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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

タマネギの記憶

(おっ…!)
 こいつはいいな、とハーレイの目に留まった野菜。ブルーの家には寄れなかった日、買い出しに寄った馴染みの食料品店で。
 秋タマネギの山がドッサリ、新入荷の文字が躍っている。産地直送、美味しいタマネギで評判の高い場所からの。今朝、掘り上げたばかりだと書かれたタマネギ、山と積まれたタマネギの袋。
 細かい網の袋に詰まったタマネギはどれも、料理のし甲斐がありそうで。
(美味いんだよなあ、秋タマネギも)
 知る人ぞ知るというヤツだ、とタマネギの山と向き合った。春のものと違って生で食べるのには向かないけれども、熱を加えると春タマネギより甘くなるのが秋タマネギ。
 それを知らない人が秋タマネギを買うと、「採れたてだから」と春タマネギと同じつもりで生で食べては、「辛かった」と文句を言うものだから。売られる時にも注意書きなど無いものだから、辛いと思われているのが秋タマネギ。実の所は春タマネギより甘いのに。
(…ちょっと一言、書いておけばと思うんだがな?)
 そうすれば誤解も解けるだろうに、と秋タマネギを眺めるけれども、「余計なお世話だ」という顔をしている秋タマネギ。「分かる人には分かるのだ」とばかりに自信たっぷり。
 採れたての誇り、名産地から来たという誇り。
 余計なことなどして貰わずとも、どんどん売れてゆくのだから、と。



 誇らしげなタマネギの山をグルリと見回していたら、ポンと頭に浮かんだメニュー。
(今夜はオニオングラタンスープといくか)
 シンプルだけども、秋タマネギの真価を引き出す料理。薄くスライスしたタマネギをじっくり、時間をかけて炒める所が肝だから。飴色になるまで、弱火でゆっくり。
 コンソメスープを加えて煮込んで、耐熱容器にそうっと入れて。注いだスープの上にバゲット、目の詰まった田舎パンでもいい。それからグリュイエールチーズをたっぷりと乗せてオーブンへ。
 炒めたタマネギを更に煮込んで、仕上げにオーブンと三段階も加熱するスープ。
 熱を加えれば甘くなる秋タマネギにはピッタリの料理、今の季節にも似合いの料理。冷える日もあるし、今日も夕方の風がひんやりしていたから。
 よし、と買うことに決めたタマネギ。
 入荷したばかりの品なのだからと、タマネギが詰まった網袋を二つ、レジに持ってゆく籠の中に入れた。家で保存しておくのに丁度いい量、このくらいの量なら傷む前に使い切れるから。



 肉に野菜に…、と買い込んで車で家に帰って。
 冷蔵庫に入れるものは先に、と仕分けて片付け、着替えた後に戻ったキッチン。ドンと置かれた網袋が二つ、中身はタマネギ。
(秋タマネギなあ…)
 オニオングラタンスープ用に一個、と取り出した。淡い緑色にも見える皮を纏ったタマネギを。残りのタマネギは、吊るしておくのが一番の保存方法だけれど…。
(この長さでは無理、と)
 タマネギの頭と言ったらいいのか、出荷される前は葉っぱがついていた部分。その部分の長さが充分にあれば、タマネギを吊るしておくことが出来る。袋に入れずに、そのままで。
 隣町に住む両親の家だと、そうやって幾つも吊るしてあるもの。葉っぱの部分を残して貰って、紐で縛って。風がよく通る、物置の軒下に吊られたタマネギの束。
 このタマネギでは真似られないから、紐で縛れる部分が無いから。せめて袋ごと、とキッチンの棚の端っこを上手く使って吊るした。風の通る場所に。経験的にも、此処が一番。
(沢山あるなら、ガレージに吊るしてやるんだがな?)
 食料品店ではなくて、農家から買って、紐で縛ってドッサリと。ガレージの屋根に棒を渡して。
 けれども、一人暮らしでは…。
(そういうわけにもいかないってな)
 大量のタマネギを使い切れるか、そこが難しい所だから。
 熱を加えたら甘くて美味しい秋タマネギだって、煮込み料理などを大量に仕込めはしないから。
 最高の保存方法を知っているというのに、使えない自分。袋ごと吊るすのが精一杯。



 さて、と取り掛かろうとしたオニオングラタンスープ。
 まずはこいつを炒めてからだ、とタマネギの皮を剥こうとしたら。
(…ん?)
 不意に掠めた、遠い遠い記憶。遥かな遠い時の彼方で、タマネギの皮を剥いていた自分。それに前のブルー、少年の姿で隣に立って手にはタマネギ。
 今のブルーと見た目はそっくり同じなブルーが、タマネギの皮を剥いていた。山と積まれたのを一つ取っては、ペリペリと。
(…あいつがタマネギ…)
 そういえば、と懐かしい記憶が蘇って来た前の自分がいた厨房。名前だけは立派にシャングリラだった船の厨房、其処で料理をしていた自分。
 タマネギを使う料理の時には、前のブルーが刻むのを手伝ってくれていたことが何度もあった。目にしみるからと、泣きながら。
 タマネギを切ったら傷つく細胞、そこから出てくる硫化アリル。それに目をやられて、ポロポロ零していた涙。とんでもないね、と泣き笑いといった表情で。
 涙は流しているのだけれども、顔には笑み。傍で見ていても愉快だったタマネギと戦うブルー。
「しみるんだったら、シールドすればいいんじゃないか?」
 簡単だろうが、目の周りだけをシールドだ。そうすりゃ涙もピタリと止まると思うがな?
「でも、ぼくがやってるのは料理だよ?」
 …料理の準備って言うべきなのかな、タマネギを刻む所だけだし…。
 そんな時までシールドしていちゃ、人間らしくないと思わない?
 だからやらない、と答えたブルー。
 タマネギで涙も出ないようでは人らしくないし、このままでやるのがいいんだから、と。
 それを言うなら、タマネギを切っても涙が出ない人間だって少なくないのに。
 前の自分も含めて厨房を仕事場にしていた料理人たちは、誰も泣いてはいなかったのに。



(前のあいつなあ…)
 今のブルーに瓜二つだった頃の、少年の姿をしていたブルー。
 タマネギにやたら弱かったような気がする、刻む度に涙が零れるほど。零れた涙が頬を伝って、タマネギの上にポタリと落ちたりしていたほど。
 それを面白がって来ていた、厨房まで。タマネギを刻みに、それは嬉しそうに。
(あいつのオモチャじゃなかったんだが…)
 オモチャではなくて、大切な食料だったタマネギ。前のブルーが奪ってくる度、傷まないように気を付けて貯蔵していたものだ。吊るしておくなど、当時は思いもしなかったけれど。
 そのタマネギを使うとなったら来ていたっけな、と前のブルーを思い出す。今も鮮やかに脳裏に浮かぶ、ブルーがしていた泣き笑い。涙を流して、けれど笑って。
 大量のタマネギを厨房に運んでおいたら、いそいそとやって来たブルー。
(あいつと一緒に皮を剥いて、だ…)
 剥き終わったら、せっせと刻んだ。船の仲間たちの胃袋を満たすのに、充分な量のタマネギを。その日の料理に必要な分を、料理に合わせた切り方で。
 薄切りだったり、微塵切りだったり、輪切りにしたり。
 それは様々なタマネギの料理を作ったけれども、今日のようなオニオングラタンスープは…。
(やっていないな)
 作っちゃいない、と手際よく薄切りにした秋タマネギ。次はじっくり炒めてゆく。
 そうやって炒めたタマネギにコンソメを入れたオニオンスープは、船で何度も作ったけれど。
 バゲットや田舎パンを浮かべて、グリュイエールチーズを乗せて焼き上げるのは無理だった。
 そこまで凝ることは出来なかったのが当時の厨房。
 オニオンスープが限界だった。バゲットも田舎パンも浮かんではいない、とろけたチーズも無いスープ。ただのオニオンスープしか。



 何度もブルーとタマネギを刻んで、オニオンスープを作った自分。
 オニオンスープなら作れたけれども、オニオングラタンスープは作れなかった船。
(俺が厨房を離れた後は…)
 どうだったのか、と遠く遥かに流れ去った時の彼方を思う。
 前の自分がキャプテンになっても、厨房は変わらなかった筈。食材は前のブルーが人類の船から奪ったものを使っていたから、手に入った食材に合わせて決められたメニュー。厨房にあった鍋やフライパンも、ブルーが奪って来た物資。
(船に元からあったヤツだって、使っちゃいたが…)
 ウッカリ焦がして駄目になったりすれば取り替え、新しい物に。その程度の変化が厨房の全て、劇的に変わりはしなかっただろう。
 厨房はずっと厨房だったし、場所さえ移りはしなかった。あの船の頃は。
(しかしだな…)
 キャプテンとして舵を握っていた船は、後にすっかり変わったから。
 見た目も中身もまるで違った、白い鯨に大変身を遂げたから。
(…あれから後だと…)
 厨房も別物になった筈だぞ、と考えた所でハタと気付いた。
 白いシャングリラにはあったのだった、と蘇った記憶。
 自分は作っていなかったけれど、ちゃんとオニオングラタンスープが。
 シャングリラの農場で採れたタマネギと、船で育てた牛のミルクから作ったチーズを惜しみなく使って。シャングリラで実った小麦のバゲット、それをパリッと乾かして入れて。



 白い鯨で作られるようになった、熱々のオニオングラタンスープ。
 仲間たちにも好評だった、と顔を綻ばせながら炒めてゆくタマネギ。少しでも焦げたら台無しになるから、弱火で時間をかけてじっくり。タマネギが透き通ったくらいでは足りない、これからが腕の見せ所。全部が均等に飴色になるまで、鍋底が焦げてしまわないように、気を付けて。
 前のブルーが何度も刻んでいたタマネギ。涙をポロポロ零しながら。
 けれども今はブルーの手伝いは無くて、鍋の中身は自分が一人で刻んだタマネギ。それを思うと少し寂しい、小さなブルーはいるのだけれども、まだ手伝ってはくれないから。
 今のブルーもタマネギを切ったら涙をポロポロ零すだろうか、と小さなブルーを思い描いたら、重なった前のブルーの顔。タマネギと格闘していた時の泣き笑い。
 前の自分が厨房を離れてしまった後には、ブルーはタマネギと戦うのをやめてしまったけれど。
 「君がいないのに、つまらないじゃないか」と戦線離脱で、それっきり。
 シャングリラが白い鯨になった後にも、戦ったりはしていないだろう。それにソルジャーだったブルーが一人で厨房に行けば、タマネギ相手の戦いどころか、視察だと取られてしまったろう。
 ブルーが「刻んでみたい」と言っても、「ソルジャーがなさることではありませんから」などと言われて断られたろう、タマネギ刻みは。
 代わりに厨房のスタッフがリズミカルに刻んで、「今日のメニューは…」と説明しながら始める料理。「このタマネギで作る料理は今日はこれです」と。



 まさか本当にタマネギを刻みに出掛けてはいないと思うんだが…、と浮かべた苦笑い。
 いくらタマネギ刻みを懐かしく思っても、厨房に行っても前の自分はいないのだから。居場所はブリッジに変わってしまって、タマネギ刻みをすることは無かったのだから。
 前のブルーが厨房に行くなら本当に視察くらいなものだ、とタマネギを炒めながら考える。前のブルーは見ただろうかと、オニオングラタンスープが出来る所を、と。
 途端に浮かび上がった記憶。前のブルーと、今、作っているオニオングラタンスープがピタリと重なった。これからコンソメを入れて味を整え、バゲットを浮かべるつもりのスープ。
(…あいつの好物…)
 前のブルーの好物だった。厨房で作られ、青の間のキッチンで仕上げられていた熱々のオニオングラタンスープ。とろりと溶けたチーズがたっぷり入ったスープが。
 青の間のキッチンにオーブンは置かれていなかったから、温め直していたのだけれど。
 厨房のオーブンで焼き上げたものを、またグツグツと滾り出すまで。
(たまに、出来立て…)
 それが食べたいと出て来ていた。青の間で一人で食べるのではなくて、食堂まで。
 シャングリラの仲間たちが集まる食堂。オニオングラタンスープが供される時に来たなら、もう間違いなく出来立てのものが食べられるから。
 温め直したスープではなくて、オーブンから出されたばかりの火傷しそうな熱さのものを。まだグツグツと滾っているのを、スプーンで掬って。
 ブルーが食堂にやって来た時は、前の自分も一緒に食べた。ソルジャーの視察についてゆくのと同じ具合に、ブルーと二人で。



(…そうだ、あいつと…)
 食事したのだった、白いシャングリラの食堂で。
 ブルーのお目当ての熱々のオニオングラタンスープはもちろん、他の料理も。スープとセットで運ばれてくる魚料理や、肉料理。その時々で違ったメニュー。
 普段は出来ない、ブルーとの食事。キャプテンだった自分は食堂で食べていたけれど、ブルーは青の間で食事をしていた。ソルジャーの威厳を高めるためにと作り上げられた、広大な部屋で。
 誰が決めたのか、ソルジャーの食事は厨房から運ばれ、青の間のキッチンで仕上げられるもの。皆と一緒に食事はしなくて、それもブルーの偉さを示していたのだけれど。
 ブルーは食堂に来なかったから、朝の報告と称して青の間で二人で食べていた朝食以外は、常に別々の場所での食事。ブルーは青の間、前の自分は他の仲間と同じ食堂。
 朝食の他にブルーと一緒に食事が出来る機会と言ったら、ソルジャー主催の食事会くらいで…。
(あれだと、他のヤツらも一緒で…)
 エラやヒルマンといった長老の面々、食事会に招待された者たち。
 ブルーと二人で話すチャンスなど無いに等しく、同じテーブルにいたというだけ。一緒に食事をしたというだけ、私的な会話は殆ど交わせはしなかった。
 けれど、ブルーが食堂にやって来た時は…。



 まるで違った、食事の雰囲気。二人で食べていた朝食のテーブルに似ていた食事。
(あいつと二人で食べたんだ…)
 出来立てのオニオングラタンスープ目当てで、ブルーが食堂に来た時は。
 他の仲間たちもいたのだけれども、ソルジャーとキャプテン、二人きりで使っていたテーブル。視察ではなくても、似たようなもの。
 ソルジャーと他の仲間が同じテーブルなど許されはしないし、ソルジャーに付き従う者も必要。
 だから自分が選ばれた。ソルジャーの視察にはキャプテンがつくものだったから。
 目的は全く違ったものでも、ソルジャーと一緒にいるべき者はキャプテンだろう、と。
(…あの食事はデートだったのか?)
 小さなブルーとデートする時は、あの家の庭で一番大きな木の下。其処に据えられたテーブルと椅子でお茶の時間にするのがデート。
 「いつもの場所とは違う所で食事したいよ」と、強請ったブルーに応えてやった。キャンプ用のテーブルと椅子を運んで行ったのが最初、車のトランクに詰め込んで。
 ブルーがとても気に入ったから、今ではブルーの父が買った白いテーブルと椅子が置いてある。自分が車で運ばなくても、いつでもデートが出来るようにと。
 もっとも、ブルーの両親はデートだとは思っていないけれども。一人息子のお気に入りの場所、其処でのお茶だと頭から信じているけれど。
 それがあるから、前のブルーとの食堂での食事が引っ掛かる。デートだったろうか、と。
 どうだったろう、と考えながら耐熱容器に注いだオニオンスープ。バゲットを一切れ、その上にグリュイエールチーズをたっぷりと乗せて、オーブンに入れた。後は焼くだけ、と。



 焼き上がるのに合わせて御飯をよそって、他の料理もダイニングのテーブルに運んでおいた。
 前の自分よりも上だと自負する料理の腕前、オニオンスープを作る間に並行して全部調理済み。
 けれど「今夜のメインはこれだ」と思うのがグツグツと滾るオニオングラタンスープ。
 火傷しないよう、スプーンで掬って息を吹きかけ、口に含んだ瞬間に…。
(デートだったっけな…!)
 前のあいつとコレを食ったのはデートだった、と天から降って来た答え。前の自分が聞いた声。
 食堂へオニオングラタンスープを食べに来た時、悪戯っぽい笑みを浮かべていたブルー。
 「たまにはキャプテンと視察を兼ねて食事もいいね」と、ブルーは「視察」と言ったけれども。
 心の声が、ブルーの思念が「デートなんだよ」と告げて来た。
 「今日は食堂でデートだからね」と、「こういうデートも素敵だろう?」と。
 前のブルーと何度もしていた、食堂でのデート。食堂でオニオングラタンスープが出る日。
(周りに人目もあったってのに…)
 食事していた仲間たち。「ソルジャーがおいでだ」と見ていた者たち。
 そんな中でのデートなのだから、前のブルーはよほど自信があったのだろう。自分の心を読めはしないと、思念の欠片も拾える者など一人もいない、と。
 とはいえ、ソルジャーの好物のオニオングラタンスープ。
 青の間へ食事を運ぶ形では、出来立てのものを出せないことは本当だったから。
(これが普通のグラタンだったら、温め直しで済むんだが…)
 味もそれほど変わらないけれど、オニオングラタンスープの場合は浮かべたバゲットがふやけてしまう。パリッと乾かしておいた筈のバゲット、それの持ち味が駄目になる。
 そうならないよう、ブルーが食べに出て来るだけの理由にはなった、あのスープは。
 出来立てのものを食べたいから、と青の間ではなくて食堂で食事をしたがる理由はそれで充分。
 今の自分がこうして食べても、「ふやけちまったら駄目だろうな」と思うから。
 とろけたチーズと絡み合うバゲット、それがオニオングラタンスープの醍醐味だから。



 食べる間に幾つも幾つも、前のブルーとの食事の思い出。
 白いシャングリラでは隠し通した恋だったけれど、食堂でこっそり重ねたデート。
 出来立てのオニオングラタンスープが食べたかったソルジャー、だからたまには食堂で、と。
 ソルジャーが食堂で食べるのだったら、キャプテンも一緒に食べて当然、と皆が納得した理由。
(あいつ、覚えているんだろうか…?)
 小さなブルーは今も忘れていないのだろうか、前の自分がデートの口実にしていたスープを。
 是非とも訊いてみたいけれども、肝心のオニオングラタンスープ。
 これを作ってやることは出来ない、野菜スープのシャングリラ風とは違うのだから。どう見ても普通の料理でしかなくて、ブルーに御馳走してはやれない。
 ならば、ブルーと一緒に食べるためには…。
(…後で通信を入れておくとするかな)
 食事と後片付けが済んだら、ブルーの母に。
 その頃合いなら、ブルーも自分の部屋に戻っているだろうから。
(誰が作っても、オニオングラタンスープって所は変わらないしな?)
 多少味付けが違ったとしても、白いシャングリラで作っていたのは前の自分ではないし、さほど問題無いだろう。オニオングラタンスープの特徴、それさえ備わっていたならば。
 そう考えたから、食事の後でブルーの母に通信を入れて、土曜日の昼食に作って欲しいと頼んだオニオングラタンスープ。
 快諾してくれたブルーの母に、「ブルー君には内緒でお願いします」と付け加えておいた。
 「シャングリラの思い出で驚かせたいので」と、「あの船で食べていたんですよ」と。



 そうして迎えた週末の土曜日、青空の下を歩いてブルーの家へ出掛けて。
 タマネギの話すらもしないで二人で過ごして、昼食に出て来た熱々のオニオングラタンスープ。
 小さなブルーはどうやら忘れてしまったらしくて、グツグツと滾るスープに目を輝かせて、早速スプーンを手にしているから。
「おいおい、いきなり食っちまうのか?」
 確かに火傷しそうな間に食うのが美味いわけだが、それはシャングリラの思い出だぞ?
「えっ?」
 思い出って、オニオングラタンスープが…?
 それとも溶けてるチーズか何か…?
「両方ってトコか、オニオングラタンスープと中身のタマネギとだな」
 オニオングラタンスープは前のお前の好物だろうが、それも大好物ってヤツだぞ、最上級の。
「そうだっけ?」
 好き嫌いは全く無かったんだし、凄い好物って言われても…。
 今のぼくもオニオングラタンスープは大好きだけれど、前のぼくもこれが好きだったわけ…?
「好きだったとも。…食堂まで食べに出て来たほどにな」
 青の間まで運ばれたスープじゃ駄目だ、と出来立てを食べにやって来るんだ。
 バゲットがすっかりふやけちまって台無しになるから、出来立ての味に限るんだ、ってな。
「ああ…!」
 そういうのもあったね、シャングリラのオニオングラタンスープ。
 食堂に行ったらホントに出来立て、オーブンから出したばかりの熱々が食べられたんだっけ…!



 思い出した、と叫んだブルー。
 でも、あれは君とのデートの口実、と。
「だって、ああでもしないとデートなんかは出来ないし…。二人きりで食事」
 朝御飯は一緒に食べていたけど、他の場所でも食べたいじゃない。
 だからオニオングラタンスープの日だって聞いたら、たまに出掛けていたんだよ。出来立てのを食べる方が美味しいから、って。
「デートの口実の方はともかく、バゲットがふやけちまって駄目だってのがな…」
 大袈裟なことを言いやがって。…このスープに入っているバゲットだって、すぐふやけるぞ?
 こうして昔話をしながら食っていたんじゃ、普通に食うよりふやけるだろうさ。
「そうだけど…。前のぼくだって、嘘は言ってないよ?」
 出来立ての方が美味しかったことは本当だもの。
 温め直して食べるヤツだと、バゲット、ホントにすっかり柔らかくなっちゃってたから…。
「しかしだ、お前が食べに来る度に、厨房のヤツらが申し訳なさそうにしてただろうが」
 ソルジャーに食堂で食事をさせるなんて、と謝りに来たこともあったと思うが…?
 「出来立ての味をお届け出来るようにと努力していますが、上手くいきません」と。
 そりゃそうだろうな、俺だって元は厨房にいたから分かったさ。
 オニオングラタンスープってヤツは、バゲットを入れてチーズを乗せたら時間との勝負な料理になるぞ、と。時間が経つほどバゲットはスープを吸ってしまってふやけるんだから。
「…厨房の人には悪かったけど…。でも…」
 他の仲間たちは喜んでたよ?
 ぼくが食堂で食事をしてたら、大喜びで見ていたじゃない。
 今日はソルジャーも一緒の食事だ、って。
 前のぼくと食事が出来るチャンスは、食事会とかに呼ばれない限りは無かったんだから。



 確かにブルーが言う通り。
 ソルジャーと一緒の食事というのは、仲間たちを大いに喜ばせた。あのとんでもない青の間まで作って、特別な人だと徹底させてあったのがソルジャー。雲の上の人のようなもの。
 実際、飛べたブルーだけれど。雲の上を飛べる唯一の存在だったけれども。
 そのソルジャーが自分たちと一緒に食事をしていて、メニューも同じ。
 仲間たちが喜ばないわけがない。たとえテーブルが違ったとしても、同じテーブルで食べられる人はキャプテンだけしかいなかったとしても。
「…まったく、悪知恵の働くヤツだな」
 オニオングラタンスープに目を付けたっていうのもそうだし、食堂で食事をする方も。
 仲間たちが喜ぶからいいと来たもんだ、本当の所は俺とデートをしようと出て来てたくせに。
「そのくらいのことはいいじゃない」
 誰も気付いていなかったんだし、嘘も方便って言うんだし…。
 それにホントに美味しかったよ、出来立てのオニオングラタンスープ。…青の間まで運んで来たスープだとね、バゲット、どうしてもふやけちゃうから…。チーズばかりが自己主張だよ。
 だけど、ハーレイ、思い出してくれたんだ…?
 前のぼくが食堂で食べていたのも、ハーレイとデートをしていたことも。
「まあな。…この間、こいつを作っていたらな」
 作ってる間に色々と思い出して来て…。
 食い始めたら、これを食べながらデートだったと気が付いた。
 前のお前が「デートなんだよ」って寄越した思念が、パッと浮かんで来たんだよなあ…。



 まさかシャングリラで食っていたとは思わなかったが、と苦笑した。
 夕食にこれを作ろうと決めた時にも、タマネギを買って帰った時も…、と。
「秋タマネギにピッタリの料理だからなあ、オニオングラタンスープはな」
 熱を加えると甘くなるんだ、秋タマネギは。春のヤツよりずっと甘いぞ、加熱してやれば。
 ところが生で食おうとしたらだ、うんと辛いと来たもんだ。
 そのせいで「秋タマネギは辛い」と思い込んでるヤツが多いな、こうして美味くなるのにな。
「うん、美味しいよね、ママのオニオングラタンスープも」
 タマネギがトロトロでとっても甘いよ、秋タマネギだから余計に美味しいんだね。
 またハーレイと一緒に食べたいな、これ。
「食ってる真っ最中だろうが。…なのにもう次の予約をしようというのか、お母さんに?」
「そうじゃなくって…。ハーレイと二人で食べたいんだよ」
 前のぼくたちは、他の仲間もいる所でしかこれを食べられなかったから…。
 だけど今なら、ホントのホントに二人っきりで食べられるようになるんだから。
 ぼくが育って大きくなったら、ハーレイの家で、ハーレイが作ったのを食べたいよ。
 秋タマネギでなくてもいいから、ハーレイのオニオングラタンスープ…。
「なるほどなあ…。そういう意味での「また」ってことだな」
 前の俺たちのデートみたいに、お前と二人でこいつを食べる、と。今度は俺が作ったヤツを。
 そういや、前の俺はお前にオニオンスープしか作ってやれなかったしなあ…。
 俺が厨房で料理してた頃には、オニオングラタンスープがまだ作れない船だったからな。
 白い鯨になった後に生まれた料理なんだし、前の俺は作っていないんだよなあ…。



 今度はお前に作ってやろう、と約束をした。
 秋タマネギが出回る季節になったら、とびきり美味いオニオングラタンスープを、と。
「…それでだ、俺たちが結婚したなら、タマネギ、ガレージに吊るすとするか」
 屋根の所に棒を渡して、吊るせるタマネギを農家で買って。
「吊るす?」
 なんでタマネギを吊るしちゃうわけ、そうするとタマネギ、美味しくなるの?
「違うな、タマネギは吊るしておくと長持ちするんだ」
 しかし、普通に売ってるヤツだと吊るそうにも紐で結べない。
 タマネギの葉っぱが生えてた部分が長めに残っていないと駄目なんだ。その部分に紐をギュッと結んで、風の通る場所に吊るしてやるのさ。
 親父の家だと物置の軒下に吊るしてるんだが、俺の家だとガレージだな、と…。
「面白そう…!」
 タマネギを吊るすのなんて初めて聞いたよ、ママに教えてあげたいな。
 …でも、それ、農家から買わないと駄目だね、タマネギを作っている農家から。
「俺の場合は、買って来た時の網の袋ごと吊るしているが?」
 それだけでも少しは違うもんだぞ、ガレージじゃなくてキッチンの棚の端っこだがな。
 ところで、お前…。
 タマネギを切ったら涙がポロポロ出て来るタイプか?
「涙…? どうなんだろう…?」
 下の学校の調理実習で、タマネギの入ったシチューをみんなで作ったけれど…。
 ぼくのグループ、タマネギの係はぼくの友達だったから…。
 ぼくはタマネギ切っていないよ、だから涙が出るのかどうかは知らないよ。
 だけど、どうして涙が出るのか訊いてくるわけ…?



 小さなブルーはタマネギのことも綺麗に忘れてしまっているようで。
 前の自分がタマネギの成分に弱かったことも、タマネギをオモチャ扱いしていたことも、まるで覚えていないらしいから。
「…ふうむ…。俺としては興味があるんだがなあ、今のお前とタマネギの関係」
 シャングリラの思い出、オニオングラタンスープとタマネギなんだと言っただろうが。
 前のお前は、タマネギを切ったら涙がボロボロ出るタイプだった。
 そいつが面白かったらしくて、お前はタマネギを刻みに来たんだ、厨房までな。
 俺がタマネギの料理を作ろうと準備していたら、嗅ぎ付けて何処からかやって来るって寸法だ。
 でもって、ポロポロ涙を零してタマネギを刻んでいたんだ、お前は。
「えーっと…。それって、シールドは…?」
 前のぼくなら目だけシールド出来た筈だよ、なんでしないの?
 シールドしちゃえば、タマネギを何個刻んでいたって、涙は出ないと思うんだけど…。
「お前、本当に忘れちまったんだな、前のお前が好きだったオモチャ」
 タマネギを刻むのにシールドなんかは要らないんだと言ってたが?
 それじゃ人間らしくないとか、そういったことを。
 タマネギを刻んだら涙はポロポロ出て来るものでだ、放っておくのが一番と言うか…。
 涙が出るのを面白がっては、泣き笑いの顔で刻んでいたなあ、せっせとな。
 俺が厨房にいなくなったら、「ハーレイがいないのに、つまらない」と卒業しちまったが。
「泣き笑いって…。前のぼくって、そんなにタマネギ、好きだったわけ…?」
 そこまでしながら刻んでたわけ、タマネギを…?
「うむ。ここまで話しても思い出さないなら、後は実地でやるしかないな」
 俺たちの家に吊るしたタマネギ、お前、自分で刻んでみろ。
 そうすればきっと思い出すだろうさ、ただし涙が出てくれば、だがな。
 今のお前がタマネギが平気なタイプだったら、トントン刻んでおしまいだろうが…。
 俺が思うに、今のお前も多分駄目だな、タマネギはな。



 結婚した後のお楽しみに取っておこう、と片目を瞑った。
 前のブルーとタマネギの思い出、泣き笑いしながらタマネギを刻んでいたブルー。
 あの頃のブルーは今の小さなブルーと同じに少年の姿だったから。
 そっくり同じか、もう少しばかり育ったくらいの姿だったから、泣き笑いの顔も少年の顔。
 けれど、今度はソルジャー・ブルーと同じ背丈に育ったブルーが泣くらしい。
 もしもタマネギに弱かったならば、涙がポロポロ出るタイプなら。
(…はてさて、今度もタマネギをオモチャにしたがるのかどうか…)
 サイオンがまるで不器用だしな、と心の中で漏らした笑い。
 シールドが出来たブルーだったからこそ、タマネギで遊んでいたかもしれない。防ごうと思えば防げる攻撃、タマネギが繰り出す硫化アリル。
 けれども、今のブルーは防ぐ手立てを持っていないから、一度で懲りるということもある。
 タマネギなんかは二度と御免だとそっぽを向くとか、半分も刻まずに逃げ出すだとか。
(そっちだったら、泣き笑いの顔は見られないのか…)
 育ったブルーの泣き笑いの顔も見たかったんだが、と思うけれども、蓋を開けてのお楽しみ。
 ブルーの記憶が戻って来たなら、前と同じにやりたがるかもしれないから。
 泣き笑いの顔で刻むタマネギ、それがしたくてタマネギ料理を食べたがるかもしれないから。



 いつかブルーと結婚したなら、農家からタマネギを沢山買おう。
 ガレージの屋根に棒を渡して、紐で縛ったタマネギを幾つも吊るしておこう。
 使う時には、そこから外して取ってくる。料理に必要な数のタマネギを。
 そうしてブルーと二人で食べよう、白いシャングリラにあったオニオングラタンスープを。
 前のブルーとデートしていた時は必ず食べていたものを。
 タマネギを刻むブルーの泣き笑いの顔も、運が良ければ見られるだろう。
 前のブルーは育った後にはタマネギ刻みをやめていたから、一度も拝んでいない顔。
 もしも今のブルーがタマネギ刻みが大の苦手で、二度とやろうとしなくても。
 「ぼくは手伝わないからね!」と逃げて行っても、タマネギはドッサリ買い込もう。
 そしてシャングリラでの思い出の味を何度も作ろう、二人きりで暮らせる温かな家で。
 グツグツと滾る出来立てのオニオングラタンスープを、前のブルーが好きだった味を…。




             タマネギの記憶・了

※白いシャングリラで作られていた、オニオングラタンスープ。前のブルーが好んだ料理。
 出来立ての味を口実に、ハーレイと食堂でデートをしていたのです。仲間に内緒で堂々と…。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv











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