シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
気付けば青の間に独り立っている。海の底を思わせる静謐な空間は主の眠りを守るためのもの。整えられたベッドは常のとおりなのに、其処に彼の人の姿は無い。
(ブルー…)
ハーレイは人が眠った痕跡すら無い大きなベッドを、唇を噛んで見下ろしていた。
此処で眠っていた筈の恋人。深い眠りに沈んではいても、訪れれば姿を見ることが出来た。声も思念も返らなくても、その手を握って日々の出来事を、彼への想いを語ることが出来た。
誰よりも美しく、気高かったミュウの長、ソルジャー・ブルー。その座を後継者に譲ってもなおソルジャーと呼ばれ、崇め敬われたミュウたちの神にも等しい存在。
ハーレイもまた彼を人前で呼ぶ時は「ソルジャー」だったし、それが当然だと思っていた。その尊称で彼を呼び続けた自分たちが道を間違えたのか、ブルー自身が心に決めていたのか。ブルーは最後までソルジャーだった。ソルジャーの務めを果たすためだけに行ってしまった。
二度と帰っては来られない場所へ。死が待つだけのメギドへ向かって。
(…そしてあなたは逝ってしまった…)
ハーレイの固く引き結んだ唇が歪み、堪えていた涙が頬を伝った。
逝ってしまった。自分を残して逝ってしまった。
いつまでも共にと誓ったのに。恋人同士になった時から何度となく繰り返し誓ったのに。
自分たちは何処までも共に在るのだと、その手を決して離しはしないと。
(…それなのに、あなたは逝ってしまった…)
固く繋いだ手を振りほどくように、別れの言葉すら告げることなく。
次の世代を支えてくれ、とハーレイの腕に触れた手から思念で送り込んだだけで、何も言わずに飛び去って行った。
(…どうしてあの手を掴まなかった…)
そうしていれば、とハーレイは悔やむ。
たとえその手を掴んだとしても、ブルーならばサイオンを使って瞬時に自由になれるけれども。それでも肉体の力ではハーレイが勝る。あの瞬間にブルーの手首を捕えていたなら、彼を喪わずに済んだかもしれない。留め置くことが出来たかもしれない…。
(ブルーが生きたいと願うとしたなら、それは私と…)
何処までも共に、とブルーも応えた。だから自分が止めていたなら、ブルーは生き残る道を模索したかもしれない。
全てが終わってしまった後で、ジョミーは確かに言ったのだ。自分がメギドへ飛ばなかったからブルーを喪うことになった、と。ブルーに止められても追うべきだったと、ナスカで無駄に時間を使う代わりにブルーを追い掛け、二人で戦うべきだったと。
(どうして止めなかったのだ…。ブルーの決意が分かっていたのに、どうして私は…)
死なせると知っていてブルーを行かせた。それが正しいのだと信じていた。
けれど心は揺らぎ続ける。ブルーを生き残らせる道が何処かにあった筈だと己の判断の愚かさを呪う。本当にあれで良かったのかと、キャプテンとして正しい選択だったかと。
(…それに、どうして追わなかった…)
キャプテンの自分には出来る筈もない、けして許されはしない選択。それはブルーを追ってゆくこと。一直線に死へと飛んでゆくブルーを追ってメギドへ飛ぶこと。
そうすればブルーと共にいられた。戦闘能力は皆無であっても、防御能力ならブルーのそれにも匹敵する。メギドでブルーの盾となるべく飛んで行っても、足手まといになることはない。自分が盾になりさえすればブルーは有利に戦えただろう。
(…そして最後までブルーを守れた…)
ブルーがどういう戦い方をしたのかは分からないけれど。人類側の情報を解析したからメギドが沈んだということは分かる。ブルーの身体を消してしまったメギドの爆発。自分の力でも爆発からブルーを守れはしないが、それでも抱き締めて包みたかった。ブルーと共に逝きたかった。
(私は馬鹿だ……)
救いようのない愚か者だ、と青の間に独り、ただ立ち尽くす。
この世の誰よりも愛したブルーが死へと飛び去る背中を見送っただけで、止めもしなければ共に逝く道も選ばなかった愚か者。あまりにも自分が愚かだったから、こうして此処に立っている。
青の間にブルーはいなくなってしまい、自分だけが独り立ち尽くしている…。
(ブルー……)
もういない。何処を探してもブルーはいない。
この青の間に来ても自分は独りで、この先も、ずっと。
ブルーが遺した言葉を守ってジョミーたちを支え、地球に着くまで。
いつの日か地球に辿り着くまで、逝ってしまったブルーを追ってはゆけない。
そう、いつの日にか地球に着いたなら…。戦いが終わり、キャプテンとしての自分が不要になる日が来たなら、ブルーの許へ。この忌まわしい生に終止符を打って、そしてブルーに…。
「いけないよ」
ブルーの声が聞こえた気がした。
「君はまだこっちに来てはいけない。君は生きて。…ぼくの分まで」
ああ、ブルーならばそう言うだろう。死んで自分を追って来いとは言いはしないし、望んでなどいない。けれど自分はブルーを追い掛けて逝きたいのだ。
たとえブルーが望まなくても、その逆が彼の望みであっても、それこそが自分の本当の…。
「ハーレイ?」
背後から呼び掛けて来たブルーの声。心の中にだけ聞こえる幻ではない、とハーレイの補聴器に覆われた耳が感じ取り、弾かれるように振り返った。
「どうしたの、ハーレイ?」
其処にブルーが立っていた。
逝ってしまった彼の人ではなく、まだ少年の姿のブルー。
十四歳の幼いブルーがハーレイを見上げ、小首を傾げて問い掛けて来た。
「ハーレイ、どうして泣いているの?」
「…あなたが…。あなたが何処にも見えませんでした」
涙を拭ってブルーを見詰める。小さいけれども幻ではなくて、本物のブルー。自分の願いが紡ぎ出した儚い存在ではなく、命と身体を伴ったブルー。
幼いブルーが「此処にいるよ」と微笑んだ。
「ハーレイ、ぼくなら此処にいるよ?」
ずっといるよ、とブルーはか細い両腕を一杯に広げ、ハーレイにギュッと抱き付いて来た。
「ぼくはずっといたよ? ぼくは何処にも行かないよ」
ブルーから伝わる確かな温もり。その鼓動までが薄い胸を通して伝わってくる。
生きている。ブルーは生きて目の前にいる…。
(…ああ、お前だ。……俺のブルーだ)
ハーレイは小さな身体を力の限りに抱き締めた。小さなブルーが「痛いよ」と声を上げても腕を緩めず、己の胸へと強く抱き込んだ。
「苦しいよ、ハーレイ」
「頼む、このままでいさせてくれ。ああ、本当にお前なんだな…」
生きてるんだな、と小さなブルーを抱き締めたままで涙を流す。先刻までの後悔と悲しみの色に染まった涙とは違う、喜びの涙。喪った筈のブルーが戻って来てくれた、と嬉しさのあまりに泣き続ける。
ブルーがいる。自分の腕の中にブルーがいる…。
其処で目覚める時もあったし、小さな身体を抱き締めすぎて「ハーレイのバカッ!」とブルーに叫ばれ、「すまん」と謝りながら目覚める時もあった。
全ては夢の中での出来事。
遠い昔に失くしたブルーは帰って来たし、ハーレイも地球に生まれ変わった。
十四歳の小さなブルーと、彼が通う学校の教師のハーレイ。
辛く苦しかった日々は前の生であり、今はブルーと二人、幸せな時を生きている…。
そんな夢を何度見ただろう。青の間で、ブリッジで、公園や誰もいない通路で。ブルーを喪った悲しみに囚われ、その面影を求めて彷徨い、あるいは立ち尽くすハーレイの前にヒョイとブルーが現れる。十四歳のブルーが微笑み、抱き付いてくる。
小さなブルーを抱き締めてハーレイの悪夢は終わるし、目覚めればブルーが生きている世界。
ごくたまにブルーが現れないまま泣き濡れて目覚めることもあったが、大抵はブルーが出て来て助けてくれた。後悔に苛まれる世界は夢だと、生きた自分がいるのだからと。
それがハーレイが見る夢の結末。
前の生の記憶を取り戻してから見るようになった悲しくて苦しい夢の終わり方。
目覚めたハーレイは眠り直したり、時間によっては起きたりする。朝が来れば夢とはまるで違う世界がハーレイを迎え、十四歳のブルーに出会える。
学校で制服のブルーに会ったり、ブルーの家を訪ねて過ごしたり。
まるで夢のような、前世でブルーを失くした自分が見たなら夢としか思わないだろう幸せな時。
しかし、その夢の世界こそが現実の世界。
自分もブルーも青い地球に生まれ、巡り会って記憶を取り戻した……。
そういう幸せに満ちた世界で過ごしてゆく中、ある日ブルーに尋ねられた。休日にブルーの家を訪れ、ブルーの部屋で向かい合って話していた時に。
「ねえ、ハーレイ。…ハーレイは怖い夢って見ないの?」
赤い瞳が見上げてくる。
「怖い夢?」
「うん。…ぼくはメギドの夢を見るけど、ハーレイはそういう夢は見ないの?」
前の自分だった時の怖い夢。
ブルーの問いにハーレイは「俺も見るな」と頷いた。
「お前の夢の怖さとは全く違うが、青の間に行ってもお前がいない。…シャングリラの中の何処を探してもお前が何処にも居ないんだ」
「そうなんだ…。ハーレイも泣く?」
泣くの? とブルーが首を傾げる。
「ハーレイも夢の中で泣く? 怖くて泣いてしまったりする?」
「いや、俺は……」
ハーレイは少し間を置いてから穏やかな笑みを浮かべて続く言葉を口にした。
「俺はお前に助けられるな、いつもお前が来てくれる」
本当はブルーが現れずに終わる夢もあるけれど、ブルーが現れる夢に救われているから微笑んで言った。あれほど心強い援軍は何処にも無い、と。
「そっか…。いいな、ハーレイは大人だからかな?」
羨ましいな、とブルーが寂しそうな顔で俯く。
「ぼくはハーレイ、来てくれないよ…。いつだってメギドで独りぼっちなんだ」
赤い瞳が少し潤んで、ブルーは小さな拳で目元を拭った。
ハーレイの胸がズキリと痛む。前にメギドの夢を見た後、ハーレイの家へ無意識の内に瞬間移動してきたブルー。その恐ろしい夢の世界でブルーはいつも独りきりなのか。誰も現れず、助けにも来てくれないメギドでブルーは独りで死んでゆくのか…。
何故だ、とブルーが見る夢の惨さを思って気が付いた。
自分の悪夢とブルーの悪夢と。どちらも悪夢には違いないけれど、その状況が違うのだ。自分はブルーがいない時間を長く生きたが、ブルーの方は…。
ハーレイは向かい側に座るブルーを手招きした。自分の膝の上に座るように、と。
「…なあ、ブルー」
膝の上に座ったブルーをそっと抱き締め、柔らかな頬を撫でてやる。
「お前の夢に俺が出てこないのは、お前が子供だからではないさ。…時間のせいだ」
「時間?」
怪訝そうな顔のブルーに「そうだ」と答えた。
「夢に見ている世界で過ごした時間の長さが違うだろう? …お前はメギドで独りきりになって、そのまま直ぐに死んじまった。右手が冷たくなったと泣いていた時間は短かっただろうが」
「うん、多分…。ぼくにとっては長かったけれど、一瞬か、長くても何分間か」
「長かったとしても、お前は数分。…俺はお前のいない時間を独りきりで何年も生きていたんだ。そして何度も考えた。こんな時にお前ならどうするだろう、何と言ってくれるのだろうと」
お前の声を、お前の姿を追い続けていた、とハーレイはブルーに教えてやる。自分の標はブルーだった、と。
「俺にしか聞こえないお前の声を聞いていたのさ、俺もお前に呼び掛けていた。声に出したことも何度もあったな、お前が其処に居るかのように。…もちろん人のいない場所で、だ」
でないと正気を疑われる、と自嘲の笑みを浮かべてみせた。
「俺の部屋だとか、青の間だとか…。何度お前を呼んだか分からん。…そういう時には俺の心に、お前の声が聞こえたもんだ。まるでお前が生きているように、お前そのものの声が聞こえた」
「ぼくが返事をしてたのかな? …覚えてないけど」
「それは分からん。俺が自分で都合のいい答えを聞いていたっていうのが真相だろうが…。だが、俺はお前と語り合うのを想像しながら生きていたんだ、それが習慣になっていた」
だからお前に出会えるんだろうな、夢の中でも。
語り合うのが常だったから、とハーレイはブルーを胸に抱き寄せた。
「俺に都合のいい幻だろうが、俺はお前と生きていた。失くした筈のお前を俺の側に置いて、独りきりの辛さを癒していた。…その幻が今のお前と置き換わるんだな、俺の夢の中で」
「…だったら、ぼくがハーレイに会うのは無理なの? ぼくはメギドで、もうハーレイには二度と会えないって泣きながら死んでしまったから…。会えないままの夢しか見ないの?」
「そうじゃない。時間の長さだと言っただろう? お前は俺が来てくれたらと考える暇もないまま死んじまったから、そう簡単には俺は出ないさ。…しかしだ、俺が居るのが当たり前の生活が長く続けば変わるんじゃないか? これは夢だ、と気が付くとかな」
そういう夢もあるだろうが、とブルーの銀色の髪を優しく撫でる。
「学校に遅刻しちまった夢の世界で今日は休みだと思い出すとか、お前には無いか?」
「たまに間違えてバスに乗るよ。学校と反対の方へ行くバス」
ブルーは「ふふっ」と笑みを零した。
「早く降りなきゃ、って慌ててる時に思い出すんだ。ぼく、寝てたっけ、って。…そっか、いつかあんな風に夢の途中で気が付くようになるんだね。でも、ハーレイに会う方がいいな」
夢の中でハーレイに会える方がいいな、とブルーがハーレイの胸に甘える。
「メギドが夢だと気付くのもいいけど、ハーレイが見てる夢みたいなのを見てみたい。ハーレイが出て来て「これは夢だ」と言ってくれるとか、そういうのがいい」
「そうだな、俺も行ってやりたい。…お前を守りに。お前を夢から助け出しに」
出来るものなら行ってやりたいとハーレイは心の底から思った。いつも自分を悪夢の底から救い出しに来てくれる小さなブルー。自分もブルーの夢の中に行って、メギドから救ってやりたいと。前の生では叶わなかった分、せめて夢では救いたいと…。
小さなブルーは自分が守る。今度の生では必ず守る、と固く誓いを立てている。だからブルーの夢の中でも守ってやりたい。それが叶うよう、ブルーを抱き締めて優しく言い聞かせた。
「いつかきっと、お前の夢の中にも俺が現れるようになると思うぞ。俺はお前を必ず守ると誓っただろう? お前がそれが普通なんだと思うようになった頃には、きっと……な」
「そうなるといいな…」
「絶対になるさ。俺はお前の側に居るんだし、お前のピンチに助けに行かない筈が無い」
俺を信じろ、とブルーの額に口付けた。
「夢だと教えに行ってやるから。…お前が撃たれる前に教えてやるから」
「弾を受け止めてはくれないの? ハーレイの力なら充分出来るよ」
「それもいいな。それでこそお前を守れるわけだな、この俺が」
よし、とハーレイはブルーの小指に自分の小指を絡ませた。
「約束だ、ブルー。いつか必ずお前の夢の中に行ってやるから。いいか、この約束を覚えておけ。メギドの夢を見たら思い出すんだ、俺と約束していたことをな」
「…そしたらハーレイが来てくれる?」
「ああ。お前と約束していただろう、と出て行ってやるさ。お前を守って助け出すために」
「…うん……」
約束だよ、とブルーがハーレイの手に頬を擦り寄せながら。
「撃たれる前に弾を止めてね、あの夢はとても痛いから…。夢なのに痛くて、ハーレイの温もりが消えてしまって悲しいから…」
ぼくの右手、と今も夢の中では冷たく凍えるという右手がハーレイの褐色の手に重ねられ、その温もりを味わっていたのだけれど。
「あっ、そうだ!」
いいことを思い付いたようにブルーの顔がパッと輝いた。
「ねえ、ハーレイ?」
甘えた声がハーレイの鼓膜を心地よく擽り、ハーレイは自然と笑顔になる。
「なんだ? どうした、妙に嬉しそうだが?」
「ハーレイ、約束してくれたよね? ぼくの夢の中に来てくれるって」
「したぞ。お前がそいつを忘れさえしなきゃ、必ず助けに行ってやるさ」
「それなんだけど…」
一つお願い、とブルーの瞳が期待に満ちた煌めきを湛えた。
「いつかハーレイが来てくれるんなら、キースが撃つ前に来てくれる?」
「ふむ…。どのタイミングで撃つのか知らんが、間に合うように行けばいいんだな」
「そう! それでね、キースを格好良く投げて欲しいんだけど」
ハーレイ、柔道が得意だよね? とブルーは憧れのヒーローを見る瞳で言った。
「夢の中だから、きっとハーレイの方がキースより強いと思うんだ。だから投げてよ、格好良く! そしたら二度とメギドの夢を見なくなるかもしれないし!」
「そう来たか…。お前がメギドの夢を見なくなると言うなら努力してみよう。お前の注文どおりに投げるんだったら一本背負いか、まあ、やってみるが…。って、こら、お前!」
それはお前の夢だろうが、とハーレイはブルーの頭をコツンと拳で軽くつついた。
「お前が見ている夢の中なんだ、俺じゃなくってお前が頑張る所だぞ。俺の方がキースより強いと信じた上でだ、うんと格好いい俺を想像してくれ。そうすれば出来る」
「…ホントに出来る?」
「今は駄目でもいつかはな。約束しただろ、俺はお前を守るんだ。今度は必ず守ってみせる。夢の中でも守らせてくれ。…いいな?」
ブルー、お前は俺を信じろ。俺はお前の側に居るから。
お前が悲しい夢を見ないよう、俺が全力で守ってやるから。
…俺だけがお前に助けられるなんて、夢の世界でも俺は御免だ。
いつか必ず助けに行く。お前を助けにメギドまで行く。たとえお前の夢の中でも……。
悪夢から救う者・了
※ハーレイが悪夢に捕まった時はブルーが救いに来てくれるのです。夢の世界のブルーが。
けれど、ブルーの悪夢には現れないハーレイ。きっといつかは来てくれますよね。
←拍手してやろうという方は、こちらv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
- <<夢を売ります
- | HOME |
- 好き嫌いを探しに>>