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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

船を停める言葉

(すっかり遅くなっちまった…)
 ハーレイは愛車を走らせていた。街灯や対向車のヘッドライトはあるのだけれども、夜だから。もうすっかりと更けているから、外側から見ても車体の色は漠然としか分からないだろう。緑色を帯びた車だとしか。
 前の自分のマントの色。その色と同じ色をした車。初めての車を買った時から、この色だった。今よりもずっと若かった自分。青年には些か渋すぎる色。けれど、この色しか…。
(無いと思ったんだ、俺の車には)
 お似合いですよ、と勧められた鮮やかな黄色の車は論外。褐色の肌には黄色の服がよく似合うと知っていたのだけれども、車の黄色は違和感があった。それよりは白、と。
 白の車をまじまじと眺めて、少しいいなと思ったけれど。どういうわけだか、「白は駄目だ」と考えた自分。「俺の車には似合いの色だが、欲しい気にならん」と。
 様々な色を見比べた末に「これにします」と選んだ深い緑色。何処から見ても年配向きで、店の人にも「もっと明るい色の方が」と鮮やかな緑を勧められたけども、「違う」と感じた明るい緑。
 「これが気に入ったから」と譲らずに決めた、今の緑に。前の自分のマントの色に。
 まさかそうだとは、夢にも思わなかった色。縁があったとは知らなかった色。
 初めての車を披露した時は、友人たちに散々呆れられたものだ。「渋すぎるぞ」と。遠慮のない者はこうも言ってくれた、「その車に乗るだけで三十歳は老けられそうだな」と。
 実際、そういう色だから。
 今の時代は人間は誰もがミュウになっていて、若い姿で年齢を止めてしまえる世界。年を重ねた人は少なくて、深い緑色の車が似合う姿なら、もう充分に「老けた」年齢。
 そういう人たちが乗っているような車を買うとは、と何人もに笑われ、それから後も…。
(今の車に買い替えた時だって、まだ言われたんだ!)
 三十代でそれは渋すぎないかと、今度は違う色の車を選んで買ったら良かったのに、と。



 車は長く乗るのが信条、今で二台目になる愛車。これに乗って今の学校に赴任した時も、やはり同僚たちが「渋い趣味だ」と漏らした感想。「濃い色が好きなら青もあるのに」と言った者やら、いっそ黒の方が若い者でも似合う色なのにと評した者やら。
 前の自分のマントの色の車は、この年になってもまだ渋いらしい。三十八歳くらいでは。もっと年を重ねて五十代の声でも聞かない限りは、「渋すぎる趣味だ」と言われるのだろう。
 けれど…。
(この色には意味があったってな)
 小さなブルーと出会って分かった、自分が何者だったのか。この色の車に惹かれた理由も、白い車を選べなかった原因も。
(…白は好きだが、好きじゃなかったんだ…)
 自分ではなくて、前の自分が。キャプテン・ハーレイだった自分が。
 前のブルーと共に暮らしたシャングリラ。長い長い時を共に生きた船、ブルーが守った白い船。そのシャングリラから、ブルーがいなくなったから。ブルーを失くしてしまったから。
 それでも自分はシャングリラの舵を握って行くしかなかった、遠い地球まで。前のブルーがそう願ったから、「頼んだよ、ハーレイ」とジョミーの補佐を自分に託して逝ったから。
 ブルーを失くして、仲間たちはいても常に孤独で。目指す地球はブルーと何度も夢見た星から、旅の終わりを告げる星へと変わってしまって。
 地球に着いたら全てが終わると、ブルーの許へと旅立てるのだと、それだけを思って生きていた自分。魂はとうに死んでしまって、屍のようになった身体で。
 ブルーが命を捨てて守った白いシャングリラは悲しい船になってしまった、ブルーの姿は何処を探しても無かったから。ブルーの声は二度と聞こえなかったから。
 前のブルーの思い出が幾つも詰まった、白く優美なシャングリラ。船を預かるキャプテンゆえの思い入れも深い船だったけれど、ブルーを失くした悲しみの方が遥かに大きかったから。
(…白い車は…)
 無意識の内に避けたのだろう、今の自分も。
 白を選んでもブルーがいないと、好きな色でも悲しい思いをするだけなのだ、と。



 けれどブルーは帰って来た。十四歳の少年の姿で、蘇った青い地球の上に。
 前の自分の記憶も戻って、ブルーと再び巡り会えた。お蔭で車の色の謎も解けたし、次は白でもいいなと思う。ブルーがいるなら白い車も悪くないから、白はシャングリラの色だから。
 とはいえ、今はまだ濃い緑色。向こう五年は乗りたい車で、大切に乗ってやりたい車。ブルーと最初のドライブに行く時は、この車に乗って出掛ける予定。
 それが夢ではあるのだけれども、ブルーはまだまだ幼いから。十四歳にしかならないから。
(…こいつが現実…)
 ブルーを助手席に乗せる代わりに、定員一杯に乗せた同僚たち。とうに下ろして来たけれど。
 金曜日の夜、同僚たちと仕事帰りに食事に出掛けた帰り道。バスで通っている同僚たちには車が無いから、自分も運転手の一人。どうせ気ままな一人暮らしだし、遅くなってもかまわない帰宅。家が遠い者たちを送ることにした、車に乗れる人数だけ。
 順に一人ずつ下ろしていって、最後の一人の家まで行ったら、自分の家からは離れた郊外。窓を開けて軽く手を振った後は、いつもより長い帰り道。時ならぬドライブ、久しぶりの。
(…ブルーは抜きだが、ドライブはだな…)
 嫌いではないし、今でも時々走ってはいる。ブルーの家に寄り損なった日の帰りなどに。
 車の数も減った夜更けに、やっと戻って来た自分の家がある住宅街。幹線道路から入った後には出会う車も無い時間。
 其処を走って、間もなく見えて来た門灯と庭園灯の明かりと。暗くなったら自動で灯る仕掛けにしてある明かりで、自分の家。



 もう寝静まっているらしい近所の家々、その前を静かに走って行って…。
(よし、帰って来たぞ!)
 ブルーの家には寄れなかったけれど、いい日ではあった。同僚たちとの楽しい食事に、有意義な話題や愉快な話題。ブルーの代わりに同僚たちを満杯に乗せてのドライブの時間も悪くなかった。
(…欲を言えば、あそこはブルーとだな…)
 二人きりで、と行きたかったけれど、それはまだまだ先の話で、夢だから。
 小さなブルーが前と同じに育つ日までは叶わない夢だと分かっているから、欲張りはしない。
 今の自分には同僚たちとのドライブが似合いで、でなければ一人きりでのドライブ。今のように一人で車を走らせ、こうして家まで。
 慣れた手つきでハンドルを切って、車をガレージに入れにかかった。
「シャングリラ、無事にご到着ってな」
 ついつい零れるシャングリラの名前、遠く遥かな時の彼方で前の自分が動かした船。舵を握って立っていた船、ブルーと暮らした白い船。
 今の愛車はシャングリラのような宇宙船ではないけれど。大きさも形も違うけれども、いずれはブルーと乗る予定になっている愛車。ブルーと乗るなら、この車だってシャングリラ。二人だけのために動くシャングリラで、白くなくてもきっと立派なシャングリラになる。
(俺が動かすわけなんだしな?)
 さて…、とガレージの所定の場所に車をピタリと停めたけれども。前も後ろも、脇のスペースも狙い通りにいったけれども。



(む…?)
 見事に車を停めたというのに、肝心の台詞が出て来なかった。
 シャングリラを停めるための言葉が、ガレージに車を停める所で言うべき言葉が。
 今は車の形だとはいえ、シャングリラのつもりだったのに。あの白い船と同じ気分で、いつかはブルーを乗せる予定のシャングリラで家に着いたのに。
 思い付かない決め台詞。シャングリラを停めるなら、言うべき言葉。
(うーむ…)
 最後の最後が決まらなかった、と溜息をついて切ったエンジン。せっかくシャングリラの気分で帰って来たというのに、どうにも間抜けなオチになった、と。
 キャプテン・ハーレイだけが言える台詞がある筈だけれど。こういう場面で使う言葉が。
(だが、出て来ない、と…)
 ウッカリ者め、と車のキーを抜いて、降りてドアを閉めて。鍵をかけた後、玄関まで庭の芝生を横切る途中でハタと気付いた。「無かったのだ」と。
(…停めてないんだ、シャングリラは…)
 だから言葉がある筈もない。車をガレージに停めるのに使えるような言葉は、何処を探しても。
 愛車のエンジンは止めたけれども、キーだって抜いて来たのだけれど。
 シャングリラの場合は、止めたことなど無かったエンジン。いつも動いていたシャングリラ。
 雲海の星、アルテメシアの雲の中でも、ナスカの衛星軌道上にあった時でも。
 衛星軌道上ならば止めても良さそうなエンジンだけれど、シャングリラはそうはいかなかった。あの船を隠すためのステルス・デバイス、それを止めることは出来ないから。エンジンを止めれば止まってしまうステルス・デバイス、そうなれば人類に姿を発見されかねないから。
(機関停止、としか…)
 言えなかったのだった、シャングリラでは。
 止めていい機関はどれとどれで、と確認しながら出していた指示。エンジンを切れなかった船。
 シャングリラはそういう船だった。ある筈もなかった、停めるための言葉。



 そうだったっけな、と頭を振り振り、横切った庭。庭園灯や門灯の明かりがほのかに照らし出す芝生。空を仰げば星空があった、白いシャングリラで旅をした空が。この地球が青く蘇るより前、遥かな昔に前の自分が地球を目指して旅した空が。
 前のブルーがいなくなった後、シャングリラは地球までやって来たけれど。前の自分もミュウの代表としてシャングリラから地球へと降りたけれども、やはり止めずにおいたエンジン。
 シャングリラは死の星だった地球の衛星軌道上にあった、いつでも脱出できるようにと。いざとなったら自分たちを捨てて地球を離れろと、そういう指示を下しておいた。
 あれだけ巨大な船のエンジンは直ぐにかかりはしない。だから「止めるな」と主任操舵士だったシドに命じた、「会談が始まるまでには時間がかかるが、止めて待つな」と。
 前の自分が最後まで停めなかった船。停めるための言葉を持たなかった船。
(なにしろ港が無かったからなあ…)
 地球に着いた時もそうだったけれど、地球に宙港は無かったけれど。
 それよりも前も、シャングリラには無かった港なるもの。船を停めておくためにある港。
 アルテメシアを落とした直後は、宙港へと船を降下させたものの…。
(あれは人類への示威行動で…)
 港に入ることが目的というわけではなかった、シャングリラの存在を誇示するためのジョミーの戦略。アルテメシアから地球へと向かう途中に落とした星々、其処の宙港でも。
 「ミュウの船が下りる」ことに意味があったから、言わば作戦行動中。普通の宇宙船の入港とは違って、管制官などいようがいまいが…。
(強引に下りるだけだったんだ…)
 だから自分は言ってはいない。シャングリラを停めるための言葉を、入港する時に使う言葉を。



 つまり、シャングリラには無かった港。決まりに従って入港する場所。
(おまけに母港なんぞは何処にも…)
 まるで存在しなかった。シャングリラが帰るべき港は無かった、宇宙の何処にも。地球への道を進んでゆくだけの船に、帰る場所など要らないから。あの船に母港が出来るとしたなら…。
(地球に辿り着いて、人類がミュウの存在を認めた時だけなんだ)
 俺は港に帰って来たが、と鍵を開けた家。今の自分の家の玄関。
 今の自分の愛車にとってはガレージが母港、自分にとっては家が母港といった所か。
(こうして明かりも点いてるってな)
 門灯や庭園灯もそうだし、玄関の脇の明かりも同じ。夜に戻ったら点いている明かり、滑走路に灯った誘導灯のように。海にある港の灯台などのように。
 玄関を入ってパチンと明かりを点けたけれども、その気になったら、帰って来た自分を出迎えるように灯る仕組みに調整できる。歩いてゆく先で順番に点くよう、センサーを使って。
(だが、俺はレトロなヤツが好きだし…)
 便利な仕掛けにしておくよりかは、手動が好み。暗がりでパチンと入れるスイッチ、そうやって灯る明かりが好み。
 自分の港の家だからこそ、自分の好みで。
 少し暗すぎて「何処だ?」と手探りで探すスイッチ、それも楽しみの内だから。サイオンの目で見て探すよりかは断然手探り、どんなに効率が悪かろうとも。
 此処は自分の家だから。母港なのだから、のびのびと羽を伸ばせばいい。船が戻って休むための場所、それが母港というものだから。



 食事は同僚たちと済ませて来たし、着替えた後にはコーヒーがあればそれで充分。愛用の大きなマグカップにたっぷりと淹れて、今夜は書斎へと運んで行って。
 小さなブルーが持っているのと同じシャングリラの写真集を棚から出して、机に置いた。椅子に腰掛け、コーヒーを飲みながら表紙を飾った白い船を眺める。
(…こいつに港は無かったか…)
 まるで気付いていなかったが、と漏れた苦笑い。俺としたことが、と。
 この写真集に収められた写真が撮られた時代。トォニィの代は、キャプテン・シドが舵を握った時代は、シャングリラにも出来ていた港。何処の星にも降りて良かったし、母港もあった。
 彼らの時代はノアとアルテメシアがシャングリラの本拠地、どちらも母港。二つもあった理由は簡単、白い鯨をノアが迎えたがったから。当時の首都惑星だったノアにもシャングリラを、と。
 トォニィが燃え上がる地球を後にして、向かった星はアルテメシアだったのだけれど。あの星がミュウの歴史の始まりの星だと、真っ直ぐに向かって行ったのだけれど。
 そうして母港はアルテメシアになって、後からノアが加わった。
 けれど、前の自分が生きた時代には…。
(アルテメシアは旅立ったきりで、戻っていないぞ)
 逃げるように後にした時とは違って、陥落させた後。ジョミーがその気になりさえすれば、あの星を拠点に定めることも出来ただろう。そうしていたなら、アルテメシアは母港になった。
 けれどジョミーはアルテメシアをあっさりと離れ、地球へと向かう道を選んだ。ミュウの拠点は地球にすべきだと、それでこそ向かう意味があるのだと。
 何処の星を落としても、変わらなかったジョミー。母港を持たずに白い鯨は地球へ向かった。
 整備する時も、ゼルとブラウとエラが指揮する船を加えて船団を組んで旅立った時も、白い鯨が下りた港は仮の港で、最後まで母港は無かったのだった。いつでも戻れる母なる港は。



 前の自分が生きた時代はそういう時代。シャングリラに母港が無かった時代。
 赤いナスカには長く留まったし、定住したいと若い世代が言い出したほどの星だったけれど。
 彼らがナスカに執着したせいで惨劇が起こってしまったけれども、あのナスカでも衛星軌道上に浮かんでいただけのシャングリラ。港ではなくて、暗い宇宙に。
 ナスカの宙港が狭かったこともあったとはいえ、やはり止められなかったエンジン。万一の時を考えるならば、シャングリラのエンジンを止めてはならない。
 だからナスカには下りられなかった、シャングリラの母港はナスカでも無いままだった。
(流浪の民か…)
 ナスカに基地を築いたとはいえ、地球に向かうまでの仮住まいに過ぎなかった星。長く続いた放浪の旅で疲れ果てた仲間たちを降ろして休ませた星。
 いずれは地球へと旅立つのだから、ナスカがあってもミュウは流浪の民だった。乗っている者が流浪の民なら、その箱舟も同じだろう。母港を持たない流浪の船。
 母港が無ければ、全機関の停止は有り得ない。けしてエンジンは止められない。
 白い鯨へと改造するために無人の惑星に下りていた時も、大部分の機関は動いていた。メインのエンジンの改造中には補助のエンジンがフル稼働していたし、他の機関も、ワープドライブも。



 ついに一度も見ないままだった、エンジンを止めたシャングリラ。
 そんな指示など出せはしなかったし、出せる状況にもいなかった。エンジンを止めていい母港は無かったのだから。シャングリラは母港を持たないままで地球へと向かったのだから。
(…前の俺が言葉を知らないわけだ…)
 船を停めるための。シャングリラを入港させる時に使う言葉を、前の自分は使わなかった。その必要が無かったから。使う場面が無かったから。
 港が無いなら、船は停まらない。
 陥落させた星の宙港に下りる時には、何らかの形で指示を下した筈だけれども…。
(俺は、なんて言っていたんだっけな…?)
 シャングリラ発進、という言葉は何度も使った。様々な場面で、色々な場所で。
 人類に追われてアルテメシアを後にした時も、「シャングリラ、発進!」と命じていた。重力圏からのワープなどという前代未聞の荒技での旅立ち、仲間たちの士気を鼓舞するように。
 前のブルーを失くしてから戻ったアルテメシアでも、地球に向かって旅立つ時にはそう言った。
 けれども、その後の旅路で幾つもの宙港に下りた時には…。
(…着陸でもなし…)
 思い出せん、と頭を振った。これだった、という言葉が欠片も出て来ないから。
 多分、その時々で違ったのだろう。
 降下してゆく星の状態などに合わせて、高度をどのくらいで保持とか、そういった風に。宙港に船を停めておくにしても、エンジンは稼動したままなのだから「このまま停船しておけ」だとか。
 そう、地球へ降りる時にもシドに命じた記憶があった。
 「衛星軌道上で停船、ただしエンジンは万一に備えて動かしておけ」と。



 その場に応じて変わっていたらしい、シャングリラを停めておくための言葉。
 停めると言っても、エンジンは止まらないのだけれど。本当の意味では止まっていなくて、船は動いていたのだけれど。
(つまり決め台詞が無かったわけだな)
 「シャングリラ発進」という言葉はあっても、無かったらしい、その逆の言葉。シャングリラを格好よく停めるための言葉。
 ならば作るか、という気がしてくる。
 白いシャングリラは時の彼方に消えたけれども、今の自分のシャングリラ。前の自分のマントの色をしている愛車。あれのためにも作ってやるか、と。
 自分が「ただいま」と家に、母港に帰って来るなら、今のシャングリラにも相応しい言葉を。
 ガレージという名の母港に入る時のための言葉を、ピタリと停めてやる時の言葉を。
(ただいま、と声に出して家に入ってはいないがなあ…)
 そう言ってみても、待っている人がいないから。一人暮らしの家だから。
 けれども帰る家があるから、心では言っている気がする。「ただいま」と一人で扉を開けて。
 俺の家だと、今日も家まで帰って来たぞ、と。



 それに、今は一人の家だけれども、些か大きすぎる家なのだけれど。
(いずれはブルーが…)
 待っていてくれる日が訪れる。
 まだ十四歳にしかならないブルーが、前と同じ姿に育ったら。結婚出来る年を迎えたら。
 二人で暮らせるようになったら、「ただいま」と声に出すことだろう。今のシャングリラだとも言える愛車をガレージに停めて、庭を横切って、玄関を開けて。
 ブルーは奥で待っているのか、それとも気付いて玄関先まで出て来るか。「おかえりなさい」と迎えるブルーに、「ただいま」と笑顔を向けるのだろう。
(そうなってくると…)
 小さなブルーと決めるべきだろうか、シャングリラを停めるための言葉は。
 ブルーとはドライブにも出掛けるのだから、いずれブルーも目にする場面。今のシャングリラをガレージに入れて、ピタリと停める時に使える決め台詞は…、と考えているのが自分だから。
(そうだな、あいつはソルジャーだしな?)
 今のブルーに「何か無いか?」と尋ねてやったら、大喜びで案を出しそうだけれど。
 それよりも前に、ソルジャーだった頃のブルーが案を持っていた可能性がある。いつか地球へと夢見たブルーは、シャングリラが役目を終えた後のことも何度も語っていたのだから。
 地球に着いてソルジャーとキャプテンの立場から解放されたら、色々なことをやりたいと。
 ソルジャーもキャプテンも要らないのならば、もうシャングリラも停まっている筈。エンジンを止めて、仲間たちも船から降りてしまって。
 その日を夢見たブルーだったら、具体的な案を考えていたかもしれない。
 前のブルーは言えずに終わったけれども、言おうとしていたシャングリラの旅の終わりの言葉。
 キャプテンだった自分ではなくて、ソルジャーが命じる停船の言葉。
 旅は終わりだと、シャングリラはついに地球まで辿り着いたのだから、と。



(その可能性は大いにあるな…)
 ブルーだからな、と頬が緩んだ。
 青い地球に焦がれ続けたブルー。いつか行きたいと何度も語っていたブルー。
 地球に焦がれて、焦がれ続けて、とうとうフィシスを攫ったくらいに。フィシスがその身に抱く映像、青い地球へと向かう旅の景色。それが欲しいと、望んだ時にいつでも見られるようにと。
 それほどに焦がれた青い地球なら、その青い地球に白いシャングリラを停める時の言葉も…。
(…持っていそうなんだ、あいつだったら)
 其処までの旅路を終えた仲間を労う言葉と併せて、それも。旅をした船を停める言葉も。
 キャプテンだった自分に代わって、ブリッジに立って命じる言葉を。
 シャングリラの舵を握ったキャプテンに向かって言うべき言葉を、白い鯨を停める言葉を。
 それがあるなら、使ってみたい。今の自分のシャングリラに。いつかはブルーと乗る愛車に。
(明日、訊いてみるか…)
 あったのかどうか、と少し温くなったコーヒーのカップを傾けた。
 明日は土曜日、ブルーの家に行く日だから。ブルーと一緒に過ごせる日だから。



 次の日、ブルーの家に出掛けて。小さなブルーの部屋で二人で向かい合うなり、忘れないでいた質問を早速投げ掛けた。
「おい、シャングリラを停める言葉を知ってたか?」
「え?」
 シャングリラって…、とブルーが首を傾げる。停める言葉って、どういう意味、と。
「白い鯨だ、前の俺たちが乗ってた船だ」
 あのシャングリラを停めるための言葉ってヤツをだ、どうやら俺は知らないようだ。
 …忘れちまったっていうんじゃなくてだ、最初から存在しなかったらしい。
 前のお前が生きてた間は、港に入るって場面が無くてだ、一度も言ってはいなかったんだが…。
 言う必要すら無かったわけだが、その後も使う場面が無かった。
 シャングリラには母港が無かったからなあ、エンジンを止めることは無かったわけだ。いつでもエンジンは動きっ放しで、止めてはいない。…最後までな。
 前の俺が地球に降りる時にも、「エンジンは止めるな」とシドに言って降りた。
 そんな具合だから、シャングリラのエンジンを止めて本当に停める時の言葉を知らないんだ。
 もちろん、アルテメシアやノアの宙港に降りてはいたんだが…。
 そういう時には、状況に応じて言っていたらしい。こんな手順で停船しろ、と。エンジンは常に動かしたままで、高度なんかを保ってな。
 …しかし、前のお前は地球に行こうと夢を見て、幾つもの夢を抱えて。
 地球に着いたらやりたいことを山ほど持っていたのがお前だ、それだけに地球に辿り着いた後のことも考えていたのかもな、と思ってな…。
 仲間たちに贈るための言葉と、シャングリラの旅の終わりを告げるための言葉と。
 前の俺に向かって「エンジン停止」と命令するとか、着陸だとか。
「…えーっと…。訊いてくれたのは嬉しいけれど…」
 その発想はぼくにも無かったよ。
 シャングリラのエンジンは動いてるもので、止めるなんて想像もつかなかったから…。
 だって、止めたらステルス・デバイスまで止まってしまうんだものね。



 前のぼくは地球へ行く夢を見ていただけだから…、と困ったように微笑むブルー。
 そうでなくてもシャングリラの操船はキャプテン任せで、地球に降りる時にもそのつもり、と。
 仲間たちを労う言葉はともかく、シャングリラに関しては任せておくだけ、と。
「シャングリラはハーレイが動かしてたんだし、前のぼくは乗っていただけだよ?」
 ハーレイから報告は聞いていたけど、ぼくはシャングリラを動かしてないし…。
 地球に降りるからって、ぼくが其処だけ指揮を執ったら変になっちゃう。
 間違ったことは言ってなくても、シャングリラの指揮はソルジャーの役目じゃないしね。
「なるほどな…。前のお前がそうだったのなら…」
 やはり決め台詞は無しってことだな、困ったことに。
「…決め台詞?」
 なんなの、それって何に使うための決め台詞なの…?
「大したことではないんだが…。今の俺が乗ってるシャングリラが、だな…」
 俺の車だ、俺が運転している以上はアレもシャングリラには違いない。今の俺用の。
 そいつを昨日、ガレージに入れようとしたら相応しい言葉が無かったんだ。
 前の俺は散々「シャングリラ発進」と言ってたわけだが、その逆が無かった。使う場面がまるで無いんじゃ仕方ないがな、今は事情が違うだろうが。
 あの頃のシャングリラには母港が無くてだ、エンジン停止は有り得なかったが…。
 俺の車にはガレージという名の母港があるのに、とショックだと言うか、ガッカリと言うか…。
 いっそお前と考えようかと思ったわけだな、車を停めるための決め台詞を。
 それで、もしかしたら前のお前にアイデアがあったかと思ったんだが…。
 前のお前も持っていなかったか、決め台詞。
 さて、シャングリラをどうやって停めたもんかな、今のシャングリラは車だがな。



 宇宙船とは違うんだが…、とブルーの瞳を覗き込みながら。
「お前だったら、なんと言ってみたい?」
 俺の車をガレージに入れて停める時には、なんと言いたい?
「…どうして、ぼくと一緒に考えるの?」
 ハーレイの車の話なんだよ、ぼくに訊くよりハーレイが自分で考えた方がいいと思わない?
 その方がきっとハーレイらしくて、かっこいい言葉になりそうだけど…。
「忘れちまったか? 俺の車の役目ってヤツを」
 俺の車は、俺たちのためだけのシャングリラになる予定だろうが。
 今は緑の車なわけだが、いずれはシャングリラと同じ白い車にするのもいいなと言った筈だぞ。
 お前は俺の隣に座って、俺に注文するわけだ。何処に行きたいとか、此処で止めてだとか。
「そうだっけね…!」
 我儘を言っていいんだっけね、もっと遠くまで行ってみようとか、もう帰ろうとか。
 ちょっと止めてだとか、ぼくの好きなように。



 でも…、と考え込んでしまったブルー。
 どんな言葉があったっけ、と。
「シャングリラを停めるための言葉は無かったし…。前のぼくだって考えてないし…」
 ギブリとかなら着艦だとか言っていたけど、あれはシャングリラに降りるための時で…。
 地面に下りるなら着陸だろうけど、シャングリラもそれでいいのかな?
 宙港だったら、どう言って宇宙船を下ろしているわけ…?
「さてなあ…」
 どう言うんだかなあ、宙港に船を下ろす時には。
「ハーレイ、ホントに知らないの?」
 エンジンは止めていなかったにしても、シャングリラは宙港に下りてたんでしょ?
 アルテメシアでも、ノアとかでも。
「それはそうだが…。さっきも言ったろ、エンジンを止めてなかったからな」
 本当の意味で停めたわけじゃなかった、だからそいつの言い方は知らん。
 キャプテン時代に使ってないしな、今の俺が知るわけないだろう。
 ただの古典の教師なんだぞ、宇宙航学なんぞは知らん。
「…それじゃ、シドのを調べたら?」
 データベースにあるんじゃないかな、キャプテン・シドの時代のデータも。
 シャングリラは色々な星に行ったんだし、シャングリラを停める言葉だってあるよ。
 エンジンを止めてもいい時代だから、ハーレイの目的にピッタリなのが。
「それも一つの方法なんだが…。他人の言葉を使うよりかは、オリジナルだろ?」
 宇宙航学じゃ、なんて言うのか調べるにしても、シドに頼るよりは俺の力でだな…。
 でもって、そいつをアレンジするのがいいと思わないか、本物の船じゃないんだから。
「うん、そういうのも良さそうだよね」
 宇宙船だったらピッタリな言葉でも、車だったらピンと来ないかもしれないし…。
 車は着陸しないんだものね、ガレージに入れるのに着陸だと可笑しくて笑っちゃいそう。
 素敵な言葉が見付かるといいね、ハーレイの車にピッタリのシャングリラを停める言葉が。



 今はまだ、お互い、アイデアは無いけれど。
 車になったシャングリラを停める言葉は、一つも思い付かないけれど。
 いつかブルーを助手席に乗せて、ドライブに出掛けられるようになったら…。
「これだ、っていうのを考えなくちゃな、シャングリラ用の」
 シャングリラは車になっちまったんだが、そいつに似合いの停めるための言葉。
「ハーレイと二人で考えようね、似合いそうなのを」
 ぼくも頑張ってアイデアを出すから、ハーレイも色々考えてよ。
 うんとかっこいい言葉がいいよね、「シャングリラ、発進!」って言ってたハーレイはとっても素敵だったから。
 あれに負けないほどかっこいい言葉で車を停めてよ、キャプテンらしく。
 車だけれども、ハーレイがキャプテン。
 だって、ぼくたちのシャングリラなんだから。
「分かっているさ」
 制服を着るってわけにはいかんが、そこは格好よく決めないとな。
 そうでなければ決め台詞にする意味が無いしな、シャングリラを停めるにはこれだ、ってな。



 いつかブルーが前と同じに大きくなったら、ドライブに行けるようになったら。
 ブルーと二人で言葉を決めよう、二人で乗ってゆくシャングリラを停めるための言葉を。
 車になったシャングリラを母港に、ガレージに停めるための言葉を。
 そして二人で車から降りて、家という名前の港に着く。
 暗くなっても暖かな明かりが点く家に。
 次々に明かりを点けて回って、それから始まる幸せな時間。
 二人だけのためにある幸せ一杯の港に入って、笑い合ったり、食事をしたり。
 今のシャングリラを停めておける家で、いつまでも二人で暮らしてゆける家で…。




             船を停める言葉・了

※「シャングリラ、発進」という言葉はあっても、無かったものが停船する時の言葉。
 前のハーレイは使わないままで、今でも思い付かないのです。いつかブルーと考えたいもの。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv










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