シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
フィットネスクラブで恐ろしい話を聞いてしまった私たち。数学同好会が男子シンクロの秘密特訓をしていることをウッカリ喋ってしまったが最後、ジョミー君やキース君たちも学園祭で男子シンクロを披露しなければいけないのです。絶対に口に出さないように頑張り続けて日は過ぎて…。
「諸君、おはよう」
グレイブ先生が不機嫌な顔で登場しました。教室の一番後ろには会長さんの机が増えています。出席を取ったグレイブ先生はプリントを配り、そこには『校外学習のお知らせ』の文字が。
「残念なことに、またまた授業時間が潰れるのだよ。来週、校外学習がある。諸君には楽しいお出かけだろうが、私は残念でたまらない。…まあ、私ごときが学校行事を左右できる筈もないのだがな」
そんなグレイブ先生を他所にクラスメイトはプリントを眺めて喜んでいます。行き先は水族館で一日自由行動ですから、授業より楽しいに決まってますし! 会長さんはプリントを鞄に仕舞い、1時間目が始まる前にさっさと姿を消してしまって終礼にも出てきませんでした。次に会えたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋です。
「やあ。今日も勉強お疲れ様」
先に食べてるよ、と会長さんが指差したのはヨーグルトケーキ。私たちの分も「そるじゃぁ・ぶるぅ」がいそいそと用意してくれて…。
「かみお~ん♪ 来週は水族館だよね! ぼくも行くんだ♪」
今年もちゃっかり申し込み済みらしいです。イルカが大好きな「そるじゃぁ・ぶるぅ」は楽しみでたまらない様子。去年はショーに出てましたけど、今年も何かするのかな?
「えっとね、今年は見るだけだって。…でもイルカさんと握手は出来るよね」
頑張って一番に並んでいれば、と張り切る姿はとても可愛く、私たちは今年もイルカショーをメインに見学することになりそうでした。三回目ともなれば水族館もお馴染みですし、珍しい魚が増えたという話も聞いてませんし…。
「今年はキースもみんなと一緒に来られそうだね」
会長さんの言葉にキース君は「ああ」と大きく頷きました。
「おかげさまで法務基礎の方は順調だしな。去年は焦っていたかもしれん。…入学したてで余裕がなくて」
「ふふ、一年経って大学生らしさが身についたかな? 朝のお勤めなんていうのは最低限をこなしていればいいんだよ。君の場合は毎朝家でもやってるわけだし、必要な単位が取れさえすれば問題はない」
「…先輩たちにもそう言われた。適当に手を抜かないと持たないぞ…とな」
だから今年はサボッてみる、とキース君。去年のキース君は大学で行われる朝のお勤めに出席しなければならないから、と水族館には現地集合だったのでした。その御縁でキース君の大学を見学しに行ったのもいい思い出です。あれから一年経ったんですねえ…。
「ところで、キース」
改まった口調の会長さん。
「法務基礎が順調ってことは、この秋は最初の道場入りだね。サイオニック・ドリームは全然ダメだし、このまま行くとショートカットにするしかないか…」
「………」
沈黙が落ち、キース君はポケットからコンパクトミラーを取り出しました。銀色の蓋に四つ葉のクローバーが彫られたそれは会長さんからの贈り物。この鏡に映るキース君の姿はもれなく坊主頭に見える仕掛けになっています。キース君はミラーを開けて覗き込み、パチンと閉めて。
「…まだ夏休みが間にあるしな。努力を惜しむつもりはない。ジョミーと違って俺の場合は切実なんだ」
「えっ、ぼく? ぼくはお坊さんになんかならないし!」
知らないよ、と言うジョミー君はキース君と一緒に坊主頭に見せかける練習をする仲ですけど、進歩は全くありませんでした。キース君の方は少しずつ坊主頭をキープできる時間が増えて5分の壁をようやく越えた所です。秋に控える道場入りにはショートカットが条件なのだと前から聞いてはいましたが…キース君、大丈夫なんでしょうか?
「ジョミーは無視して俺は頑張る。…このヘアスタイルを死守してみせるぞ。でないとブルーに何をされるか…」
「分かってるじゃないか。銀青として考えるんなら無理やり坊主は却下だけども……ただのブルーとなれば話は別でね。嫌がる君を坊主にするのは楽しそうだし、君のお父さんも喜ぶだろうし…」
指で鋏を真似る会長さんは悪戯小僧の顔でした。キース君がサイオニック・ドリームをモノに出来なかった場合は道場入りに合わせてショートカットどころか坊主頭にしてしまうかも…。秋までは長いようですけども、会長さんや「そるじゃぁ・ぶるぅ」、それにソルジャーや「ぶるぅ」なんかと遊んでいればアッと言う間に日が経ちます。今日だってすぐに帰る時間で…。
「じゃあ、また明日ね」
「かみお~ん♪ また来てね!」
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」に見送られて影の生徒会室を出る私たち。今日のおやつも大満足の味でした。この部屋を溜まり場にして2年以上になりますけれど、ホントに素敵なお部屋ですよね。
そして校外学習の日。1年A組のバスには当然のように会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が乗り込んで来て、キース君も学校に集合で……水族館に着くと即、自由時間。会長さんはアルトちゃんとrちゃんを呼び止め、ラッピングされた包みを手渡しています。
「なんだ、あれは?」
首を傾げるキース君にシロエ君が。
「ぶるぅのマカロンじゃないでしょうか。去年も渡していましたし」
「…マカロン?」
「思い出のプレゼントだとか何とか言って、会長が持って来たんです。…先輩、去年は後から合流しましたしねえ…。現場は目撃してないでしょう?」
「…思い出のプレゼントだと? どうしてそこでマカロンなんだ」
分からんぞ、とキース君が言った所へ会長さんが戻ってきて。
「そうか、キースは知らないのか…。アルトさんたちへの最初のプレゼントっていうのがね、此処で渡したマカロンなんだ。君たちが普通の1年生だった時のことさ。…思い出の場所で思い出のプレセントを渡すと言うのは基本だろう? 今年はアルトさんたちも特別生になってくれたし、思いをこめてプレゼント」
凝った入れ物を用意してきたらしいのですが、詳しい話は内緒だそうです。アルトちゃんたち、幸せそうな笑顔でしたし、イニシャル入りとかの特注品になってるのかな…?
「だから内緒。君たちとレディーじゃ待遇が違う」
教えないよ、と会長さんは唇の端に笑みを刻んでみせました。
「ぼくの大事なレディーたちには紳士の顔でいなくちゃね。…悪戯好きはもうバレてるし、治そうって気にもならないけどさ。…で? 一番に見るのはイルカショーかな?」
「かみお~ん♪ 先に行ってるね!」
イルカさんと握手するんだもん、と駆け出していく「そるじゃぁ・ぶるぅ」。私たちもゲートをくぐってイルカショーのスタジアムに行き、去年の大騒動を思い返しながらショーを見て…。会長さんがゼル先生とドルフィン・ウェディングをやらかしたスタジアムでは今年もイルカたちが飛び跳ねています。
「…平和だね…」
ジョミー君が漏らした言葉に私たちは頷き合いました。イルカと握手した「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大喜びでしたし、スタジアムの入口に掲示されたショータイムに貸切の文字はありません。今年の校外学習は平穏無事に終わりそうだ、と向かった先はメインの建物。クリスマス・シーズンにはサンタに扮したダイバーが現れたりする大水槽はジンベエザメが目玉でした。
「あれ? 何か配っているのかな…?」
並んでるよ、とジョミー君が指差した先には行列が。シャングリラ学園の生徒が連なっていますけど…。
「えっと…? 運だめしって書いてありますよ?」
マツカ君に言われて目を凝らすと入口の傍に看板があり、そこから列が始まっていました。でも…運だめしって何でしょう? 私たちの視線はごくごく自然に会長さんの方へ…。
「百聞は一見に如かず。並んでみればいいじゃないか」
せっかくだから、と微笑む会長さんに連れられて最後尾につくと、看板の横に置かれた机に真っ白な亀が沢山置かれています。陶器製らしき小さな亀で、順番が来ると一個選べるようでした。
「亀の甲羅に名前を書いて下さいね」
係の女性の説明によると、亀のお腹に貼られたシールの下にマークがついているのだとか。そのマークに当たり外れがあるそうですけど、今すぐ分かるというわけじゃなくて…。
「大水槽に入れるんですよ。それをダイバーが回収してからシールを剥がす仕組みです。シャングリラ学園の生徒さん限定で先着百名様となっております」
亀は残り少なくなっていましたが、私たちの分は十分に数がありました。話を聞くと無料でしたし、一個ずつ選んで名前を書き入れ、係の人に手渡してから建物の中へ。あんなイベントをしてるってことは大水槽の中にダイバーが出現するのは確実です。当たり外れも気になりますけど、亀の回収も見たいかな…。
「あれって何が当たるのかしら?」
スウェナちゃんの問いにサム君が首を捻って。
「何だろう? ブルーは当然知ってる…んだよな?」
「残念ながら知らないんだ。亀イベントをやるって所までしか…。賞品はゼルに丸投げしたから」
「「「ゼル先生!?」」」
「うん。…もうすぐ分かるさ、なぜゼルなのか」
大水槽の周囲を取り巻く通路をゆっくり下って他の水槽も見学しながら歩いていると、不意にアナウンスが入りました。
「只今からダイバーによるイベントを始めさせて頂きます。大水槽に亀の置物を百個沈めてダイバーが素潜りで回収します。大水槽の深さは十メートルとなっておりまして…」
「素潜りなのか…」
大変そうだな、とキース君が言い、私たちも横に聳える大水槽を見上げました。ごくごく普通のスタイルのダイバーが泳ぎ出てきて亀の置物をばら撒いています。百個の亀があちこちに沈むとダイバーは水槽の外に姿を消して…。
「それでは素潜りダイバーを御紹介させて頂きましょう。…シャングリラ学園教頭、ウィリアム・ハーレイ先生です。どうぞ拍手でお迎え下さい!」
「「「えぇぇっ!?」」」
教頭先生がダイバーですって? それも素潜りダイバーだなんて、いったい何がどうなってるの~?
大水槽が見える場所には人が集まり始めていました。シャングリラ学園の生徒以外に一般客の姿もあります。平日ですから少なめとはいえ、親子連れとかカップルとか…。
「ハーレイは素潜りが得意なんだよ」
会長さんが大水槽を覗き込みながら言いました。
「古式泳法の達人なのは知ってるだろう? 今日は流石に褌ってわけにはいかないけれど、十メートルくらいの深さはハーレイにとっては何でもないんだ。だから安心して見ていたまえ」
「…ゼル先生は何処で関わる? あんたの説明を是非聞きたいが」
キース君の疑問を会長さんはサラッと無視して。
「あ、ほら…出てきたよ、素潜りダイバーが」
「「「!!!」」」
遥か上の水中に現れた教頭先生を目にした瞬間、私たちは声を失いました。逞しい身体の教頭先生が見事な泳ぎで水槽の底を目指して潜ってゆきます。今、私たちの前を通過して下の方へとスイスイと…。
「……お、おい……」
震える指でキース君が水槽を指し、会長さんをひたと見詰めて。
「本当にいいのか、これで!? 止めるヤツは誰もいなかったのか!?」
「言っただろう、ゼルが関わってる…って。ゼルはあれでも長老なんだ。長老が一枚噛んでるってことは止めたい人がいないってことさ」
「「「…………」」」
私たちは茫然と大水槽を眺めました。教頭先生は一度目の潜水で回収した亀を水面に運び、待機していた係員に渡したようです。ジンベエザメや無数の魚の間を縫って再び底へと向かっていますが、滑らかなフォームは素潜り名人どころではなく、どちらかといえば芸当でした。教頭先生には足が無かったのです。代わりに大きな魚の尾が…。ショッキングピンクの人魚の尻尾が……。
「どうだい、素敵な人魚だろう? あの尻尾、水に入ればちゃんと泳げるって言ったよね。…ゼルもさ、最初は反対してたんだけど、恨みを買うと後が怖いねえ…。アルトさんたちの件、まだ根に持っていたらしい。お祭り騒ぎってことでOKが出たんだ、今日のイベント」
「「「お祭り騒ぎ…?」」」
「うん。一般の人がもっとシャングリラ学園に親しみを持ってくれるといいな、っていう意味合いで企画した。学園祭の時の花魁行列みたいなものさ。教頭自らコスプレだもんね。…ほら、あちこちでウケている」
大水槽を覗き込んでいる生徒も一般の人もお腹を抱えて笑っていました。教頭先生は大真面目な顔でせっせと亀を集めていますが、ショッキングピンクの尻尾は隠せません。両手で水を掻き、下半身をくねらせて水槽の中を泳ぐ姿は人魚そのもの。撫で付けた髪が乱れないのはサイオンかな…?
「違うよ、ゼラチンで固めてるんだ。シンクロの選手みたいにね」
「「「シンクロ…?」」」
それは聞き覚えのある単語でした。会長さんったら余程シンクロがお気に入りですか…?
「ふふ、最初からシンクロなんて全然関係なかったのさ。数学同好会と男子シンクロの話も真っ赤な嘘。フィットネスクラブに入会したのはハーレイ人魚を泳がせたかったからなんだよ。水族館でのデビュー目指して特訓してた。あそこには深いプールがあるから」
飛び込み用のね、とウインクしている会長さん。じゃあ、仲間を導いていると聞かされたのは…。
「ハーレイ以外に誰がいると? 特訓はけっこう骨が折れたよ、人魚の尻尾を装着するのが大変で」
あれにはTバックの下着が必須だから、と会長さんは教頭先生との攻防戦を語っています。それにしても人魚の尻尾って、本当に泳げるんですねえ…。
「もちろんさ。でなけりゃ特注しないってば。…素潜りが上手な人でなければそうそう上手くはいかないけども」
訓練はとてもハードなものだったとか。毎日プールで練習させられた教頭先生、ついに貧血でぶっ倒れたのが球技大会のお礼参りだと聞かされてしまい、会長さんをジト目で睨む私たち。でも…。
「いいんだってば。ハーレイはとても幸せだったんだ。ぶるぅは居たけど、ぼくとプールで二人きり。いそいそと練習に通ってきたし、Tバックの件を除けば文句は何も言わなかったし…」
無問題、とニッコリ笑った会長さんの後ろを教頭先生人魚がスーッと泳いでいきました。亀の回収は終わったらしく、アナウンスの後、大水槽の中を一周してから水面へ。割れんばかりの拍手に送られ、ショッキングピンクの尻尾の人魚は元来た陸へと戻ったのでした。
「あんた、つくづく無茶苦茶やるな…」
キース君がそう言ったのは大水槽の建物を後にしてから。私たちは亀の置物入りの紙袋を提げ、昼食を食べにイルカショーのスタジアムの方へ向かっていました。もちろん「そるじゃぁ・ぶるぅ」のリクエストです。会長さんは先を行く「そるじゃぁ・ぶるぅ」に手を振りながら微笑んで…。
「無茶苦茶? 別にそうでもないだろう? ぼくの独断でやったんじゃないし、学校絡みのイベントだよ。…ぼくたちの亀はハズレだったけど、当たりの子たちは大喜びだ」
「「「………」」」
そうでした。教頭先生が回収した亀はシールを剥がされ、建物の出口でテーブルに並んでいたのです。自分の亀を受け取る時に当たりの人には景品が…。亀のお腹に『玉手箱』の文字が一等賞の大当たり。『乙姫』が二等で三等が『浦島』、ハズレは『亀』。私たち七人グループは亀、会長さんも「そるじゃぁ・ぶるぅ」も亀マークで…。
「ぼくたちが並んだ時には当たりの亀は無かったんだよ」
残念そうな会長さん。タイプ・ブルーだけにシールの下のマークが見えてたみたいです。ゼル先生に丸投げしたといいう景品が豪華な物だっただけに、惜しい気持ちがあるのでしょう。アルトちゃんとrちゃんも亀マークだったらしいのですが、教頭先生が回収してくれた亀というだけではしゃいでいるのを目撃済み。人魚姿で泳ぐのを見てもファン魂は健在でした。
「…アルトさんたちも目が覚めるかと思ったけれどダメだったな…」
そっちも残念、と会長さんは零しています。ゼル先生が教頭先生人魚の披露にGOサインを出した理由はアルトちゃんたちが船長服の教頭先生に見惚れてしまったせいだというのに、二人は何も知らないままで亀を貰って大喜び。会長さんに首ったけなのとは別のベクトルで教頭先生に惚れたのでしょうが、女心って謎ですよねえ…。
「別にハーレイが好きでもいいんだけどさ。…人魚姫を見ても幻滅どころか大喜びだよ? やっぱり自信を失くしそうだ」
「だったらブルーも人魚になれば?」
とんでもないことを口にしたジョミー君はサム君に後ろから首を締められ、イルカプールに突き落とすぞと脅されて…。
「ごめん、サム! ブルーの悪口を言ったわけじゃ…。言わない、二度と言わないってば!」
必死に謝るジョミー君。会長さんはクスクスと笑い、サム君に優しく微笑みかけて。
「ありがとう、サム。…人魚に変身は流石にちょっと…ね。お笑いはハーレイだけで十分。そうそう、シンクロの技も知識としては持ってるけれど演技することは出来ないよ? 男子シンクロの話は全部大嘘」
「ぶるぅは?」
やってたわよね、とスウェナちゃんが尋ねると…。
「ああ、ぶるぅの技は本物だよ。ハーレイの特訓中に退屈だろうと提案したらすぐにマスターしちゃったのさ」
「うん! 全部サイオンで覚えたんだ♪」
楽しいんだよ、と様々な技を指折り数える「そるじゃぁ・ぶるぅ」。イルカプールを見下ろしながらの昼食タイムは賑やかに過ぎていきました。そのまま午後のショーを楽しみ、次は何処を見学しようかとみんなで相談していると…。
「おい。ぶるぅがいないぞ」
キース君の声でスタジアムを見回した私たちの視界に見慣れた姿はありませんでした。イルカプールにも見当たりません。まさか迷子になっちゃったとか…?
「平気だよ。ここで待ってれば戻って来るさ、いざとなったら思念波もあるし」
大丈夫、と会長さんは昼寝モードに入っています。会長さんがそう言う以上、下手に騒ぐだけ無駄なんでしょうか? 何か気になるショーを見つけて行っちゃったのかもしれませんし…。
「…俺たちものんびり待たせて貰うか」
キース君が言い、シロエ君が。
「そうしましょう。サンドイッチも沢山残っていますよ」
大きな保冷バッグの中には「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作ってきてくれたサンドイッチが入っていました。他にも特製の焼き菓子なんかが詰まっています。スタジアムに陣取った私たちが去年のドルフィン・ウェディングの話なんかをしながらのんびり「そるじゃぁ・ぶるぅ」の帰りを待っていると…。
「かみお~ん♪」
「あっ、ぶるぅだ!」
帰ってきたよ、と声がした方を見たジョミー君がポカンと口を開けて固まっています。なになに、何か変なもの見たの?
「かみお~ん♪」
バッシャーン、とイルカプールの水面が弾け、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が飛び出しました。空中高く躍り上がって宙返りをして水の中へと消えた姿を、私たちは唖然と見ているだけ。ステージに係員が出てきてイルカショーの音楽が高らかに響き渡ります。えっと…今年はショーに出ないって聞いたのに……イルカと握手するだけだって聞いていたのに、それも大嘘だったんですか~!?
「ん? …イルカショーの時間かい?」
昼寝をしていた会長さんが目をこすりながら起き上がります。赤い瞳が私たちを見渡して…。
「なんだ、全員固まってるんだ? ぶるぅがイルカと遊ぶ機会を見逃す筈がないだろう。今年のショーにぼくは出ないけど、いいステージになると思っているよ」
会長さんの言葉を裏付けるようにステージに立った係員の男性が叫びました。
「ドルフィン・スタジアムへようこそ、皆さん! 只今からのショーには素敵なゲストが出てくれます。…シャングリラ学園から来てくれました、そるじゃぁ・ぶるぅ君です!」
「かみお~ん♪」
イルカと一緒に飛び出してきた「そるじゃぁ・ぶるぅ」。そこまでは去年と同じでした。しかし小さな「そるじゃぁ・ぶるぅ」はいつものマントを着けていません。いえ、マントは去年も無かったような…。でもでも、去年はきちんと銀色の服を…。今年も銀色と言えば銀色ですけど、それは銀色の鱗と尻尾。
「…なんでぶるぅが人魚なのさ…」
聞いてないよ、とジョミー君。幼児体型の「そるじゃぁ・ぶるぅ」は銀色の人魚の尻尾をつけてイルカに混じって泳いでいました。サイオンで補助しているのでしょうか、イルカそっくりに尾びれで水面を進んでみたり、華麗に宙に舞い上がったり。
「シンクロの方が良かったかい? シンクロはイルカショーにはイマイチ映えない技なんだよ。人間としての見せ場はあるけど、イルカとの一体感がない。その点、人魚はバッチリだよね。同じ水棲哺乳類だし」
パチパチパチ…と拍手している会長さん。そりゃあ確かに水棲哺乳類という括りでいったら人魚もイルカも同じですが…って、人魚って実在してましたっけ?
「細かいことは言わぬが花さ。…スタジアムをごらんよ、大ウケじゃないか」
「「「………」」」
観客は大喝采でした。写真を撮っている人もいますし、携帯で仲間を呼ぶ人もいます。トレーナーの合図に合わせてイルカたちと同じ演技をしている小さな人魚は大人気。スタジアムは間もなく満員になり、立ち見の人まで出始めました。そこへ係員の人が声を大きく張り上げて…。
「ここでスペシャル・ゲストをお呼びしましょう! シャングリラ学園から来て下さった教頭のウィリアム・ハーレイ先生です!」
ギョッと息を飲む私たち。教頭先生は何処から登場するのでしょう? 去年のようにステージの袖から粛々と…な筈があるわけなかったですよね…。イルカプールから舞い上がった二匹目の人魚は褐色の肌にショッキングピンクの立派な尻尾。逞しい人魚が加わったことでスタジアムは爆笑の渦に包まれ、あちこちでフラッシュが光りました。
「どうだい? 本物の人魚姫だよ」
絵本じゃなくて、と会長さんが笑っています。人魚姫絵本で散々笑い転げた私たちでも予想だにしないこの光景。ふと気がつくとスタジアムにはゼル先生が来ていました。他にもバスでは見かけなかったブラウ先生やエラ先生が…。いいんでしょうか、こんなことで? シャングリラ学園の恥なのでは…?
「いいんだよ。親しみやすい学園目指してハーレイにはとことん踊ってもらうさ」
クスクスクス…と笑いを洩らす会長さん。
「やたらと長寿な生徒や先生で知られた学園なんだし、もっと垣根を低くしなきゃね。教頭自ら身体を張って笑いを取りに行くんだよ? 笑う門には福来る。とっても素敵な校風じゃないか」
「し、しかし……」
あんまりだぞ、とキース君が反論する声はゼル先生のヤジに消されました。
「いいぞハーレイ、もっとやれい!!!」
頑張らんかい、と囃し立てるゼル先生は心の底から楽しそう。演技している「そるじゃぁ・ぶるぅ」も楽しそうですが、果たして教頭先生は…? ゼラチンで固めた髪を乱さず、笑顔でイルカと跳ねてますけど、心境は…?
「…さあねえ…。シンクロは表情も演技の内だから」
その辺はシンクロが基本なんだ、と会長さんは得意顔です。シンクロも叩き込まれたらしい教頭先生人魚の動きは「そるじゃぁ・ぶるぅ」がサイオンで助けているのだそうで…。
「ハーレイの尻尾はTバックを履いてテープで接着してるんだけどね、ぶるぅの方はノーパンなんだ。後で楽屋を見に行くかい? きっとぶるぅも喜ぶよ」
「…教頭先生もいるんだろう?」
その手に乗るか、と悪態をつくキース君。人魚ショーは大歓声の中でフィナーレとなり、アンコールの声が巻き起こりました。シャングリラ学園の生徒も一般の人も手を叩いての大合唱です。
「かみお~ん♪」
高く舞い上がった「そるじゃぁ・ぶるぅ」と教頭先生はピタリと息が合っていました。この日のために積み重ねられた会長さんとの秘密の特訓。一度限りのショータイムなのか、いつか再演されるのか…。シャングリラ号の青の間でなら出来そうだな、とも思いましたけど「それだけはないよ」と会長さんから入った思念。
『やっぱり最低限の品位は保っておかないとね。今日のショーも写真には写らないよう細工してあるんだ、サイオンで。…大水槽でのイベントの方も』
だから流出は有り得ない、と会長さんは微笑んでいます。
『噂になるだけで十分だろう? シャングリラ学園の教頭は愉快な人だ…って。サイオンを持たない普通の人にも身近な学校でありたいと願い続けて三百年だよ? 実際そのようになっているけど、たまには羽目を外したいよね』
ハーレイも、と続ける会長さん。…そうは言っても教頭先生、羽目を外したかったんでしょうか? 外させられたとしか思えませんけど、実際の所はどうだったのか…。楽屋訪問をせずに帰った私たちには答えは謎のままでした。水族館からの帰りのバスは教頭先生の話でもちきりです。タクシーで帰宅したという教頭先生、顔で笑って心で泣いてのショーだったのか、笑顔で福は呼べたのか…。機会があったらきっと聞かせて下さいね~!