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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

山があるから
(百名山…)
 こんなのがあるんだ、とブルーが眺めた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間に。
 ダイニングで広げてみた新聞。其処に「百名山」の文字。何処かの山の名前だろうか、と思って記事を読み始めたら…。
(ずっと昔に…)
 まだ人間が地球しか知らなかった時代、この辺りに在った小さな島国。それが日本で、その国でブームになった登山。同じ登るなら、目標があった方がいい。
 その目標になった山たちが百名山。元は登山家でもあった小説家が選んだ、百の山たち。随筆の中で「この山がいい」と「百名山」という言葉も作った。
 最初の頃には、ごくごく一部の山好きだけが知っていたという百名山。ところが、登山ブームが到来、登りたい人がググンと増えた。
 どうせ登るなら、百名山に行くのがいい。日本のあちこちに散らばる山たち、百もある山を制覇しようと。「全部登った」と誇るのもいいし、「あと幾つ」と数えてゆくのも楽しいから。
 若い人から、仕事を辞めた後の趣味にと始める人まで、大勢の人が百名山を目指したけれど。
(うーん…)
 とても高い、と驚いてしまった山の標高。
 特に人気だった山たちの高さが幾つか、どれも千メートルを軽く超えていた。一番低かった山も千メートル以上、というデータ。
(…千メートルって…)
 かなり高いよ、と山登りをしない自分でも分かる。沢山の人が登りたがった百名山は、登山家が選んだ山だっただけに、簡単に登れる山ばかりではなかったらしい。
(魔の山だって…)
 遭難事故が多発したから、そう呼ばれた山も百名山の一つ。それでも登りにゆく人たち。
 もっとも、地球が滅びに向かった頃には、忘れ去られていたのだけれど。百名山も、山に登るという趣味も。



 登りに行けたわけがないしね、と滅びようとしていた地球のことを思う。
 大気は汚染されてしまって、地下には分解不可能な毒素。海からは魚影が消えていったし、緑も自然に育たなくなった。自然の中で楽しみたくても、もはや何処にも無かった自然。
(…百名山だって、きっと禿山…)
 高い山だけに、緑の木々たちが消える前から、天辺の方は禿げていたかもしれないけれど。
 二千メートルを越す山たちだったら、最初から木などは一本も無くて、むき出しの岩肌ばかりの景色だったかもしれないけれど。
(それでも高山植物くらい…)
 あった筈だし、その植物さえ失われたのが滅びゆく地球。
 人間は山に登る代わりに、懸命に地球にしがみ付こうとした。母なる地球を取り戻そうと努力し続け、結局、離れざるを得なかった地球。SD体制を敷いてまで。
(それでも、青い地球は取り戻せなくて…)
 SD体制の崩壊と共に、燃え上がった地球。激しい地殻変動の末に、蘇ったのが今の地球。
 青い地球が宇宙に戻ったお蔭で、前とは違う日本が出来た。かつて日本が在った辺りに。
 其処に戻った人間たち。今の時代は誰もがミュウ。
 日本の文化を復活させて楽しみながら暮らす間に、山好きの人が唱え始めた。登山をするなら、百名山があった方がいい。新しい時代の百名山はこれにしよう、と。
(それで今でも、百名山っていうのがあるんだ…)
 せっかくの百名山だから、と今は失われた百名山と同じ名前をつけたりして。
 遥かな昔にあった本物、その名で呼ばれる蘇った地球に生まれた山。正式名称は違う名前でも、山好きの間では通じる名前。「ああ、あの山か」と。
(ホントの名前は違う山でも、山が大好きな人には富士山…)
 そういった具合に愛される山。
 本物の富士山は地殻変動で消えてしまって、もう無いのに。…それでも今も富士山はある。山が大好きな人の間では、そういう名前で呼ばれる山が。



 新しく選ばれた、今の時代の百名山。昔と同じに、日本のあちこちに散らばる山たち。
 その百名山を目指す人たちもいる。サイオンは抜きで、自分の足で。
(凄いよね…)
 記事に書かれた、今の百名山も高いのに。優に千メートルを超える山たち、今もやっぱり。
 高すぎだよ、と思う百名山。下の学校の遠足で出掛けた郊外の山でも、自分には充分、高かった山。千メートルにはとても届かない山で、遠足には丁度いい高さでも。
(学校のみんなで出掛けて行っても…)
 下の学年の子たちと一緒に、途中に残った遠足もあった。弱い身体では登れないから、疲れないように山道の途中でおしまい。学校に上がったばかりの子たちも、それほど登れはしないから。
(ちょっとだけ登って、そこでお弁当…)
 自分よりも下の学年の子たちと、一緒に食べたお弁当。山道をもっと上に向かった、他の生徒が戻って来てくれるまで、待っていた自分。
 休んでしまった遠足もあった。病気だというわけでもないのに。
(下の学年の子たちの遠足、別の場所だと…)
 疲れても途中で残れはしないし、先生だって一人だけのために一緒に残っているのは無理。低い山でも山は山だし、足を挫いたりする子もいるから…。
(先生、みんなと行かないと…)
 他の生徒の面倒を見ることが出来ない。だから最初から、遠足は休み。
(パパやママと一緒に行った山でも…)
 お遊び程度の山登り。小高い丘のような山やら、小さな子供でも歩けるハイキングコース。町の景色が綺麗に見えたら、「此処でお弁当にしよう」と父が足を止めて、おしまいだとか。
 山の頂までは行かない登山。…あれでも登山と言うのなら。
 小さな頃からそんな具合で、今も虚弱で体育は直ぐに見学だから…。
(百名山なんて…)
 絶対に無理で、登れるわけがない山たち。
 逆立ちしたって、ただの一つも登れはしない。一番低いと書かれた山でも、千メートルを超えている高さ。自分の足ではとても無理だし、挑むだけ無駄といった趣。



 世の中には変わった趣味があるよね、と新聞を閉じて戻った二階の自分の部屋。キッチンの母に「御馳走様」と、空になったカップやお皿を返して。
(百名山かあ…)
 山好きの間では、蘇っているらしい百名山。元になった山は失われたのに、わざわざ同じ名前で呼んで。正式な名前がちゃんとあるのに、それとは別に。
 サイオンは抜きで、自分の足で登る山。大変だろうに、百名山を登る人たち。なんとも凄い、と思うけれども、自分には無理な趣味なのだけれど。
(でも、昔から…)
 登山が好きな人たちがいたから、好まれた山が百名山。全部登ろう、と大勢の人が目指した山。
 遠い昔の日本の人たち、百名山を愛した山登りを趣味にしていた人たち。
 そういう人が多かったから、今の時代も百名山がある。新しく選ばれた百名山が。
 今は人間は誰もがミュウだし、「サイオンは抜きで」登るのがいいと言われていたって、いざとなったら使えるサイオン。「使うな」とは誰も言わないから。
(使わないのが社会のルールで、マナーだっていうだけのことで…)
 困った時には大人だって使う。急な雨で傘を持っていなくて、それでも先を急ぐなら雨を弾いてくれるシールド。誰も「駄目だ」と咎めはしないし、「急ぐんだな」と見ているだけ。
 けれど、本物の百名山があった時代に生きた人には、サイオンは無い。ミュウはいなくて、人類しか住んでいなかった地球。サイオンが使えないのなら…。
(遭難事故だって…)
 記事に載っていた魔の山でなくても、きっと幾つもあった筈。
 足を滑らせて転落したって、サイオンが無いと止まれない。落っこちたら死ぬしかない所でも。高い崖から宙へと放り出されても。
 それでも登っていた人たち。とても高い山や、危険な場所が幾つもある山を。
 どんなに大変な道のりでも、山が好きだから。山の頂に立ちたいから。
(其処に山があるから…)
 そう言ったという、登山家の話を聞いたことがある。地球が青かった時代に生きた登山家。
 其処に山があるから、「だから登る」と。…ただ登りたいだけなのだと。



 確か、エベレストを目指した人の言葉だった、という記憶。地形が変わってしまう前の時代の、地球に聳えていた最高峰。まだ未踏峰だった頂を、「其処に山があるから」と目指した登山家。
(…其処にあっても、ぼくは御免だけどね) 
 高い山など、登れはしない。どう頑張っても、弱い身体で登るのは無理。
 地球を夢見た前の自分も、自分の二本の足を使って山に登ろうとは思わなかった。エベレストがあったヒマラヤ山脈、其処にも行きたかったのに。
 もしかしたら、例の登山家の言葉。「其処に山があるから」という言葉は、前の自分が何処かで目にしたものかもしれない。白いシャングリラのデータベースか、ライブラリーで。
 ヒマラヤの高峰に咲くという花、青いケシの花に焦がれていたから。
 いつか地球まで辿り着いたら、やりたかった夢の一つが青いケシ。青い天上の花を見ること。
(ヒマラヤの青いケシを見るには…)
 空を飛んでゆこうと夢を描いていた。白いシャングリラで地球に着いたら、空を飛ぼうと。
 前の自分は自由自在に空を飛べたし、ケシが咲く峰よりも高く舞い上がれたから。空の上から、青いケシの花を探すことだって出来たから。
 そういう夢を持っていたのに、生まれ変わって青い地球まで来られたのに…。
(…ぼくのサイオン、うんと不器用になっちゃって…)
 空を飛ぶなど、夢のまた夢。
 青いケシを見に出掛けてゆくなら、今の自分はヤクの背中に乗るしかない。ヒマラヤ育ちの強い動物、ヤクの足で登って貰う山。自分ではとても登れないから。
(ヒマラヤだったら、ヤクがいるけど…)
 日本の山にヤクはいないし、百名山はもうお手上げ。ヤクがいるなら、乗せて貰って登ることも出来そうなのだけど。…ヤクの足で行ける所までなら。天辺までは無理かもしれないけれど。
(山の天辺、尖ってたりするから…)
 ヤクの足では登れない山もあるだろう。それでも途中までならば、と思ってもヤクはいないのが日本。百名山に登りたければ、自分の足で歩くしかない。
 麓から歩き始めるにしても、途中までは車で行ける道路があったにしても。



 無理だよね、と思う百名山。一番低い山でも無理、と。
(その辺の山でも大変なんだよ、今のぼくだと…)
 学校の遠足で出掛けた山でも、天辺まで行けなかったほど。下の学年の子たちと一緒に、山道の途中で待っていたほど。上まで登りに行った同級生たち、彼らが山を下りてくるまで。
 遠足で行くような山に登るだけでも一苦労、と考えた所で不意に掠めた記憶。
 前の自分が見ていた山。空を自由に飛ぶことが出来た、ソルジャー・ブルーだった自分が。
(…山があっても、直ぐにおしまい…)
 白いシャングリラが長く潜んだ、アルテメシアの山はそうだった。雲海に覆われた星の山たち。
 あの星にあった育英都市。アタラクシアと、エネルゲイアと。
 二つの育英都市を取り巻くような形で、緑の山はあったのだけれど…。
(山登りをして、越えるのは禁止…)
 そういう規則になっていた。人類が暮らす世界では。
 テラフォーミングされて、緑の木々が茂る山並み。その山肌から緑が消えて、岩山に変わる所が境界。緑の山には自由に行けても、岩山の方へ越えては行けない。
 岩山を越えて外へ出ることは禁止だった世界、それがアタラクシアとエネルゲイア。
(前のぼくたちには、そんな規則は…)
 関係無いから、シャングリラは其処に隠れていた。人類の規則などミュウには無意味なのだし、守らねばならない理由も無い。その人類に追われる身だから、逃れなくてはならないから。
 岩だらけの山と荒れた大地の上を覆う雲海、白い雲の中がシャングリラの居場所。山を越えたら何があるのか、前の自分たちは知っていたけれど…。
(アルテメシアにいた子供たちは…)
 ハイキングで山を越えてゆけなくて、子供たちを育てる養父母も同じ。規則は規則で、養父母が山を越えていたなら、子供たちも真似をしたくなるから。
(あんな星だと、百名山なんて…)
 作りたくても、作れなかったことだろう。その山を越えて行けないなら。山の頂に立って下界を見下ろすことが出来ないのなら。
 百もの山を登る趣味だって、持てそうになかったアルテメシア。人類が暮らした都市の周りに、それだけの数の峰は無かったと思うから。



 アルテメシアには無かっただろう、と考えざるを得ない百名山。前の自分は百名山など、聞いたことさえ無かったけれど。
(他の星なら…)
 あったのかな、とも思う百名山。素敵な山が百あったならば、百名山は作れるから。今の日本が新しいのを作っているように、他の星でも。
(ノアとかだったら…)
 SD体制の時代の首都惑星、ノア。白い輪さえかかっていなかったならば、地球と間違えそうな青さを誇っていた星。人類が最初にテラフォーミングに成功した星だったし、ほぼ全体が…。
(人間が暮らせる環境だった筈で…)
 山だって、きっと幾つもあった。百どころではない数だろう山が。
 あの星だったら百名山も作れたろうか、と考えていたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合わせで訊いてみた。
「ハーレイ、百名山って知ってる?」
 今日の新聞に載ってたんだよ、有名な山らしいんだけど…。全部で百もあるんだって。
「百名山か…。あるなあ、俺も幾つか見たことはあるぞ」
 実に綺麗な山なんだよな、とハーレイは目を細めている。「どれも、まさしく名山だ」と。
「見たことがあるって…。それじゃ、登っていないんだね?」
 どの山も、見たっていうだけのことで…?
「登ろうってトコまでは、やっていないな。…近くまでは行ってみたんだが」
 もう少し行ったら登山口だ、って所まで出掛けた山もあったな。景色が綺麗だったから。
 山を見ながらのんびり歩いて、ちょっとしたハイキング気分てトコだ。
 親父たちや友達と旅に出掛けた時だな、なかなかに素敵な山ばかりだぞ。
 どの山もな、とハーレイは旅先で眺めた山を思い浮かべているらしい。山には登らず、見ていただけの名山たち。「あれがそうだ」と指差し合って。記念写真も撮ったりして。



 いい山なんだぞ、とハーレイが山の姿を褒めるものだから、不思議になって傾げた首。そんなに素敵な山だったのなら、登ってくればいいのに、と。
 柔道と水泳で鍛えた身体を持つハーレイなら、ひ弱な自分とは違う。楽々と山を登れそうだし、登山口まで行ってしまえば良さそうなのに。「ちょっと登ってくるから」と。
「…その山、なんで登らなかったの?」
 上まで登るのは、時間、足りないかもしれないけれど…。少しくらいなら…。
 ハーレイだったら、身体、鍛えてあるんだし…。山登りをしたって疲れないでしょ?
 旅行の記念に登ってくれば良かったのに、と疑問をそのままぶつけたら。
「そいつは無理だな、ああいう山じゃ。…百名山、記事で読んだんだろう?」
 山によっては高さが凄いし、俺が旅先で見て来た山はそういうヤツだ。遠足気分の山じゃない。
 その手の山を登るとなったら、相応の装備が必要になる。道具じゃなくても、服や靴だな。
 ついでに届けも厳しいからなあ、「ちょっと登ってみるだけです」とはいかないんだ。
「届け…?」
 それって何なの、山に登るのに何か出さなきゃいけないの…?
「そういう決まりになってるな。昔の時代の真似ってことで」
 本物の百名山があった時代の日本を真似ているんだ。
 山に登る前には、入山届けを出さなきゃいかん。こういうコースで登ります、とな。
 それを登山口で係に渡して、それから装備のチェックを受ける。山を登るのに相応しい靴やら、服の準備が整っているか。…足りていないと、もう駄目だってな。
 観光気分で登ろうとしたら止められちまう、とハーレイが軽く広げた両手。
 高い山に登れば危険が伴うものだし、遭難事故が起こらないよう、観光客はお断りだ、と。
「…観光気分じゃ駄目って言っても…。でも…」
 みんなサイオンを持っているでしょ、ぼくみたいに不器用でなければ安心。
 足を滑らせても、ちゃんとサイオンで止まれるんだから、事故なんかにはならないよ?
「そのサイオンをだ、使わないのがルールだからなあ…。登山ってヤツは」
 入山届けも、装備のチェックも、遊びの内だ。
 きちんと準備が出来てますか、と念を押されるわけだな。それに、届けを出しておけば、だ…。



 山に入った後、もしも天候が荒れたりしたなら、入山届けを出した所から連絡が来る。避難した場所は安全なのか、という確認やら、「救助に行った方がいいか」という質問も。
「避難するって…。シールド、あるでしょ?」
 嵐の中でも、大丈夫だと思うけど…。そりゃ、消耗を防ぐんだったら、シールドよりも山小屋に入る方がいいけど…。山小屋が無くても、岩陰だとか。
 それに救助も、要らないって人が多そうだけど…。瞬間移動で戻れる人もいる筈だよ?
 瞬間移動は無理にしたって、サイオンがあれば安全な場所まで行ける筈だし…。
 それなのに救助を頼んだりするの、と尋ねたら。
「そのようだ。ギリギリの所まで踏ん張ってこそだ、というのが登山の醍醐味らしいぞ?」
 サイオンは使わずに、いける所まで。…救助に出掛ける方はサイオンを使うんだがな。
 瞬間移動で飛んで行ったり、救助方法は色々らしいが…。
 そいつを「頼む」と言わずに何処まで頑張れるかが、登山をやる連中のプライドってヤツだ。
「凄いね…。なんだか我慢大会みたい…」
 シールドを張ったら安心なのに、張らないだなんて。…救助を頼んだりするなんて…。
「登山はスポーツの一種だからな。そういうことにもなるだろうさ」
 自然を相手に戦うわけだし、そう簡単に「参りました」と降参したくはないだろう?
 俺ならしないな、ギリギリまで。…まだ戦える、と思う間は。
「山登り、スポーツだったんだ…」
 それって、前のぼくたちが生きてた時代にもあった?
「はあ? 登山のことか?」
 山に登ってるヤツらはいたのか、っていう質問なのか、お前が言うのは…?
 それだったら…、とハーレイが答えようとするのを遮った。訊きたかったことは別だから。
「登山じゃなくって、山の方だよ」
 山に登るなら、まず山が無いと駄目じゃない。
 でないと登山に行けないものね、山が何処にも無かったら。
 ぼくが訊いてるのは、そっちの方。…登れる山はあったのかどうか。



 百名山だよ、と抱えていた疑問を口にした。ハーレイが訪ねて来るよりも前に、考えていた山のこと。前の自分が生きた時代も、百名山は何処かにあっただろうか、と。
「百名山、今は新しいのがあるでしょ? ハーレイも幾つか見たってヤツが」
 前のぼくたちが生きた頃にも、百名山はあったのかな、って思ってて…。
 アルテメシアには無さそうだけど…。
 あそこの星だと、山を越えるの、一般人は禁止だったから。アタラクシアも、エネルゲイアも。
 そんな決まりがあった星だと、登れそうな山は百も無いしね。百名山は選べないよ。
 でも、他の星にはあったのかなあ、って…。
 ノアとかだったら、山も沢山ありそうだから…。育英惑星ってわけでもないしね、百名山。
「…無いな、結論から言えば」
 前の俺たちが生きた時代に、百名山は存在しなかった。存在する理由も、その意義もな。
 あったわけがない、というハーレイの言葉に驚いた。
「え…? 無かったって…」
 どういうことなの、百名山が無かっただけなら分かるけど…。
 そんなに沢山、綺麗な山が見付からなかったってことだよね、って思うけど…。
 だから存在する理由が無いのはいいけど、意義が無いって、どういう意味?
 まるで百名山、存在してたら駄目みたいな風に聞こえるよ…?
「その通りだが?」
 無かったんだ、登山そのものが。…スポーツとしては。
 登るヤツらがいないんだったら、百名山を作る必要も無い。…むしろ無い方がいいってこった。
 山が無いなら、誰も登りに行かないぞ。
 うっかり百名山があったら、登ろうと思うヤツらが出て来る。だから作っちゃ駄目なんだ。
「…なんで?」
 どうして百名山を作っちゃ駄目なの、それに登山が無かったりするの…?
 登山は今も人気のスポーツなんでしょ、サイオンを使わないのが面白い、っていうくらいに…?
「其処が問題だったんだ。…命懸けのスポーツだという所がな」
 今でもプロの登山家はいるわけなんだが、前の俺たちが生きてた時代。
 誰が登山家になればいいのか、そいつを機械が決めるのか…?



 よく考えて思い出してみろよ、と言われたSD体制の時代。マザー・システムが統治した世界。
 完全な管理出産だった社会の中では、適性を調べて決められた進路。
 育英都市での成績や発育ぶりを機械が見定め、成人検査で振り分けた。次の教育段階へ。
 養父母の許を離れた後には、教育ステーションで四年間。成績と才能の有無で選別、決められる最終的な職業。
 命懸けの仕事も無いことはなくて、軍人やパイロットなどがそう。ただし、どちらも欠かせないもので、彼ら無しでは成り立たない社会。いわば必須の職業なのだし、命懸けでも必要なもの。
 けれど、登山家は社会に欠かせない職業ではない。いなくても誰も困りはしない。
 同じスポーツ選手だったら、命を懸ける登山家などより、皆が眺めて楽しめるスポーツのプロを養成すべき。サッカーだとか、マラソンだとか。
「…登山家、いなかった時代だったんだ…」
 前のぼくたちはシャングリラの中しか知らなかったし、スポーツ選手も詳しくなくて…。
 プロがいるんだ、って知っていただけで、どんなスポーツのプロがいたかは知らないよ。
 だけど確かに、登山家は必要無かったかも…。山まで出掛けて眺めないしね、登ってる所。
「そういうことだ。職業としての登山家は存在しなかった。SD体制の時代はな」
 人類が登山家をやるとなったら、もう文字通りに命懸けだ。サイオンを持っていないんだから。
 そんなスポーツのプロを作ったりしたら、不満が噴出しかねない。殺す気なのか、と。
 だから登山は趣味でやるもので、その趣味の方も、安全に登れる低い山だけだった。
 惑星の開発などの仕事で、高い山に登ったヤツらはいたが…。
 それは仕事の一環なんだし、安全を確保するのが第一だ。命は懸けずに守る方だな。
 最先端の技術を駆使して、ロボットにサポートさせたりもした。安全に登っていけるように。
 命を守って、出来るだけ楽に登るというのが、高い山を登る時の常識だったから…。
 サイオンも抜きで登るもんだ、というスタイルの今の登山とは…。



 まるで違うぞ、という説明。
 同じ高い山を登るにしたって、今は楽しみながら登るスポーツ。自分自身の体力や気力、それを限界まで引き出して。…サイオンは抜きで出来る所まで。
 遭難しそうになっていたって、自分のサイオンを使う代わりに救助要請。それでこそ真の登山家なのだし、アマチュアもプロもそういう精神。
 けれど、SD体制の時代は違った。命懸けの登山をする人間は誰もいなくて、百名山も無かった時代。人間がそれに挑み始めたら、危険が増えるだけだから。
「…プロの登山家は作れなかった、っていうのは分かるけど…」
 危ない仕事で、だけど社会の役に立つようなものでもなくて…。
 わざわざプロを作ったとしても、事故が起きたら困ったことになりそうだけれど…。
 そんな時代でも、山に登ろうって人はいなかったの?
 「其処に山があるから」っていう言葉があるでしょ、山に登りに行く理由。昔の登山家の言葉。
 あれみたいに、山があるから登るっていうのは無かったの…?
 アルテメシアでは山を越えるのは禁止だったけど、そうじゃない星なら登りたい人も…。
 いそうだけれど、と考えたけれど、ハーレイは「SD体制の時代だぞ?」と苦い顔をした。
「人類を治めていたのは機械だ。…最終的な判断は全部、機械がやっていたってな」
 機械は遊び心というのを理解しないし、理解しようとも考えない。…機械なんだから。
 とにかく社会を守るのが一番、人間の命も守ってこそだ。ミュウだと殺しちまったんだが。
 守るべき人間が危険な山に登りたい、と言い出したならば、禁止だな。「危険だから」と。
 そうでない場合は、命を守るための工夫を山ほど施された上で、仕事で登山だ。
 やむを得ず登るわけなんだしなあ、命なんか懸けたくないのにな…?
「…仕事はともかく、登りたいって言っても禁止だなんて…」
 それって、面白みがないよ。…命懸けってことが、とても楽しいとは言わないけれど…。
 危ないから、って最初から禁止されてる世界じゃ、のびのび暮らしていけないかも…。
「だからこそ、今は人気だってな」
 登山も、百名山を登りに出掛けてゆくってことも。…サイオンは抜きで。
「そっか…。自分の限界と戦うってことが、出来る時代になったんだね」
 いけません、って機械に止められずに。…やりたい人は、好きに山に登れて、百名山もあって。



 時代のお蔭もあったのか、と思った今の百名山。前の自分が生きた時代は無かったもの。登山もプロの登山家たちも、百名山も。
 SD体制の時代と今とが違うことは百も承知だけれども、登山まで消えていたなんて、と本当にただ驚くばかり。遠い昔には、「其処に山があるから」と登った登山家もいたというのに。
 ハーレイが百名山の幾つかを見たと聞いたら、「登っていないの?」と不思議だったほど、今は登山が普通なのに。
「えっとね…。登山、今はすっかり普通になってるみたいだけれど…」
 こんな風に登山の話をしてたら、ハーレイ、登りたくならない?
 記念写真だけで帰って来ちゃった、綺麗だったっていう山とかに。
 ハーレイ、山も好きそうだけど、と尋ねてみたら。
「俺か? そうだな、惹かれないでもないが…。機会があれば、と思いもするが…」
 お前、登山は無理だろう?
 百名山に登るどころか、その辺にあるような低い山でも。
「無理に決まっているじゃない!」
 学校から遠足に出掛けた時でも、ぼくは途中でおしまいだったよ?
 山の天辺まで登れないから、下の学年の子たちと一緒に途中までだけ…。其処でお弁当。
 天辺まで行ったみんなが帰って来るまで待ってたんだよ、疲れてしまわないように。
 途中で待つのが無理な時だと、遠足ごとお休みだったんだから…!
 熱なんか少しも出ていないのに、ぼくに山登りは無理だから、って止められてお休み…。
「ほらな、お前は身体が弱いし、そうなっちまう」
 お前がそういう具合だからなあ、俺も山には登らない。
 これからも記念写真だけで終わりだ、どんなに綺麗で登りたくなる山に出会っても。
「…どうして?」
 ハーレイだったら登れそうだよ、難しすぎる山じゃなかったら。
 プロの登山家でなければ無理です、っていう山は無理でも、百名山はそうじゃないでしょ?
 いろんな人が目指してるんだし、体力があれば登れそうだけど…。
 ぼくは無理でも、ハーレイならね。



 記念写真は山の天辺で撮ればいいのに、と持ち掛けた。自分は一緒に写れないけれど、百名山の頂に立つハーレイは素敵だろうから。
「記念撮影、山の天辺の方が断然いいよ。麓なんかより」
 高い山なら、うんと遠くまで写りそうだし…。それとも一面の青空かな?
 きっと素敵な写真が撮れるよ、そういうハーレイの写真、見たいな…。
 登りに行くなら下で待ってる、と言ったのに。…山小屋に泊まって帰って来るなら、宿で留守番しているから、とも言ったのに。
「さっきも言ったが、一人じゃつまらん。…お前が一緒じゃないなんて」
 お前と二人で暮らしているのに、俺だけロマンを追い掛けるなんて、論外だ。
 百名山を登るというのも、魅力的ではあるんだが…。お前に留守番させたくはない。
 俺は登山家には向いていないな、こんな調子じゃ。
 名のある登山家にはなれやしないぞ、とハーレイが笑うものだから。
「それ、どういうこと?」
 ハーレイの何処が向いていないの、登山家に?
 ぼくが留守番するのと何か関係あるわけ、ハーレイが登山家になれるかどうか…?
「大いに関係あるってな。今の時代は大して意味は無いんだが…」
 人間がミュウじゃなかった時代。…遭難したら、死んじまうしかなかった頃の登山家ってヤツ。
 ずっと昔の登山家たちは、恋人よりもロマンが優先だったんだそうだ。
 山に登るというロマン。登った挙句に、山で死んじまっても本望だ、とな。
「それって…。それじゃ、恋人は…?」
 大切な人が山で死んでしまったら、恋人の方はどうなっちゃうの…?
「もちろん一人で残されちまうが、なにしろ山で死んだんだしな」
 大好きな山で死んだんだから、と納得して健気だったそうだぞ。
 とんでもない事故に遭ってしまって、身体さえ回収出来なくても。…雪崩に巻き込まれて行方が分からないとか、何処に落ちたか、探してもサッパリ手掛かり無しとか。
 それでも山を恨みはしないで、いい人生を送った人だ、と思ったらしいが…。
 好きな山で命を落としたわけだし、本人も大満足だろう、と。



 昔の登山家はそうしたモンだ、というハーレイの言葉に震え上がった。
 独りぼっちで置いてゆかれるなど、とんでもない。いくら恋人が満足だろうと、残されるなんて耐えられない。…前のハーレイはそれに耐えたけれども、自分にはとても無理だから…。
「ぼくには無理だよ、そんなのは…!」
 今の時代は誰でもミュウだし、山で死んだりするようなことはないだろうけど…。
 救助に行く人もきちんといるから、遭難したって怪我くらいで済むんだろうけど…。
 それでも嫌だよ、昔の話だ、って言われても…!
 悲しすぎるよ、独りぼっちになるなんて…!
「俺もお前を置いては死ねん。…それも好き勝手にした末だなんて、最低だろうが」
 いくら自分が好きなことでも、お前を残して死んじまうような真似は出来んな、間違っても。
 だから登山家は向いてないんだ、俺なんかには。
 登ったら気持ちいいだろうな、と思うような山があったって。…百名山がある時代でも。
 だがな…。
 せっかく山がある時代だから、と向けられた笑み。



 アルテメシアの雲海に潜んだ時代と違って、今は二人で蘇った青い地球の上。
 何処まで行っても「山を越えるな」と言われはしないし、登山は無理でも、山のある世界を満喫しよう、と。
 緑の山を幾つ越えても、それで終わりにはならない星。
 アルテメシアにいた頃だったら、緑の山を越えた後には、岩山と荒地だったのに。山を見ながら暮らした育英都市の子供や養父母、彼らは山を越えることを禁じられたのに。
 その上、登山家もいなかった時代。
 百名山がある星どころか、プロの登山家がいなかった。趣味で山登りをするにしたって、安全に登れる低い山だけ。
 それが前の自分たちが生きた時代で、機械が治めていた世界。
「あの忌々しいSD体制は終わっちまって、今じゃ地球だって青くて、だ…」
 俺たちはその地球に生まれたんだし、山に登れる世界を楽しまなきゃ損だ。
 お前は低い山しか登れないから、百名山とはいかないが…。
 俺たち流に決めて登るというのもアリだぞ、せっかくの青い地球なんだから。
 きっと楽しいぞ、と言われたけれども、「俺たち流」というのが謎。首を傾げるしかない言葉。
「何を決めるの?」
 ぼくたちに合わせるっていう意味みたいだけど、何を決めるわけ…?
「百名山に決まっているだろうが、俺たち流の」
 お前でも登れそうな山を百ほど選んで、そいつを制覇してゆく、と。
 姿の綺麗な山がいいなあ、低い山でも綺麗な山は幾つもあるんだから。
「…それもぼくには無理そうだけど…」
 だって山でしょ、途中で疲れてしまいそう。低い山でも、山は山だもの。
 天辺までは登れないかも…、と挑む前から音を上げた。「ぼくには無理」と。
「無理か、そういう百名山も?」
 だったら、山の麓に立ってみるだけでもいいじゃないか。綺麗な景色を見ながらな。
 この山の向こうにもずっと幾つも幾つも、山ってヤツが続いているんだ、と見るだけでも。
 誰も「越えるな」と言いやしないし、岩山が来たら終わりってわけでもないんだから。
「そうだね…!」
 何処の山でも終点じゃないね、越えちゃ駄目な山は無いものね…。
 岩だらけの山で緑が無くても、其処でおしまいってわけじゃないから…。
 その山を越えてずうっと行ったら、また緑の山が戻って来るよ。岩だらけの山に緑が無いのは、山が高すぎるせいで、低くなったら、また木があるから…。



 アルテメシアとは違うよね、と分かっている青い地球の岩山。
 高い山には、緑の木々は無いけれど。…それは森林限界のせいで、人工的な星とは違う。
 「山を越えるな」と禁止されていた、アルテメシアとは違った世界。
 低い場所では山は緑だし、登山家だっている時代。
 山登りが趣味の人も多くて、今の時代は百名山まで出来ている。
 せっかくなのだし、いつかハーレイと暮らし始めたら、山を満喫してみよう。
 前の自分たちが生きた頃には無かった職業、プロの登山家までいるほどだから。
 サイオンは抜きで山に挑むのも、今の平和な時代だからこそ出来ること。
(百名山を登るのは無理だけど…)
 山は見に行かなくっちゃね、と夢見る未来。
 ハーレイと二人で山を眺めて、記念写真も沢山撮ろう。
 山を越えても、誰も咎めはしない時代。
 どんな山でも自由に登れて、写真も撮りに行けるから。
 何処までも続いてゆく青い地球の山を、百も二百も、幾つでも眺められるのだから…。



           山があるから・了


※SD体制が敷かれた時代は、いなかったのがプロの登山家。機械が設けなかった職業。
 山を越えてゆくことが禁止だったり、今とは全く違った世界。百名山があるのも今ならでは。
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