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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

記念のラベル

(世の中、色々いるもんだな…)
 人それぞれか、とハーレイが眺めた新聞記事。ブルーの家には寄れなかった日、夕食の後で。
 今日はダイニングでコーヒーな気分。愛用のマグカップにたっぷりと淹れて、傾けながら広げた新聞。ニュースやコラムや、あれこれと読んでいく内に…。
 見付けた記事が、酒のラベルのコレクターたちの特集だった。酒好きな上に、飲んだ記念に酒のラベルを集めてゆく。写真を見れば、アルバムにズラリと彼らの自慢のコレクション。
(集め方のルールも、人によりけりか…)
 飲んだ日付の順に貼る者や、酒の種類別に貼ってゆく者。酒の産地で分けている者も。
 決まったルールが無いというのが、ラベル集めの魅力の一つ。これに貼るものだ、とアルバムが売られているわけでもない。個人の好みで選べるアルバム、それに貼り方。
(今に始まった趣味じゃないんだな)
 SD体制が始まるよりも前の時代から、コレクターたちは存在したらしい。まだ人間が地球しか知らなかった遠い昔から。
 今の時代も、地球はもちろん、あちこちの星にコレクター。酒を飲んだら、記念にラベルも。
 おまけに、自宅で飲んだ時だけに限らない。コレクターたちが記念に残すラベルは。
(店で飲んでも、そいつのラベルを剥がして貰って…)
 持ち帰るのが彼らの流儀。「集めているので、ラベルを下さい」と。
 コレクターの数が多いものだから、そういうサービスをしている店も多いという。客のグラスに注いだ後には、「ラベルをお持ちになりますか?」と尋ねる店。
 客の方から頼まなくても。店員に「欲しい」と言わなくても。



(そういや、見たな…)
 前に見たぞ、と覚えがあった。あれはいつだったか、同僚たちと出掛けたレストラン。普段より洒落た店に入って、料理も酒も楽しんだ時。
 隣のテーブルに座っていたのが、ワインのラベルを剥がして貰っていた人だった。「頼むよ」と声を掛けていた紳士。「いつものように貰うから」と。
 心得ました、といった風にサッと空のボトルを下げた店員。食後のコーヒーを飲み終えた紳士が席を立つ時、「どうぞ」と渡していたラベル。綺麗に剥がして、乾かしたものを。
 ああいうのもあるのか、と見るともなしに眺めていた。「酒のラベルを持ち帰るのか」と。
(俺たちのワインは、安いのだったし…)
 味さえ良ければそれで充分、と皆で注文していたワイン。質より量が最優先だ、と。高級な酒を頼まなくても、楽しく飲めれば最高だから。
 とにかく量を、と頼んでいたから、ラベルはどうでも良かったけれど。料理に合うなら、何処のワインでも誰も気にしていなかったけれど。
 高いワインを頼んだ人なら、ラベルが欲しくなるだろう。趣味で集めている人ならば。
(…手頃な値段のワインにしたって、珍しいのもあるからなあ…)
 酒好きが集まる店にだったら、様々な酒も集まるもの。店主のこだわり、味で選んだ各地の酒。それを端から楽しむのならば、コレクターは「欲しい」と言いそうなラベル。
 カップルで食事に入った店なら、記念日のワインのラベルを貰いもするだろう。誕生日だとか、一世一代のプロポーズの時のワインとか。
(酒のラベルか…)
 急に飲みたい気分になった。こんな夜には酒を一杯、と。
 ラベルを集める話だとはいえ、酒の話題には違いないから。楽しみ方の一つがラベル集めだし、酒の余韻を味わうもの。アルバムを広げて、「あの時の酒だ」と頷くラベル。
 酒の味やら店の雰囲気、そういったものが詰まったラベル。たった一枚の紙なのに。
 面白い趣味もあるものだ、と心は酒へと飛んでゆくから、コーヒーの後で…。



 書斎に移って、秘蔵の一本。ワインではなくて、とっておきのボトルのウイスキー。
 グラスは二つで、引き出しから出した前のブルーの写真集。『追憶』というタイトルの。表紙に刷られた真正面を向いたブルーは、一番知られている写真。憂いと悲しみを秘めた瞳の。
 本当のブルーを捉えた一瞬、何処で撮られたかも分からない写真。恐らくは映像の中の一コマ、後に誰かが見付けた表情。
 …前の自分は、この写真を持っていなかったから。前のブルーがいなくなった後、懸命に探した本当のブルーが写った写真。けれど一枚も見付けられずに、前の自分は逝ったのだから。
 後の時代の誰かのお蔭で、こうして此処にいるブルー。写真だけれども、「これがブルーだ」と思える一枚。前のブルーと向き合っているような気分になるから、こうして机に置いてやる。
 グラスを軽く掲げてみせて…。
「お前も飲むか?」
 飲めないことはよく知ってるが、と注いでやったブルーの分。「ほら」と写真集のブルーに差し出し、コトリと置いて。
 「今夜は付き合え」と自分のグラスを傾けながら、「美味いんだぞ」と微笑み掛ける。
 ブルーは酒が駄目だったけれど、それでも飲もうと努力していた。悪酔いしたって、酷い頭痛に苦しんだって。前の自分が好んでいたから、「ぼくも飲むよ」と何度も強請って。



 遠く遥かな時の彼方に消えてしまったソルジャー・ブルー。前の自分が失くしたブルー。
 今は地球の上に、生まれ変わったブルーがいるけれど。小さなブルーが戻ったけれども、今でも忘れられない恋人。気高く美しかった人。
 たまに、こうして語りたくなる。ブルーは生きているというのに、前のブルーと。
「…前のお前と飲んでるんだし、こういうのも記念の酒かもな」
 俺が一人で飲むのと違って、お前と一緒だ。…今夜はな。
 ん?
 記念の酒って、どういう意味だってか。さっき、面白い記事を読んだもんだから…。新聞でな。
 店に出掛けて酒を飲んだら、ラベルを貰って帰るんだそうだ。コレクターなら。
 もっとも、こいつはワインじゃないからなあ…。
 俺が一本飲んじまわないと、ラベルを剥がして貰って帰るのは無理そうだが。
 ワインだったら軽いモンだが、ウイスキーを一本飲むとなるとだ、俺でも一晩かかっちまう。
 それに一気に飲んじまうよりは、ゆっくり飲みたいのがこの手の酒で…。
 ラベルを貰おうというんだったら、ボトルをキープするのがいいんだろうな。
 …お前は知らんか、ボトルキープなんぞは…。
 シャングリラには無かったしなあ、そういう洒落た習慣は。
 そもそも酒を飲ませる店が全く無かったわけだし、ボトルキープがあるわけがない。
 お前が知らないのも無理はないってな、今じゃ普通のことなんだが。



 ボトルキープ、と写真集の表紙のブルーに語る。自分のボトルを店に預けておくのだ、と。
「今はそういう時代なんだ。俺だって店で酒が飲める、と」
 それも本物の酒ばかりをな。合成なんて、今の時代じゃ何処にも無い。
 お前と酒を飲むことは滅多に無かったが…。いいモンなんだぞ、本物の酒は。
 酔っちまう所は同じだがな、と前のブルーが悪酔いしたのを思い出す。酒に弱くて、苦手だったブルー。それでも飲もうと重ねた努力。悉く無駄になっていたけれど。
(…飲めないヤツが頑張ってもなあ…)
 不味いと文句を言った挙句に悪酔いなんだ、と苦笑い。そうなっても懲りなかったんだが、と。
 ブルーは全く飲めなかったから、ゼルやヒルマンと飲んでいた酒。飲みたい気分になったなら。
 彼らとグラスを傾けた酒は、最初の頃には本物だった。
 ウイスキーもラムも、ブランデーもワインも、正真正銘、本物の酒。前のブルーが奪った物資に酒が混じっていた時は。
 白い鯨になった後には、もう合成の酒しか無かった。自給自足で生きてゆく船では、酒を仕込む余裕が無かったから。酒に回せるだけの収穫、それを得られはしなかったから。



 どれも合成だったんだっけな、と過ぎ去った時の彼方を思う。
 今はこうして本物の酒で、ブルーのためにも注いでやっているけれど。俺の秘蔵の酒なんだ、と持って来たけれど、前の自分の酒は違った。同じ秘蔵でも合成ばかり。
 白いシャングリラが出来た後には。…前のブルーと恋人同士になった頃には。
「なあ、ブルー。…今の時代は、酒と言ったら本物ばかりで…」
 本物だからこそ、酒のラベルのコレクターだっているんだが…。アルバムに貼っているんだが。
 前の俺たちだと、ラベルを集めてみたってなあ…?
 粋なコレクションにはなりそうもないな、第一、ラベルが無かったから。
 合成の酒にラベルなんかは…、とウイスキーのボトルを指で弾いて、気が付いた。秘蔵の酒にもラベルが貼られているのだけれども、それを目にして思い出したこと。
 そうじゃなかった、と。前の自分も同じにラベルを見ていたのだと。
「…違うな、俺が間違えちまってた。ずいぶん昔になっちまったから…」
 今の俺の目が見て来たものも多いから。…酒にしたって、何にしたって。
 シャングリラにもあったんだっけな、酒のラベルというヤツは。
 合成の酒でもかまうもんか、とゼルたちが作っていやがった。…色々なのを。
 それにコレクションだってしてたんだっけな、あいつらは。
 ゼルとヒルマン、あの二人は酒が好きだった上に、酒のラベルのコレクターでもあったんだ…。



 懐かしいな、と細めた目。遠い昔の飲み友達。あいつらがラベルを集めていた、と。
 前のブルーが奪った酒。人類の輸送船から様々な物資を奪うついでに、本物の酒も奪って来た。たまたまだったり、「丁度あったから」と酒入りのコンテナを狙って奪い取ったり。
 本物の酒を何本も飲んでいる内に、いつの間にやら始まっていたラベルのコレクション。
 最初は偶然、手に入れた高級なワインから。
 ヒルマンが調べて、「これは滅多に無いワインだよ」と記念にラベルを剥がしておいた。二度とお目にはかかれないだろうし、飲んだ記念にするのだと。
(…あれが始まりで、その後だって…)
 高級品に出会った時やら、美味しかったと思えた酒。
 そういう酒をすっかり飲んでしまったら、ゼルもヒルマンもラベルを残した。「記念品だ」と。
 専用のアルバムに貼っていたラベル。「こんなにあるぞ」と自慢していた。
 白い鯨が出来上がった後は、もう増えなかったコレクション。本物の酒は無くなったから。
 けれども、こだわりたかったゼルとヒルマン。
 酒のラベルのコレクターとしては、酒が入っただけの瓶など、許せるものではなかったらしい。酒はそれらしい姿でないと、と注文をつけたボトルの形。「こういうのがいい」と。
 合成ラムやウイスキーなど、どれも専用のボトルが出来た。形だけで区別がつくように。
 そして大切なのが酒の素性を表すラベルで、合成品でもラムはラム。ブランデーだって。
(あいつら、ラベルにもこだわったんだ…)
 本物の酒があった時代に、彼らが集めたコレクション。幾つもアルバムに貼られたラベル。
 それを元にして作られたラベル。合成品でも本物らしい味わいを、と。



 白いシャングリラで作り出された、合成品の酒と専用のボトル。きちんとラベルを貼り付けて。酒が飲めない者が見たって、一目で中身が分かる瓶。ラムだとか、ウイスキーだとか。
 初めの間は、その程度で済んでいたラベル。中身が分かれば充分だろう、と。
 ところが船で長く暮らして、余裕が出来たら変わって来た。同じ酒なら、もっと楽しくと。同じ飲むなら味わい深くと、気分だけでも豊かにやろう、と。
 ヒルマンとゼルはラベルに凝った。本物の酒があった時代は、ラベルのコレクターだったから。
 どうせやるなら、とデータベースから引き出して来た、高級な酒のラベルのデータ。
 それをそっくり真似て印刷、ボトルにペタリと貼ったのが彼ら。
「中身は合成だってのに…。どれを飲んでも同じ味しかしないってのに…」
 いろんな銘柄にしてしまいやがった、ウイスキーもラムも、ブランデーもな。
 ワインの方だと、何年ものだ、とラベルを貼るんだ。作ったばかりのワインにだって。
 数え切れないほどの銘酒をせっせと捏造していたわけだが、覚えているか?
 今のお前はどうだろうなあ…。
 酒どころじゃないチビのお前が、ラベルまで覚えているのかどうか…。
 この続きはあいつと話すとするか、と瞑った片目。
 今のお前も酒は駄目だし、飲める年でもないんだがな、と。
「…というわけで、続きは明日だ。今のお前に話してやろう」
 楽しみにしてろ、明日になるのを。酒のラベルの話なんだし、お前とも縁が無さそうだがな。
 おやすみ、ブルー。
 いい夢を見ろよ、と引き出しに仕舞った写真集。自分の日記を上掛け代わりに被せてやって。
 それが済んだら、ブルーの分にと注いだ酒も飲み干した。「美味いんだがな」と。
 こんなに美味い酒が飲めないのがブルーなわけで…、とクックッと笑う。
 前のブルーも飲めなかったけれど、今度のブルーも酒は恐らく駄目だろうから。
 明日はブルーに酒のラベルの話をたっぷり聞かせてやろう。土曜日なのだし、朝から出掛けて。
 のんびり二人でお茶を飲みながら、白いシャングリラの思い出話を。



 次の日の朝も、酒のラベルの話は覚えていたけれど。小さなブルーに話すつもりだけれど。
(酒は持っては行けないしな…)
 十四歳にしかならないブルーに、酒を飲ませるわけにはいかない。酒を飲むなら二十歳から、というのが今の時代のルールだから。
 話だけだ、と歩いて出掛けたブルーの家。朝食を済ませて、丁度いい時間に着くように。
 ブルーの部屋に案内されて、テーブルを挟んで向かい合わせ。早速、ブルーに問い掛けてみた。
「お前、シャングリラの酒を覚えているか?」
 白い鯨になった後だな、本物の酒が無かった時代。…酒と言ったら合成ばかりで。
「お酒って…。いつも悪酔いしてたけど?」
 ハーレイが美味しそうに飲むから、美味しいのかな、って分けて貰って。
 だけど、美味しくないんだよ。それに、飲んだら胸やけがしたり、頭がとても痛くなったり…。
 あんなのの何処が美味しいんだろうね、今でも分からないんだけれど…。
 変な飲み物、とブルーが唇を尖らせるから。
「悪酔いなあ…。他には?」
 お前が酒が苦手だったというのは、俺もハッキリ覚えているが…。
 他には何か覚えていないか、あの船の酒。
「…乾杯のワインをハーレイに飲んで貰っていたよ」
 新年のお祝いに飲むワイン。…あれだけは本物だったよね。ちゃんとブドウの実から作って。
 でも、本物でも、ぼくには同じ。飲んだら酔っ払ってしまうだけ。
 だから一口飲んだ後には、いつもハーレイに渡していたよ。
「その程度か…」
 覚えてるのは、悪酔いするってことだけか…。ワインの話も悪酔い絡みなんだし。
「どうしたの?」
 他に何かあるの、お酒のことで?
 ぼくが忘れてしまってる話、ハーレイ、何か思い出したの…?



 なあに、と小さなブルーが訊くから、「まあな」と浮かべてみせた笑み。
「ラベル、覚えていないかと…。酒のラベルだ」
 酒の瓶にはラベルがあるだろ、今のお前は知ってる筈だぞ。…お父さんだって飲むんだから。
「…ラベル?」
 瓶に貼ってあるヤツのことだよね、ウイスキーとか、ワインとか…。
 いろんな模様がついているけど、お酒のラベルがどうかしたの?
「そのラベル…。白い鯨になったシャングリラじゃ、色々とデッチ上げていたんだが…?」
 ゼルとヒルマンがやっていたんだ、あいつらは酒好きだったから…。
 本物の酒があった時代は、酒のラベルをコレクションしていたほどだったしな。
 その時代に培った知識と言ったら聞こえはいいが…。そいつを悪用していたとも言う。
 合成の酒に上等な酒のラベルを貼るんだ、データベースから引き出した情報を元に印刷してな。
 それだけじゃないぞ、作ったばかりのワインのボトルに何年ものだ、というヤツをだな…。
 貼っちまうんだ、と話してやったら、「あったっけね…!」と煌めいたブルーの瞳。
「思い出したよ、ワインのボトル。…乾杯用だった赤ワイン…」
 古いワインほど、上等なワインになるんだっけ?
 それに、美味しいワインが出来た年のも、とてもいいワインってことだったよね。
「うむ。今の時代は当然そうだが、あの頃もそうだったんだろう」
 ヒルマンたちがそう言ってたしな、「長く寝かせておいたワインは美味いものだ」と。
 それからワインの当たり年。…あんな時代に、本物の当たり年があったかどうかは怪しいが…。
 今の時代なら、もう間違いなく本物の当たり年だがな。
 美味いブドウがドッサリ実って、最高の時期にいい天気が続いて、上手い具合に収穫出来て。
 そいつを使ってワインを仕込めば、極上のワインが出来るってわけだ。
 当たり年というのは、そういうモンだし…。
 前の俺たちが生きた時代の当たり年ってヤツは、今から見たならお粗末だろうさ。
 テラフォーミングが一番進んでいたノアですらも、最高のブドウは育たなかったんだろうしな。



 今とは事情がまるで違うぞ、と教えてやった当たり年。美味しさが違ったろうワイン。
 けれども、当たり年というのはあった。人類の世界には存在していた当たり年のワイン。それを何年も寝かせたワインも、当たり年でなくても長く寝かせて味わい深くなったワインも。
 ゼルとヒルマンは、それらを真似た。シャングリラで作った本物のワインに貼るラベル。
 たった一年しか寝かせていないワインのボトルに、古い年号。当たり年やら、長く寝かせてあるワインなのだと偽って。
 真っ赤な嘘のラベルだけれども、船の仲間たちも楽しみ始めた。同じワインを作るのならばと、凝るようになったラベルのデザイン。その道のプロのゼルとヒルマンの意見を聞いて。
 今年のワインに入れる年号は何にしようかと、どんなデザインのラベルがいいかと。
「あのラベル…。合成のワインのボトルにも貼ってあったよね」
 どれを見たって、何年ものとか、何年も寝かせてあるだとか…。嘘ばっかり。
 面白かったけどね、ラベルだけで美味しいワインの気分になれるなら。…他のお酒だって。
 前のぼくは飲みたくなかったけれども、お酒の好きな仲間たちなら。…前のハーレイも。
「そういうことだな。気分だけでも、ということだ」
 極上の酒のラベルが貼ってあったら、ただの瓶詰の酒よりいいだろうが。
 ゼルたちが思い付かなかったら、その可能性も高かったんだぞ。どの酒にだって同じボトルで、ラベルの代わりにシールが貼ってあるとかな。中身はコレだ、と書いてあるだけの。
「…それが美味しくないっていうのは、ぼくでも分かるよ」
 今のぼくでも分かっちゃう。…だって、ジュースを買ったりするもの。
 こういうジュース、ってワクワクするのが瓶とか缶のデザインで…。開ける前から味が楽しみ。
 もしも全部が同じデザインなら、買う時だって楽しくないよ。
 こんな味だと嬉しいよね、って瓶とか缶で想像するのに…。搾り立てとか、粒入りだとか。
「なるほどなあ…。ジュースも同じか」
 そうかもしれんな、ただのガラス瓶に詰めてあるだけのジュースじゃつまらん。
 瓶にラベルがあってこそだな、何処で育った果物を使って、何処の会社が作ってるのか。



 気分だけでも本物の酒に近付けよう、と作られていたのがシャングリラにあった偽物のラベル。合成の酒が詰まっているのに、貼ってあるラベルは本物そっくり。
「…前の俺たちの船じゃ、酒のボトルに貼る偽物のラベルは普通だったが…」
 合成品のワインにだって、当たり年のワインだと大嘘つきなラベルが貼られていたんだが…。
 そんな船でも、本物のワインは特別だったぞ。
 少しだけしか作れなかったが、乾杯用の赤ワインだけは、そりゃあ素晴らしいラベルだった。
「特別って…。何かあったっけ?」
 デザインだったら、仲間たちのアイデアを募っていたし…。
 本物のワインもそうだろうけど、デザインするのに何か約束事でもあった…?
「デザインじゃないな、それよりも後だ」
 毎年、ラベルが出来上がって来たら、お前がサインを入れていたんだ。
「え?」
 サインって…。ぼくが、ワインのラベルに?
「その通りだが?」
 保証します、とソルジャーのサイン。…他のワインとは違うんだから。
 合成でもなければ、混ぜ物も無しの本物のワインだったしな。それをお前が保証してた、と。
 ソルジャーのサインが入っていたなら、そのラベルつきのワインは間違いなく本物なんだ。
「やってたね…!」
 忘れちゃっていたよ、そんなこと。
 ぼくはお酒が苦手だったし、あのワインだって一口しか飲まなかったから…。



 忘れてた、とブルーがコツンと叩いた額。「頑張ってサインしてたのに」と。
 シャングリラで作られた本物のワイン、新年を迎えた時の乾杯に使われた赤ワイン。それだけで無くなってしまったけれども、ボトルは一本だけではなかった。船の仲間は多いのだから。
 そのボトルに貼られていたラベル。仕込まれた年号は嘘八百が書かれていたって、中身は本物。
 きちんとブドウから作ったワインで、直ぐに分かるよう、ブルーが入れていたサイン。
 「ぼくは、お酒は飲めないのに…」と苦笑しながら、一枚ずつ。
 実際、ブルーは乾杯さえも苦手だったのだけれど、それでも毎年、サインに工夫を凝らした。
 ワインのラベルが出来て来たなら、サインを何処に入れようかと。
 デザインを損ねてしまわないように、気を付けて。時には字体を変えたりもして。
「あのラベル、人気が高かったんだぞ」
 毎年、引っ張りだこだったってな。ワインのボトルが空になった後は。
「人気って…。誰に?」
 本当に本物のワインだったし、お酒が好きだった仲間たちかな?
 ゼルたちみたいに、本物のワインのラベルをコレクションしてた人が多かったとか…?
「そういうヤツらもいたんだろうが…。欲しかったのかもしれないが…」
 とても言い出せなかっただろうな、ライバル多数というヤツだから。…それも強いのが大勢だ。
 同じ酒好きなら、勝負のしようもあっただろうが…。欲しいと声も上げただろうが…。
 生憎と、あれを欲しがってたのは、ゼルたちじゃなくて、女性陣だったんだ。
 なにしろ、ソルジャーのサインだからなあ、船の女性たちの憧れの。
 そいつが入ったラベルなんだし、欲しい女性が列を成すってな。
 酒好きの男がウッカリ混ざろうもんなら、もうジロジロと見られたろうさ。
 いったい何しに来やがったんだ、と冷たい目で。ただの酒好きは引っ込んでろ、とな。



 前のブルーのサインのお蔭で、絶大な人気を誇っていたのが本物のワインに貼られたラベル。
 それを求めて船の女性たちが集まるけれども、全員の分があるわけがないし、奪い合い。
 新年を祝った乾杯の後は、希望者が厨房に押し掛けて。
 空になったボトルから剥がされるラベル、それを一枚貰いたいからと、クジ引きなどで。
 小さなブルーは、案の定、騒ぎを知らなかったらしい。赤い瞳をキョトンと見開いて…。
「そうだったんだ…。ワインのラベルなんかでクジ引き…」
 お酒好きの男の人たちが貰えないほど、女の人たちが押し掛けてたなんて知らなかったよ。
 ワインのラベルを取り合わなくても、サインくらいなら、いくらでもしてあげたのに…。
 ぼくに「お願い」って言ってくれたら、ちゃんとサインをしてあげたのに…。
「お前、全く分かっていないな。…なんでラベルの奪い合いなのか」
 前のお前はソルジャーなんだぞ、雲の上みたいな存在だ。…デカイ青の間で暮らしてるような。
 それを捕まえて頼めるか、おい?
 サインして下さい、と言える勇気を出せるような女性がいたと思うか…?
「…難しいかもね…」
 ぼくに薔薇のジャムをくれてた人たちも、直接、届けに来なかったから…。
 試食用のは持って来たけど、その後はずっと、部屋付きの係に渡してたから…。
 サインを頼むのは難しそうだね、ぼくは気にしなかったのに…。



 いくらでも書いてあげたのに、と小さなブルーは言うのだけれども、前のブルーも同じだったと思うけれども。…ソルジャー・ブルーは雲の上の人で、誰もサインは頼めなかった。
 そんなわけだから、前のブルーのサインを手に入れるための、唯一の手段がワインのラベル。
 本物のワインにだけ貼られるラベルで、本物の証にソルジャーのサインが添えられたから。
 前のブルーに憧れていた船の女性たちは、ワインのラベルのコレクションを作っていた。
 自分だけの小さなコレクション。そっと眺めて楽しむもの。
 けして全部は揃わないのに。
 船で作られていた本物のワイン、その数よりも多かったのがラベルを欲しがる女性たち。いくら頑張ってクジを引いても、毎年の分は手に入らない。外れてしまう年の方が多くて、貰えない。
 分かっていたって、彼女たちが続けたコレクション。
 運よく手に入れた年のラベルを、アルバムにペタリと貼り付けて。
 ラベルに刷られた偽の年号、それとは別に、本当の年号を多分、アルバムに書き入れて。
 毎年の分が揃わなくても、揃えられるような強運の女性がいなくても。
 一枚だけでもラベルがあったら、充分に宝物だから。前のブルーのサインが入った、最高の宝物だったのだから。



 コレクターだった女性たちが作ったアルバム、それを目にする機会は無かった。酒好きの仲間は集めたラベルを披露したがるものだけれども、あくまで同好の士が相手。
 それと同じで、女性たちの場合も、見せ合う相手はコレクター仲間。自分のアルバムには欠けているラベル、それを羨んだり、求められて自分のラベルを見せたり。
「前のお前がサインしたラベル…。剥がされた後は、見てないな…」
 女性陣に仕舞い込まれてしまって、俺の前には出て来なかった。アルバムはあった筈なんだが。
 ついでに前のお前と違って、俺の方のサインは誰も集めちゃいなかったな…。
「ハーレイ、人気が無かったものね…。女の人には」
 ぼくには信じられないけれども、薔薇のジャムも薔薇も似合わないとか言っちゃって…。
 ハーレイだってカッコいいのに、誰も分かってくれないんだよ。
「そうなんだよなあ、女性には全くモテなかったな」
 俺のサインがあったとしたって、集めちゃくれなかっただろう。
 それに本物の酒は、あのワインしか無かったし…。
 キャプテンがサインして、品質を保証できるような代物は何も無かったな。シャングリラでは。
「お酒、本物が他にもあったら、ハーレイのサインもあったのにね」
 これは間違いなく本物だから、ってキャプテンのサイン。…ウイスキーとかに。
「いや、その場合もサインするのは、お前だろう」
 まるで飲めなくても、それとこれとは話が別だ。
 ソルジャーとキャプテンでは重みが違うし、其処はお前がサインしないと。
「…ハーレイに譲るよ、そっちの方は」
 ワインだったら新年を祝う乾杯用だし、大切な儀式に使うためのお酒だったけど…。
 それ以外なら、何の儀式も無いから、本物でもただの嗜好品。
 本物ですよ、っていう印があったら充分なんだし、キャプテンのサインでいいんだってば。
「そう来たか…。確かにただの酒ではあるな」
 貴重な本物の酒だってだけで、船の仲間が揃って飲むってモノでもないか…。
 キャプテンのサインで充分だろうな、酒が飲めないソルジャーを引っ張り出さなくても。



 そっちだったら誰かが集めてくれただろうか、と思ったサイン。前のブルーのサインと違って、サイン目当てではない誰か。酒好きなラベルのコレクター。
 「これは本物の酒のラベルだ」と、剥がして大切にアルバムに貼って。もしかしたら、ヒルマンたちだって。前に集めたコレクションの続きに、「これも」とペタリと貼り付けて。
 俺のサインは全く抜きで…、と考えてしまったラベルの価値。
 ソルジャーのサイン入りだった時は、酒よりも値打ちが高いのがサイン。けれどもキャプテンがサインしたなら、高くなるのは中身の価値。…本物の酒だ、と思った所で気が付いた。
 時の彼方に消えてしまったワインのラベル。…前のブルーがサインしたもの。
「あのラベル…。残っていたら大した値打ち物だろうな」
 たかがワインのラベルなんだが、宇宙遺産になったんじゃないか?
 年号がまるで出鱈目だろうが、デッチ上げだろうが、そんなことは気にもされないで。
「…なんで?」
 どうして宇宙遺産になるわけ、ただのワインのラベルだよ?
 それに年号だってメチャクチャ、当たり年とかを適当に刷っていただけなのに…。
「ワインの方はどうでもいいんだ、本物なんだという印の方だ」
 お前がサインしてたんだろうが、一枚一枚、きちんと自分で。…ソルジャー・ブルーと。
 其処が大事だ、前のお前のサインは残っていないんだ。…ただの一つも。
 俺の日誌は残っているがな、超一級の歴史資料にされちまって。
「本当だ…!」
 ソルジャー・ブルーのサインです、っていうのは聞いたこと無いよ。
 ホントに何処にも残っていないね、あったら宇宙遺産かも…。
 ワインのラベルに書いたサインでも、それが残っていたんなら。…誰かが残しておいたんなら。



 だけど残っていないみたい、とブルーは暫く考え込んで。
「えーっと…。宇宙遺産は無理だけれども、今のぼくが書けばいいのかな?」
 きっとサインは同じだろうから、今のぼくがサイン。…ソルジャーは抜きで。
「サインって…。どうするんだ、何にサインするんだ?」
 ソルジャーは抜きでサインだなんて、と尋ねたら。
「いつかね、ハーレイとお酒を飲んだら、その記念に」
 デートに行ったら、ハーレイがお酒を頼む時だってありそうだから…。
 そういう時には、ラベルを剥がして貰うんだよ。お店の人にお願いして。
 剥がしたラベルを持って帰ったら、ぼくがサインを入れるのはどう?
 今のぼくだから、値打ちは少しも無いけれど…。ただの記念にしかならないけれど。
「貰って帰るって…。お前、知ってるのか、そのサービスを?」
「サービスって?」
「酒のラベルをくれるってヤツだ」
 店で頼めば、ラベルを剥がして貰えるってな。…その日に飲んだ酒の記念に。
「知らないよ?」
 ぼくはお酒は飲めないから…。興味も無いから、そんなの初耳。
「だろうな…。お前が知っているわけがないな」
 酒は飲めないし、まだまだチビだし、何処かで見たって忘れちまうのが関の山ってか。
 レストランでもやっているから、出会っているかもしれないがな。…忘れただけで。



 今の時代もコレクターがいて、そういうサービスをする店があるんだ、と教えてやった。
 本当の意味でのコレクターもいるし、記念日だからと貰って帰る人だって、と。
「ラベルを集める趣味は無くても、記念日は別だ、というのもあるからなあ…」
 特別な日のデートとかなら、その時に頼んだ酒のラベルを残しておこう、と。
「そうなんだ…。だったら、貰って帰らなきゃ!」
 ハーレイとのデートの記念なんだよ、ラベル、貰って帰らないと…。
 ちゃんと貰って、帰ってからぼくがサインをするよ。
 シャングリラでラベルにサインしていた頃と同じに、何処に書こうか考えたりして。
 どんなサインを入れるのがいいか、書き方とかにも工夫をして。
「いいかもなあ…」
 同じラベルのワインを飲んでも、お前が工夫をしてくれるってか。
 今日のサインは此処に入れようとか、こんな風に書いたらいいだろうか、とか。
 そいつは大いに楽しみだよなあ、アルバムも買って来ないとな。
 この日に飲んだワインなんです、と説明も添えておけるヤツ。
 お前と店で一緒に飲むならワインだろうし、俺の秘蔵の酒のラベルも貼らないと…。
 飲めないくせして、お前、絶対、強請るんだから。
 お前と二人で空けた酒には違いないから、そいつもお前のサイン入りでな。



 よろしく頼むぞ、と言ったら「うん」と頷いたブルー。「ちゃんと書くよ」と。
 ブルーは約束してくれたのだし、いつか結婚したならば。
 一緒に暮らせる時が来たなら、酒のラベルを増やしてゆこうか。
 シャングリラの女性は全てのラベルを集め損ねてしまったけれども、今の自分は出来るから。
 二人で空けたボトルの数だけ、ブルーのサインがついてくるから。
 幸せのラベルのコレクション。
 店や家で飲んだ、ブルーとの記念。
 ブルーは酒が苦手なままでも、飲めなくてもサインをくれるから。
 サインが入ったラベルを幾つも幾つもアルバムに貼って、二人で眺められるのだから…。




              記念のラベル・了


※シャングリラの女性たちに大人気だった、前のブルーのサインが入ったワインのラベル。
 今も残っていたら、宇宙遺産になっていた筈。今のブルーのサインは、ハーレイとの記念に。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
  ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv








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