シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
「おっ…!」
しまった、って響いたハーレイの声。
床にチャリンと何かが落ちた。もっと重たい音だったのかもしれないけれど。
金属が立てる、独特の音。向かい合わせで座ってたテーブルの多分、真下辺りで。
(また銭亀?)
前にハーレイの財布から零れて落っこちた小さな亀のお守り、それが銭亀。お金が貯まるのと、延命長寿だったかな?
そういう力を持ったお守り、知らなかったぼくは何処かの星のお金だと思ったんだったっけ。
ぼくが拾うよ、ってテーブルの下に潜り込んだら、落ちていたものは亀じゃなかった。銭亀よりずっと大きなもの。鍵が幾つもくっつけられたキーホルダー。
(何の鍵だろ?)
見ただけじゃ何か分からない鍵がドッサリ、ホントに色々。
拾い上げてみたら、そこそこ重い。銭亀だったら何匹分になるんだろう?
(…銭亀も素敵だったけど…)
この鍵だって、何か物語があるかもしれない。それが聞けたら嬉しいんだけどな、鍵たちの話。
キーホルダーを拾って這い出して、「はい」ってハーレイに渡して訊いた。
ワクワクしながら訊いてみた。
何の鍵なの、って。いっぱいあるね、って。
「そりゃまあ、なあ…?」
大人になったら色々と要るさ。年を重ねりゃ、少しずつ増えてゆくもんだ。
お前は持っていないのか、鍵は?
「あるよ、家の鍵」
ちゃんと合鍵、作って貰って持ってるよ。学校へ行く時はいつも鞄に入れてるもの。
使ったことはないけれど、って答えた、ぼく。
実際、一度も無かったから。
ママには「帰って来て鍵がかかっていたなら、自分で開けて入るのよ」って言われてるけれど、そんな場面には出会っていない。ママはいつでも家に居てくれる。
ぼくの身体が弱いからかな、留守番なんかはあまりさせたくないみたい。ちょっと買い物とか、ご近所さんの家に行くとか、そういう時しか留守番をすることはない。
だから学校から戻って家の鍵を自分で開けたことなんか、ホントに一度も無かったんだ。
持ってるってだけの、この家の鍵。一度も使ったことがない鍵。
そう説明したら、ハーレイは「なるほどなあ…」って大きく頷いた。
「確かにお前は普通のガキより弱いからなあ、お母さんだって心配だろうな」
具合が悪くなってないかと、フラフラしながら家に帰って来るんじゃないかと。
おまけに妙に我慢強いと来たもんだ。たとえ具合が悪くったってだ、家に帰って誰もいなけりゃ留守番を始めるんだろ、お前?
普通のガキなら鍵を掛けちまって寝に行く所を、ベッドに入ったりせずに。
「うん、多分…。その内にママが帰って来るしね」
鍵がかかってたら、ぼくが帰ってないかと思ってママも心配しちゃうだろうし…。
それにママの留守に、ご近所さんが何か届けに来るかもしれないし。
「やっぱりなあ…。そういう所は前のお前と変わらんな」
心配させまいとして無理をするんだ、そっちの方が周りはよっぽど心配しちまうものだがな。
ついでに責任感が強くて、頑張っちまう。任されてもいない留守番までな。
…それでだ、お前が持っている鍵、家のだけか?
「そうだけど…。他に鍵って、何かあった?」
ぼくの友達も家の鍵しか持っていないよ、訊いてみたことはないけれど…。多分。
「普段は持ち歩かないんだろうが、だ。自転車の鍵っていうのがあるぞ」
そいつはお前は持ってないのか、自転車の鍵。
「ぼく、自転車には乗らないからね」
乗れないんじゃないよ、って慌てて付け加えた。勘違いされたら癪だから。
ぼくだって自転車くらいは乗れる。うんと頑張って練習したから、乗って走れる。
だけど身体が丈夫じゃないから、自転車は疲れてしまうんだ。クラッとした時には、もう遅い。自転車ごと倒れて怪我をしちゃったことが一回、それ以来、ぼくは乗ってはいない。
ハーレイにもきちんと説明をした。危ないから乗っていないだけ、って。
「お前、自転車にも乗れなかったのか…」
すまん、乗れないんじゃなくて乗らないんだったな。
「そうだよ、危うきに近寄らずだよ!」
パパにもママにも止められてるから、ぼくの自転車、家に無いでしょ?
下の学校の時に怪我した自転車、あれが最後の自転車なんだ。家の近所は走れたけれども、次の自転車、買って貰えなかったんだよ。自転車が小さくなっちゃっても。
「そいつは正しい選択だろうな、お母さんたちにしてみればな」
ガキってヤツはだ、大きくなるほど、自転車に乗って遠くへ行こうとするもんだ。お前の友達もそうだったろうし、そうなりゃ、お前もついて行く。疲れてしまってもついて行くだろ?
そうして何処かで自転車ごと倒れて怪我をしたなら大変だ。家から遠けりゃ遠いほどな。
「うん…。分かってるから、諦めたけど…」
たまに友達が羨ましくなるよ、学校が終わったら自転車に乗って集まろう、なんて時にはね。
今でも時々そう思うけれど、自転車で遠くへ出掛けちゃったら、家でハーレイに会えないし…。
仕事が早く終わったから、って来てくれた時に、帰ってないかもしれないし…。
だからいいんだ、自転車なんかは乗れなくっても。
「そう来たか…。俺が来るから自転車は要らん、と」
実に光栄だな、楽しみに待って貰えるとはな。
しかしだ、そんな調子だと…。自転車の鍵も持たないとなると、こういった鍵とも縁が無いか。
見ても全然分からんだろうな、どの鍵が何の鍵なのか。
「うん…」
いっぱいあるな、って思うけれども、どれがどれだか…。
ハーレイがどういう鍵を持つのか分かっていないし、ホントに見当がつかないよ。
「だろうな、それじゃ解説してやるとするか」
大サービスだぞ、何の鍵かを教えるんだからな。鍵さえあったら、お前もそいつを開けられる。
もっとも、プレゼントする気は全く無いから、開けるチャンスも無いだろうがな。
…いいか、こいつが車の鍵だ。これを失くしたら車には乗れん。
これが学校の俺のロッカー。こっちは柔道部の方で使うロッカーのだ。
そしてこれがだ…。
ハーレイが説明してくれた鍵。キーホルダーについている鍵。
柔道の道場のとか、ジムのだとか。鍵が色々、覚え切れないくらいだけれど。
「ふむ…。こいつは、いつかお前も持つな」
銀色をした小さな鍵。ぼくが持つって、どうしてだろう?
「何の鍵なの?」
その鍵、何に使っているの?
「毎日お世話になっているなあ、俺の家に出入りするのにな」
玄関の鍵だ、俺の家のな。お前もいずれは使うんだろうが?
「あっ…!」
そうだね、その鍵、要るんだね…。一番大事な鍵だものね。
それが無くっちゃ、ハーレイの家には入れないものね…。
ぼくが将来、ハーレイのお嫁さんになるんなら。
あの家に住むなら、ぼくも持つ鍵。お世話にならなきゃいけない鍵。
ハーレイが出掛けて留守の間に買い物に行くには、あの鍵を使って閉めたり、開けたり。
玄関の大きな扉を通って出入りするんだ、まだ二回しか通ったことが無いけれど。
一度だけハーレイの家に遊びに出掛けた時と、メギドの夢を見て瞬間移動で行っちゃった時と。瞬間移動した時は出て来ただけで、入る時は扉を使っていない。
だけど覚えてる、ハーレイの家の玄関の扉。ハーレイが住んでる、あの家の扉。
それの鍵だと思うと嬉しい。その鍵をいつか持てるってことも。
「今は駄目なの?」
その鍵、今はまだ貰えないの?
ハーレイの家の鍵なんだったら、早めに渡してくれたりしない…?
「お前に渡しても、持ってる意味が無いだろうが」
俺の家には来られないくせに、って笑われた。来てもいいって許可は出していないぞ、って。
「そうだけど…。でも、欲しいよ」
「使えない鍵を持っていたって、仕方がないと思うがな?」
鍵ってヤツは使ってこそだぞ、使うために作られているんだからな。合鍵もそうだ。
それとも、お前。俺の留守に空き巣に入るつもりか?
ずいぶん可愛くてチビの空き巣だが、そいつが入り込むのか、うん…?
(空き巣…)
家の人が留守にしている間に、忍び込んで盗みをするのが空き巣。いわゆる泥棒。
そんな悪い人、今の時代にはいないけど。
言葉は今でも残っているから、空き巣が何かはぼくにも分かる。
前のぼくの頃には、まだいた空き巣。マザー・システムが監視してても、いた空き巣。監視網があっても、悪いことをする人たちはいた。それに…。
(潜入班だって、空き巣みたいなものだよね?)
ミュウの子供たちを救い出すために、アルテメシアに送り込んでいた潜入班。彼らは人が住んでいない家を見付けて、人類のふりをして暮らしていた。あれも一種の空き巣だろう。泥棒をしてはいないけれども、住むために必要なエネルギーとかをタダで使っていたんだから。
(んーと…)
潜入班のことを思い出したら、むくむくと頭を擡げて来たもの。
ぼくも空き巣になりたくなった。いつか持てる筈の銀色の鍵を早めに貰って、チビの空き巣に。
(ハーレイの留守に家に入って…)
玄関の扉を合鍵で開けて、堂々と入っていく空き巣。ちょっぴりドキドキする冒険。
きちんと靴を脱いで家に上がって、脱いだ靴はちゃんと揃えて端っこに置くんだ、お行儀よく。
それからあちこち覗いて回って、お茶を飲んだり、お菓子をつまんだり。
入ったからには掃除もしなくちゃ、きっと汚れてはいないだろうけど、しっかり掃除。テーブルとかもピカピカに拭いて、お嫁さんになった時のための練習。
そしてハーレイが帰って来たなら、笑顔で「おかえりなさい」って…。
「おい、筒抜けだぞ、空き巣」
「えっ…!」
零れちゃってた、ぼくの夢。ぼくの心から零れていた夢。
夢中で想像してたからかな、ハーレイに全部バレちゃっていた。空き巣って呼ばれて、おでこをコツンと小突かれた。「悪戯者めが」って。
「この鍵はまだまだ渡せんな」
俺が留守の間に入り込まれていたらたまらん、来るなと言ってあるのにな。
そういう危険があるとなったら、お前が充分に育つまではだ、渡すわけにはいかないってな。
「ハーレイのケチ…!」
ホントにやるとは言っていないよ、ハーレイの留守に入って空き巣。
やってみたいな、って思ってただけで、実行するとは言っていないってば…!
だからちょうだい、って強請ったけれども、合鍵は貰えそうにない。
ハーレイはぼくを綺麗に無視して、次の鍵の説明に移ってしまった。学校のだったか、それとも別の何かだったか、三つほど鍵を見せて貰って「これで全部だ」って言われたけれど。
(えーっと…)
まだ一つ残っている鍵がある。何に使うのか、聞いてない鍵。
ぼくの記憶違いっていうんじゃないんだ、こんな鍵なら一度聞いたら忘れやしない。
うんとレトロな、鍵っぽい鍵。SD体制が始まるよりも前の時代から使われていそうな形の鍵。
だけどちっとも古くない。古く見えるように加工がしてあるだけ。
もしかしたら、鍵じゃないんだろうか?
キーホルダーなんだし、最初からついてた飾りの鍵?
そういったこともありそうだけれど、やっぱりその鍵が気になるから…。
「ハーレイ、これは何の鍵なの?」
何も説明を聞いてないけど、キーホルダーについてる飾り?
「ああ、こいつか…。いずれ要る鍵だ」
今は使っていないからなあ、説明は要らんと思ったんだが。
「いつ使うの?」
「お前と結婚した後だな」
まだまだ当分先のことだな、お前、十四歳だしな?
おまけにチビだし、結婚出来るのはいつのことやら…。それまで出番が無い鍵だ。
「何に使うの?」
「もちろん鍵を掛けるためさ」
それ以外に無いだろ、鍵の使い道なんて。いくら見た目がレトロな鍵でも。
「鍵って…。何に?」
何に掛けるの、鍵なんかを?
結婚したから鍵を掛けるって、いったい何処に…?
急に心配になってきた、ぼく。
ハーレイと結婚したら家の合鍵を貰えるらしいのに、玄関を開けられるようになるのに。自由に家に出入り出来るのに、そうなったら鍵を掛けるらしい、何か。
(それって、ぼくが開けられないように…?)
まさかね、って思ったぼくだったけれど、ハーレイの答えはこうだった。
「鍵を掛ける場所が知りたいってか?」
決まってるだろう、俺の机の引き出しだ。こいつはそのための鍵ってわけだ。
「引き出しって…。ハーレイ、ぼくのこと、疑ってる?」
開けて色々探しそうだ、って。
ハーレイが仕事に行ってる間に、ぼくが中身を調べてそうだ、って…。
「やらないのか、お前?」
「やらないよ!」
本物の空き巣じゃないんだから!
ハーレイの引き出し、勝手に開けたり、中を覗いたりしないよ、ぼくは!
そんなことはしない、って叫んだけれど。
絶対やらない、って言い張ったけれど。
(…でも……)
中身が何だか分からない引き出しが家にあったら、ハーレイがそれをとても大事にしてたなら。
毎日、毎日、そういうハーレイを目にしていたなら、ぼくの気持ちも揺らぎそう。
あの引き出しには何が入っているんだろう、って。
ハーレイは何を大事に仕舞っているんだろう、って。
(…掃除してたら、机だって…)
拭きに行くだろうし、部屋の中を掃除している時にも引き出しはきっと目に入る。大切な何かが入った引き出し、それが何なのかぼくには決して教えてくれない内緒で秘密の引き出しの中身。
その上を、前を何度も掃除して回る内に、とうとう我慢出来なくなって…。
(…やっちゃうかも…)
引き出しの中を覗いちゃうかも、ハーレイのことは全部知りたいから。
どんなことでも知っていたいし、分かっていたいと思うから…。
ぼくの心が零れていたのか、それとも顔に出てたのか。
あの鍵をハーレイが指でつついた。
「ほら見ろ、この鍵は必要なんだ」
悪いお前が開けに来るしな、そう出来ないように鍵を掛けとかないとな。
「そんな…!」
やっぱりぼくを疑ってるの?
まだ子供だもの、ちょっぴり気になることもあるけど、大きくなったらやらないよ…!
前のぼくと同じくらいに大きくなったら我慢出来るよ、今は無理でも…!
それなのに鍵を掛けるなんて酷い、って泣きそうになったぼくだったけれど。
「冗談だ」って笑ったハーレイ。今までのは全部冗談だ、って。
「この鍵はな…。今だからこそ必要なのさ」
現役の鍵だ、ある意味、何よりも大事な鍵だな、こいつはな。
「なんで?」
引き出しの鍵でしょ、どうしてそれが今、必要なの?
「悪いガキどもが手ぐすね引いて狙っていやがるからな」
俺がクラブで指導しているガキどもだ。
あいつらを家に呼んだら文字通り家探しってヤツになっちまうんだな、家じゅう覗いて引っ掻き回して凄い騒ぎになるからなあ…。
俺の秘密を暴きたいのか、単なる好奇心なのか。
プライバシーを守り通したかったら、一ヶ所くらいは鍵を掛けとかんとな?
そのための鍵だ、ってハーレイは片目を瞑ってみせた。
俺の日記を入れてある引き出しにだけは、こいつで鍵を掛けるんだ、って。
「そっか、日記…」
でも、ハーレイの日記は覚え書きでしょ、
見られたって別にいいんじゃないの?
ぼくのことだって書いていないって言ってるんだし、誰が見たって良さそうだけど…。
「忘れちまったのか、前の俺が書いてた航宙日誌」
あれも日記じゃなかったわけだが、前のお前にも一切読ませていなかったろうが。
俺の日記だ、と秘密にしていた筈だぞ、最後までな。
「そういえば…。日記じゃなくても日記なんだね、ハーレイの日記」
「俺にとっては大事な記録というヤツだからな」
航宙日誌の時と同じだ、俺が読んだら書いてないことまで分かるんだ。
それは日記ということだろうが、悪ガキどもにまで見せてやることはないってな。
ヤツらが来る日はこいつで鍵だ、とハーレイの指がつまんだ鍵。
形も古いし、古く見せるための加工もしてある鍵だから。
「レトロな鍵だね、引き出しの鍵」
ホントに飾りかと思っちゃったよ、キーホルダーの飾り。だけどその鍵、使えるんだね?
「効き目って意味なら普通の鍵と変わらないってな、こんなのでもな」
ガッチリと鍵は掛かるわけだし、これで充分に役に立つ。
ただ、この通り単純な形だからなあ、合鍵どころかヘアピンがあれば開けられるらしい。試してみたことは一度も無いがだ、空き巣がいたような時代だったら格好の獲物って所だな。
「ふうん…。でも、ハーレイが好きそうな鍵だよね」
「この手の鍵がついてるヤツ、って選んで買った机だからなあ、俺のはな」
木で出来た机って所にも大いにこだわったんだが、鍵の形にもこだわった。こういうのだ、と。
前の俺と違って選び放題だったからなあ、今度の俺はな。
「ハーレイの机…。ぼくはハッキリ覚えていないよ」
書斎にあったな、ってことくらいしか…。後は今度も木の机ってことと。
「お前、一度しか見ていないからな」
家の中を案内してやった時に入っただけだな、書斎はな。
「そう。…二度目はチラッと見えただけだよ」
ハーレイと一緒に歩いてた時、廊下からチラッと見えたけど…。たったそれだけ。
前のハーレイの机の方がお馴染みだよ、って言った、ぼく。
あっちの方なら今でも鮮やかに思い出せるし、色も形も覚えているよ、って。
前のハーレイが使っていた机。味わいが出ると、せっせと磨いた木で出来た机。
「ねえ、ハーレイ。あの机に鍵はあったっけ?」
引き出しに鍵はついていたかな、あの机も…?
「いや、無かった」
鍵なんかついちゃいなかったな、あれは。どの引き出しでも覗き放題、開け放題だ。
部屋付きの係が掃除のついでに開けてたってこともあるんじゃないか?
俺は開けるなとは言わなかったし、掃除をしようと開けて中身を出すとかな。
鍵がついてはいなかったという、前のハーレイが大事にしていた木の机。
つけようか、って話はあったらしいんだけれど、ハーレイはそれを蹴ったって。
鍵は要らないと、必要無いと。
「…なんで?」
キャプテンの部屋の机なんだよ、今のハーレイとは違ったんだよ?
クラブの生徒を相手にするのと、シャングリラの仲間を相手にするのじゃ違いすぎない?
前のハーレイの方が引き出しに鍵が要りそうなのに…。
どうして鍵をつける話を断っちゃったの?
「隠し事は一つで沢山だ」
それ以上あったら隠し切れんな、プライベートな秘密ってヤツは。
「一つ?」
何それ、何を隠していたの?
「分からないか?」
前のお前と恋人同士だったということさ。知られるわけにはいかなかったろ、誰にもな。
その他に何を隠すと言うんだ、わざわざ引き出しに鍵まで掛けて?
ウッカリ鍵つきの引き出しなんぞを貰っちまったら、肝心の秘密がお留守になるぞ。
あれは鍵では守れない隠し事だったんだから、と言われれば、そう。
前のぼくとの恋を引き出しに入れて、鍵を掛けたりすることは出来ない。恋はそういうものじゃない。もしも引き出しに入れられたとしても、そこから溢れて出て来るのが恋。
だって、好きだと思う気持ちは止められないから。
どんどん想いが膨れ上がって、募ってゆくのが恋なんだから。
だからハーレイは引き出しに鍵をつける話を断ってしまったんだろう。
前のぼくとの恋を隠さなければと、そっちの方が遥かに大切だからと。
引き出しの中には入らないものを隠さなければいけないから。気を緩めたら大変だから。
航宙日誌にも一切書かずに、ぼくとの恋を隠し通した。
白いシャングリラが地球に着くまで、前のハーレイの命が終わる時まで…。
「前の俺の鍵は、いわばお前さ」
お前が俺の鍵だったんだ。引き出しに鍵をつけなくても。
「ぼく?」
どういう意味なの、ぼくが鍵って…?
「前のお前だ、前のお前を守るためなら俺は何でも隠せたわけだな」
自分の気持ちも、それ以外のことも。
前のお前が俺だけに明かした秘密なんかも、俺は喋らなかっただろうが。…俺は最後まで誰にも話さなかったぞ、フィシスが本当は何だったのかを。
トォニィが気付いちまった時にも、俺は黙っていただけだ。俺は一切、喋ってはいない。
そうやって守り通した秘密も、今となっては歴史の常識なんだがな。フィシスの生まれも、前のお前がサイオンを与えたということもな…。
「じゃあ、今のぼくは?」
ハーレイの鍵になっているわけ、今のぼくも?
今のハーレイは引き出しに鍵を掛けているけど、今のぼくも鍵の役目をしてるの?
「どうだかなあ…」
鍵だっていう気は全くしないな、今のお前はソルジャー・ブルーじゃないからな。
ただのチビだし、お前、秘密も無いだろうが。
この家に住んでる子供ってだけで、誰もお前に注目したりはしていないしな?
隠すようなことは何も無いからな、って言われちゃった。
残念だけれど、今のぼくは鍵にはならないみたい。前のぼくなら鍵だったのに。
ハーレイが引き出しに鍵をつけるのを断ったくらいに、大切な鍵の役目をしていたらしいのに。
(ちょっぴり残念…)
でも、隠し事なんか要らない時代に生まれたんだし、それでいいかな、と思っていたら。
ハーレイの鍵でなくてもかまわないよね、って考えてたら。
「…待てよ。今でもお前は俺の鍵だな」
間違いない。今のお前も俺にとっては大切な鍵だ。
「どうして?」
隠し事なんか今は一つも無いでしょ、なのにどうして、ぼくが鍵なの?
ぼくがハーレイの鍵になる理由、何処にも無いと思うんだけど…。
「いや、一つデカイのが今もあるんだ」
お前のお父さんやお母さんたちに内緒だ、俺たちのこと。
俺はあくまでキャプテン・ハーレイの生まれ変わりで、お前の守り役なんだろう?
恋人だとは一度も言っていないぞ、しかも当分、秘密だってな。
「ホントだ…!」
ハーレイは何度も来てくれてるけど、パパもママも気付いてないものね。
優しくて親切な先生なんだ、って思ってるだけで、恋人だとは思っていないものね…。
今もハーレイの鍵だったらしい、チビのぼく。
ソルジャー・ブルーみたいに偉くはないけど、ハーレイの鍵になっているぼく。
机の引き出しに掛ける鍵より、ずっと大事な鍵だった、ぼく。
でも…。
「お前は今でも俺の鍵だが、いつかはお役御免になるな」
前と違って、今度は結婚出来るんだ。いつまでも鍵をやってなくてもいいってな。
「うん。パパとママに話してもいい時が来たら、ぼくは鍵ではなくなるんだね」
ハーレイは隠し事をしなくてもいいし、もう鍵なんかは要らないものね。
「うむ。お前は俺の鍵の代わりに、俺の嫁さんになるってわけだ」
結婚式を挙げて、堂々と。お父さんたちにも祝福して貰って、うんと幸せな花嫁にな。
今度こそ俺が守ってやるから、必ず嫁に来るんだぞ?
そしたら家の鍵をやるから、ってハーレイは約束してくれた。
ハーレイの家の玄関を開けることが出来る、銀色をした小さな鍵。
勝手口の方の鍵と一緒に合鍵を作って、キーホルダーに入れて、ぼくに渡してくれるって。
ぼくがいつでも開けられるように、鍵を掛けて家を出られるように。
それに…。
こいつの合鍵も作るとするか、ってレトロな形の引き出しの鍵。
古びた感じに見えるように、と加工してある鍵だけど…。
「ハーレイ、その鍵…」
引き出しの中身は秘密じゃないの?
ぼくが開けたら駄目だから、って言っていたでしょ、冗談だって言い出す前は?
「お前に隠さなければいけないようなものは入れないさ」
隠し事など俺はしないし、そういったものも作りはしない。
しかしだ、一応、鍵が掛かる引き出しになってはいるからなあ…。
出来れば開けないでくれると嬉しいんだがな、俺にもプライバシーがあるってことで。
「開けちゃうかも…」
だって、合鍵はくれるんでしょ?
何が入っているのか覗いてみたいよ、一回くらいは引き出しを開けて。
…駄目……?
「やっぱり、お前は開けるんだな?」
そういう正直なお前も好きだぞ、だからこその合鍵なんだがな。
開けたい時には開けてみればいいさ、俺がどういうつまらないものを入れているのか探しにな。
日記だって読みたきゃ読んだっていいぞ、覚え書きでもかまわないなら。
「それでもいいよ」
ハーレイが書いた日記なんだな、ってページをめくれるだけで幸せ。
結婚式の日くらいは書いてあるんだろうから、そこばかり開いて何度も読むよ。
「こらっ、何度もって…。一度じゃないのか!」
「合鍵は有効に使わなくっちゃね?」
せっかくハーレイがくれた鍵なんだもの。何度でも使うよ、ハーレイの留守に。
家で一人で待っているのが寂しい時には開けてみるんだ、ハーレイが鍵を掛けた引き出し。
そうして引き出しの中身を眺めて、また戻して。
早く帰って来ないかなあ、って鍵を掛けたり、開けたりするんだ。
いいでしょ、ハーレイ?
「参ったな…。そういうおねだりをされちまったら、だ」
うんと言うしかないってな。
好きなだけ開けたり閉めたりしてくれ、それでお前が幸せだったら何も言わんさ。
ただし、お前を喜ばせるような日記を書いてやるほど、俺はサービスしないからな…?
ハーレイは苦笑いしているけれども、ちょっぴり期待しておこう。
ぼくが引き出しを開けるようになったら、日記の書き方が少し変わるかも…。
いつか貰えるらしい鍵。
ハーレイの家の玄関の鍵と勝手口の鍵と、机の引き出しのレトロな鍵。
三つの鍵をキーホルダーに入れて渡して貰って、ぼくはハーレイの日記を読むんだ。
日記が入った引き出しの鍵を、レトロな合鍵でカチャリと開けて。
大好きなハーレイのお嫁さんになって、家の鍵を開けたり閉めたり出来る日が来たら…。
大切な鍵・了
※前のハーレイでも、今のハーレイでも、「大切な鍵」はブルーらしいです。
そんなハーレイの机の引き出しの鍵。いつか合鍵を貰った時には、開けるのがブルー。
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