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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

災難な日  第3話

男子の部に最初に出場すると決まった1年A組。何をさせられるのか分からない男子が騒ぎ始めましたが、キングサーモンもオヒョウも運ばれてくる様子はありません。釣竿だって出てきませんし…準備に手間取っているのでしょうか? 運び込むのも大変なほど凄い大物が届くとか…?
「クジラって寒い海にもいるんだっけ?」
一番クジを引いてしまったジョミー君が心配そうに言い、キース君が。
「…考えたくないが、北極にもいる。角が生えたヤツも北極の筈だ」
「も、もしかして…一本角の…」
「ああ、イッカクだ。正確には角じゃなくって牙だがな」
「そ、それって…釣るの、難しそうだね…」
「餌は普通にイカとか魚だったと思うぞ。ただ、あの角がどう影響するか…」
釣りの獲物は一本角のクジラかも、という噂は瞬く間にプールサイドに広がり、みんなが固唾を飲んで見守っている中、ブラウ先生がマイクを握りました。
「さあ、お待ちかねの男子の競技を発表するよ! 男子の方は釣りじゃない。男は男らしく、しっかり泳いでもらおうじゃないか。名付けて夏の寒中水泳!」
「「「えぇぇっ!?」」」
悲鳴に似たどよめきが起こり、男子の顔色が変わります。寒中水泳って…このプールで…?
「えぇっ、じゃないよ。さっきリレーって言ったじゃないか。嫌ならクラスごと棄権するんだね。まぁ、水は冷たいし、片手だろうが片足だろうが、水に漬ければ出場したとカウントしよう。ただし、競うのは制限時間内に泳いだ距離だ。一番長い距離を泳いだクラスが優勝だよ」
クラスの男子全員が出場すれば、誰が何メートル泳ごうが、何回泳ごうが構わない…とブラウ先生。
「泳いだ後は寒いからね、あっちにテントを用意した。ストーブもあるし、ぜんざいもある。風邪を引かないよう、十分に温まってから応援場所に帰ること。それじゃ一番のクラスは準備して。どてらは自分の順番が来るまで羽織ってていいよ」
「……嘘……」
あんまりだ、とジョミー君が嘆きました。
「無茶苦茶だよ、あんな寒そうなプールで泳ぐなんて!」
「ブルーが出場禁止になるわけですよね…」
溜息をつくシロエ君。厚い氷を切って作られたプールは見るからに冷たそうな色をしています。震え上がっている男子でしたが、その中にやたら元気なのが一人。
「かみお~ん♪ やっぱりぼくが一番でいいの? 釣りじゃなかったし、お料理でもないけど」
「「「ぶるぅ!?」」」
寒くないのか、とみんなに質問された「そるじゃぁ・ぶるぅ」はケロリとした顔で。
「ん~とね、ぼくも冷たいと思うよ。だからシールドするんだもん。シールドしちゃえば平気だもんね」
「「「シールド!?」」」
なんだそれは、と首を傾げる男の子たちに会長さんが。
「ぶるぅの力の一つだよ。見えない膜のようなもので身体を包み込んでしまうんだ。氷水はもちろん、真空でも平気。だから、ぶるぅは問題ないけれど…君たちはどうする? 手足を漬けるだけっていうんじゃ楽しくないね」
ここは泳いでくれなくちゃ、と他人事のように言ってますけど…。そうか、女子の部なんだから他人事でしたっけ。スクール水着の恨みをこんな所で晴らす気ですか?

寒中水泳と知って青ざめている男子を他所に、会長さんが手を上げました。
「ブラウ先生、質問です!」
「なんだい?」
「プールに入れるのは一人だけですか? 最初からずっと入りっぱなしのメンバーがいてもいいですか?」
「…ふぅん?」
ブラウ先生は1年A組の男子をぐるっと見渡し、会長さんに視線を戻して。
「それは愉快な話だねぇ。ずっと浸かっていたいっていう酔狂なのがいるわけか。オッケー、全然問題ないよ。要はクラスの男子全員が水に入ればいいんだからさ」
「分かりました。…ありがとうございます」
会長さんは男子の方を振り向き、「そうだって」と微笑みました。
「ぶるぅのシールドは一緒にいる人にも有効なんだ。寒いのが嫌なら、ぶるぅを背負って泳ぎたまえ。そうすれば寒さを防ぐことができる」
「「「マジで!?」」」
「ぼくは嘘なんかつかないよ。…ね、ぶるぅ?」
「うん! みんな、ぼくをおんぶして泳いでくれるの? 楽しそう!」
大はしゃぎの「そるじゃぁ・ぶるぅ」を連れて男子は氷の上の特設プールに向かうことになりましたが…。
「「「寒っ!!!」」」
ラクダ色のシャツやズボンを脱ぐと、やっぱり寒いみたいです。どてらだけを着て裸足で氷に踏み出すと「寒い、冷たい」と泣き言が…。けれど「そるじゃぁ・ぶるぅ」だけは、どてらも着ずにピョンピョン跳ねて御機嫌です。
「ぼく、いっちば~ん! それにおんぶで泳ぐんだ♪」
男子が特設プールの端に並ぶと、シド先生がダウンジャケット姿でホイッスルを持ち、氷の上に現れました。
「用意はいいか? いきなり飛び込むのは身体に悪い。自分の番が近づいたら前もってプールに入っておくのがいいと思うぞ。では、一番の生徒は前に出て」
「かみお~ん♪」
元気よく進み出た「そるじゃぁ・ぶるぅ」が氷のプールの端に立ちます。
「ぼくね、飛び込んでも全然平気! ね、ね、時間はいっぱいあるんだよね?」
「そうだな。普通に泳げば全員が一往復して、更に自信のある者が何往復か出来るだけの時間は取ってある」
「やったぁ! じゃあ、ぼく、何回か泳げるね。みんなと約束したんだもん」
エヘンと胸を張る「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、クラス全員が泳いだ後に制限時間が来るまで一人で泳ぐという計画になっていました。シド先生のホイッスルが鳴って。
「かみお~ん!」
ザッパーン! と飛び込んだ小さな身体が凄いスピードで泳いでゆきます。アッと言う間に向こう側に着き、折り返してくる中、プールの縁に近づいたのはジョミー君。一番クジを引いた責任を取らされ、本当に「そるじゃぁ・ぶるぅ」を背負えば大丈夫なのかを調べるための人身御供にされたのでした。恐る恐るプールに右手を突っ込み、慌てた様子で引っ込めています。
「大丈夫かしら、ジョミー? …凄く冷たそうよ」
心配顔のスウェナちゃん。ジョミー君の右手は真っ赤でしたが、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が戻ってきたのでエイッとどてらを脱ぎ捨てました。そこへ泳ぎ着いた「そるじゃぁ・ぶるぅ」が氷の縁に手を掛けて。
「ジョミーの番だよ! ほら、こっち!」
「わぁっ!!」
ドボン! ジョミー君は見えない力に引かれたように水中に落ち、背中に「そるじゃぁ・ぶるぅ」を乗せる形で浮かび上がって泳ぎ出します。冷たさなんか平気に見えるのはシールドのおかげ…?
「ぶるぅのシールド、凄いだろう?」
会長さんがニッコリ笑って特設プールを指差しました。
「1年A組の男子は全員、無事に往復できる筈だよ。…中には強情なのもいそうだけども」
「「「???」」」
「キースとシロエ。…キースは柔道部の意地でシールド無しで泳ぐんじゃないかな。キースがそうすれば、負けず嫌いのシロエもそうする。うちのクラスで本物の寒中水泳を見せてくれそうなのは、あの二人だね」
ジョミー君は見事に泳ぎ切り、安全を確認した男子たちが次々と「そるじゃぁ・ぶるぅ」を背負って泳ぎます。もっとも「そるじゃぁ・ぶるぅ」が離れた途端にシールドが切れ、寒さが襲ってくるようですけど。…ジョミー君たちはテントの中で服を着込んでストーブにあたり、おぜんざいを啜っていました。そうこうする内にキース君の番が来て…。
「ぶるぅ、俺にお前は必要ない」
そこで見ていろ、と格好よく飛び込むキース君。水が冷たいせいか普段よりもスピードが落ち、肌も赤くなっているのに、ちゃんと泳いでターンして…。戻ってきたキース君と入れ替わりに飛び込んだのはシロエ君でした。こちらも一人で泳ぐと言い切り、「そるじゃぁ・ぶるぅ」はつまらなそうにプールに浮かんでいます。
「キース君もシロエ君も、すご~い!」
「かっこいいわよね」
キャアキャア騒ぐ女の子たち。会長さんは憮然とした顔で…。
「ぼくだって泳ごうと思えば泳げるのにさ。ちぇっ、それなのに女子だなんて」
会長さんの場合はシールドを張って泳ぐのでは…と思いましたが、スウェナちゃんも私も黙っていました。アルトちゃんとrちゃんは「身体を大事にして下さい」と心から心配している様子。…そう簡単にくたばるような人じゃないですよ、と言ってあげても、二人とも信じはしないでしょうねえ…。

シロエ君の後、残りの男子が「そるじゃぁ・ぶるぅ」を背負って泳いでも時間はたっぷりありました。寒さ知らずの「そるじゃぁ・ぶるぅ」は終了の合図のホイッスルが鳴るまで、何度もプールを往復してからテントに走って行きましたけど、お目当てはおぜんざいだったみたいです。そんな1年A組に敵うクラスがあるわけもなく…。
「なんだよ、順番に手を漬けているだけじゃないか」
「俺たちの手前、棄権だけはしたくないってことだろうぜ」
みっともない、と他のクラスを指差して笑う男子たち。自分たちだって「そるじゃぁ・ぶるぅ」がいなければ泳げなかったくせに、喉元過ぎればなんとやら…です。果敢に泳ぐ人は運動部の人か特別生。特別生は恐らくシールド効果でしょう。とはいうものの、その人たちも一往復が限界で…。
「競技終了!」
ホイッスルが鳴り、ブラウ先生が進み出ました。男子の部は1年A組の勝利。学年一位も学園一位もゲットです。
「おめでとう、1年A組は男子も女子も見事学園一位だよ! 今年の学園一位の副賞は先生方との雪合戦だ」
「「「雪合戦!?」」」
驚いている私たちの前で、職員さんたちが大量の雪を運んで来ました。
「プールから切り出した氷で作った人工雪さ。これを1年A組の生徒全員と、先生チームとでぶつけ合う。特にルールは設けないから、勝ち負けも無し。ただ楽しめばいいんだけども、落ちないように注意しとくれ」
特設プールの周囲に落下防止のロープが張られて、氷の上に人工雪が撒かれます。これは手袋が役立ちそう! 穴釣り用に開けられた穴も丁寧に埋められ、私たちは思いがけないイベントにワクワクしながら準備が整うのを待ちました。フカフカの人工雪はかなりの量がありそうです。それを見ながら会長さんが。
「先生チームとの戦いとなると、雪玉は多いほど有利だよねぇ? よし、ぶるぅとぼくが雪玉を作る。君たちは投げるのに専念したまえ。勝ち負け無しでも、先生方を圧倒したいと思うだろう?」
それはもちろん、と一斉に頷くクラスメイト。
「ぼくたちの雪玉はスペシャルだよ。出来上がりを楽しみにしててほしいな」
自信たっぷりな会長さん。やがて氷のプールは水面を残して白い雪で埋まり、対戦相手の先生方の登場です。教頭先生、シド先生、グレイブ先生、ゼル先生…。もちろんブラウ先生やミシェル先生も。マイク担当はエラ先生に代わりました。
「1年A組の皆さん、用意はいいですか? 草鞋を履くのを忘れないようにして下さいね。雪合戦は二十分間です。興味の無い人は雪だるまを作っていてもいいですよ。その場合は参加していないことを示すために帽子をかぶっていて下さい」
帽子はこちら、と黄色い帽子を積み上げた机を示されましたが、取りに行く人はいませんでした。全員、やる気満々です。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」特製のスペシャル雪玉の威力はどんなものでしょう?
「あらかじめ作れるわけじゃないから、最初は自力で戦って。…完成したら合図をするよ」
会長さんが雪玉の製造場所に決めたのは特設プールのすぐ隣。運び込まれた雪の残りを積み上げた山があったのです。エラ先生の「はじめっ!」の声で、私たちは雪で埋まったプールの上に飛び出しました。

全校生徒の声援の中、激しく雪玉が飛び交います。足元の雪を丸めては投げ、丸めては投げ…。先生方の方が少人数の筈なのに圧倒されてしまいそうなのは、よほど要領がいいのでしょうか。
「かみお~ん♪ 雪玉の用意、できたよ!」
大きな声に呼ばれて行くと、雪玉が山盛りになっています。みんな早速、それを掴んで投げ付けると…。
「「「わぁっ!!」」」
避けそこなった先生方に当たった雪玉が炸裂し、派手に白いものが飛び散りました。雪煙というヤツです。どんな作り方なのか分かりませんけど、当たるとしばらく視界を妨害できるみたい。先生方からの攻撃は止み、一方的に私たちが攻め始めます。雪玉は次々に補充され、もう楽しくてたまりません。
「あっちじゃ、あっちで雪玉を作っておるぞ!」
ゼル先生の悲鳴が上がりましたが、もう先生方は雪玉を作る余裕も無いようでした。屈み込んで雪を握ろうとすると、すかさず雪玉が飛び込んできて視界が真っ白になってしまうのですから。…ん? グレイブ先生がいない…?
「そこだぁーっ!!!」
グレイブ先生の叫び声が響き、雪玉製造基地に人影が乱入するのが見えました。
「反則だろ、グレイブ!」
「やかましい! 雪玉さえ使えば反則ではない!」
会長さんとグレイブ先生が言い争った次の瞬間、凄まじい雪煙が上がります。どうやらグレイブ先生は会長さんのスペシャル雪玉を盗みに入ったようでした。
「おい、やばいぞ!」
「俺たちの雪玉を盗られてたまるかーっ!!」
「かみお~ん!」
たちまち雪玉製造基地の周囲が戦場になり、大乱闘の合間を縫って「そるじゃぁ・ぶるぅ」が追加の雪玉を転がしてきます。雪煙で何がなんだか分からないまま、この辺りだと見当をつけた所へ雪玉を投げまくる私たち。先生方は雪玉製造基地を制圧すべく、じりじりと包囲網を狭めていました。と、その時…。
「あっ!?」
「ブルーっ!?」
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の声が聞こえ、落下防止用のロープが外れて宙に。投げ出された会長さんの身体がプールに向かって落ちてゆきます。
「「「きゃあぁぁ!!!」」」
「ブルーっっっ!!!」
激しい水音と飛沫が上がり、もうダメだ…と思ったのですが。会長さんは水に落ちてはいませんでした。代わりに落ちた……いえ、飛び込んだのは教頭先生。両腕でしっかりと会長さんを抱え、濡れないように支えています。
「おぉっ、ハーレイ、よくやった!」
ゼル先生が嬉しそうに叫び、シド先生とグレイブ先生が会長さんを助け上げました。雪合戦はもちろん中止。会長さんは乱闘の最中に足を滑らせてしまったらしいのです。
「ブルーが落っこちなくて良かったよ」
なにしろ身体が弱いんだから、とブラウ先生。
「で、ハーレイ。…あんた、いつまで我慢大会してるんだい? 殊勲賞なのは分かったからさ、さっさと上がって着替えてきな」
「………」
「なんだい、動けないっていうんじゃないだろうね? え? なんだって?」
ブラウ先生が屈み込み、他の先生方も教頭先生の近くに寄って行って…。それから間もなく担架が運び込まれ、プールから引っ張り上げられた教頭先生は会場の外へ搬送されてゆきました。いったい何が起きたのでしょう? 負傷だとしか知らされないまま、表彰式が済み、人騒がせな水泳大会は無事に終了したのでした。

どてらと縁の切れた放課後、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に顔を揃えた私たち。寒中水泳を披露したキース君とシロエ君も元気一杯で宇治金時を食べています。プールは凍っていましたけれど、外はしっかり暑いんですから。
「結局、教頭先生はどうなったんだ?」
首を傾げるキース君。今日は部活の無い日ですけど、明日からの柔道部の稽古を思えば心配になりもするでしょう。
「どうって…運ばれていったじゃないか。まりぃ先生の付き添いで」
会長さんの答えにキース君の顔が険しくなります。
「まりぃ先生が…付き添い? すると保健室ではないんだな」
「うん。まりぃ先生、応急処置に悩んでいたよ。冷やせばいいのか、温めればいいのか…って。保健室には珍しいからねぇ、ギックリ腰は」
「「「ギックリ腰!?」」」
「そう。とりあえずノルディの病院に運ばれて行った」
後はお任せ、と会長さん。
「しばらく安静にするしかないだろう。柔道部の指導は無理だと思うよ」
「ギックリ腰って…教頭先生ほどの人が…」
信じられない、と呟くキース君。日頃、筋肉を鍛えている教頭先生が会長さんを受け止めたくらいでギックリ腰になる筈がないと言うのです。
「うーん…。そう言われると責任を感じちゃうな。…素直に落ちていればよかった」
「「「は?」」」
落っこちたんだと思いましたが、違うんでしょうか? 会長さんは苦笑しながら。
「落ちかけたのは確かだよ。…でも、あんな冷たいプールに落ちたら間違いなく風邪を引くだろう? シールドを張って濡れるのを防ぐか、水に落ちるのを食い止めるか。それで落ちない方を選んだ。ぶるぅに助けて貰ったんだ、と言うつもりでね」
「「「落ちない方?」」」
「サイオンで宙に浮いたんだよ。そこへハーレイが飛び込んできた。ぼくを受け止める気で身がまえたのに、ぼくの体重が消えてたら…どうなると思う? 筋肉は全て空回り。おまけに水は氷のようだし、ギックリ腰になるのも無理はない。…申し訳ないことをしたかな」
なんと! 教頭先生、これではまるで犬死にです。いえ、死んだわけではありませんけど…。
「君たちも犬死にだと思うかい? ちょっと気の毒すぎただろうか」
「難しいところだな…」
キース君が考え込み、ジョミー君が。
「犬死にだとは思わないよ。ゼル先生たちも誉めてたんだし、ブルーを助けて正解でしょ?」
「だけど必要なかったんです。…ぼくは犬死にだと思いますが」
シロエ君も加わり、サム君は…。
「俺なら犬死にでも気にしないなぁ。ブルーが無事で良かった、って思うだけでさ」
流石はサム君。教頭先生と同じ目に遭っても、後悔したりはしないのでしょう。会長さんは空になった宇治金時の器をじっと見詰めていましたが…。
「ハーレイが好きでやったことだし、放っておこうと思ったけれど…。ぶるぅ、今日からハーレイの家に行ってくれるかな? ギックリ腰だと家事をするのも大変そうだ」
「オッケー! でも、ブルーは?」
「ぼくは一人でも大丈夫。いざとなったらフィシスもいるし」
「そうだね。じゃあ、ぼく、お手伝いに行く!」
何が要るかなぁ、とメモをし始める「そるじゃぁ・ぶるぅ」。会長さんったら、なんだかんだと苛めていても、教頭先生を大事に思ってはいるんですねぇ。

翌日、教頭先生は欠勤でした。ギックリ腰だと噂が広まり、意外な事にアルトちゃんが涙目です。ファンだったらしく、寮に戻って秘伝の塗り薬を取って来ました。届けてあげて下さい、と渡されたものの、どうしたら…?
「おや、珍しいものを持ってるね」
会長さんが塗り薬の瓶に目を留めたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋です。終礼が済んで行ってみると、お部屋の主はいませんでした。
「ぶるぅはハーレイの所だよ。みんなでお見舞いに行こうと思ってたんだ。ぼくが一人でハーレイの家に行くのは止められてるから…。その薬もお見舞いの品なのかな?」
「アルトちゃんの家に伝わる秘伝の薬らしいです」
「いいね、ハーレイが喜ぶよ。花屋さんに注文した花も入荷してるし、バッチリだ」
柔道部三人組も揃っているので、私たちはすぐに出発しました。バスで教頭先生の家の近くまで行って、花屋さんに寄って、教頭先生の家に着くと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が門扉を開けてくれて。
「かみお~ん♪ ハーレイ、ベッドから全然動けないんだ」
「そうみたいだね。だからお見舞い」
会長さんが先頭に立って二階の寝室に向かいます。教頭先生は本当に寝込んでいました。
「こんにちは、ハーレイ。…昨日は、その…ぼくのせいで…」
「ブルー…。わざわざ見舞いに来てくれたのか?」
「うん。これ、ぼくの気持ち。暑い時期でも、ある所にはあるものだね」
ベッドサイドに置かれたものはシクラメンの鉢植えでした。キース君が必死になって止めたのですが、会長さんは譲らなかったのです。「鉢植えは根があって、寝付く。シクラメンは死苦に通じるから駄目だって言うんだろ? そこがいいんだ」と。
「はい、シクラメンの花言葉。…ハーレイ、こういうのには疎そうだし」
会長さんが渡したカードを開いた教頭先生は感無量でした。
「そうか、はにかみ・内気…切ない私の愛を受けて下さい…か…。冗談だと分かっていても嬉しいものだな」
「ふふ、鉢植えでも喜ぶんだ」
「何か言ったか?」
「ううん、なんにも。…それより、ギックリ腰に効く塗り薬を貰ってきたんだよ」
アルトちゃん秘伝の塗り薬の瓶を取り出した会長さんは、赤い瞳を悪戯っぽく輝かせて。
「ぼくが塗ってあげる。そんな状態じゃ塗れないだろ?」
よいしょ、と布団を剥がれた教頭先生は耳まで真っ赤になりました。
「ちょ、ちょっと待て、ブルー! その薬は何処に塗るものなんだ?」
「患部に決まっているじゃないか。ギックリ腰だから腰だよね。…あ、女の子は外に出てて。トランクスを脱がさなきゃいけないから」
スウェナちゃんと私が外に出た後、扉の向こうで何があったのかは知りません。防音なので全く聞こえなかったのです。再び呼び込まれた時、教頭先生は脂汗を浮かべてベッドの上で唸っていました。
「…おかしいなぁ…。ちゃんと薬を塗ったのに」
部屋の中には怪しげな匂いが満ちています。ジョミー君たちの話によると、塗り薬はこの世のものとも思えない悪臭を伴っていたらしいのですが、薬には違いない筈ですし…教頭先生は何故苦しんで…?
「あんたが無茶な動きをさせたんじゃないか!」
キース君の怒鳴り声を会長さんはサラッと聞き流して。
「あれはハーレイが悪いんだ。ぼくは薬を塗っているだけだったのに、一人で勝手に盛り上がった挙句に鼻血まで出してしまうんだからさ」
ねぇ? と妖艶な笑みを浮かべる会長さん。
「治るまで毎日、塗りに来た方が良さそうだね。なんなら入浴も手伝おうか? 隅から隅まで洗ってあげるよ」
教頭先生の返事は返ってきませんでした。腰が相当痛むようです。塗り薬の効果が出てきたとしても、今日のような調子で薬を塗りに来られたのでは、全てが元の木阿弥に…。けれど会長さんは気にする風もなく、満足した顔で微笑みました。
「人の役に立つって気持ちいいよね。鼻血が出るほど喜んでくれたし、明日もお見舞いに来る事にするよ。家事はぶるぅに任せておいて、ぼくは塗り薬を塗ってあげるんだ。治ってきたら、お風呂にも入れてあげなくちゃ。ぼく一人だと危険すぎるから、誰かに手伝ってもらって…ね」
視線の先にいたキース君とジョミー君が慌てて首を横に振りましたが、会長さんは知らん顔。こうと決めたら譲らないのが会長さんのやり方ですし、お風呂はともかく、塗り薬は決定事項でしょう。ギックリ腰は全治1、2週間らしいのですけど、なんだかそれよりも長引きそうな…。
「じゃあ、今日はこれで帰るから。ぶるぅ、ハーレイをよろしく頼むよ。シクラメンの世話も忘れずにね」
「うん! ぼく、頑張る♪」
まだ呻いている教頭先生に軽く手を振って、会長さんは寝室の扉を閉めました。アルトちゃん秘伝の塗り薬、とんでもない使われ方をしちゃいましたが、いいんでしょうか?
「大丈夫だよ。あの薬、効き目は確かなようだ。…悪化したように見えてるけれど、明日にはグッと痛みが和らぐと思う。それにハーレイがいい思いをしたのも確かな事実さ。天国と地獄は紙一重…ってね」
クスクスクス、と笑う会長さん。いい思いって…やっぱり塗り薬を塗ってる間に色々と…? どこまでも悪戯好きな会長さんが贈ったお見舞いの花はシクラメン。おまけにしっかり鉢植えですけど、花言葉で騙されちゃった教頭先生、心から感激していそうです。ギックリ腰になった甲斐があった、なんて思っていたら可哀想すぎて涙もの。教頭先生、一日も早く腰を治して学校に復帰して下さ~い!




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