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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

残ったウサギ

(一生の不覚というヤツか…)
 思い出しちまった、とハーレイは溜息をついて頭を振った。
 一生どころか二生の不覚と言うべきか。そんな言葉があるかどうかは謎だけれども。
(しかし、確かに二生目だしな?)
 一度目の生を生きた自分は死んでしまった。遠い昔に、この地球の深い地の底で。
 今の自分は二度目の生を生きている。人の人生を一生と言うなら、二生目と言っていいだろう。
(そいつは有難いことなんだが…)
 思いがけずも前世の記憶が戻って、二度目の生だと気が付いた。しかも恋人までついて来た。
 前の生で愛したソルジャー・ブルー。
 気高く美しかったブルーは十四歳の少年になって戻って来た。青い地球の上で巡り会えた。前の自分が辿り着いた時には死の星だった、母なる地球。その地球が命を取り戻した後で。
 まだ十四歳にしかならないブルーは幼すぎるから、伴侶には迎えられないけれど。
 それでも守り役という名目の下に、平日だって仕事が早く終わりさえすれば家へ会いに行ける。
 今日は生憎、寄れなかったから、一人の夕食。
 とはいえ一人暮らしは長いし、料理も好きだし、それなりに楽しい時間を過ごした。ところが、後片付けを済ませて、コーヒーでも、と思った途端に降って来た記憶。普段は忘れている記憶。
 前の自分のものならまだしも…。
(今の俺のでもあるんだ、これが)
 情けないような、悲しいような。さりとてどうにもならない記憶。
 思い出したら、あれやこれやが一気に蘇って来るものだから。
(うーむ…)
 複雑な顔をするしかなかった。よりにもよってコレなのか、と。



 愛用のマグカップにコーヒーを淹れて、書斎に行って。
 机の前に腰掛けてもなお、何処へも行ってはくれない記憶。一向に消えてくれない記憶。
(まったく…)
 俺としたことが、と「二生の不覚」と心の中で繰り返しながら、一冊の本を棚から取り出した。
 白いシャングリラが表紙に刷られた写真集。船の中の写真も多く収められた豪華版。
 「お揃いだよね」と小さなブルーの声が聞こえた気がするけれど。
 この写真集を見付けて教えてやったら、ブルーも父に強請って買って貰って大切にしているのだけれど。懐かしい船体や船内が載った写真集は自分も気に入っているのだけれど…。
(まさかこういうことになるとは…)
 パラパラとめくって開いたページに、トォニィの私室。最後のソルジャーだったトォニィ。
 彼の部屋の窓辺に置かれた宝物たち、それが非常に問題だった。
 人類との戦いの最中に死んでいったアルテラ、彼女が遺したボトルはトォニィらしくていい。
 アルテラ自身はそれが形見になるとも思わず、トォニィに渡しただけなのだけれど。
 「あなたの笑顔が好き」と書き入れただけだけれども、そのメッセージは今の時代にも伝わっていた。アルテラが書いた筆跡そのまま、意中の人に渡すカードに印刷されていたりもする。
(こいつはいいんだ、こっちの方は…)
 トォニィの想いも、アルテラの想いも愛の形として残ったから。
 けれども、ボトルの隣にあるもの。チョコンと座った木彫りのウサギに見えるもの。



(こいつはウサギじゃなかったんだが…)
 前の自分が彫った木彫りのナキネズミ。
 初めての自然出産児だったトォニィのために、と部屋で、ブリッジでせっせと彫った。木彫りはとても好きだったけれど、評判の方はよろしくなくて。
(実用品のスプーンとかなら、欲しがるヤツも多かったんだが…)
 何かを象った作品の方は、悉く散々な評価を受けた。
 ヒルマンの注文で彫ったフクロウも「これはトトロだ」と酷評された。お蔭でSD体制が始まるよりも遥かな昔の『となりのトトロ』という心温まる映画を知りはしたけれど…。
 下手くそな木彫りで得をしたことは、トトロの映画だけかもしれない。それほどに酷い木彫りの腕前、トォニィのために彫ったものとて例外ではなく。
(ナキネズミのつもりだったんだがなあ…)
 ミュウが開発した生き物。ネズミとリスを掛け合わせたもの。
 それこそが新しいミュウの時代を担う子供に相応しい、と意気込んで取り組んだ作品なのに。



(何処で間違えちまったんだか…)
 木の塊に下絵を描いた段階では、間違いなくナキネズミだったと思う。
 まるでリスのような大きな尻尾に、首の周りのフサフサの毛皮。少し尖ったその顔も。
 けれどもナイフを手にして彫り始めて行ったら、どうにも上手くいかないバランス。尖った顔は再現できたが、やたらと長くなった耳。代わりに尻尾が短くなった。申し訳程度の長さの尻尾。
(俺も変だとは思ったんだ…!)
 なんとかナキネズミらしくならないものか、とブリッジで工夫していたら。
 間の悪いことに、ブラウがやって来た。それも足音を忍ばせて。
 「カリナが子供を産んだって?」と声を掛けられたが、慌てて木彫りを背中の後ろに隠したが。
 ブラウは最初から全て見ていたらしくて、隠すだけ無駄というものだった。
 ステルス・デバイスがどうのこうのと、シャングリラに纏わる連絡事項を伝え終わると、改めて覗き込まれた背後。「それを出しな」と、「見てたんだから」と。
 そして言われた、「ウサギかい?」と。「ナキネズミだ!」と主張したものの、自分でも自信が持てない作品。ブラウが納得するわけがない。
 「どの辺がどうナキネズミだい?」とニヤニヤしながら、しげしげ見られた。耳も尻尾もウサギそのもの、ナキネズミらしさの欠片も無いと。
(これがナキネズミなら、ウサギに対する認識ってヤツを改めなきゃね、とまで言いやがって!)
 大笑いしながら去って行ったブラウ。
 「ウサギとナキネズミは似てもいないよ」と、「あんたの目は歪んでいるのかい?」と。



 そこまで言われてはたまらないから、ナキネズミらしくと頑張ったけれど。
 努力に努力を重ねたけれども、やはりウサギにしか見えなくて。
(…ナキネズミだと言おうと思ったんだが…)
 トォニィに贈る時には一言添えて、と決意したのだが、そうは問屋がおろさなかった。
 赤い星に降りて、カリナとトォニィに対面して。
 「気に入って貰えるといいのだが…」とナキネズミの木彫りを差し出す横から、ブラウが解説を加えてくれた。キャプテンが手ずから彫ったウサギだと、トォニィのためのウサギなのだと。
 何処から見たってウサギにしか見えないナキネズミ。
 カリナは素直にブラウを信じた。笑顔で受け取り、トォニィに持たせて母ならではの笑み。
 「ほら、トォニィ。ウサギさんよ?」と、「キャプテンが彫って下さったのよ」と。
 その瞬間に木彫りはウサギになってしまった。ナキネズミからウサギに変身を遂げた。
 挙句の果てに、今では立派な宇宙遺産。
 地球で一番大きな博物館の所蔵品となり、百年に一度だけ特別公開されるという有様。



(…やはり訂正するべきだったか?)
 ウサギだとして独り歩きを始める前に。
 「ミュウの子供が沢山生まれますように」との祈りがこもったウサギなのだと解説までついて、宇宙遺産になってしまう前に。
 あれをトォニィに贈った時に「ウサギではない」と正しておいたら、宇宙遺産のウサギは残っていなかっただろう。幼かったトォニィのオモチャの一つで終わっただろう。
 いつしか忘れ去られてしまって、ソルジャーになったトォニィの部屋の窓辺に飾られもせずに、時の彼方にひっそりと消えて失われていたに違いない。
 しかし…。
(あんな場面で訂正できたか?)
 自分や長老たちと、トォニィが初めて出会った、あの時。
 そこで自分の木彫りの腕前を懸命に言い訳しようものなら、台無しになったろう、場の雰囲気。
(キャプテンの俺が必死に言い訳なんぞは…)
 みっともない上に、聞き苦しい。その上、木彫りが下手くそなことを公言するも同然の行為。
 とはいえ、トォニィ誕生という慶事の真っ最中。
 大笑いで終わっていたかもしれない。そんなこともあるさと、キャプテンだって人間だからと。
 ウサギに見えてもナキネズミなのだと、酷いナキネズミもあったものだと。



(…こんなことになると分かっていたなら…)
 あのナキネズミがトォニィのオモチャだけでは終わらず、長い時を越えると知っていたなら。
 宇宙遺産などという大層なものになってしまって、博物館に置かれると分かっていたら。
(…しかも、それだけでは済まなくてだな…)
 もう一度、この目でアレを拝むような羽目になるとは思わなかった。
 ブルーと二人で青い地球の上に生まれ変わって、あのナキネズミが辿って来た道を、前の自分が予想もしなかった出世街道を知らされることになろうとは…。
(こういうオチだと知っていたら、だ)
 何としてでも訂正したろう、ウサギではなくてナキネズミだと。
 宇宙遺産などにはならなくていいから、ただのガラクタとして時の彼方に消えていいから。
(…本当に二生の不覚なんだ…)
 自分自身も「ウサギ」という解説が恥ずかしいけれど、何よりブルー。十四歳の小さなブルー。
 そのブルーだって、あれはウサギだと信じていた。
 「実はナキネズミだ」と白状した時、丸い目をして驚いた。
 ついでに「下手くそな木彫りを作ったハーレイが悪い」と、「宇宙遺産のウサギを見に出掛ける人が気の毒だ」とまで言われてしまった。
 ウサギだったら値打ちもあるけれど、ナキネズミでは全く価値が無いと。
 大勢の人を騙しているのだと、御大層な解説つきのウサギに化けたナキネズミで、と。



(しかしなあ…)
 ブルーには呆れられ、けなされたけれど。
 あのナキネズミが宇宙遺産になったからこそ、今のブルーに見て貰える。青い地球の上に生まれ変わったブルーに自分の木彫りを見て貰える。ウサギだろうが、本当はナキネズミだろうが。
 前のブルーは見られなかった木彫りのナキネズミを。
 初めての自然出産児を、トォニィの誕生を祝って彫り上げたあのナキネズミを。
(…そこが難しい所だな…)
 恥ずかしい腕前の木彫りではあっても、小さなブルーもウサギだと思っていた出来であっても。
 宇宙遺産として残ったからこそ、ブルーに「これだ」と見せることが出来る。
 自分が彫ったと、前の自分が彫った木彫りのナキネズミだと。
 たとえ笑われてしまったとしても。ウサギでしかないと笑い転げられても。



(ブルーには見せられなかったからなあ…)
 前のブルーには、前の自分が愛したソルジャー・ブルーには。
 あのナキネズミを彫っていた時、ブルーは長い眠りの中で。
 いつ目覚めるとも知れない眠りで、ドクターにすらも分からなかった。いつの日かブルーが再び目覚めるか、それとも一度も目覚めないまま、永遠の眠りに就いてしまうのか。
 ブルーの思念を追うことには誰よりも長けていたのに、その思念すらも掴めない眠り。ブルーの手を握り、その心へと語り掛けても何の応えも返らなかった。
 眠り続けるブルーが紡いでいるだろう夢も、その夢の小さな欠片さえも拾えはしなかった。
(…あいつの身体は確かにあるのに、命も確かにあったのに…)
 どうしても掴めない、ブルーの心。ブルーの魂が奏でる音色。
 だからナスカで虹を探した。雨が降る度に、雨上がりに架かった虹の橋を追った。
 虹の橋のたもとには宝物が埋まっていると言うから。
 それを見付ければ、見付けて掘り出すことが出来れば、ブルーが目覚めるかもしれないと。
 自分にとっての宝物と言えば、ブルーの魂だったから。
 虹のたもとに埋まっているそれを見付け出そうと、何度も何度も虹を追って赤い星を歩いた。



 そうして虹を追い続ける間に、ナスカで起こった記念すべき出来事。
 SD体制が始まって以来、一度も無かった自然出産。母の胎内から生まれたトォニィ。
 そのトォニィに贈ってやるならこれだ、とナキネズミを彫ることにした。
 前のブルーが作らせた生き物、青い毛皮をしたナキネズミを。
 青い地球に焦がれ、幸せを運ぶ青い鳥を飼いたいと願ったブルー。
 青い鳥は何の役にも立たないから、と皆に反対され、諦めたブルーを覚えていた。せめてと青い毛皮を纏ったナキネズミを選び、その血統を育てさせていたことも。
 ブルーの想いが、青い地球と青い鳥に憧れたブルーの想いがこもったナキネズミ。
 誰が知らずとも自分はそれを知っていたから、ナキネズミを彫ろうと決めたのだった。
 ナキネズミは思念での会話が下手な子供たちをサポートするための生き物だったし、言うなれば子供たちの良き友、遊び友達。
 トォニィにそれを贈ったとしても、誰も不思議には思うまい。
 眠り続けるブルーの代わりにと、ブルーの想いをも届けてやろうと彫ったのだとは。



(…あいつにもいつか、見て貰えると思っていたんだ)
 眠り続けていたブルーが目覚めたならば。
 これを彫ったと、ブルーの分までと思って彫ったと、あのナキネズミを見せるつもりだった。
 二人でトォニィの許を訪ねて、とんでもない出来の木彫り細工を出して貰って。
 前のソルジャーと、キャプテンの自分。二人揃って出掛けて行っても、トォニィの両親は光栄に思いこそすれ、訝しんだりはしないから。どうしてこういう組み合わせかと不思議に思いはしないだろうから。
(あの木彫りだって、喜んで持って来てくれたんだろう…)
 今も大事に持っていますと、トォニィのお気に入りです、と。
 ユウイもカリナもウサギだと思ったままだったろうし、ブルーもウサギだと思っただろう。
 青の間に戻った後で「ナキネズミです」と言おうものなら、きっと吹き出されたことだろう。
 「君らしいよ」とか、「どう見てもあれはウサギだったよ」とか。
 けれど、「相変わらず木彫りは下手なんだね」と笑われようが、それで良かった。
 長い眠りから覚めたブルーと二人で笑い合えたなら、と。
 そんな日が来ると信じ、願い続けていた。
 虹の橋のたもとを探し続けて、ブルーの魂を探し続けて。
 けれども、それは叶わなくて。
 あのナキネズミをブルーと二人で眺められる日は訪れなくて。



(行っちまったんだ…)
 ようやく目覚めてくれたブルーは、その瞬間からソルジャーだった。戦うための戦士だった。
 まだ満足に動けぬ身体でキースと対峙し、それから後は激動の時間。
 恋人同士の語らいはおろか、二人きりで話せる機会も持てずに運命の時が来てしまった。
 ブルーは木彫りのナキネズミが作られたことさえ知らずに、メギドへと飛んで行ってしまった。
 ただ一人きりで、たった一人で。
 そして帰って来なかった。白いシャングリラにも、涙にくれる自分の許へも。
 愛しい人は逝ってしまって、独りシャングリラに残された自分。
 ブルーが最後に残した言葉を守って、地球までの道を歩んだけれど。シャングリラを運んで遠い地球まで行ったけれども、心はとうに死んでしまっていたのだろう。
 自分はそれきり、思い出しさえしなかった。
 ブルーと二人で見たいと願った木彫りのことを。
 トォニィに贈った、あのナキネズミを。



(なのに、こいつは長い時を越えて…)
 青い地球まで先に着いていた。自分よりも先に青い地球へと、立派に辿り着いていた。
 今はもう無いシャングリラ。時の流れが連れ去ってしまったシャングリラ。
 白い鯨の写真が編まれた写真集では、トォニィの私室の窓辺に写っているけれど。
 アルテラが残したボトルと一緒に写っているのだけれども、ボトルは既に残っていない。それに書かれたメッセージだけが今に伝わり、恋人たちに人気のカードなどに刷られて贈られる。
 しかし、ナキネズミの方は違った。
 ウサギだと信じられたばかりに、お守りなのだと勘違いされて宇宙遺産へと出世を遂げた。
 一番最初の自然出産児の誕生を祝い、ミュウの子供が沢山生まれてくるようにという祈りと共に彫られたものだと、キャプテン・ハーレイが自ら彫ったウサギのお守りだったのだと。
 ウサギは沢山の子供を産むことで知られていたから、豊穣のシンボルでもあったから。
 宇宙遺産になったウサギは青く蘇った地球へ運ばれ、博物館に収まっている。
 普段はレプリカのみの展示で、本物の公開は百年に一度。
 幸運なことに、その博物館は自分とブルーが住んでいる町に建てられていた。大して広い町でもないのに、人が多いというわけでもないのに、色々な条件に適ったとかで。



(俺はこいつをブルーに見せたかったんだ…)
 前のブルーに。誰よりも愛したソルジャー・ブルーに。
 彼を失くした後、忘れてしまっていたけれど。
 木彫りどころか、生きたナキネズミの方でさえをも、すっかり忘れてひたすらに地球を目指したけれど。其処に着ければ全て終わると、自分の役目はそれで終わりだと。
(…地球に着いたら、俺の役目が終わったら…)
 追ってゆこうと思っていた。先に一人で、独りぼっちで逝ってしまったブルーを追って。
 死に赴こうと、睡眠薬を飲んで眠るように逝こうと決意していた。
 なのに運命とは分からないもので、薬など要りはしなかった。死の星だった地球の地の底、崩れ落ちて来た瓦礫が自分の命を奪った。
 そうして全ては終わってしまって、自分の生涯は其処で終わった筈なのだけれど。



(二生目があったと来たもんだ…)
 しかも途中から、前の自分とそっくり同じに育った姿になった所から。
 それまではまるで別の人生、前の自分と重なるどころか、成人検査も人体実験も無い人生を謳歌して来た。青い地球の上、本物の両親の許に生まれて、のびのびと。
(まさか、こういう人生が待っているとはなあ…)
 夢にも思いはしなかった。瓦礫に押し潰される瞬間でさえも、次の生など思わなかった。
 これでブルーの許へゆけると、約束通りに追って逝けると笑みさえ浮かべていなかったか。
 それがいったいどうしたわけだか、二度目の生が待っていた。
 ブルーも同じ地球の上に生まれて来ていた。自分よりもずっと年下になって、小さくなって。
 十四歳になる小さなブルーは、木彫りを笑ってくれたけれども。
 ナキネズミになんか見えはしないと、ウサギでしかないと笑ったけれど。



(…元々は笑い合うつもりだったしな?)
 前のブルーと二人で見たなら、トォニィの部屋を二人で訪ねて行ったなら。
 ユウイとカリナが「キャプテンに頂いたウサギです」と例の木彫りを持って来るだろうし、どう見てもウサギでしかないし…。
 ブルーに「あれはナキネズミです」と言えば言うほど、笑いを誘っていたことだろう。遠慮なく笑い飛ばされた挙句、木彫りの腕前もけなされただろう。
 恋人同士であったからこそ、遠慮なく。
 あんなに下手だとは思わなかったと、どう彫ったならばナキネズミがウサギになるのかと。
(…うん、間違いなく言われていたな)
 それを思えば恥と言ってはいけないのだろうか?
 一生どころか二生の不覚とぼやいたりしては駄目なのだろうか?
(前のあいつだって笑うんだからな、今のあいつよりも酷いかもなあ…)
 小さなブルーよりも三百年以上も長く生きていた前のブルー。
 一旦、笑うと決めたが最後、知る限りの語彙を並べ立てて酷評したかもしれない。あの木彫りを批評するならこうだと、これが笑わずにいられるものかと。
 前のブルーも、今のブルーも、どちらもあれを笑うのならば。
 木彫りのナキネズミがウサギにしか見えないと笑うのだったら、あの木彫り。
 よくぞ今日まで残ってくれたと、自分は喜ぶべきなのだろうか?
 宇宙遺産は恥ずかしすぎるが、あれをブルーに見せてやることが出来るのだから。



(しかしなあ…)
 きっとブルーは大笑いする。展示ケースの前で笑い転げる。
 いつか二人で見に行った時に。
 小さなブルーが前のブルーと同じに育って、結婚した後か、それとも結婚前のデートか。
 百年に一度の特別公開までは五十年ほどあるらしいから、展示ケースのウサギはレプリカ。
 本物そっくりのレプリカのウサギで大笑いをして、置物を買うと言うのだろう。
 これを見に来たお土産に買うと、ミュージアムショップに寄るのだと。
(確か、色々あるんだ、あれは…)
 原寸大で再現してある置物はもちろん、小ぶりなものやら、お守り感覚のアクセサリーまで。
 いくらなんでもアクセサリーを買ってつけたいとまでは言わないだろうが、間違いなく何かしら買わされてしまって、ブルーは御機嫌なのだろう。
 やっと来られたと、ハーレイと一緒に木彫りのウサギを見に来られたと。
(…本当はウサギじゃないんだが…)
 ナキネズミなのだ、と力説したってブルーは聞かない。きっと聞いてはくれないのだ。
 展示ケースにはウサギとあったと、ミュージアムショップでもウサギと書かれているからと。



(俺はそれでもいいんだが…)
 どうせ元々、前のブルーと笑い合いたかった木彫りなのだし、ウサギだろうが気にすまい。
 そうは思っても、自分にとってはナキネズミ。一生の不覚、二生の不覚の下手くそな木彫り。
(…なんとかアレをナキネズミだと認めて貰える道は…)
 写真集の中の木彫りを見れば見るほど、絶望的な気持ちになってくる。
 彫っていた時からウサギに見えたし、完成してもウサギに見えたし、今では宇宙遺産のウサギ。自分ごときが足掻いた所で、覆せそうな説が見付からない。
(たかがこいつの訂正のために、俺の前世を明かすというのも情けないしな…)
 それではあまりに大人げないし、前の自分の木彫りの下手さも明るみに出るし、したくない。
 何よりブルーが巻き添えになる。
 ブルーが沈黙を守ったとしても、否定したとしても、あの姿。
 前世はソルジャー・ブルーであろうと世の人は見るし、探りも入れたくなるだろう。そうなってからでは、もう遅い。ブルーの前世も知られてしまって、その後はいったいどうなることか…。
(恋人同士っていうのがなあ…)
 好意的に受け止めて貰えればいいが、そうならないということもある。
 宇宙遺産のウサギごときで無用のトラブルは招きたくないし、一生の不覚でも黙るのが吉。
 それが二生の不覚であっても、ブルーを守ってやりたいのならば。



(特別公開で本物を見るんだって言ってたなあ…)
 一番乗りで見ようと、ウサギを見ようと。
 つまりは、今の小さなブルーは自分の前世を明かす予定は無いわけだ。
 もしも前世を明かしていたなら、特別公開などを待たなくとも、ウサギは見に行けるのだから。それに関わる関係者として、それこそ特別待遇で。
(黙ってる方がいいんだろうなあ、俺たちのことは)
 ごくごく平凡に暮らしたかったら、何処にでもいる恋人同士でいたければ。
(アレの特別公開か…)
 自分もお目にかかったことは無いのだけれども、噂だけなら聞いている。百年に一度のチャンスだけあって、大勢の人が詰めかけると。その行列は何日も前から博物館を取り巻くほどだと。
(そいつに一番乗りとなったら、ただごとじゃないぞ)
 もっとも、ブルーの望みとなったら、休暇を取ってでも並ぶけれども。
 それこそ一番乗りで駆け付け、列の先頭で何日でも待つだけの覚悟は充分あるけれど。
(前のあいつを失くした後でだ、地球に着くまでにかかった時間のことを思えば一瞬だしな?)
 行列に並ぶ苦労にしたって、アルタミラの研究所時代の地獄などとは比較にならない。
 順番待ちをしている人向けに食事や飲み物を売りに来るとも聞いているから、まるで天国。
 要は待つだけ、特別展示が始まるその日にブルーを迎えて、二人並んで入館するまで。



(…でもって、中に入るのはいいが…)
 宇宙遺産のウサギを展示したケースの前に立つまではいいが、そこでウサギを目にしたならば。
(もう間違いなく喧嘩だな)
 喧嘩と呼ぶのかどうかはともかく、言い争い。ウサギを指差し、二人ともまるで譲らずに。
 ウサギだ、いやいやナキネズミだと。
 「キャプテン・ハーレイ作の木彫りのウサギ」と書いてあるだろうに、それを無視して。
 ブルーは「ウサギだ」と主張しているのだから展示説明とも合っているけれど、自分の方は…。
(周りのヤツらが何と思うやら…)
 正気を疑われるかもしれない。どう見てもウサギで、説明もウサギ。
 それを捕まえて「ナキネズミだ」と言い張る自分は、さぞかし滑稽なのだろうと。
 そうは言っても、木彫りのウサギは宇宙遺産。百年に一度の特別公開。
 詰めかけた客たちは、喧嘩など全く気にしていないだろうけれど。
 宇宙遺産のウサギに夢中で、くだらない喧嘩など気にも留めてはいないだろうけれど。



(レプリカの方を見に行った時でも同じだろうな)
 展示ケースの前で二人で喧嘩して、笑って、また喧嘩して。
 ウサギだ、いやいやナキネズミだと。
 一段落したら他の展示も眺めて、博物館のレストランで食事をしながらまた笑って。
 あれはウサギだと、ナキネズミだと。
(…あそこときたら、再入場が可能と来たもんだ)
 レプリカを展示している時なら、同じ日の内なら何度でもケースを眺めにゆける。
 ブルーは飽きずに見に行くだろう。食事やお茶で休憩をしては、ウサギを収めたケースの前へ。
 宇宙遺産になってしまったウサギを笑いに、前の自分が彫ったウサギを笑い飛ばしに。



(本当に一生の不覚なんだが…)
 一生どころではなくて二生の不覚で、情けない出来の木彫りなのだが…。
 前のブルーに見せたかったものを、今のブルーが見るのだから。
 見て貰えないままに終わったナキネズミの木彫りを、ちゃんと見て貰えるのだから。
 どんな恥でも、それは喜ぶべきだろう。
 ナキネズミがウサギになってしまっていても、ウサギにしか見えないナキネズミでも。
 それに…。



(二人一緒に見られるんだしな?)
 この地球の上で。二人一緒に生まれ変わった、青い地球の上にある博物館で。
 ウサギにしか見えないナキネズミを見て、ミュージアムショップで買い物をして。
 そして、この家へ二人で帰ってくる。
 結婚前ならまだ無理だけれど、結婚した後もレプリカのウサギをきっと見に行くだろうから。
(あいつ、レプリカのウサギの置物を買って、家に置こうと言ってたっけな…)
 二人で暮らす家にレプリカのウサギ。
 今は自分が一人で住んでいるこの家へブルーと帰ってくる。
 ウサギを笑い飛ばされた後で、笑い飛ばしてくれたブルーと。
 その頃には、きっと…。



(この書斎だって…)
 お役御免になるのだろう。
 今は自分の城だけれども、ブルーが来たら。
 この家でブルーと一緒に暮らすようになったなら。
 今みたいに書斎にコーヒーを運んで来たりはしないだろう。一人で飲みはしないだろう。
(きっと二人でリビングなんだ)
 自分はコーヒー、ブルーは紅茶で、寛いだ食後のひと時を過ごす。
 日記くらいはこの部屋へ書きに来るのだろうけれど…。



(その間もあいつが待っているんだ)
 木彫りのナキネズミをウサギだと笑ってくれたブルーが、リビングでお茶を飲みながら。
 自分が戻れば、きっとこう訊くに違いない。
 「日記にはちゃんと書いたの?」と。
 例のウサギを笑われたことはちゃんと書いたかと、前の自分の反省文も、と。
 「下手な木彫りですみませんでした」と、「あれはどう見てもウサギです」と。
 ブルーならばきっと、クスクス笑って「書いた?」と言うに違いない。
(そう思うとなあ…)
 木彫りのウサギも悪くない。
 本当はナキネズミだったけれども、間違われたままで今の時代まで残ったことも。
 ブルーと二人で笑い合った後で、暖かな家へ帰れるのだから…。




           残ったウサギ・了

※前のハーレイが彫った木彫りのナキネズミ。宇宙遺産のウサギになってしまいましたが…。
 お蔭で今まで残ったわけで、ブルーにも見て貰えるのです。間違えられてウサギでも、幸せ。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv









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