シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
「ハーレイ先生。着任早々、厄介なことになられましたな」
同僚の教師がハーレイに声をかけてきた。
「昨日、搬送された一年生の…。ブルー君でしたか、無期限で彼のお守りだそうで。色々と仕事もお忙しいのに」
「いえ、やり甲斐がありますよ。この顔が役に立つ日が来るとは夢にも思いませんでしたしね」
自分の顔を指差すハーレイに、同僚が「それはまあ…」と曖昧に頷く。
「しかし本当に似ておられますなあ、ブルー君が反応するわけですよ」
「はははっ、私も驚きましたが、ブルー君はもっと驚いたのでしょう。なにしろキャプテン・ハーレイですから」
「いやいや、まったく。ブルー君もそっくりですからねえ…。ソルジャー・ブルーに」
よくもまあ同じ学校に揃ったもんです、と同僚は初めて笑みを浮かべた。
「それで今日から早速ですか?」
「頼まれたからには急がなければと思うのですが…。まだ引き継ぎが終わりませんで」
「ああ、柔道部の顧問も引き受けられたとか…。いやはや、真面目でいらっしゃる。あまりご無理をなさらないように」
お守りは適当になさった方が、と同僚はハーレイを気遣ってくれた。けれど…。
「そうそう出来ない経験ですしね、楽しみながらやるつもりです。気儘な一人暮らしですから、却ってこちらが助かりそうな気もしていまして」
「ははっ、そうかもしれませんな! 三食昼寝つきですか」
「運が良ければそうなりますよ、休日限定ですけどね」
御心配無く、とハーレイは豪快に笑ってみせる。同僚もようやく安心したのか、一緒になって笑い始めた。独身男の休日にしては優雅な待遇かもしれない、と。
青い地球に生まれ変わって再会を果たしたハーレイとブルー。
二人は十四歳のブルーが通う学校の教師と生徒で、ハーレイは昨日着任したばかりだった。前の学校で急な欠員が出たため引き止められてしまい、新年度スタートに間に合わなかった古典の教師。前任者を引き継いで出掛けた教室で、それは起こった。
以前から友人知人に指摘されていたハーレイの顔立ちと、その姿。
遠い昔にミュウたちを乗せ、地球に辿り着いた白い鯨を思わせる船、シャングリラの船長であったキャプテン・ハーレイに生き写しだとよく言われる。自分でも似ていると思っていたし、名前まで同じハーレイなせいで「生まれ変わりか?」とも聞かれたものだ。
しかしハーレイには前世の記憶など無く、ただの偶然だと思ってきた。それなのに…。
授業のことだけを考えながら扉を開けたとある一年生の教室。其処にハーレイが入った途端に、一人の男子生徒がその瞳から血の色をした涙を流した。瞳の色の赤と相まって酷く驚いた次の瞬間、まだ幼さの残る生徒の瞳どころか両の肩から、その脇腹から大量の血が溢れ出して。
「どうしたんだ! おい、しっかりしろ!」
そう叫ぶのが精一杯だった。慌てて駆け寄り、床に倒れた少年の身体を抱え起こしたハーレイの身体を電撃のように貫いた記憶。
(…ブルー?!)
(……ハーレイ?!)
知っている。俺はこの姿を知っている。そしてブルーも、俺を知っている……。
交差し、流れ込む夥しい記憶はハーレイの、腕の中のブルーの遙かに遠い前世での記憶。
ブルーの身体を染めてゆく血が贄であったかのように、かつての自分が何者だったかをハーレイは悉く思い出した。
気を失っている小さなブルーは、前世で愛したソルジャー・ブルー。
だが、生まれ変わった彼に出会えたのだ、という感慨に浸る間もなくハーレイは保健委員の生徒に指示して救急車を呼びに行かせねばならず、ブルーの身体を抱き締めることすら叶わなかった。
せめてもの救いは一部始終を見ていた者として救急車に同乗出来たこと。
病院へと走る救急車の車内でハーレイはブルーの小さな手を握り、何度も何度も声をかけた。
「大丈夫だからな」「すぐ病院に着くからな」と。
そうやって到着した病院でブルーを診た医師が下した診断と、ブルーの両親が伏せておくと決めたブルーの前世。それらを擦り合わせ検討した結果、ハーレイに新しい役目が出来た。
ブルーを無期限で見守ること。
周りから見れば厄介としか思えないそれを、ハーレイは二つ返事で喜んで引き受けたのだった。
ブルーの瞳から、その身体から流れ出した大量の鮮血。
事故かとハーレイを焦らせたそれは、ブルーの身体に何の痕跡も残さなかった。搬送された病院で服を剥がされたブルーの肌には傷一つ無く、制服のシャツが血まみれになっていただけ。
しかも瞳からの出血は既に前例があって、その時の検査も今回の大量出血の検査も結果は全て「異常なし」。
ブルーを診た医師はブルーに前世の記憶が戻ったことと、ハーレイもまた同じであることを考えた末に一つの結論を導き出した。
かつてソルジャー・ブルーであった十四歳のブルーと、キャプテン・ハーレイであったハーレイ。
前世で数百年もの時を共に生きた二人には深い絆があり、今の生では他人とはいえ今後はそうもいかないだろう、と。
かつての記憶を語り合うにしても、これからの生をどう生きるかを考えるにしても、二人には話し合うための時間が必要だ。しかも数百年分の記憶ともなれば、一日や二日で済むわけがない。
「如何でしょうか? ブルー君の今後のためにも、頻繁に会えるようになさっては?」
医師がブルーの両親に告げた言葉は、既にハーレイの承諾を得ている。ハーレイと従兄弟同士の医師は、「俺はキャプテン・ハーレイだったよ」と告げたハーレイとはとうに相談済みだった。
「私の従兄弟……いわゆるキャプテン・ハーレイですが、彼も賛成してくれました。休日は出来る限りブルー君と会い、時間があれば平日も。…そうすれば積もる話も出来ますからね」
「…で、でも、先生……。ブルーだけを特別扱いとなれば、学校から何か言われませんか?」
ブルーの父が心配そうに尋ねた。母も不安げな表情だったが、医師は「その点は問題ありません」と太鼓判を押した。
「以前、ブルー君の出血は聖痕現象の一種では、とお話しさせて頂きましたね。初めて目にした症例だけに、あれから色々と古い資料を調べてみました。そうして分かったことなのですが…」
聖痕が身に現れた人々は繊細なタイプが多かったという。神の受難に思いを馳せるあまりに精神が肉体を凌駕してしまい、その結果として原因不明の出血が起こる。中には出血の量が多すぎ、寝たきりとなってしまった例も少なくはなく…。
「…そ、そんな…! それじゃブルーはどうなるんですか!」
母の悲鳴に、医師は「前世の記憶が戻りましたし、もう出血は起きないだろうと思います」と答えた上で、こう言った。
「しかし、かつての聖痕者たちの症例が此処で役に立ちます。ブルー君の前世を伏せる以上は、出血はソルジャー・ブルーに関連している聖痕だということになります。頻繁に起こして寝たきりになったりしないためには、ソルジャー・ブルーの傷を思い出さないよう精神の安定が必要ですね」
ソルジャー・ブルーの右腕であったと伝わるキャプテン・ハーレイをブルーの側に置くこと。それを私はお勧めします、と医師は微笑み、学校宛の手紙や診断書などを作成した。
ソルジャー・ブルーが受けた傷痕を体現してみせた聖痕者。
そう診断を下されたブルーは、ソルジャー・ブルーの身に起こった悲劇に思いを馳せることがないよう、キャプテン・ハーレイに生き写しなハーレイの見守りを受けると決まった。
遙かな昔にミュウたちを守り、惑星破壊兵器のメギドと共に宇宙に散ったソルジャー・ブルー。
彼の最期は詳らかにはなっていないが、それは一人きりでメギドを破壊した彼を看取った者が誰も居なかった証拠。孤独であった彼の最期をブルーがその身に写すのであれば、キャプテン・ハーレイそっくりのハーレイが身近に居れば状況は変わる。
キャプテン・ハーレイが側に居る以上、ソルジャー・ブルーはメギドには居ない。メギドに行きさえせずにいたなら、その身に傷を負いはしないし、その傷を写し出す聖痕者であるブルーの身体にも傷は現れないだろう。
十四歳の小さなブルーが聖痕を再び起こさないよう、ハーレイは守り役に選ばれた。
けれども、それはあくまで表向き。
本当の理由は「青い地球の上に生まれ変わったソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイが平穏な日々を過ごせるように」という配慮であって、教師と生徒として巡り会った境遇に邪魔をされずに自由に行き来が出来るように、と事情を知る者たちが願った結果。
こうして無期限でブルーの守り役となったハーレイだったが、彼の負担を心配してくれる者たちを他所に、ハーレイの心は明るく弾む。
前世で愛したソルジャー・ブルーの生まれ変わりの小さなブルーを堂々と見守り、その傍らに居ることを許されたのだから。
ブルーの両親には「ブルーをよろしくお願いします」と深く頭を下げられたけれど、礼を言いたいのはハーレイの方だ。
誰憚ることなくブルーの家に自由に出入りし、ブルーの成長を見守ってゆける。今はまだ十四歳の少年に過ぎないブルーが前世のソルジャー・ブルーと同じ姿に育った時には、手を取り合って共に歩んでゆけるだろう。
その日まで自分はブルーを守る、とハーレイは固く決意した。
教師の仕事が多忙であろうと、休日は出来るだけブルーの側に。平日であっても時間が取れれば、仕事の後にブルーを訪ねてゆこう、と。
こうしてハーレイが見守り役となってくれたブルーだったが、肝心のハーレイとは救急搬送された日の夜にほんの少し会えただけだった。翌日からのブルーは大量出血のせいで四日間もの様子見の欠席を余儀なくされて、ハーレイも引き継ぎなどで忙しかったために訪ねてはくれず…。
ブルーがすっかりしょげてしまった週末の土曜日、ようやく来てくれたハーレイの姿。ブルーは大喜びでハーレイを迎え、その日も、あくる日曜日も懐かしい前世の恋人に甘えて過ごした。
とはいえ、月曜日から登校予定の学校では「ハーレイ」と呼び捨てにするわけにはいかない。
ハーレイにも、そして両親からも「ハーレイ先生と呼ぶように」と何度も言われたブルーは日曜日の夜、ハーレイが帰った後で「ハーレイ先生」と声に出してみた。
なんだか少しくすぐったい。
けれど先生と生徒であることは間違いないし、「ハーレイ」ではなくて「ハーレイ先生」。
(…大丈夫かな?)
失敗しないでちゃんと呼べるかな、と幾度も練習を繰り返す内に別の心配事が湧き上がってくる。
「ハーレイ先生」と呼ばなくてはならないハーレイが無期限でブルーの守り役。
学校を休んだ四日間の間に先生たちが全校生徒に説明をしてくれたと聞いているけれど、おかしな目で見られたりしないだろうか?
授業の最中に原因不明の大量出血、おまけにブルー自身も右目からの出血で病院に行くまで聞いたこともなかった聖痕者。大きな身体で教師なハーレイが守り役となったからには、苛められたりはしないだろう。しかし、仲の良かったクラスメイトなどとは疎遠になってしまうかもしれない。
(だって、いきなり血だもんね…。ぼくだって他の誰かがそうなっちゃったらビックリするし)
ハーレイは「心配するな」と言ってくれたが、本当に大丈夫だろうか?
倒れて欠席してしまう前と同じように接して貰えるだろうか、と不安を抱いてブルーはベッドにもぐり込む。もしもみんなに好奇の視線で見られたりしたら…。
(…嫌だよ、そんなの…)
悲しすぎるよ、と呟いてから気が付いた。
クラスメイトたちと疎遠になっても学校に行けばハーレイがいる。「ハーレイ先生」と呼ばなくてはいけない場所だけれども、いざとなったらハーレイの側で休み時間を過ごせばいい。ハーレイはブルーの守り役なのだし、他の教師も駄目だと言いはしないだろう。
(うん、そういうのもきっと悪くないよね)
ハーレイと一緒にランチを食べて、お喋りをして。
そんな風に過ごす休み時間も、先日までの休み時間と違って素敵なものに違いない。
遠巻きに見られるか、気味悪がられるか。
それを覚悟で月曜日の朝、俯き加減で自分の教室に入ったブルーは時ならぬ歓声に取り囲まれた。
「もう出て来てもいいのかよ?」
「怪我はしてないって聞いたけど、本当?」
身動きが出来ないほどの勢いでクラスメイトたちが押し寄せて来る。
「え、えっと…。怪我はしていないし、血が出ただけで…」
おずおずと答えたブルーにワッとクラス中の生徒たちが沸いた。
「すげえや、マジで聖痕ってか!」
「ソルジャー・ブルーと同じ傷だって聞いたわよ? もしかして生まれ変わりなの?」
「…そ、それは違うと思うけど……」
少し心が痛んだけれども、ブルーは嘘を口にした。自分の前世がソルジャー・ブルーであった事実は当分の間は極秘扱い。両親もそう決めているのだし、こんな所で明かせはしない。
「えーーーっ?! でもよ、あの怪我、メギドのヤツだろ?」
「うんうん、撃たれたって話は俺も知ってる! …あんなに酷い怪我だったんだなあ…」
ソルジャー・ブルーって凄かったんだな、と男子の一人が言った言葉を切っ掛けに。
「だよなあ、とっくに三百歳を超えてたんだろ? おまけに身体も弱っていてさ」
「その身体であれだけ撃たれてよ…。それでも守ってくれたんだよなあ、ミュウの船をよ」
「もしもソルジャー・ブルーがメギドを沈めてくれなかったら、私たち、此処に居ないのよね?」
「当たり前だろ、シャングリラごとミュウは滅びちまってそれっきりだよ」
自分たちがこうして生きていられるのはソルジャー・ブルーのお蔭なのだ、と授業で何度も習っている。それだけにブルーの身体を染めていた血がソルジャー・ブルーが最期に負った傷と同じかもしれないと知らされたクラスメイトたちが受けた衝撃は大きくて。
「…あそこまでして俺たちのために未来を作ってくれたんだよなあ…。ソルジャー・ブルー」
「ブルー、お前さ…。すげえよ、ソルジャー・ブルーとシンクロ出来たってえのが」
「やっぱり顔が似ているせいかしら? 凄いわ、ソルジャー・ブルーと同じだなんてね」
でも…、とブルーをひとしきり褒め称えた後でクラスメイトたちは付け加えた。
ブルーはクラスの大切な一員なのだから、二度と倒れたりしないように、と。
「そのためにハーレイ先生が付くんだってな、倒れないように頑張れよ!」
「そうよ、心配したんだから!」
聖痕とやらは凄いけれども一度見せて貰えば充分だから、と口々に言ってくれる皆の気遣いが嬉しかった。見世物扱いでも仕方がない、と思っていたのに、こんなにも誰もの心が優しい……。
「…それでね、ハーレイ」
その日の夜。
事件の後での初の登校はどうだったか、と様子を聞きに訪ねて来てくれたハーレイと自分の部屋で向かい合いながら、ブルーは嬉しそうに微笑んでみせた。
「誰も気味悪がらなかったよ、それにとっても嬉しかった。…ぼくを心配してくれたことも嬉しかったけど、一番はソルジャー・ブルーだった頃の話かな。メギドを沈めておいて良かった、と心の底から思ったよ。あの時、メギドを沈めなかったら今の友達は誰も存在しないんだ」
「…それはそうだが……」
そうなんだが、とハーレイが顔を曇らせる。
「お前は本当にそれで後悔しなかったのか? 誰もお前の側に居ない場所で、たった一人で戦って……あれだけの傷を負った挙句に一人きりで……」
ギュッと拳を握ったハーレイにブルーは「そうだね」と小さく頷く。
「…後悔なら………したよ」
「お前…!」
ハーレイが息を飲むのを見詰めて自分の右の手を差し出す。
「ブリッジで最後に君に触れた手。この手に残った君の温もりを最期まで覚えていようと思っていたのに…。それなのに薄れていくんだよ。…キースが撃った弾が食い込む度に、痛みのせいで消えていくんだ…」
それだけがとても悲しかった、とブルーは寂しげに呟いた。
「最後の最期まで君を覚えていたかったのに…。君の温もりは消えてしまって、独りぼっちで死ぬしかなかった。顔も姿も覚えていたのに、ぼくの手は冷たくなってしまったんだよ…」
「ブルー…!」
ハーレイの褐色の手がブルーの右手を包み込んだ。その温もりを移すかのように、両手で覆って。
「馬鹿だ、お前は…! どうしてあの時、一人で行った!」
「…他には誰もいなかったから…。ぼくしかメギドを止められなかった」
でも、とブルーはハーレイの手に柔らかな頬を擦り寄せる。
「ぼくは帰って来られたんだよ、君と一緒に居られる世界に。だから後悔しなくていい」
今は充分幸せだから、と笑みを湛えるブルーに、ハーレイが立ち上がって細い身体を後ろから椅子ごと抱き締めた。
「…お前の傷なら癒してやる。俺の温もりが消えたと言うなら、温めてやるさ」
小さなブルーの身体を血に染めた遠い日に受けた銃弾の痕。
ハーレイの左腕がブルーを強く抱き締め、右の手のひらが両方の肩に、そして脇腹へと優しく順番に当てられてゆく。その手からじんわりと伝わってくるハーレイの温もり。遠い昔にメギドで失くした温もりと共に、ブルーが受けた傷を癒すかのように。
「……ハーレイ……」
温かい、とブルーは懐かしい温もりに酔う。
遠い記憶がもっと、もっとと求めるままにハーレイの腕に自分の腕を絡み付かせてキスを強請ろうとしたのだけれど。
「こら!」
それは駄目だ、とハーレイがパッと身体を離した。
「お前、まだまだ子供だろうが! お前にキスは早いんだ!」
そんな真似をするなら二度と傷の手当てはしてやらないぞ、と怖い顔をして叱られる。
「いいな、俺はお前を守ると決めた。だからお前をきちんと守る責任がある」
キスが駄目なのもその一環だ、と言われてしまって不満げに唇を尖らせたけれど、ハーレイの態度は変わらなかった。
十四歳の小さなブルーと、その倍以上の年を重ねたハーレイと。
二人が共に歩んでゆける日が訪れるまでは、教師と生徒。
ブルーを守ると決めたハーレイと小さなブルーにとっては、キスさえもまだ遠いものだった…。
聖痕を抱く者・了