シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
キースの道
(キース君かあ…)
今は珍しくない名前だよね、とブルーが眺めた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間に。
SD体制を崩壊させた英雄の一人、国家主席だったキース・アニアン。彼は人類で、ミュウではなかった。その上、機械が無から作った生命。
けれども彼は強く生きたし、ミュウの時代を築く礎にもなった人間。お蔭で人間が全てミュウになった今でも、誰もが名前を知っているキース。遠い昔の英雄として。
彼の名前を子供につける親も多いから、「キース」の名を持つ子供は多い。今の学校にも何人かいる、キースと同じ名前の生徒。姓は「アニアン」ではないけれど。
この新聞に写真があるのも、そういう「キース君」たちの一人。此処からは少し遠い所で、下の学校に通っている子。まだ十歳で…。
(キースって言うより、シロエみたい…)
丸顔だから、幼い頃のシロエのよう。本物のシロエではない、と確信出来るけれども。もちろんキースの方でもない子。瞳の色が全然違うし、雰囲気だってまるで違う子。
幼い間は違うにしたって、育ってもきっと違うだろう。シロエにもキースにもならない。中身は全く別人だろうし、見た目もきっと。
(生まれ変わって来たのは、ぼくとハーレイの二人だけ…)
そうなのだろう、と前から思っていること。
今の自分とハーレイは前とそっくり同じ姿に生まれて来た上、前世の記憶も取り戻したけれど。チビの自分が育った時には、二人とも本当に前の通りになるけれど。
(ぼくに聖痕が現れるまでは、二人とも何も知らなかったし…)
生まれ変わりだと気付きもしないで生きていた。ハーレイの方は、三十七年間も。チビの自分も十四年間、まるで知らなかった自分の正体。まさかソルジャー・ブルーだったなんて。
神様に聖痕を貰ったくらいの、奇跡のような生まれ変わりでも、この有様。
(それに聖痕、最初は怖かったくらいだから…)
自分が別の人間だなんて、と怖かったのが記憶を取り戻す前。今の自分が消えてしまいそうで。
奇跡でさえも「怖い」と怯えた自分のことを覚えているから、いないのだと分かる前世の記憶を持って生まれた人間。同じ世界に前の自分の知り合いがいたって、前とは違う人間だろうと。
仮にキースやシロエがいたとしても、前の生の記憶を持ってはいないと。
今の自分とハーレイだけしか、生まれ変わって来ていない世界。前の生の記憶を持った形では。奇跡は簡単に起こりはしないし、本当にきっと二人だけ。
もっとも、そういう事情は全く抜きにしたって…。
(このキース君は別人だよね)
ぼくが出会ったキースとは、と眺める写真。輪郭だけならシロエに似ているキース君。生まれて直ぐには未来の姿は分からないから、こんなことだってあるだろう。
(ぼくの学校にも、名前だけがキースの生徒がいるしね?)
彼がそうだ、と言われなければ分からないキース。まるで似ていないものだから。
新聞の写真のキース君だって、何処にでもいる「英雄のキース」と同じ名前の男の子。キースの名前を貰っただけ。両親が「キースのように強く」と名付けた名前で、本物のキースとは違う。
けれど、新聞に載っているだけあって…。
(…日本一周…)
遠い昔の小さな島国、日本を名乗っている今の自分が住んでいる地域。日本だった頃とは地形がすっかり変わったけれども、日本は日本。かつて日本があった辺りに生まれた島国。
キース君は今の日本を一周する旅をしているという。
サイクリングが趣味のお父さんと一緒に、幼い頃から子供用の自転車で走り続けて。下の学校に入る前から、もう乗っていたという子供用自転車。小さな足で、せっせとペダルを踏んで。
そうやって始めた日本一周。長い休みには家から遠く離れた所を沢山走って、週末だって家から行ける範囲の所を走り続けて…。
(今度の週末にゴールイン…)
周り尽くした、今の日本。一度に周ったわけではなくても、日本を一周できる道路を。
北の端から南の端まで、西も東も、自転車で走ったキース君。雨の日だって、走れそうだと判断したなら、ペダルを踏んで。風が強い日も、暑い夏休みも、寒さが厳しい冬休みも。
そのキース君が今度の週末、お父さんと一緒に、住んでいる町に向かって走る。日本一周の旅を達成するための最後の道を。
キース君の家からは少し離れた町を出発点にして。
「最後は此処の道を走ろう」と、旅の最初に決めていた道路。ゴールになる町に向かって出発、朝にスタートするという。夕方までには家に着くよう、お父さんと二人で自転車を漕いで。
(なんだか凄い…)
たったの十歳、なのに自転車で日本一周。一度に周ったわけではなくても、積み重ねた距離。
子供の足でも走れる範囲で、お父さんに決めて貰った分を。「この休みには、これだけ」と。
(ぼくは自転車…)
辛うじて乗れるというだけのことで、自分の自転車も持ってはいない。弱い身体は直ぐに疲れてしまうし、友達と一緒に走ってゆけはしないから。
十四歳になった今でも自転車で走れる自信は無いのに、この子は走った。幼い頃から。
日本をぐるりと一周するだけの道を走って、週末にはゴール。だから新聞記事にもなる。近くに住んでいる人たちなら、最後の旅を道沿いで応援できるから。「頑張って!」と。
キース君とお父さんが乗った自転車、それが向こうからやって来たなら、手を振って。
(小さいのに、よく頑張ったよね…)
ホントに凄い、と日本一周だけでも感動するのに、十歳のキース君の次の目標。一人旅が出来る年になったら、今度は一人で日本一周。お父さんと一緒に走った道を一人で走る。
やり遂げた後は、世界一周の旅に出たいという。もちろん自転車、一人旅で。
(凄い夢だよ…)
ぼくの夢よりずっと大きい、と感心しながら戻った二階の自分の部屋。キース君が載った新聞を閉じて、空になったカップやケーキのお皿をキッチンの母に返してから。
勉強机の前に座って、さっき読んだ記事を考える。まだ十歳なのに自転車で日本一周、もうすぐゴールするキース君。旅を終えたら、次の目標に向かって走る。
一人旅をするには小さすぎるし、二回目の日本一周に行くか、トレーニングを積んでゆくのか。
未来の大きな夢に向かって、自転車で走るキース君。いつかは世界一周なんだ、と。
それに比べて自分ときたら、将来の夢はお嫁さん。ハーレイと一緒に旅もするけれど…。
(ぼく一人だと、隣町だって怪しいかも…)
きちんと辿り着けるかどうか。ハーレイの両親が暮らす、庭に夏ミカンの大きな木がある家に。
自転車で走ってゆけはしないし、車も運転できない自分。車の免許は取れそうにない。
歩いて行くなどもっと無理だし、路線バスに乗るしかないのだろう。直通のバスがあれば安心、乗り込めば運んでくれるから。
けれど乗り換えだと、間違えて違うバスに乗ってしまいそう。気付けば知らない町にいるとか。
隣町さえ、辿り着ける自信が無い自分。直通の路線バスが無ければ、一人きりでは。ハーレイの車に乗ってゆくなら、眠っていたって着けるけれども。
遠いもんね、と思い浮かべた隣町。とても歩いて行けない距離で、バスに乗るしかないけれど。
(キース君なら…)
その年だったら、自転車に乗って走って行ってしまうのだろう。隣町くらい、軽々と。
日本一周の旅に比べれば、近所を散歩するようなもの。きっと十歳のキース君にとっても。今の自分が結婚できるのは十八歳だし、キース君が同じ年になるには八年もある。八年間も練習できる自転車、今でも充分凄いのに。もっと上手くと、もっと速くとトレーニングを積んでゆく日々。
十八歳になった頃には、この町から隣町まで走るどころか、ずっと遠くの町からだって自転車で走り抜くだろう。隣町までの距離を、何日もかけて。
うんと遠くの町から走り始めるのならば、其処までは路線バスなどで行くのだとしても…。
(自転車も一緒に乗せて貰って、一人旅だよ)
上の学校に行く年でもあるから、十八歳なら、きっとそう。一人旅での日本一周、そういう旅に出る頃だから。今のキース君の目標なのだし、世界一周の夢に向かって一人で日本一周。
旅費を安く上げるためにも工夫を凝らして、自転車の旅。何処まで行ったら安い宿があるのか、下調べをして。「此処で泊まれたら楽なのに」と思う所に高い宿しか無ければ、テントとか。
一人で自転車の旅をするほどだったら、テントも楽に張れる筈。天気が急に悪くなりそうなら、宿のある場所まで走れないこともあるだろう。不測の事態に備えてテントで、高い宿しか無ければテント。宿泊費は全くかからないのだし、一番安く上がる宿。
(ぼくとは比較にならないってば…)
負けた、と思ったキース君。まだ十歳の子供だけれども、ぼくよりも上、と。
今の年でも自転車に乗って走ってゆける隣町。「すぐ隣だよ?」と子供用の小さな自転車で。
育った後にはもっと強くて逞しくなるし、とても敵わないキース君。夢は一人旅で日本を一周、それを終えたら世界一周なのだから。
(大きくなったら、世界一周…)
いつかハーレイと旅をしていたら、キース君が横を走って行きそう。
日本からは遠く離れた地域で、自転車に乗って、颯爽と。
旅慣れた様子で荷物なども積んで、向かい風でも負けはしないで。
そうなるかもね、と思う未来のこと。何処かで出会う、大きくなったキース君。
ハーレイのお嫁さんになるだけの自分と違って、目標に向かって走る途中の。八年後だったら、日本の中で出会うのだろう。それでも充分、凄すぎる。一人旅で自転車、それだけのことで。
(うー…)
ぼくは自転車にも乗れないのに、と悲しい気持ち。キース君に負けたと思い知らされる時。
ハーレイの車でドライブに出掛けて、一休みしようと入った店にキース君も入って来るだとか。店のドアを開けて、「一番安いのは何ですか?」と。
お腹が空いても、高い食事をしていたのでは旅費が高くなるだけ。店に入るなら、一番安いのを頼むだろう。メニューも見ないで、サッと尋ねて。
(ハーレイ、声を掛けちゃいそう…)
もしもキース君が入って来たなら、何が一番安い料理か訊いたなら。
ハーレイは自分もスポーツをやるし、同じ雰囲気を感じ取って。自転車と柔道は違うけれども、水泳も全く別なのだけども…。
(きっと分かるよね、どっちもスポーツなんだもの…)
自分の身体を動かさないと、自転車は前に進みはしない。どんなに険しい坂道だって、自転車のペダルを踏まないと少しも登れはしない。自転車だって、立派なスポーツ。旅ともなれば。
ハーレイのことだから、自転車で日本一周の旅の途中だと聞いたら、きっと大感激。キース君の年を聞いたら、なおのこと。
「まだ若いのに凄いもんだな」と、何か御馳走したりもして。「頑張れよ」と肩を叩いて。
「俺の嫁さんとは、えらい違いだ」とも言うかもしれない。自転車にも乗れやしないから、と。
(いいんだけどね…)
そう言われようが、ハーレイが「凄い子に会った」と喜ぼうが。その子の名前がキース君でも、ハーレイは気にもしないのだろう。いくらハーレイがキース嫌いでも、同じ名前というだけで嫌うわけがない。其処まで心が狭くはないし、キースと「キース君」は別。
せっかくだからと記念写真も撮るかもしれない、キース君と。
「お前よりずっと頑張ってるぞ」と笑って、「お前も入れ」と三人で写す記念写真。ドライブの途中で会った凄い子、自転車で日本を一周しているキース君と話をした記念に。
今のハーレイの心を鷲掴みにしそうなキース君。自転車で頑張るスポーツマン。自転車が好きな人は多いけれども、キース君ほどの子は滅多にいない。大勢いるなら、新聞に載りはしないから。
十歳の今でも敵わない子で、育ったらもっと敵わない。自転車に乗って日本一周、世界一周。
(ホントに、ぼくの負けだってば…)
前のぼくが会ったキースの方なら負けないけどね、と負け惜しみ。キース君が名前を貰った筈の英雄、キース・アニアン。あっちの方なら、負けてはいない。互角に戦えたのだから。
(今のぼくだと負けるけれども、前のぼくなら…)
メギドでだって、マツカが救いに来なかったならば、刺し違えていた。キースを道連れに死ねた筈だし、実力は互角。むしろ自分の方が上かも、と思った所で気が付いた。
本物のキースは、キース君とは違ったことに。
前の自分ならキースに負けてはいなかったけれど、そのキース。彼はどういう人間だったか。
(…本物のキース…)
前の自分が出会ったキースには、自転車で一緒に走ってくれるお父さんどころか、養父母さえもいなかった。機械が無から作った生命、水槽の中で育ったキース。育ての親も持たないままで。
(そこはフィシスと同じだけれど…)
フィシスもそういう生まれだったけれど、その先が違う。フィシスは前の自分が攫った。水槽の中でフィシスが見ていた、青い地球へと向かう夢。前の自分が魅せられたもの。
彼女が抱く青い地球が欲しくて、ミュウにしてまで手に入れた。自分のサイオンを分けて、白いシャングリラの仲間たちを皆、欺いて。
「ユニバーサルで生まれたミュウの少女だ」と、「青い地球を抱くミュウの女神だ」と。
そうやって迎え入れたフィシスはシャングリラで生きて、機械からは自由になった人生。彼女を処分しようとしていた研究者たちとも、無縁なままで。
(ぼくがフィシスをミュウにしなかったら…)
フィシスは機械の言うがままに生きていたのだろう。人類を導く理想の指導者、そういう立場に祭り上げられて。盲目だろうが、女性だろうが、一切を考慮されないで。
その運命から逃れたフィシス。生まれのことやナスカの悲劇を巡ってトォニィに責められたりもしたって、最後はとても幸せに生きた。船の仲間たちに全てを明かした後は。
カナリヤの子たちを立派に育てて、幼稚園の先生にもなって。今も伝わる「フィシス先生」。
機械が無から作ったものでも、フィシスは自由に生きたと思う。生まれのことで悩みはしても。自分の正体に気付いた後には、白いシャングリラで苦しんでいても。
誰もフィシスに「こう生きろ」などと命令しないし、自分の意志で選び取れた道。どういう風に生きてゆくのか、どの道を歩んでいけばいいかと。
(だけど、キースは…)
フィシスと違って、機械が敷いたレールの上を歩むことしか出来なかった。彼が育った水槽から外に出た後は。「キース・アニアン」として目を覚ました後は。
E-1077への入学時期に合わせて、水槽から外に出されたキース。その段階から既に、全て計算されていた。友達として、サムと出会わせるとか。宇宙船の事故に対処させるとか。
SD体制に逆らい続けたシロエも、キースを育てるために連れて来られた。ミュウ因子を持った少年を一人、と選び出されて。
キースが気付いていなかっただけで、友達のサムも、キースを敵視していたシロエも、何もかも与えられたもの。「キースに相応しい者」として。
サムとスウェナはジョミーの幼馴染の二人だったし、ミュウを知るのに役に立つ。キースが何も知らない頃から準備されていた、ミュウの長との出会いに備えたプログラム。
シロエも同じにミュウを知るため、それにキースに「人を殺す」ことを教えさせるためにと用意された。殺す相手が全て敵とは限らないのだと、ステーション時代のキースに教えるために。
それからフロア001のこと。キースが自分の生まれを知る日に備えて、蒔いておくべき疑問の種。いつか真実を知った時にも、けして動揺しないようにと。
(誰と出会って、誰と友達になるのかまで…)
周到に用意していた機械。キースが彼らと知り合うように、計算ずくで。
親友だったサムも、キースが殺したシロエも、マザー・イライザが出会わせた。そうなるように時を選んで、自然な形で顔を合わせるようにして。
(キースが自分の自由に出来たの、ほんのちょっぴり…)
機械が関与しなかったことは、マツカに出会って彼を生かしていたことくらい。マツカの正体を知っても隠し続けたキース。自分の側近にしておいたならば、誰も調べはしないから。不審な点があったとしたって、「まさか」と一笑に付されるだけ。キースの側近がミュウだなんて、と。
最後まで誰も気付かなかったマツカの正体。キースを庇って斃れた時も、人類側は誰一人として見なかった。サイオンを使ってトォニィと戦うマツカの姿を。
(SD体制が崩壊した後に…)
トォニィが語って、明らかになった「キースの側にミュウがいた」こと。マツカがミュウだった事実は直ぐに宇宙に広がり、ミュウと人類の距離を一気に縮めた。「本当に同じ人間なのだ」と。
キースが其処まで考えた上でマツカを側に置いていたのか、そういったことは分からない。長い時が流れた今になっても。
マツカを側近にしていた他には、サムの病院に何度も見舞いに出掛けていたこと。子供に戻ってしまったサムを見舞っても、機械には何の益も無い。それに費やす時間があるなら、もっと仕事をすればいのにと考えただろう。グランド・マザーなら、きっとそうだった筈。
けれどキースはそうする代わりに、かつての友を訪ねていた。多忙な任務の合間を縫って。
ミュウとの戦いが激しくなっても、やはり同じに。…部下たちを待たせて、サムの病院へと。
(それくらいしか、キースには…)
無かった自由。自分の意志で側に置けたのはマツカだけ。他の部下たちは、グランド・マザーが選んで配属したのだから。キースの役に立つ、優秀な人材で固められた周り。
「コーヒーを淹れるしか能が無い」と揶揄されたマツカと、心が子供に戻ったサム。それだけがキースが「選べた」者。側近としてミュウのマツカを、友として、かつての親友を。
本当に僅かだけだった自由。他には何も無かっただろう。キースが自分の好きに出来たことは。
(…キース、選べなかったんだ…)
自分の生まれも、生きてゆく道も。
機械に無から作り出されて、水槽の中で育ったキース。養父母も与えられないで。
フィシスよりもずっと長い期間を水槽の中しか知らずに生きて、目覚めたら大人社会への入口。機械が与えた友やライバル、サムやシロエと出会って別れたステーション時代。
全ては機械の手のひらの上で、自分が何かを知った後には、一層縛り付けられた。自分を無から作った機械に、それを命じたグランド・マザーに。
E-1077を処分してみても、キースの生まれは変えられない。マザー・イライザに作られ、育てられたこと。…人類を導く指導者になるべく、無から生み出されたこと。
どちらもキースを縛り続けて、知る前よりも失くした自由。自分が何かを知った後には。
キースがE-1077を処分した時には、アルテメシアがミュウの手に落ちていた。SD体制の時代に存在してはならない異分子、ミュウが反撃に転じた時代。
それから次々に陥落した星、負け知らずだった人類軍が敗れたという知らせばかりが届いた筈。国家騎士団にも、人類統合軍にも。
きっとキースには見えていただろう人類の未来。「このままではミュウに敗れる」と。
(だけど、人類の指導者になるしかない、って…)
そのために作られた生命なのだし、受け入れるしかなかった運命。国家騎士団総司令から、軍を離れてパルテノンへと。初の軍人出身の元老、それが指導者の道への始まり。
人類の敗色が日に日に濃くなる中でも、キースには無かった逃げる場所。他の元老たちが愚かな分だけ、キースが努力するしかなかった。国家主席の座に就いてまで。
ミュウの時代が来ると分かっても、グランド・マザーからミュウ因子の真実を知らされても。
ミュウは進化の必然なのだと、いずれ世界はミュウのものになると悟っても。
(…それでも逃げられなかったんだよ…)
人類の指導者として作られた生命だったから。他の生き方は出来なかったから。
普通の生まれの人間だったら、マザー・システムにも見切りを付けられただろう。所詮は機械の言うことだから、と切り捨てて。
キースも最終的にはそうしたけれども、もっと早くに。
機械との因縁が何も無ければ、他の人間たちと全く同じに人工子宮から生まれていれば。機械が無から作ったからこそ、キースは縛り付けられた。自分を作り出した機械とシステムに。
(そのために作った人間なんだ、って言われちゃったら…)
逆らうことなど出来なかっただろう。幼い子供ならばともかく、軍人として育ったキースには。
長い年月、メンバーズとして培った強い意志やら理性。それらが逃げ道を塞いだだろう。臆病な者なら逃げられても。「こんな道は嫌だ」と、後をも見ずに走り去っても。
(…もしもキースが、逆らう道を選んだら…)
たちまち導き手を失う人類。見る間にミュウに敗れてしまって、劣等種に成り下がるしかない。
本当はそうではなかったのに。ミュウは対話を望んでいただけ、共に歩みたかっただけ。
けれど機械は認めはしないし、キースもそれに従った。人類を導く者として。ミュウは忌むべき存在なのだと、最後の一人まで滅ぼすべきだと。
そうやって生きたキースの側には、ミュウのマツカがいたというのに。グランド・マザーが何を言おうと、キースには分かっていた筈なのに。…ミュウがどういう存在なのか。
ああいう生まれでなかったならば、異を唱えることも出来ただろう。もっと早くにミュウと手を結び、SD体制を倒すことだって。
SD体制を維持するために作り出された、理想の指導者という立場。それがキースを呪縛した。真実を知る者は誰もいなくて、知ったシロエは死んだ後でも。
E-1077を処分した後も、けして変えられない生まれ。機械が自分を作ったのなら、自らの責務を全うすべき。自分の意志はどうであろうと、グランド・マザーの導きのままに。
(…そんな生き方、可哀想すぎるよ…)
前のぼくの方がよっぽどマシだ、と今頃になって思い知らされた。
シャングリラの格納庫でキースと対峙した時、彼の生まれを見抜いたけれど。フィシスと同じに機械が作った生命だろうと気付いたけれども、それだけのこと。
そうして生まれたキースの方には、まるで考えが及ばなかった。前の自分に残された時間、そのことばかりを考えていて。…生まれ変わった今になっても、自分のことだけで手一杯で。
(…キースが来たから、目を覚まして…)
白いシャングリラを守るためにと、命を捨てた前の自分。
ハーレイの温もりだけを右の手に持って、一人きりでメギドを目指して飛んだ。其処でキースに何発も撃たれ、失くしてしまった右手の温もり。
(ハーレイとの絆が切れちゃった、って…)
もう二度と会えはしないのだ、と泣きじゃくりながら死んだソルジャー・ブルー。冷たく凍えた右手の記憶は、今も自分の中にある。その悪夢を見て飛び起きる夜があるほどに。
それでもキースを許しているから、ハーレイのように嫌いはしない。キースは自分の生きるべき道を生きていただけで、けして悪人ではないのだから。
機会があったら話してみたい、と何度思ったことだろう。違う出会い方をしていたならば、友になれたと思うから。ミュウと人類でも、憎み合わずに、理解し合って。
そういう夢を何度も描いて、今のハーレイにも話したのに。その度に顔を顰められては、恋人が心に負わされた傷の深さを思って辛かったのに…。
肝心のキースには思い至らなかった。どれほど辛い人生だったか、彼が負わされた重荷には。
キースには選べなかった生き方。自分の意志ではどうしようもなくて、選ぼうとも思わなかっただろう。そのように育てられたから。機械が彼を育てた後には、メンバーズの道があったから。
(思い通りに生きるなんてこと…)
自分の自由に生きることなど、キースにとっては罪だったろう。上官の命令には従うものだし、それが出来ないなら軍人ではない。軽蔑すべき一般人。
だからこそ自分を厳しく律して、私情は抜きで生き続けた。例外はマツカを生かして側に置いたことと、かつて親友だったサムの病院を何度も見舞っていたこと。
それだけがキースの精一杯の自由、機械の命令を無視してやっていただろうこと。けれど、それ以上は無理だった。彼の生まれと受けた教育、その後の生き方が邪魔をして。
(好きに生きたら規律違反で、おまけに機械が無から作った生命で…)
機械が指導者になれと言うなら、そう生きるしかなかっただろう。ミュウ因子の真実を知っても直ぐには動けずに。…人類の指導者だったから。
(…キースの好きに決めていいなら、その時点で和解しちゃっても…)
国家主席の命令ならばと、途惑いながらも従っただろう人類たち。キースがグランド・マザーを停止させても、やはり同じに従った筈。最初の間は混乱しても、国家主席の命令だから。
そういう道もあったというのに、キースは選びはしなかった。
最後まで人類のことを考え、彼らのために最良の道を進み続けた。「自分自身で考えろ」というメッセージを残して、彼らに選ばせた道。キースの方から押し付けないで。
ジョミーと二人でグランド・マザーの所へ行った時には、とうに答えを出していたのに。
マザー・システムはもう時代遅れだと、機械の時代は終わらせねばと心を決めていた筈なのに。
それでもキースは「人類の指導者」であろうとした。
その責任を果たそうと剣まで握って戦い、それが悲劇を招いてしまった。
グランド・マザーは、キースが人類の代表者だと捉えていたから。自分たちが生み出した理想の指導者、キースが反旗を翻すなどは有り得ないと。
(だから、キースの言葉尻を捉えて…)
SD体制の続行は承認された、と誤った答えを弾き出した機械。
その誤りに気付いたキースが逆らった時は、もう何もかもが遅すぎた。粛清されるしかなかったキース。機械は彼の思考を理解できずに、異分子だと判断を下したから。
生まれて初めて自分のやりたいようにやったら、キースの命に打たれたピリオド。それも自分を作らせた機械、グランド・マザーの手によって。
其処までの日々を、キースは懸命に生きたのに。ほんの僅かな自由しかない、生き方も選べない人生。そのようにしか生きられないまま、それが自分の道なのだからと茨の道を。
(…前のぼくだって、酷い目に遭っていたけれど…)
アルタミラで地獄を味わわされて、脱出した後も幾つも重なった苦労。シャングリラがミュウの箱舟になっても、消せはしなかった深い悲しみ。ミュウの未来を案じ続けて。
ソルジャーになってしまったけれども、やたら偉そうな肩書きや制服などを除けば、自分自身で選んだ道。「嫌だ」と思いはしなかった。「この道を行こう」と選んで生きた。
キースに何発も撃たれた末に、泣きじゃくりながら死ぬことになったメギドにしても…。
(そうするしかない、って追い込まれたわけじゃ…)
けしてなかった、前の自分。
誰も「行け」とは言わなかったし、どちらかと言えばきっと止められた方。何をしようと考えているか、それが仲間に知れたなら。…前のハーレイが「駄目です」と腕を掴むとか。
ハーレイにだけは「ジョミーを支えてやってくれ」と思念で伝えていたから、ハーレイがそれに逆らったならば、皆に取り押さえられていただろう。ブリッジの者たちが総がかりで。
ジョミーがいても、ソルジャー・ブルーは失えない。船の誰もがそう考えただろうから。
(絶対、止める方だよね…)
そうだろうから、皆には嘘をついて出た。「ナスカに残った仲間たちを説得しに行く」と。
つまりは自分で選んだ道。これで死ぬのだと分かっていたって、自分の意志で。
ハーレイとの別れは辛かったけれど、ミュウの未来が欲しかったから。…自分の命と引き換えにそれが手に入るのなら、命など惜しくはなかったから。
誰に強制されたわけでもない人生。前の自分は思ったままに生きたというのに、それとはまるで逆様だったキースの人生。機械に無理やり歩まされたと言っていいほど。
(キース、ホントに可哀想だよ…)
あんな機械に縛られちゃって、とキースが気の毒でたまらない。
フィシスのように逃がしていたなら、別の人生があっただろうに。もっと彼らしく生きてゆける道が、自分の意志で歩める道がキースにも待っていたろうに。
もしも、と考えるキースのこと。前の自分がフィシスと同じに攫っていたなら、どういう人生を歩んだろうか、と。
キースはジョミーと同い年だし、フィシスくらいの年でシャングリラに連れて来ていたら、先に船にいたミュウの少年の一人。ジョミーと喧嘩したキムたちのように。
(キースなら喧嘩しないだろうし、ジョミーの友達には丁度よくって…)
いい補佐役になっていたのかも、と思っていた所へチャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、早速ぶつけた自分の考え。テーブルを挟んで向かい合うなり。
「あのね、キースは可哀想だったと思わない?」
ハーレイはキースが大嫌いだけど、そのキース。とっても可哀想なんだけど…。
「はあ?」
あいつの何処が可哀想なんだ。お前、自分と間違えていないか、前のお前と。
可哀想だったのはお前だろうが、とハーレイが眉間に寄せた皺。「あの野郎め」と、メギドでのことを持ち出して。ハーレイは聖痕を目にしているから、嫌うのも無理はないけれど…。
「それとは別だよ、キースが生きた人生のこと。メギドはほんの一部分でしょ?」
キースはナスカを滅ぼした後も生きたけれども、自分で生き方、選べなかったよ。
…キース君みたいに目標を立てて、それに向かって頑張るとかは。
「誰だ、そりゃ?」
キース君と言っても、今の学校にも何人かいるが…。どのキース君だ、何処のクラスだ?
学年の方も教えてくれ、とハーレイは見事に勘違いした。そうなるくらいに、今の時代は何人もいる「キース君」。SD体制を倒した英雄、キース・アニアンの名前を貰った子供。
本物のキースは、彼らのようには生きられないで終わったのに。自分の生き方を選んだ途端に、機械に命を絶たれたのに。
「ううん、ぼくの学校の生徒じゃなくって、今日の新聞…」
キース君っていう子供が載ってたんだよ、まだ十歳の男の子。
小さい頃から自転車に乗ってて、お父さんと一緒に日本一周の旅をしてるんだって。
その旅が今度の週末でゴールらしくて、キース君の夢も載っていて…。
一人旅が出来る年になったら、今度は一人で日本一周。…もちろん自転車に乗って。
日本一周の旅が済んだら、次は世界を一周だって。
小さいけれども凄い子だよ、とキース君のことを説明した。
いつか旅先で出会いそうな子で、ハーレイも好きになりそうだよね、と。
「世界一周の旅の途中か、日本一周の時にバッタリ会うか…。だって自転車なんだもの」
お店で休憩だってするでしょ、一番安いものを頼んで。きっとそういう旅なんだよ。
ぼくたちがいるお店に入って来たら、ハーレイ、声を掛けそうじゃない。自転車で旅行中だって聞いたりしたら、何か御馳走してあげそう…。「頑張れよ」って。
「そりゃまあ、俺も頑張っているヤツは好きだから…。自転車のスポーツマンだしな?」
柔道や水泳とは違う道だが、御馳走したくもなるだろう。俺たちのテーブルに呼んでやって。
しかし、何処から本物のキースに繋がるんだ?
その自転車で走るキース君が…、とハーレイは怪訝そうな顔。「自転車だろう?」と。キースが自転車に乗っていたとは聞かないが、とも。「メンバーズだから当然、乗れるんだろうが」と。
「自転車は関係ないんだよ。キース君の夢の方が問題」
キース君には未来の目標があって、いつか自分の力で掴んでいくけれど…。
これからも自転車で走り続けて、一人旅が出来る年になったら、日本一周に出掛けるけれど…。
世界一周の旅にも行くよね、日本一周が終わったら。…何処から周るか、計画を立てて。
だけど、本物のキースには無理だったんだよ。そういう目標とか、夢を持つこと。
キースが生きていく道は全部、機械に決められちゃっていたから…。水槽の外に出た時からね。
友達にはサムが丁度いいとか、ライバルにシロエを連れて来るとか…。何もかも全部。
フィシスはぼくが攫ったけれども、キースは攫わなかったから…。
二人ともおんなじ生まれだったのにね、と零した溜息。フィシスは自由に生きたけれども、逆の道を歩まされたのがキース。機械の手許に残ったばかりに、機械に縛られた人生。
「おいおい、同じ生まれって…。お前、あんなのが欲しかったのか?」
キースの野郎も、フィシスのと同じ青い地球を持っていたんだが…。前の俺も見たが、キースの地球まで欲しかったのか、前のお前は?
フィシスの地球だけじゃ足りなかったか、と鳶色の瞳が丸くなる。「欲張りだな」と。もう一つ地球が欲しかったのかと、まさかキースの分までとは、と。
「地球が欲しかったわけじゃないけれど…。そうじゃないけど…」
フィシスと同じように育っている子がいるんだったら、欲しかったかも…。知っていたなら。
同じ実験でキースを育てていると知っていたら、と見詰めたハーレイの瞳。優しい鳶色。
「前のぼくがそれを知っていたなら、攫ったかも…。フィシスくらいの年の頃にね」
もう少し育ってからでもいいかな、キースはジョミーと同い年だから貰っておいたら素敵だよ。
機械が作ったことは内緒で、フィシスみたいにミュウにしちゃって。
ジョミーの友達に、きっとピッタリ。喧嘩を売るようなタイプじゃないから、ジョミーが喧嘩を売りに行っても買わないよ。辛抱強く説得しそうで、ジョミーも話を聞いてくれるかも…。
船から飛び出して行かないかもね、と披露した考え。キースだったら、きちんと筋道立てて話をするだろう。ジョミーが「ぼくはミュウじゃない」と怒り出しても、黙って最後まで聞いてから。
「うーむ…。キースが説得するって言うのか、あの暴れ馬だったジョミーをなあ…」
歴史がすっかり変わりそうだが、それは確かにそうかもしれん。
お前がシャングリラに連れて来ていたら、俺の大嫌いなキースには育ちそうもない。
大人しいミュウの少年ってトコだな、シャングリラの中で大暴れをしたメンバーズとは別人で。喧嘩っ早いキムたちよりも腕は立つのに、それを一度も振るいはしない優等生。
いい人材に育ったろうさ、とハーレイも頷くものだから。
「ハーレイもそう思うでしょ?」
ジョミーの補佐役にもなってくれそうで、青い地球の映像もちゃんと持っていて…。
キースもきっと幸せだったよ、あんな風に生きて死んでゆくより。機械に人生を縛られ続けて、自分のやりたいようにやったら殺されてしまった人生よりも…。
本物のキースは、あの生き方でも後悔はしていないだろうけど…。
あれで満足だっただろうけど、シャングリラに来てたら別の人生を生きられたわけで…。
フィシスが自由に生きたみたいに、キースもジョミーと一緒に地球を目指して戦ったりして…。
そっちの方がずっと素敵で、幸せだったと思うんだよ。機械に捕まったままで生きてゆくより。
前のぼく、失敗しちゃったのかな…。
キースに気付かなかったこと、と項垂れたけれど。
もしもキースがフィシスと同じに作り出されて育っていたこと、それに気付いたなら、ミュウの未来も変わっただろうと思ったけれど…。
「仕方ないだろ、フィシスの時とは場所が違った」
お前がフィシスを攫ったせいで、実験の場所がE-1077に移っちまったから。
ミュウが攫って逃げたってことは、人類にも分かっていたんだろうし…。処分し損ねてミュウに攫われたんでは、ヤツらも嬉しくないからな。
二の舞は二度と御免だとばかりに、宇宙に移動したってことだ。ミュウが近付けないように。
フィシスがどうしてミュウになったか、其処までは掴んでいなかったろうが…。
それでも実験場所は移すだろうな、とハーレイが指摘する通り。キースはE-1077で機械が作り出したから、前の自分は知りようがない。キースが作られたことさえも。
「あの実験、終わりだと思ってたのに…」
フィシスを作って外に出したら、ミュウになっちゃったんだから…。
大失敗だし、そんな実験はもうしないだろう、って…。
「俺も続けるとは思わなかった。フィシスで失敗した以上はな」
せっかく無から作り出しても、ミュウになっては意味が無い。人類の指導者は人類でないと…。
だからやめたと思っていたのに、懲りずに続けていやがったんだ。ミュウの来ない場所で。
それで生まれたのがキースってわけで、もしも宇宙でなかったら…。フィシスと同じ所で続けていたなら、前のお前が攫いに行った、と。
…キースの野郎にも違う人生、実はあったのかもしれないんだな。
前のお前が攫ってシャングリラに連れて来ていれば…、とハーレイも驚く別の人生。キースには違いないのだけれども、まるで全く違ったキース。そういうキースがいたのかも、と。
「うん、メンバーズになってナスカに来ちゃう前から船にいるんだよ」
本物のミュウとは違うけれども、ミュウの仲間になってるキース。メンバーズにはならないで。
ジョミーの友達で補佐役なんだよ、キースなら、とても優秀だから。
「そう考えれば、流石の俺でも殴りたい気持ちが多少失せるが…」
あいつが歩み損ねた人生、そっちに行ってりゃ、仲間だったかもしれないとなると…。
だがな、世の中、結果が全てなんだ。
お前が何を考え出そうが、本物のキースはああいう極悪人でだな…。
前のお前に酷いことをしたメンバーズには違いない。ミュウのキースはいなかったから。
とても許す気にはなれないな、と鼻を鳴らしているハーレイ。「俺は許さん」と。
「前のお前を撃ったようなヤツは、極悪人だ」と。
「…やっぱり駄目?」
ハーレイはキースを許せないって言うの、可哀想な人生だったのに…。
前のぼくをメギドで撃ったのだって、機械がそういう風に育てたからだったのに…。
「当然だろうが、誰が許すか。前の俺はあいつを殴り損ねてしまったんだぞ」
地球の上で顔を合わせていたのに、殴るどころか挨拶をしてしまったのが前の俺なんだ。とても許す気になれはしないし、何処かで会ったら殴り飛ばしてやりたいんだが…。
しかし、さっきのキース君なら話は別だ。自転車で頑張って走っている子。
キースの野郎と名前が同じってだけの小さなスポーツマンだぞ、とハーレイが褒めるキース君。
「その子だったら好きになれるし、御馳走しようって気にもなるよな」と。
本当にいつか、何処かで会うかもしれないけれど。自転車に乗って、日本一周の旅や世界一周の旅をしているキース君に出会うかもしれないけれど…。
(…本物のキースのことだって…)
ハーレイに好きになって欲しい、と今だって思う。キース君のように気に入ってくれれば、と。
前の自分のことをハーレイは何度も繰り返すけれど、いつか自分も前の自分と同じ姿に育つ筈。
ハーレイと結婚式を挙げる時には、前の自分と同じに育っているわけだから…。
(前のぼくの姿を取り戻したら、今のハーレイのキース嫌いを直さなくっちゃね?)
キース嫌いが直らないままだとハーレイも辛いし、自分も悲しい。キースが機械のせいで歩んだ人生、その悲しさに気付かされたら、なおのこと。
違う人生を歩んでいたなら、キースも自由に生きられた。新聞に載っていたキース君のように。
だからハーレイのキース嫌いを直して、あの自転車のキース君に会えることがあったなら…。
(ハーレイに、「おっ、キース・アニアンと同じ名前か!」って、楽しそうに…)
心の底から笑顔になって欲しいと思う。
「俺はキースのファンなんだ」と肩を叩いて、「何かおごるぞ」と指差すメニュー。
「遠慮するなよ」と、「うんと高いのを頼んでいいぞ」と。
辛い人生を生きた本物のキース、そのキースのことも好きなハーレイになってくれたらいい。
今は無理でも時が流れて、自転車で一人旅をしているキース君に会える頃になったら…。
キースの道・了
※キースと同名の子供から、ブルーが考えたこと。本物のキースは選べなかった生き方。
前のブルーが攫っていたなら、別の人生があったのでしょう。そうならなかったのがキース。
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今は珍しくない名前だよね、とブルーが眺めた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間に。
SD体制を崩壊させた英雄の一人、国家主席だったキース・アニアン。彼は人類で、ミュウではなかった。その上、機械が無から作った生命。
けれども彼は強く生きたし、ミュウの時代を築く礎にもなった人間。お蔭で人間が全てミュウになった今でも、誰もが名前を知っているキース。遠い昔の英雄として。
彼の名前を子供につける親も多いから、「キース」の名を持つ子供は多い。今の学校にも何人かいる、キースと同じ名前の生徒。姓は「アニアン」ではないけれど。
この新聞に写真があるのも、そういう「キース君」たちの一人。此処からは少し遠い所で、下の学校に通っている子。まだ十歳で…。
(キースって言うより、シロエみたい…)
丸顔だから、幼い頃のシロエのよう。本物のシロエではない、と確信出来るけれども。もちろんキースの方でもない子。瞳の色が全然違うし、雰囲気だってまるで違う子。
幼い間は違うにしたって、育ってもきっと違うだろう。シロエにもキースにもならない。中身は全く別人だろうし、見た目もきっと。
(生まれ変わって来たのは、ぼくとハーレイの二人だけ…)
そうなのだろう、と前から思っていること。
今の自分とハーレイは前とそっくり同じ姿に生まれて来た上、前世の記憶も取り戻したけれど。チビの自分が育った時には、二人とも本当に前の通りになるけれど。
(ぼくに聖痕が現れるまでは、二人とも何も知らなかったし…)
生まれ変わりだと気付きもしないで生きていた。ハーレイの方は、三十七年間も。チビの自分も十四年間、まるで知らなかった自分の正体。まさかソルジャー・ブルーだったなんて。
神様に聖痕を貰ったくらいの、奇跡のような生まれ変わりでも、この有様。
(それに聖痕、最初は怖かったくらいだから…)
自分が別の人間だなんて、と怖かったのが記憶を取り戻す前。今の自分が消えてしまいそうで。
奇跡でさえも「怖い」と怯えた自分のことを覚えているから、いないのだと分かる前世の記憶を持って生まれた人間。同じ世界に前の自分の知り合いがいたって、前とは違う人間だろうと。
仮にキースやシロエがいたとしても、前の生の記憶を持ってはいないと。
今の自分とハーレイだけしか、生まれ変わって来ていない世界。前の生の記憶を持った形では。奇跡は簡単に起こりはしないし、本当にきっと二人だけ。
もっとも、そういう事情は全く抜きにしたって…。
(このキース君は別人だよね)
ぼくが出会ったキースとは、と眺める写真。輪郭だけならシロエに似ているキース君。生まれて直ぐには未来の姿は分からないから、こんなことだってあるだろう。
(ぼくの学校にも、名前だけがキースの生徒がいるしね?)
彼がそうだ、と言われなければ分からないキース。まるで似ていないものだから。
新聞の写真のキース君だって、何処にでもいる「英雄のキース」と同じ名前の男の子。キースの名前を貰っただけ。両親が「キースのように強く」と名付けた名前で、本物のキースとは違う。
けれど、新聞に載っているだけあって…。
(…日本一周…)
遠い昔の小さな島国、日本を名乗っている今の自分が住んでいる地域。日本だった頃とは地形がすっかり変わったけれども、日本は日本。かつて日本があった辺りに生まれた島国。
キース君は今の日本を一周する旅をしているという。
サイクリングが趣味のお父さんと一緒に、幼い頃から子供用の自転車で走り続けて。下の学校に入る前から、もう乗っていたという子供用自転車。小さな足で、せっせとペダルを踏んで。
そうやって始めた日本一周。長い休みには家から遠く離れた所を沢山走って、週末だって家から行ける範囲の所を走り続けて…。
(今度の週末にゴールイン…)
周り尽くした、今の日本。一度に周ったわけではなくても、日本を一周できる道路を。
北の端から南の端まで、西も東も、自転車で走ったキース君。雨の日だって、走れそうだと判断したなら、ペダルを踏んで。風が強い日も、暑い夏休みも、寒さが厳しい冬休みも。
そのキース君が今度の週末、お父さんと一緒に、住んでいる町に向かって走る。日本一周の旅を達成するための最後の道を。
キース君の家からは少し離れた町を出発点にして。
「最後は此処の道を走ろう」と、旅の最初に決めていた道路。ゴールになる町に向かって出発、朝にスタートするという。夕方までには家に着くよう、お父さんと二人で自転車を漕いで。
(なんだか凄い…)
たったの十歳、なのに自転車で日本一周。一度に周ったわけではなくても、積み重ねた距離。
子供の足でも走れる範囲で、お父さんに決めて貰った分を。「この休みには、これだけ」と。
(ぼくは自転車…)
辛うじて乗れるというだけのことで、自分の自転車も持ってはいない。弱い身体は直ぐに疲れてしまうし、友達と一緒に走ってゆけはしないから。
十四歳になった今でも自転車で走れる自信は無いのに、この子は走った。幼い頃から。
日本をぐるりと一周するだけの道を走って、週末にはゴール。だから新聞記事にもなる。近くに住んでいる人たちなら、最後の旅を道沿いで応援できるから。「頑張って!」と。
キース君とお父さんが乗った自転車、それが向こうからやって来たなら、手を振って。
(小さいのに、よく頑張ったよね…)
ホントに凄い、と日本一周だけでも感動するのに、十歳のキース君の次の目標。一人旅が出来る年になったら、今度は一人で日本一周。お父さんと一緒に走った道を一人で走る。
やり遂げた後は、世界一周の旅に出たいという。もちろん自転車、一人旅で。
(凄い夢だよ…)
ぼくの夢よりずっと大きい、と感心しながら戻った二階の自分の部屋。キース君が載った新聞を閉じて、空になったカップやケーキのお皿をキッチンの母に返してから。
勉強机の前に座って、さっき読んだ記事を考える。まだ十歳なのに自転車で日本一周、もうすぐゴールするキース君。旅を終えたら、次の目標に向かって走る。
一人旅をするには小さすぎるし、二回目の日本一周に行くか、トレーニングを積んでゆくのか。
未来の大きな夢に向かって、自転車で走るキース君。いつかは世界一周なんだ、と。
それに比べて自分ときたら、将来の夢はお嫁さん。ハーレイと一緒に旅もするけれど…。
(ぼく一人だと、隣町だって怪しいかも…)
きちんと辿り着けるかどうか。ハーレイの両親が暮らす、庭に夏ミカンの大きな木がある家に。
自転車で走ってゆけはしないし、車も運転できない自分。車の免許は取れそうにない。
歩いて行くなどもっと無理だし、路線バスに乗るしかないのだろう。直通のバスがあれば安心、乗り込めば運んでくれるから。
けれど乗り換えだと、間違えて違うバスに乗ってしまいそう。気付けば知らない町にいるとか。
隣町さえ、辿り着ける自信が無い自分。直通の路線バスが無ければ、一人きりでは。ハーレイの車に乗ってゆくなら、眠っていたって着けるけれども。
遠いもんね、と思い浮かべた隣町。とても歩いて行けない距離で、バスに乗るしかないけれど。
(キース君なら…)
その年だったら、自転車に乗って走って行ってしまうのだろう。隣町くらい、軽々と。
日本一周の旅に比べれば、近所を散歩するようなもの。きっと十歳のキース君にとっても。今の自分が結婚できるのは十八歳だし、キース君が同じ年になるには八年もある。八年間も練習できる自転車、今でも充分凄いのに。もっと上手くと、もっと速くとトレーニングを積んでゆく日々。
十八歳になった頃には、この町から隣町まで走るどころか、ずっと遠くの町からだって自転車で走り抜くだろう。隣町までの距離を、何日もかけて。
うんと遠くの町から走り始めるのならば、其処までは路線バスなどで行くのだとしても…。
(自転車も一緒に乗せて貰って、一人旅だよ)
上の学校に行く年でもあるから、十八歳なら、きっとそう。一人旅での日本一周、そういう旅に出る頃だから。今のキース君の目標なのだし、世界一周の夢に向かって一人で日本一周。
旅費を安く上げるためにも工夫を凝らして、自転車の旅。何処まで行ったら安い宿があるのか、下調べをして。「此処で泊まれたら楽なのに」と思う所に高い宿しか無ければ、テントとか。
一人で自転車の旅をするほどだったら、テントも楽に張れる筈。天気が急に悪くなりそうなら、宿のある場所まで走れないこともあるだろう。不測の事態に備えてテントで、高い宿しか無ければテント。宿泊費は全くかからないのだし、一番安く上がる宿。
(ぼくとは比較にならないってば…)
負けた、と思ったキース君。まだ十歳の子供だけれども、ぼくよりも上、と。
今の年でも自転車に乗って走ってゆける隣町。「すぐ隣だよ?」と子供用の小さな自転車で。
育った後にはもっと強くて逞しくなるし、とても敵わないキース君。夢は一人旅で日本を一周、それを終えたら世界一周なのだから。
(大きくなったら、世界一周…)
いつかハーレイと旅をしていたら、キース君が横を走って行きそう。
日本からは遠く離れた地域で、自転車に乗って、颯爽と。
旅慣れた様子で荷物なども積んで、向かい風でも負けはしないで。
そうなるかもね、と思う未来のこと。何処かで出会う、大きくなったキース君。
ハーレイのお嫁さんになるだけの自分と違って、目標に向かって走る途中の。八年後だったら、日本の中で出会うのだろう。それでも充分、凄すぎる。一人旅で自転車、それだけのことで。
(うー…)
ぼくは自転車にも乗れないのに、と悲しい気持ち。キース君に負けたと思い知らされる時。
ハーレイの車でドライブに出掛けて、一休みしようと入った店にキース君も入って来るだとか。店のドアを開けて、「一番安いのは何ですか?」と。
お腹が空いても、高い食事をしていたのでは旅費が高くなるだけ。店に入るなら、一番安いのを頼むだろう。メニューも見ないで、サッと尋ねて。
(ハーレイ、声を掛けちゃいそう…)
もしもキース君が入って来たなら、何が一番安い料理か訊いたなら。
ハーレイは自分もスポーツをやるし、同じ雰囲気を感じ取って。自転車と柔道は違うけれども、水泳も全く別なのだけども…。
(きっと分かるよね、どっちもスポーツなんだもの…)
自分の身体を動かさないと、自転車は前に進みはしない。どんなに険しい坂道だって、自転車のペダルを踏まないと少しも登れはしない。自転車だって、立派なスポーツ。旅ともなれば。
ハーレイのことだから、自転車で日本一周の旅の途中だと聞いたら、きっと大感激。キース君の年を聞いたら、なおのこと。
「まだ若いのに凄いもんだな」と、何か御馳走したりもして。「頑張れよ」と肩を叩いて。
「俺の嫁さんとは、えらい違いだ」とも言うかもしれない。自転車にも乗れやしないから、と。
(いいんだけどね…)
そう言われようが、ハーレイが「凄い子に会った」と喜ぼうが。その子の名前がキース君でも、ハーレイは気にもしないのだろう。いくらハーレイがキース嫌いでも、同じ名前というだけで嫌うわけがない。其処まで心が狭くはないし、キースと「キース君」は別。
せっかくだからと記念写真も撮るかもしれない、キース君と。
「お前よりずっと頑張ってるぞ」と笑って、「お前も入れ」と三人で写す記念写真。ドライブの途中で会った凄い子、自転車で日本を一周しているキース君と話をした記念に。
今のハーレイの心を鷲掴みにしそうなキース君。自転車で頑張るスポーツマン。自転車が好きな人は多いけれども、キース君ほどの子は滅多にいない。大勢いるなら、新聞に載りはしないから。
十歳の今でも敵わない子で、育ったらもっと敵わない。自転車に乗って日本一周、世界一周。
(ホントに、ぼくの負けだってば…)
前のぼくが会ったキースの方なら負けないけどね、と負け惜しみ。キース君が名前を貰った筈の英雄、キース・アニアン。あっちの方なら、負けてはいない。互角に戦えたのだから。
(今のぼくだと負けるけれども、前のぼくなら…)
メギドでだって、マツカが救いに来なかったならば、刺し違えていた。キースを道連れに死ねた筈だし、実力は互角。むしろ自分の方が上かも、と思った所で気が付いた。
本物のキースは、キース君とは違ったことに。
前の自分ならキースに負けてはいなかったけれど、そのキース。彼はどういう人間だったか。
(…本物のキース…)
前の自分が出会ったキースには、自転車で一緒に走ってくれるお父さんどころか、養父母さえもいなかった。機械が無から作った生命、水槽の中で育ったキース。育ての親も持たないままで。
(そこはフィシスと同じだけれど…)
フィシスもそういう生まれだったけれど、その先が違う。フィシスは前の自分が攫った。水槽の中でフィシスが見ていた、青い地球へと向かう夢。前の自分が魅せられたもの。
彼女が抱く青い地球が欲しくて、ミュウにしてまで手に入れた。自分のサイオンを分けて、白いシャングリラの仲間たちを皆、欺いて。
「ユニバーサルで生まれたミュウの少女だ」と、「青い地球を抱くミュウの女神だ」と。
そうやって迎え入れたフィシスはシャングリラで生きて、機械からは自由になった人生。彼女を処分しようとしていた研究者たちとも、無縁なままで。
(ぼくがフィシスをミュウにしなかったら…)
フィシスは機械の言うがままに生きていたのだろう。人類を導く理想の指導者、そういう立場に祭り上げられて。盲目だろうが、女性だろうが、一切を考慮されないで。
その運命から逃れたフィシス。生まれのことやナスカの悲劇を巡ってトォニィに責められたりもしたって、最後はとても幸せに生きた。船の仲間たちに全てを明かした後は。
カナリヤの子たちを立派に育てて、幼稚園の先生にもなって。今も伝わる「フィシス先生」。
機械が無から作ったものでも、フィシスは自由に生きたと思う。生まれのことで悩みはしても。自分の正体に気付いた後には、白いシャングリラで苦しんでいても。
誰もフィシスに「こう生きろ」などと命令しないし、自分の意志で選び取れた道。どういう風に生きてゆくのか、どの道を歩んでいけばいいかと。
(だけど、キースは…)
フィシスと違って、機械が敷いたレールの上を歩むことしか出来なかった。彼が育った水槽から外に出た後は。「キース・アニアン」として目を覚ました後は。
E-1077への入学時期に合わせて、水槽から外に出されたキース。その段階から既に、全て計算されていた。友達として、サムと出会わせるとか。宇宙船の事故に対処させるとか。
SD体制に逆らい続けたシロエも、キースを育てるために連れて来られた。ミュウ因子を持った少年を一人、と選び出されて。
キースが気付いていなかっただけで、友達のサムも、キースを敵視していたシロエも、何もかも与えられたもの。「キースに相応しい者」として。
サムとスウェナはジョミーの幼馴染の二人だったし、ミュウを知るのに役に立つ。キースが何も知らない頃から準備されていた、ミュウの長との出会いに備えたプログラム。
シロエも同じにミュウを知るため、それにキースに「人を殺す」ことを教えさせるためにと用意された。殺す相手が全て敵とは限らないのだと、ステーション時代のキースに教えるために。
それからフロア001のこと。キースが自分の生まれを知る日に備えて、蒔いておくべき疑問の種。いつか真実を知った時にも、けして動揺しないようにと。
(誰と出会って、誰と友達になるのかまで…)
周到に用意していた機械。キースが彼らと知り合うように、計算ずくで。
親友だったサムも、キースが殺したシロエも、マザー・イライザが出会わせた。そうなるように時を選んで、自然な形で顔を合わせるようにして。
(キースが自分の自由に出来たの、ほんのちょっぴり…)
機械が関与しなかったことは、マツカに出会って彼を生かしていたことくらい。マツカの正体を知っても隠し続けたキース。自分の側近にしておいたならば、誰も調べはしないから。不審な点があったとしたって、「まさか」と一笑に付されるだけ。キースの側近がミュウだなんて、と。
最後まで誰も気付かなかったマツカの正体。キースを庇って斃れた時も、人類側は誰一人として見なかった。サイオンを使ってトォニィと戦うマツカの姿を。
(SD体制が崩壊した後に…)
トォニィが語って、明らかになった「キースの側にミュウがいた」こと。マツカがミュウだった事実は直ぐに宇宙に広がり、ミュウと人類の距離を一気に縮めた。「本当に同じ人間なのだ」と。
キースが其処まで考えた上でマツカを側に置いていたのか、そういったことは分からない。長い時が流れた今になっても。
マツカを側近にしていた他には、サムの病院に何度も見舞いに出掛けていたこと。子供に戻ってしまったサムを見舞っても、機械には何の益も無い。それに費やす時間があるなら、もっと仕事をすればいのにと考えただろう。グランド・マザーなら、きっとそうだった筈。
けれどキースはそうする代わりに、かつての友を訪ねていた。多忙な任務の合間を縫って。
ミュウとの戦いが激しくなっても、やはり同じに。…部下たちを待たせて、サムの病院へと。
(それくらいしか、キースには…)
無かった自由。自分の意志で側に置けたのはマツカだけ。他の部下たちは、グランド・マザーが選んで配属したのだから。キースの役に立つ、優秀な人材で固められた周り。
「コーヒーを淹れるしか能が無い」と揶揄されたマツカと、心が子供に戻ったサム。それだけがキースが「選べた」者。側近としてミュウのマツカを、友として、かつての親友を。
本当に僅かだけだった自由。他には何も無かっただろう。キースが自分の好きに出来たことは。
(…キース、選べなかったんだ…)
自分の生まれも、生きてゆく道も。
機械に無から作り出されて、水槽の中で育ったキース。養父母も与えられないで。
フィシスよりもずっと長い期間を水槽の中しか知らずに生きて、目覚めたら大人社会への入口。機械が与えた友やライバル、サムやシロエと出会って別れたステーション時代。
全ては機械の手のひらの上で、自分が何かを知った後には、一層縛り付けられた。自分を無から作った機械に、それを命じたグランド・マザーに。
E-1077を処分してみても、キースの生まれは変えられない。マザー・イライザに作られ、育てられたこと。…人類を導く指導者になるべく、無から生み出されたこと。
どちらもキースを縛り続けて、知る前よりも失くした自由。自分が何かを知った後には。
キースがE-1077を処分した時には、アルテメシアがミュウの手に落ちていた。SD体制の時代に存在してはならない異分子、ミュウが反撃に転じた時代。
それから次々に陥落した星、負け知らずだった人類軍が敗れたという知らせばかりが届いた筈。国家騎士団にも、人類統合軍にも。
きっとキースには見えていただろう人類の未来。「このままではミュウに敗れる」と。
(だけど、人類の指導者になるしかない、って…)
そのために作られた生命なのだし、受け入れるしかなかった運命。国家騎士団総司令から、軍を離れてパルテノンへと。初の軍人出身の元老、それが指導者の道への始まり。
人類の敗色が日に日に濃くなる中でも、キースには無かった逃げる場所。他の元老たちが愚かな分だけ、キースが努力するしかなかった。国家主席の座に就いてまで。
ミュウの時代が来ると分かっても、グランド・マザーからミュウ因子の真実を知らされても。
ミュウは進化の必然なのだと、いずれ世界はミュウのものになると悟っても。
(…それでも逃げられなかったんだよ…)
人類の指導者として作られた生命だったから。他の生き方は出来なかったから。
普通の生まれの人間だったら、マザー・システムにも見切りを付けられただろう。所詮は機械の言うことだから、と切り捨てて。
キースも最終的にはそうしたけれども、もっと早くに。
機械との因縁が何も無ければ、他の人間たちと全く同じに人工子宮から生まれていれば。機械が無から作ったからこそ、キースは縛り付けられた。自分を作り出した機械とシステムに。
(そのために作った人間なんだ、って言われちゃったら…)
逆らうことなど出来なかっただろう。幼い子供ならばともかく、軍人として育ったキースには。
長い年月、メンバーズとして培った強い意志やら理性。それらが逃げ道を塞いだだろう。臆病な者なら逃げられても。「こんな道は嫌だ」と、後をも見ずに走り去っても。
(…もしもキースが、逆らう道を選んだら…)
たちまち導き手を失う人類。見る間にミュウに敗れてしまって、劣等種に成り下がるしかない。
本当はそうではなかったのに。ミュウは対話を望んでいただけ、共に歩みたかっただけ。
けれど機械は認めはしないし、キースもそれに従った。人類を導く者として。ミュウは忌むべき存在なのだと、最後の一人まで滅ぼすべきだと。
そうやって生きたキースの側には、ミュウのマツカがいたというのに。グランド・マザーが何を言おうと、キースには分かっていた筈なのに。…ミュウがどういう存在なのか。
ああいう生まれでなかったならば、異を唱えることも出来ただろう。もっと早くにミュウと手を結び、SD体制を倒すことだって。
SD体制を維持するために作り出された、理想の指導者という立場。それがキースを呪縛した。真実を知る者は誰もいなくて、知ったシロエは死んだ後でも。
E-1077を処分した後も、けして変えられない生まれ。機械が自分を作ったのなら、自らの責務を全うすべき。自分の意志はどうであろうと、グランド・マザーの導きのままに。
(…そんな生き方、可哀想すぎるよ…)
前のぼくの方がよっぽどマシだ、と今頃になって思い知らされた。
シャングリラの格納庫でキースと対峙した時、彼の生まれを見抜いたけれど。フィシスと同じに機械が作った生命だろうと気付いたけれども、それだけのこと。
そうして生まれたキースの方には、まるで考えが及ばなかった。前の自分に残された時間、そのことばかりを考えていて。…生まれ変わった今になっても、自分のことだけで手一杯で。
(…キースが来たから、目を覚まして…)
白いシャングリラを守るためにと、命を捨てた前の自分。
ハーレイの温もりだけを右の手に持って、一人きりでメギドを目指して飛んだ。其処でキースに何発も撃たれ、失くしてしまった右手の温もり。
(ハーレイとの絆が切れちゃった、って…)
もう二度と会えはしないのだ、と泣きじゃくりながら死んだソルジャー・ブルー。冷たく凍えた右手の記憶は、今も自分の中にある。その悪夢を見て飛び起きる夜があるほどに。
それでもキースを許しているから、ハーレイのように嫌いはしない。キースは自分の生きるべき道を生きていただけで、けして悪人ではないのだから。
機会があったら話してみたい、と何度思ったことだろう。違う出会い方をしていたならば、友になれたと思うから。ミュウと人類でも、憎み合わずに、理解し合って。
そういう夢を何度も描いて、今のハーレイにも話したのに。その度に顔を顰められては、恋人が心に負わされた傷の深さを思って辛かったのに…。
肝心のキースには思い至らなかった。どれほど辛い人生だったか、彼が負わされた重荷には。
キースには選べなかった生き方。自分の意志ではどうしようもなくて、選ぼうとも思わなかっただろう。そのように育てられたから。機械が彼を育てた後には、メンバーズの道があったから。
(思い通りに生きるなんてこと…)
自分の自由に生きることなど、キースにとっては罪だったろう。上官の命令には従うものだし、それが出来ないなら軍人ではない。軽蔑すべき一般人。
だからこそ自分を厳しく律して、私情は抜きで生き続けた。例外はマツカを生かして側に置いたことと、かつて親友だったサムの病院を何度も見舞っていたこと。
それだけがキースの精一杯の自由、機械の命令を無視してやっていただろうこと。けれど、それ以上は無理だった。彼の生まれと受けた教育、その後の生き方が邪魔をして。
(好きに生きたら規律違反で、おまけに機械が無から作った生命で…)
機械が指導者になれと言うなら、そう生きるしかなかっただろう。ミュウ因子の真実を知っても直ぐには動けずに。…人類の指導者だったから。
(…キースの好きに決めていいなら、その時点で和解しちゃっても…)
国家主席の命令ならばと、途惑いながらも従っただろう人類たち。キースがグランド・マザーを停止させても、やはり同じに従った筈。最初の間は混乱しても、国家主席の命令だから。
そういう道もあったというのに、キースは選びはしなかった。
最後まで人類のことを考え、彼らのために最良の道を進み続けた。「自分自身で考えろ」というメッセージを残して、彼らに選ばせた道。キースの方から押し付けないで。
ジョミーと二人でグランド・マザーの所へ行った時には、とうに答えを出していたのに。
マザー・システムはもう時代遅れだと、機械の時代は終わらせねばと心を決めていた筈なのに。
それでもキースは「人類の指導者」であろうとした。
その責任を果たそうと剣まで握って戦い、それが悲劇を招いてしまった。
グランド・マザーは、キースが人類の代表者だと捉えていたから。自分たちが生み出した理想の指導者、キースが反旗を翻すなどは有り得ないと。
(だから、キースの言葉尻を捉えて…)
SD体制の続行は承認された、と誤った答えを弾き出した機械。
その誤りに気付いたキースが逆らった時は、もう何もかもが遅すぎた。粛清されるしかなかったキース。機械は彼の思考を理解できずに、異分子だと判断を下したから。
生まれて初めて自分のやりたいようにやったら、キースの命に打たれたピリオド。それも自分を作らせた機械、グランド・マザーの手によって。
其処までの日々を、キースは懸命に生きたのに。ほんの僅かな自由しかない、生き方も選べない人生。そのようにしか生きられないまま、それが自分の道なのだからと茨の道を。
(…前のぼくだって、酷い目に遭っていたけれど…)
アルタミラで地獄を味わわされて、脱出した後も幾つも重なった苦労。シャングリラがミュウの箱舟になっても、消せはしなかった深い悲しみ。ミュウの未来を案じ続けて。
ソルジャーになってしまったけれども、やたら偉そうな肩書きや制服などを除けば、自分自身で選んだ道。「嫌だ」と思いはしなかった。「この道を行こう」と選んで生きた。
キースに何発も撃たれた末に、泣きじゃくりながら死ぬことになったメギドにしても…。
(そうするしかない、って追い込まれたわけじゃ…)
けしてなかった、前の自分。
誰も「行け」とは言わなかったし、どちらかと言えばきっと止められた方。何をしようと考えているか、それが仲間に知れたなら。…前のハーレイが「駄目です」と腕を掴むとか。
ハーレイにだけは「ジョミーを支えてやってくれ」と思念で伝えていたから、ハーレイがそれに逆らったならば、皆に取り押さえられていただろう。ブリッジの者たちが総がかりで。
ジョミーがいても、ソルジャー・ブルーは失えない。船の誰もがそう考えただろうから。
(絶対、止める方だよね…)
そうだろうから、皆には嘘をついて出た。「ナスカに残った仲間たちを説得しに行く」と。
つまりは自分で選んだ道。これで死ぬのだと分かっていたって、自分の意志で。
ハーレイとの別れは辛かったけれど、ミュウの未来が欲しかったから。…自分の命と引き換えにそれが手に入るのなら、命など惜しくはなかったから。
誰に強制されたわけでもない人生。前の自分は思ったままに生きたというのに、それとはまるで逆様だったキースの人生。機械に無理やり歩まされたと言っていいほど。
(キース、ホントに可哀想だよ…)
あんな機械に縛られちゃって、とキースが気の毒でたまらない。
フィシスのように逃がしていたなら、別の人生があっただろうに。もっと彼らしく生きてゆける道が、自分の意志で歩める道がキースにも待っていたろうに。
もしも、と考えるキースのこと。前の自分がフィシスと同じに攫っていたなら、どういう人生を歩んだろうか、と。
キースはジョミーと同い年だし、フィシスくらいの年でシャングリラに連れて来ていたら、先に船にいたミュウの少年の一人。ジョミーと喧嘩したキムたちのように。
(キースなら喧嘩しないだろうし、ジョミーの友達には丁度よくって…)
いい補佐役になっていたのかも、と思っていた所へチャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、早速ぶつけた自分の考え。テーブルを挟んで向かい合うなり。
「あのね、キースは可哀想だったと思わない?」
ハーレイはキースが大嫌いだけど、そのキース。とっても可哀想なんだけど…。
「はあ?」
あいつの何処が可哀想なんだ。お前、自分と間違えていないか、前のお前と。
可哀想だったのはお前だろうが、とハーレイが眉間に寄せた皺。「あの野郎め」と、メギドでのことを持ち出して。ハーレイは聖痕を目にしているから、嫌うのも無理はないけれど…。
「それとは別だよ、キースが生きた人生のこと。メギドはほんの一部分でしょ?」
キースはナスカを滅ぼした後も生きたけれども、自分で生き方、選べなかったよ。
…キース君みたいに目標を立てて、それに向かって頑張るとかは。
「誰だ、そりゃ?」
キース君と言っても、今の学校にも何人かいるが…。どのキース君だ、何処のクラスだ?
学年の方も教えてくれ、とハーレイは見事に勘違いした。そうなるくらいに、今の時代は何人もいる「キース君」。SD体制を倒した英雄、キース・アニアンの名前を貰った子供。
本物のキースは、彼らのようには生きられないで終わったのに。自分の生き方を選んだ途端に、機械に命を絶たれたのに。
「ううん、ぼくの学校の生徒じゃなくって、今日の新聞…」
キース君っていう子供が載ってたんだよ、まだ十歳の男の子。
小さい頃から自転車に乗ってて、お父さんと一緒に日本一周の旅をしてるんだって。
その旅が今度の週末でゴールらしくて、キース君の夢も載っていて…。
一人旅が出来る年になったら、今度は一人で日本一周。…もちろん自転車に乗って。
日本一周の旅が済んだら、次は世界を一周だって。
小さいけれども凄い子だよ、とキース君のことを説明した。
いつか旅先で出会いそうな子で、ハーレイも好きになりそうだよね、と。
「世界一周の旅の途中か、日本一周の時にバッタリ会うか…。だって自転車なんだもの」
お店で休憩だってするでしょ、一番安いものを頼んで。きっとそういう旅なんだよ。
ぼくたちがいるお店に入って来たら、ハーレイ、声を掛けそうじゃない。自転車で旅行中だって聞いたりしたら、何か御馳走してあげそう…。「頑張れよ」って。
「そりゃまあ、俺も頑張っているヤツは好きだから…。自転車のスポーツマンだしな?」
柔道や水泳とは違う道だが、御馳走したくもなるだろう。俺たちのテーブルに呼んでやって。
しかし、何処から本物のキースに繋がるんだ?
その自転車で走るキース君が…、とハーレイは怪訝そうな顔。「自転車だろう?」と。キースが自転車に乗っていたとは聞かないが、とも。「メンバーズだから当然、乗れるんだろうが」と。
「自転車は関係ないんだよ。キース君の夢の方が問題」
キース君には未来の目標があって、いつか自分の力で掴んでいくけれど…。
これからも自転車で走り続けて、一人旅が出来る年になったら、日本一周に出掛けるけれど…。
世界一周の旅にも行くよね、日本一周が終わったら。…何処から周るか、計画を立てて。
だけど、本物のキースには無理だったんだよ。そういう目標とか、夢を持つこと。
キースが生きていく道は全部、機械に決められちゃっていたから…。水槽の外に出た時からね。
友達にはサムが丁度いいとか、ライバルにシロエを連れて来るとか…。何もかも全部。
フィシスはぼくが攫ったけれども、キースは攫わなかったから…。
二人ともおんなじ生まれだったのにね、と零した溜息。フィシスは自由に生きたけれども、逆の道を歩まされたのがキース。機械の手許に残ったばかりに、機械に縛られた人生。
「おいおい、同じ生まれって…。お前、あんなのが欲しかったのか?」
キースの野郎も、フィシスのと同じ青い地球を持っていたんだが…。前の俺も見たが、キースの地球まで欲しかったのか、前のお前は?
フィシスの地球だけじゃ足りなかったか、と鳶色の瞳が丸くなる。「欲張りだな」と。もう一つ地球が欲しかったのかと、まさかキースの分までとは、と。
「地球が欲しかったわけじゃないけれど…。そうじゃないけど…」
フィシスと同じように育っている子がいるんだったら、欲しかったかも…。知っていたなら。
同じ実験でキースを育てていると知っていたら、と見詰めたハーレイの瞳。優しい鳶色。
「前のぼくがそれを知っていたなら、攫ったかも…。フィシスくらいの年の頃にね」
もう少し育ってからでもいいかな、キースはジョミーと同い年だから貰っておいたら素敵だよ。
機械が作ったことは内緒で、フィシスみたいにミュウにしちゃって。
ジョミーの友達に、きっとピッタリ。喧嘩を売るようなタイプじゃないから、ジョミーが喧嘩を売りに行っても買わないよ。辛抱強く説得しそうで、ジョミーも話を聞いてくれるかも…。
船から飛び出して行かないかもね、と披露した考え。キースだったら、きちんと筋道立てて話をするだろう。ジョミーが「ぼくはミュウじゃない」と怒り出しても、黙って最後まで聞いてから。
「うーむ…。キースが説得するって言うのか、あの暴れ馬だったジョミーをなあ…」
歴史がすっかり変わりそうだが、それは確かにそうかもしれん。
お前がシャングリラに連れて来ていたら、俺の大嫌いなキースには育ちそうもない。
大人しいミュウの少年ってトコだな、シャングリラの中で大暴れをしたメンバーズとは別人で。喧嘩っ早いキムたちよりも腕は立つのに、それを一度も振るいはしない優等生。
いい人材に育ったろうさ、とハーレイも頷くものだから。
「ハーレイもそう思うでしょ?」
ジョミーの補佐役にもなってくれそうで、青い地球の映像もちゃんと持っていて…。
キースもきっと幸せだったよ、あんな風に生きて死んでゆくより。機械に人生を縛られ続けて、自分のやりたいようにやったら殺されてしまった人生よりも…。
本物のキースは、あの生き方でも後悔はしていないだろうけど…。
あれで満足だっただろうけど、シャングリラに来てたら別の人生を生きられたわけで…。
フィシスが自由に生きたみたいに、キースもジョミーと一緒に地球を目指して戦ったりして…。
そっちの方がずっと素敵で、幸せだったと思うんだよ。機械に捕まったままで生きてゆくより。
前のぼく、失敗しちゃったのかな…。
キースに気付かなかったこと、と項垂れたけれど。
もしもキースがフィシスと同じに作り出されて育っていたこと、それに気付いたなら、ミュウの未来も変わっただろうと思ったけれど…。
「仕方ないだろ、フィシスの時とは場所が違った」
お前がフィシスを攫ったせいで、実験の場所がE-1077に移っちまったから。
ミュウが攫って逃げたってことは、人類にも分かっていたんだろうし…。処分し損ねてミュウに攫われたんでは、ヤツらも嬉しくないからな。
二の舞は二度と御免だとばかりに、宇宙に移動したってことだ。ミュウが近付けないように。
フィシスがどうしてミュウになったか、其処までは掴んでいなかったろうが…。
それでも実験場所は移すだろうな、とハーレイが指摘する通り。キースはE-1077で機械が作り出したから、前の自分は知りようがない。キースが作られたことさえも。
「あの実験、終わりだと思ってたのに…」
フィシスを作って外に出したら、ミュウになっちゃったんだから…。
大失敗だし、そんな実験はもうしないだろう、って…。
「俺も続けるとは思わなかった。フィシスで失敗した以上はな」
せっかく無から作り出しても、ミュウになっては意味が無い。人類の指導者は人類でないと…。
だからやめたと思っていたのに、懲りずに続けていやがったんだ。ミュウの来ない場所で。
それで生まれたのがキースってわけで、もしも宇宙でなかったら…。フィシスと同じ所で続けていたなら、前のお前が攫いに行った、と。
…キースの野郎にも違う人生、実はあったのかもしれないんだな。
前のお前が攫ってシャングリラに連れて来ていれば…、とハーレイも驚く別の人生。キースには違いないのだけれども、まるで全く違ったキース。そういうキースがいたのかも、と。
「うん、メンバーズになってナスカに来ちゃう前から船にいるんだよ」
本物のミュウとは違うけれども、ミュウの仲間になってるキース。メンバーズにはならないで。
ジョミーの友達で補佐役なんだよ、キースなら、とても優秀だから。
「そう考えれば、流石の俺でも殴りたい気持ちが多少失せるが…」
あいつが歩み損ねた人生、そっちに行ってりゃ、仲間だったかもしれないとなると…。
だがな、世の中、結果が全てなんだ。
お前が何を考え出そうが、本物のキースはああいう極悪人でだな…。
前のお前に酷いことをしたメンバーズには違いない。ミュウのキースはいなかったから。
とても許す気にはなれないな、と鼻を鳴らしているハーレイ。「俺は許さん」と。
「前のお前を撃ったようなヤツは、極悪人だ」と。
「…やっぱり駄目?」
ハーレイはキースを許せないって言うの、可哀想な人生だったのに…。
前のぼくをメギドで撃ったのだって、機械がそういう風に育てたからだったのに…。
「当然だろうが、誰が許すか。前の俺はあいつを殴り損ねてしまったんだぞ」
地球の上で顔を合わせていたのに、殴るどころか挨拶をしてしまったのが前の俺なんだ。とても許す気になれはしないし、何処かで会ったら殴り飛ばしてやりたいんだが…。
しかし、さっきのキース君なら話は別だ。自転車で頑張って走っている子。
キースの野郎と名前が同じってだけの小さなスポーツマンだぞ、とハーレイが褒めるキース君。
「その子だったら好きになれるし、御馳走しようって気にもなるよな」と。
本当にいつか、何処かで会うかもしれないけれど。自転車に乗って、日本一周の旅や世界一周の旅をしているキース君に出会うかもしれないけれど…。
(…本物のキースのことだって…)
ハーレイに好きになって欲しい、と今だって思う。キース君のように気に入ってくれれば、と。
前の自分のことをハーレイは何度も繰り返すけれど、いつか自分も前の自分と同じ姿に育つ筈。
ハーレイと結婚式を挙げる時には、前の自分と同じに育っているわけだから…。
(前のぼくの姿を取り戻したら、今のハーレイのキース嫌いを直さなくっちゃね?)
キース嫌いが直らないままだとハーレイも辛いし、自分も悲しい。キースが機械のせいで歩んだ人生、その悲しさに気付かされたら、なおのこと。
違う人生を歩んでいたなら、キースも自由に生きられた。新聞に載っていたキース君のように。
だからハーレイのキース嫌いを直して、あの自転車のキース君に会えることがあったなら…。
(ハーレイに、「おっ、キース・アニアンと同じ名前か!」って、楽しそうに…)
心の底から笑顔になって欲しいと思う。
「俺はキースのファンなんだ」と肩を叩いて、「何かおごるぞ」と指差すメニュー。
「遠慮するなよ」と、「うんと高いのを頼んでいいぞ」と。
辛い人生を生きた本物のキース、そのキースのことも好きなハーレイになってくれたらいい。
今は無理でも時が流れて、自転車で一人旅をしているキース君に会える頃になったら…。
キースの道・了
※キースと同名の子供から、ブルーが考えたこと。本物のキースは選べなかった生き方。
前のブルーが攫っていたなら、別の人生があったのでしょう。そうならなかったのがキース。
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