シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
十四歳の少年として青い地球の上に生まれ変わって来たブルー。前世で恋人だったキャプテン・ハーレイもまた、同じ地球に生まれ変わって三十七歳の学校教師として生きていた。
そのハーレイがブルーの通う学校へ年度初めに少し遅れて赴任してきて、二人は再会出来たのだけれど。ハーレイは前の生よりも頑丈な身体を持っていたのに、ブルーは弱いままだった。聴力は普通でも虚弱な身体。体調を崩しやすくて、欠席や早退はよくあることで…。
ブルーが学校を休んだ時には、ハーレイが様子を見に訪ねて来てくれることが多かった。学校の帰りに見舞いに寄って、ブルーの食欲が無かったりすると野菜のスープを作ってくれる。
何種類もの野菜を細かく刻んで、基本の調味料だけでコトコト煮込んだ素朴なスープ。ハーレイ曰く、「野菜スープのシャングリラ風」。
それは前世でハーレイがブルーのために何度も作っていたもの。ブルーにとっては懐かしい味のスープで、匂いが鼻腔を擽っただけで食べたい気持ちになってくるもの。
今日もブルーは朝から体調が優れず、泣く泣く欠席を余儀なくされた。学校に行けばハーレイに会えて、三時間目には彼が受け持つ古典の授業もあったのに。無理をしてでも行きたかったのに、身体がそれを許さなかった。
丸一日ハーレイの顔を見られないのかとブルーは悲しく、明日は登校出来ますようにと祈りつつ昼間をベッドで過ごした。けれど夕方になっても下がらない微熱。明日も学校に行けそうもない。
(…明日もハーレイに会えないなんて…)
泣きそうな気分でベッドの中で丸くなっていたら、ハーレイが野菜スープを作りに来てくれた。熱いスープを冷ましながらスプーンでブルーの口に運んで一匙、また一匙。
そうやって食べさせて貰い、スープの器が空になったら「頑張ったな」と大きな手で頭を撫でて貰えた。その手に甘えて離れようとしないブルーに「明日も作りに来てやるから」と言い聞かせ、「またな」と手を振ってハーレイが帰って行った後。
明かりを消した部屋で一人になったブルーは、熱で重く感じる身体をベッドに横たえ、遠い過去へと思いを馳せた。
ハーレイが作って食べさせてくれた素朴なスープ。野菜スープのシャングリラ風。
あの懐かしくて優しい味のスープにそんな名前がまだ無かった頃。わざわざ「シャングリラ風」などと名付けるまでもなく、白いシャングリラがブルーの世界の全てだった頃。
何度となくハーレイがスープを作ってくれていた。今の生のように多種多様なスパイスがあったわけもなく、ブイヨンさえも食堂で必要な分だけが作られていた頃。ブルーが寝込んでいるからといって、そうそう特別なメニューを何食分も用意出来るだけの余裕は無かった。
ハーレイの野菜スープはそんな中で生まれ、ブルーはその味が大好きになった。シャングリラの食堂のクルーや物資に余裕が生まれてブルーのために病人食を作れる時代になっても、ハーレイが作る素朴なスープがブルーの身体には一番合った。
スープを作り始めた頃には、まだ結ばれてはいなかったハーレイ。恋人同士でさえなかった筈のハーレイだったが、とうにお互い、惹かれ合い、大切な存在なのだと感じ始めていたのだろう。
ブルーを気遣うハーレイが作ってくれた味。想いが通じ合うよりもずっと前から、ハーレイとの間を結んで繋いでくれていた味。
だからこそブルーは何よりも自分の身体に合う味として特別に思い、あのスープが食べたかったのだろう。身体が弱ってしまった時に、その身に宿る魂を充足させてくれる大切な栄養源として。衰弱した身体をその内側から蘇らせるために欠かせない、心を満たす食べ物として…。
青の間の小さなキッチンを使って、ハーレイが作ってくれた野菜のスープ。キャプテンとしての仕事が忙しい時でも、必ず作りに来てくれた。時間をやりくりしてブルーだけのために。
ブルーの身体がすっかり弱って眠っている時の方が多くなっても、目覚めればハーレイが野菜を刻む音が聞こえて、優しい味のスープが飲めた。食事を受け付けられない状態の時も、あのスープだけは喉を通った。
そういった日々さえ間遠になって、とうとう長い眠りに就いて。
夜毎、ブルーの手を握っては日々の出来事を語り聞かせるハーレイの声だけを遠く近く聞いて、ほんの一瞬の星の瞬きのようにも思えた長い長い眠り。
その眠りから覚めたと思ったら、其処に穏やかな日々は無かった。
ブルーは青の間に一人きりで居て、ハーレイの気配も感じない。代わりに青の間の静けささえも掻き乱すほどの不穏に過ぎる何者かの存在と、混乱の渦に陥ったシャングリラと。
何が起こったのかも分からないままに、よろよろと青の間から外へ出た。満足に動いてくれない身体で長い通路を歩く間に、把握した事態。
地球の男。
ミュウに、シャングリラに、不吉な死の影を投げ掛けつつある黒い髪の男。
弱った身体に鞭打ちながら先回りをして、格納庫で彼を倒そうとした。メンバーズ・エリート、キース・アニアン。
彼こそが自分に死を運んで来た使者だとも知らず、ミュウの未来のためだけに。
仕留め損なってしまったキース。
シャングリラから首尾よく逃れた彼は、メギドを携えて戻って来た。
彼が戻るまでの時間は慌ただしく過ぎて、仲間たちをナスカから脱出させるために多忙を極めていたハーレイは野菜スープを作る僅かな時間さえも捻り出すことが出来なかった。
「すみません、ブルー。…あなたがお目覚めになったのに…」
こんな時にこそスープを作って差し上げたいのに、と見舞いに訪れたハーレイを覚えている。
「かまわないよ。…また今度、船が落ち着いたら作って欲しいな」
「ええ、必ず。ナスカを離れて、あの男の追跡を無事に振り切ったら作りに来ます」
「ありがとう。…此処で楽しみに待っているから」
そう告げながら、心では「ごめん」と謝っていた。予知能力は大して無かったけれども、二度とハーレイの作る野菜スープを味わえないことが分かっていたから。
自分の目覚めは地球の男を倒すため。…そして自分の命も其処で尽きる、と。
ブルーの悲しい予感は当たった。
メギドを携えて戻ったキース。第一波を受ける前からそれを感じ取り、シャングリラを離れた。
ハーレイに次の世代を託して、最後に彼の腕に触れた右手に残った温もりだけを大切に抱いて、ブルーは死が待つメギドへと飛んだ。
どんな運命が待っていようとも、ハーレイの温もりがあれば充分だった。自分は決して一人ではないと、ハーレイの温もりと共に在るのだと、死を受け入れるつもりでいた。
それなのに…。
キースに撃たれた傷の痛みがハーレイの温もりを消してゆく。弾が身体に食い込む度に温もりは薄れ、右の手が冷たくなってゆく。
最後に右の瞳を撃たれた激痛。それが完全に消してしまった。ブルーが最期まで共に居たかったハーレイの温もりを、右の手に大切に持ち続けていた優しすぎる温もりの最後の欠片を。
(…ハーレイっ…!)
失くしてしまった。ハーレイの温もりを失くしてしまった。
自分は独りきりになってしまった、と青い閃光が溢れるメギドでブルーは泣いた。凍えて冷たくなった右の手。ハーレイの温もりは何処にも無くて、ブルーは独りぼっちになった。
もう会えないと、ハーレイには二度と会えないのだと泣きじゃくりながら、凍えてしまった右の手が冷たいと泣きじゃくりながら、青い閃光に包まれてブルーは死んだ。
凍えた右手と自分が流した涙を最後に、前の生の記憶はプツリと途切れる。
気が付けば両親と戯れる幼い自分。
歩き始めて間もない頃か、それとも初めて歩いた日なのか。光が溢れる今の家の庭で、父と母が手を差し伸べていた。そちらに向かって懸命に歩く。今よりもずっと小さな足で芝生を踏みしめ、父と母の腕の中を目指して。
それが一番最初の記憶で、そこから優しい時が始まる。
父の肩車ではしゃぎながら回った動物園。両親としっかり手を繋いで出掛けた遊園地。浮き輪を引っ張って貰って泳いだ気分になっていた海や、お弁当を広げた郊外の山。
数え切れない両親との思い出、友人たちと遊んで笑い合った日々。
沢山沢山の幸せな時間がブルーの上を流れて、そうして再びハーレイと出会う。
今でこそ自然に繋がってしまった記憶だけれども、ブルーの中には微かに残っていた。後に聖痕現象とされた右の瞳から流れた血。両親に連れて行かれた病院の医師から、ソルジャー・ブルーの生まれ変わりではないかと言われて恐ろしくなった。
自分が自分でなくなるのでは、と考える度に怖くて震えた数日間。
ソルジャー・ブルーになど、なりたくなかった。十四歳の自分のままが良かった。
そう思って震え続けていたのに、そのすぐ後に幸せな日々がやって来た。
自分は変わらず十四歳の少年のままで、それなのに前世の記憶がきちんとあって、前世で愛した恋人までがついてきた。
前世の自分がもう会えないと泣きじゃくりながら死んでいった恋人、キャプテン・ハーレイ。
今の生ではブルーが通う学校の教師で、学校で呼ぶ時はハーレイ先生。
家に来てくれて二人で過ごす時には、前の生と同じでハーレイ。
二度と会えないと思った筈のハーレイに、ブルーは再び会うことが出来た。
遠い日にメギドで失くしてしまった筈の温もりが右の手に戻り、独りぼっちではなくなった。
前世の自分が死んでしまってから、今の自分が生まれるまでの長い長い時間。
ハーレイたちがシャングリラで辿り着いた時には死の星だった地球が蘇り、青い水の星となって人が暮らせるようになるほどの時が、気付けば流れ去っていた。
気が遠くなりそうなくらいに長い時間が通り過ぎてゆく間、自分は何処に居たのだろう?
前にハーレイが言っていたとおり、時を待っていたのであれば…、とブルーは祈るように思う。
ブルーにはブルーの、ハーレイにはハーレイの、それぞれの前の生での姿とそっくり同じに育つ器が生まれてくるまで、自分たちは時を待ったのだろう、とハーレイは語った。
そのとおりなのだと思いたい。ハーレイと二人、待ち続けたのだと信じたい。
何処に居たのかは分からないけれど、自分たちは共に居たのだと。
どうかハーレイと離れることなく、長い時を共に越えて来たのであるように…、と。
(…そうでなければ悲しすぎるよ)
これほどの時が経つまで離れ離れで過ごしたなどとは思いたくない。
きっと二人で何処かに居たに違いない。生まれ変わる時には不要だからと神がその記憶を消してしまっただけで、共に過ごした幸せな時が必ずあったに違いない、と。
(……でも……)
ブルーはハーレイの姿を思い浮かべた。
自分は死んで直ぐに長い長い時を越えたけれども、ハーレイは?
前の生でブルーよりも長く生きた分、悲しみを抱え続けたであろうハーレイは…?
ブルーを喪った後のハーレイはどれほどに辛く、悲しい時を生きたのだろう。自惚れるわけではないのだけれど、自分がいなくなった後のハーレイの魂は死んだも同然ではなかったろうか。
ブルーが次の世代を頼むと告げなかったなら、ハーレイは追って来たかもしれない。
キャプテンの責務もシャングリラをも捨て、メギドまで追い掛けて来たかもしれない。ブルーを独りで逝かせないために、自分も共に逝くためだけに。
けれど、ハーレイはそうしなかった。ブルーの遺言がそれを許さなかった。
恐らくはブルーが遺した言葉を守るためだけに、ハーレイは生きた。ブルーがいなくなった後のシャングリラで、ただ一人、恐ろしいほどの孤独を噛み締めながら。
ブルーが独りきりになってしまったと泣きじゃくりながら死んでいったように、ハーレイもまた独りきりになった。ブルーのいない船に一人残され、それでも生きてゆくしかなかった。
孤独の中でブルーの遺言だけを守って生きたハーレイ。
ただ独りきりで、何年間もの戦いの時間をハーレイは生きて、そうして死んだ。
時には笑うこともあっただろうけれど、孤独は癒えなかっただろう。
ハーレイは独りきりだったから。ブルーを失くして独りきりになってしまったから…。
広いシャングリラに一人残されたハーレイが味わった孤独を思うと、この地球にハーレイが先に生まれて来ていて良かったのだ、と心から思う。
ブルーよりも先に生まれたがゆえに、前の生で別れた時そのままの姿をしたハーレイに出会えたことも大切だけれど、何よりも…。
ハーレイもまた自分のように、自らの死で途切れた記憶の後に今の生の記憶が挟まるのならば。
地球の上に生まれてから前世の記憶を取り戻すまでの時間が間に入るのならば…。
今の生で過ごした幸せな日々が長ければ長いほど、ハーレイの傷の痛みは薄れるだろう。
ブルーを喪ってからの辛い時間を、今の生での時間が癒してくれるだろう。
家族や友人たちと過ごした日々の記憶、好きな柔道や水泳に夢中になって打ち込んだ時間。
ブルーが生まれて来るよりも遙かに前に生まれたハーレイは、沢山の思い出を持っている筈だ。
(…うん。色々と話してくれたものね)
再会してから今日までの間に聞いただけでも、充実した今のハーレイの生。
そのハーレイが時折、特に理由もなくブルーの身体を強く抱き締めていることがある。
「なんでもないさ」「甘やかしてやっているだけだ。嬉しいだろう?」と言っているけれど…。
ああした時にハーレイが前の生を思い、失くしてしまったブルーの温もりを求めているのなら、心に刻まれた深い深い傷を癒すためには幸せな記憶が沢山要る。
自分は間違いなく生きているのだと、この地球の上にブルーと共に生きているのだと、その心に強く訴えかけてくれる今の生での幸せな時が。
(…ぼくでも、今も悲しいんだから…)
ハーレイの温もりを失くしたと泣いて、右の手が冷たいと泣きながら死んだ前世の自分。
それを最後に時を越えたのに、今でも夢に見て悲しくて泣いて目が覚める夜がたまにある。
前の生でハーレイと別れて飛び立ってから、メギドでの死を迎えるまでには数時間しか無かっただろう。もしかしたら一時間も無いのかもしれない。
その自分でさえ夢を見る。独りぼっちになってしまったと泣いていた自分の夢を見てしまう。
悲しくて辛く、涙が零れてしまう夢。
今の生の十四年分もの幸せな時を持っていてさえ、此処にいる自分は幻なのかという恐怖に心を支配されてしまう。あまりの怖さに泣きながら眠り、無意識のうちにハーレイの家まで瞬間移動をしてしまった事件があったくらいに。
死んだ直後に、独りきりになってしまった直後に時を越えた自分でも、これほどまでに前の生の悲しみに囚われて泣いてしまうのだから。今の生は夢か幻なのかと怯えるのだから…。
ブルーよりも長い孤独の時を生きたハーレイには、きっと自分よりも沢山の今の生の時間が必要だろう。確かに今を生きているのだと教えてくれる多くの記憶が。幸せに満ちた時の記憶が。
だから、ハーレイが先に生まれて来ていて良かった。
自分よりも先に地球に生まれて、沢山の幸せの中で生きていてくれて本当に良かった…。
(…神様はきっと、それも考えていてくれたんだよね)
ハーレイの方が先に生まれて、前の生で辛い思いをした分も幸せな時間で埋められるように。
すぐに時を越えた自分よりも長い時を独りきりで生きていた分、それを埋め合わせられるだけの時間を幸せの中で過ごせるように。
ブルーには十四年分の地球での時間。両親や友人たちと過ごした時間。
ブルーよりも長く孤独の時間を過ごしたハーレイには三十七年分の地球での時間。ブルーの分の二倍どころか、更に十年近くも多めの時間。
(…そんなに沢山の時間が要るほど、ハーレイは独りぼっちで辛かったんだ…)
ごめん、とブルーは小さく呟く。
君を独りぼっちにさせてしまって、シャングリラに残して行ってしまって本当にごめん、と。
そういったことを考えながら眠りに落ちたブルーだけれど。
次の朝、目が覚めて新しい日がブルーを迎えてくれると、前の生の記憶に根ざした思いは薄れて朝の光に溶ける。
ハーレイの辛さに想いを馳せていた時間の記憶も、十四歳の子供の心の弾けるような輝きの前に薄れてしまって何処かに消える。
そしてブルーは無邪気に待つ。
今日もハーレイが懐かしい味の野菜のスープを作りに訪ねて来てくれるのを…。
必要だった時間・了
※ハーレイとブルー、前世の記憶を取り戻す前に過ごした、それぞれの時間。
悲しみの記憶を補えるだけの幸せを貰ったのでしょう。心の辛さが癒えるように…。
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