シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(あれ?)
なあに、とブルーが目を留めたもの。学校から帰るバスの窓から。
お気に入りの席が空いていたから、其処に座って外を眺めていたのだけれど。普段は見掛けないそれに、直ぐに気付いた。いつもと違う、と。
(行列…?)
大勢の人が歩道に行列。並んで歩いているわけではなくて、止まった行列。子供連れの女性や、普段着の男性、どういう目的で集まったのかが分からない群れ。
しかも行列はパン屋の前から始まっているようで、其処から長く伸びているから…。
(なんで?)
どうしてパン屋に行列なのか。新しく出来たパン屋ではないし、行列を見たことも無い。バスで通る時間はいつも殆ど変わらないから、行列が出来るなら、何度も見ている筈なのに。
(このバス、いつも乗ってるバスだよ…?)
だけど行列なんか知らない、と首を捻っていたら、パン屋の前で止まったバス。信号のせいで。赤信号の間は動かない。今の間、と見詰めた列の先頭、時間が書かれたプラカード。
(焼き上がりの時間…!)
店員が高く掲げたプラカードには、今から少し後の時間が大きく書いてある。オーブンで焼いているパンが出て来る時間で、「もう少しお待ち下さい」とも。
店の張り紙もよく見えた。目立つ所に貼ってあったし、その前に行列は無かったから。
今日だけ特別、最高の材料を使って焼かれる食パン。店主のこだわり。
それを求めて焼き上がる前から長い行列、予約は取っていないから。買いたい人は焼き上がりを待って、店に入るしかないのだから。
他のパンたちも売られているから、行列とは別に入っていく人もいたけれど。見ている前で一人扉をくぐったけれども、他の人たちはズラリと行列。
通行の邪魔にならないようにと、歩道の端に一列に立って。また一人、列の最後に並んで、その分だけ長くなった行列。きっとまだまだ伸びるのだろう。
(最後の人、ちゃんと買えるかな…)
今日だけの特別な食パンを。列に並んで、焼き上がりを待って。
プラカードを持った店員が立っているほどなのだし、整理をするだろうけれど。行列がどんどん伸びていったら、店の中から応援が来て。
列に並んだ人を数えて、焼けるパンの数と照らし合わせて、列の最後尾に見張りに立つ。やって来る人の数に応じて、「此処までです」と終わらせる列。
「食パンはもうありませんので、此処で販売終了です」と。
そしたら伸びなくなる行列。後は短くなってゆくだけ。食パンがオーブンから出されて来たら、前の人から順に買っては、家に帰ってゆくのだから。
(買いに来たのに締め切られちゃったら、残念だけど…)
ガッカリするしかなさそうだけれど、ちゃんと間に合って列に並べたら幸せだろう。オーブンの中の食パンが焼けるのを待つ行列。「もうすぐかな」と時計を見ながら。
焼き上がりの時間になった後にも、後ろの方だと直ぐには買えない。前の人から順番だから。
最後の方だと、どのくらい待つことになるのか分からないけれど、幸せなのに違いない。歩道に並んで待たされたって、目的の食パンを買って食べられるのだから。
行列しただけの甲斐はあった、と抱えて帰る、こだわりの食パンが入った袋。宝物のように。
(美味しいのかな?)
あんなに大勢並ぶんだもの、と気になる行列。焼き上がりの時間は、まだ来ない。
バスの方が先に動き始めたから、行列もパン屋も、遠ざかって見えなくなったけれども…。
家に帰って制服を脱いで、ダイニングに出掛けて、おやつの時間。
母が用意してくれたケーキと紅茶を味わう間に、ふと思い出した行列のこと。パン屋の前の。
大勢が行列していたわけだし、もしかしたら…。
(パン屋さんの広告…)
あったのかな、と今日のチラシを引っ張り出して来て、端から調べた。けれど、チラシは入っていない。それなら新聞の方だろうか、と広げてチェックしていたら…。
「どうしたの、ブルー?」
新聞は分かるけど、何故チラシなの、と入って来た母。「何か欲しいの?」と。
「違うよ、ちょっと調べ物…。今日の帰りに…」
バスの窓から見えたんだよ。パン屋さんの前に凄い行列。
だからチラシが入っていたのか、新聞の記事に出ていたのかな、って…。
「ああ、パン屋さんね。バスが通る道の」
これでしょう、と母が棚から持って来たチラシ。他のチラシとは違う場所から。
テーブルに置かれたチラシは、確かにさっきのパン屋のもの。「食パン」の文字が躍っている。
「このチラシ…。なんで取ってあるの?」
「買いに行こうと思ったからよ」
決まってるでしょう、そうでなければ他のチラシと一緒の所に入れておくわよ。
「でも、食パン…。今日だけだよ?」
今日だけ特別って書いてあったよ、だから行列だったんだもの。
「それがね…。明日もあるのよ、ほら」
ちゃんとよく見て。特別は二回、今日と明日とで、時間にしたら丸一日というわけね。
母が指差す所を読んだら、本当にそう。こだわりの食パンが売られる期間は丸一日。今日は午後から、明日は午前中。買いに来る人の都合もあるから、午後だけの日と、午前中の日と。
今日の午後だと、母は買いには出掛けられない。一人息子が帰る時間に留守になるから。
それで明日、息子が学校に行っている間に、買いに行こうというのが母の計画。食パンが焼ける時間に間に合うように、早めに出掛けて行列をして。
「ホント!?」
ママも並ぶの、あの行列に?
それで食パンを買ってくれるの、こだわりって書いてあるけれど…。
「美味しいっていう評判なのよ。その食パンが」
だったら、食べてみたいじゃない。行列したって、うんと美味しい食パンならね。
「そんなこと、どうして知ってるの?」
今日だけ特別、っていうパンなのに…。あんな行列、ぼく、一回も見ていないのに…。
「前に聞いたの、ご近所さんから」
まだお店には出してないけど、とても美味しいパンがある、ってね。
そういう評判、と母は教えてくれた。
この家からは少し離れた、あのパン屋。御主人が焼いているのだけれども、根っからパン好き。売り物にするパンとは別に、趣味で焼いている特別なパン。材料や焼き方にこだわって。
それをいつかは売ろうとしていて、知り合いの人たちにお裾分け。
「お金は要らないから試食をよろしく」と渡して、「どうでしたか?」と意見を貰って。
その段階でもう充分に美味しかった、という話。改善する所が無いくらいに。
だから噂を聞いていた人は、誰もが待っていた発売される日。
こだわりのパンだけに定番商品にするのは無理だけれども、いつか売られるだろうから。
やっと完成した食パン。御主人が「売ろう」と思える味に。
それで今日と明日との特別、次はいつになるか分からない。定番には出来ないパンだから。
母が買いに行こうと考えるのは当然だけれど、帰り道に見掛けた長い行列。歩道にズラリと。
「…ママ、行列が凄かったよ?」
まだ焼き上がりの時間じゃないのに、歩道に長い行列で…。見てた間にもまだ伸びてたし…。
「大丈夫よ。早めに並べば、そんなに待たなくても済むし…」
ブルーが出掛けて、お掃除とかを済ませたら直ぐに出掛けて来るわ。
きっと丁度いい時間だと思うの、明日の焼き上がりはこの時間でしょ。ママは早い方よ。
一番は無理でも、二十人目までには入れるかしら、と頼もしい母。
「美味しい食パンを楽しみにしてるといいわ」と、「明後日の朝は、その食パンね」と。
こだわりの材料で焼いた食パンは、本当にとても美味しいらしい。母が並びに行くほどに。
(ふふっ、行列のパン…)
バスの窓から「美味しいのかな?」と見ていた行列。そのパンを自分も食べられる。母が明日、買いに出掛けたら。行列に並んでくれたなら。
もう楽しみでたまらないから、「ママ、頑張って並んでね!」と頼んでおいた。母なら、きっと大丈夫。早めに出掛けて列に並んで、食パンを買って帰るだろう。
こだわりの味の食パンを。材料も焼き方も、こだわったパンを。
ワクワクしながら帰った部屋。バスの窓から眺めた行列、特別なパンを買うための。
明日には母が買ってくれるから、学校から戻ると「これよ」とテーブルの上に食パン入りの袋。あの店の名前が書かれた袋で、中身はとても特別なパン。今日と明日しか売られないパン。
(美味しいんだよね、売り出す前に噂になるほど)
食パンはシンプルな基本のパンで、何も入ってはいないパン。レーズンもチーズも、胡桃などのナッツ類だって。なのに美味しいパンとなったら、相当なもの。
(そのまま食べても美味しいパンで、トーストにしても美味しくて…)
マーマレードもバターも、きっと良く合うパンなのだろう。サンドイッチを作ってみても。
食べるのが楽しみな、こだわりのパン。最初はそのままで齧ってみよう。何もつけないで。
パンの持ち味を堪能したら、次は夏ミカンのマーマレード。隣町でハーレイの母が作る、太陽の光を集めた金色。
マーマレードの瓶を届けてくれる、ハーレイにもうんと自慢したい。行列のパンを食べたなら。大勢の人が並ぶくらいに、評判のパンを食べられたなら。
(ママに頑張って貰わなくっちゃ…)
明日は並んで貰うんだよ、と心を弾ませていたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、お茶とお菓子が置かれたテーブルを挟んで向かい合うなり、食パンの話。
「あのね、明日は行列のパンなんだよ」
ママが並びに行ってくれてね、食べられるのは明後日だけど…。行列の食パン。
「はあ? 行列って…」
なんだ、そりゃ。お母さんが並ぶと言ってるんだし、行列のパンって名前じゃなさそうだが…。
何処かにあるのか、行列しないと買えないパンが?
俺は知らんぞ、と鳶色の瞳が瞬くから。
「えっと、ハーレイも知っていそうだけれど…」
ぼくが乗るバスが走ってる道。…バス停からだと、ちょっと向こうになるけれど…。
あそこ、と説明したパン屋がある場所。ハーレイも「あれか」と頷いてくれた。
「確かにあるな、パン屋が一軒。…で、あのパン屋に行列なのか?」
行列ってヤツには見覚えが無いが、たまに行列、出来てるのか?
「ううん、初めての行列じゃないかな…。ぼくも見たこと無かったから」
今日とね、明日だけなんだって。…こだわりの食パンを売るんだよ。御主人の自慢の。
前から試作していたらしくて、その時から美味しかったんだって。
材料にも焼き方にもこだわったパンで、定番商品にするのは難しいから、今日と明日だけ。
今日は午後から売ったけれども、明日は午前中に売って、丸一日だけの特別なんだよ。
「ほほう…。明日も売るのか、午前中に」
今日の分はとっくに売れた後だったんだろうな、俺が車で通った時には行列はもう無かったし。
いつもと変わらん景色ってヤツで、何も気が付かずに走って来たが…。
そういうことなら、俺も行くかな。…明日の午前中に。
「え?」
「丁度、空き時間ではあるんだ、うん。明日の午前なら」
何時からなんだ、売り出す時間。…まあ、何時でもかまわんわけだが…。空き時間だしな。
「ハーレイも行くの!?」
学校から出て、パン屋さんまで?
食パンを買いに出掛けて行列をするの、あんな所で…?
「悪いか、美味いパンだと聞いたんだぞ?」
それも試作の段階で。そいつが完成したとなったら、並ぶだけの価値は充分にある。
並びに行ける時間もあるから、是非とも買いに行かないとな。
「そういうものなの?」
授業が無い間に、わざわざ行列…。食パンを買いに…?
「聞いたのも何かの縁だってな。で、何時だ?」
焼き上がるっていう時間だ、時間。それを教えて貰わんと…。並ぶ都合があるだろうが。
何時なんだ、と尋ねられたから、答えた時間。ハーレイは「よし」と手帳に書いた。
「これより早めに行くことにしよう。俺の授業は無いんだから」
パン屋の前で並んでいたって、他の先生たちも文句は言わん。羨ましがられる程度だな。他にも誰か出掛けるかもなあ、パン好きがいれば。
でもって、明日はパンを買いに行って、お前のお母さんに会うかもしれんぞ。
上手い具合に行列の中で会えるようなら、お前の話でもしてくるか。…並んでる間に。
「いいな、ママ…。ハーレイと行列…」
お喋りしながら行列なんでしょ、焼き上がったパンが売られるまでは?
売り始めた後も、順番が来るまでハーレイと一緒…。ぼくも並びに行きたいよ…。
「こらこら、お前は授業中だろ」
生徒は学校を抜けられやしないぞ、教師とは立場が違うんだから。
学校をサボッて並ぶのも無しだ。具合が悪くて欠席したなら、行列どころじゃないからな。
「そうだけど…。それは分かっているんだけれど…」
ママはハーレイと並ぶのかも、って考えたら、とても羨ましくて…。
ぼくも行列、してみたいよ。ハーレイと一緒に列に並んで。
「やる予定だろ、そりゃあとんでもなく長い行列で」
博物館のヤツだ、宇宙遺産になっちまった俺のナキネズミの特別公開。…今はウサギだが。
普段はレプリカの木彫りだからなあ、本物は百年に一度だけしか見られないわけで…。
アレを見るための行列、建物をグルリと取り巻くと教えてやっただろ?
一番乗りを目指して、何日も前から並ぶヤツらもいるほどで…。
「その行列は、ずっと先じゃない!」
五十年ほど前に公開したから、まだそれくらいかかるんだよ!
木彫りのウサギを見に行く行列、五十年も待たなきゃ駄目なんだから…!
もっと早くに行列したいよ、と気が長すぎる恋人を睨み付けた。五十年なんて酷すぎる、と。
「ハーレイと一緒に並びたいのに…。明日だって並びたいくらいなのに!」
学校のある日じゃなかったんなら、ママと一緒に出掛けて行って。
ママも一緒でかまわないから、ハーレイと行列したかったよ…。
「お前なあ…。そうなっちまったら、怒り出すくせに」
学校が無いなら休日ってことで、俺は午前中からお前の家に来るんだが?
そうする代わりに、パン屋に並びに行くんだぞ。…ちょっと遅れる、と連絡を入れて。
お前、それでもかまわないのか、俺と二人でお茶を飲む代わりにパン屋で行列。
ついでに、お前のお母さんまで一緒に並んでるんだし、二人きりで話せやしないんだが…?
「…そっかあ…。そうなっちゃうね…」
ハーレイと行列は出来るけれども、ママと三人の時間になっちゃう…。お休みの日に…。
パンを買った後も、家まで帰って来る道はずっと、ママとハーレイとぼくの三人だよね…。
「やっと分かったか。…お前、目先のことしか考えていないな」
俺と行列しようってトコだけ。これなら出来る、と思った途端にパン屋の行列と来たもんだ。
なにもパン屋にこだわらなくても、行列のチャンスは幾らでもあるさ。
宇宙遺産の木彫りのウサギは、流石にちょいと遠すぎる未来の話ってことになるんだが…。
他にも行列は幾つも出来るし、並びたいなら並び放題だろうが、お前。
なんたって、お前、前のお前じゃないんだから。
「…前のぼく?」
どうして、前のぼくっていうことになるの?
行列なんでしょ、前のぼくと行列、繋がりそうにないんだけれど…?
「お前、忘れてしまったのか…。前のお前の夢だったのに」
シャングリラで行列、お前、やりたがっていたろうが。
他のヤツらは並んでいるのに、お前は行列したくても出来なかったから…。
「ああ…!」
そうだったっけ、前のぼく、並べなかったっけ…。
行列だよね、って並びたくても、目の前で行列、消えちゃったんだよ…。
思い出した、と蘇って来た遠い遠い記憶。前の自分が夢見た行列、皆と一緒に並ぶこと。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が生きていた船。ミュウたちの箱舟だった船。
楽園という名のシャングリラで出来た、色々な行列。大勢の仲間たちが並んでいた。順番が来るまで、列を作って。
食事の時にも出来たけれども、それとは別にあった行列。新作のお菓子が配られる時とか、味の感想を聞きたいからと試食する仲間を募る時とか。
数は充分あるのだけれども、早く欲しいから出来る行列。噂を聞き付けた仲間が並んで。
自分の順番が回って来るまで、誰もが並んで待っていた。列が伸びても、なかなか前に進まない時も。「遅い」と文句を言いもしないで、それは楽しそうに、幸せそうに。
けれど、ソルジャーだった前の自分は…。
「ぼく、行列に並べなくなってしまったんだよ…!」
行列があっても、いつ見付けても。…ぼくは絶対、並べないんだよ…!
「ソルジャーになっちまった後ではなあ…」
リーダーだった間は、ちゃんと並べていたのにな。…みんなが行列していた時は。
しかし、ソルジャーは駄目だった。船で一番偉いわけだし、並ばせるわけにはいかんだろうが。
「行列は並ぶためのものじゃない!」
順番が来るまで待つためのもので、待ってる間も楽しいんだよ。まだなのかな、って。
前に並んでる仲間を数えて、「もうすぐだよね」って嬉しくなったり。
それが行列だったのに…。並ぶのも待つのも、素敵な時間だったのに…。
ぼくも並びたい、と何度も言ったのに。行列に並びたかったのに。
新作のお菓子や試食用の料理、そういったものを求めて出来る行列。幸せそうな仲間たちの列、其処に加わりたかったのに…。
並んでみよう、と出掛けて行ったら、目の前で消えてしまう行列。
正確に言えば、列はそのままあると言うのに、そっくり移動したようなもの。前の自分が行列を見付けて並んだ途端に、サッと真横に。
「ソルジャーはお先にいらして下さい」と、順番を譲った仲間たち。「前へどうぞ」と一番前の順番を。行列の先頭に立てる権利を。
列はあっても無いのと同じで、一番前に行くしか無かった。何人の仲間が並んでいても。行列の一番最後に並べば、かなり待たされそうな時でも。
いつでも消えてしまった行列。…ソルジャーだから、というだけで。
白いシャングリラでも、白い鯨になるよりも前の船の時にも。
並びたくても行列は無くて、仲間たちが行列していただけ。前の自分が一番先に入った分だけ、伸びてしまった行列を。順番が来るまで、待つための列を。
「新作のお菓子は、どんな味だろう」とか、「試食用の料理が楽しみだ」などと語らいながら。
先に受け取った仲間たちを呼んで、「美味いか?」と訊いてみたりもして。
いつも賑やかだった行列。楽しそうだった仲間たち。待ち時間が長くなっていたって、列が長くなっていったって。
「ちょっと遅すぎたか」と苦笑しながら、最後尾に並んでいた仲間。「遅いからだ」と笑う声も聞こえた、前の方から。「もっと早くに来れば、此処だったぞ」と。
並び損ねてしまった行列。…行く度に消えた、仲間たちと一緒に並ぶ夢。ソルジャーだった前の自分は、順番を譲られてしまうから。「どうぞ」と列の一番前が空いてしまうから。
「…ソルジャーになる前は、ぼくだって列に並べたのに…」
行列があったら、一番後ろに並んでそのまま待てたのに…。ぼくの順番が来るまでの間。
ぼくの後ろに並ぶ人もいたけど、前の人も並んだままだったよ。…ぼくがいたって。
「そうだったよなあ…。俺と一緒に並んだりな」
二人でいた時に列を見付けたら、並びに行ったもんだった。「何の列だ?」って訊きながらな。
「うん、順番を取ったりもして…」
行列が出来るって分かってた時で、二人一緒じゃなかった時。
ぼく、ハーレイの代わりに並んでいたっけ、「並んでるから早く来て」って思念を飛ばして。
おやつの時にも、試食の時も…、と懐かしく思い出す光景。
列があったら、「二人分だよ」と言いながら並んだ前の自分。行列の一番最後の場所に。
「ハーレイが後から来るんだから」と、二人分の順番を待っていた。ハーレイが来るまで、一人並んで。後ろに誰かがやって来たなら、「ぼくは一人で二人分だよ」と説明をして。
そのハーレイが順番を取っていてくれたこともあった。「早く来いよ」と飛んで来た思念。
初めから二人で出掛けたことも、何回だって。
新作のお菓子や試食の情報、それを二人で聞き付けて。並びに行こうと、誘い合って。
ハーレイと二人で並んでいたのに、消えてしまった素敵な時間。順番が回って来るまでの間に、色々話して、「まだかな?」と伸び上がったりもして。
あの行列が好きだったのに。…とても幸せな待ち時間だったのに。
「行列…。前のぼくだけは行列が駄目で、ホントにぼくだけ…」
ハーレイは行列してたのに…。キャプテンだって、偉かったのに。
ソルジャーの次に偉い立場だったよ、キャプテンは。…だから、恋人同士だったことも秘密。
でも、ハーレイは並べたんだよ、みんなと一緒に行列をして。
「エラたちだって並んでいただろ」
ゼルもブラウも、ヒルマンもだ。…フィシスは行列に来ちゃいなかったが…。
もしもフィシスが並んだとしても、行列は消えなかっただろう。俺やゼルも並んだんだから。
前のお前だけだ、いわゆる特別扱いってヤツは。
「それはそうだけど…。そうなんだけれど…」
ハーレイだって並べた行列、どうしてぼくだけ駄目だったの?
「お前が自分で言ってる通りに、ソルジャーだったからだ」
船で一番偉いわけだし、そのソルジャーを並ばせるような仲間は一人もいないってな。
順番をサッと譲ってこそだぞ、あのシャングリラの仲間だったら。
それに俺はだ、キャプテンってトコが重要なんだ。…シャングリラという船のキャプテンだぞ?
キャプテンは船の仲間たちを優先しなければならん。自分のことを考えるよりも前に。
あの船で卵を食ったのも俺が一番最後だったんだから、とハーレイが挙げた卵というもの。
白い鯨に改造した後、シャングリラで育て始めた鶏。最初は貴重品だった卵が少しずつ増えて、皆に一個ずつ行き渡るようになった時。
…ハーレイはようやく卵を食べた。それまで食べずに、仲間たちに譲り続けた卵を。一人に一個あるわけなのだし、ハーレイも一個、卵を食べてもいいのだから。
長いこと貴重品だった卵。そのシャングリラ産の卵を、一番最初に食べていたのが前の自分。
行列に並ぶ必要が無かったソルジャーだから。
貴重な卵で栄養をつけて、強大なサイオンを維持することが大切だと皆が考えたから。
一事が万事で、行列さえも無かったソルジャー。逆に行列していたハーレイ。
シャングリラで飼っていた鶏の卵、それを食べたのも最初の一人と、最後の一人。船での立場は二人とも皆より上だったのに。ソルジャーの次に偉いのが、キャプテンという認識だったのに。
「前のハーレイとぼく、立場が違い過ぎだったんだよ!」
どっちも偉い筈なのに…。ぼくばかり特別扱いをされて、ハーレイはそれほどでもなくて…。
「ソルジャーとキャプテンだったんだしな。…そんなモンだろ」
お互いの仕事の内容からしても、妥当な扱いだと思うがな?
前のお前は、仲間たちを導くのが仕事。精神的な支えだったし、他のヤツらと同列ではな…。
マズイだろうが、全く同じに扱っていたら。…特別だって所を強く押し出さないと。
逆に俺の方は、親しみやすさが必要だった。船の仲間が相談しやすい、頼れるキャプテン。船の中のことなら、何でも任せておいてくれ、とドンと構えていないとな。
そのキャプテンが偉そうだったら、誰も相談しに来やしない。…それでは駄目だ。
行列にだって並ばないとな、貴重な情報収集の場だぞ?
新作の菓子や料理の評判はもちろん、船のヤツらの噂話も聞ける。列に並んでいる間にな。
しかし、ソルジャーは全く違う立場で、俺みたいに列に並ぶわけには…。
偉いって所だけは同じなんだがな…。そのせいで、俺とお前が恋人同士だったということも…。
「誰にも絶対言えなかったし、一緒に行列も出来なかったんだよ!」
ハーレイと並びたかったのに…。
ソルジャーになる前にやってたみたいに、二人で行列、したかったのに…!
ホントに一度も出来ないままだよ、恋人同士になった後には…!
恋人同士で並んでいたなら、もっとずっと楽しかったのに…!
きっとそうだ、と悔しくてたまらない行列。並んで待つのが楽しい行列。
ハーレイと恋人同士になった時には、もう行列は何処にも無かった。あったけれども、無いのと同じ。前の自分が近付いた途端、行列は消えてしまったから。ソルジャーに順番を譲ろうとして。
もっと昔は、ハーレイと友達同士だった頃には、何度も二人で並んだのに。
ソルジャーにされてしまうよりも前は、並ぶのが当たり前だったのに。
二人で出掛けて列に並んだり、順番を取ったり、取って貰ったり。
いつも二人で並んだ行列。「もうすぐかな?」と前を眺めて、貰える物に心をときめかせて。
新作のお菓子や、試食用の料理。それを貰ったら、ハーレイと感想を語り合ったりもして。
「…恋人同士で行列、したかったんだよ…」
みんなの前では、恋人同士だって言えなくても。…ソルジャーとキャプテンだったとしても。
それでも二人で並べていたなら、きっと幸せだったから…。
友達同士で並んでた頃と、同じように楽しかった筈だから…。
二人だったら。…ハーレイと二人で行列出来たら、ホントのホントに幸せだったと思うから…。
だけど、行列、出来ないまま。…ぼくが行ったら、行列はいつも消えてしまって。
「お前、そればっかり言ってたからなあ…」
あれは何とか出来ないのか、と俺に相談したりして。「キャプテン権限で何とかしろ」とか。
やたらと無茶を言ってくれたが、無理だったものは無理だったわけで…。
青の間まで作られちまったお前だ、行列の件も諦めて貰うしかなかったってな。
しかし、今度は出来るだろうが。…俺と行列。
誰も「駄目だ」と言いやしないし、お前が行ったら行列が消えることだって無い。
今度のお前はソルジャー・ブルーに似てるってだけの、俺の恋人で嫁さんなんだし。
「並べるの、うんと先だけど…」
ぼくが大きくならないと駄目で、ハーレイとデートに行けなくちゃ駄目。
行列が出来る所に出掛けて、ハーレイと二人で並ぶんなら。…チビのぼくでは、デートも無理。
まだ行列には並べなくって、行列のある場所にも行ったり出来なくて…。
「それはそうだが、出来ないよりマシだ」
いつかは俺と並べるだろうが、行列ってヤツに。…恋人同士で、手を繋いで。
その日を楽しみに待っておくことだな、チビのお前は。
でもって、俺は、だ…。
明日はパン屋で行列だ、とハーレイに苛められたけど。
「チビが学校に行ってる間に、お前のお母さんと並んでこよう」と言われたけれど。
そのハーレイが明日はパン屋の前で行列、こだわりの食パンを買うのなら…。
(ハーレイと同じ食パンを食べられるよ…)
今日と明日しか売られないらしい、パン屋の御主人の御自慢のパン。材料と焼き方にこだわったパンで、大勢の人が行列するパン。
自分は行列出来ないけれども、母もハーレイも並びに行くなら、同じ食パンが手に入る。
前の自分とハーレイが一緒に並んでいた頃、新作のお菓子や試食用の料理を貰ったように。同じ物を列に並んで手に入れ、あの船で食べていたように。
(…ぼくは並びに行けないけれども、おんなじ行列で、おんなじ食パン…)
今はそれだけで我慢しておこう。同じ行列で手に入れたパンを、お互いの家で食べるのだから。
自分が並びに行けない代わりに、母が並んでくれるのだから。
その母がハーレイと行列で出会って、自分の代わりにお喋りするのは癪だけれども、仕方ない。チビの自分はデートも無理だし、今は我慢しかないのだし…。
「…ハーレイ、忘れずに並んでよ?」
ちゃんと時間は教えたんだし、焼き上がる前にパン屋さんの前で行列してね。
そしたら、お揃いのパンになるんだよ、ハーレイのパンも、ぼくの家のも。
お揃いのパンで朝御飯だよ、明後日の朝は!
「そう来たか…。明後日の朝はお揃いのパンか」
食パンらしいし、おふくろの夏ミカンのマーマレードで食うんだな?
お揃いってことは、そこまで揃えるつもりだろ、お前?
「決まってるじゃない!」
最初はそのままで食べてみるけど、トーストには絶対、マーマレード。
だからハーレイもマーマレードで食べてね、ちゃんと食パンを買いに行けたら。
「よし、頑張ってくるとするかな」
お前の夢の行列だしなあ、気合を入れて忘れずに行くさ。…食パンを買いに。
「ありがとう! ハーレイ、行列、約束だよ?」
ママにも頑張って並んで貰うね、パンが買えるように。ハーレイに負けない時間から行って。
もしも会ったら、お喋りは無しでいて欲しいけど…。それは無理だから、仕方ないよね…。
ママとお喋りしたっていいよ、と渋々、認めるしかない行列。
此処で「駄目!」と駄々をこねたら、「なら、やめておくか」と言われそうだから。ハーレイは行列をしてくれなくて、お揃いのパンが手に入らないから。
(…我慢しなくちゃ…)
我儘を言わずに我慢したなら、明後日の朝は、きっと幸せ。
ハーレイも母も行列に並んで、手に入れるだろう特別なパン。こだわりの材料で焼いた食パン、それがお揃いのパンになる。ハーレイの家と、自分の家と。明後日の朝は、同じ食パン。
(…夏ミカンのマーマレードを、うんとたっぷり…)
ハーレイも同じのを食べてるんだよ、と思い浮かべながら、幸せ一杯で頬張るトースト。きっと美味しいに違いないから、ハーレイだって喜ぶだろう。
そしていつかは、そのハーレイと二人で並ぶ。明日は並べない行列に。
パンでも、なんでも、二人で行列。
もう行列は消えはしないから。それに、手を繋いで恋人同士で並べるから。
長い時間を待たされたって、二人一緒なら、幸せな時間。
「もうすぐかな?」と伸び上がったら、「どうだかなあ?」とハーレイの声が返ったりもして。
きっと幸せに違いないから、二人一緒に並びたい。
どんなに長い行列でも。
建物をぐるりと取り巻いてしまうらしい、宇宙遺産の木彫りのウサギの特別公開の行列でも…。
並びたい行列・了
※ブルーが見付けた、パン屋の前に出来た行列。そして思い出した、前の生での行列のこと。
前のブルーが列に並んでも、行列は消えてしまったのです。今度は、ハーレイと一緒に行列。
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