シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
会長さんと教頭先生が「そるじゃぁ・ぶるぅ」そっくりの「ぶるぅ」に連れられ、別世界のシャングリラへと旅立った夜。私たちは家の窓から夜空に輝く満月を見てはメールをしたり、電話をしたり…と夜更かしをしていました。会長さんは「心配いらないから寝ているように」と言いましたけど、そんなのできっこありません。留守番をしている
「そるじゃぁ・ぶるぅ」が何度も思念を寄越します。
『まだ起きてるんだ。早く寝なさいってブルーが言ってたよ!』
『お前は心配じゃないのかよ!?』
あ、サム君だ。思念波ってこういう時には便利ですよね。
『ぼく、ブルーのこと信じてるもん。ブルーを連れてったぶるぅも悪い感じはしなかったもん』
お客様の「ぶるぅ」は会長さんの家で夕食を食べて帰っていったそうです。教頭先生も加えて二人も増えたので、朝から仕込んであったハヤシライスをアレンジしてドリア風に仕立てたんだ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はいつもと変わらない様子でした。お留守番をしている間ものんびり土鍋に入っているみたい。でも…そろそろ午前2時。会長さんたちが出かけてから4時間以上も経っています。
『徹夜になったらどうしよう?』
ジョミー君の思念がみんなに届きました。
『…授業はパスして、報告だけ聞きに行きませんか?』
答えてきたのはシロエ君です。
『どうせブルーは授業に出ないんですし、何時頃に登校するのかを聞いて、それに合わせて登校すればいいんですよ。ほら、ぼくたち特別生って出席日数は関係ないじゃないですか』
なるほど。それなら徹夜になっても大丈夫です。ゆっくり寝てから登校したって全然問題ありません。
『シロエ!学生の本分は勉強だぞ。俺は明日の講義をサボるつもりはないからな!』
『キース、お前って真面目すぎ』
サム君が混ぜっ返して私たちが笑っていると。
『ただいま。やっぱり夜更かししてたか…』
『『『ブルー!?』』』
『ハーレイを家に送って帰ってきたんだ。…その間にろくでもない相談をしているのが聞こえてきたよ』
ひぃぃぃ!学校をサボろうという話が筒抜けになっていたようです。会長さんがクックッと笑う気配が伝わってきて、それから穏やかな思念波が。
『こんなことだろうと思ったからね、ちゃんとハーレイに言ってある。君たちは明日は学校関係の行事で欠席だ。グレイブにはハーレイが伝えてくれるよ。…ぼくが出かけた世界の話が気になるんだろ?そんな状態で授業に出たって意味ないさ。ぼくの家へ話を聞きにおいで』
お昼ご飯を御馳走するよ、と言う会長さんの思念はとても落ち着いていて、私たちはホッと一安心。恐ろしい世界へ出かけたのだし…と心配でしたが、これなら普段どおりです。
『それじゃ、待ってるからお昼頃にね。キースの講義、明日は1限目だけだろう?』
『ああ。一般教養の哲学だけだ。他は休講になってるからな』
『サボらなくて済んでちょうどよかった。講義が終わったら直接おいで』
そんな会話の後、『おやすみ』という優しい思念が届いて、私たちは誘われるように眠りに落ちていきました。
ママに「遅刻するわよ!」と起こされた私は「今日は特別でお休みだから」と答えて寝なおし、十時前に起き出してスウェナちゃんたちと連絡を取ると、待ち合わせをして会長さんのマンションへ。キース君は先に来てバス停で待っていましたが…今日もカバンは重たそう。講義が1つしか無くても大量の本を持ち歩いているのは流石です。
「何事も無かったようで良かったぜ。もしもブルーに何かあったら、サムに絞め殺されるからな」
「分かってるじゃねえか、キース。…だけど話の中身によっては、殴られるくらいは覚悟しとけよ」
まだ何も無かったと決まったわけじゃないんだし、とサム君は少し不安そう。
「だって…相手はブルーだぜ?俺たちを安心させようとして平気なふりをしてみせるくらい、あいつならするさ。畜生、俺がついてってやりたかったのに。…そりゃさ…足手まといになるだけだけどさ…」
落ち込むサム君を励ましながら私たちはマンションに向かい、最上階の会長さんの家のチャイムを押しました。
「かみお~ん♪いらっしゃい!ブルーが心配かけてごめんね」
出迎えてくれた「そるじゃぁ・ぶるぅ」が笑顔でリビングに案内してくれます。会長さんはゆったりとソファに座って紅茶を飲んでいるところでした。カップをテーブルに置き、ニッコリ笑って。
「やあ。…ずいぶん心配してたようだけど、生憎ぼくはピンピンしてるよ」
「ブルー!」
サム君が飛び出していって会長さんを抱き締め、いつもの照れっぷりなど忘れたように肩口に顔を埋めています。
「よかった…。ブルー、元気そうでホントによかった…。無理してねぇよな?どこもケガとかしてねえよな?」
「うん。心配かけてごめんね、サム…」
会長さんはサム君の背に腕を回してあやすように撫で、そっと身体を離すと頬に軽く口付けました。たちまちサム君は真っ赤になって、我に返ってアタフタと…。
「ご、ごめん…。俺…。俺、つい夢中で…!」
「ううん、心配してくれて嬉しかった。それにね…ちょっと正気に返りたかったんだ」
「「「は?」」」
正気に返りたい、って…それで何故にサム君?ポカンとしている私たちを放って会長さんはサム君を隣に座らせ、肩にもたれて目を閉じています。サム君は緊張のあまりカチンコチンですが、会長さんの身にいったい何が…?
「……シャングリラにはね……」
瞳を閉じたまま会長さんは呟きました。
「…ぼくが行ったシャングリラには、君たちに似た人はいなかった。直接会ったのは、ぼくにそっくりのソルジャーと…ハーレイそっくりのキャプテンと。だけど、誰が乗っているのかは分かる。ここはあそことは違うんだ…って、サムの想いに触れると実感するんだ。…ぼくの恋人はハーレイじゃない。ぼくの一番はフィシスだけども、男の恋人がいるとしたら…サムだものね」
えっと。…要するに惚気たいんでしょうか?会長さんが出かけた先はSD体制とかいうモノが敷かれた恐ろしい世界だったと思うんですけど、怖いものを見すぎて壊れちゃったとか?…私たちにはサッパリです。
「ぼくがおかしくなったと思ってるんだ?…そうじゃないよ。ただ、ちょっと…怖くてたまらなくなって。一つ間違えたら、ぼくがあのシャングリラで生きる羽目になってたのかなって…そう思うととても怖いんだ。世界が違うって考えるより、身近な人間が全く違う…って確かめる方が安心できる。あの世界にサムはいなかった。だから…サムがいてくれるのが嬉しいんだよ」
会長さんはサム君に寄りかかったまま。サム君が恐る恐る肩に腕を回すと、甘えるように更に身体を寄せました。赤い瞳はまだ閉じているので、どう見ても恋人同士です。
「おい。…野暮を言って悪いが、あんたにはフィシスがいるんだろうが」
キース君の言葉に会長さんは目を開け、「ああ」とだけ言ってサム君の腕の中。
「今度ばかりはフィシスはちょっと…ね。昨日来たぶるぅが言ってたとおり、あっちの世界のブルー…ぼくそっくりのソルジャーの恋人はハーレイだった。他のシャングリラでもそうだ、と言ってた。ぼくたちはお互いの記憶を見せ合ったんだ。…あっちの世界のブルーの記憶は、恐ろしいなんてものじゃなかった…」
君たちにはとても見せられない、と会長さんは拳をギュッと握りました。
「過酷な人体実験のせいで子供の頃の記憶が無いんだ。自分自身も酷い目に遭って、大勢の仲間も失って…それでもソルジャーとしてテラへ…地球へ行こうという希望を持ち続けている。その人を支えているのがハーレイだった。あんな状況だものね…一人ぼっちじゃ辛すぎる。で、その人に訊かれたんだ。ぼくにとってもハーレイは大切な恋人なんだろう、って」
「…………」
誰もなんにも言えませんでした。激しい迫害を受け、逃亡の末にソルジャーになった人には確かに支えが必要でしょう。でも会長さんにはそういう過去は全く無くて、教頭先生は恋人どころかオモチャです。馬鹿正直にそう答えたかどうかはともかく、教頭先生に片想いされている事実を今は忘れていたいのかも。フィシスさんと幸せに暮らしていることにも負い目を感じていそうです。
「…ハーレイが恋人じゃないってことは正直に言ったよ。そしたら、あの人は笑ってた。ミュウと人類が共存できる世界もテラも手にしていたら、ハーレイっていう存在は重要じゃないのかもしれないね…って。そう、あの人は強いんだ。ぼくの世界を羨むどころか、そんな世界があるのなら自分たちの夢もいつか叶うかもしれないって…嬉しそうに微笑んでいたよ。ぼくには出来ない。絶対に出来ない…」
赤い瞳が揺れ、会長さんはサム君の腕に縋り付きました。
「ぼくはあの世界では生きられない。…でも、あの人が…あまりにもぼくに似すぎてて。何かのはずみで入れ替わってしまったら、と…そう思うととても怖いんだ。ぼくとあの人の本質が決定的に違うのは恋人が誰か、ということだけ。フィシスのことも話したけれど、世界が違うとそうなるかもね…と受け流された。あの世界にはフィシスはいなかったから。…サムが…ハーレイと張り合おうっていうサムがいてくれるのだけが大きく違う点なんだ」
「…ブルー…?」
サム君が躊躇いながら会長さんの背中に腕を回しましたが、会長さんは振り払おうとはしませんでした。
「ぼくの恋人はハーレイじゃなくてサムだよね?…フィシスには敵わなくても…いいんだよね?」
「そ、そりゃ…。ブルーがそうだって言ってくれるなら、俺は全然…」
「よかった。やっぱりここがぼくの世界だ。…ぼくがぼくでいられる世界だ…。少しだけ…サム、少しだけこうしてて。ほんの少しの間でいいから…」
瞳を閉じてサム君の胸に身体を預ける会長さん。普段なら冗談としか思えない光景ですが、どうやらそうではないようで。…「そるじゃぁ・ぶるぅ」が昼食が出来たと呼びに来るまで、会長さんはサム君の腕に抱かれてじっと動かなかったのでした。
昼食は大皿に盛られたパスタと6種類ものパスタソースが用意されていて、好きなのを何種類でも食べられるように取り皿も沢山。ボンゴレだのカルボナーラだのと食べ放題で、会長さんもさっきとは打って変わって元気そうです。サム君の隣に座ってバジルソースのパスタを食べながら…。
「みんなで食事が出来るのって嬉しいよね。…やっと帰ってきたって気がする。サムにもお礼を言わなくちゃ。ぼくを引き戻してくれてありがとう。サムが抱き締めてくれなかったら、今も不安なままだったかも」
「…そんなに怖い所だったのか…。俺、ついてってやれなくてごめん」
「ううん、怖い目に遭ったわけじゃないよ。怖かったのはあの世界と…あの人の記憶。それが無ければ特に問題は無かったんだ。だって歓迎してくれたし」
会長さんは「ぶるぅ」に案内された別世界での出来事を話し始めました。
「最初は唖然とされちゃったよ。ソルジャーやキャプテンの服を着ていないから、仮装なのかと思ったらしい。制服の方が普通でソルジャーの服が非日常だ、って言ったら興味津々で…。そこでぶるぅが言ったんだよね。ぼくとハーレイはテラに住んでて、ミュウなんて言葉は無いんだ、って」
サイオンを持つのに迫害されず、しかもテラに住んでいると聞いて「ぶるぅ」の世界のソルジャーとキャプテンは驚愕したそうです。二人とも会長さんと教頭先生に瓜二つで、シャングリラ号での二人の服とそっくり同じものを着ていたとか。会長さんたちが持って行った服を見せ、シャングリラ号の存在を告げると更に驚き、それからお互いの記憶を見せ合ったのだということでした。
「ああ、でも…あっちのハーレイは補聴器を着けてたよ。細かい部分は色々と違うんだろうけれど…シャングリラの構造もまるで同じさ。ぼくとハーレイは向こうの二人と青の間で話をしてたんだ。ぶるぅが色々こっちの世界のことをしゃべったら、あっちのブルーが子供みたいにはしゃいじゃって。だけどハーレイがぼくの恋人じゃないっていうのは信じられなかったみたいだよ」
本当に違うのか、と何度も念を押されたんだ、と会長さんは苦笑しています。
「だからハーレイが一方的に熱を上げてるだけなんだ…って言ったんだよね。そしたらハーレイが真っ赤になって…。場所が同じ青の間だったせいかな。春休みに青の間でぼくをベッドに押し倒した時の情けない記憶を思念でうっかり撒き散らしちゃった。…ブルーは笑い転げてしまうし、向こうのハーレイは気まずそうに横を向いちゃうし…」
ついでだから普段のヘタレっぷりを全部バラしてやった、と会長さんは得意げでした。教頭先生にはお気の毒としか言えませんけど、バラされちゃったその後は…?
「ぼくがハーレイをからかって遊んでるっていうのは凄く新鮮だったらしい。で、あっちのブルーも…あんな世界で生きてきたくせに、ノリのいいタイプだったんだ。ハーレイがぼくに三百年越しの片想いだって知って、いったい何をやったと思う?」
首を傾げる私たち。会長さんをして「ノリがいい」と言わしめる人の行動なんて当てられるわけがありません。
「…向こうのハーレイとの熱い抱擁。そして濃厚なキスと…甘い囁き」
げげっ。それって会長さんはともかく、教頭先生にはちょっと刺激が強すぎるんじゃあ…。
「ハーレイったら訪問先で鼻血を出してティッシュを貰う羽目になったよ。…ベッドインまで見ていけばいい、と言われたけれど、ハーレイが失血死したら困るし帰ってきた」
クスクスと思い出し笑いをする会長さん。えっと…とりあえず友好的に交流できたってことでいいんでしょうか。
「それでね。…ブルーがテラを見たいんだって。都合がついたら遊びに来たいって言ってたよ」
「「「えぇっ!?」」」
「どうぞって返事しておいたから、近い内に来ると思う。…何を御馳走しようかな?地球ならではの食べ物を用意したいよねえ…」
なんと、会長さんはこの世界での再会を約束してきたみたいです。サム君に縋り付くほど恐ろしい世界だったのは確かですけど、そこのシャングリラで暮らす人たちは怖くないっていうわけですか。…まぁ、あの掛軸は封印されたんですし、私たちが巻き添えを食らわないのなら、どうぞご自由に…。
「ブルー。その…。大丈夫なのか?」
口を挟んだのはサム君でした。
「怖かったんだろう、向こうの世界。うっかり招待したばっかりに、あっちのブルーと入れ替わってしまったらどうすんだよ?…いや、向こうは入れ替わりたいって思ってるかもしれないぜ」
「それは無いよ。あの人は、あの世界ですべき事があるって言っていた。それは自分にしかできないんだ、って。どんなに厳しくて辛い世界でも、あそこが自分の世界だから…って。なのにぼくときたら、みっともないね。入れ替わってしまったら、と想像するだけで怖くてサムにしがみついて…。そんなこと、あの人が許さないだろうに。もし何かのはずみで入れ替わっても自分の世界に帰っていって、ぼくを強制送還してしまうさ」
あの人は本物のソルジャーだから、と会長さんは静かな笑みを浮かべました。シャングリラしか居場所が無いミュウの長で文字通りの戦士だという別世界のソルジャーってどんな人なのでしょう?茶目っ気もあるようですし、いつか会ってみたいような気がしないでもありません。私たちは会長さんの土産話に耳を傾けながら、サボッてしまった学校の下校時刻を遥かに過ぎた夕方までマンションにお邪魔していたのでした。
そんなことがあった週の金曜日。キース君は午後から授業に来ていて、柔道部は今日は朝練だけ。私たちは珍しく7人揃って放課後に「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ入っていったのですが…。
「かみお~ん♪今日はザッハトルテなんだ」
生クリームを泡立てながら「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコ顔。でもテーブルの上にザッハトルテは置かれておらず、代わりに貝殻が幾つも並べてあります。巻貝に二枚貝、小さな桜貝から宝貝まで。それを楽しそうに指先でつついているのは会長さん。その向かい側に座っているのも…会長さん。えぇっ、いったいどうなってるの!?
「こんにちは。…はじめまして、だよね」
貝殻を触っていた会長さんが軽く首を傾げた瞬間、私たちの頭を掠めたのは「ぶるぅ」。この人は掛軸から出てきた「ぶるぅ」と同じ世界から来た…ソルジャー・ブルー?
「うん。この前はぶるぅが驚かせちゃったみたいでごめん。今日はぶるぅは留守番なんだよ。向こうの世界で何かあったら、ぼくは帰らなくちゃならないから…連絡係に残してきた。貴重なタイプ・ブルーでもあるし」
会長さんそっくりのソルジャーは親しげに右手を差し出し、私たち全員と握手して。
「そうか、君がサムなんだね。…ブルーの恋人候補だって?恋人に昇格できるといいね。ハーレイの二の舞にならないように頑張って」
クスクスと笑う様子は会長さんと瓜二つです。恐ろしい世界で生きてきたというのに、この明るさは何なのでしょう?それだけ精神が強い人だってことなのかな…?
「言ったろう、ぼくよりも強い人だって。お昼前に突然ここに現れて…海が見たいって頼まれたんだ。ソルジャーの格好じゃ目立つから制服を貸して、ぶるぅも一緒にちょっと海まで行ってきた。貝殻はそこで拾ったんだよ」
会長さんが渡した箱にソルジャーは貝殻を1個ずつ大切そうに入れてゆきます。SD体制が敷かれた世界では地球は…テラは一旦死滅した世界で、選ばれた人しか住めないのだとか。海はテラの象徴みたいなもので、海の生物は憧れらしいんです。
「テラの海には沢山の貝がいるんだね。それに魚も。…いつか必ずテラに行ってみせる。この貝殻はそのお守り」
ふふ、と笑ったソルジャーに会長さんがウインクして。
「お守りだとか言っているけど、食べちゃったよね、サザエの壷焼き。あれも貝だよ?…美味しいって喜んでたお寿司のネタにも貝が色々あったっけ。赤貝にホタテ、アワビにトリガイ…」
「それとこれとは話が別。…だいたい君が言ったんじゃないか。テラに来たんなら海の食材を食べるべきだって」
「そうだっけね。お寿司が大丈夫だったんだし、次は活魚料理の店に踊り食いでも食べに行く?生きた海老とかをそのまま口に入れるんだけど」
お寿司も初めてだったらしい人にハードルの高そうな提案をする会長さんでしたが、ソルジャーは「面白そうだ」と微笑みました。
「…ぼくは食べるのが面倒で小食になりがちなんだけど…今日は思い切り食べたって気がするよ。こんな休日も悪くない」
そこへ「そるじゃぁ・ぶるぅ」がホイップクリームをたっぷり添えたザッハトルテのお皿を配り、ソルジャーは一口食べて嬉しそうに。
「美味しいね。ここのぶるぅは料理が上手で羨ましいな。ぼくのぶるぅは食べるの専門で、しかも大食い」
掛軸から飛び出してきた「ぶるぅ」は大食いで悪戯好きなのだ、とソルジャーは教えてくれました。こうして話していると、SD体制も成人検査も悪い冗談のように思えます。でも…本当のことなんですよね?会長さんの制服を着たソルジャーは私たちと普通におしゃべりをして、会長さんとふざけあって…アッという間に時間が過ぎて。
「もうシャングリラに帰らなきゃ。…夕方には戻るよってハーレイと約束してきたから」
立ち上がって奥の部屋に行ったソルジャーは、紫のマントが印象的な衣装に着替えて戻ってきました。貝殻を入れた箱を手に取り、部屋をぐるっと見回して。
「テラの海も、みんなと話すのも、食べるのも…楽しかったよ。ありがとう。また、ぶるぅが遊びに来たらよろしくね。ぼくも…いつか機会があれば…」
シャングリラをそう簡単に離れるわけにはいかないから、と言うソルジャーに会長さんが小さな箱を差し出して。
「そんなことじゃないかと思った。…ソルジャーだものね。だけど、出会ってしまったから…知らなかった頃のようにはいかない。また来て欲しいし、そうなるように…そして君がテラに行けるように祈ってる。開けてみて。これはぼくから贈るお守り」
「………?」
私たちが注目する中、ソルジャーが開けた箱の中には血のように赤い石が1つ入っていました。ソルジャーの襟元の赤い石と同じ大きさに見える真紅の石。
「珊瑚だよ。綺麗な海でしか育たない海の生き物。ほら、こんな姿。…知らないかな?」
会長さんが思念で情報を送ったらしく、ソルジャーは頷いて赤い珊瑚に視線を落とすと…。
「ぼくの世界では人工の水槽の中で育つものだ。…これは海で育った珊瑚なのか?」
「うん。養殖はしていない。君がここへ来たいと言った時、海を見たいと思っているのが分かったから…帰ってきてすぐに用意したんだ。ぼくの世界では珊瑚は幸運のお守りで、魔よけ。テラの海で育った珊瑚だからね、きっとテラへと導いてくれる。襟元の石と取り替えてもいいし、持っていてくれるだけでもいいよ」
真紅の珊瑚に会長さんがそっと手を触れ、青いサイオンでほんの一瞬、包み込んで。
「これがテラへの道しるべになるように…って祈っておいた。だからこの世界のテラにも、きっと来られる。せっかく会えたんだし、何度でも…君が飽きるまで何度でも遊びに来ればいい。そうだろう?」
「…そうだね。ぼくも本当は何度だってここに来たいんだ。ありがとう…大切にするよ、テラの珊瑚」
もったいなくて使えないかもしれないけれど、と小さく笑ったソルジャーは私たちに別れを告げてフッと姿を消しました。別の世界へ帰ったのです。「ぶるぅ」が天国のようだと喜んだ私たちの世界でほんの半日の休暇を過ごして、またソルジャーとして生きてゆくために。
「…行っちゃったね…」
ポツリと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が呟き、キース君が。
「俺があの掛軸を持ち込まなければ、あの人はこんな世界を知らずに生きていけたんだよな。…くそっ、世の中には知らない方が幸せなことが沢山あるっていうのに、よりにもよって天国と地獄みたいな差を見せちまうなんて…」
「いいんだよ、キース。あの人はこの世界を知って希望が持てたと言っていたから。こんな世界に辿り着けるよう、その日まで頑張って生き抜くんだ…って。あの掛軸に力づけられたのさ」
憧れていた理想の世界を見たんだしね、と会長さん。掛軸に描かれた『月下仙境』から繋がった別の世界は思いも寄らない恐ろしい所で、私たちの世界の方が仙境の名に相応しくて。ミュウの未来を背負うソルジャーや、ソルジャーの友達を捜しているという「ぶるぅ」にまた会える日が来るでしょうか?…この世界で安らいで貰えるのなら何度でも遊びに来て欲しい…と私たちはソルジャーが消えた辺りを見つめて願わずにはいられませんでした。いつかまた、笑顔で再会できますように。待ってますからね、「ぶるぅ」、そしてソルジャー・ブルー…。