シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
校外学習のお知らせが発表されたのは2週間後の朝でした。いつものように1年A組の教室の一番後ろに会長さんの机が増えて、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が来ています。出席を取ったグレイブ先生がおもむろに書類袋から取り出した紙を前から順に配るようにと指示をして…。
「諸君、来週の金曜日に校外学習がある」
ワッとクラスが湧き立ちました。校外学習と名前はついても実質上の遠足なのだと誰もが思っていたからです。ところが『校外学習のお知らせ』と書かれた紙を受け取ったクラスメイトの表情が次々と凍り、ニヤリと笑うグレイブ先生。
「どうかね、校外学習は? 恵須出井寺で一日修行体験だぞ。あそこは林間学校で有名なのを知っているだろうが、我々の目的はバードウオッチングでも珍しい植物の観察でもない。書いてあるとおり座禅と写経だ。もちろん昼食は弁当ではなく、精進料理ということになる」
「「「………」」」
「誘惑の多い日常を離れ、気を引き締めて集中力を養いたまえ。文字通り校外学習だ。…そうそう、そこの生徒会長」
名指しで呼ばれて首を傾げる会長さん。
「ん? ぼくかい?」
「他に誰がいると言うのだ? 今回はお前も手も足も出んな、恵須出井寺は宗派が違うのだからな」
勝ち誇った顔のグレイブ先生に、会長さんは苦笑しながら。
「そうだね、ぼくは璃慕恩院だし…。残念だけど」
「では、お前のコネが利かない世界で大いに修行に勤しむように。他の諸君も頑張るのだぞ。服装は制服で問題ないので私服は禁止だ。詳しいことはプリント参照。これで朝のホームルームを終わる」
カッと靴の踵を鳴らしてグレイブ先生は出てゆきました。途端に教室は上を下への大騒ぎに…。
「修行ってなんだよ、修行って!?」
「なんで座禅になるんだよ! 校外学習は水族館だって聞いていたのに…」
あんまりだ、と嘆くクラスメイトたちの中で一人の男子が会長さんを振り返って。
「そうだ、生徒会長のコネがどうとかって何なんですか?」
彼は入学前から1年A組と会長さんに纏わる噂を知っていた生徒。それだけに会長さんに関することには敏感です。会長さんは「そうだねえ…」と人差し指を顎に当てると。
「簡単に言えば、恵須出井寺にはコネが利かないってことなんだけど…。さっきグレイブに答えてたとおり、ぼくは璃慕恩院なんだ。キースの家がお寺だっていうのは知ってるだろう? キースも同じ璃慕恩院だよ、恵須出井寺とは宗派が違う」
「えっと…? 生徒会長の家もお寺なんですか?」
「違うよ、ぼくは気楽なマンション住まい。お坊さんの資格があるって言うだけ」
「「「お坊さん!?」」」
会長さんとはおよそ結び付かない単語にクラス中が仰天しましたが、会長さんは悠然と。
「ぼくが三百年以上在籍していることは知ってるよね? 三百年もあれば色々と出来てしまうのさ。ちょっと抜け出して修行してみたら高僧になれた。だから璃慕恩院には顔が利く。もちろんコネも利くってわけ」
「「「……高僧……」」」
ポカンとしているクラスメイトたちに、会長さんはパチンとウインクしてみせて。
「やっぱり普通は信じないよね? 仕方ない、特別に見せてあげるよ。ぶるぅ、着替えをお願いできるかい?」
「かみお~ん♪」
パアッと迸る青いサイオン。会長さんの制服はアッと言う間に緋色の法衣と立派な袈裟に大変身です。とうとう学校で披露しちゃいましたか、緋の衣。派手なのは嫌だとか璃慕恩院で言っていたのに、それとこれとは別件ですか…。
「緋の衣はね、一番偉いお坊さんしか着られないんだよ」
だから高僧の印なんだ、と語る会長さんに女子たちの目はハートでした。あちこちで写メを撮るシャッター音が…。男子生徒は口々に質問しています。
「坊主頭じゃなくても構わないんですか、高僧って?」
「印を結んだり、護摩を焚いたりするんですよね?」
会長さんは「うーん…」と首を捻りながら。
「髪の毛の方は坊主頭が基本だね。だけど璃慕恩院では一定期間の修行を終えたら個人の自由ってことになってる。ぼくはお寺も持っていないし、なにより普通の高校生だし……坊主頭は避けたいな。坊主とデートじゃ絵にならないだろ?」
キャーッと上がる黄色い悲鳴。フィシスさんとの仲で有名な上に、シャングリラ・ジゴロ・ブルーと呼ばれているのも周知の事実。デートという単語が出てきたことで「いつか私も!」と夢見る女子が一気に増えたようでした。その騒ぎの中、カラカラと教室の前の扉が開いて、入ってきたのは教頭先生。
「静かに!」
授業を始める、という宣言は会長さんに無視されました。
「誰か入ってきたみたいだけど、まだ質問に答えてないよね。ぼくの宗派は印を結んだりしないんだ。護摩も普通は焚かないね。大切なのはお念仏さ。璃慕恩院はそういう宗派で、もちろん座禅も無いってわけ」
「じゃあ、生徒会長のコネが恵須出井寺には利かないっていうのは…」
「宗派が違うと難しいんだよ、この世界。困っちゃうよね、恵須出井寺で修行だなんて…。どうしようかな?」
サボっちゃおうか、と教頭先生の方に視線を向ける会長さん。
「ねえ、ハーレイ? 校外学習、ぼくは行かなくても問題ないよね、1年A組の生徒じゃないしさ」
「サボるだと!?」
「うん。特別生には登校義務だって無いし、校外学習を欠席してもいいんだろう?」
「そ、それは……」
口籠る教頭先生の頭が猛烈な速度で回転しているのは明らかでした。会長さんと一緒に修行が出来る、と思い込んで校外学習への参加を決めたと聞いていますし、逃げられたのでは困るでしょう。でも会長さん、どうして「行かない」なんて言うのかな? 行く気満々でコネまでつけに出掛けていたのに…。
『ハーレイに貸しを作っておくのさ。でないと後々、面白くない』
届いた思念波に私たちは納得しました。この調子では教頭先生、修行体験で苦労しそうです。教頭先生はそうとも知らずに…。
「ブルー、サボリは感心せんな。それに私も参加することになっている。お前の担任は私なのだが?」
「君が行くから参加しろって言うのかい? それって命令?」
「そうなるな。担任の前で堂々とサボリ宣言は生徒会長としてどうかと思うぞ。…校外学習には参加しなさい」
重々しく告げる教頭先生に、会長さんは。
「担任として命令されたら聞かないわけにはいかないねえ…。仕方ない、ぼくも行くことにするよ。…というわけで、この時間はぼくが修行の心得を…」
「こら、待て! 今は私の授業時間で、病欠した分の遅れがまだ…」
「君が病欠したのが悪い。それに校外学習だって、学習と名前がついてるんだよ? 事前にきちんと学ばないと」
会長さんはスタスタと教壇まで歩いていくと、教頭先生をシッシッと手で追い払う仕草。
「じゃあ、恵須出井寺のことを説明しよう。あそこの開祖は…」
気の毒な教頭先生は会長さんに授業時間をぶっ潰されてしまいました。今日の分の授業内容はプリントを作って配布すると言っていましたけど、それって時間外労働ですよねえ…。けれど緋の衣を纏った会長さんから恵須出井寺や座禅などについて教えて貰えたクラスメイトは大感激。予備知識はこれでバッチリです~!
そして校外学習の日。私たち七人グループは集合時間より早く「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に行きました。お弁当も要らない校外学習にしては大きすぎるバッグを1個、余分に持って。
「かみお~ん♪ 今日は楽しみだね!」
「やあ、おはよう。ちゃんと用意をしてきたね」
出迎えてくれた会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が私たちの余分な荷物を瞬間移動で運び去ります。荷物の行き先は会長さんの家のゲストルーム。今日は金曜日ですから、校外学習という名の一日修行体験の後、慰労会と称してお泊まり会があるのでした。精進料理と座禅が済んだら「そるじゃぁ・ぶるぅ」の美味しい料理が待ってます。
「これでよし、と」
準備完了、と会長さんが微笑みました。
「荷物はちゃんと運んでおいたよ。校外学習は頑張りたまえ」
「「「………」」」
「不満そうな顔をしてるとお泊まり会から外すからね? それでいいなら…」
「やだよ!!!」
そんなの困る、とジョミー君。私たちだって仲間はずれは嫌でした。校外学習、頑張らなくちゃ! 教室で出席が取られ、みんなでバスに乗り込んで……バスは郊外に聳えるアルテメシアで一番高い山の頂上目指して登っていきます。急な坂道は冬には凍結して通行止めになる日も多く、平地では雪が積もらなくても山頂付近が真っ白なのはよくあること。恵須出井寺はそんな厳しい自然の中で修行するための聖地であって…。
「シャングリラ学園の皆さん、ようこそいらっしゃいました」
駐車場でバスを降りるとお坊さんが出迎えてくれました。
「本日は修行にいらしたのですから、私語は控えて頂きましょう。厳しくビシビシいきますよ。まずは心得を学びにこちらへどうぞ」
案内されたのは意外な事に鉄筋コンクリートで四階建ての立派な建物。宿坊だという話でしたが、キース君の家とはケタが違います。中には大きな広間もあって、私たちはそこに通されました。畳に正座で恵須出井寺の由緒や一日修行体験の心構えを聞かされ、それから本堂へ移動なのですが…。
「いたたた…。足が、足が~!」
悲鳴を上げる男子生徒や立ち上がれない女子生徒。三十分の話の間に足がすっかり痺れています。なのに。
「私語厳禁だと申し上げたと思いますが?」
指導役のお坊さんが睨んでいました。1クラスに四人の勘定でつくお坊さん。逆らったら容赦なく指導をします、と聞かされた今となっては、足の痺れくらい我慢しないと…。どういう指導か知りませんけど、とんでもない目に遭わされてからでは遅いのです。ヨロヨロ歩いて玄関で靴を履き、坂道を登って見上げるような本堂に入って…。
「こちらで座禅をして頂きます。時間はこのお線香が消えるまでですが、これは四十分間燃え続けます」
げげっ。四十分間も? 会長さんが「お線香が一本燃える間」と言ってましたから、せいぜい十分くらいかと…。あちこちで息を飲む気配がしています。
「座る時にはその座布団を使って下さい。普通の座布団とは形も硬さも違うでしょう? 座禅専用の座布団ですから姿勢を正しくしてくれます。座り方は…女子の方はスカートですし、正座をしてもいいですよ。男子はこのように左ももの上に右足を乗せ、右ももの上に左足を乗せて座ります」
できねえよ、と誰かの声が聞こえた瞬間、バシッと鋭い音がしました。そちらを見ると棒を構えたお坊さんと、肩を押さえて顔を歪める男子が…。
「テレビなどでも御存知のとおり、座禅中はこうして指導するものです。一日修行体験では普通、希望者のみを打っております。しかし今回は学園からの御希望があり、指導対象と見做した場合はもれなく打たせて頂きます」
「「「!!!」」」
お坊さんたちの隣で笑みを浮かべるグレイブ先生。なにも此処までしなくても…、と私たちは泣きそうな気持ちでした。続いて手指の組み方を教わり、先生方が見学用の椅子に移動し、お坊さんがお線香に点火しようとした時です。
「ちょっと待った!」
よく通る声が本堂に響きました。スッと立ち上がる会長さんの姿が見えます。これって天の助けでしょうか? それとも地獄の始まりなのかな…?
会長さんは男子生徒に混じって本堂の中ほどにいたようですが、真っ直ぐ前へと歩いていきます。お坊さんたちが棒を構えて脅しているのにも我関せずで、指導役の筆頭を務めるお坊さんの傍まで行くと…。
「璃慕恩院から聞いてないかな、赤い瞳で銀色の髪。シャングリラ学園生徒会長のブルーが行くって連絡があった筈だけど…?」
「え? あ…。は、はいっ!」
お坊さんの態度が変わりました。直立不動でガチガチに緊張しています。会長さんはクスッと笑って。
「分かってくれればそれでいいんだ。えっと…。ぶるぅ、大丈夫だから前までおいで」
「かみお~ん♪」
ピョンピョンと跳ねて行く「そるじゃぁ・ぶるぅ」を叱るお坊さんは誰もいません。まあ、元々小さな子供ですから、例外なのかもしれませんけど。会長さんは隣に並んで立った「そるじゃぁ・ぶるぅ」の頭を撫でると、指導役筆頭のお坊さんに赤い瞳を向けました。
「この子がぼくとセットの、ぶるぅ。まさか子供を打ちすえたりはしないだろうけど、一応紹介しておくよ。それとね、ぼくのお願いは必ず通ると璃慕恩院の老師が言ったんだけれど…。違うのかな?」
「い、いえ…。確かにそのように聞いております」
「だったら何も問題ないね。まずはお願い。ぼくの大事なクラスメイトたちを打つのは止めてくれないかな? あ、ぼくのクラスの子だけって言うんじゃないよ。同級生は全員、打たずに済ませて欲しいんだ」
会長さんの言葉にグレイブ先生が椅子からガタンと立ち上がって。
「ブルー! 勝手な真似は許さんぞ!」
「残念でした。一教師よりもぼくの方が強い。…そうだよね、そこの指導係?」
「はいっ!」
深々と頭を下げるお坊さん。会長さんは勝ち誇った顔でグレイブ先生を眺め、それから視線を横にずらすと。
「あそこで座禅を組んでいるのがシャングリラ学園の教頭っていうのも知ってるだろう? 彼とぼくとが一番前に座ることにしたい。…連れて来て」
「はいっ! おい、そこの先生をお連れしろ!」
指導係に命じられた下っ端のお坊さんが教頭先生を前へと促しました。会長さん、何を考えているんでしょうか? 教頭先生と一緒に一番前に座ろうだなんて…。名指しされた教頭先生は真面目な顔をしていますけど、心の中は会長さんに呼ばれた喜びで一杯です。だって思念がダダ漏れ状態、私たちにだって読めるんですから。
『ブルーがついに認めてくれたか! 私の誠意が通じたのだな、一緒に座禅が出来るとは…』
修行に来た甲斐があった、と大喜びで前に出た教頭先生でしたが。
「それじゃハーレイ、君はこっちへ。ぼくが此処」
座って、と会長さんと教頭先生が座禅を組んで、会長さんが指導役に。
「せっかくビシビシ打つ方向で修行体験に来たんだからね、ぼくとハーレイ……そう、教頭が代わりに打たれることにする」
「「「えぇっ!?」」」
私語厳禁の注意も吹っ飛び、本堂を揺らす驚きの声。会長さんは構わず続けました。
「ぼくが受けるのは女子の分だ。ぼく自身は座禅の心得があるから打たれない自信があるんだけども、女子の身代わりに打たれてあげよう。…ぼくが打たれるのは嫌だと言うなら、女子のみんなは頑張って欲しいな」
「「「はーい!!!」」」
元気のいい声に「静粛に!」と指導役の声が重なり、女子は一気に静まって……会長さんは更に続けて。
「男子の分はハーレイが受ける。ハーレイは修行をしたいらしいし、男子は頑張る必要はない。遠慮なく居眠りしておきたまえ。ただし…。キースとジョミーは例外だ。ぶるぅ、二人を教えてあげて」
「かみお~ん♪」
ピョーンと跳ねて行った「そるじゃぁ・ぶるぅ」がキース君とジョミー君を指し示しました。
「えっとね、こっちがキースで、そっちの金髪がジョミーだよ!」
キース君とジョミー君の後ろに棒を構えたお坊さんが一人ずつピタリと張り付きます。うわぁ……これって最悪かも…。サム君が除外されたのは会長さんの贔屓でしょうか?
『決まってるだろ? サムは自分から仏門を志したんだ。キースやジョミーとは心構えが違うのさ。座禅なんかで萎縮されては勿体無い。だけどキースとジョミーは鍛えないとね』
心身を、と伝わって来る会長さんの思念。それと同時に…。
『キース一人でいいじゃないか! あんまりだよ~!』
『俺は座禅と関係ないんだ! お念仏だけでいい寺なんだーっ!』
ジョミー君たちの泣きの思念が流れてくる中、お線香に火が点けられました。いよいよ座禅開始です。四十分間の修行ですけど、代わりに打たれる人がいるなら安心ですよね……って、会長さんを打たせちゃったらマズイかも? うーん、やっぱり頑張らなくちゃ!
だだっ広い本堂での座禅修行は思った以上にハードでした。頭を空っぽにして座っているつもりが、ついウッカリと頭がコックリ…。肩にピタリと棒が当てられ、しまった! と思った時には前でバシッ! と鋭い音。ご、ごめんなさい、会長さん…。
『心配しなくても平気だってば。ぼくはハーレイとは違うから』
サイオンでガードしているからね、と笑いを含んだ会長さんの思念。会長さんの右隣では教頭先生が派手に打たれていました。女子は憧れの会長さんを打たせまいとして努力中ですが、男子の方は注意散漫。あっちこっちでコックリコックリ居眠っている人たちが…。そうかと思えば足が痺れて身動きをして、お坊さんの目に止まったり。それも打たれる対象ですから、教頭先生がバシバシと…。
「かみお~ん♪ 今ので百発目!」
嬉しそうに数えているのは勿論「そるじゃぁ・ぶるぅ」です。会長さんの左隣にちょこんと座っているのですけど、座禅ではなく体育座り。教頭先生が打たれた数を発表するのがお役目でした。結局、教頭先生は四十分の座禅の間に二百発以上食らったらしく、終わった途端に痛そうに肩を擦っています。会長さんの方は申し訳なさそうに頭を下げる女子に笑顔で手を振っているというのに…。
『ハーレイはタイプ・グリーンで防御に優れているんだけどね、ガードする発想が無かったらしい。ぼくも教えてあげる気は無いし、二百と…幾つだっけ、ぶるぅ?』
『二百と三十四だったよ♪』
『ありがとう。男子一人に二発はカタイね。女子と違って気の抜き方が半端じゃないや』
それでこそだけど、と会長さんの思念は楽しげです。ジョミー君とキース君も厳しく指導を受けたらしくて肩が痛んでいるみたい。えっと、この後はお昼ご飯で…。私たちは座禅で痺れた足を擦りながら宿坊に戻り、大広間に入ったのですが。
「食事の前にそこに書いてある言葉を唱えて頂きます。食後の言葉も書いてありますので、食事が終わればそちらの方を…。そして食事にも作法があります。器は必ず持ち上げること! 音を立てない! タクアンを一切れ最後に残して、それで食器を綺麗に洗う!」
え。タクアン? 洗うって……なに? 並んだ食事は精進料理の一汁三菜、そこそこ美味しいですけども…。私語厳禁だけに静かですけど、音を立てずに食べるというのは…。あっ!
「お静かに、と申しております」
お味噌汁を啜った音を注意されてしまい、私は首を竦めました。他の生徒も叱られています。キース君とジョミー君にはお坊さんが一人ずつ張り付き、姿勢を正されたり、叱られたり。あまり食べた気がしない食事のトドメはタクアンでした。食事の器にお茶が注がれ、タクアンをお箸で摘んでお茶で食器を洗うのです。洗い終えたらお茶を飲んで……、と。あれ? 汚れが残ってる?
「もう一度!」
お坊さんがお茶を注ぎに来ました。そんなこと言われても、タクアンで綺麗に洗うなんて…。えいっ、今度こそ!
「…やり直しです」
体験だからと三回までで終わりましたが、本当の修行だと汚れが完全に落ちるまでお茶が何度も注がれるとか。もう嫌ですよ、こんな体験! なのにこれから写経ですって? 部屋を移って般若心経を書くんですって~?
結論から言うと、一日修行体験の中で写経が一番マシでした。お手本シートの上に半紙を乗せて書き写すだけで、正座とはいえ一行書くごとに足を崩せるので痺れに苦しむこともなく…。そう、食事中も正座だったのです。やっとのことで書き終えた般若心経の末尾に名前を書き入れ、お願い事を書いて提出。
「はい、皆さん最後まで頑張りましたね」
よく出来ました、と指導役のお坊さんが労いの言葉をかけてくれたのは解散式という名の法話の会場。ここも正座ではありましたけど、修行もこれで終わりです。私たちは駐車場で待っていたバスに乗り込み、恵須出井寺を後にしました。急カーブの山道を下りてゆく中、1年A組の感謝の言葉が会長さんに…。
「会長、ありがとうございます!」
「座禅は本当に助かりました! 教頭先生が代わってくれなかったら、俺、今頃は泣いてますよ~」
そんな言葉が飛び交う車中でキース君とジョミー君は仏頂面。二人とも派手に打たれましたし、写経の時までお坊さんにマークされ……会長さんに救われたクラスメイトたちとは正反対の待遇だったのですから。…でも、この後は会長さんの家で慰労会! きっと気分も良くなるでしょう。バスは山道からアルテメシアの市街地に出て、一路シャングリラ学園へ…。
「諸君、今日は有意義な一日を過ごせたことと思う」
バスを降りると教頭先生の短いお話を聞いて解散でした。荷物持参で出掛けてましたし、教室に戻る人はありません。みんなが校門を飛び出していくのと反対側に歩く私たちの行き先は勿論…。
「かみお~ん♪ 早く、早く!」
「乗り遅れちゃうよ、急いで走って!」
は? 乗り遅れるって何のこと? 会長さんたちの言っている意味が分かりませんが?
「恵須出井寺行きの最終バスが出ちゃうんだってば!」
会長さんがそう叫びながら「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に飛び込みました。そこには朝に会長さんの家へ送った筈のお泊まり用の荷物があって、私たちはそれを持つように言われ…。
「バス停まで一気に飛ぶからね。大丈夫、周りの人には気付かれないから」
パアッと青い光が走って、フワリと宙に浮く身体。浮遊感が消えた時には目の前に路線バスが止まっていました。他に乗客のいなかったバスは間もなく発車し、さっき下って来たばかりの山へ向かって走って行きます。
「おい」
キース君が前の座席に座った会長さんを睨み付けて。
「一体なんの真似なんだ? あんたの家で慰労会だと聞いていたがな」
「慰労会としか言っていないよ?」
クルリと振り向く会長さん。
「そうだよね、ぶるぅ? 家には何も用意をしていないよね?」
「うん!」
会長さんの隣に座った「そるじゃぁ・ぶるぅ」が笑顔全開で答えました。
「あのね、慰労会の会場は恵須出井寺! ブルーが用意をしてくれたんだ♪」
「「「用意?」」」
素っ頓狂な声を上げた私たちに会長さんはニッコリと。
「そう、用意。手配したとも言うのかな? 恵須出井寺に着けば分かるよ、せっかくのコネは利用しないと」
叩かれ損で終わりたくない、と会長さんは肩を擦ってみせました。
「あんた、サイオンでガードしてたんだろうが! 俺とジョミーは手加減無しで叩かれたんだぞ!」
「それは君たちの心構えが足りないからさ。一日修行体験したんだ、恵須出井寺との御縁は大事にしておかないとね」
みんなで楽しく慰労会、と会長さんは御機嫌です。けれど山の上にはお寺と宿坊しかありません。確かに立派な宿坊でしたが、あんな所で慰労会なんてアリですか…?
「慰労会には豪華ゲストが来るんだよ」
会長さんが言いました。
「ゲストは見てのお楽しみ! 一日修行体験なんかよりゴージャスで素敵な打ち上げになるさ」
それは絶対保証する、と自信満々の会長さん。えっと…本気で恵須出井寺に戻るんですね? でもって慰労会だか打ち上げだかに豪華ゲストが来るわけですか? それって一体、誰を呼んだの…?