぼくは本当に供養のために此処へ来た。…君たちを連れてきたのは昔話をしたい気持ちになったから…かな。今度ばかりは悪戯する気は無いんだよね」
会長さんは至極真面目でした。海の幸たっぷりの夕食の時もアルタミラの話をしてくれただけで、悪戯の気配はまるで無し。教頭先生に電話かメールで何かするかと思ったのですが、そっちの方も完全放置。ただ、フィシスさんにだけはメールを打っているようです。あれ? フィシスさんって…。あ、そうか!
「ん? どうしたんだい?」
いきなり「あっ!」と声を上げた私を会長さんが見詰め、みんなも怪訝そうな顔。私はスウェナちゃんに視線を向けて…。
「さっきのお菓子! フィシスさんの家に伝わっているアルタミラのお菓子って、あれじゃない?」
「え?」
一瞬キョトンとしたスウェナちゃんでしたが、すぐに分かってくれたようです。
「そういえば…。クイニーアマンに似たお菓子だって言ってたわよね。会長さんのお誕生日とバレンタインデーにだけ作ってる、って」
「そう、それ! フィシスさんの家ではお祝い事の時に作ってたんでしょ? 会長さんもさっきのお店でそんな話を…」
スウェナちゃんと私の会話にジョミー君が「何、何?」と割り込み、キース君たちも。フィシスさんの家に伝わるお菓子の話を耳にしたのは特別生になる前のことでした。バレンタインデーに会長さんに渡すチョコレートをフィシスさんが一緒に選んでくれて、帰り道でお茶を御馳走になって…。
「でね、その時に教えて貰ったの。フィシスさんは会長さんのために特別なお菓子を作るんだ、って。あのお菓子がそれだと思うんだけど」
「なるほどな…。あいつがわざわざ買いに行くんだ、同じ菓子でも不思議ではない」
キース君がそう言った時、会長さんが「当たり」と微笑みました。
「さっきのお菓子は女王様のパンって呼ばれてた。ナッツの女王のピスタチオが入っていただろう? ピスタチオは昔は高価な輸入品でさ…」
それでお祝い事の時しか作らなかった、と会長さんは懐かしそうに。
「ナッツ入りじゃないクイニーアマンはいつでもお店にあったんだけど、それとは別に特注するか、手間暇かけて家で作るか。女王様のパンはアルタミラのお菓子屋さんがバクラバをヒントに考案したんだ」
バクラバは薄いパイ生地を何層も重ねた間に砕いたナッツを挟んだお菓子。シロップがたっぷりかけられていて凄く甘い、と会長さんは教えてくれました。バクラバもクイニーアマンも遠い国の船がアルタミラに伝えたものなのです。
「アルタミラは豊かな島だった。海に沈んでしまうなんてね…」
あれから何年経ったんだろう、と窓の外を眺める会長さん。暗い海には漁火が幾つも灯っていました。アルタミラがこの世界から消え失せたのは三百年以上昔の7月28日の夜のこと。祥月命日の明日、会長さんは何をするのでしょうか? ジョミー君が仏の道に目覚めるかもって言ってましたし、いわゆる法要というヤツですか…?



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