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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

バスと旅人
「すみません。此処へ行くバスはどれですか?」
 そう尋ねられて、その人の顔を見上げたブルー。学校の側のバス停で。
 今日の授業はもう終わったから、帰りのバスを待っていた所。地図を持っている若い男性、その地図を指差すのだけれど…。
(えーっと…)
 男性の指が示している場所、其処へ真っ直ぐに行くバスは無い。このバス停に来るバスの中には一本も。乗り換えないと行けないらしい目的地。
(其処のバス停も分かってないよね、きっと…?)
 地図を眺めても、バス停の名前はまるで書かれていないから。此処も含めて。
 こういう時にはこれが一番、とバス停にある路線地図を指して説明した。目的の場所に一番近いバス停は此処で、其処に行くなら乗り換えは此処、と。
「乗り換える場所まで行くバスは…。このバスです」
 じきに来ますよ、と時刻表も見て確かめてから微笑んだ。遅れていないなら、もうすぐ来る筈。
「ありがとう。君のお蔭で助かったよ。…運転手さんに訊こうと思ってたんだ」
 地球は初めてだから、よく分からなくってね。バスの乗り方は分かるんだけど…。
 バス停なんかサッパリ駄目だ、と男性が軽く手を広げるから。
「え…?」
 初めてって…。他所の星から来たんですか…?
 嘘、と見詰めた男性の顔。遠い所から来たとしたって、他の地域だと思ったのに。
「そうだよ、地球はホントに初めてで…。有名な星だけど、来たことが無くて」
 宇宙遺産のウサギを見ようと思って、此処まで来たんだ。
 あれがあるのは、此処の博物館だしね、という男性の言葉に驚いた。
(宇宙遺産のウサギって…。ハーレイのアレ…!)
 前のハーレイが、トォニィの誕生祝いに作った木彫りのナキネズミ。皆がウサギと勘違いして、宇宙遺産になってしまった。ミュウの子供が沢山生まれますように、というお守りなのだ、と。
 それを見に来たのもビックリだけれど、今の展示はレプリカの方。本物は百年に一度だけの特別公開、次に見られるのは五十年ほど先になる。
 知らないのかな、と丸くなった目。木彫りのウサギがレプリカなこと、と。



 わざわざ他の星から来たのに、レプリカだったらガッカリだろう。しかも本当はウサギではないナキネズミ。
(…いいのかな、これで…)
 どうしよう、と言葉を失くしたけれども、男性は気付かなかったらしくて。
「もう見て来たんだよ、木彫りのウサギ。今日の午前中に」
 レプリカでも見ておきたいからね。…本物の公開を待っていたんじゃ駄目だから。
 やっぱり側できちんと見ないと、いろんな方向からじっくりと。…芸術家としては。
「芸術家?」
「そう。彫刻家の卵といったトコかな、専門は木彫り」
 他の素材も彫るんだけれどね、木彫りが一番好きなんだ。木には命があるだろう?
 石とかには無い温もりがあるよ、木で出来ている作品には。宇宙遺産のウサギもそうさ。
 あんな風に後世に残る作品を作りたいんだよ、と話す男性。
 宇宙遺産とまではいかなくても、大勢の人を惹き付ける何か。そういう作品を作れたら、と。
(なんだか申し訳ないんだけど…!)
 あれはウサギじゃないんだから、と穴があったら入りたい気分。彫った犯人を知っている上に、その犯人が自分の恋人。生まれ変わったキャプテン・ハーレイ。
 下手くそな木彫りのナキネズミを見に、他の星から来る人がいるとは夢にも思っていなかった。特別公開の時ならともかく、今はレプリカの展示なのに。
(…ごめんなさい…。あれって、芸術なんかじゃなくて…)
 勝手に勘違いされちゃっただけ、と心の中で慌てる間に見えて来たバス。男性が乗っていくべき路線だと分かるバスだから…。
「あ、あのバスです!」
 助かった、と遠くに見えるバスを教えた。路線地図も示して、「此処で乗り換え」と。
 あのバスに乗って走るだけでは、辿り着けない目的地。乗り換え場所に着いたら、この路線のに乗り換えて、此処、と。男性が降りるべきバス停の名前。



 男性は路線地図やバス停を確認してから、それは素敵な笑顔になった。
「此処で乗り換え、降りるのが此処、と…。ありがとう、小さなソルジャー・ブルー君」
 宇宙遺産のウサギを見た日に君に会えて良かった、と差し出された手。握手のために。
 小さなソルジャー・ブルーにも会えたし、とても縁起のいい日だった、と。
「え、えっと…。ぼくは案内しただけで…」
 そんなに役に立っていません、と恐縮するばかり。握手している間にも。
 男性の方は大喜びでも、自分は知っている宇宙遺産のウサギの正体。本物を彫った犯人だって。
「とんでもない! 今日は最高の日だよ、ウサギを見られただけでもラッキーだったのに」
 道案内をしてくれたのが小さなソルジャー・ブルーだなんてね、ぼくはツイてる。
 いつかぼくの名前が売れた時には、会いに来てよね。小さなソルジャー・ブルー君。
 芸術家としての名前は、まだ無いんだけど…。卵だから。
 ぼくの名前はヘンリーだよ、と手を振ってバスに乗って行った男性。「ありがとう」と。
 走り去るバスが見えなくなるまで、ずっと手を振っていてくれたけれど…。
(普通すぎる名前…)
 特に珍しくもない名前がヘンリー。ごくごく普通で、学校のクラスの生徒にもいる。学校全体で数えたならば、ヘンリーは何人いるだろう?
(…芸術家になっても、分からないかも…)
 ヘンリーという名前では。
 芸術家としての名前は別につくのだけれども、本名を明かす人だって多い。きっとヘンリーも、そのつもり。だから教えてくれたのが名前。「ヘンリーだよ」と。
 けれど、多いだろうヘンリー。…そういう名前の、木彫りを作る彫刻家。
(顔で分かればいいんだけどね?)
 その顔だって、ヘアスタイルだけで変わっちゃうし、と思う間に自分が乗るバスもやって来た。いつもお世話になっているバス。
 それに乗り込んで走り始めたら、じきに着くのが家の近くにあるバス停。ヘンリーが乗り換えるバス停と違って、本当に近い場所だから。身体が丈夫な子供だったら、バス通学はしない距離。
 ヘンリーを乗せたバスは先に走って行ったけれども、乗り換え地点はずっと先。間に幾つも入るバス停、まだ暫くは着かないだろう。



 バス停から家まで歩いて帰って、制服を脱いでおやつの時間。ダイニングで。母が焼いてくれたケーキを頬張りながら、帰り道での出会いを思う。
(さっきのバスは…)
 ヘンリーに「あれです」と教えたバスは、何処まで走って行ったろう。乗り換え地点まで行っただろうか、教えたバス停に着いただろうか。
 バスの中でも案内はあるし、ヘンリーは間違えずに降りられる筈。「次です」という車内案内、それを聞いて降車ボタンを押して。
(降りたら、バス停で時刻表を見て…)
 次に乗るバスが来るのを待つ。多分、本数は少なくないから、そう待たなくても乗れるだろう。目的地まで運んで行ってくれるバスに。
(それに乗り換えて、あそこで降りて…)
 ヘンリーが目指す場所から近いバス停。降りたら何を見に行くのだろう、芸術家の卵だと話したヘンリーは?
(あそこにあるのは…)
 確か小さな美術館。其処に行くのか、その近くで宿を取ったのか。あるいは食べたい料理の店。自分はまるで知らないけれども、美味しいと評判の店があるとか。
(そういうのかもね?)
 地球は初めてだと言っていたから、考えられる可能性は幾つも。
 この辺りに住む人だったならば、同じように道を訊いたとしたって、友達の家に行くだとか…。
(でなきゃ、美術館か、食事に行くか…)
 そのくらいのことで、宿は要らない。ヘンリーだったら、宿というのも有り得るのに。何処かに泊まって続ける旅。地球にヘンリーの家は無いから、何処へ行くにも。
(親戚の家も無さそうだもんね?)
 地球に初めてやって来たなら、きっと親戚も地球にはいない。誰かいるなら、ヘンリーくらいの年になるまでに一度は来ると思うから。
 青い水の星は、今の時代も宇宙の人々の憧れの場所。親戚が住んでいるとなったら、訪問がてらやって来るもの。小さな子供に地球を見せるために、「これが地球だよ」と見せてやるために。



 だから親戚はいない筈、とヘンリーのことを考える。親戚が地球に住んでいないのなら、泊まる場所は宿を探すしかない。何処に行っても、必要な宿。
(泊まる場所、色々あるけれど…)
 立派なホテルも、個人が営む小さな宿も。ヘンリーが目指すバス停の辺りには、大きなホテルは無いけれど…。
(小さいホテルはあった筈だし、もっと小さな所とか…)
 夫婦でやっているような宿。そういう宿もけっこう人気が高い。まるで親戚の家にいるようで、居心地がいいらしいから。
(他の地域から来た人とかにも…)
 人気なのだと聞いているから、ヘンリーも泊まるのかもしれない。あのバス停から近い宿とか、またバスに乗って移動した先で予約を取ってあるだとか。
(あそこが終点じゃないってことも、ありそうだよね…)
 ヘンリーの今日の旅の中では。
 終点なのかもしれないけれども、まだ続くということだって。美術館を見るとか、食事だとか。それが済んだら、あのバス停からまたバスに乗る。今日の宿がある所まで。
(ホントに可能性が一杯…)
 あのバス停で降りた後のヘンリー。何をするのか、何処へ行くのか。今日の移動はあのバス停が終点なのか、もっと先まで移動するのか。
(それに、地球から帰る時には…)
 何処から帰ってゆくのだろうか、ヘンリーが暮らしている星に。芸術家になろうと決心した星、宇宙の何処かにある故郷に。
(ヘンリー、地球は初めてなんだし…)
 此処の他にもあちこち回って、他の地域の宙港から宇宙船に乗るかもしれない。それとも、他の地域は回って来た後で、此処の地域から出港するか。
 故郷の星へと飛んでゆく船で、チビの自分は乗ったことがない宇宙船で。



 最後は宇宙船だよね、と其処だけは分かるヘンリーの旅。さっき見送ったバスでの旅は、何処が終点なのか謎だけれども。今日の間の移動だけでも、まるで分からない旅の終点。
(バスの次は何に乗るのかな…?)
 それだって謎、と思うヘンリーが旅に使う乗り物。バスの種類も色々あるから、この地域の中はバスだけを使っても旅してゆける。遠い所まで走ってゆくバスは何種類も。
(海がある場所まで走って行って…)
 港に着いたらバスごと船へ。直ぐに渡れる所だったら、バスに乗ったままで渡れる海。何時間かかかる海の旅なら、バスから降りて甲板や船室で過ごすと聞いた。
 そんな風にバスごと船に乗ってゆくか、バスはおしまいで船にするのか。
(船でしか行けない場所だって…)
 幾つもあるから、バスの次は船になるかもしれない。そうやって旅を続けてゆくのか、地球での目的は果たしたから、と宙港行きのバスに乗り込んで、次に乗るのは宇宙船なのか。
 ヘンリーの故郷の星へ飛んでゆく宇宙船。チケットを買って、バスから宇宙船に乗り換え。
(その気になったら…)
 いろんな所へ行けるんだ、と気付いた乗り物。乗り換えて、乗り継いで何処までも行ける。
 今日の帰りに使ったバス停、あそこから宇宙へ行くことだって。宙港の方へ行くバスのバス停、其処までバスに乗って行ったら。宙港行きのバスに乗り込んだなら。
(バスに乗っかっているだけで…)
 連れて行って貰える、宇宙船が発着する宙港。其処で降りたら、チケットを買う。行きたい星に運んでくれる船のチケットを。それを買ったら、宇宙船に乗って宇宙への旅。
(なんだか凄い…)
 最初はバスに乗ったのに。家から近いバス停で乗って、乗り換えたら着いてしまう宙港。バスで出掛けたのに、いつの間にやら宇宙船。窓の向こうは漆黒の宇宙。
 そういう旅が出来るらしくて、ヘンリーはその逆で地球にやって来た。宇宙船に乗って、地球の宙港に着いて、其処から多分、乗っただろうバス。何処の地域へ降りたにしても。
 その後も色々な乗り物に乗って、さっき出会ったバス停まで。
 「此処へ行くバスはどれですか?」と、尋ねられた学校の側のバス停。何処かの星から宇宙船で来て、立っていたのがあのバス停。この町の住人とまるで変わらない格好で。



 凄すぎるよね、と感心しながら戻った二階の自分の部屋。空になったお皿などを母に返して。
 今の時代は、バス停から宇宙に旅立てるらしい。その逆で地球に来たヘンリーに会って、バスを教えたから気が付いた。「乗り換えは此処で、降りるのは此処」と。
 ヘンリーはバスに乗り込んで行って、地球での旅が終わった後には、また宇宙船。宙港で故郷の星に行くチケットを買って、瞬かない星が散らばる宇宙に飛び立つ。青い地球から。
 ヘンリーがいたのはバス停なのに。…宇宙船なんか、何処にも見えはしなかったのに。
(前のぼくたちだと…)
 乗せても貰えなかったバス。人類ではなくて、ミュウだったから。
 今の時代とは違った時代。宇宙は人類だけの世界で、ミュウは追われて殺されるだけ。ミュウに生まれたというだけのことで、人類に端から殺されていった。けして存在を認められはせずに。
 ミュウが生きられた場所はシャングリラだけ。箱舟だった白い船だけ。
 あの船の中が世界の全てで、バスに乗るなど夢物語。もちろん乗り換えだって出来ない。バスを乗り継いで何処かへ行くことも、他の乗り物に乗り換えることも。
 人類のものだったバスはもちろん、白いシャングリラから何かに乗り換えるのも…。
(無理だったよね…)
 シャトルでもあったギブリに乗っても、またシャングリラに戻るだけ。飛び立った場所へ戻って来るだけ、他の所へ旅立てはしない。
(ナスカがあっても…)
 赤いナスカを手に入れた後も、シャングリラから飛んだギブリは、ナスカに降りていっただけ。乗り換えてナスカに行くのではなくて、シャングリラとナスカを結んでいただけ。
 つまり、そういう路線バス。白いシャングリラから赤いナスカへの定期便。一本きりだった路線バス。乗り換えるバスが無かったミュウたち。…ギブリはバスではないけれど。
(世界が狭いよ…)
 バスが一本きりなんて、と勉強机の前に座って考える。乗り換えも無理な世界だなんて、と。
 それに比べて今の時代は、宇宙はなんと広いのだろう。なんて自由な時代だろう。
 乗り換えさえすれば、何処へでも行ける。出発点が家の近所のバス停でも。いつも学校へ向かうバス停、あそこからバスに乗り込んでも。



(バスに乗ったら、後は宙港まで行ける乗り換え方と、宇宙船のチケットと…)
 それだけで行ける、バス停から宇宙へ飛び出す旅。乗り換えるバスを間違えないよう、ちゃんと調べて乗ったなら。途中で迷ってしまった時には、ヘンリーみたいに誰かに訊いて。
(誰でも教えてくれるだろうし…)
 チビの自分でも着ける宙港。チケットを買えば、直ぐに宇宙へ飛び出せる。ヘンリーのように、他の星から青い地球にも来られたりする。住んでいる家から宙港に行けば。
(ヘンリーだって、最初はバス…)
 宙港行きのバスに乗って旅を始めたのだろう。バスに乗ったら、青い地球まで来られる時代。
 ホントに凄い、と感動していたらチャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合うなり切り出した。
「あのね、今の時代って、とても凄いね」
「何がだ?」
 いったい何が凄いんだ、とハーレイの疑問はもっともなもの。「凄い」だけでは伝わらない。
「凄いんだってば、バスで宇宙に行けるんだよ」
 バスで行けちゃう、と大発見を披露したのに、ハーレイは「はあ?」と目を見開いた。
「おいおい、お前、寝ぼけてないか?」
 俺が来るまで昼寝してたのか、バスは宇宙を飛んだりしないぞ。…バスなんだから。
 それっぽい名前の宇宙船が無いとは言わんが、バスとは似ても似つかないしな?
「ごめん…。ぼくの言い方、ちょっぴり極端すぎたかも…」
 バスからどんどん乗り換えていけば、宇宙に行ける、って意味なんだけど。
 いつもぼくが乗るバス停があるでしょ、あそこからでも行けるんだよ。宙港に行けるバスが出ている、バス停までバスに乗って行けばね。…直通のは無いから、乗り換えて。
 其処まで行ったら、宙港行きのバスが来るから、それに乗ったら宙港に着くよ。
 宙港に着いたら、後はチケット…。
 行きたい星までのチケットを買って、宇宙船に乗れば宇宙だってば。
 出港時間になったら宇宙に飛び出せるんだよ、家を出た時はバスだったのに。いつも使っているバス停から乗って、バスの座席に座ってたのに…。



 バス停から宇宙へ行けちゃうんだよ、と乗り換えのことを説明した。最初に乗るのは路線バス。普通のバスと全く変わらないのに、乗り換えてゆけば宇宙にも行ける。宙港に行けば。
「ちゃんと宇宙に行けてしまうんだよ、最初に乗ったのは普通のバスでも」
 決まった路線を走っているバス、そういうのに乗って走り出しても。
 これって凄いよ、前のぼくたちだと、乗り換えなんて無理だったでしょ?
 ミュウはバスには乗れないし…。シャングリラは最初から宇宙船だったし、乗り換えたって行き先が何処にも無いんだから。
 ギブリに乗っても、またシャングリラに戻って来るだけ。…ナスカがあっても同じことだよ。
 ナスカに行くか、シャングリラに帰るか、それだけしかコースが無かったから。
 乗り換えなんかは出来ないんだよ、と前の自分たちが生きた時代を話した。路線バスは無理で、シャングリラからも乗り換えて何処にも行けはしない、と。
「確かになあ…。今の時代だと、バスに乗ったら宇宙に飛び出せちまうのか…」
 バスが宇宙を飛ぶわけじゃないが、宙港までバスに乗って行ったら。
 お前、凄い所に気が付いたな。宇宙船に乗ったことは無いと言ってたが…。
 宇宙から見た地球も知らないくせに凄いじゃないか、とハーレイが手放しで褒めてくれたから、得意になって種明かしをした。
「帰りに道を訊かれたからね」
 学校の側のバス停にいたら、宇宙から旅をして来た人に。
 バスで行きたい場所があるのに、どのバスに乗ったらいいのか分からなかったらしくって…。
 「此処に行くバスはどれですか?」って訊かれたんだよ。
 でもね、その場所に真っ直ぐに行くバスは一つも無かったから…。
 此処で乗り換えて、此処で降りてね、って教えてあげたら、「ありがとう」って。
 他の星から来た人だなんて、聞くまでちっとも分からなかったよ。
 その人のことを考えていたら、バスで宇宙に行けることにも気が付いちゃった。だって、帰りは宇宙船に乗って行くんだもの。何処かの宙港までバスで行ってね。
 …そうだ、ヘンリー!



 どうしてヘンリーが地球に来たのか、理由の一つを思い出した。宇宙遺産のウサギのレプリカ、それを見て来たと聞いたのだから…。
(宇宙遺産のウサギの正体…)
 本当は前のハーレイが彫ったナキネズミなのに、と申し訳ない気持ち。ヘンリーを騙した犯人が目の前に座っているから、これは咎めねばならないだろう。
「ハーレイ、ヘンリーに謝ってよね」
 全部ハーレイのせいなんだから、と恋人の顔を睨み付けた。
「ヘンリーだって? 誰なんだ、それは?」
 お前のクラスのヘンリーのことか、それとも別のクラスのヤツか?
 どのヘンリーだ、とハーレイも首を傾げるくらいに多い名前がヘンリー。平凡すぎる名前。
「バス停でぼくに行き方を尋ねた人だよ、地球に来たのは初めてだって」
 芸術家の卵で、木彫りが好きな彫刻家。木には命があるからね、って言ってたけれど…。
 ヘンリーは、ハーレイのウサギを見に来たんだよ。宇宙遺産のウサギをね。
 もう見て来たって話をしてたよ、今日の午前中に行ったって。…博物館まで、ウサギを見に。
「ほほう…。そいつは素晴らしいな」
 俺の作品を見に来てくれたか、俺と言っても前の俺だが…。
 芸術家の卵が、俺の木彫りを眺めるために他の星から旅をして来たとは光栄だ。
 いい話だ、と悦に入っているのがハーレイ。あれはウサギではなくてナキネズミなのに。
「分かってる? ヘンリーが見たいと思っていたのはウサギだよ?」
 宇宙遺産のウサギなんだよ、それって間違ってるじゃない!
 前のハーレイが作った木彫りは、ウサギじゃなくってナキネズミでしょ!
「それはそうだが…。しかし、お前が出会ったヘンリーはだな…」
 俺が作った木彫りを見に来てくれたんだろうが。正体が何であろうとな。
 特別公開の時ならともかく、今の展示はレプリカなのに…。
 よく出来ちゃいるが、本物じゃない。それでも来てくれた所がなあ…。
 芸術家の卵ともなれば、やっぱり一味違うってことか。レプリカでもいいから、本物ってヤツに触れてみたかったんだな。あれは地球にしか無いもんだから。



 ミュージアムショップのレプリカだって、あそこでしか買えん、とハーレイの顔は誇らしげ。
 「他の星では買えないんだぞ」と、「あの博物館のオリジナルだ」と。
「…ヘンリーも買って帰ったかもなあ、あれのレプリカ」
 値段自体は高くはないしな、博物館の土産物だから。他の星では買えないってだけで。
 土産物としてもかさばらないし、とハーレイが自慢するウサギ。その正体はナキネズミ。
「分かってるんなら、謝ってよ! ヘンリーに!」
 ヘンリー、ホントに騙されちゃっていたんだから…。あのナキネズミはウサギなんだ、って。
 それに、あんな風に後世に残る作品を作りたい、って言っていたんだから!
 みんながウサギと間違えたせいで、今も残っているだけなのに…、と責めたけれども。
「俺の芸術が素晴らしい証拠だ、そのヘンリーは見る目があるな」
 あれの素晴らしさと価値を分かってくれたというのは、芸術を見る目があるってことだろう?
「無いってば! …ううん、芸術を見る目はあるんだろうけど…」
 ハーレイのウサギを見る時はきっと、曇ってしまっているんだよ。宇宙遺産のウサギです、って御大層な説明がついているから、そのせいで。
「どうなんだか…。俺の作品を見る目もあると思うがな?」
 わざわざ地球まで見に来る辺りが根性があるし、数ある芸術品の中から俺のをだな…。
 選んでくれたのがヘンリーなわけで、もう間違いなく俺の芸術を理解してると思うんだが。
 でなきゃ選ばん、とハーレイは全く譲らないから、チクリと嫌味を言うことにした。
「ハーレイのウサギだけじゃなくって、他にも色々見たいんじゃないの?」
 他の地域にも彫刻はあるし、この地域にも幾つもあるよ。宇宙遺産のも、そうでないのも。
 ハーレイのは一番有名だから、とにかく見ようって思っただけ。
 いろんな方向からじっくり見なきゃ、って言っていたけど、それは観賞の基本でしょ?
 どういう風に彫ってあるのか、写真だけでは分かんないから…。
 あれっ、でも…。



 なんだか変だ、と引っ掛かったこと。ハーレイを苛めている真っ最中に。
 ヘンリーが別れ際に差し出して来た手。バスに乗り込む前に握手して、ヘンリーは…。
「…ヘンリー、ぼくと出会えて縁起がいい、って…」
 そう言ったんだよ、別れる時に。握手して、とても嬉しそうに。
「なんだ、そりゃ?」
 お前と会ったら、どの辺が縁起がいいって言うんだ?
 縁起物っていう顔じゃないだろ、お前の顔は。…縁起物にも色々あるがな、ユニークなのが。
 フクロウもそうだし、無事カエルもだ、とハーレイが挙げる縁起物。「似てるのか?」と。
「…似てるらしいよ、カエルとかじゃなくて、ソルジャー・ブルー…」
 小さなソルジャー・ブルー君、って言ってたんだよ、ヘンリーは。
 宇宙遺産のウサギを見た日に、ぼくに会えて、とても縁起がいい、って…。
「ふうむ…。小さなソルジャー・ブルーに会えたら縁起がいいんだな?」
 それならやっぱり、尊敬しているのは俺なんだろう。前の俺の木彫りの腕前だ。
 キャプテン・ハーレイとソルジャー・ブルーは、今の時代はセットみたいなモンだから…。
 俺のナキネズミを拝んだ後にだ、ソルジャー・ブルーにそっくりなチビと出会えたら、そりゃあ嬉しくもなるだろう。
 なんて幸先がいいんだろうと、芸術家としての前途だってきっとツイている、とな。
「そう思うんなら、謝ってよ! ヘンリーに!」
 ホントはウサギじゃないんです、って、ハーレイ、きちんと謝って!
 ハーレイのことを尊敬しちゃっているんだったら、ますます大変なんだから!
 わざわざ地球まで来ちゃったんだよ、とヘンリーが気の毒でたまらない。前のハーレイが彫ったウサギを見たくて旅して来たのに、ウサギは間違いなのだから。正体はただのナキネズミで。
「俺にどうやって謝れと言うんだ、もういないだろ」
 ヘンリーはバスに乗ってったんだし、とっくに移動しちまった。此処にいるなら謝りもするが、いないんではなあ…?
「そうだけど…。ヘンリー、行っちゃったけど…」
 何処に泊まるのか、そんなのも聞いていないんだけど…。



 どうやって謝ればいいと言うんだ、と言われてみれば、名前だけしか知らないヘンリー。
 平凡すぎる名前はともかく、何処の星から来たのかさえも聞いてはいない。いつか芸術家として現れた時は、名前も変わっているだろう。本名が分かっていたとしたって、ヘンリーだけに…。
(…木彫りの彫刻家で、ヘンリーって人…)
 何人いてもおかしくないから、もうヘンリーに賭けるしかない。芸術家にはプロフィールが必ずつくものなのだし、其処にきちんと書いてくれることを。
「じゃあ、いつかハーレイを尊敬している彫刻家がデビューした時は、謝って!」
 芸術家が持ってる名前とは別に本名も分かって、それがヘンリー。
 本名がヘンリーで、キャプテン・ハーレイをとても尊敬しています、っていう彫刻家!
 そういう人が現れちゃったら、間違いなく今日のヘンリーだから!
 ちゃんと会いに行って謝ってよね、と注文をつけた。その方法ならば、お詫び出来そうだから。
「謝るのは別にいいんだが…。行きたくないとは言わないが…」
 俺が謝っても意味なんかないぞ、ただの古典の教師だから。
 いったい何を謝ってるんだ、と不思議そうな顔をされるのがオチだ。
 そうだな、せいぜい、こんな所か…。
 「古典の資料で解釈するなら、そうなりますか?」と訊かれるんだな、ウサギの正体。
 キャプテン・ハーレイの航宙日誌に、何か暗号があるだとか。ナキネズミだ、と読み取れる妙な暗号もどき。古典の教師の俺が思い付いた、実に斬新な新説ってヤツで。
 そう読めるんだ、と主張しながら、「ウサギじゃないです」と謝りに来た奇特な男、と。
 何も言わずに黙っていたなら、謝らなくてもいいのになあ…。自分勝手な新説だから。
 ヘンリーにしてみりゃ、熱烈なファンならではのお詫びってトコか。ヘンリーが大切に思ってるウサギ、そいつにヘンテコな説を唱えてすみません、とな。
 俺が正体を明かしているなら、話は別になるんだが…。そうでなければ、意味が無いだろ。
「そっか…」
 ハーレイが誰か分かっていないと、そういうことになっちゃうね…。
 いくらキャプテン・ハーレイと同じ顔でも、似ているだけで別人だから…。



 どうやらハーレイが謝りに行っても無駄らしい。宇宙遺産のウサギのこと。
 ヘンリーにとってはウサギはウサギで、彫刻家を志した切っ掛けの一つ。今のハーレイが謝ってみても、「ナキネズミですか?」と首を傾げるだけ。ハーレイが自分の正体を伏せたままならば。
(…今の所は、前のぼくたちのことは、黙ったままでいようって…)
 そう思っているのが自分たち。二人きりで静かに生きてゆけたら、それでいい。
「…だったら、心で謝ってよね。ヘンリーに通じないんなら」
 ヘンリーが立派な芸術家になったら、心の中で「ごめんなさい」って。
 だって、騙したのは本当だものね、宇宙遺産のウサギの正体、ナキネズミだから。
「うーむ…。俺はどう転がっても悪者なのか…」
 芸術家の卵を騙しちまった悪党なんだな、宇宙遺産にされてしまったナキネズミで。
 あれも芸術だと思うんだがなあ、他の星から見に来るヤツがいるんなら。
 …それで、そのヘンリーからバスで宇宙に行ける話か?
「うん。ヘンリーが次は何に乗るのか考えていたら、そうなっちゃった」
 ぼくが使っているバス停からでも、宇宙に出発できるよね、って。
 旅行用の荷物を持ってバスに乗ったら、乗り換えて宙港に行けるんだから。
「バスで宇宙なあ…」
 お前がいきなり言い出した時は、寝ぼけたのかと思ったが…。バスは宇宙を飛べんしな?
 とはいえ、お前の考え方。
 バスで宇宙っていう言葉自体も、あながち、間違ってはいないのかもな。
 言葉の意味をきちんと確認しなくても…、とハーレイが笑みを浮かべるから。
「えっ…?」
 バスで宇宙に行くのは無理だよ、ハーレイ、今も言ったじゃない。バスは宇宙船とは違うよ?
 乗り換えたら宇宙に行けるけれども、バスで行けるのは宙港までで…。
「その宙港から先の話だ、チケットを買う宇宙船だな」
 チケットさえ買えば誰でも乗れるし、何処の星へも行けるんだが…。
 そいつは今の時代だからだぞ、前の俺たちが生きた時代とは違うってな。
 今の旅には、制限ってヤツが全く無いから。



 SD体制の頃とはかなり違うぞ、とハーレイが教えてくれたこと。
 今は宙港でチケットを買えば何処へでも行けるし、どんな旅でも自由に出来る。
「そのヘンリーが格安で旅をしてるんだったら、宇宙船でもバス並みかもな」
 直行便で飛ぶとチケットは高いが、あちこちの星に停まるヤツだと安くなるから。
 日数はかなりかかっちまうが、その分、値段が安いんだ。同じ距離を飛ぶ宇宙船でも。
「ふうん…?」
 速く飛べない分、割引みたいになるんだね。急ぐ人だと、そういう船には乗れないけれど。
「そうなるな。だから、時間に余裕のあるヤツらが乗るわけだ」
 格安で旅をするんだからなあ、学生なんかの御用達だ。時間はたっぷり、しかし小遣いはあまり持ってはいないから。
 たとえば、だ…。
 地球からアルテメシア行きの船があるだろ、直行便で。
 あれに乗る代わりに、色々な星に寄って行く船に乗ったら、費用はだな…。
 こんなモンらしい、と告げられた金額はピンと来なかったけれど、同じ金額のチケットで飛べる距離を聞いたら仰天した。
「変わらないわけ、ソル太陽系の中を飛んで行くのと?」
 一番速い便でソル太陽系の中を飛ぶのと、アルテメシアまで飛ぶのと値段がおんなじ…?
 アルテメシアまで飛んで行く便は、一番遅いヤツって言われても…。
「そうなるらしいぞ、面白いよな」
 バスもそうだろ、遠い所まで走るバスだと料金は高い。短い時間になればなるほど。
 同じバスでも、路線バスだと少しも高くないんだが…。乗り継いで行っても、それほどはな。
 宇宙船でも同じってことだ、今の時代はバス並みだ。
 前の俺たちが生きてた頃には、その手の便を作ろうとしても制限がありすぎて無理だったが。
「制限って…?」
「軍事拠点や教育ステーション、育英都市には立ち寄り制限があっただろうが」
「そういえば…!」
 軍事機密とか、子供たちの成長の邪魔になるとか、色々と…。
 どんな船でも入っていいです、っていう場所はあんまり無かったかもね…。



 そういう時代だったっけ、と零れた溜息。なんとも不自由な時代だった、と。
「ミュウでなくても、乗り換えは自由じゃなかったんだね…」
 バスには乗れても、其処から飛び出せる宇宙に制限。…人類はバスに乗れたのに。
 宇宙船のチケットも買えたけれども、乗り換えて自由に旅をするのは無理だったんだね。
「そうだったようだ、バス並みの感覚で乗れる宇宙船だって無かったからな」
 あの頃に比べりゃ、今は本当にいい時代だ。誰だって好きに旅行が出来て。
 バス停から宇宙に飛び出せるなんて、もう最高の時代だってな。
 そうなったからこそ、俺の芸術も他所の星からわざわざ見に来て貰える、と。
 お前はヘンリーに会ったわけだが、他にも大勢いるかもしれんな。芸術家の卵で、俺を尊敬しているヤツら。…宇宙遺産のウサギを是非とも見なくては、と地球に来るヤツ。
「ハーレイのせいだよ、謝ってよ!」
 他の人たちは分かんないけど、ぼくはヘンリーに会ったんだから!
 あんな下手くそな木彫りなんかに騙されちゃってる、未来の立派な彫刻家に…!
「俺は知らんぞ、ヘンリーに会ってもいないしな」
 それにだ、いい彫刻家になれば何も問題無いだろうが。そのヘンリーが腕を磨きさえすれば。
 誰が心の師匠だろうが、結果が全てなんだから、とハーレイは本当に涼しい顔。
 「俺は知らん」と、「ヘンリーの腕さえ良けりゃいいだろ」と。
(…ハーレイ、無責任で酷いんだから…!)
 謝る方法が無いと思って知らんぷり、と酷い腕前だった前のハーレイを責めてみたって、まるで効果は無さそうな感じ。ヘンリーに謝る方法は無いし、住所も聞かなかったから。
 けれど、ヘンリーの旅が格安で、バス並みの旅をしているのなら…。
(他にも色々、芸術作品…)
 たっぷりとある時間を使って、あちこち眺める旅を続けてゆくだろうから。この地球だけでも、山のような数の芸術品がある筈だから…。
 あのヘンリーには、いつか素晴らしい彫刻家になって欲しいと思う。
 宇宙遺産のウサギを勘違いしたままでも、心の師匠が前のハーレイでも。
 自由に旅が出来る世界で、沢山の芸術作品に触れて、勉強して。
 いい作品を幾つも彫って、「命があるよ」と話していた木に、新しい命を吹き込んでやって…。




               バスと旅人・了


※ブルーが出会った、前のハーレイを尊敬している芸術家の卵。地球までやって来た旅人。
 今の時代はバスに乗ったら、宇宙への旅行が始まるのです。宙港へ行って、宇宙船に乗って。
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