シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
ハーレイの車。
学校では教師専用の駐車場に置いてあるから、ブルーにはどれがそうなのか分からなかった。
実は一度だけハーレイはブルーの家に車でやって来たのだが、それは二人が再会した日。学校で大量出血を起こして救急搬送されたブルーが帰宅した後、勤務を終えたハーレイが夜に訪れた。
一刻も早くブルーの許へと急ぐハーレイは、夜の町を走って辿り着いた家の来客用のスペースに車を停めてブルーの部屋へ。
ハーレイの来訪を待ち侘びていたブルーは再会を果たした恋人の腕に抱き締められ、僅かな時を共に過ごして、ハーレイは帰って行ってしまった。
今の生では一緒に暮らすことも叶わず、一夜の逢瀬さえ叶わない。
それがあまりにも寂しくて悲しかったから。ハーレイを玄関まで見送りたくても、昼間の大量の出血のせいで母に止められ、ブルーを気遣うハーレイもそれを許さなかった。
だからブルーは二階の自分の部屋の窓からハーレイの車が去ってゆくのを見ていただけで、頬を伝う涙に濡れた瞳が捉えたものは滲んだ車のライトだけ。門灯や街灯が教えてくれる車体の色など見てはいないし、遠ざかってゆくテールライトに泣き濡れていただけだった。
その後、週末に再び訪ねて来たハーレイは路線バスだったのか、運動を兼ねて歩いて来たのか。どちらにせよ車に乗ってはおらず、ブルーがハーレイの車を目にするまでには暫くかかった。
ブルーの家を訪ねる時に雨が降っていれば、ハーレイは車でやって来る。週末ごとに会うようになってから、初めての雨の日。ハーレイはどうやって来るのだろうかと二階の窓から庭と表通りを見下ろして待っていたブルーは、走ってきた一台の車を見るなり思った。
「ハーレイの車だ」と。
運転席が見えたわけでもないのに、そうだと確信したブルー。
車はブルーが見ている前でゆっくりと駐車スペースに入って、其処に停まって。運転席のドアが開くと待ち焦がれた恋人が現れ、雨を遮る傘を広げた。
これがブルーとハーレイの車との本当の出会いで、如何にもハーレイらしい車だとブルーは胸を高鳴らせたものだ。いつかハーレイの隣に乗りたい。そしてドライブをしてみたい、と。
残念なことにドライブどころかハーレイの家にすら行けなくなってしまったのだけれど、車には乗せて貰ったことがある。ほんの一度きり、夢のようだった短いドライブ。
前の生でメギドを破壊した時の悪夢に襲われた夜に、無意識の内にハーレイの家へと瞬間移動をしていたブルー。目を覚ましたらハーレイのベッドの上に居て、朝食を食べさせて貰って、家まで車で送って貰った。
運のいいことに土曜日だったから、ハーレイはそのままブルーの家で過ごしてくれて。
朝一番にハーレイからの連絡を受けた両親は酷く恐縮していたけれども、ブルーにとっては幸せ一杯だった素敵な土曜日。ハーレイの車に初めて乗った日。
それっきりハーレイの車に乗せては貰えず、乗れる機会も来そうにはない。
ブルーの憧れのハーレイの車。休日に乗って来ることは滅多に無いし、乗って来ても雨が邪魔をして車体の色はくすんでしまう。
仕事が早めに終わったからと学校帰りに寄ってくれる時は車だったが、これまた夜の暗さに邪魔され、車の色ははっきりしない。
学校の駐車場に停まっているのを目にしたことは何度もあるのに、「ハーレイの車だ」と考えただけで胸が一杯、その色まではきちんと認識しなかったらしく…。
(あっ!)
夏休みに入って、カラリと爽やかに晴れた日の朝。
ハーレイが乗って来た車を窓から眺めて、ブルーの心臓がドキリと跳ねた。
雨でもないのにハーレイは車。それは特別な時間が始まる合図。車のトランクからキャンプ用のテーブルと椅子が引っ張り出されて、庭で一番大きな木の下に据え付けられる。
一番最初は六月の日曜日、ハーレイと二人、向かい合って過ごした木漏れ日の中。
父や母からも見える場所だからハーレイの膝に座ったりすることは出来なかったが、デートだと言われて嬉しくなった。木の下のテーブルと椅子はハーレイとの初めてのデートの場所。夏休みが始まるとハーレイは早速再現してくれ、今日で二度目だ。
(…ふふっ)
ブルーは車が停まるのを待って階段を駆け下り、「ハーレイ!」と叫んで庭へと飛び出した。
「おはよう、ブルー! 持って来てやったぞ、ちょっと待ってろ!」
母が開けに行った門の向こうでハーレイが車のトランクを開けている。折り畳み式のテーブルを下ろし、抱えて庭の木の下へ。広げて設置し、安定を確かめ、お次は椅子で。
(…魔法みたいだ…)
トランクから出て来るテーブルと椅子。二つ目の椅子が庭に置かれたらデートの準備完了、母が運んでくるアイスティーやお菓子でゆっくりと…。
(今日は何かな、ママのお菓子)
そんなことを考えながら椅子を運び出すハーレイを見ていて、ふと車の色に目を留めた。
落ち着いた深い緑色の車。
前の生でハーレイが着けていたマントそのままの色。
何故その色なのかは考えもせずに「ハーレイの色」だと思ったものだが、こうして夏の光の下で眺めていると、緑色がとても気になってきた。
ハーレイはいつからこの色の車に乗っているのだろう?
前の生の記憶など全く無かった筈だというのに、「ハーレイの色」なのは偶然だろうか?
早速訊いてみなければ、と思ったブルーはテーブルの上にアイスティーと露を浮かべたガラスのポットと、お菓子が揃うのを待ち兼ねたように切り出した。母はもう家に入っている。
「ねえ、ハーレイ。…ハーレイの車、いつからあの色?」
「車?」
「うん。キャプテンのマントと同じ緑だけど、最初からなの?」
「そうだな、最初からあの色だったな」
今の車じゃなかったんだが、とハーレイは庭の向こうの車の方へと目をやった。
「俺には似合っていないか、アレは?」
「ううん、ハーレイの車だと直ぐに分かった。…初めて見た時」
「俺のマントの色だったからか?」
「……多分」
ブルーもハーレイの車を改めて見詰める。どうして最初に「ハーレイの車だ」と確信したのか、自分でも分からないけれど。…今にして思えばハーレイが言う通り車体の色のせいだろう。
遠い昔に馴染んでいた色。大抵はハーレイがブルーを真正面から、あるいは背中から抱き締めていたから、ハーレイの背中を追い掛けた記憶はあまり無い。それでもブリッジでいつも見ていた。その大きな背に後ろから抱き付き、縋りたい衝動をこらえていた。
ブリッジを出る時もブルーが先に立ち、ハーレイは後ろ。シャングリラの通路に人影が無い時の抱擁は背後からであり、そういう時にはどれほどの幸せに包まれたことか。それが欲しくて何度かハーレイの背中を追った。青の間から背後に瞬間移動し、不意に飛びついてキスを強請った。
そんな時に目にしたハーレイのマント。ソルジャー・ブルーだった頃のブルーの身体でさえ腕を一杯に伸ばして抱き付いていた広い背中と、目の前を覆い尽くした緑と。
あの懐かしい緑を忘れはしない。忘れるなんて、出来る筈もない。
ハーレイの緑。
キャプテンだったハーレイの背に翻っていたマントの緑…。
深い緑色の車に二人して暫し見入っていた後、ハーレイがアイスティーに浮かぶ氷をストローで軽く揺らして音を立てながら。
「この色しかない、と思ったんだよなあ…」
渋すぎる色だと皆に言われたが、今じゃ年相応になっただろう?
問われたブルーは「渋すぎるかなあ?」と首を傾げたが、最初に車を買ったのが教師になった年だと聞いて納得した。その頃のハーレイは恐らく、前の生でアルタミラで出会った時よりも若い。深い緑色は褐色の肌には良く似合うけれど、若い青年の色ではない。
どちらかと言えば明るい色が似合う年齢。黄色なんかでも似合いそうだ、と鮮やかな黄色の車を思い浮かべてみた、その瞬間に。
(…そうだ、白…!)
ハーレイが運転するなら黄色よりも遙かに相応しい色がある。
前の生でハーレイが舵を握っていた船。ブルーが守った楽園という名の美しい船。
そう思ったから尋ねてみた。
「白は考えなかったの? …シャングリラの白」
「…白か? 白もな、勧められたんだがな…。嫌いってわけじゃなかったんだが、何故だかな…」
惹かれたが気が乗らなかった、とハーレイは答えた。
「どうしてだか俺にも分からなかったが、今なら分かる。…次に買うなら白がいいなと思うんだ。お前を隣に乗せて走るなら、断然白の車がいい。何故だか分かるか?」
「え? …白はシャングリラの色だから?」
「そうだ。シャングリラにはお前が乗っていないとな。…俺が一人で乗っていたって意味がない。お前がいなくなったシャングリラは寂しすぎたんだ。好きな船だったが、好きじゃなかった」
その記憶が何処かにあったのかもな、と鳶色の瞳がブルーを見詰める。
「俺は何もかも忘れちまってたが、それでも何処か前の好みと似ているもんだ。白い車に惹かれた俺は多分、シャングリラを見ていたんだろう。…だが、俺の隣にお前はいなかった。お前のいないシャングリラが嫌で、俺は緑に決めたんだろうな」
「……ごめん……」
ぼくがメギドに行っちゃったから、とブルーはキュッと唇を噛んだ。
前の生の最期に、ハーレイの温もりを失くした右の手が冷たいと独りで泣きながら死んだ。もうハーレイには二度と会えないのだと、泣きながら死んでいったソルジャー・ブルーだった自分。
けれどハーレイはどうだったろう?
自分は死んでしまって終わりだったけれど、残されたハーレイはどれほどに辛く苦しかったか。
生まれ変わってさえ白い車を選べなかったほど、ハーレイの胸は悲しみで一杯だったのか…。
「……ごめん、ハーレイ…。ぼくのせいで……」
ポロリと涙が零れそうになる。ハーレイと再会してからの日々でも、自分の想いだけで一杯で。右の手が冷たいと訴えはしても、置いて逝ったハーレイの胸の内までは思い至っていなかった。
記憶を全く失くしていてさえ、白い車を避けたハーレイ。
惹かれたけれども、気が乗らないと別の色の車を選んだハーレイ。
そのハーレイが今では白い車に乗りたいと言う。ブルーを乗せるなら白い車だと。
こんなにも強く自分を想い続けてきてくれたハーレイに、自分は何を返せるのだろう?
まだ十四歳にしかならない小さな自分が、何を返せると言うのだろう…。
「馬鹿、そんな昔の話で泣くヤツがあるか。…お前は帰って来たんだろ? 俺の所に」
泣くな、とハーレイが手を伸ばして指先でブルーの涙を拭った。
「お前のお母さんから丸見えなんだぞ、俺が泣かせたかと思われるじゃないか」
「…ごめん。ごめん、ハーレイ、ホントにごめん……」
ブルーの涙は止まらなくなった。ハーレイが優しすぎるから。優しすぎて胸が痛くなるから。
「だから泣くなと…。いいな、お前はいつか俺の運転する車に乗るんだ。乗せてやるから」
楽しいことだけを考えるんだ、とハーレイはブルーの銀の髪を撫でた。
「そうすれば涙もじきに止まるさ。お前は俺の車で出掛けてゆくんだ、いろんな所へ」
…分かるか、ブルー?
俺が動かすというのはシャングリラと何も変わりはしないが、お前は守らなくてもいいんだ。
ただ乗っかっていればいいのさ、のんびり景色を眺めたりしてな。
「俺の家から帰る時だってそうだっただろう? ん?」
お前が飛んで来ちまった時さ、とクシャリと前髪を掻き上げられて。
「ドキドキしてたし、のんびりなんかしてられないよ!」
ハーレイの車。初めて乗せて貰ったハーレイが運転する車。
胸の鼓動がハーレイの耳に届かないかと心配になった、ブルーの家までの短いドライブ。
それを思い出して叫んだブルーに、「よし」とハーレイが笑顔を見せた。
「止まったじゃないか、お前の涙。…もう泣くなよ?」
穏やかに微笑んでハーレイは夢を語り始める。
いつの日か自分の車にブルーを乗せて、二人でドライブする時のことを。
いいか、ブルー。
今度乗る時はドキドキしないで、のんびり俺の隣に乗ってろ。
そして俺に強請ってくれればいい。
「あれが食べたい」「此処で止めて」と、好き勝手に言ってくれればいい。
……シャングリラはお前の指示で動いたが、お前のために動いていたわけじゃなかった。
俺が舵を握って動かしていたが、俺のために動いたわけでもなかった。
だがな、俺の車は違うんだ。
俺の車はお前と俺とのためだけに動いて、何処へでも走ってくれるんだ。
俺とお前で行き先を決めて、お前は我儘を言えばいい。
「もっと遠くへ」でも、「もう帰りたい」でも、何でも自由に言っていいんだ。
俺はお前の願いどおりに運転をするし、車だって俺の言うことを聞いて走ってくれる。
ハンドルを切れば曲がってくれるし、何処へだって俺たちを運んでくれる。
お前と俺とを乗せるためだけに在る、そんな車で走って行くんだ、俺たちは。
だから今度はそういう白い車が欲しいという気がするな。
……俺たちのためだけのシャングリラが。
次の車は白に決めた、とハーレイはブルーに言ったのだけれど。
ブルーは今の緑色の車も好きだった。
キャプテンだった頃のハーレイのマントと同じ色をした、深い緑色のハーレイの車。
一目で「ハーレイの車だ」と分かって、乗せて欲しいと憧れた車。
「ぼくは今のままの緑でもいいな。…この色の車に初めて乗せて貰ったから。ハーレイのすぐ横でドキドキしながら町を走って、ぼくの家まで乗って来たのがこの色だから」
「…そうか? 俺はシャングリラの白も捨て難いんだがな…」
お前を乗せるなら断然白だ、とハーレイが先刻と同じ言葉を繰り返す。
「俺たちが乗るなら白だろう? シャングリラといえば白だったしな」
「白もいいけど、ぼくはハーレイのマントの色も好きだよ」
どっちでもいいな、とブルーはガレージに停まったハーレイの車の方を見た。
今と変わらない深い緑色も、とてもハーレイらしくて良く似合う。
ハーレイがかつて惹かれたけれども買わなかったという白も、自分たちには似合うように思う。
白か、それとも深い緑色か。
シャングリラの白と、ハーレイのマントの色の緑と。
どちらも好きで懐かしい色。二人で暮らした白い船の色と、大好きな背中に在った緑と。
似た色同士なら選べるけれども、こうも違うと選べない。
ハーレイもまた、同じ思いを抱いたようで。
「白か、緑か…。その時が来たら二人で決めるとするか。こいつもまだまだ現役だろうしな」
「そうだね、ハーレイは車も大事にしてそうだものね」
「おっ、分かるか? 俺としてはだ、こいつに向こう五年くらいは乗る予定なんだ」
お前が十九歳になる頃までか、とハーレイはにこやかな笑みを浮かべた。
「そうなると俺たちの最初のドライブの時はこいつになるかな」
「うん。ぼくも、もう一度あれに乗りたいよ」
「ははっ、そうか! 少ししか乗っていなかったしな?」
「ほんの少しだよ、ハーレイの家から此処までだよ!」
路線バスだと遠く感じる、何ブロックも離れたハーレイの家。
しかし車に乗って走ればアッと言う間に着いてしまって、ブルーが普通の服ではなくてパジャマ姿であったことすら気付いた人はいなかっただろう。
そんな短いドライブだったけれど、ブルーにとっては夢の時間で。
きっといつかはハーレイと本当のドライブに出掛けるのだと、ガレージの車を何度も眺めた。
ハーレイの車。深い緑色で、最初のドライブにも連れて行ってくれる予定のハーレイの車…。
(…早くハーレイの隣に座ってドライブしたいな…)
最初のドライブは何処にするかな。
ハーレイはそう言って笑ったものだが、夏休みの終わりに、ブルーには一つの目標が出来た。
いつかハーレイが運転する車の助手席に乗って、ブルーは隣の町に行く。
庭に夏ミカンの大きな木がある、隣町のハーレイが育った家。
ブルーは其処まで出掛けてゆく。
ハーレイの父と母とが暮らす家まで、自分たちの子が一人増えたと言ってくれた優しい人たちに会いに…。
ハーレイの車・了
※ハーレイが乗っている緑色の車。ブルーとの最初のドライブはきっとこの車ですね。
そしていつかは、シャングリラの色をした白い車に二人で乗るのです。
二人だけのために走るシャングリラで、いろんな所へ…。
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