シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
前世で焦がれ続けた青い水の星、再生を遂げた地球の上に生まれ変わったブルー。
十四歳になって間もなく、前世での恋人だったハーレイと出会い、当時の記憶を取り戻すまではごくごく普通の少年として生きて来た。
けれどブルーは生まれながらのアルビノであって、身体も前世と同じで虚弱。運動の類は不得手だったし、体育の授業も見学が多い。学校も何かと休みがちなブルー。
そんなブルーの足を学校へと向け、繋ぎ止める大切な存在が出来た。
年度初めに少し遅れて赴任してきた古典の教師。彼こそがブルーの前世での恋人、キャプテン・ハーレイの生まれ変わりで、外見までもそっくりそのまま。
ブルーとの再会を果たして以来、ハーレイは休日の度にブルーの家を訪ねて来てくれるのだが、それだけで足りるわけがない。学校ではあくまで教師と生徒で「ハーレイ先生」と呼ばねばならず、甘えることすら出来ない日々でも、ブルーはハーレイに会いたかった。
廊下で会釈し挨拶を交わし、授業がある時は大好きなハーレイの姿を見詰めて好きでたまらない声を聞く。ただそれだけで感じる幸せ。ハーレイと同じ星に生まれて、同じ時間を生きる幸せ。
(…ハーレイ。ぼくは帰って来たから)
一度は離れて切れてしまったハーレイと共に紡いだ時の糸。
ミュウの未来を、仲間たちを乗せた白いシャングリラをハーレイに託し、ブルー自身がその糸を切った。離れ難い想いを胸に秘めたまま、ミュウの未来を守るために。
あの時、後悔は無かったと思う。
ソルジャーとしてのブルーには後悔は何ひとつ無かったけれども、一人のミュウとしてのブルーの胸には…。
(……覚えてる。ハーレイの温もりを最期まで忘れずにいたかったのに……)
撃たれた傷の痛みの前に消えてしまった、別れ際に触れた手に残ったハーレイの温もり。それを失くして独り逝くことがどれほどに辛く悲しかったか。ハーレイの顔も姿も覚えているのに、その温もりを失くしてしまったことが…。
ハーレイと再び巡り会えるとは思いもせずに、ソルジャー・ブルーだったブルーは逝った。
その悲しみはソルジャー・ブルーの記憶と共に十四歳のブルーの心にも刻まれたから、ハーレイの姿を見られるだけで嬉しかったし、この上もなく幸せな気持ちになれる。たとえその腕に触れられなくても、同じ星の上に、同じ空間にハーレイと生きているのだから…。
ハーレイの居る場所で幸せな時を過ごしていたくて、ブルーは少し無理をした。
以前だったら大事を取って休んだであろう不調の前兆。ほんの一日、家で静かにしているだけで良くなった筈の軽い眩暈を「なんでもない」と母に嘘をつき、学校へ。
運良く、校門を入った所でクラブの朝練を終えたハーレイとバッタリ出会った。
「おはようございます、ハーレイ先生」
ドキドキと跳ねる鼓動を押さえてペコリと頭を下げれば、「ああ、おはよう」と答えが返る。
もうそれだけで幸せ一杯、来た甲斐があったというものだ。眩暈は起きぬけに一度起こしただけだし、来て良かったと心から思う。柔道着を着たハーレイを見られる所は学校しかない。
「どうした、ブルー?」
「いえ、なんでもないです!」
ちょっと見惚れていただけです、などと言えるわけもなく、ブルーは足早に校舎へ向かった。急ぎ過ぎたのか息が切れたが、エレベーターを使わず階段で上る。足を止めたら幸せが胸から溢れ出してしまいそうだったから。
朝一番にハーレイと出会えた嬉しさを誰彼かまわず、捕まえて喋りそうだったから…。
(幸せだよ、ハーレイ。ハーレイが居るだけでホントに幸せ!)
頬が緩みそうになるのを懸命に引き締め、自分のクラスの教室へと。早足と階段はブルーの身体に負担を掛けていたのだけれど、鎮まらない鼓動はハーレイに会えた幸せのそれに置き換わる。
(今日はハーレイの授業もあるしね)
来て良かった! とブルーは心の底から嬉しくなった
古典の授業は午後からだったが、それまでの時間も待ち遠しい。
早くハーレイの顔を見たいし、声を聞きたくてたまらない。今の時間は何処で授業をしているだろう? あの大好きな声を聞いている幸せな生徒は誰だろう?
(ハーレイ…。ホントに好きだよ、ハーレイ)
学校では決して言えない言葉。心の中でしか言えないけれども、それを何度も言える幸せ。
もう会えないと、これで終わりだと遠い昔に思ったことすら、優しい時間に溶けてゆく。こんな幸せを掴めるだなんて、ハーレイの温もりを失くした時には夢にも思いはしなかった…。
(…ふふっ、ホントに夢みたいだ…)
キュッと右手を握ってみる。
メギドで死んだソルジャー・ブルーよりも小さな手。まだ幼さの残るこの手があの頃と同じくらいに大きくなったら、今よりももっと沢山の幸せがブルーの上に降ってくるだろう。
ハーレイと本物の恋人同士になって結ばれ、手を取り合って生きていけるのだから…。
午後の授業でハーレイの姿をたっぷりと眺め、ソルジャー・ブルーであった時から耳に馴染んだ声を存分に聞けて、ブルーは本当に幸せだった。
自分だけに向けられたものでなくとも、ハーレイの瞳と、その声と。
ほんの少しでも自分一人を見詰めてほしくて、声を独占していたくなって、当ててもらうために何度も手を挙げた。
前の生でハーレイに最後に触れた右手を、精一杯に「はいっ!」と元気よく。
ところが上手くは運ばないもので、ブルーの成績はクラスでトップ。当てればスラスラと答えが返るのだから、「生徒が躓きやすい箇所を押さえて今日の授業を進めよう」というハーレイの思惑とは大きくズレる。優秀なブルーは悉く外され、他の生徒ばかりが当たってしまって。
(……今日はダメかも……)
当てて貰えない日なんだろうな、とブルーも薄々分かってはいた。
しかし大好きなハーレイが出す問題や質問を無視するなんて出来る筈もない。
(此処にいるよ。ハーレイ、ぼくは此処にいるから!)
懸命に手を挙げ、結局、一度も当てて貰えなかったのだけれど、それでもブルーは幸せだった。
ハーレイと同じ時を生きる幸せ、同じ教室に居られる幸せ。
手を挙げすぎて身体に更なる負担がかかったことにも気付かず、幸せだけを噛み締める。
(ハーレイの授業を聞けて良かった! 学校に来てホントに良かった!)
休んでいたら会えないもんね、と授業を終えて出てゆくハーレイの背中を見送り、微笑んだ。
終礼が済んだら、体育館の方に行ってみよう。
運動部の生徒たちが闊歩する放課後の其処はブルーには場違いな場所であったし、中へ入って見学する勇気は無かったけども…。
(…でも、ハーレイが入って行くのを見られるかも!)
朝に出会った柔道着のハーレイ。
滅多に見られない姿だからこそ、一度見てしまうと欲が出る。
もっと、もっと、と欲張りになってしまったブルーは部活の無い生徒が次々と下校していく中を体育館の側で待ち続けた。
(…ハーレイ、まだかな…。まだ来ないかな?)
もうちょっとだけ、あと五分だけ、と待てど暮らせどハーレイは来ない。ふと気が付けば終礼を終えてから一時間近くも経っていて。
「いけない、ママが心配しちゃう!」
慌ててブルーは駆け出した。負担を掛け過ぎた身体へのダメ押しになるとも知らず、ハーレイが今日は部活ではなく会議だったことも知らないままで…。
欲張りすぎて帰宅が遅くなった上、柔道部に向かうハーレイの姿も見られず終い。
それでも登校して直ぐにハーレイに会えて、ハーレイの授業も受けられた。もうそれだけで幸せ一杯、早く明日になって学校へ行きたいとブルーは思う。
学校に行けばハーレイが居るし、たとえ古典の授業が無くても一度くらいは何処かで出会える。運が良ければ、ほんの短い時間だけれども立ち話だって…。
(ハーレイ先生、なんだけれどね…)
好きだなどとは絶対に言えず、あくまで先生と生徒の関係。
いくらハーレイがブルーの守り役であると知られてはいても、恋人同士なことは絶対秘密で。
(…でも、会えるだけで幸せだもんね…)
本当ならば自分がメギドへ飛び立った時が永遠の別れであったハーレイ。
ハーレイの命が尽きた時に別の世界で巡り会えるかも、とは思ったけれども、まさか前世と同じ姿で地球の上で巡り会えるとは…。
ハーレイにこの手で触れることが出来て、その姿を見て、声まで聞けて。
思念体や魂などではなくて、生の温もりを持った身体で会える幸せ。
(幸せだよ、ハーレイ…。ホントに幸せ!)
この言葉を何度、心の中で、ハーレイの前で、その腕の中で言っただろうか。
ブルーの身体が幼すぎるせいで結ばれることも出来ずキスすらも叶わない仲だったけれど、いつかはそれも過去のものとなる。
ハーレイの傍らで伴侶として生きる日を夢に描きながら、ブルーは自分の小さなベッドで幸せな眠りに落ちていった。
そうして翌朝、今日もハーレイに会いに学校へ行こうと目覚ましの音で目を覚ましたのに。
(……あっ…!)
昨日よりも酷い眩暈に襲われ、ブルーはベッドに引き戻された。
身体がだるくて起き上がれない。目覚ましを止めようと伸ばした手にも力が入らず、止めることだけで精一杯。起きて制服に着替えたいのに、身体が言うことを聞いてくれない。でも…。
(…起きて学校に行かなくちゃ…)
ハーレイに会える大切な場所。
以前だったらこんな時には起きようともせず、母が心配して部屋に来るまでベッドの中に居たのだけれど、今は学校に行けばハーレイが居る。だから行きたい。起き上がりたい。
(…学校に行って、ハーレイに…)
どうしても行って会わなくちゃ、とベッドから這い出そうとして落っこちた。絨毯に手を突き、起き上がろうとしていた所へ扉をノックする音が聞こえて。
「ブルー、開けるわよ? …どうしたの、ブルー!」
母が悲鳴を上げて駆け寄り、出勤前だった父に抱き上げられてベッドに戻る羽目になる。ブルーには以前からありがちなことだけに病院へとまでは言われなかったが、学校へ行ける筈もない。欠席の連絡をしに階下へ降りてゆく母が消えた後、ブルーはポロリと涙を零した。
今日はハーレイに会いに行けない。
同じ時間を生きているのに、今日はハーレイの姿を見られない上に声も聞けない。
(…土曜日だったら良かったのに…)
それならハーレイが来てくれるのに、と悲しい思いで一杯になる。
昨日はあんなに幸せだったのに、今日はすっかり正反対だ。
(ハーレイ…。会いたいよ、ハーレイ、会いたいのに…)
昨日休めば良かっただろうか、とも思ったけれども、昨日はとても幸せだった日。休むだなんてとんでもない、と昨日の幸せに思いを馳せる。本当ならば今日だって……。きっと…。
幸せな筈の日を逃したブルーはベッドの中でしょげていた。
寝ていたお蔭で身体はずいぶん楽になったが、明日は学校に行けるだろうか? 行けなかったらどうしよう、と気分が落ち込む。頑張って夕食は食べたけれども、明日はどうなるか分からない。
(…どうしよう…。明日もハーレイに会えなかったら…)
そんなの酷い、と泣きそうな気持ちになっていた時、扉が軽く叩かれた。
「…ブルー?」
遠慮がちに掛けられた声にブルーの心臓が跳ね上がる。
「……ハーレイ?!」
なんで、と身体を起こそうとしたブルーを、入ってきたハーレイが「寝てろ」と止めた。
「無理するな。…お前、昨日から無理をしてたんじゃないか?」
「えっ?」
「朝、会った時に妙にはしゃいでいたからな」
「…そんなこと…」
ない、と口にしかけて不思議に思った。自分はハーレイに挨拶しただけで、それ以上は何もしていない。ハーレイに「どうした?」と尋ねられたから、「なんでもないです」と答えたけれど…。
「声に出さなくても顔で分かるさ」
ハーレイの手がブルーの前髪をクシャリと撫でた。
「じゃれついてくる子犬みたいな顔をしてたぞ。もう嬉しくてたまらない、という感じの顔だ。お前、普段はそこまで舞い上がってはいないだろうが」
「……ぼく、顔に出てた?」
ブルーの頬が赤くなる。
ハーレイの姿を見ているだけで幸せだったし、学校ではいつも幸せ一杯。それを周りに気付かれないよう努力していたのに、昨日は顔に出ていただろうか?
「安心しろ、俺しか気付いていないさ。それよりも、お前…」
前と同じで弱いんだな、とハーレイの鳶色の瞳が曇った。
「前の身体と全く同じに弱く生まれてしまったんだな…。お前はこんなに小さいのに」
可哀相に、と大きな手がブルーの額に置かれる。
「俺は頑丈すぎる身体に生まれて来たのに、お前は弱いままなのか…」
ハーレイが心を痛めていることが手のひらを通して伝わってきた。自分は丈夫な身体に生まれて人生を謳歌しているというのに、ブルーは前と同じなのか、と。
ブルーだって弱い身体は辛い。現に今日だってそのせいで…。
けれど……。
「……ううん。弱いけど、前と同じじゃないよ」
違うんだよ、とブルーは微笑んだ。
「ねえ、ハーレイ。「ブルー」って呼んで」
「………? 呼ぶだけでいいのか?」
「うん」
請われたハーレイが「ブルー」と、ブルーの大好きな声でブルーの名を呼ぶ。優しい声が鼓膜を心地よく擽り、ブルーの心を震わせる。
「…もう一度、呼んで」
「ブルー?」
「もっと小さく。もう一度、もっと、もっと小さく…」
求めのままに繰り返される声は小さく微かになり、ついには囁くような響きとなった。それでもブルーの耳に届く声。前の生の時とまるで変わらない、暖かく穏やかにブルーを呼ぶ声…。
「…ブルー? ブルー…?」
「ほら、ハーレイ。…分からない? …君の声がちゃんと聞こえてるんだよ、ぼくは補聴器をしていないのに。ハーレイも補聴器、していないよね?」
ハーレイが息を飲むのが分かった。そう、そんな息遣いすらも聞き逃さないブルーの耳。前世と同じ弱い身体に生まれたけれども、これが全く違うこと。
ブルーはクスッと小さく笑った。
「…普通に聞こえて、普通に話せる。サイオンの助けを借りなくてもいい。こんな「当たり前」のことがとても嬉しいだなんて思わなかった」
思い出す前は「聞こえない」ことなんて想像したこともなかったけれど、とブルーは続ける。
「前は補聴器が無いとハーレイの声も全部は聞こえてなかったと思う。…だけど今はどんな小さな声でも補聴器もサイオンも無しで聞こえる。…これがハーレイの声なんだ、って幸せになれる」
それだけで幸せでとても嬉しい、とブルーはハーレイに「呼んで」と強請った。
「もう一度、呼んで。…ぼくの名前」
「…ブルー。…そうだな、俺もお前も今は補聴器無しだったんだな…」
お互いの声が聞こえるんだな、とハーレイの褐色の手がブルーの両方の耳をそっと包んだ。
束の間、通い合った優しい時間は恋人同士だからこそ持てるもの。
ブルーの母がいつものように「お茶は如何?」と部屋を訪ねて来ないこともあって、ゆっくりと時が流れてゆく。
ハーレイがブルーを見舞う間の短い時間だったのだけれど、それは満ち足りた幸せな時間。
「お前のどんなに小さな声でも聞き落とさない幸せ、か…」
考えたこともなかったな、とハーレイの手がブルーの額を撫でた。
「俺は頑丈に生まれたせいで気付かなかったが、お前はそれに気付いていたのか…」
「…えーっと…。きちんと考えたのは今が初めてかも…」
ハーレイの声を聞いているだけで幸せだったし、と無邪気な笑みを浮かべるブルーにハーレイが「そうか」と笑って頷く。
「俺の声だけで幸せというのは確かに顔に出ていたな。…お前がちゃんと大きく育ったら、もっと幸せになれると思うぞ」
「えっ?」
「ベッドの中でもサイオン抜きで本物の声が聞けるんだ。…な? 考えただけでも幸せだろう?」
「……ベッド……?」
何のことだろう、と自分が横たわるベッドに目をやったブルーの脳裏に前世の記憶が蘇った。
ハーレイと二人で青の間に置かれた大きなベッドで…。
「…ちょ、ハーレイ…! ベッドの中って…!」
ベッドでの睦言は全て聞こえていたのだけれども、前世のブルーの聴力からすれば、それは有り得ないことだった。補聴器を外せば囁き声など聞こえないのだし、無意識の内にサイオンで補って聞いていた筈。…その声を全部、サイオン抜きで…!
(…う、嘘……!)
耳の先まで真っ赤に染めたブルーの鼓膜をハーレイの笑い声が擽った。
「……お前には少し早すぎだがな。しっかり食べて大きくなれよ」
弱いのも少しは治るだろうさ、と可笑しそうに笑うハーレイの胸をポカポカと叩きたかったが、生憎とブルーはベッドの住人。上掛けを顔の上まで引き上げ、その下で頬を熱くする。
(…バカ、バカ、バカ! …ハーレイの馬鹿!)
心の中でそう叫んでも、ハーレイの笑い声が耳に心地よい。
巡り会えたからこそ聞くことが出来る、好きでたまらないハーレイの声。
明日は学校に行けますように、とブルーは祈る。明日もハーレイの声が聞けますように……。
聞こえる幸せ・了