シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
「…いいなあ…」
羨ましいな、とブルーは自室で溜息をついた。
ハーレイが顧問を務めるクラブに所属する友人から聞いた昨日の出来事。幾つかの学校が集まる試合で好成績を収めた御褒美に、全員がハーレイの奢りで食事をしたという話。食べ放題の店で山ほど食べたそうだが、羨ましいポイントは其処ではない。
食の細いブルーは食べ放題の店に行きたいなどとは思いもしないし、第一、元が取れないと思う。それでは奢ってくれた人にも申し訳ないというものだ。でも…。
「…ハーレイと食事に行きたいなあ…」
行ってみたいな、と考え始めると止まらない。
前世では青の間で何度も食事を一緒に食べたし、ハーレイの部屋でということもあった。今の生でもハーレイが家に訪ねて来てくれると母が食事を作ってくれる。ブルーの部屋で、両親も共にダイニングで…、と昼食や夕食を摂るのだけれど。
「…普段の場所とは違う所で食べたことって無いんだよね…」
一度だけ招かれたハーレイの家での食事はブルーにとっては非日常だったが、ハーレイからすれば馴染んだ自宅。前世でのハーレイの部屋とは広さや家具などが異なるだけだ。
「シャングリラに居た頃は船の中しか場所が無かったし、違う場所も何も無いんだけれど…。今は何処でも自由に行けるし、お店だって選び放題だよね?」
お店もいいけどピクニックとか、とブルーの夢は更に広がる。ハーレイと二人でお弁当を持って出掛けられたら、きっと素敵に違いない。景色の綺麗な郊外だとか、海辺なんかもいいかもしれない。前世で行きたいと焦がれ続けた地球に二人で生まれたのだし…。
「…ハーレイと二人で行きたいなあ…」
海でも山でもお店でもいいな、と思い描くブルーはとうとう決意を固めた。ハーレイが誘ってくれないのなら、自分から提案してみよう。違う所で食事をしたい、と。
ハーレイと二人で違う場所で食事。それはとても素敵な思い付きであったし、ブルーは次の週末に訪ねて来たハーレイにドキドキしながら話してみたのだけれど。
「…俺は賛成出来ないな」
ほんの少しだけ考えた後、ハーレイは「駄目だ」と口にした。
「どうして? 何処かお店に行くだけでいいし、お店が駄目ならピクニックとか…」
ブルーは懸命に言い募ったのに、ハーレイは「駄目なものは駄目だ」と首を横に振る。
「…なんで……。ぼくがまだ小さすぎるから?」
「それもあるな。だが、一番は……。お前、先生と食事に出掛けて楽しいか?」
「えっ?」
何を訊かれたのか分からなかった。キョトンとするブルーに、ハーレイが穏やかな瞳を向ける。
「俺とお前の前世のことを知っている人は数人だけだ。外に出れば大人と子供にしか見えんし、お前は俺の教え子なんだぞ。学校で俺を呼ぶ時と同じで「ハーレイ先生」と言わなきゃな」
「で、でも…! 先生と生徒かどうかなんてこと、誰も気にしていないと思うけど…」
「そうかもしれん。だが、お前は自制できるのか? 俺を先生と呼ばずにいても、きちんと話題を選べるのか? …それも普段とはまるで違う場所で」
出来るのか? と重ねて問われて、ブルーはシュンと項垂れた。
ハーレイと二人で食事に行きたいと考えただけで胸が高鳴っていた自分。本当に二人で出掛けられたならば、間違いなく舞い上がってしまうだろう。ハーレイに甘え、もしかしたら少し我儘も。…傍目にも何処か普通ではない話し方になってしまっている……かもしれない。
「ほら見ろ、自信が無いんだろう? だったら先生と呼ぶしかないし、それでは楽しくないと思うぞ。お前もつまらなく感じるだろうが、その点は俺も同じなんだ」
「…ハーレイも?」
「当然だろう。せっかくのお前との食事なんだぞ、俺だってあれこれ楽しみたい」
……昔の俺たちみたいにな。
そう囁かれて、ブルーの頬が真っ赤に染まった。前の生では食事の合間にハーレイから夜の誘いがあったり、ブルーから控えめに強請ってみたり。そんな話に至らないまでも、心を通わせた者同士での甘い会話は常であったし、手を握り合うくらいは自然な流れで…。
「思い出したか? 俺と一緒に食事に行くには、お前はまだまだ子供ってわけだ」
先生と呼ぶなら連れてやってもいいが、と言われたブルーは反論出来ない。ハーレイ「先生」と食事に行っても、それは確かにつまらないだけだ。
敬語で話して行儀よくなんて、素敵どころか嬉しくもなんともないってば…!
心底ガッカリしたブルーだったが、ふと別の選択肢を思い出す。
店に行くなら周囲を気にして先生と生徒を演じなくてはいけないけれども、ピクニックならば話は別だ。自然の中なら誰も会話を聞きはしないし、思う存分、二人きりの時間を過ごせるだろう。
「ハーレイ、それじゃピクニックは? 海とか山なら誰も居ないよ」
「それも駄目だと言った筈だが?」
ハーレイが苦い笑みを浮かべてブルーの頭をクシャリと撫でた。
「お前、全然、分かっていないな。…そっちの方が俺は困るんだ。店なら周囲の様子が気になる、だから教師として振舞える。…だがな、お前と二人きりになると抑えが利かん」
今よりももっと、とハーレイの手に頬を包まれる。
「何度言えばお前は分かるんだ? お前にキスしたい気持ちを今も必死に堪えてるんだぞ? 此処がお前の家でなかったなら、このままキスしてしまうかもしれん」
「…キスしていいよ、っていつも言ってる」
「馬鹿! そんなことを簡単に言うもんじゃない。そして今なら俺にもそう言える余裕があるが、他の場所だと危ないな。…キスだけで済めばまだいい方で、とんでもないことになりそうだ」
それは困る、とハーレイの唇がブルーの頬に触れた。
「お前へのキスは頬と額だけだ、と決めている。子供向けのキスはそれで充分だ。…その先はお前が育ってから。そう決めた俺を誘惑するな」
「なんでピクニックが誘惑になるの? ハーレイと出掛けたいだけなのに」
唇を尖らせるブルーに、ハーレイは「分からないか?」と優しく笑った。
「俺とお前は一応、恋人同士だろう?」
「一応じゃないよ、恋人だよ!」
「だったら少し考えてみろ。…恋人同士で出掛けることを世間じゃデートと言わないか?」
「あ……!」
ブルーは今度こそ耳の先まで赤く染め上げ、口をパクパクと開けたり閉じたり。
食事に行きたいとか、ピクニックだとか。
今の今まで全く気付いていなかったけれど、ハーレイにデートに連れて行ってと強請っていたとは恥ずかしすぎる。
(…やっぱり、ぼくって子供なのかな? でもでも、シャングリラで過ごしてた頃にはデートなんかは出来なかったし、そんなの分かれって言う方が無理!)
無理、無理、無理~っ! と思うけれども、顔から火が出そうとはこのことだ。ブルーはハーレイの手から逃れて、両手で顔を蔽い隠した。
よりにもよって「デートに行きたい」と強請ってしまった恥ずかしい事実。
デートの中身はハーレイに悉く却下されたが、いつか現実になった時には今日の出来事を思い返して自分でも苦笑するかもしれない。
(…それまでに忘れますように! ハーレイも忘れてくれますように…!)
でないと幸せなデートが出来ない、と情けない気持ちに浸るブルーにハーレイの腕が背後から回されて引き寄せ、自分の胸に抱き締めた。
「何を沈没してるんだ? …俺としては嬉しかったんだがな」
「…えっ?」
ホント? と振り向いたブルーに、ハーレイが「ああ」と大きく頷く。
「お前に「うん」とは言ってやれんが、デートの誘いは嬉しかった。…強請られなくても連れて行ってやるさ、お前が大きくなったらな。海でも山でも、レストランでも」
プロポーズの場所は何処がいい? と鳶色の瞳が笑みを湛えて、ブルーはまたしても真っ赤になった。プロポーズだなんて言われても…。それこそ前世でも経験が無い。
「…え、えっと……。それって、決めなくちゃいけないの?」
「ははは、お前が決めてどうする! さりげなく誘導するのはアリだが、主導権を握っているのは俺だ。俺がお前を貰うんだからな。……何処にするかな…」
俺も初めての経験だしな? とハーレイが片目を瞑ってみせる。
「いいか、ブルー。…お前がこだわった食事もそうだが、今の人生でしか出来ないことが山ほど俺たちを待っているんだ。此処はシャングリラの中じゃない。もちろんアルタミラでもない」
「…うん」
「そしてお前はソルジャーじゃないし、もちろん俺もキャプテンじゃない。自由なんだよ、あらゆることから。…教師と生徒という関係だって、ほんの数年の我慢に過ぎない」
お前が学校を卒業したら…、とハーレイはブルーの赤い瞳を覗き込んだ。
「そうしたら、俺たちはただのブルーとハーレイになる。…お前はメギドに行く前に言ったな、自分はただのブルーだ、と。…だが、あの言葉は嘘だった。お前は最後までソルジャーだった」
「…うん…。そうだったね」
ブルーの胸がツキン、と痛む。ただのブルーだと言っておきながら、ハーレイに別れの言葉も告げずに飛び去った自分。ブルー自身も辛かったけれど、残されたハーレイはどれほどに辛く悲しかったことか。どれほどの涙を流したことか…。
「ブルー、今度こそお前はただのブルーだ。…そして俺だけのブルーになってくれたらいいな、と思っている。プロポーズはいずれ改めて……だがな」
覚えておけ、と自分を抱き寄せる腕にブルーは頬を擦り付けた。温かくて、何処までも優しい腕。この腕の中に居られる自分は、前世よりも何倍も何十倍も幸せな生を生きるのだ…。
ハーレイと二人で食事に行くことは諦めた。ピクニックだって断られた。けれど…。
「……ブルー」
逞しい腕がブルーの身体を壊れ物のように優しく抱き締める。
「お前は普段と違う場所で食事をしたいと言ったが、この部屋でも俺たちには充分なんだ。シャングリラの中では考えられないような場所だぞ、考えてみたことがあるのか、ブルー?」
「…どういうこと?」
分からないよ、と首を傾げたブルーの銀色の髪をハーレイの指がそうっと梳いた。
「…シャングリラではいつ人類の攻撃が来るか、常に警戒していただろう? お前と一緒に過ごしていても、警報を気にしないで済む日は無かった。…この部屋で警報が鳴ることはない。誰も俺たちを攻撃しない。…そんな場所でゆっくり過ごせるだけでも幸せだとは思わないか?」
「………。ホントだ、そうかもしれないね」
「そう思うんなら贅沢を言うな。俺たちは想像も出来なかったほど素晴らしい世界に生まれ変わったし、未来だってある。…今はそれだけで充分だろう? 平和な世界と青い地球だぞ、俺たちには充分に贅沢なんだ。違うか? ブルー」
「……うん……」
ハーレイと二人で生まれ変わった地球。
今はまだ見当もつかないけれども、いつか自分が大きくなったらハーレイと歩む未来が来る。
その時が来るまで、普段と違った場所での食事は我慢しておこう。
大きくなったら二人で何処かへ食事に出掛けて、それだけじゃなくて、沢山、沢山…。
「…ねえ、ハーレイ…。ぼくたち、いつまでも一緒だよね?」
「ああ。お前が大きくなったらな」
だから頑張って沢山食べろ。
耳が痛くなるほどに聞かされた決まり文句が心地よい。
まだ家でしか食事は一緒に食べられないけれど、食べれば少しずつ大きくなれる。
大きくなって、そしていつかは…。
(ダメダメダメ~~~っ!)
それと知らずに「デートに行きたい」と強請ってしまった恥ずかしさだけは忘れたい。
ハーレイも忘れてくれますように、と願うブルーの切実な悩みは、前世でソルジャーとして負っていた重荷に比べれば羽根のように軽いものだった。
十四歳の小さなブルー。
彼がハーレイと共に歩む未来は、幸せに満ちた温かな日々に違いない……。
素敵な思い付き・了