シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
※葵アルト様の無料配布本からの再録です。
夜勤のクルー以外は寝静まったミュウたちの船、シャングリラの夜更け。ハーレイはフウと
溜息をついて額の汗を袖で拭った。
(…なんとか間に合いましたよ、ブルー…)
床の上に置かれているのは木目を基調とした船長室にはまるで似合わない大きなカボチャ。
怪物じみた目と不気味に裂けた口とが彫られ、中身を刳り抜かれたジャック・オー・ランタンと
呼ばれるものだ。
それはハロウィンの夜に明かりを灯すカボチャのランタン。木彫りを趣味とするハーレイ
だったが、これだけの大きさのカボチャをたった一人で彫り上げるのは大変だった。以前なら
ハロウィンが近付いてくれば手の空いたクルーが公園などに集まってお祭り騒ぎで作ったもの
なのに、今年はそういうわけにもいかない。
「ギリギリになってしまいましたが、今はこういう時ですから…。このカボチャだって手に
入れるのに散々苦労しましたよ」
分かるでしょう? と誰もいない部屋で一人呟き、ハーレイは用意してあった蝋燭にそっと火を
点すとランタンの中に差し入れた。部屋の明かりを消せば黒々と浮かび上がったカボチャの目と
口からオレンジ色の光が漏れて、文字通りお化けカボチャのようだ。
(見えますか、ブルー? 今夜は死者が帰る夜だと仰ったのはあなたですよ)
ミュウを導くソルジャーがブルーであった時代にシャングリラで始められたハロウィンの
催しは、昨年までは途切れることなく続いていた。ジャック・オー・ランタンや様々な仮装、
「トリック・オア・トリート?」と声を張り上げて艦内を回る子供たち。しかし、地球を目指す
戦いを繰り広げる今、そういう余裕は残されていない。
けれどハーレイはキャプテンの権限を密かに行使し、なんとかカボチャを入手した。ランタン
作りの助手の調達は不可能だったが、彫るのは自分の腕だけで…と決めていたからカボチャさえ
あれば充分だ。もっとも、これほど手強い相手とは予想だにしていなかったため、ハロウィン
当日の夜に至るまで彫り続ける羽目になったけれども。
(これが見えたら帰っておいでになるのでしょう? そうですね、ブルー?)
苦心して彫り上げたカボチャのランタンをベッドから良く見える場所に据えると、ハーレイは
布団に潜り込んだ。
ブルーがシャングリラからいなくなってから随分経つ。
想いを交わし、身体を重ねて長い年月を共に過ごした大切な恋人。
初めの内は思念体となった彼が戻って来るものと固く信じてひたすら帰りを待ち続けたのに、
ブルーは姿を現さなかった。いくら呼んでも応えすら無い。
(あなたの力でも死という壁は越えられなかったということでしょうか…。けれど今夜は戻れる
でしょう? そのためにこれを彫ったのですから)
あなただけのための道標ですよ…、と心の中でブルーに語り掛ける内にハーレイの瞼が重く
なる。キャプテンとしての激務と連日連夜のランタン作りで疲労が溜まっていたらしい。
(すみません、ブルー…。戻っておいでになったら私を起こして頂けますか? 明日も仕事が
忙しいので…)
徹夜するわけにはいかないのです、という思念を最後にハーレイは眠りに落ちていった。
ハロウィンの夜は深まり、此処が古の地球だったなら異界の者たちがそぞろ歩きを始める頃。
「…ハーレイ。これは嫌がらせかい?」
耳に届いた懐かしい声にハーレイは勢いよくベッドから跳ね起き、そこに忘れようの無い
姿を見付けた。
常夜灯とカボチャのランタンだけが灯った部屋でも仄かな光を纏ったブルー。
赤い瞳も銀色の髪も、あの日から全く変わってはいない。
「ブルー…! 戻ってらっしゃったのですね…!」
「嫌がらせかい、と訊いているんだけれど?」
感涙にむせぶハーレイに、しかしブルーは冷たかった。これが数ヶ月ぶりに会った想い人に
対する言葉だろうか、と不安が頭を擡げるほどに。
もしかしたらブルーは、あちらの世界で新たな恋をしたのだろうか?
手が届かなくなった恋人よりも、身近な誰かに目が向くことは多いと聞く。まさか、
ブルーも…?
戸惑うハーレイを見詰めるブルーが突然クスクスと笑い始めた。
「誰が恋人を作るんだって? ぼくは君だけで手一杯だよ」
「………?」
何を言われているのか分からず、ハーレイは怪訝な顔をする。
「まったく…。ずっと君の側にいたというのに、君は全く気が付いてないし! タイプ・
グリーンの力というのも考えものだね。一度シールドを張ったが最後、ぼくの思念も
受け付けやしない」
ブルーはベッドの端に腰を下ろすと、ハーレイの額に指先で触れた。その感触は分から
なかったが、穏やかな思念が伝わってくる。
「すぐに帰って来なかったのが悪かったのかな? だけど仕方が無かったんだよ。ナスカに
取り残された仲間たちを向こうへ送り届けるのもソルジャーの務めの内だろう? それに
ソルジャーというだけで頼られちゃうから忙しかったし」
あっちで色々と用事があって、とブルーが微笑む。
「みんなが落ち着いたのを見届けてから戻ってきたら、君はシールドの中だった。戦いの中で
撒き散らされる断末魔の悲鳴をシャットアウトするために張ったんだろうけど、ぼくの声まで
届かないとは思わなかったな」
「…で、では…」
ハーレイの声が掠れて震えた。
「私はあなたを無視したままでいたのでしょうか? 今日までずっと…?」
「そういうことだね。挙句の果てにランタンなんか彫っちゃって…。こんな嫌がらせを
されるんだったら、君が言うように新しい恋人でも探した方が良かったのかな?」
大袈裟に肩を竦めてみせるブルーに、ハーレイは慌てて懸命に詫びる。
「も、申し訳ありません! シールドはすぐに解きますから! それにランタンは嫌がらせ
などではないのです。あなたがシャングリラを見失っておられるのでは、と道標に…」
「…分かっているよ、ハーレイ」
君の側にいたんだから、とブルーは柔らかな笑みを浮かべた。
「でもね…。君は勘違いをしているようだ。ジャック・オー・ランタンはハロウィンの魔除け。
悪い霊が近寄らないよう、脅かすために置くものだけど?」
「…………」
それで嫌がらせかと訊かれたのか、とハーレイの背中を冷や汗が流れる。ブルーを延々と無視し
続けた上、とどめのように置いた悪霊除けのカボチャのランタン。別れ話を切り出されても
反論できない事態ではないか。
「…馬鹿だね、ハーレイ。ぼくが何処かへ行くとでも…?」
行きやしないよ、とブルーの重さも熱も無い腕がハーレイの首に回される。
「そうするんだったらとっくに行ってる。…君の所へ戻って来たのも、ずっと一人で君の側に
いたのも、ぼくがそうしたかったから。…君に取り憑いていると解釈するなら悪霊だとも
言えるかな?」
「いいえ…。いいえ、決して悪霊などでは…!」
ハーレイは抱き締められない思念体のブルーを胸に閉じ込めるようにして口付けた。唇は決して
触れ合うことなく、互いを求める熱い想いだけが混じり合い高まってゆくだけだけれども。
「ありがとう、ハーレイ。…あのランタンを作ってくれて」
長い口付けの後でブルーが床に置かれたランタンを見遣る。魔除けのカボチャに灯された蝋燭は
消えかかっていて、せわしない明滅を繰り返していた。
「君が道標にしてくれたから、君のシールドを突き抜けられた。戻って来いと願っただろう?
だから波長が合ったんだよ。…でなければ君に声すら届かないまま、ぼくは哀れな浮遊霊だ」
「…もう無視しないでいられるのですか? 私にはシールドをコントロール出来ている自覚が
無いのですが…」
「大丈夫。現にこれだって夢じゃないしね。でも、死んでしまうとジョミーでさえも、ぼくの
姿が見えないらしい。…人目のある場所では話しかけたりしない方がいいよ」
気が狂ったかと思われるから、と綺麗な笑みを宿すブルーをハーレイがもう一度引き寄せた時に
蝋燭の焔が音も無く消えた。
常夜灯だけが灯された闇が薄明へと変わる刻限には、まだ遠い。
ハロウィンの夜が明けると万聖節。
死者たちの霊が戻ってくると伝わる夜に戻って来たのは、幽明を異にする恋人たちを結び
合わせる確かな絆。たとえその手は重ならなくとも、心は常に互いの側に…。
キャプテンのランタン・了