シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(えーっと…)
ブルーが眺めた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間に。ダイニングのテーブルに置かれていた新聞、それを広げてみたのだけれど。
(サボテンが一杯…)
赤茶けた岩砂漠とでも言うのだろうか、荒地にニョキニョキと生えたサボテン。人間の背よりも丈が高くて、枝分かれしている独特の姿。「西部劇の舞台でお馴染みです」と書かれてあった。
(西部劇かあ…)
SD体制が始まるよりも遥かな遠い昔に生まれた西部劇。当時に撮影された映画などが人気で、愛好家も多い。詳しいことは知らないけれども、父が見ていたことがあるから舞台は分かる。
今ではこういう景色もある地球。サボテンしか見えない岩砂漠。
その気になったら緑の大地も作れるだろうに、あえて荒れ地で生きているものはサボテンだけ。
(ホントに元気になったよね、地球)
前の自分が生きた頃には、地球は死の星だったのに。
こんな砂漠を作らなくても、地表は砂漠化していたという。前のハーレイも見た赤かった地球。生きているものなど何も無かった。陸にも、母なる海の中にも。
SD体勢の崩壊と同時に地球は燃え上がり、地上の全てが生まれ変わった。汚染された大気も、何一つ棲めなかった海も、朽ち果てた大地も、何もかもが。
蘇った地球に戻った生態系。地球が滅びる前の姿に合わせて、こういう岩の砂漠まで。
人間が住みやすい場所にするなら、砂漠よりは緑の平原だけれど、そうしないのが今のやり方。遠い昔に地球が滅びた理由の一つがそれだったから。
人の都合で川の流れを変えてしまったり、沢山の水を汲み上げたりして作った農地。本来の姿を失った大地は急速に砂漠化していった。元々は人が住んでいた場所、そこまでが砂の嵐に埋もれて消えた。人が犯した大きな過ち。自然を大きく変えてしまうこと。
遥かな昔の反省をこめて、今の地球には砂漠もある。砂の砂漠も、岩の砂漠も。
歴史の彼方で白いシャングリラが辿り着いた頃には、地球は砂漠の星だったのに。
あの赤い地球を見た人々に「今は砂漠もあるんです」と言おうものなら、「あの頃も砂漠だ」と苦々しい顔をされそうだけれど、本当に今もある砂漠。ただしサボテンが生えている砂漠。
(ちゃんと命は戻ってるんだよ、砂漠にも)
サボテンの他にもいる筈の生き物、写真に写っていないだけで。鳥も虫も蛇も、他にも色々。
前の自分が生きた時代の砂漠とは違う、何もかもが。同じ砂漠でも、きちんと命が息づく場所。
もっとも、前の自分は地球は青いと頭から信じていたけれど。
様々な命が生まれて来た地球、辿り着いたなら何処もかしこも生命の輝きで一杯だろうと。
それを見たいと願っていた。青い地球を彩る命の数々。
(でも、サボテンは…)
流石に夢見ていなかった気がする、こんなサボテンだらけの荒地は。岩の砂漠は。
いつか母なる地球に着いたら見たかったものは、人を寄せ付けない高い峰に咲くという青いケシやら、シャングリラにもあったエーデルワイスが自生している姿やら。
サトウカエデの森もあるのだと思っていた地球、その森で採れたメイプルシロップで食べたいと願ったホットケーキ。地球の牧草を食んで育った牛のミルクのバターもつけて、と。
そういった夢を見ていたんだよ、と思ったけれど。
西部劇の舞台になった砂漠も、ニョキニョキと生えているサボテンも、前の自分が焦がれ続けた地球の姿には無かった筈だ、と新聞の写真を眺めたけれど。
(…あれ?)
サボテンという言葉が引っ掛かった。心の何処かに、微かにカサリと。
西部劇の世界にニョッキリと生えたサボテンではなくて、ただ「サボテン」という言葉。
前の自分は地球のサボテンを夢見たろうか?
すっかり忘れてしまったけれども、岩の砂漠に生えているようなサボテンを。
(…サボテンなわけ?)
そんな記憶は無いんだけれど、と首を捻って閉じた新聞。サボテンよりもまずはおやつ、と。
食べる間に考えてみても、やはりサボテンの記憶は無くて。
(気のせいだよね?)
きっと何かの勘違い、とキッチンの母に空になったお皿やカップを返して戻った部屋。勉強机の前に座って、改めてサボテンを思い浮かべてみた。さっきの新聞記事のサボテン。
(いくらなんでも…)
前の自分が憧れた中に、サボテンは入っていないだろう。西部劇が大好きだったならともかく、それ以外ではサボテンを夢見る理由が無いから。
(他の種類のサボテンにしたって…)
見たいと焦がれる植物とは少し違うと思う。夢もロマンも無さそうなサボテン。
サトウカエデの森のようにメイプルシロップが採れるのだったら、それは素敵な植物だけれど。高い峰にしか咲かない青いケシやエーデルワイスだったら、見に行く価値もあるのだけれど。
(サボテンだしね…?)
人の役には立ちそうもないし、夢が広がる植物でもない。多分。
けれど、頭から消えないサボテン。どうしたわけだか、しっかりと心に絡み付いたまま。
サボテンは何かの役に立つのだろうか、前の自分が夢見る価値があっただろうか…?
(ドラゴンフルーツ…)
役に立つと言えば、そのくらいしか思い付かない。あれはサボテンの実なのだから。
美味しい果物には違いないけれど、今ならではの味覚の一つ。白い鯨では育てていないし、前の自分は食べてはいない。味を知らないのでは、見たいとも思わないだろう。いつか地球に着いたらドラゴンフルーツが実るサボテンを見に出掛けたいと夢見もしない。
(それとも、前のぼくが奪ったわけ?)
シャングリラがまだ白い鯨ではなかった頃に。食料は人類の輸送船から奪うものだった時代に、ドラゴンフルーツも奪って来たのだろうか。他の食料と一緒にコンテナに入っていたとかで。
それならば食べて気に入ったかもしれないけれども、そういうのとは違う感覚。
サボテンの記憶はもっと別の、と心が訴えている違和感。ドラゴンフルーツの味は違う、と。
ならば何だと言うのだろう。サボテンだった、と思う自分は。
(サボテンは役に立たないのに…)
あんなのだよ、と思い浮かべたさっきの写真。赤い岩砂漠に生えていたサボテン。
白いシャングリラには、あれは無かったと断言出来る。あのサボテンは何処にも無かった、と。
(それに、棘だらけ…)
種類にもよるけれど、サボテンは大抵、棘があるもの。鋭い棘を生やしているもの。
栗のイガでもゼルが「危険じゃ」と言ったほどだし、役立たずで棘だらけのサボテンなどは…。
(あるわけないよね、シャングリラに)
うん、と納得したのだけれど。まだ引っ掛かってくるサボテンの記憶。
サボテンの棘が刺さったかのように、心から抜けてくれないサボテンという言葉。あった筈などないものなのに。白い鯨で役に立たないサボテンを育てたわけがないのに。
(絶対、無いって…!)
役に立たないし、棘だらけだし、と思うけれども、だんだん自信が無くなって来た。サボテンの棘が心に刺さって抜けないから。今も刺さったままだから。「サボテンなのだ」と。
(サボテンなんかは、シャングリラには…)
必要無かった筈の植物。余計なものなど乗せていなかった船がシャングリラ。
役に立たないから、蝶さえも飛んでいなかった。青い小鳥も飼えなかった。そのシャングリラに役立たずのサボテンがあったと言われれば驚くしかない、「なんでそんなものが」と。
誰も導入しようとしないし、育てた筈もないのだけれど。
やっぱりサボテンの棘が抜けない、心に刺さった「サボテン」の名前。不思議なことに。
(…ハーレイに訊く?)
まさかあったとは思えないけれど、あったなら知っているだろう。キャプテンは船の全てを把握していたのだから、サボテンがあれば。誰かがコッソリ育てていたというのでなければ。
(…コッソリだったら、ぼくだって…)
もっと記憶がハッキリ残っていそうではある。それを育てていた仲間の顔や名前まで。どうしてサボテンをコッソリ育てているのだろう、と疑問に思ったことだろうから。
なんとユニークなことをするのかと、そんなにサボテンが気に入ったのか、と。
ハーレイに訊くのが確実そうなサボテンの記憶。仕事の帰りに寄ってくれれば、と思っていたらチャイムが鳴った。窓に駆け寄ってみれば、門扉の所で手を振るハーレイ。丁度いいタイミングで来てくれた恋人。
母がお茶とお菓子を置いて行ったテーブルを挟んで向かい合うなり、訊いてみた。
「あのね、サボテンを覚えてる?」
「サボテン?」
なんだそれは、とハーレイの鳶色の瞳が丸くなるから。
「やっぱり無いよね…。サボテンなんか」
役に立たないし、棘だらけで危ない感じだし…。あったわけがないよね、サボテンは。
「なんの話だ?」
どうやら植物のサボテンらしいが、サボテンがどうかしたのか、お前?
「んーと…。シャングリラにサボテン、あったかなあ、って…」
ドラゴンフルーツは食べていないと思うんだけど…。他のサボテン。
「前の俺は料理はしてないぞ。サボテンは食えるそうだがな」
お前の言ってるドラゴンフルーツはサボテンの実だが、そうじゃないサボテン。
「そうだったの?」
他のサボテンの実も食べられるの、ドラゴンフルーツじゃないサボテンも?
「実だって食えるが、サボテン料理というのがあるんだ」
種類によっては、サボテンそのものを料理しちまう。野菜と同じ扱いだな。
サラダにもするし、炒めたり、フライにするだとか…。もちろん棘は綺麗に抜いて。
「へえ…!」
棘があるのに、それを抜いてまで食べるんだ?
そこまでするなら美味しいんだろうね、サボテンの料理。
「らしいな、俺も食ったことは一度もないんだが…」
ドラゴンフルーツがせいぜいなんだが、いつかは食ってみたいもんだな、サボテン料理。
お前と好き嫌い探しの旅をする時は、是非とも食いに行こうじゃないか。俺たちの口に合うのかどうか、サボテン料理を色々とな。
サボテンの名産地だという、かつてメキシコと呼ばれた国があった辺りの地域。サボテン料理は其処の名物で、SD体制の時代には無かった食べ物らしい。サボテンを食べる文化が独特過ぎて。
ドラゴンフルーツは果物だったから残ったけれども、サボテンそのものを料理するのは。
「…それじゃ、シャングリラにサボテンがあったのかも、っていうのは、ぼくの勘違い…?」
前のぼくたちが生きてた頃には、サボテン、野菜じゃなかったんだし…。
シャングリラで育てる意味が無いよね、食べられないんじゃ。
「だろうな、サボテンなんぞがあるわけがないぞ」
食おうって文化が無かったからには、あの船では役に立たんしなあ…。花と違って癒されるってわけでもないし…。棘だらけでウッカリ触れもしないし、公園にだって向かないんだ。
今の時代も、その辺の公園にサボテンなんかは植わっていないぞ、危ないからな。子供が触って怪我でもしたら大変だから、って所だろうが…。
それにサボテンは寒さに弱いし、公園に植えたら冬の間は特別な世話が要るだろう。囲いをして霜や雪から守ってやらんと…。それだけの手間をかけた挙句に、子供が怪我しちゃ話にならん。
つまりだ、今の時代でもサボテンってヤツは、役に立つどころか手間だけかかって…。
いや、待てよ…?
役に立つどころか手間だけと来たか…。
ちょっと待ってくれ、と眉間を指でトントンと叩いているハーレイ。
そうすれば記憶が戻るかのように、まるで魔法の仕草のように。「サボテンなあ…」と呟いて。
「…サボテンには色々と種類があって、だ…」
同じサボテンとはとても思えん姿形のが山のようにあって、大きさだって色々で…。
中には食えたり、薬になったり、人間様の役に立つものも…って、そうだ、思い出したぞ!
シャングリラにサボテンはあったようだぞ、お前の勘違いでも記憶違いでもなくて。
「ホント?」
何か役に立つサボテンがあったの、あの船に?
ぼくはすっかり忘れているけど、ぼくもそのサボテンのお世話になってた…?
「いや、違う。お前がサボテンの世話になるどころか…」
逆だ、逆。シャングリラにあったサボテンは、全く逆のサボテンだった。
「えっ?」
逆っていうのはどういう意味なの、いったいどんなサボテンだったの?
「文字通りに逆っていうことだ。人間様の役には立たない」
前の俺たちにも、船で飼ってた動物たちにも、まるで役に立たない、ただのサボテン。
世話されるばかりで、恩返しは一度もしなかった。
役立たずの極め付けってヤツだな、あのシャングリラにあったこと自体が奇跡のような。
普通だったら「これは駄目だ」と放り出されて終わりだったぞ、あのサボテンは。
シャングリラの中には、役に立たないものなど一つも無かったからな。
前のお前が「青い鳥を飼いたい」と言っても、却下されたのがシャングリラだ。
だが、あの役立たずのサボテンはのうのうと乗っていたんだ、何もしないでドッカリとな。
ヤツが来たのはまさに偶然というヤツで…、とハーレイが浮かべた苦笑い。
「前のお前が奪った物資の中にだ、コッソリ紛れていやがったんだ」
覚えていないか、ヤツがシャングリラに来た時のこと。
このくらいのサボテンが植わった鉢が混ざっていただろうが、と手で示された小さな球形。
本当に小さな、直径三センチほどの丸い形をハーレイが指で作っているから。
「そうだっけ…?」
丸いサボテンみたいだけれども、そんなの、シャングリラにあったかなあ…?
ぼくは全然覚えていないよ、サボテンが物資に混ざってたことも。
「そうだろうなあ、その様子じゃな。すっかり忘れてしまったようだが…」
ヒルマンの金鯱と言えば分かるか、あのサボテン。
「ああ…!」
思い出したよ、あったね、金鯱!
ヒルマンが育てていたんだっけね、何の役にも立たないサボテンだったけど…!
シャングリラが白い鯨になるよりも昔、前の自分が物資を奪って、それで生活していた頃。
ある時、人類の輸送船から失敬して来たコンテナの中に、何故か混ざっていたサボテンの鉢。
さっきハーレイが手で作ったような小さなサボテンが植えられた鉢が一個だけ。
どう見ても船の役には立ちそうにない上、小さいながらも鋭い棘を纏ったサボテン。廃棄処分にするしかない、と捨てる方へと選り分けられた。それがシャングリラの鉄則だから。役に立たないものは廃棄し、そうでないものは出番が来るまで倉庫で保管、と。
ところが、サボテンが混ざっていたと聞き付けたヒルマンが鉢を検分しにやって来たことから、ガラリと変わったサボテンの運命。
ヒルマンはサボテンを矯めつ眇めつ調べた末に、前の自分たちを招集した。キャプテンは当然、ゼルにブラウにエラといった面々。誰もがまだまだ若かったけれど。
シャングリラでの決定権を持つ者たちを集めて、サボテンの鉢を指差したヒルマン。テーブルに置かれた小さな鉢を。
「このサボテンだがね…。廃棄処分に決まったようだが、かまわないのなら…」
私が育ててみたいのだがね。…何の役にも立たないことは承知なのだが。
「育てるって、また…。なんでだい?」
今、役に立たないって言わなかったかい?
なんだってそんなものを育てようって言うのさ、エネルギーと時間の無駄じゃないか。
分からないねえ、とブラウが頭を振って、前の自分たちも頷いた。役に立たない上に棘だらけのサボテン、それを育てて何になるのか、と。
「これは大きくなるらしいのだよ、今はまだ小さいサボテンだがね」
ほんの子供だ、赤ん坊と言ってもいいくらいの年の頃だろう。育てばもっと大きくなるそうだ。直径が一メートルになると言うから、いやはや、この姿からは想像もつかない大きさで…。
そこまで育とうというサボテンだけに、花が咲くのは三十年後だということだよ。
「三十年だって?」
ちょいとお待ちよ、三十年って、十年の三倍の三十年かい?
そんなに経たないと花が咲かない赤ん坊なのかい、このおチビさんは…?
ブラウが思わず「おチビさん」と呼んでしまったくらいに小さなサボテン。三十年後までは花が咲かないらしいサボテン。
誰もが唖然としたのだけれども、それがサボテンの正体だった。二百年とも言われる長い寿命を持ったサボテン、金鯱という名前があるらしい。
「この金鯱は人類の世界で人気だそうだよ、ただし問題は寿命の長さだ」
花が咲くまでに三十年だけに、どのくらい経てば花を見られるかを考えてもみたまえ。
いいかね、今から育てて三十年もかかるのだよ…?
「…教育ステーションを卒業してから、直ぐに育て始めても長そうだねえ…」
大負けに負けて、ステーション時代に育て始めたと勘定しても…、と考え込んだブラウ。
その金鯱の鉢を抱えて社会に出てから二十六年、そんなに経たないと花は無理か、と。
養父母になるコースに進んだのなら、最初の子供が成人検査を受けて旅立った後になるね、と。
「えらく気の長い話だな、おい」
最初の子供は、いつまで経っても花の咲かないサボテンを見ながら育つわけか、と呆れたゼル。
次に来た子供も成人検査を受ける二年ほど前まで花を見られそうもないじゃないか、と。
サボテンの金鯱は花が咲くまでに三十年かかるもの。ブラウが計算していた通りに、成人検査を受けた直後から育て始めても、社会に出てから二十六年が経つまで花は咲かない。
養父母になるなら、二人目の子供が成人検査を受けて巣立ってゆく二年前まで咲かない花。先の子供は花が咲くことさえ知らないままで旅立つことになるだろう。
養父母になってから金鯱を育て始めたのなら、二人目の子供も花が咲くのを見られない。子供は十四歳で成人検査を受けるものだし、二人育てても二十八年、三十年には足りないから。
そういう平凡な人生を歩む者たちと違って、地位のある者。高い地位と収入を得ている者なら、高価な金額をポンと支払い、直ぐに花の咲く金鯱の立派な鉢を買えるシステムらしいけれども。
「へえ…。メンバーズ様の御用達かい、このサボテンは?」
これは一般人向けらしいけどね、とブラウが鉢を顎でしゃくった。
もっと育って立派になったら、メンバーズ様が高い値段でお買い上げになるのかい、と。
「そんな所だろう。直ぐに花が咲く金鯱を買えるとなったら、そういう人種になるだろうね」
メンバーズ・エリートだの、元老だのという社会を牛耳る連中だけの特権だよ。
だから育ててみたいわけだよ、幸い、時間はたっぷりとあるし…。
寿命の長いミュウの船には、ピッタリの植物だと思わないかね?
三十年は人類にとっては人生の三分の一になってしまうが、我々はそうではないのだから。
「いいねえ、ちょいと偉くなった気分になれるよ」
今はチビでも、いずれはメンバーズ様がお買い上げになるような立派な姿になるんだし…。
そんな御大層なサボテンってヤツが、あたしたちの船にあるっていうのも素敵じゃないか。
育ててみよう、とブラウが賛成、ゼルも「俺も賛成だな」と手を挙げた。役に立たなくても実に愉快な話だから、と。
前の自分も、ハーレイも、エラも異存は無かった。
ごくごく少数の人類のエリート、彼らだけが直ぐに花が咲くのを見られるサボテン。他の者なら三十年も待たないと花を見られないサボテン、それを育てるのも一興だろうと。
ミュウにとっては、三十年は大したものではないのだから。十年の三倍に過ぎないのだから。
そうしてシャングリラで育てることに決まった小さなサボテン。ほんの赤ん坊だった頃の金鯱。
ヒルマンが正体に気付いたお蔭で、廃棄処分を免れた。宇宙に捨てられてゴミになる代わりに、船の中に居場所を得ることが出来た。何の役にも立たないけれども、花さえ咲かないのだけれど。三十年が経たない限りは、ただの棘だらけの丸いサボテン。
そのサボテンの鉢をヒルマンがせっせと世話していた。白い鯨になる前の船で。
「…シャングリラを改造しようって話が出始めた頃だぞ、花が咲いたのは」
ヒルマンがサボテンを育て始めた時には、誰も想像さえしなかったがなあ、改造だなんて。
…それだけの技術を前の俺たちが手に出来るなんて、夢にも思っていなかった頃だ。いつまでもあの船で宇宙を旅していくんだろうと信じていたがな、前の俺でさえも。
「うん、ぼくだって…」
ずっとあの船で、修理をしながら旅をするんだと思ってた。前のぼくが物資を奪いながら。
自給自足で生きていける船なんて、考えてさえもいなかったよ。白い鯨の欠片さえもね。
…だけど、あのサボテンの花が咲いた頃には、そういう話になっていたんだよ。
三十年なんて大したことはないって思って育てていたけど、そういう意味では凄かったかも…。
とんでもない長い年数をかけて育って、やっと花が咲いたあのサボテン。
シャングリラがすっかり生まれ変わるような話が出て来る頃まで、花を咲かせずにいたなんて。
「まったくだ。気が長いにも程があるってな」
ほんのこれくらいだったのに、花が咲く頃にはデカく育っていたからなあ…。
ついでに、花が咲くようになっても、まだまだ育つと来たもんだ。
「そうだったよね…」
ヒルマンが言った通りにぐんぐん育っていったんだっけ。
育つスピードは遅かったけれど、人類だったら、育ち切るより前に寿命が尽きただろうけど。
寿命は二百年ともヒルマンが話していた金鯱。直径一メートルくらいに育つのだとも。
予言通りに、それは大きく育ったのだった、あのサボテンは。
サボテンの鉢を手に入れたシャングリラの改造が無事に終わって、白い鯨になった後にも…。
「まだ育っている最中だったっけね、サボテンは…」
寿命が尽きる気配さえ無くて、少しずつ大きくなっていって。
「逞しく生きてやがったなあ…」
最初の姿はこんなのだった、と言っても信じて貰えないくらいにデカくなっちまって。
あいつ専用の場所まで貰って、次の代まで育てられていて…。
ヒルマンの世話が上手かったんだろうな、あんなにでっかく育ったってことは。
人類のお偉方だって、これほど立派な金鯱を持っちゃいないだろう、と思って見ていたもんだ。
パルテノンの庭にはあったかもしれんが、個人じゃとても持てなかっただろう。
自分の寿命が尽きてしまって、世話するどころじゃなくなるからな。
…今と違って血の繋がった家族はいないし、代々、受け継いでいくのは無理なんだから。
「そうだよね…。後継者に譲る、っていう発想は無さそうだし…」
人類は自分のことだけしか考えていない種族だったし、次の誰かに譲りはしないね。
そうするくらいなら捨ててしまえとか言い出しそうだよ、自分が死んだら処分しろ、って。
「如何にもありそうな話だな。…寄付すらしそうになさそうだな、うん」
これがミュウなら、次の世代のためにと残しておくものなんだが…。
次の世代の金鯱を育てていたっていうのも、そのためなんだが、人類だとな…。
自分が死んだら墓場まで持って行きそうだよなあ、実際の所はどうなっていたのか知らないが。
「処分しろ」と遺言を遺したとしても、マザー・システムが回収させた可能性もある。なにしろ高価なサボテンだしなあ、処分よりかは高く売り付けた方がいいかもしれん。
…マザー・システムがどう考えていたか、俺は知りたいとも思わんが…。
人類が遺した遺言でさえも、機械が勝手に踏みにじっていたとは考えたくもないし、知りたくもないな。…いくら人類でも、同じ人間には違いない。
そいつらが愛した金鯱をマザー・システムが掻っ攫っては、利用していたとしたら腹が立つ。
死んじまったからもういいだろう、と遺言も無視して売っていたとかな。
本当に考えたくもない、とハーレイが呻くように呟く通り。
マザー・システムならやりかねなかった、人類の遺言を握り潰して、遺産を奪ってしまうこと。恐らく本当にやっていたただろう、金鯱だけのことに限らず。
養父母として生きた人類のささやかな財産も、権力者たちの財産も。
次の世代など存在しなかったのが人類の社会なのだし、何もかも奪われていったのだろう。その持ち主の命が尽きれば、マザー・システムに。高価な金鯱も、ささやかな物も。
シャングリラに乗っていた金鯱は仲間たちに愛され、次の世代までが育てられていたけれど。
最初の金鯱がいなくなった後も、次の金鯱が立派に育って後を継げるようにと。
多分、幸運だった金鯱。
シャングリラに連れて来られた時こそ廃棄処分の危機だったけれど、その後は持ち主がコロコロ変わりもしないで育っていった。
前の自分が生きていた間も、その後もずっと世話をしていた係はヒルマン。
地球でヒルマンが命尽きるまで、金鯱の世話は最初に金鯱を育て始めた人物のまま。金鯱の方が先に寿命が尽きてしまって、ヒルマンが地球で死んだ時には、二代目が船にいたのだから。
人間が全てミュウになった今の時代なら、そういう金鯱も珍しいことはないけれど。あの時代に生きた金鯱の中では、同じ人間が最後まで世話した唯一の金鯱だっただろう。
シャングリラの他にはミュウの船は無くて、金鯱は人類のものだったから。二百年も生きる金鯱よりも遥かに寿命の短い、人類の時代だったのだから。
それを思うと、愛おしい金鯱。
すっかり忘れてしまっていたけれど、シャングリラにあった丸いサボテン。
「ねえ、ハーレイ。…あれって、名前はあったんだっけ?」
金鯱っていう名前じゃなくって、あのサボテンだけについてた名前。
ぼくがブルーとか、ハーレイがハーレイって名前みたいに、あれにも何か。
「いや、ヒルマンは金鯱とだけ…」
でなきゃサボテンだな、それで充分通じたからなあ、アレしか無かったんだから。
シャングリラには他のサボテンは乗っていなくて、あの金鯱と跡継ぎが乗っていただけだ。
わざわざ名前を付けるまでもないし、金鯱かサボテンとしか聞いていないが…。
しかし名前はあったかもなあ、俺が聞いてはいなかっただけで。
船の仲間たちが自分で好きな名前を付けては、そいつで呼んでいたかもしれん。ペット感覚で、名付けた仲間の数だけ名前があったとしても俺は驚かないぞ。
「その可能性もあるかもね。…ヒルマンだって、本当は名前を付けていたかも…」
ハーレイは何か名前を付けた?
前のぼくは名前を付けてないけど、前のハーレイは名前を付けてあげたの、あの金鯱に?
「名付けていたなら覚えているさ。あの船にサボテンがあったことをな」
…忘れちまっていたとしてもだ、お前にサボテンと訊かれた途端にアレだと思い出しただろう。前の俺が名前を付けてたヤツだと、その名前ごとな。
「そっか…」
ハーレイも名前は付けてないんだね、あの金鯱はずうっと船にいたのに。
シャングリラが改造されるよりも前から船に乗ってて、大きく育って花を咲かせて、代替わりもしたサボテンなのに…。
ちょっと残念、名前があったなら知りたかったな。ヒルマンが付けてた名前でもいいし、仲間の誰かがコッソリ呼んでた名前でも。
…長いこと一緒にいたサボテンなんだもの、名前を付ければ良かったかな、ぼくも。
今となっては、名前があったかどうかも分からないサボテン。ヒルマンが世話をしていた金鯱。
ミュウの船ならではの気長なペットのような植物だった。何の役にも立たなかったけれど、花が咲くまで三十年もかかったという代物だったのだけれど。
「…ハーレイ、あのサボテンはトォニィの時代もあったかな?」
ちゃんと二代目から三代目に変わって乗っていたかな、シャングリラに…?
「多分な。なんでサボテンなんだ、と言われながらも乗ってただろうな」
そもそも、ジョミーもアレの由来を知ってたかどうか…。
俺は話した覚えなんか無いし、ヒルマンがジョミーに言ったかどうかも分からんし…。
ジョミーの代で既に謎だったかもな、あのサボテンがどういう理由でシャングリラに来ることになったのか。廃棄処分にされる所を救われたとは思っていなかったかもな、ジョミーもな。
なんたって、ジョミーが船に来た時には、二代目になっていたんだから。
「そういえば…。ジョミーが来た時には、とっくに二代目…」
最初の金鯱はいなくなってて、二代目が育ってたんだっけ…。それと跡継ぎの三代目と。
それじゃジョミーは知らなかったかもね、一代目が船に来た理由。
シャングリラにはサボテンも乗ってるんだ、って思っておしまいだったかも…。
どうしてサボテンが乗っかってたのか、不思議にも思わないままで。
シャングリラが白い鯨になるよりも前から、役立たずなのに乗っていたサボテン。捨てられずに堂々と船に居座り、代替わりまでした丸いサボテン。
あの金鯱もきっと、他の木たちと一緒に引越したのだろう。白いシャングリラが解体される時、アルテメシアか他の何処かの惑星に。
アルテメシアに行ったとしたなら、今もシャングリラの森の何処かにいるかもしれない。大きく育った丸いサボテンが、もう何代目か数えられないほどに代替わりをした金鯱が。
「…金鯱、今も人気なの?」
もうメンバーズとか、元老とかはいないけど…。今でも金鯱、人気なのかな?
「人気らしいぞ、ミュウと同じで長生きだからな」
二百年ほど生きるわけだし、並みのペットより一緒にいられる期間が長い。
花を咲かせる楽しみもあるし、デカく育つのも見ていられるし…。
育てている人は多いらしいぞ、いわゆるサボテン愛好家だな。
俺たちもまた育ててみてもいいかもしれんな、前の俺たちが育て始めたくらいのヤツから。
今度は名前も付けてやってだ、デカくなるまでちゃんと世話して。
「いいかもね。…かなり大きくなっちゃうんだけど」
家の中に置いたら凄いことになってしまいそうだけど、大きくなったら庭に置く…?
雪とかが降っても大丈夫なように、ちゃんと温室を作ってやって。
「そいつもいいなあ、リビングにデカイ金鯱がいるのも面白いがな」
ギリギリまでリビングでデカくしてから外に出すかな、運び出すのも大変そうだが…。
今のお前じゃ瞬間移動でヒョイと運べやしないし、俺が抱えて運んで行くしかなさそうだがな。
人間が全てミュウになった今は、誰でも気軽に育てて大きく出来るサボテン。丸い金鯱。
花が咲くまでの三十年はミュウの世界では長くはないから。
メンバーズも元老院もマザー・システムも消えて、ミュウの時代になったから。
金鯱は高価なサボテンではなくて、愛好家が好きに育てているもの。花を咲かせて楽しむもの。
そういう時代に生まれ変わって、青い地球の上でハーレイと一緒に生きてゆく。
今度も前の自分たちのように、サボテンを育ててみるのもいい。
小さな金鯱の鉢を買って来て、こんなに大きく育てられたと、そろそろ花が咲きそうだと。
前のように大きく育ってしまったら、ハーレイが苦労しそうだけれど。
「こんなにデカイのを俺が運ぶのか」と、温室まで抱えてゆく羽目になっていそうだけれど。
けれども、それも平和の証。青い地球に二人で来られたからこそ、金鯱を運ぶことになる。
だから自分も鉢を運ぶのを手伝おう。ハーレイと一緒に抱えてゆこう。
「落とさないでよ」と声を掛けたら、「落とすなよ?」と返りそうな声。
ハーレイと二人で大きな金鯱の鉢を抱えて、庭の温室まで笑い合いながらの引っ越し作業。
青い地球の上で、今度はハーレイと一緒に育てた金鯱の鉢を抱え上げて…。
船とサボテン・了
※役に立たない植物などは無かった船がシャングリラ。それなのに育てられていたサボテン。
廃棄処分を免れてまで、改造前からずっと船にいた立派な金鯱。ミュウの箱舟ならではの話。
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