シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
かるた大会に向けての準備は健康診断で始まりました。まりぃ先生の独断場です。今回も「そるじゃぁ・ぶるぅ」は保健室の奥の特別室のお風呂でセクハラと称して洗って貰い、会長さんは体操服の集団の中でたった一人の検査服で…。もちろん会長さんの健康診断は特別扱い、終わった後も教室には二度と戻って来ません。
「まりぃ先生も好きだよなぁ…」
サム君が深い溜息をつくのをキース君が効き咎めて。
「シッ! クラスの連中が誤解するぞ。ブルーはただのサボリってことになっているんだ」
「そりゃそうだけど…」
やっぱり嫌だ、とブツブツ文句を言うサム君。会長さんはまりぃ先生に大人の時間なサイオニック・ドリームを見せ、特別室のベッドルームでゆったり昼寝をしているのでした。サム君は会長さんと公認カップルを名乗ってますから、そんな関係が嫌なのです。まりぃ先生が会長さんに手出ししたがるのも不満なわけで…。
「いいじゃないの。まりぃ先生の愛は歪んでるのよ?」
ズバッと真実を口にしたのはスウェナちゃんでした。えっ、クラスメイトに聞かれないかって? 教室の隅に固まってますから小声で話せば大丈夫です。スウェナちゃんは更に続けて。
「教頭先生と会長さんとか、シド先生と会長さんとか…変な絵ばっかり描いてるんだし、放っておいても問題ないわ。それよりも今は教頭先生の方が心配よ。…思い切り誤解してるんだから」
「「「………」」」
会長さんに結婚をほのめかされた教頭先生はすっかり舞い上がってしまっています。トレードマークの眉間の皺も消えるのでは、と思えるほどにニコニコ笑顔で過ごしていますし、授業中も視線が自然に教室の後ろに向いていました。そこに会長さんの机は無いのに、つい気になってしまうようです。
「…ブルー、どうする気なんだろう?」
ジョミー君が言い、シロエ君が。
「宣言してたじゃないですか。いつかたっぷり御礼をする…って。かるた大会も利用するんだって言ってましたし、きっと寸劇で晒し者にするつもりなんですよ」
かるた大会で学園一位になったクラスは副賞として先生による寸劇を注文できるのでした。会長さんが1年A組に来た最初の年は教頭先生とグレイブ先生が『白鳥の湖』のハイライトを踊り、去年は同じ二人が花魁の舞とフラダンスを…。
「寸劇くらいで礼になるのか?」
首を捻ったのはキース君。
「毎年派手にやらかしてるのは認めるけどな、本当にそれでブルーが納得するかは分からんぞ」
「でも…。その程度だと思っておくのが健康的だと思いますが」
マツカ君がおずおずと口を開きました。
「ぼくたちがあれこれ心配したって無駄ですよ。ブルーはやると言ったらやる人ですし、まず止めようが無いんです。何をしでかすかと気を揉むよりは、寸劇で済むと思った方が…」
「なるほど。…それも一理ある」
胃が痛くなっても困るだけだ、とキース君が頭に手をやって。
「それにストレスで十円ハゲになるのも困る。親父にカツラだと言って誤魔化す生活もそろそろ終わりに近いというのに、ここでハゲたら元も子も無い。…ブルーのことは忘れておこう。なるようにしかならんからな」
「そうだね…。ぼくも十円ハゲはちょっと困るし」
ブルーに坊主頭にされちゃう、とジョミー君が金色の髪を引っ張りました。
「ぼくをお坊さんにするって話は諦めてないみたいだし…。十円ハゲになったりしたらチャンスとばかりに剃られちゃうよ」
「確かにな。…忘れておくのが良さそうだ。この話はこれで終わりにするぞ」
キース君の一声で私たちは席に戻って授業の準備。健康診断の日でも授業はしっかりあるものですから、会長さんがサボるんですよね…。
こうして迎えた新年恒例、水中かるた大会の日。私たちは水着に着替えてシャングリラ学園自慢の温水プールへ向かいました。今年も百人一首の下の句が書かれたビート板もどきの奪い合いです。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の見事なタッグで1年A組は難なく学園一位をゲット。
「おめでとう、学園一位は1年A組!」
ブラウ先生が宣言しました。
「副賞はクラス担任と、それとは別に指名された教師一人の寸劇だ。さあ、誰にする?」
ゴクリと唾を飲み込む私たち。会長さんはクラス全員に尋ねて指名権を獲得すると、良く通る声で叫びました。
「教頭先生を指名します!」
ああ、やっぱり…。闇鍋の時は指名しないで愛の形だとか言ってましたけど、ついに本性が出たようです。教頭先生の方はと見れば、引き攣った顔をするかと思えばさにあらず。穏やかな笑みを浮かべて会長さんを眺めています。もしかして愛の前には寸劇なんて何の障害にもなりませんか? 会長さんの楽しみのために身体を張ろうと思ってますか…?
『まあね。きちんと根回ししておいたんだ』
私たちの頭の中に響いてきたのは会長さんの思念波でした。
『そしてこれだけじゃ終わらない。…ちゃんと協力者も作ってあるし』
『『『協力者!?』』』
思念の叫びをサラッと無視して、会長さんはブラウ先生に呼びかけました。
「すみません、今年はルールを変えてもいいですか? 1年A組は三年連続で勝ち続けてます。グレイブ先生も三年連続で巻き添えを食う羽目になります。…担任の先生が巻き添えになる行事は今年はこれが最後ですから、最後くらいはお休みさせてあげたいんですが…」
「おや、そうかい?」
ブラウ先生が首を傾げて。
「…言われてみれば球技大会の御礼参りも連帯責任だったっけねえ。ついこないだの闇鍋もそうだ。…でもね、寸劇の方はどうするんだい? ハーレイ一人でいいのかい?」
「その件ですが、ゼル先生にお願いをしてあったんです。1年A組が学園一位を取ったら、グレイブ先生の代理をしてほしい…って」
「へえ…。代理とはまた酔狂だねえ。そうなるとこれはゼル次第か…」
視線を向けられたゼル先生は腕組みをして「うむ」と頷きました。
「確かに話は聞いておる。代理で出るのに異存は無い」
「よーし、決まりだ! 今年の寸劇はハーレイとゼルがやってくれるよ。さあさあ、みんな着替えて講堂の方へ移動しな!」
ブラウ先生の号令で生徒はワッと更衣室へ。私たちも急いで着替えて講堂に行き、一番前に用意されていた1年A組用の特等席に陣取って…。
「協力者ってゼル先生?」
ジョミー君が小声で囁きます。
「…そうだろうな。何がどう協力者なのか謎だらけだが」
寸劇と言えばお笑いだろう、とキース君。会長さんの復讐劇に協力するには寸劇はあまりに不似合いです。教頭先生と共演する以上、ゼル先生だって晒し者だか笑い者だかになるのは決定済みなのですから…。それが証拠に寸劇を見るのは今年初めてな1年生以外はドキドキワクワク。何が始まるのかと舞台を注視しています。
「ほら、君たちも注目、注目!」
始まるよ、と会長さんが私たちに声を掛けました。ブラウ先生がマイクを握って幕の下りた舞台のすぐ前に立って。
「準備が出来たみたいだよ。さあ、盛大な拍手で迎えておくれ! 今年の寸劇はハーレイとゼルで二人羽織だ!」
「「「えぇぇっ!?」」」
二人羽織ときましたか! それは全く想定外です。協力者って…協力者って、確かにこれなら協力者かも…。
全校生徒が拍手する中、舞台の上に登場したのは普段よりも更に大柄になった羽織袴の教頭先生。大きな座布団に正座していますが、羽織の中にゼル先生が隠れているのは明らかでした。そこへシド先生が抱えてきたのは大きな寿司桶。えっと…ちらし寿司でも食べるんですか? 二人羽織ではいかにも大変そうですが…。
「違うよ、あれは寿司桶じゃない」
「「「え?」」」
じゃあ何ですか、と尋ねるよりも早くブラウ先生が解説しました。
「見たことのある生徒もいるかと思うんだけどね、桶の中身はお寿司じゃないんだ。ソレイド名物、たらいうどんさ。たらい…と言うか、あの桶一杯にうどんが入っているわけだ。で、あれが麺つゆ」
シド先生がお椀を運んできました。お箸が添えられ、薬味が入った鉢も置かれて…。
「それじゃ寸劇の楽しみ方を説明しよう」
よく聞きな、とブラウ先生がウインクします。
「今からハーレイがうどんを食べる。…食べ終えるまでが寸劇だ。だけどね、二人羽織で食べるわけだから手を動かすのはゼルになるのさ。ゼルは当然、前が見えない。みんなで上手に誘導しないと大変なことになっちゃうよ」
「「「………」」」
これは責任重大です。そして会長さんがゼル先生を巻き込んだ理由も薄々分かってきたような気が…。寿司桶一杯のうどんを食べ終えるまでに教頭先生がどんな目に遭うかは容易に想像できました。教頭先生、恋愛成就と結婚祈願を頑張ったばかりに、笑い者な上に大惨事ですか~!
「さあいくよ。二人羽織でたらいうどん、始めっ!」
ブラウ先生の合図でゼル先生の手がお箸をしっかり握りました。
「先生、薬味は左の方で~す!」
「ネギが全然入ってません! もっと入れないと美味しくないで~す!」
無責任な声が飛び交い、うどんを啜る段階になると野次や歓声は一層大きく…。
「もっと上! もっと上です!」
「教頭先生の口に入らないです、もっと上!」
心得た、とばかりに上がったゼル先生の手が教頭先生の鼻にグイとうどんを突っ込みました。ウッと仰け反る教頭先生。けれどブラウ先生は容赦しません。
「ハーレイ、そのまま啜った、啜った! 食べ終わるまでは許さないよ。ズズッと一気にいっちまいな!」
げげっ。いくらなんでも鼻からうどんは無理じゃないかと思うんですけど…。
「そうでもないよ」
大丈夫、と会長さんの声がして。
「ぶるぅ、打ち合わせどおりよろしくね。ハーレイの鼻から、たらいうどんだ」
「かみお~ん♪」
パアッと迸る青いサイオン。いったい何がどうなったのか、教頭先生は鼻からズズッと太いうどんを啜りました。みんなの拍手喝采の中、ゼル先生は次から次へと鼻にうどんを突っ込んでいます。教頭先生はそれをズルズルと…。
『…あれって転送してるわけ?』
瞬間移動で、とジョミー君が他の生徒に聞こえないよう思念波を送って寄越しました。なるほど、それなら納得です。けれど会長さんから返った答えは…。
『まさか。軽い暗示をかけてやったのさ、鼻からうどんを啜るってことに抵抗感が無くなるように。…これで完食間違いなし! 鼻からうどんをマスターしたら宴会芸にも困らないよね』
クルーの交流会で実演したら大人気だ、と会長さんは上機嫌です。全校生徒にもウケてますからいいんでしょうけど、恋愛成就と結婚祈願に鼻からうどんで仕返しですか? ゼル先生に頼み込んでまで二人羽織って、グレイブ先生でもよかったのでは…?
『ゼルにしたのは理由があるんだ。いずれ分かるさ。…それよりも今は二人羽織! もっと笑って楽しまないと』
もっと上! と声を張り上げる会長さん。教頭先生は寿司桶一杯のうどんの九割以上を鼻から啜らされ、麺つゆで顔をグシャグシャにしながら真っ赤な顔で食べ終えて…。二人羽織のままでお辞儀をするとスルスルと幕が下りました。途端にドターン! と大きな音が…。
「あ、倒れちゃった」
大丈夫かな? と心配そうな「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、子供だけあって罪悪感をまるで感じていませんでした。それにしたって鼻からうどん…。教頭先生、お気の毒としか言いようがない結末です。会長さんに復讐されて笑い者な上、肉体的にも大打撃。これに懲りたら恋愛成就も結婚祈願も二度と願掛けしないが吉でしょうねえ…。
「教頭先生、ちょっと可哀想すぎなかった…?」
ジョミー君が言ったのはその日の放課後。場所はもちろん「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋です。けれど会長さんは澄ました顔で。
「いいんだってば、寸劇に出るって言うのはちゃんと納得してたんだから。…ちょっと演目が違ったけどさ」
「「「は?」」」
演目が…って二人羽織に決まっていたわけじゃないんですか? 他のものだと大嘘をついて出場を決意させたとか…? だったらそれは極悪なのでは…。
「そうかなぁ? 二人羽織とフレンチ・カンカン、どっちの方が酷いと思う?」
ねえ? と尋ねる会長さんにキース君が震える声で。
「おい…。まさかと思うが、二人羽織じゃなかった場合はフレンチ・カンカンだったのか?」
「うん。ハーレイはそっちだと思っていたんだよ。ゼルと二人でフレンチ・カンカン、衣装はもちろんバニーちゃんで」
「「「………」」」
あまりのことに私たちは絶句していました。二人羽織も大概ですけど、バニーちゃんスタイルでフレンチ・カンカンも相当にキツイものがあります。しかもゼル先生までそのスタイルだと思っていたとは、教頭先生、どこまでおめでたいんだか…。
「ハーレイが騙されたのはゼルが体力自慢だからさ。外見よりも身体能力は遥かに若いって言っただろう? バレエだって踊れるんだよ、フレンチ・カンカンくらいは問題ない、ない」
それよりも、と身体を乗りだす会長さん。
「協力者をゼルにした理由を知りたくないかい? あと少ししたらゼルの家に行こうと思うんだけど」
「「「え…?」」」
ゼル先生の家にですか? そこに行ったら理由が分かると…?
「そうじゃなくって、後始末さ。ハーレイがアルテメシア中に恋愛成就と結婚祈願の願掛けをした落とし前はつけてもらわないとね。たらいうどんを鼻から食べてもらったくらいで満足すると思ってるわけじゃないだろう?」
「あんたってヤツは…」
どこまでタチが悪いんだ、とキース君が頭を抱えています。けれど会長さんは気にも留めずに。
「ハーレイの家に一人で行ってはいけない…って一番最初に言い出したのはゼルなんだ。ぼくを本気で色々心配してくれてるし、今回のことも相談したのさ。…ゼルが闇鍋でぶっ倒れた日にお見舞いに行って、ハーレイを指名しなかった理由を説明して…ね」
「理由って……それも適当にデッチ上げたのか?」
キース君の問いに会長さんは。
「デッチ上げたなんて人聞きの悪い…。ぼくはハーレイに恋愛祈願をされて困っているって言っただけだよ、正直にね。それがあるから闇鍋で指名するのが怖かったってゼルに話しただけなんだけど」
「だったら寸劇はどうなるんだ! 怖いどころじゃないだろうが!」
「それとこれとは次元が別。去年の闇鍋、ハーレイは完食しただろう? ぼくの手料理も同然だとか、恐ろしい妄想を繰り広げながら。…その辺のことも含めてゼルに言ったら、ハーレイには罰が必要だ…って。そう言うだろうと思っていたから、その後のことはトントン拍子」
二人羽織でたらいうどん、と会長さんはペロリと舌を出しました。
「だからグレイブじゃなくてゼルだったんだ。…グレイブは長老じゃないからねえ…。ああも容赦なく鼻からうどんの刑は執行できないよ。ついでにハーレイに寸劇はフレンチ・カンカンなんだと嘘をついたのもゼルなのさ。…ぼくの頼みで」
ゼル先生は教頭先生にこう言ったのだそうです。バニーちゃんスタイルでフレンチ・カンカンを披露し、全校生徒の笑いを取ろう…と。
「そしてついでに、こう言った。…学園祭ではジョミーたちが踊っていたけど、ぼくだけがタキシード姿だったのは残念だった気もするな…と。ハーレイはとても残念そうな顔をしながら頷いたらしいよ、ぼくの思惑どおりにね」
教頭先生のスケベ心を見抜いてしまったゼル先生は非常に頭に来たのだとか。おかげで二人羽織だけでは罰が軽すぎると思ったらしく、これから更にお仕置きを…。
「それを見届けに行こうってわけ。…どうする? ゼルの家まで一緒に行く?」
嫌と言っても来て貰うけど、と会長さんはソファから立ち上がりました。
「鞄は家まで瞬間移動で送っておくよ。ついでにゼルの家にも瞬間移動でパパッとね。…ぶるぅ!」
「かみお~ん♪」
青いサイオンの光が走って、私たちの身体がフワリと宙に浮く感覚があって…。気が付くとそこは芝生でした。いつの間にか日が暮れていたらしく、薄暗い庭の奥から大きな犬が走ってきます。
「やあ、久しぶり。元気にしてた?」
駆け寄って来た二頭の犬の頭を会長さんがポンポンと叩き、ポケットから骨の形のガムを出して。
「こっちがヤス一号で、こっちが二号。警察犬の訓練なんかも受けてるんだよ」
優秀なんだ、とガムを咥えさせてから玄関に向かう会長さん。前に聞かされたとおり、ゼル先生の家も大きいです。これから此処で何が始まるのか、私たちはハラハラしながら扉をくぐったのでした。
ゼル先生は広い和室で私たちを迎えてくれました。剣道と居合の達人だけあって床の間に刀が飾ってあります。掛軸は渋い墨書ですけど、あれって意味があるのでしょうか?
「ふむ、掛軸が気になるか? なかなかに目が高いのう」
全員が掛軸を見ていたようです。ゼル先生は御機嫌で解説をしてくれました。
「昔、二刀流で有名な剣豪が知り合いにおってな…。わしらの方が長生きじゃから、とっくにあの世に行きおったんじゃが、そやつの作じゃ。戦気、寒流月を帯びて澄むこと鏡の如し、と書かれておる。敵の動きを己の心の鏡に映し出すことが戦いに臨む心構え…と言ったところか」
今日という日に相応しい、と胸を張っているゼル先生。
「じきにハーレイがやって来おる。わしらの大事なソルジャーに懸想しまくった挙句、結婚を迫るとは不届きな…。刀の錆にしてくれるわい!」
「別にそこまでしなくていいから」
あれでも一応キャプテンだし、と会長さんが苦笑しています。
「ハーレイの代わりのキャプテンとなると人材がね…。とにかく、ぼくには結婚する気がないとハッキリ言うのを聞いててくれれば十分だってば。…何かと夢を見ているようだし」
「「「………」」」
会長さんときたら、自分で夢を持たせたくせに…。非難するような私たちの目を会長さんは完全に見ないふりでした。やがて玄関の方でチャイムが鳴って、ゼル先生が出てゆきます。教頭先生、どんな顔をしてこの部屋にやって来るのでしょう?
「ハーレイ、今日は大事な話があるんじゃ」
「分かっている。…ブルーのことだと聞いては来たが…」
緊張するな、と教頭先生の声が聞こえてきます。廊下を歩く足音が近付き、和室の襖がカラリと開いて…。
「!!?」
「こんばんは、ハーレイ」
教頭先生が立ち竦んだのと、会長さんが微笑んだのとは同時でした。教頭先生、会長さんがいるとは知らなかったみたいです。玄関先に私たちの靴がズラリと並んでいたのに、間抜けと言うか何と言うか…。あ、学校指定の靴でしたから、見慣れてしまった先生にすれば空気みたいなものなのかも?
「な、な……なんでお前が…」
口をパクパクさせる教頭先生に、会長さんはニッコリ微笑みかけて。
「この間の返事をしに来たんだよ。ゼルに立ち合いを頼もうと思って場所を借りてる。…そうそう、今日は寸劇、ご苦労さま。鼻からうどんも素敵だよね」
「…そうか…? そう言われると悪い気はせんな」
頬を赤らめる教頭先生。会長さんったら、この期に及んでまだ言いますか! けれど甘い雰囲気に冷水を浴びせるように口を開いたのはゼル先生です。
「いい加減にせんかい、ハーレイ! ブルーが精一杯のお世辞を言っておるのが何故分からん? 鼻からうどんを啜るようなヤツに惚れる馬鹿者はおらんわい。…そうじゃな、ブルー?」
「うん。…ぼく一人だと言いにくいからゼルにも聞いてほしくてさ…。アルテメシア中で願掛けをしたハーレイの気持ちは分かるけれども、受け取れない。…それに、あんな絵馬とかが奉納されたままっていうのも耐えられないんだ、怖くって…。だって…もしもハーレイの願いがうっかり叶ってしまったら…」
「ブルー、それ以上は言わんでいいわい」
わしには分かる、とゼル先生が会長さんの肩を叩きました。会長さんは表情が見えないように俯いています。絶対、悪戯っぽい笑みを浮かべているに決まっていますが、それと気付かないのがゼル先生で…。
「ハーレイ、お前は全く気付いておらんが、ブルーは怯えておるんじゃぞ! 闇鍋でお前を指名しなかったのもそのせいじゃ。手料理感覚で完食されたら困ると思っておったらしい。…寸劇の方は……まあ、仕返しじゃな」
わしという味方がついておるから、とゼル先生は教頭先生を睨み付けて。
「つまりじゃ。…アルテメシア中に奉納したという絵馬を回収してもらう。まじないの類も白紙に戻せ。ブルーに聞いたが、柳の枝をおみくじで結び合わせるとか色々やって回ったそうじゃな?」
「そ、それは……ブルーを困らせようというつもりは…!」
「つもりがあろうと無かろうと同じじゃ! 行くぞハーレイ、少し待っておれ!」
そう言って廊下に消えたゼル先生は数分後にドスドスと足音を立てて戻ってきました。背筋をピンと伸ばしたその姿は…。
「ゼ、ゼル…! わ、私は速い乗り物は…!」
「やかましいわい!」
黒い革のライダースーツに黒い手袋、フルフェイスの黒いヘルメット。伝説のライダー、『過激なる爆撃手』となったゼル先生が教頭先生の腕を掴んで引きずってゆくのを私たちは呆然と見ているばかり。
「ブルー、戸締りを頼んだぞ! 絵馬の類は今夜の内に責任を持ってハーレイに全部回収させる。もう結婚なんぞせんでいいのじゃ、このゼルが万事引き受けたわい!」
そんな言葉が聞こえてきた後、響いてきたのは凄い爆音。自慢のバイクのエンジンをかけたらしいです。続いて野太い悲鳴が聞こえ、バイクの音が猛烈な勢いで遠ざかっていって…。ヤス一号と二号が暫く激しく吠えていましたが、それも静まってすっかり静かになりました。…教頭先生、どうなっちゃったの…?
「ふふ。…ハーレイの手で回収か」
ゼル先生の家の玄関に内側から鍵を掛けた会長さんはクスクスおかしそうに笑っています。私たちは既に靴を履き、後は会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」に瞬間移動で家まで送って貰うだけでした。ライダースーツのゼル先生に拉致されてしまった教頭先生の行方は分かりません。
「…今までの流れで分からないかな? ほら、こんな感じ」
会長さんが思念で送って寄越した映像は夜更けの街を疾走してゆく大型バイク。跨っているのはゼル先生で、サイドカーには教頭先生がヘルメット無しで乗っていました。いえ、乗っていると言うよりは必死にしがみついている、と表現した方が正しいでしょうか?普段は綺麗に撫で付けている髪も風に煽られて滅茶苦茶で…。
「な、なんなんだ、これは…?」
何処から見ても公道だが、とキース君が顔を顰めて。
「ヘルメット無しは道交法違反になるんじゃないのか? 第一、教頭先生が…」
「半分白目を剥いてるって?」
気にしない、と会長さんが受け流しました。
「ハーレイったらシャングリラ号のキャプテンなんかをやってるくせに、スピードにてんで弱いんだ。絶叫マシンなんかは大の苦手さ。だからお仕置きにサイドカーに乗せることにした。ノーヘルの方はバレないよ、うん」
サイオンでちゃんと細工してある、と自信満々の会長さん。
「ぼくたちが初詣で辿った経路を逆に回るよう、ゼルにマップを渡しておいた。あの手の願掛けを無効にするには逆回り! でもってハーレイ自身が絵馬の類を外しに行けば願を掛けられた神様とかにも失礼がなくていいからねえ。スピード狂のゼルのバイクで震え上がりながら回るといいさ」
「…たっぷり御礼ってこのことだったの…?」
ジョミー君の問いに会長さんは。
「まあね。最初はどうしようかと色々悩んでいたんだけども、やっぱり相手の苦手な部分を突いてやるのが最高じゃないか。ついでに絵馬も始末できるし、今年も一年スッキリだ。ぼく自身の手じゃ消せないんだって言っただろう?」
これでも一応、高僧だから…と笑みを浮かべる会長さん。
「それにさ、鼻からうどんを啜るっていう二人羽織の宴会芸もマスターさせたし、ハーレイとゼルはいいコンビだよ。ハーレイには是非サイドカーの魅力にハマってほしいな、自分でバイクを運転しろとは言わないからさ。男の魅力はママチャリじゃなくてスピードの出る乗り物にあると思わないかい?」
「…それでママチャリを馬鹿にしてたのか?」
教頭先生のガレージの、と言ったキース君に会長さんは頷いて。
「そういうこと。ぼくと結婚だなんて言い出す前に自分自身を知らないとね。ママチャリなんかに二人乗りより、ぼくならゼルのバイクを選ぶさ。タンデムもいいし、サイドカーでも大歓迎。…ハーレイ、その辺を全然分かってないよ。何が家庭的な雰囲気だって? ママチャリは出来る男が乗ってこそだし!」
センスの無さは致命的だ、と徹底的にこき下ろしている会長さん。どうやら教頭先生よりはゼル先生の方が男の魅力があるようです。それでこそパルテノンの夜の帝王というわけですが、この調子では教頭先生、今年も前途多難そう。今頃は多分、心臓が止まりそうな思いでアルテメシアの街を疾走中で…。
「大丈夫、ゼルの運転は確かだからね。ハーレイが気絶したって振り落とすことは絶対ないよ」
太鼓判を押す会長さんにシロエ君が。
「ちょ、ちょっと…。もしかしてシートベルトもしてないんですか?」
「当たり前だろ、着用義務は無いんだからさ」
しがみついていれば問題なし、と再び思念で見せて貰った中継画像の教頭先生は口から泡を噴いていました。えっと…気絶しちゃっているのでは? しがみつく以前の問題なのでは…?
「これくらいしないと罰にならない。ゼルだってちゃんと分かっているよ。…この先の山道が楽しくなるのに、気絶するとは残念だねえ」
ロング・ロング・ワインディングロード、と会長さんが言っているのは丑の刻参りで知られた神社に向かう山道でした。私たちが辿った道を逆に回るなら一番最初はあの神社。教頭先生、私たちは家に帰りますけど、真夜中のツーリングからの無事の御帰還、心からお祈り申し上げます…。