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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

マツカのコーヒー

(コーヒーフェアか…)
 ハーレイが手に取り、眺めたチラシ。ブルーの家には寄り損なった日、夕食の後で。
 夕刊に入った折り込み広告、百貨店での特別企画。あちこちの星から集めたコーヒー、もちろん地球産のコーヒーだって。
 コーヒーの木の写真まで載せて、購買意欲をそそる仕掛けだけれど。明日から一週間の企画で、催事用のホールを丸ごと使うらしいのだけど。
(まるっきり縁が無いってな)
 コーヒー党のくせに、と浮かべた苦笑い。コーヒーと紅茶、どちらが好きかと尋ねられたなら、迷わずコーヒーと答える自分。現に今だって、テーブルの上にコーヒーを満たしたマグカップ。
 以前だったら、いそいそ出掛けて行っただろう。試飲が出来るコーナーもあるし、物珍しさで。他の星から来たコーヒーの味はどうかと、たまにはそういう豆もいいかと。
(地球のにしたって…)
 普段はお目にかかれない物もあるだろう。それも豊富に。どれを買おうか迷うくらいに。
 けれど、無くなってしまった御縁。高い豆でも相手はコーヒー、手が出ないほど小遣いに不自由してはいないのに、行っても仕方ないコーヒーフェア。
(あいつに出会ってしまったからなあ…)
 前の生から愛した恋人、十四歳にしかならないブルー。小さなブルーはコーヒーが苦手で、前のブルーもそうだった。「何処が美味しいのか分からないよ」と嫌がるコーヒー。
 時間がある日は、小さなブルーに会いに行くのが常だから。ブルーの家を訪ねてゆくから、街に出掛けてはいられない。百貨店に行くより、ブルーの家。
 ブルーもコーヒー好きだと言うなら、土産に買う手もあるけれど。今日のように学校を出るのが遅れた日などに、街へと車を走らせて。
(だが、土産にもならないんだ…)
 土産話にも出来やしない、とコクリと飲んだ熱いコーヒー。今の自分にはこれで充分だと、街に出掛けてまで珍しい豆は要らないと。



 そうは思っても、コーヒー党には違いない。コーヒー豆より恋人の方を選ぶけれども、気になるコーヒーフェアの文字。小さなブルーに出会う前なら、きっと飛び付いただろうから。
(俺しか飲めんというのがなあ…)
 前はともかく今度もなんだ、と零れる溜息。生まれ変わってもコーヒーが苦手な、愛おしい人。
 この状況ではコーヒーフェアに出掛けて行っても仕方ない。無駄に時間を取られるだけ。いつかブルーと結婚したなら、「ちょっと付き合え」と引っ張って行ってもいいだろうけれど。
 いくらブルーは飲めないと言っても、やめる気などは無いコーヒー。毎日必ず飲むだろうから、コーヒー豆だって買いにゆく。だから、たまにはコーヒーフェア。試飲出来ないブルーを連れて。
(嫌そうな顔はするんだろうが…)
 興味津々でもあるだろうブルー。こんな飲み物の何処がいいのか、と他の客たちの観察もして。
 そういう日まではお預けだな、とチラシをテーブルに置いたのだけれど。
(…待てよ?)
 俺の事情は大きく変わったんだった、と再び手に取った百貨店のチラシ。今の自分は前に比べて中身がグンと増えている。キャプテン・ハーレイの記憶が戻って、加わったから。
(今の俺ならではの発見もあるか?)
 同じコーヒーフェアのチラシでも、前の自分の記憶が戻った今ならば。
 ただの嗜好品であるよりも前に、コーヒーの価値が全く違う。白いシャングリラではキャロブのコーヒー、本物ではなくて代用品。イナゴ豆で出来ていたコーヒー。
 人類の船から物資を奪っていた時代ならば、本物のコーヒー豆だったけれど。



 コーヒー自体が値打ち物だった、と前の自分になったつもりで眺めたチラシ。さっきより輝いて見える気がする、本物のコーヒーばかりのチラシ。
(コーヒー豆だというだけで値打ちが出るからなあ…)
 何度懐かしく思っただろうか、あの船で。キャロブのコーヒーを口にしながら、本物のコーヒー豆があった時代を。カフェインを加えて作る代用品とは違った深みのある味を。
 こだわりの豆など無かったけれども、本物を懐かしんでいた。また飲めたら、と。
 あの頃の自分の目で見たチラシは、夢の世界を見ているよう。どれも本物ばかりのコーヒー。
(おまけに地球産と来たもんだ)
 今でこそ見慣れた数々の銘柄、けれども前の自分は知らない。地球産を謳ったコーヒー豆など、前の自分が生きた頃には無かったから。
(てっきり、貴重品だとばかり…)
 前のブルーが奪ったコーヒー豆の中には無かった地球産。希少な豆だから、手に入らないのだと信じていた。人類の聖地だった地球。其処で採れるだろうコーヒー豆は、普通の輸送船で運ぶには価値が高すぎるのだと。…地球産の作物ばかりを扱う輸送船、そういう船があるのだろうと。
 まさか、その地球が無いとは夢にも思わなかった。
 白いシャングリラで辿り着くまで、赤茶けた死の星を目にするまでは。



 無くて当然だったんだ、と今だからこそ分かる地球産。蘇った青い地球で育ったコーヒー豆。
 沢山あるな、と見ていった後は、他の星から来たコーヒーたち。多分、その星の自信作。
(アルテメシアにノアか…)
 前の自分も飲んだ筈なのに、まるで覚えていない味。飲みたいと願った本物のコーヒーだったというのに、感動すらも覚えなかった。
 ブルーを失くした後だったから。地球を目指しての旅の途中で、陥落させた幾つもの星。其処で出されたコーヒーの味は、もはやどうでも良かったから。
 何を食べようが何を飲もうが、栄養補給をしていただけ。シャングリラを地球まで運ぶために。ブルーが遺した言葉を守って、ジョミーを支えてゆくために。
 だから興味も無かったコーヒー、味も銘柄も知るわけがない、と思ったけれど。
(ん…?)
 これは、と目を引いたノアのコーヒー。数量限定の特別輸入。
 わざわざ枠で囲まれたそれは、キースが飲んでいたコーヒーだという。銘柄は「マツカ」。
(うーむ…)
 そんなものが存在していたのか、と唸ってしまった、伝説の国家主席の御用達。キースが好んだ味のコーヒー、いつもマツカが淹れていたもの。
 ノア産のコーヒー豆のブレンド、それが「マツカ」というコーヒー。もちろん後から付けられた名前、キースが国家主席だった頃には名前も無かったマツカのコーヒー。



(キース好みのコーヒーなあ…)
 添えられている説明文。国家主席になるよりも前から、キースはこれを好んだらしい。マツカに命じて淹れさせていた味、他の者たちが淹れたコーヒーでは駄目だった、と。
 キースもマツカもいなくなった後、マツカが遺した記録のお蔭で分かったブレンド。どんな豆をどうブレンドしたのか、豆の種類や割合などが。
 マツカは細やかに気を配り続け、そのブレンドを完成させた。キースが「美味い」と思ったろう味、それをきちんと覚えていて。この豆の味が好きなようだと、この割合で混ぜてみようと。
 キースは多分、言葉にもしていなかったろうに。「美味い」とも、それに「不味い」とも。
 顔にも出してはいなかったろうに、マツカが作り上げたブレンド。キースのためにと、いつでも美味しいコーヒーを飲んで貰えるようにと。
(心も読まずに、よくやったもんだ)
 あんな男の好みなんぞを掴むのは大変だっただろうに、と思い浮かべたマツカの顔。前の自分は会っていないけれど、今の自分は何度も写真を見ているから。
 キースは今も嫌いだけれども、マツカのことは嫌っていない。トォニィが殺してしまった仲間。人類の世界で生きていたミュウ。
 キースがSD体制に反旗を翻した理由の中には、マツカの存在もあっただろうから。記録は何も無いのだけれども、誰もがそうだと考えている。マツカの存在は大きかった、と。
 コーヒー豆をブレンドしていたほどだし、マツカは本当にキースのために心を砕いたのだろう。見えない所まで心を配って、キースの世話をしていたのだろう…。



 今の時代まで伝わるブレンド、「マツカ」と名付けられたノア産のコーヒー。キースが好んだ、マツカがブレンドしていたコーヒー。それを見付けたということは…。
(ブルーに教えてやれってことか?)
 このコーヒーの存在を。ノア産のコーヒーのブレンドの一つ、マツカの名前を持ったコーヒー。遠く遥かな時の彼方で、キースに仕えた心優しいミュウの名前を。
 キースを庇って命を落とした、人類の世界で生き続けたミュウ。キースの元から逃げ出さずに。その気になったら、逃げる機会はきっと何度もあっただろうに。
 キースを選んで、ついて行こうと決めたのがマツカ。命ある限り。キースは人類だったのに。
 マツカがキースを嫌わなかったように、ブルーもキースを嫌わないから。どちらかと言えば好きらしいから、コーヒーの「マツカ」を知ったら喜ぶことだろう。
 「キースがいい人だったからだよ」と、「だからマツカも頑張ったんだよ」と。
 教えてやったら、喜ぶに違いないブルー。キースが好んだコーヒーの「マツカ」。
(なんだって、俺が…)
 キースは今でも嫌いなんだが、とチラシを睨み付けてみたって、気付いたものは仕方ない。このコーヒーを小さなブルーに教えてやるのが自分の役目。忌々しいけれど、買いに出掛けて。
(人気商品だろうしな…)
 その上、数量限定となれば、勤務時間中に抜け出すしか道は無いだろう。週末ともなれば朝から人が並ぶだろうから、確実に手に入れたいなら平日がいい。
 なんとか外へ出る用を作って、百貨店の開店時間に合わせて。明日から始まるフェアの期間に、マツカという名のコーヒーを買いに。



 心でそういう段取りをつけて、次の日、出勤してみたら。丁度、街まで出られそうな者を探していたから、名乗り出た。午前中に担当の授業が無い上、車も持っているのだから。
 「私が行きます」と引き受けた用事、ついでに休憩時間も貰えた。午前中はゆっくりしてくれていい、と。用件自体は、それほど時間がかからないのに。
 願ってもない外出の機会。昨日の今日とは運がいい。出掛ける先も百貨店から近かった。
(先にこっちを済ませるべきだな)
 コーヒーを買おう、と百貨店の駐車場に車を入れて、急いだ売り場。催事用のホールに行列中の客たち、並んだ後に二人が続いた所で「此処までです」と店員の声。
(凄い人気だな…)
 のんびり来ていたら買えなかったぞ、と驚くほどの人気の「マツカ」。果たして人気はマツカの名なのか、それを好んだキースの方か。
(どっちなんだか悩むトコだが、知りたくもないな)
 殆どの客がキースのファンなら、情けない気分になるだろうから。「俺もそういう扱いだな」と溜息が心に満ちるだろうから。
 キースとマツカのファンが半々、マツカのファンが多めなのだ、と自分を慰める間に来た順番。
(これか…)
 残り三個になっていた「マツカ」、同じ店が扱う他のコーヒーは山ほど並んでいるというのに。店員が「こちらですね」と示すパッケージに、刷られたマツカとキースの写真。
(こっちが非常に腹が立つんだが…!)
 キースの写真は要らないんだが、と言いたい気持ちをグッと堪えて包んで貰った。買い物の後は学校の用事。そちらは並びもしないで済んだし、休憩はせずに戻った学校。コーヒーは車に残しておいた。持って入って何なのか知れたら、コーヒー党の同僚たちに…。
(味見させてくれ、と言われちまうんだ!)
 それもキースの方のせいで、と断言できる。伝説の英雄が好んだコーヒー、その味を是非、と。マツカがキースのために作ったブレンド、それを飲みたいと。
 誰がキースの宣伝をするか、と知らんぷりを決め込んだ「マツカ」のコーヒー。小さなブルーに話してやるなら、土曜日だろう。きっと飲みたがるに違いないから、ゆっくり出来る休日に。



 土曜日までにブルーの家に寄った日が一度、黙っておいたコーヒーのこと。話したくなる気分を飲み込み、別の話をしておいて。
 そして土曜日、コーヒーの「マツカ」が入った紙袋を提げて出掛けたブルーの家。二階の窓から見ていたブルーは、とうに紙袋に気付いていたから。
「ほら、土産だ。お前用ではないんだがな」
 ブルーの部屋で向かい合わせに座って、テーブルに置いた紙袋。ブルーは「えっ?」と赤い瞳を丸くした。
「ぼくのじゃないって…。パパかママ用?」
 それなら、ママに渡せば良かったのに…。暫く来ないよ、お茶もお菓子も持って来たもの。
 晩御飯の時に渡したいとか、そういう物なら分かるけど…。お酒か何か?
「いや、酒じゃないが…。お前用にと買いはしたんだが…」
 お前の好きな物じゃないのさ、土産に貰っても困りそうな物だ。
 そんな代物を、お前用だと言うのもなあ…。
 だが、開けてみろ。…お前への土産には違いないからな。
「ふうん…?」
 なんだか変なの、貰っても困るお土産だなんて…。
 ぼくの友達、旅行のお土産にヘンテコな物をくれたりすることがあるけど、そういうヤツ?
 こんなのを貰っても使えないよ、って思うカップだとか、変な形のキーホルダーとか。
「あるなあ、そういう土産物ってのも」
 俺も若い頃にはよく貰ったなあ、何処で着るんだって悩む模様のシャツとかを。
 そこまで酷いのを買って来たってわけじゃないがだ、お前には迷惑な物だと思うぞ。



 見れば分かる、と促してやって、ブルーが開けた紙袋。中から出て来た「マツカ」のコーヒー。一番最初に目に入るのは、パッケージの模様でもあるコーヒー豆の写真の方だから。
「なに、これ…?」
 どうして、ぼくにコーヒーなわけ?
 ホントに苦手なお土産だけど…。なんでコーヒー、ぼくにくれるの?
「よく見てみろ。キースとマツカの写真がついているんだ」
 その下に説明が書いてあるだろうが。…そのコーヒーの名前もな。
「ホントだ、キース…。それに、マツカ…?」
 キースの写真がくっついてるのに、コーヒーの名前、マツカなんだ…。キースじゃなくて。
「そうだ、そいつはマツカと言うんだ」
 マツカって名前がついたコーヒー。…マツカが生きてた頃には無かった名前なんだが。
「うん…。そう書いてあるね、キースのために作ったブレンド…?」
 キースが好きだったコーヒー豆のブレンド、それの再現…。だからマツカって言うんだね。
 いつもマツカがブレンドしていて、キースのお気に入りだったから。
「そのようだ。…こんな所に名を残したんだな、マツカはな」
 俺も全く知らなかったが、コーヒーフェアのチラシで見付けた。こういうのがある、と。
 お前に教えてやりたかったし、土産に買って来たってわけだ。
 キース好みのブレンドって所は腹が立つんだが、これを作ったのはマツカだからな。
 …前の俺はマツカには会えずに終わっちまったが、仲間の一人には違いない。
 それにだ、お前、マツカがキースに淹れてたコーヒー、あると知ったら見たいだろうが。
 キースのためにと、ミュウだったマツカが工夫を凝らしたコーヒー豆が。
 お前、キースをちっとも嫌っていないからな。あんな目に遭わされちまったのに…。



 どういうわけだか嫌わないんだ、と顔を顰めたら、ブルーにも気持ちは伝わったようで。
「ハーレイ、キースは嫌いなのに…。今でも嫌いなままなのに…」
 このコーヒーを買ってくれたの、ぼくが見たがるだろうと思って…?
「ああ、学校を抜け出してな。…一応、用事はあったんだが」
 誰か街まで行けるヤツは、と探していたから、俺が出掛けた。この百貨店にも寄れるからな。
「学校のある日に抜け出したって…。そこまでしたの?」
 ホントに用事があったにしたって、街までわざわざコーヒーを買いに…?
「こいつは限定品だったんだ。一日に売る数が決まっているから、帰りじゃ買えん」
 しかし、お前が喜びそうだと思ったからなあ、このコーヒーは。
 …俺の直ぐ後ろで、その日の分は売り切れだったが…。買えて良かったか、このコーヒー?
「うん、嬉しい。…こんなのがあるぞ、って教えてくれるだけでも充分、嬉しかったと思う」
 ハーレイが行くまでに売り切れていても、ぼくはちっとも怒らなかったよ。
 そのコーヒーの本物だなんて、買って貰えて、とっても嬉しい。…マツカのコーヒー。
 だって、キースはマツカを大事にしていたんだな、って分かるもの。
 キースに冷たくされていたなら、コーヒーまで作りはしないでしょ?
 「コーヒーの味がすればいいんだ」って、適当に淹れていたと思うよ、その辺の豆で。
 酷い時にはインスタントで済ませてたかもね、こうしてブレンドする代わりに。
「…やっぱりあいつの肩を持つのか…」
 お前らしいとは思うんだが…。このコーヒーで嬉しくなるほど、キースを高く買ってる、と。
 俺がキースにコーヒーを出すなら、インスタントどころか泥水を出したいほどなんだがな。
「いつも言ってるでしょ、ぼくはキースを嫌いじゃない、って」
 出会った時代と立場が違えば、きっと友達になれた気がするよ。
 ナスカでキースと会った時にも、もっと時間があったなら…。話が出来たら違ったかもね。
 キースは結局、SD体制を壊す方へと行ったんだから。…考え方を変えたんだから。
 考えるための時間さえあれば、ナスカでもキースは変わってた。そういう人間。
 だからキースは嫌いじゃないよ。ホントは誰よりも人間らしくて、優しい人類だったんだもの。
 ミュウだったマツカが、こんなコーヒーを作っていたのが証拠。キースのためにね。



 ハーレイもこれを飲んでみたら、と小さなブルーに勧められた。例の「マツカ」のコーヒーを。
 「きっとマツカの心が分かるよ」と、「美味しいコーヒーだと思う」と。
「おいおい…。俺にこいつを飲めってか?」
 よりにもよってキース好みのコーヒーを俺に飲めと言うのか、コーヒーの名前はマツカだが…!
 しかし、作ったのがマツカだっただけで、この味はキースが好きだった味で…!
 なんだって俺がキースと同じコーヒーを飲む羽目になるんだ、俺はあいつが嫌いなんだが…!
 お前が飲みたがるだろうとは思ったんだが、どうして俺が…!
「でも、このコーヒー、ハーレイのでしょ?」
 ぼくにお土産って言っていたけど、ぼくはコーヒー、苦手なんだし…。
 貰っても美味しく飲めるわけがないし、第一、買ったの、ハーレイなんだよ?
 学校を抜け出して行列に並んで、手に入れた限定品なんでしょ?
 前のハーレイの記憶を持っていなかったとしたら、凄く飲みたいコーヒーじゃないの?
 ハーレイはコーヒーが大好きなんだし、行列が出来るほどの限定品なら飲みたくならない?
「それはそうだが…。そう思ったから、学校でも隠しておいたんだが…」
 ウッカリ持って入って行ったら、「それは何です?」と訊かれちまって、味見されそうで…。
 コーヒー党のヤツらは多いからなあ、開けて飲みたがるに決まってる。なんたってキース好みのコーヒーだからな、伝説の英雄で国家主席の。…どんな味だか知りたいヤツらが押し寄せるぞ。
 そうならないよう、車に乗せておいたんだ。開けられちまったら、土産に出来んし。
「ほらね、キースの好きなコーヒーだから、と思わなかったら平気でしょ?」
 ハーレイだって何も知らない時に誰かが買って来たなら、飲みたがる方。どんな味なのか。
 きっと美味しいに決まってるんだよ、このコーヒー。…飲む人がキースでなくっても。
 美味しくなければ、今まで残る筈がないもの。マツカが作った時のまんまで。
 ぼくも付き合うから、飲んでみてよ。…ぼくにくれたんだし、決めるのはぼく。
 ママに頼んで淹れて貰おうよ、マツカのコーヒー。ね、いいでしょ?
 ちょっと待っててね、ママに頼んでくる!
 ママー!



 コーヒー豆が入った袋を手にして、部屋から駆け出して行ったブルー。階段を下りる軽い足音、母を呼ぶ声。
 暫く経ったら、ブルーは息を弾ませて戻って来た。「コーヒー、ママに頼んで来たよ」と。
 ブルーが母に「淹れて」と頼んだ「マツカ」のコーヒー。中身はブレンドされたコーヒー豆で、それを挽く所から始めるのだから、昼食の後に出て来るらしい。
 コーヒーは苦手なブルー用にと、ミルクや砂糖もたっぷり添えて。甘いホイップクリームも。
「ハーレイ、コーヒー、楽しみだね」
 ママが淹れるコーヒーの味は大好きなんでしょ、それに今日のは特別な豆。マツカのコーヒー。
 行列が出来て、直ぐに売り切れになっちゃうほどだし、凄く美味しいコーヒーだと思う。ママもビックリしていたよ。「こんなコーヒー、あったのねえ…」って。
 キースが好きだったコーヒーの味って、どんなのだろうね、楽しみだよね?
「楽しみって…。お前、コーヒーは苦手なくせに…」
 そいつを楽しみにしているだなんて、お前は本当にキースが好きだな。
 撃たれた挙句に、お前の右手は冷たく凍えてしまったのに…。今でも夢に見るほどなのに。
 せいぜい興味を持つ程度だと思っていたのに、「楽しみ」と来たか。味見よりも上の扱いだな。
 俺としては複雑な気分だが…。キースが好きなお前というのは。
「頑張ったんだよ、キースだってね」
 人類として、出来る限りのことをしようとしただけ。…メギドを沈められないように。
 もしもメギドを壊されちゃったら、ミュウを滅ぼせなくなるし…。それがキースの役目なのに。ミュウを滅ぼして、人類の未来を守ることが。
 そうするのに、ぼくが邪魔だっただけ。…だから撃つしかなかっただけ。
 ぼくを憎いと思っていたって、それはメギドを沈めに来たから。
 ミュウを滅ぼそうと思っていたのも、そういう役目で来たからなんだよ。
 前のぼくもキースも、自分の役目を果たそうとして頑張っただけ。違う立場で、仲間のために。
 ミュウと人類、それぞれの生きる世界を守らなくちゃいけなかったから…。



 残酷なことをしたキースだけれども、それは立場がそうさせただけ、と微笑んだブルー。
 ナスカをメギドで滅ぼしたことも、前のブルーを撃ったことも。
「本当なんだよ、ハーレイだって分かる筈だよ。歴史の授業でも習うんだから」
 キースはメギドを持ち出したけれど、あの時、マツカはとっくにいたよ?
 それよりも前に、キースを助けに一人でナスカに来たんだから。…他の人類は来なかったのに。
 マードック大佐も、マツカを一人で行かせたほどだし、キースを助ける気は無かったのに。
 だけどマツカは、たった一人で…。もしかしたら、自分も助からないかもしれないのに。どんな敵がいるかも分からない所へ、命懸けでキースを助けに来ちゃった…。
 あそこでキースを助けなかったら、マツカは元通り、コッソリ隠れて生きられたのにね。
「それもそうか…。マツカの正体はバレていなかったんだったっけな」
 だからソレイドにいられたわけで、ミュウだと見抜いたキースが消えたら安全なわけか…。
 なのに助けに出掛けたんだな、自分の正体を知ってたヤツを。放っておいたら、それまで通りに隠れて生きていけたのに…。
「でしょ? マツカは気付いていたんだよ。キースがどういう人間なのか」
 自分の役目と関係無ければ、無駄に人殺しはしない人間。本当は優しい人間なんだ、って。
 そのことにちゃんと気付いていたから、一人でナスカに来たんだよ。誰も行こうとしないから。
 キースを助けて逃げた後だって、マツカはキースを守ってた。ホントに必死で。
 前のぼくはメギドで会っているもの、キースを助けに来たマツカに。…マツカが来なかったら、キースは死んでしまっていたよ。前のぼくに道連れにされてしまって。
 …ホントのホントに命懸けだよ、あんな所から脱出するのは。一人だけでも難しいのに、キースまで連れて。それでもマツカはキースを助けに飛び込んで来たよ、躊躇いもせずに。
 どんな人間か分かってなければ、そうはしないと思わない…?
「…なるほどなあ…。ミュウを皆殺しにしようとしたヤツなんだし…」
 血も涙も無い冷酷なヤツだと思っていたなら、助ける必要は無いってか。自分の勝手でメギドに出掛けて行ったわけだし、其処でキースが死んじまっても誰にも責任は無いってわけで…。
 むしろ世の中のためかもしれんな、残党狩りの命令を無視したマードック大佐もいたんだから。
 同じ軍人でも「やりすぎだろう」と思ったくらいのキースのやり口。そんな野郎は死んじまった方がいいんだろうに、マツカが助けたということは…。
 お前が言うのが正しいんだろうな、それでも俺はキースを好きにはなれんがな…。



 小さなブルーの意見を聞いても、憎い気持ちが消えないキース。前のブルーを撃ったから。
 撃たれた痛みで、持っていた温もりを失くしたブルー。前の自分の左腕から、ブルーは温もりをそっと持って行った。何も言わずに、それだけを持って一人でメギドへ飛び去ったブルー。
 温もりがあれば、一人ではないと。最後まで二人一緒なのだと。
(なのに、あいつは独りぼっちで…)
 泣きじゃくりながら死んでしまったと、小さなブルーが話した最期。温もりを失くして、右手が冷たく凍えてしまって。前の自分との絆を失くして、独りぼっちになってしまって。
(いくらブルーが許していても、俺は…)
 あいつを許す気にはなれない、と心の奥から消えない憎しみが凍った塊。許せないキース。
 小さなブルーが何と言っても、それが正しいことであっても。
 前のブルーを独りぼっちにさせてしまった男だから。死よりも恐ろしい孤独と絶望の中で、前のブルーは泣きながら死んでいったのだから。
 けれど、ブルーには何度も重ねて「許せない」と言わない方がいい。ブルーを悲しませることになるから、「ぼくのせいだ」と。「ハーレイに辛い思いをさせてる」と。
 だから飲み込んだ、キースへの怒り。自分一人で抱えておこうと、もう言うまいと。

 それからは二人、和やかに話して、昼食の後に出て来た「マツカ」のコーヒー。普段はブルーの部屋では出ないコーヒー、それが二人分。
 ブルーの母は、豆の袋も持って来た。「残りはお持ちになりますでしょ?」と。小さなブルーは苦手なコーヒー、猫に小判というものだから。宝の持ち腐れになってしまうから。
 きっとブルーも、母にそう言っておいたのだろう。キース好みのコーヒー豆など、自分は少しも欲しくないのに。
 そんなわけだから、キースとマツカの写真付きのパッケージまでがやって来た。中の豆ごと。
 ブルー用にと、たっぷりのミルクや甘いホイップクリームも揃ったテーブル。
(うーむ…)
 飲むしかないか、と腹を括ってコーヒーのカップを持ち上げた。自分が持ち込んだコーヒー豆。それに小さなブルーの望み。「飲んでみてよ」とブルーは言ったし、赤い瞳に期待の色。
 コクリと一口、飲んだコーヒー。ふわりと漂う独特の香りは、今の地球産にはとても敵わない。
 けれど、あの時代ならば、最高のコーヒーだったろう。味の方は悪くないのだから。
「ハーレイ、どう?」
 マツカのコーヒー、ちゃんと美味しい?
「まあ…。美味いんだろうな、あの時代にこの味だったんだから」
 キースめ、最高に美味いコーヒーを飲んでいやがったんだな、俺は代用品だったのに…。
 本物のコーヒー豆なんぞ無くて、いつもキャロブのコーヒーだったろ、シャングリラはな。
「今の時代だと、どうなるの?」
 あんまり美味しくないんだったら、きっと今まで残りはしないし…。美味しいんだよね?
「実に癪だが、美味いってことは間違いないな」
 ただ、如何せん、香りがなあ…。物足りないって感じがするなあ、今の俺には。
 他の星のコーヒーは大抵こんなもんだが、今は地球産のがある時代だしな?



 地球で採れたコーヒー豆の香りにはとても及ばないな、とは言ったけれども。
 優しい味に思えるコーヒー、苦味とは別に。
 多分、マツカの心遣いが今でも生きているのだろう。懸命にブレンドしていたマツカの心が。
(深い味には違いないんだ、今でも充分、こいつのファンを集められるような…)
 きっと「マツカ」の名前が無くても、キースにゆかりのコーヒーでなくても売れる味。ノア産の他のコーヒーよりも「美味しい」と選ばれそうな味。
 それをマツカは作り上げた。遠く遥かな時の彼方で、キースのために。
 ブルーは「ふうん?」と首を傾げて、自分のカップから飲み始めて。たちまち「苦い」と顰めた顔。なのにミルクを入れようとせずに、カップを口に運んでいるから。
「どうした?」
 ミルクと砂糖をドッサリじゃないのか、それにホイップクリームも。…味見した後は。
「このまま飲むのがいいかと思って…。マツカの気持ちがこもっているもの」
 それを台無しにしたら駄目だよ、せっかくマツカが心をこめてキースのために作ったのに。
「マツカなら許してくれると思うぞ、お前の飲み方」
 台無しだなんて言いもしないで、自分で入れてくれそうじゃないか。ミルクも砂糖も。
「ホント?」
「マツカだからなあ、誰にでもきっと優しいだろう。嫌な顔一つしないだろうさ」
 キースはどうだか知らないが…。「そいつの何処がコーヒーなんだ」と言うかもしれんが。
「うん。キースなら、きっと笑うんだよ」
 今のぼくがやっても、前のぼくでも。…コーヒーの値打ちが分かっていない、って。
 「これだから子供は話にならん」って笑われちゃうのが、今のぼく。
 前のぼくだと、「ミュウの長は子供みたいな舌だ」って大笑いだよ、きっと。
 そんな酷い舌の持ち主のくせに、なんでメギドを止められたんだ、って呆れられるんだよ。
 だけど、苦手なものは仕方ないよね、コーヒー、ホントに苦いんだもの…。



 マツカが許してくれるんならいいかな、とブルーがたっぷり注いだミルク。それに砂糖と、甘いホイップクリームも。いつもの飲み方を始めたブルー。「美味しくなった」と。
 そんなブルーには猫に小判な「マツカ」のコーヒー。とはいえ、キース好みのコーヒーは欲しい気にならないから、残りの豆は置いて帰ろうと思っていたのに。
 数量限定で売るほどの豆だし、ブルーの両親が美味しく飲んでくれればいい、と考えたのに。
「駄目だよ、これはハーレイが持って帰って」
 ママも言ってたでしょ、ハーレイが持って帰らなきゃ。ぼくはコーヒー、苦手なんだし。
「それを言うなら、俺はキースが苦手だが?」
 あいつが嫌いでたまらないのが俺なわけでだ、キース好みのコーヒーなんぞは嬉しくもないぞ。
 だが、美味いのは美味いんだから…。お前のお父さんとお母さんに飲んで貰えばいいと思うが。
「ううん、ハーレイが飲むべきなんだよ」
 このコーヒーが美味しいんだったら、余計にハーレイが飲まないと…。
 キースに美味しいコーヒーを飲んで欲しくて、マツカが作ったんだから。いろんな豆を選んで、色々な割合で何度もブレンドしてみて。
 そうやって頑張ったマツカの気持ち。…キースのために、って頑張ったマツカ。
 ハーレイにもマツカの気持ちが分かれば、キース嫌いが少しはマシになりそうだから。
 このコーヒーの美味しさが分かるんだったら、マツカの気持ちも分かるでしょ?
「そう来たか…」
 しかしだ、コーヒーくらいで気が変わるほどに、俺は甘くはないんだが?
 キースを許せる気にはならんと、さっきも話した筈なんだがな…?



 そう簡単に変わるものか、と言いはしたけれど、小さなブルーの願いだから。そうして欲しいと赤い瞳が見詰めていたから、コーヒー豆の残りは家へと持って帰ることにした。
 その夜、ブルーと別れた後に、自分の家で例の豆を挽いて、それでコーヒーを淹れてみて…。
(いつかキースを許せる日、か…)
 傾けた愛用のマグカップ。香り高くはないのだけれども、優しい味の「マツカ」のコーヒー。
 熱いコーヒーが喉を滑っていったら、「来るかもしれない」という気がした。
 今は許せない、前のブルーを苦しめたキース。悲しすぎる死へとブルーを追いやったキース。
 とても許せはしないけれども、憎くてたまらないけれど。
 許せる時が来るかもしれない、ブルーと暮らし始めたならば。
 小さなブルーが前とそっくり同じに育って、本当にブルーを取り戻したら。
 そうすればきっと、憎しみも消えてゆくのだろう。キースの本質とやらも見えて来るのだろう。今の自分には見えない部分。分かってはいても理解したくない、キースの優しさや人間らしさ。
 いつか憎しみが消えたなら。…胸の奥にある憎しみの塊が溶けて綺麗に無くなったなら。
(それまでは、マツカには悪いんだが…)
 キース嫌いでいさせて貰う、と傾ける熱い「マツカ」のコーヒー。時の彼方でキースに仕えた、優しいミュウが作ったブレンド。
 香りは地球産の物に及ばなくても、美味いコーヒーだと。
 マツカの思いは時を越えたと、キースにそれだけの値打ちがあったかは俺は知らないが、と…。




          マツカのコーヒー・了


※コーヒーに名前を残したマツカ。キースのためにブレンドしたものが、遥か後の時代まで。
 地球産に香りは及ばなくても、味は最高だという「マツカ」。彼が遺した、優しさの証。
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