シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
ぼくの前世はミュウの長だったソルジャー・ブルー。
でも、知っている人はパパとママと、ぼくを診てくれたハーレイという苗字のお医者さんだけ。
そしてもう一人、お医者さんの従兄弟でぼくの学校の古典の先生、ハーレイもぼくの前世が誰か知っている。そのハーレイが前世でのぼくの恋人なんだ。もちろん今も恋人だけど。
ぼくとハーレイは蘇った青い水の星、地球の上に生まれ変わって再会したんだ。
今、ぼくたちが暮らす地域は遙かな昔に日本という国があった場所。
前の生の頃、SD体制の時代には古い習慣とか伝統なんかは廃れていたように思われてるけど、そんな時代でも神様という概念はあってクリスマスもちゃんと残ってた。
それから長い年月が経って、今、ぼくたちが暮らす地球では、SD体制よりも前の時代の色々な風習を復活させて味わい、楽しんでいる。
例えば、ぼくがハーレイと再会した日の二日後は五月五日で端午の節句。
五月の三日に前世の記憶を取り戻したぼくは、それと同時に血まみれになった。前の生の最期にメギドで撃たれた時の傷痕。お医者さんは聖痕現象と診断したけれど、身体には何の傷も無いのに沢山の血が流れ出したそれ。
あまりに出血が酷かったからと、その週は学校を休むことになった。そのせいで五月五日も家に居たぼくは、ハーレイの授業を聞き損なって…。
次の週にようやく登校出来て、友達に聞いてガッカリしたんだ。端午の節句について習う授業は歴史じゃなくて古典の管轄。ハーレイの授業で柏餅と粽が配られて、みんなで食べたんだって。
柏餅と粽はお店で買えるけど、ハーレイと一緒に食べてみたかった。端午の節句の話を聞いて、柏餅と粽の由来を聞いて。
「先生、桜餅にはどういう由来があるんですか!」なんて質問が飛び出したりして、凄く楽しい時間だったらしい。桜餅には何の由来も無かったけどな、と友達が笑って教えてくれた。
柏餅も粽もハーレイが赴任してくる前から手配されてたお菓子で、ハーレイは古典の授業の一環として食べながら話しただけなんだけど…。授業なんだって分かってるけど、食べたかったな。
だって、大好きなハーレイの授業。ハーレイの声を聞きながら一緒に食べられるだけで、柏餅も粽も特別な味になった筈だと思うから…。
そういう少し変わった授業は当分何も無さそうだな、って思っていたら七夕の話を教わった。
来週が七夕、恋人同士の二つの星が一年に一度、天の川を渡って会う星合いの日だと。
彦星と織姫、アルタイルとベガ。
今では銀河系の中の恒星だって分かってるけど、それを天に住む人だと信じた昔の人たちは幸せだったんだろうなと思う。
その時代、地球は今と同じように、ううん、今よりももっと青くて綺麗だっただろうから。
地球に人が住めない時代が来るなんて誰も思わなかっただろうから。
生活は今よりもずっと不便で厳しい時代だったと思う。でも、地球の上に住んでいられるだけで人間はきっと幸せだったと思うんだ。自分では全く気付いてなくても。
前の生でのぼくとハーレイには地球は無かった。
地球を探して、地球に行きたくてシャングリラで宇宙を彷徨っていた。
そんな記憶があるからだろうか、ぼくは地球に居られればそれで充分かな。友達は将来、何処か他の星で暮らしてみたいとか話してるけど、ぼくは地球しか知らなくてもいい。
遠い昔にシャングリラが潜んだ雲海の星、アルテメシアにも行ってみたいとは思わないし。
アルタイルもベガも、ぼくがシャングリラで長い眠りに就いていた間に地球を探して立ち寄ったらしい。地球が属するソル太陽系の座標が全く掴めなかったから、恒星はもれなく探索の対象で。
だけどアルタイルもベガも、地球を連れてはいなかったんだ。
ハーレイの授業でシャングリラの話が出るわけもなくて、習ったものは七夕に纏わる言葉など。
ぼくたちの年ではもうやらないけど、小さな頃には七夕といえば笹飾りを作って家に飾った。
折り紙の細工や、願い事を書いた短冊を吊るして七夕を待った。七月七日は晴れますように、と天気予報を心配してた。雨が降ると彦星と織姫は会えなくなるって聞いていたから。
七月七日に降る雨のことを何と呼ぶのか、ハーレイの授業で初めて知った。催涙雨だって。天の川の水が増えてしまって会えない二人が泣くからだとか、二人が流す涙だとか。
天の川を渡るための橋も何で出来てるのか知らなかった。カササギという鳥が翼を広げて一列に並んで作る橋。その橋を詠んだ遠い昔の人の歌も出て来た。
一年に一度しか架からない橋。
もしも、ぼくとハーレイが一年に一度しか会えなかったら?
ぼくは前の生の終わりにハーレイの温もりを失くしてしまって、独りぼっちになってしまったと泣きながら死んだ。もう会えないと、ハーレイには二度と会えないんだと…。
だから一年に一度しか機会が無くても、会えるのならそれで充分嬉しい。
でもやっぱり……一年に一度しか会えないだなんて悲しいとも思う。
きっと、ぼくは欲張りになったんだろう。
この地球の上でまたハーレイに会えて、独りぼっちじゃなくなったから。
ハーレイと二人で地球に居るのに、一年に一度じゃとても足りない。学校で会って、ぼくの家で会って、殆ど毎日会っているけど、それでもまだまだ足りないんだから…。
七夕の授業があった週の土曜日、いつものようにハーレイが訪ねて来てくれて。
「ねえ、ハーレイ。七月七日は晴れるといいね」
そう言ったら「昔は雨になることが多かったんだぞ」って教えてくれた。古典の授業の範囲じゃないけど、昔、この場所に在った日本という国では七月七日は雨の季節の真っ最中で。梅雨という言葉まで存在したほど、雨ばかり続いていたんだって。
「ふうん…。それだと一年に一度会うのも難しそうだね。もしかして毎年、催涙雨だった?」
「さあな? しかしだ、そのまた昔は雨の季節じゃなかったそうだぞ」
「えっ?」
今のこの場所に梅雨が無いのはSD体制崩壊後の地殻変動で地形が変わったせいだと聞くのに、それよりも前に大規模な変動があったんだろうか?
それは全然知らなかったな、と首を傾げたら。
「ブルー、変わったのは地形じゃなくて暦だ。カレンダーだな」
「え? …カレンダー?」
一年が十二ヶ月のカレンダー。SD体制の前も、SD体制の頃も、今の時代もカレンダーは同じ十二ヶ月だと思ってた。地球の公転で決まる筈のそれが変わるだなんて初耳だけど…。
「ずっと昔はカレンダーが別のものだったんだ。今でも売っているだろう? 月のカレンダーを」
「…月齢カレンダーっていうヤツのこと?」
あまり馴染みは無かったけれども、月の満ち欠けを書いたカレンダーなら知っている。
「そうさ、昔はそっちを使っていたんだ。その暦だと七夕の頃には雨の季節は終わった後だ」
「…そうだったんだ…」
なんだか頭がぐるぐるしてきた。
遙か昔のこの地域では、七夕は梅雨で雨ばかり。だけどそのまた前の時代は雨が降らない時期の七夕で、いったいどっちが正しいんだろう?
太陽のカレンダーの方? それとも月のカレンダー?
地球は太陽の周りを一年かけて回ってるんだし、太陽のカレンダーが正しいのかな?
でも、でも、でも。
太陽のカレンダーだと七夕が雨の季節になるなら、月のカレンダーの方がいいな、と思う。
だって、雨の七夕ばかりが続くと彦星と織姫は何年も会えなくなっちゃうから。
彦星はアルタイル、織姫はベガで、神様じゃなくて恒星なんだって分かってるけど…。
でもでも、会えないより会える方がいい。
催涙雨ばかりになってしまいそうなカレンダーより、断然、月のカレンダー。
そう思ったから「月のカレンダーにしてあげたいな」とハーレイに言ったら「そうだな」という答えが返って来た。
もしも、ぼくとハーレイとの間に天の川があって、一年に一度しか会えなかったなら。
その日に雨が降ってしまったら、カササギは橋を架けてくれない。
橋が無くても前のぼくならサイオンの力で飛び越えられたし、会えた筈。
でも、今のぼくは空を飛ぶことも瞬間移動も出来ないんだから、飛び越えられない。
天の川なんかがあったら困る。
一年に一度しか会えない七夕の日が雨になったら、泣いて、泣いて、涙が催涙雨になる。
だけど…。
「ハーレイなら天の川、泳いで渡ってしまえるかもね」
水泳が大好きなぼくの恋人。
学生時代は選手だったほどに泳ぎが上手くて、身体も丈夫なハーレイだったら…。
「お前に会うために泳ぐのか? それなら泳ぐさ、どんなに川幅があったとしてもな」
「…そっか…」
自信あるんだ、と嬉しくなった途端にふと思い出した。
七夕の日に天の川に架かる橋はカササギの橋。沢山の鳥が翼を広げて一列に並んで作る橋。
カササギは小さな鳥だけれども、ハーレイみたいに大きな身体でも大丈夫かな? 重さに負けて潰れないかな、と少し心配になったから。
「…ハーレイは泳いだ方がいいかも…。カササギの橋、ハーレイの体重に耐えられるかな?」
「こら、お前!」
コツン、と頭を小突かれた。
「俺がカササギの橋を踏み抜くってか?」
「踏み抜きそうだよ?」
「お前な…。お前、俺に会いたいのか、会いたくないのか、どっちなんだ」
橋を踏み抜いたら俺はお前に会えないわけだが、とハーレイがぼくを睨んでる。腕組みまでして怖そうな顔をしてみせてるけど、怒っていないって分かってしまう。鳶色の瞳が笑ってるから。
「…ハーレイ、答え、知ってるくせに」
天の川が大雨で溢れていたって、ぼくはハーレイを信じてるから泣かないよ。
きっとハーレイなら泳いでくると思うから。
カササギが橋を架けてくれなくっても、ぼくは泣かない。
泣かずに待っていれば必ず、ハーレイが泳いで来てくれるから…。
「ずいぶんと信用されたもんだな、俺も」
天の川を泳いで渡り切ろうってほどの勢いか、とハーレイは苦笑しているけれど。
「…来てくれないの?」
「いや、泳ぐ。お前が向こう岸に居るなら、どんな川でも俺は泳いで渡ってみせる」
向こう岸が見えないような川でも泳ぎ渡る、と鳶色の瞳の色が深くなった。
「ブルー、お前に会えるんだったら、俺は必ず泳いで行く」
ハーレイが右手を差し出してきて、ぼくの右の手をキュッと握った。
前の生で最後にハーレイに触れた手。ハーレイの温もりを最期まで覚えていたかったのに、銃で撃たれた傷の痛みで温もりを失くしてしまった右の手。
その手を握って、ハーレイはぼくを真正面から真剣な瞳で見詰めた。
「…本当はメギドまで追いたかったんだ。お前を追い掛けて飛びたかった」
「……それはダメだよ、ハーレイはキャプテンだったんだから」
「そう思いたかっただけかもしれん。全てを捨て去る覚悟があったら、あの時、俺は飛べたんだ」
シャングリラもキャプテンの制服も何もかもを…、とハーレイが苦しげな顔になる。
ぼくが飛び去って直ぐに追い掛けていれば、自分もメギドに行けた筈だと。
そうすることが可能な船が格納庫に何機も在ったのだから、と。
「…あの時、俺とお前の間には溢れた天の川があったんだろう。…実際、宇宙があったんだがな。溢れた川を渡る勇気を俺は持ってはいなかった。そしてお前を喪ったんだ」
「違うよ、ハーレイ。…ぼくはジョミーを頼むと言ったよ、君はそのために残ってくれた」
「俺もそうだと思っていた。…しかしな、お前のことを最優先で考えるのなら、俺はお前を追うべきだった。俺がお前を追わなかったから、お前の右手は凍えてしまった」
この手だ、とハーレイはぼくの右手を大きな両手で包み込んだ。
「俺は二度と後悔したくない。天の川を渡らなかった自分の馬鹿さ加減に涙するのはもう沢山だ。…だから俺は渡る。どんなに広い川であろうと、俺はお前の所まで泳ぐ。…いいな?」
「…うん……。ぼくも待ってる。ハーレイが来る、って信じて待ってる」
催涙雨なんか降らせないよ、と言ったけれども。
ぼくの瞳からは大粒の涙がポロリポロリと零れて落ちた。
この涙はぼくの涙だけれども、ぼくはぼくでも前のぼくの涙。
ハーレイと離れて独りぼっちで死んでいったソルジャー・ブルーが天の川のほとりで零した涙。
もうハーレイには会えないのだと、右の手が凍えて冷たいと泣いた。
だけど、向こう岸からハーレイが来る。泳いで渡って来てくれるのだ、と…。
ハーレイとそんな話をしたから、少し切ない気持ちになった。
天の川のほとりに立ち尽くしたまま、ハーレイが泳いでやってくるのを待った前の生のぼく。
本当にハーレイが川を渡って来てくれたから、ぼくたちは地球の上で会えたんだと思う。
だけどそれまでに、ソルジャー・ブルーは一人きりで何度泣いたのだろう。
どのくらいの涙が瞳から零れて雨になったのか、どのくらい一人で待っていたのか…。
前の生でのハーレイの命が尽きたら直ぐに会えたんだろうか?
きっと会えたと思いたい。
そうでなければ悲しすぎる。今年こそ会える、今年こそ…、って泣きながら待っているなんて。
ソルジャー・ブルーがメギドを沈めた後、数年が経ってSD体制は崩壊した。
だから前のぼくが独りぼっちで待った時間は数年だけだと思いたいけれど…。
催涙雨は数年分しか降っていないと思いたいけれど、こればかりはぼくにも分からない。
生まれ変わって来るまでの間は何処に居たのか、それすらも分からないんだから。
翌日の日曜日には七夕も催涙雨もすっかり忘れてしまって普段どおりのぼくだったけれど、その週の半ば、学校からの帰り道で七夕飾りを見かけた。
バス停から家まで歩く途中にある家の玄関先に、ぼくの背丈くらいの笹飾り。きっと小さい子が居る家だろう、色とりどりの紙の飾りや短冊が幾つも結んであった。
それを見たら思い出したんだ。
ハーレイと話した天の川のこと、天の川のほとりで涙を零していた前のぼくのこと。
今のぼくはハーレイと毎日のように会えるけれども、会えなかったなら…。
一年に一度しか会える日が無くて、その日に会えなかったなら。
どれほど悲しくて寂しいだろう、と考えただけで涙が零れてしまいそうだから。
青く晴れた夏の空を見上げて、心の中で願いをかけた。
催涙雨が降りませんように。
どうか今夜は晴れますように、って。
だって、会えないだなんて寂しすぎるし、悲しくて辛い。
ハーレイは天の川でも泳いで渡ると言ってくれたけど、彦星にそれは難しそうだ。
彦星と織姫がカササギの橋を渡って会えるようにとぼくは祈って、七夕の夜は綺麗に晴れた。
そして次の日に気が付いた、ぼく。
七夕の笹に結ぶ短冊。お願い事を書いて吊るしておくのが七夕だった、と。
背が伸びますようにと頼めば良かった。
お願いするのを忘れただなんて、ちょっと間抜けで誰にも言えない。
失敗だった、ぼくの七夕。
でもハーレイには今日も会えたし、いつかは一緒に暮らせるんだから焦らなくても大丈夫。
天の川でも泳いで渡るとハーレイは言ってくれたから。
ぼくたちは二度と離れないから……。
催涙雨・了
※天の川でも泳いで渡ろうというハーレイ先生。川幅、どのくらいあるんでしょうね?
それでもハーレイは泳ぐのでしょう、二度と後悔しないために。
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