シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
夏休みに入って、ブルーがハーレイに会える日は劇的に増えた。平日でも家を訪ねてくれるし、もう嬉しくてたまらない。研修や柔道部の試合などで来られない日があったとしても、ほんの一日だけの我慢で。今日もそういう日だったのだが、ブルーは朝から張り切っていた。
八月初めのよく晴れた空は怖いほどに青く、その向こうの宇宙まで見えそうな気がする。そんな空の下、今日は一人で出掛ける予定。朝食を済ませて時計を見れば丁度いい時間。
支度を整えて家を出ようとしたら、母が「忘れてるわよ」と頭に帽子を被せた。ブルーくらいの年の男子がよく被っているものとは違って、広いつばが頭をぐるっと取り巻く帽子。
「暑くなりそうだから気を付けるのよ。帰りが暑い盛りだったらタクシーに乗って帰りなさい」
暑い中を沢山歩かないよう注意された。ブルーは生まれつき身体が弱くて、無理をすればすぐに倒れてしまう。だから学校に行く時もバス。同じ距離でも自転車や徒歩の生徒が殆どなのに。
「ブルー、ホントに大丈夫? ママが一緒に行かなくていい?」
「うん、平気! 暑くなる前に帰って来るから!」
昼食前には家に帰ると約束をして、ブルーは母に「行ってきます」と手を振った。目指すは町の中心部にある百貨店。今から行けば昼までに充分帰ってこられる。
(…ふふっ)
家から少し先のバス停で目的地行きのバスに乗ったブルーは胸を躍らせていた。
あと三週間と少しで八月二十八日、大好きなハーレイの誕生日が来る。
ハーレイは三十八歳になってしまって、十四歳の自分との年の差が一段と大きく開くけれども。ブルーの年の二倍にプラス十歳、そう思うとちょっぴり寂しいけれど。
(…ハーレイの本当の年はともかく、見かけの年はもう止まってるものね)
再会して直ぐにハーレイは約束してくれた。これ以上の年を取るのはやめて、ブルーが前の生と同じ姿に育つのを待つと。
だから年の差を縮めることは出来なくても、見かけの上での差はこれからは縮まる一方。大きくなればハーレイと一緒に何処へでも行けるし、二人で暮らせるようになる。
(もしハーレイが年を取るのを止めなかったら、どうなったのかな?)
出会った頃にハーレイが話してくれた。もしもブルーに会わなかったら、まだまだ年を取る予定だったと。水泳はともかく、柔道の方は威厳がかなり大切らしい。
(まさかゼルみたいに禿げちゃったりはしないと思うけど…)
それでも金髪に白髪が混じるとか、もう完全に白髪とか。顔に皺だって出来ただろう。
(そうなっちゃう前に会えて良かった!)
前とおんなじハーレイだものね、とブルーの胸が暖かくなる。
自分は小さすぎたけれども、ハーレイは前とそっくり同じ。キャプテンの制服でシャングリラのブリッジに立てば、誰も違いに気付かないだろう。そのシャングリラはもう無いけれど…。
(だけどハーレイはちゃんと居るしね!)
そしてもうすぐ誕生日。その特別な日をお祝いしたくて、ブルーはバスに乗ったのだ。
百貨店の前のバス停で降りて、目的の売り場があるフロアに向かう。ブルーくらいの年頃の子は同じ売り場でも別の品物がお目当てのようで、そちらの方に群れている。しかしブルーが買いたい物は其処には無くて、もっと奥まった静かな所にひっそりと並べられていた。
(わあっ…!)
置いてある場所は記憶にあったが、来るのは何年ぶりだろう。ガラスケースの中に並んだそれに胸が高鳴る。前の生でハーレイが愛用していた羽根ペン。それにそっくりな物もあったし、ペンの軸に繊細な細工を施したものや、目にもカラフルな赤や青や緑の羽根の物など。
(…凄いや…。でもハーレイに似合うのは…)
断然これ! とケースを覗き込み、インク壺や替えのペン先とセットで専用ケースに収められた白い羽根ペンの値札を眺めて愕然とした。ブルーの予算の五倍以上もする値段。
(…た、高すぎるよ…)
他のペンは、と縋るような気持ちでケースの中を隅から隅までガラス越しに確認してみたのに。
(……羽根ペンってこんなに高かったんだ……)
前の生ではハーレイの羽根ペンは人類側から奪った物資に紛れていた品で、輸送用の箱に山ほど詰まっていたから値段なんか考えもしなかった。ハーレイだけしか使わなかったせいで新たに調達することもなくて、使い切る前にハーレイの生は終わったと思う。
(どうしよう…)
一番安い値段のペンでも、ブルーのお小遣いの二ヶ月分。大好きなハーレイへの初めての誕生日プレゼントだから、奮発してお小遣い一ヶ月分はつぎ込むつもりで家を出て来た。なのに一ヶ月分では手も足も出ない、この値段。
(…貯めてあるお金を使えば買えるけど…)
買えないわけではなかったけれども、お小遣い一ヶ月分で買えないからには子供の自分には高価すぎる品だということだ。そんなプレゼントを背伸びして買って、贈ったとして。
受け取るハーレイは本当に喜んでくれるだろうか?
「最近、欲しいような気もするんだ」と言っていたから、売り場に来たこともあるだろう。当然値段も知っているわけで、ブルーが買うには高すぎることも分かる筈。
(……どうしよう……)
でもハーレイにはプレセントしたい。どうせなら最初に「これだ」と思った羽根ペン。思い切り高い値段のペンでも、ハーレイにはそれが一番似合う。
(…………)
他の品物をプレゼントするか、思い切って羽根ペンを買うことにするか。
此処で考えていても買えるだけのお金は持っていないし、今日の所は諦めて帰ることにした。暑くなる前に家に戻らなければ母も心配するだろうから。
航宙日誌の話を聞いた時からブルーの心に刻まれた羽根ペン。その後ハーレイに何度も何度も、「羽根ペン、買った?」と訊いてみたものだ。
しかしハーレイは「使いこなせないような気もするからな」と煮え切らなくて、それでも欲しい気持ちはあるようで。だから誕生日にプレゼントしようと思った。前の生でハーレイが使っていたものと良く似た羽根ペンを買って、机の上に置いて欲しかったから。
(…使えなかったら飾りでいいから、前と同じのをハーレイに持ってほしいのに…)
そして航宙日誌を書いていた頃に思いを馳せて欲しい、とブルーは願う。自分の背丈が今よりも高くて、子供の声ではなかった頃。ハーレイと本物の恋人同士で、毎日キスを交わしていた頃…。
沢山の大切な思い出が詰まった、ハーレイだけしか其処に書かれた文字に宿った思いが読めない航宙日誌。それを綴ったペンそっくりの羽根ペンを贈りたかったのに…。
(……高すぎるなんて……)
買って買えないことはない。けれど十四歳の子供が買うには高価に過ぎるプレゼント。
(…ハーレイにプレゼントしたいのに…)
他の品物なんて思い付かない。来年はまた別の何かを贈るのだろうけれど、今年は羽根ペンしか考えられない。どうしてもハーレイに贈りたかったし、羽根ペンを持って欲しかった。
(…でも……)
高すぎるプレゼントを贈られたハーレイが喜ぶかどうか。「ありがとう」と言ってくれることは絶対に間違いないし、嬉しそうに笑ってくれるとも思う。しかし心の奥の方では「無理をしたな」なんて考えそうだし、却って心配されそうだ。ブルーのお小遣いが減っただろう、と。
(…でも、あげたいよ…)
どうしても羽根ペンが諦められない。あれから毎日考え続けて、ハーレイと会う度にもっと羽根ペンが欲しくなる。大好きなハーレイの机に羽根ペン。その光景まで目に浮かぶようだ。
(…ねえ、ハーレイ…。本当に羽根ペン、あげたいんだけどな…)
今日もハーレイが来てくれていて、最初のお茶はブルーのお気に入りの場所になった大きな木の下の白いテーブルと椅子で。庭の木陰は涼しい風が抜けてゆくけれど、ブルーの心は少し重たい。
プレゼントしたくてたまらない羽根ペンを、どうしたら諦められるんだろう…?
そんなブルーの心の重荷にハーレイが気付かないわけがない。
少し前からたまに見かける、もの言いたげなブルーの瞳。ゆらゆらと揺れる赤い瞳が何を奥底に沈めているのか、何を憂えて波立つのか。思い詰めたような風に見える日もあれば、逆に煌めいている時もあって分からない。
分からないままに時が流れて、赤い瞳はますます深い色を増す。木漏れ日が銀色の髪にチラチラと踊っているのに、ブルーの表情は今も冴えない。
(…流石にそろそろ訊いた方がいいな)
向かい合わせでアイスティーを飲みながら、ハーレイはそう考えた。ブルーが何かに悩んでいるなら、悩みを聞いてやるべきだろう。それは恋人として当然のことで、教師としてもまた同じ。
(ただなあ…。とんでもないコトを言いかねないしな)
自分とキスが出来ない悩みや、それ以上のことを言われても困る。ブルーの望みは「本物の恋人同士」として結ばれることで、その望みには決して応えられない。
(…その手の悩みなら、訊くのは今だな)
二階にあるブルーの部屋とは違って、庭で一番大きな木の下に据えられた白いテーブルと椅子は家の一階に居るブルーの母が見ようと思えば見られる場所。それだけにブルーもキスを強請ったりしないし、ハーレイの膝に座りもしない。
ブルーの悩みが恋に纏わるものであったなら、この場所で聞いてバッサリ切ろう。
決意を固めたハーレイはブルーに向かって問い掛けた。何か悩んでいるんじゃないか、と。
「俺で良かったら何でも聞くぞ? どうした、最近、何処か変だが」
「………。……羽根ペン…」
「はあ?」
ハーレイは口をポカンと大きく開けた。
羽根ペンとは、あの羽根ペンだろうか? 前世の自分が愛用していた羽根付きの…?
「羽根ペンって、なんだ?」
「……もしかしてもう、買っちゃった?」
縋るような視線に「やはりアレか」と確信したものの。どうしてブルーが羽根ペンのことで悩む必要があるのだろう? さっぱり理由が分からないままに、ハーレイはブルーの問いに答えた。
「いや、まだ買ってはいないんだがな…。どうも使える気がしなくってな」
「そうなんだ…。ハーレイにプレゼントしたいのに…。そう思って買いに行ったのに…」
高すぎて買えなかったんだ、とブルーはポロリと涙を零した。貯めてあるお金を使って買ってもハーレイはきっと喜ばないよね、と…。
「……そうだったのか…。羽根ペンなあ……」
確かに子供のお前が買うには高いな、とハーレイは「うーん…」と腕組みをした。
「しかしだ、お前は俺に羽根ペンを贈りたい、と。…そういうことだな?」
「……うん」
ブルーの瞳が悲しげに揺れる。買いたいけれども、買えない羽根ペン。それをハーレイのために贈りたいのに、どうにもこうにもならないのだ…、と。
どうしてブルーが羽根ペンだなどと考えたのか、心当たりはしっかりとあった。前に羽根ペンの話が切っ掛けになって話して聞かせた前世の自分の航宙日誌。あれ以来、ブルーの中で羽根ペンは特別な存在になったのだろう。前の生での自分との恋を綴った思い出の文具として。
それをブルーがくれると言うなら悪くない。おまけに再会して初の誕生日のプレゼントだ。否は無いのだが、ブルーが買うには高すぎる。どうすれば…、と思いを巡らせた末に。
「ブルー、羽根ペンを俺に買ってくれるか? …少しでいいから」
「…少し?」
キョトンとするブルーに説明してやる。
「羽根の毛筋の一本分か二本分なのかそれは知らんが、要は少しだ。お前が出せる分だけでいい。残りの分は俺が自分にプレゼントするさ、丁度いい機会ってことになるしな」
羽根ペンはやっぱり欲しいからな、とハーレイは片目を瞑ってみせた。
「何度か売り場に行ってみたんだが、どうも決心がつかなかった。…使いこなせる自信が無いし、飾りにするのもなんだかなあ…。だが、誕生日のプレゼントだったら話は別だ」
つまり一種の記念品だろ、とブルーに自分の考えを話す。
「…記念品だったら、使いこなせなくて机の飾りになっちまっても立派に言い訳が立つからな? これは誕生日にお前に貰った飾りで、キャプテン・ハーレイ風の置き物なんです、と」
「キャプテン・ハーレイ風なんだ?」
ブルーはプッと吹き出した。確かにそれっぽい演出にはなるが、ハーレイが羽根ペンを机の上に飾ってキャプテン・ハーレイ風なんて…。ハーレイの前世はキャプテン・ハーレイで、ごっこ遊びなんか始めなくても本物のキャプテン・ハーレイなのに…!
ブルーが頭を悩ませていた羽根ペンの問題は解決した。代金の一部をブルーがお小遣いで払い、残りはハーレイが自分で支払う。これでブルーは羽根ペンをハーレイにプレゼント出来るし、買うハーレイは「記念品」という使いこなせなかった時のための大義名分が手に入るわけで。
「…一緒に買いに行きたかったな…」
行きたいなあ、と呟くブルーにハーレイが返す。
「先生と生徒でかまわないなら、俺は同行を許してやるが」
「つまんないってば!」
ハーレイと二人で腕を組んで買いに行けるのだったら大喜びだが、教師と生徒として行くのでは学校で使う文具の買い出しとまるで変わらない。そしてハーレイは間違いなくブルーを生徒として扱う筈だし、ブルーも「ハーレイ先生」と呼ばねばならず…。
脹れっ面になったブルーの前には、ハーレイが貰って来た羽根ペンのカタログがあった。母から丸見えの木の下ではなく、ブルーの部屋のテーブルの上。母が置いていったお茶やお菓子を脇の方に寄せて、二人でカタログを覗き込む。
「ぼくが買いたかったのは、これなんだけど」
カタログを端から端まで眺めた後で、ブルーはあの日に百貨店で見た羽根ペンはこれだ、と確信した。白い羽根がついていて、インク壺と替えのペン先とペン立てがセット。前の生でハーレイが使っていたペンと驚くほどに良く似た羽根ペン。
「やっぱりコレか…。俺も前から見ていたんだよな、買うんだったらコレにするか、と」
「絶対これだよ、これが一番ハーレイに似合うよ」
「そうだな、これをお前に貰うとするか。…お前の見立てなら間違いないさ」
明日にでも買いに行ってこよう、とハーレイはブルーに約束した。
「カタログを貰ってくる時に確認しておいたが、どれも在庫は沢山あるそうだ。売り切れることはまずありません、と言っていたから間違いなく買える」
「忘れないでよ、このペンだからね!」
「俺も前から欲しかったヤツだぞ、忘れるもんか。…忘れちゃいかんのは配達の日だな。誕生日の朝一番で届く便を指定しておかないと」
その日でなければブルーから貰う意味が無い、とハーレイが笑う。朝一番で受け取ったそれを、ブルーの家に持って来て渡して貰うのだ、と。
「お前の手で俺に渡して貰って、それから箱を開けるのさ。それでこそ誕生日プレゼントだ」
「ふふっ、そうだね。…ぼくは少ししかあげられないけど」
羽根ペンの毛筋一本分だか、二本分だか。それがぼくからのプレゼント。
大好きなハーレイの誕生日には、ハーレイに似合う羽根ペンをプレゼント出来るんだ…。
そうしてハーレイは羽根ペンを買った。
「ちゃんと買ったぞ」と言っていたから、誕生日の前の晩、ハーレイが「また明日な」と帰っていった後で綺麗な封筒を出してきて代金を入れた。羽根ペンを買いに出掛けたあの日に決めていた予算と同じだけ。ぼくのお小遣い、一ヶ月分。今のぼくには、これでも大金。
(えーっと…)
お金だけ入れるのは恋人らしくないし、便箋に何か書こうとした。だけど…。
(これって、もしかしてラブレター?)
そう考えたら何を書いたらいいのか分からなくなって、結局、短くこう書いた。「ぼくのお金、ちゃんと使ってよ?」って。どうしてそういう気がしたのかは分からないけれど、ハーレイは使う代わりに封筒ごと仕舞い込みそうだったから。
八月二十八日は朝から綺麗に晴れて、ハーレイの誕生日をお祝いしているようだった。夏休みの終わりが近いけれども、それでも今日は特別な日。あと三日でハーレイと平日も自由に会える夢の時間が終わるのだとしても、やっぱり最高に嬉しくなる日。
ハーレイはこの日に生まれて来た。
ぼくたちが出会った青い地球の上に、三十八年前の夏のこの日に。
朝早くに目が覚めてしまって、いつもより早く朝御飯を食べて部屋を掃除して、窓辺で待った。大好きなハーレイが歩いてくるのを、生垣越しに手を振ってくれる姿を。
「ブルー、おはよう!」
持って来たぞ、と門扉の前でハーレイが紙袋を高く差し上げた。あの中に羽根ペンの箱がある。母が門扉を開けに出て行って、ハーレイが庭に入って来る。もうすぐだ。もうすぐ、もうすぐ…。
階段を上って来る足音が二人分。ハーレイと、案内してくる母と。扉がノックされてガチャリと開いた。
「おはよう、ブルー」
いつもの穏やかな笑顔のハーレイに「おはよう」と挨拶する間も心臓のドキドキが止まらない。母がお茶とお菓子を用意する間もドキドキしていて、何を話したのか記憶に無い。やっとのことで扉が閉まって、階段を下りてゆく足音が消えて…。
「ハーレイ!」
ぼくはハーレイの大きな身体に飛び付くようにして抱き付いた。
「ハーレイ、お誕生日おめでとう!」
「ははっ、予想以上の大歓迎だな。ありがとう、ブルー。俺も三十八歳か…」
お前より二十四歳も上だ、と笑いながらハーレイが椅子の上に置いてあった紙袋を示す。
「ほら、ブルー。約束通りに渡してくれよ。…お前からの誕生日プレゼントをな」
「うんっ!」
ハーレイの胸から離れて紙袋からリボンのかかった箱を取り出した。ぼくが買いに行った時には買えなかった羽根ペンが入った専用ケース。ちゃんと包装紙で包んである。思っていたよりも重いその箱を、ドキドキしながら両手で持って。
「ハーレイ、これ…。これ、ぼくからのプレゼント…」
「くれるのか? 俺はとっくの昔に今年の誕生日プレゼントを貰ったんだが」
「えっ?」
「お前だよ、ブルー。…お前に会えた。それが最高のプレゼントだった」
そう言って箱ごとギュッと強く抱き締められた、ぼく。羽根ペンよりも嬉しかったとハーレイは何度も繰り返したけど、ぼくは羽根ペンをあげたかったんだ。そう言ってくれるハーレイだから。
それからハーレイがリボンをほどいて、包装紙を外してケースを開けた。
出て来た羽根ペンはぼくが欲しかった羽根ペンそのもので、プレゼント出来たことが嬉しい。
「ハーレイ、これ…。ぼくが払う分」
机の引き出しから持って来た封筒を、ハーレイは受け取ってじっと眺めてから。
「ありがとう、ブルー。お前からのプレゼントは確かに貰った」
中も確かめずに仕舞おうとするから、ぼくは念を押した。
「そのお金、ちゃんと財布に入れてよ? でなきゃプレゼントにならないし!」
「分かってるさ。だがな、受け取って直ぐに中を確かめたり、財布に入れるのはマナー違反だ」
家に帰ったらきちんと入れる、とハーレイは約束してくれたけど…。
大丈夫かな? ちょっと不安が残る。
でも、羽根ペンをケースから出して書く真似をするハーレイがあまりにも様になっていたから、そんな気持ちは何処かへ消えた。前世で航宙日誌を書いていた時の姿が重なって見える。堅苦しいキャプテンの制服と違って、何処にでもある半袖シャツ。それなのに羽根ペンが似合ってる。
「…やっぱりハーレイに似合うね、羽根ペン」
「そうか? …俺に似合うかどうかはともかく、確かに懐かしい感じはするな」
嬉しそうに手を動かしてみるハーレイを見ていたら、ぼくの嬉しさも膨らんでゆく。もう幸せで胸がはち切れそうな気がしてくるほど、嬉しくて幸せでたまらない。
ハーレイがこの地球に生まれて来た日。
三十八回目のその誕生日を一緒に祝えて、あげたかった羽根ペンもプレゼント出来た。
なんて幸せなんだろう。なんて嬉しい日なんだろう。
今日がハーレイの生まれて来た日。この地球の上で、ぼくが生まれるのを待つために…。
ぼくたちが出会って最初に迎えた、二人で祝う誕生日。
パパとママが一緒の夕食の席もハーレイの誕生日をお祝いする御馳走で溢れ返って、ハーレイはパパから「私たちからのプレゼントです」と立派な箱入りのお酒を貰っていたけれど。
その箱と羽根ペンが入った箱とを大事そうに持って、「また明日な」とぼくを一人で置き去りにして家に帰ってしまったけれど…。
でも、今日からハーレイの机の上にはぼくがプレゼントした羽根ペンがある。
今日の日記にぼくのことを書いてはくれないだろうけど、読み返したら思い出せる筈。
日記も航宙日誌と同じで、綴った文字から記憶が見えると思うから。
ハーレイが最初に羽根ペンを使って何か書くのはいつだろう?
ぼくなら絶対今日にするけど、ハーレイは慎重で几帳面だから、沢山沢山試し書きをして上手になったと思う頃まで文章なんかは書かないかもね…。
ハーレイの三十八回目の誕生日。
朝からはしゃぎ過ぎたブルーが疲れてベッドにもぐって、ぐっすり眠ってしまった頃。ブルーの家から何ブロックも離れた場所にあるハーレイの家の書斎はまだ煌々と明りが灯っていた。
机の上には、今日、ブルーから箱ごと手渡して貰ったばかりの羽根ペンやペン立てやインク壺。ずっと昔から其処に在ったかのような気がするそれらを、ハーレイは何度も眺め回しては。
「…見た目と使いやすさは別だな、俺の手にはまだ馴染まんな…」
前はどうしてコレが愛用品だったのか、などと呟きながらもハーレイは嬉しそうだった。広げた紙に幾つも、幾つも、繰り返し書かれたブルーの名前。それがハーレイの試し書き。
羽根ペンの先をインクに浸して、さて何を書こうかと考えた時に浮かんだブルーの名前。意味もない線や丸を書くよりも、それが相応しいと思って書いた。
前の生では『ソルジャー』の尊称無しでは数えるほどしか書いたことがないブルーの名前。その名を尊称抜きで書けるのが普通になった今の生。そしてブルーがくれた羽根ペン。ブルーの名前しか思い付かないまま、何度も、何度も書いて、書き続けて。
「…よし。こんなもんかな」
ハーレイはブルーが昼間に「ちゃんと使ってよ?」と渡した羽根ペン代の入った封筒を出して、その裏側に羽根ペンで丁寧に、それは丁寧に初めての文を書き付けた。「ブルーに貰った羽根ペン代」という短いそれを文と呼ぶのか、古典の教師のハーレイにも自信は無かったけれど…。
「これで良し。今日の記念にピッタリだしな」
インクが乾いたら引き出しの奥に大切に仕舞っておこう、とブルーの顔を思い浮かべて微笑む。使って欲しいと念を押されたが、使う馬鹿などいるものか。
長い長い時を経て生まれ変わって出会えたブルー。前の生から愛し続けてやまないブルー。その大切な恋人が新しい生で初めてくれた誕生日プレゼントの羽根ペン代を使うなど、馬鹿だ。決して使わず取っておこう、と心に決めて。
「…さてと、今日の日記も書かないとな」
そちらは慣れたいつものペンで。切り替えるのは羽根ペンが手に馴染んでから、と考える。机の引き出しから日記を取り出し、今日の天気などを淡々と書き込み、その最後に。
「三十八歳の誕生日。自分に羽根ペンをプレゼントした」と、短く綴った。羽根ペン代の一部を払って贈ってくれたブルーの名前は何処にも書かれていなかったけれど、それがハーレイの日記の流儀。自分がこの日の日記を読む時、脳裏には鮮やかに蘇る。
三十八回目の誕生日を迎え、ブルーから羽根ペンを貰ったことが……。
白い羽根ペン・了